2010年03月

2010年03月31日

100331, 春休みの電車は騒がしい

学校が春休みシーズンで、通勤電車に小中学生がいっぱい乗り込み騒がしい。殆どがデェズニーランドに行く連中だ。暗い世相とは無関係に彼らは元気いっぱい、はしゃいぎまくり、日本の将来もなんとかなりそうだと思え安心する。しかし彼らの行儀は大変悪く、大声で話しとても煩い。先般、内房線に乗ったがやはり5-6人の女子高生が電車の床に座り込んで騒いでいた。土足の床に座り込んで汚れるのが気にならないのだろうか何とも不思議な感覚だ。

しかしある記事で読んだが、彼女達はわざと行儀悪く騒いでいるのではないという。彼女達は仲間同士で一生懸命に気遣いし、仲間外れにならないように、相手の気分を害さないように、懸命に調子を合わせているのだという。たまたま彼女達の神経や気配りが、我々大人のモラルと違うだけだという。何とも驚きだ。

話は少し変わるが、ゴリラの世界では、全てのオスはグループ内でその順位が決まっているそうだ。しかしその順番は必ずしも体力だけではなく、グループ内で如何に多くの仲良しを持っているかも関係するそうだから人の世界にも結構似ているらしい。 確かに政治の世界もゴリラ社会と同様で、多数の議員を当選させて仲間を増やし民主党を組織化した小沢幹事長は鳩山総裁よりも実力あるボスなのは周知の事実だ。 我々の学生時代を考えてもその雰囲気はよく理解できる。幸か不幸か私は、仲間を増やして徒党を組む努力は殆どしなかった。いや出来なかったというほうが近い。

そういえば、先般のバンクバーオリンピックで問題になったハーフパイプの国母選手は腰ズボンのみっともない姿を世界に曝したが、彼等の考えからすれば決して異常ではなく、テレビでみている仲間達に対するサインとか礼儀だったのではないだろうか。 たまたま国母選手は頭の悪いので、KYというか、自分を表現するTPOを間違えただけだと思う。更にオリンピックで成果を上げられず、東海大学の面目を潰したので、大学ではひどい目に会ったに違いない。 しかしその後のハーフパイプ世界大会で彼は見事優勝を果たしたが、その時の優勝インタビューは神妙な面持ちに変わり、我々平均的な社会人モードでしんみりと嬉しさを語っていた。 やはり艱難辛苦は汝を玉にする、という古いことわざの通り、マスコミからひどく叩かれて、やっと大人の世界に仲間入りできたということだろう。

フィギャスケートの華、女子シングルで見事に優勝した韓国キムヨナ選手も、その後3/27のトリノ世界選手権大会では見事に転倒して失敗した。多分彼女もバンクーバーから韓国に凱旋した後は、連日大歓迎の荒波にもまれ続け、気分も緩み、体重も増え、練習に力が入らなかったのだろう。キムヨナは荒川静と同様に、オリンピックで頂点を極めたので、もう多分引退するだろう。キムヨナに連敗していた浅田真央ちゃんも、キムヨナが引退する前の世界大会で見事彼女に雪辱を果たすことができ、先ずはほっとしたことだろう。

真央ちゃんは、念願のバンクーバーで金メダルを逃した悔しさがまだ払拭できず、4年後のソチのオリンピックも目指すという。しかし彼女は4年後には23才になり、続く世代の若手選手が続々と出てきそうだ。例えば今回トリノ世界大会にアメリカ代表としてデビューした長洲未来16才や、ジュニア世界大会で優勝し、そのエレガンスを世界が認めさせた14才の村上佳菜子選手など若い有力選手がライバルとして登場してくるだろうから、真央ちゃんの金メダル作戦もなかなか大変だ。 更にフィギャスケートが国技に近いロシアは今回のバンクバーでの惨敗にプーチン首相がカンカンに怒り、スポーツ界の首脳陣を総入れ替えして、国を挙げて4年後の自国ソチでのオリンピックに挑むと言明したから、日本勢も安閑としてはおられない。






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mh3944 at 09:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2010年03月18日

100318, 混乱を続ける民主党

鳩山内閣が支持率低下に苦しんでいる。半年前のスタート時は77%と期待感が高かったが、3月には43%にまで低下、逆に不支持率は45%と支持率を逆転してしまった。小沢幹事長は、支持率低下は今夏の参院選挙には大きな影響はないと言っているが、何とも国民をバカにした傲慢発言で、益々支持率低下を加速している。何故このように支持率が急降下したのか、国民の一人として冷静に考えてみた。

先ずは素人丸出しの外交交渉だ。続いて金銭問題。そして無責任なCO2の25%削減宣言、更にはマニフェスト原理主義だ。

先ず全く下手な外交、特に普天間基地の移転問題だ。折角自民党が苦労に苦労を重ねて、キャンプシュワブ沖合の海上を埋め立てV型滑走路を造る計画に纏め上げたものを、鳩山首相は昨年7月、野党の党首として沖縄を訪問した時、いとも簡単に最低でも沖縄県外へ移設!と宣言してしまった、キャンプシュワブ案で落ち着いていた沖縄住民は目を覚まし、米国はあっけにとられ、渋々ながら同意していた沖縄県知事も、立場上反対派に変わってしまった。そして成田闘争の終結で新しい目標を探していた全国の活動家に第二の成田闘争の目標を与えた。もう何をいわんやである、自分が放火して、自分が消火に走り回るマッチポンプ外交の典型例にしてしまった。

何の目途があって鳩山首相が県外移設を宣言しただろう。多分衆議院選挙で強い追い風を受けて、野党暮らしから一転政権奪取ができそうな雰囲気に気持が高揚して言っちゃったのだろう。その結果、沈静していた火が再び燃え上がり、鳩山首相、岡田外務大臣と、平野官房長官は右往左往の大混乱が始まった。私なら静かなハチの巣をつつくようなマネは絶対にしないが、もう後の祭りだ。全く自業自得の結末でバカにつける薬はなさそうだ。

沖縄県は米軍基地を置く代償として、年間2000億円以上が投入されているにも関わらず、鳩山首相の発言でシメタとばかり反対派は勢いつき、お金は頂くが米軍基地はいらないと、小さな市町村長まで言い始めた。これを戦争に例えれば、出兵を命令された兵士が、年俸は頂くが戦地に行くのは怖いからダメと言うようなものだ。まず沖縄援助予算の返上を先に宣言してから反対運動をするべきだろう。

次は小沢幹事長の公金20数億円の横領案件だろう。新生党自由党と設立と解党をくり返して小沢氏は20億円以上の政党助成金を後援会陸山会の名義でこっそり横領し、マンションや土地などを買いあさった。確かに政党助成金はザル法で、政党解散時に助成金の剰余金を返還する規定がないため、処罰は避けられたが、正しく平成の横領王だ。不景気で今晩の宿にも困っている多数の国民がどう見ているか、分からない筈はないだろう。勿論鳩山首相が親から贈与された10数億円を全く知らなかったと言い張っている件は、殆どの国民は信用していない、正しく平成の脱税王だ。私なら先ずは小沢幹事長を解任して、続いて自分のウソを素直に国民に詫びるだろう。

次に余りにも極端なCO2の25%削減宣言。鳩山さんは日本国首相になった嬉しさの余り、世界の誰もが口にしなかった劇的な25%削減案を、国連総会で堂々と宣言してしまった。世界はあっけにとられたが訂正しないうちにと喝采して後退を封じてしまった。鳩山首相は快感を味わったかも知れないが、その尻を拭うのは経済界であり日本国民なのだ。あの不人気な麻生首相さえ慎重に討議を重ねて削減目標を決めたのに、鳩山首相はいとも簡単に極端に高い目標を世界に公約してしまった。全く哀れで低脳な首相だ。既に世界に向け宣言しちゃったのだから、もう後戻りはできないが、私なら如何にお茶を濁すか対策を考えるだろう。

更にマニフェスト原理主義も頂けない。例えば八ツ場ダムの建設中断問題。確かに40年前の計画立案時は猛反対があったが、その後長い月日が経ち、今では関係者全員が賛成し生活をかけて進行中の案件だ。それにも拘わらずマニフェストの大黒柱だと計画中断を言い出した。マニフェストを信奉しているのは民主党員だけで、国民の80%は重視していないにも拘わらず、撤回する勇気がないのだ。もし私が前原大臣なら、自分のメンツを潰しても八ツ場ダムの中断宣言を撤回するだろう、流石に将来民主党を背負う大臣だと高く評価されるだろう。

唯一の評価できる仕事は、公益法人、独立行政法人の業務仕訳だ。これは自民党政権が長く続いた間に、日本の国中に深く広く食い込んだ寄生虫を駆除することだ。官僚の保身心で日本全体が蝕ばれ、身動きができなかったが、政権交代で解放され始めている。喝采! 共犯の自民党にはとても出来なかった改革で、日本国民を活気つけた効果は高く評価できる。しかしこれだけでは、民主党の支持率の大幅な回復は期待できず、子供手当てのバラ撒き政策を急いで、参議院選挙に勝とうとしている訳だ。

更に民主党は、連携相手の社民党と国民党に振り回され、正しくシッポが本体を振り回している。例えば多くの国民が高評価している郵政民営化の針を逆戻し、官の無駄を排して民に開放するという民主党のスローガンの真反対の政策が亀井大臣の下で着々と進んでおり、実質的に20万の民間人を再び公務員に戻そうとしている。そのうち国民の大反発が起きるだろう。

福島大臣は少子化担当という職責はそっち除けで、沖縄基地撤去や派遣法改悪、原発反対などに時代錯誤な発言ばかり続けている、このままでは民主党らしい革新的な政策は殆ど潰されてしまうだろう。民主党はその連合相手をもっと正当な公明党に変えて早急に再出発しないと、その支持率は益々下がり続けるだろう。

鳩山首相と同じく私も技術屋出身で、彼の実直不器用さは痛いほど分かる。
しかし一国の首相だから言い訳はできない。自分の権限を最大限に活用して、信頼出来る相談相手と慎重に討議を重ね、真に国民の利益に供する誠実な施策を行えば、まだ支持率回復のチャンスは残っていると思うのだが。






mh3944 at 11:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2010年03月15日

100315, 茨城空港の結末


先週、霞が浦近くの茨城空港が首都圏第3の空港として出発したが、定期便はソウル行き1便だけという寂しさ、搭乗予定数は計画の年間80万人に対して、その1/4にも達しない17万人の見込みだと騒ぎになっている。全国に98ある地方空港の内、当初の計画に達した空港は僅か8ケ所だけというから、何とも恐れ入る現状だ。

運輸省の偉い役人と地方自治体は、各県に1空港を作ろう、と全く無意味なスローガンのもとに空港乱設を計画したが、彼らは天下り先確保が主な目的で、自分のフトコロが痛まないから、その結果には全く無関心なのだ。数詞計画は多数の運輸省OBが天下りしている財団法人が下請けして作成したそうだが、予定人数が少な過ぎるのでゲタを履かせるよう運輸省から求められ、大きく膨らませて80万人計画に修正したという。何だか警察と窃盗団が共同して作業しているような有様だ。

しかし人ごとではなく、創業して13年目になる私の会社も、先日またたま古いファイルに、初期の事業計画書を見つけて自分ながら反省した次第。自分のお金なので真剣に考えて立案したつもりだが、年月が経過した今日、読み直してその見込み違いの計画にひとり赤面した次第。特に事業規模と、目標とした業界とが大きく変わっていた。

まず事業規模は計画よりかなり少ない結果で、茨城空港を笑ってはおられない。設立後10年後に年商20億円を予定したが大きく下回ってしまった。主な理由は、私の事業意欲の変化で、拡大志向から堅実経営に変わったことだ。これは時代的な影響もあり、設立当時の経済界の成長一辺倒の雰囲気が、世相の変化や環境問題も反映して、変わってきたことも影響あると思う。しかし収支ジリは殆ど計画に沿った結果になっている。

次に対象とした業界が変わったのは想定外ともいえる。当初は医療機器のメンテナンスを狙ったが、現在は全く異種の半導体製造装置と化学分析機器が主な顧客になっている。スタート時は医療機器は直ぐに医療用具修理業が法制化され、その資格の維持が困難になり、中小企業に無駄な出費を強いるので止めてしまった。しかし更に困難だったのは日本の過剰サービス慣習であり、病院からの緊急連絡への即応体制が追いつかず、余剰人員を抱え込み収支が悪化したので、医療機器の修理業から撤退してしまった。

また営業活動もその手段が大きく変わった、当初はDMや雑誌への広告、更には展示会で見込み機器メーカーへ直接PRを主に行ったが、今では完全にインターネットになっている。展示会で機器メーカーに、メンテ体制が不十分なら我々がサポートしますと話すと、多くのメーカーは気分を害し、殆ど成果が得られなかった。代わって今日では完全にインターネットPRに変わった。

しかしインターネット広告も費用対効果は抜群だが、余程工夫をしないと期待外れに終ってしまう。如何に工夫した宣伝内容でも、具体的な実施例が無いと説得力がない、更に多くの実施例を列挙しても検索結果SEOが上位に出ないと誰の目にも触れず、殆ど意味がない。

しかし最初の計画と全く変わっていないこともある。それはシルバー技術者の活用は正解であった。13年前は、殆どのサービス業は若くて生きのいい若者の独壇場で、年寄りは恥ずかしくてサービス業には関与させて貰えなかった、しかしメンテナンス業は、仕事の繁閑の変動が激しく、特に閑な時の若者の人件費コストをどう吸収するかが大問題であった、更に保守点検という地味で暗い業務は、青雲の志に燃える若者の心を引き留められなかった。一旦業務をマスターするとすぐに浮気心を起こした。例えば最初に採用した若い女性技師は勤務地も本人の自宅近くで、業務も彼女に適した内容であったが、2年間で仕事に飽きられて退職してしまった。就職難の今では考えられない事態だが。今日では技術が優秀で、性格が素直なシルバー技術者を如何に見出すかが私の最重要な業務になっている。

一般に新規事業の計画にはマーケティングが不可欠だが、中長期的な時代の趨勢まで考慮にいれた計画作成は至難の業だろう。茨城空港の例でいえば、20年以上前に工事が始まり、その後に時代の雰囲気は節約志向に変わり、更に羽田空港を関東圏のハブ空港にする政策が推進され始めた結果、茨城空港の地位低下が起こったのは時代の趨勢とも言えよう。


mh3944 at 10:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2010年03月10日

100310, 調査捕鯨はインチキ

南氷洋のクジラの調査捕鯨が世界から非難されている。あの危険な南極まで出かけてクジラの捕獲を実力で妨害するシーシェパードもやり過ぎだとは思うが、それにしても日本の調査捕鯨は私もインチキだと思う。何故鯨を殺して捕獲しなければ調査が出来ないのだろうか? 本当に調査が目的なら船上から観察するだけで十分ではないか? 

その理由は多分、資源調査を名目に捕鯨産業の灯を消さないようにしているだけだと思う。仮に捕鯨を止めても、もう殆ど灯が消えそうな捕鯨関係者の残り少ない仕事が完全に消滅するだけで、他に誰も困るわけではない。終戦直後の動物性タンパクが不足していた時代ならまだ分かるが、今日では食用タンパクはふんだんに入手できる。また鯨肉がとくに美味という訳でもない。もし鯨の脂肪を工業用に使う目的なら、それこそ言語道断で、直ちに中止すべきだ。

日本人の私が調査捕鯨をインチキだと感じるのだから、欧米人が怒るのも無理はないだろう。一説によるとノルウエーなど漁業国は、捕鯨が国の基幹産業だと言うが日本では完全にマイナー産業だ。勿論、クジラを殺すのはダメだが、牛は家畜だから殺して食べてもいいという欧米人の論理も納得できる筈がなく、同じ地球上の生き物だから、牛豚を殺して食べるのも最小限にするべきだと思う。

その点、アジアやアフリカの如く穀類を主食にとする民族は尊敬に値する。ヨーロッパは多分馬鈴薯などを主食にしていると思うが、米国人が肉類を大量に食うのは全く非難されてしかるべきだ。10キロの穀類を牛に食わせてやっと1キロの牛肉ができるそうだから、米国人は我々米食う民族より10倍の穀類を無駄に消費して、あの醜いデブ姿になっているのだ。大いに反省すべきだろう。

聞くところによると、太古の昔、陸上に住んでいたある哺乳動物が海岸に近づき、段々と生活の拠点を海に移して、終に今日のクジラになったとか言われているが、あれほどの巨体をもつクジラをモリで撃ち殺すのは確かに心情的にも可哀そうで、欧米人が反対するのも分かる気がする。

同様に、大西洋や地中海で捕獲した黒マグロの輸出禁止が叫ばれており、こちらは主に輸入している日本が中心となって反対している。これは黒マグロの資源枯渇が理由になっており、しかも捕獲して自国で食するのは認めるが、輸出はダメと言う法案だから、正しく日本バッシングだ。しかし私は基本的にはやはり賛成したい。確かにマグロはおいしいが、マグロを食べなくても我々は全く困らない。日本は固有の食文化だとかなんとかへ理屈を言っているが、それは単に遠洋漁業従事者とスシ屋を保護しているだけだ。スシ屋だってマグロが無くなれば廃業という訳でもなかろう。

日本近海の太平洋で捕獲するのならまだいいと思うが、人様の庭先の大西洋や地中海で捕獲した黒マグロの大部分は、日本で消費されているというのは頂けない。よそ様の裏山で採れたマツタケを持ち帰ってスキヤキをするようなものだ。 テレビで大口を開けてうまそうにマグロを食っているおばさん達の姿は、全く下品で厭らしい。更に黒マグロは資源が枯渇しているそうだから、少なくとも人様の海から捕って持ち帰るのは早急にやめてはどうだろうか?

私と似た意見の日本人は多いと思うが、クジラもマグロも一部の業界関係者の保護も目的だろう。確かに遠洋漁業界も困るだろうが、仕事の内容は時代と共に変遷するのは誰にも避けられず、旧来の仕事に固執できないのは現実だ。更に大西洋のマグロが輸入できなくなってもスシ屋は倒産しない。それを何とか理屈をくっつけて、地球の裏側で泳いでいるマグロまで持ち帰るのはやめてはどうか?

このような時こそ、日本の知性を代表する立場の国会議員は漁業関係者を説得すべきだ。小沢さんの如く、そのような知性は全く持ち合わせず、国民の税金を何とか誤魔化して自分のフトコロに入れようとすることばかり考えている奴らは別としても、もっとまともな国会議員は何人かいる筈だ。

大体今日のようにグローバル化された世界において、日本人の感覚は鈍感過ぎる。コペンハーゲンのCOP16でCO2排出制限の規制を逃れようと、大声で一週間叫び続け、世界のひんしゅくを買った中国が世界中から非難されているように、日本人だって必要もないのにクジラの捕鯨に固執し、地上から消えようとしている黒マグロを捕獲し続ける姿は本当に情けなく恥ずかしい。

それでも中国はその巨大な経済力が世界を引きつけ、他の諸国は輸出を当てにしなければならないから、世界もまだ我慢するかも知れないが、日本の経済力はもう中国に抜かる寸前であり、これからは逆に差をつけられて行く運命なのだから、世界の世論に対してはもっと謙虚で従順にあるべきだろう。


mh3944 at 10:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年03月05日

100305, 実兄が亡くなった

今年に入って親族や身近な知人の不幸が相次いだ。年明け早々に我が家の義母の葬儀があり、2月に入って友人のダンス教師八谷さんが亡くなった。そして3月に入り今度は私の長兄が肺炎で死亡した。長兄は永年脳梗塞を患い身体が不自由だったが、1ケ月前に大腿骨を骨折して体が更に不自由になり、入院手術して療養していたが、免疫力が弱っていたらしく終に肺炎にやられてしまった。

私達兄弟の父親は60年近く前に亡くなり、代わって長兄が苦労しながら我が6人弟妹を養しない続けた大恩のある兄であった。本人は徳山工業高校を卒業したあと、国鉄の工事部に入社したが、直ぐに高卒はダメと判断して退社し、自分で工事会社の小さな下請け会社を設立して自営を始めた。

しかし、小さな会社で無理を重ねたらしく、本人も工事中に建物の屋根から墜落して瀕死の重傷を負ったこともあったが、40数年の長きに渡って兄弟姉妹の全員を次々と独立させた。そしてやっと安楽になった途端、自分の人生も終わりを迎えた。特に私は50年前の田舎では本当に珍しかった大学進学までさせてくれた大恩ある兄であった。

実家での葬式は久し振りだった。昔は近隣の農家が集まって炊き出しなど殆どの世話をしたが、近年は元気な若者が居なくなって廃れていた。代わって親戚一同が集まって身内だけのお通夜を行い、翌朝に自宅から出棺して、公営葬儀所に移動して告別式を行った。人里離れた場所だったが、近年はクルマの普及で、多数の方々に参拝して頂いた。勿論長兄の人徳の致すところも大きいとも思った。

前夜のお通夜もそうだったが、告別式の最後のお別れは家族や親せきの関係者の多くが悲しんだ。特に兄の娘や孫娘達たちは、声をあげて泣き崩れていた。しかし男兄弟の多くはやや冷静であった。やはり感受性の差か、悲しみの表現の違いか、男性陣で声を上げるものは少なかった。

男性に比べ、女性のほうが亡き人を思う感情が強いのは確かだろう、これで最後の見収めとなると、彼女達は外聞も憚らずに声を上げて泣き崩れた。しかし私も同様だが男兄弟はそこまでは悲しさを表わさない、我々兄弟も長兄には大いにお世話になったのだが、誰も泣き崩れることはなくかなり冷静であった。他の男性陣からも嗚咽の声は殆ど聞こえなかった。

一番世話になった私ですら、悲しい気持ちではあるが、どこか冷静でもあった。私は、兄が脳梗塞を患ってから段々と体が不自由になり終に歩くことも出来なくなった時の苦しみを思い出していた、自尊心の高い兄がシモの世話まで他人に頼まざるを得なかった屈辱は如何に大きかっただろうかと思うと、その苦痛から解放されて返ってよかったのではないかと安堵感すら覚えた。更に身近な家族にとっても過酷な重労働の介護がやっと終わったことを思うと、結論を出してくれた長兄にむしろお礼を言いたいような気持もあった。

兄と同様に、私もこれから段々と年老い、体が不自由になった時、同様な屈辱を味わいながら、最期は息が切れて冷たい無表情な顔付きになり、子供や孫たちからお別れの儀式を受けて、焼却処分されるであろうことにも想いを巡らせた。冷淡なことだが、残念ながら私の悲しみの程度は女性群に比較して格段に少なく冷静であることに自分の冷たさを感じた。やはり親としては持つべきものは女の子であり娘だとも思った。

私が今日あるのも、このようにして子子孫孫と代々に渡り、連綿と命を紡いてきた結果だが、男の冷酷さを感じざるを得なかい1日であった。人生の苦労を重ね家族を育て上げてやっと楽になると直ぐに人は一生を終えてしまうが、それは北海のサケが長年の航海を終えて、生まれ故郷の小さな川にさかのぼり、小石の間に卵をうみつけると、息絶えて一生を終えるのと大きな違いはないかも知れないと思った。




mh3944 at 09:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感