2010年08月

2010年08月30日

100828, 100円ショップの変身

先月、私の住む街に新たに大型ドラッグストアのサンドラッグが開店した、既に近くにはマツモトキヨシがあり、駅前には福太郎が開業しているので、サンドラッグはこの小さな街で3番目の大型店だ、何だか過剰出店ではないかと思っていた。案の定、開店大安売りを過ぎると途端にサンドラッグからは人影が消えて駐車場もガラガラになった。如何に有名な大型店とはいえ、こんなに小さな街に密集してドラッグストアーが3店も出店すれば、どこかが潰れるだろうと思っていた。

しかし今週、このサンドラッグの2階に100円ショップのダイソーが開店した。同じく近隣に100円ショップが2店開営業中なので、これも激戦だと思った。しかしこのダイソーが開業してから、このサンドラッグの駐車場は毎日満車状態になってしまった。 

100円ショップは確かに面白く、目的もなくても私も度々出向く。しかし如何に100円ショップでも最近はかなりマンネル気味で、商品開発はどこも似たり寄ったり、何れ淘汰が始まると思っていた。先日、時間があったので、余り期待もせずこの新しいダイソーに、興味本位で立ち寄った。そして驚いた。

そこは従来のスパーの片隅に小さく出店している100円ショップとは様変わりであった。大学の体育館のような大規模な展示場で、見渡す限り商品を陳列した広い館内には圧倒された。ぶらぶら見物しながら歩き始めて、また驚いた。

主な展示商品は勿論100円商品だが、200円商品、300円商品、500円商品、さらには1,000円を超す商品まで陳列されているのだ。どれも素敵なアイデア満載の格安新製品であり、従来からの100円ショップからは大きく脱皮して新製品の展示場に様変わりしていた。 時間の経つのも忘れて私は歩きまわった。そしてサイクリングコーナーに戻り、パンク緊急修理用品等、結局2,000円近くを買い込んだ。One-Coinという厳しい限界はとても打破できないだろうと私は思っていたが、素晴らしいアイデア製品の展示場に変わっていた。経営者の努力に頭がさがる思いであった。

そういえば、先日の読売新聞に、化粧品メーカーが終に1,000円の格安ブランドを投入し始めたという。資生堂やカネボー、コーセーなどの大手化粧品会社は、一般向け2,000-3,000円の中級ブランドと5,000円以上の高級ブランドを販売しており、チフレなどの1000円以下の格安化粧品には見向きもしなかった。しかし、最近の不景気に押されて、終に1,000円ブランドを立ち上げたという。1,000円とは余りに安いので、品質も劣るのではないかと家内は心配顔にいう。しかし私は絶対に実質的な品質は落していないと確信している。勿論、人畜無害で価格だけ高い香料などは使っていないだろうが、基本的な品質は間違いなく確保されている筈だ。ではなぜ安くなるの?と家内は問う。

それは化粧品メーカーが従来から余りにも儲け過ぎていたので、その利益幅を下げただけだと私は思う。確かに化粧品会社とか、医薬品会社の利益率は非常に高い。それは新製品の開発費用を捻出するために必要なのだと経営者は言う。しかし一般の工業製品メーカーだって新製品開発は必要なのだ、血のにじむような経営努力と経費節節減もしている。化粧品会社と一般工業製品の経営者は、その経営感覚と、節減感覚が全く違うと私は思う。

最近開港した茨城空港から上海向け片道4,000円の超格安航空券が売り出されたという。JALやANAは東京から九州まで片道20,000円かかるのに 上海まで片道4,000円だという。何故こんなに安くできるのだろう。やはり経営陣の創意工夫と努力の差だ。 20年ほど昔、私の近所に住むJAL の若い女性が30キロ離れた成田空港に出勤するのに毎回ハイヤーを使っていた。JR成田線なら500円で直行できるにもかかわらず、わざわざ50倍も高い30,000円のハイヤーを呼んで若い女子社員が出勤していたのだ。 JALは素晴らしい会社だと隣近所でも大評判だった。 

しかしこのJALは今日では瀕死の重症に落ち込み、1兆円以上の累積損失を抱え、更に立ち直りの可能性も見えず、銀行団は融資しないと頑張っている。殆ど国策会社だから潰れる訳が無いとJAL経営者は信じ込んで径努力をしなかったのだ。永年の怠惰に溺れたJALの企業体質がこれほどの経営危機に追い込んでしまったのだ。

経済界は不況に苦しみ激しく揺れ動いている。にも拘わらず民主党の小沢さんは、失った幹事長と言う金権力の源泉を取り戻そうと、誕生したばかりの菅内閣に、血眼の権力抗争を挑んでいる。民主党政権は、国民が死ぬほど苦しみもがいている現状に対して、本気で政治に取り組まないと、国民から完全に見放され、日本も沈没してしまうのだが。






mh3944 at 13:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2010年08月25日

100825 手賀沼トライアスロン

この日曜に手賀沼トライアスロンが開催された。もう5回目だそうだ。素人の私は詳しくないが、手賀沼大橋の上から見物して終日楽しんだ。見た感じだが、水泳2Km? 自転車(バイク)20Km? 最後のマラソンは10Kmぐらいかと思う。マーシャルと書いたユニフォームを着た係官が忙しく行き来している。多分審判員だろう。

ひと昔前、手賀沼は汚染度No.1で悪名を馳せたが、その後清浄化運動が進んで、毎秒8立方米の大量の水を利根川から引き込んで流し続けているので、CODも5−6程度にまで改善されている。この手賀沼でヨットをやっている私も舟が転覆しても最近は全く水もきれいだ。

トライスロン参加者は全部で250名程度か、足場が悪いので2班に分かれてのスタートだ。最近は人影も少ない釣小屋の、破れかけた桟橋は、この日だけは急遽こぎれいにカーペットを敷いて見違えるように改造されている。柏市も桟橋を作る程度のお金は出せるかと思うが、昔と違って近年は極端な財政難で、トライアスロンの如き特殊なスポーツへの出費は無理なのだろう。

参加者の殆どは男性で、女性は19名とアナウンスがあった。最初のスイムは全員が黒いウエットスーツ着用なので、橋の上からは男女の区別は分からない。トライアスロンのマナーかも知れないが、スタート号砲の数分前に、参加者が雄たけびをあげた。これから3−4時間の難業苦行に挑む武者奮いだろう。スイムとバイクとランを合わせた競技に参加する選手達は、多分自信のあるスポーツマンだろうが、若さとは本当に素晴らしいものだと、年配で不器用な私も少し感動した。

足場が悪くて狭い為、15分程度の間隔で2班に分けてのスタートだ。スイムは一団の塊りでスタートしたが、あっという間がその塊が細長く伸び始め、トップの数人は猛烈に速く進む。自転車やマラソンは、通常スタートしても暫くは一団となって進むが、水泳は最初から技量の差が出るらしい。

折り返し点を回って30-40分経つと、図抜けて早いトップが帰ってきた。確か1昨年のトップは女性だったかと思うが今年は男性だ。沼から上がり散布水の下をかけ抜けて、ウエットスーツを脱ぎながら次の自転車置き場に走る。そこで自分の水着を脱ぎ捨て、カラフルなバイクスーツに着変えるが、これが案外に手間がかかる。派手なバイクユニフォームを着終えると、今度は猛烈な勢いでスタート地点へダッシュし、そこから自転車に乗って直ぐ視界の外へ走り去っていく。これは大差がつきそうだと思っていると、2番手以下の選手がスイムから次ぎ次ぎと帰ってきた。

その内、観衆から大歓声があがる中を女性のトップスイマーが帰ってきた。本人も感動しているだろう。橋の上から女性の着替えを見るのは少し申し訳なく、覗き見気分だが観察させて頂いた。幾ら急いでいても男性と違って女性は、やはり丁寧に着換える。脱ぎっぱなしの男性陣と違い女性は脱いだウエットスーツや帽子は一応折り畳むなど、競技中といえどもかなり丁寧なのはやはり女性の特徴だ。 

特にバイクは足の勝負だけに靴下にゴミが入らないように丁寧にぬぐって靴を着用する。ヘルメットのヒモを締めて、更に女性は腕に長い腕手袋を付ける。やはり日焼けが嫌なのだろう。それからスタート地点まで自転車を押して走る、出発点までの短い距離でも乗ると失格になるらしい。男性の中には、ランの背番号のついたバイクユニフォームを着忘れたまま出発点まで走って注意されて、急いで引返す慌て者もいる。 

スイムを終えて急いで帰ってくる人が益々増えて、自転車置き場は混雑してきた。中にはスイムで疲れ果て、地面に座り込んで着替えをしている中年男もいる。橋の上からみていると頭が丸禿げの中年男性もいるが、競技に参加する意欲は立派なものだ。極く少人数だがスイムを終えた時点でもうバイクをスタートしない選手もいた。やはり遊びの水泳ではなく、競泳だから猛烈に疲れるのだろう。

まだスイムしている選手は残り少なくなった。この辺りまでくると、平泳ぎ組もおり、中には背泳ぎしながら空を見上げてゆっくり水泳を楽しんでいるような選手もみえる。その昔、競泳は平泳ぎが本流であったが、クロールの方が早いと分かって自由形競泳が取り入れられたと聞いたこともあるが。

もう殆ど選手はバイクに移り、普段は私も走る自転車道が大変混雑してきた。これでは追いぬくのは危険だろう。やはり上位入賞を目指す選手は、スイムで出遅れると、バイクでの追跡は危険なので、後は最後のランに勝負をかけるのだろうか。

トライアスロンの如く、水泳も自転車もマラソンも並はずれた体力を使うので、出場する選手は自分の身体能力に自信にある人ばかりだろう。多くの人は自転車は出来ても、水泳やランニングは体力を消耗する、増して競泳をやりマラソンもやる人は本当に凄いと思う。この辺ぴな手賀沼トライアスロンに、これだけ多数の参加者が出場するのは、自分ながら嬉しく思った。優勝してもそれほど名誉では無く、仮に賞金が出ても小額だろうが立派なものだ、何だか頭が下がる1日だった。


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2010年08月23日

100823 小沢さんの悪あがき

民主党の党首選挙が3週間後に迫った。菅首相が続投すると思うが、最近小沢さんと鳩山さんが変に動き始めている。先日も軽井沢の鳩山邸別荘の勉強会に、小沢さんが久し振りに出席して気勢を上げていた、国民の為に民主党は一致団結しよう!とか何とも白々しい叫びをあげていた、また茶坊主の山岡副代表や、ミイラのような輿石参議院幹事長らが、嬉しそうにハシャいでいた。なんとも呆れた話だ。更に鳩山前首相も先般の宇宙人的な言動は忘れたように大派閥の領袖として振舞っていた。新聞情報によると、小沢さん党首選挙に出馬するらしいのだそうだ。

全くバカみたいな話だ。マスコミも煽るだけで、本気で小沢さんが出馬するとは信じてはいないだろう、小沢さんもそこまでバカではなく、出馬はしない。何とか生き延びる道を探しているだけだろう。

仮に出馬すればどうなるか。菅派とか、前原派、野田派、枝野派など他の派閥は各々40名足らずなので、公称140名以上の直参や子飼チルドレンの部隊を誇るという小沢派が50名の鳩山派閥と協力すれば、反小沢グループと面白い勝負になるだろう。後は良識を誇る筈の民主党地方議員がどう判断するかだ。しかし結局小沢さんは党首に立候補しないと私は思う。いや立候補出来る筈がないと。

仮に小沢さんが民主党党首になって小沢内閣を組織したらどうなるか。初回の支持率調査はご祝儀であっても、30%程度かもしれない。これも前代未聞の低支持率だが、短月日の間に10%台に急落して、世の笑い物になるだろう。如何に剛腕小沢さんと言えども、支持率には勝てず、年末までに再び党首を断念することになるだろうから、今度は内閣最短命のレコードを作り、世界の笑いものになろう。如何に強欲とはいえ、彼はこのくらいのことは分かるから、党首選挙には出ないと私は思う。

140名とかいう小沢チルドレンはどう思っているだろう。選挙区に帰れば小沢さんの不評をつくづく実感しているだろうから、なんとか小沢チルドレンという恥ずかしい母校から早く離脱したいと内心願っている筈だ。

小沢さんに近い海江田さんや 原口総務大臣等は立候補するだろうか? 当人たちは立候補したい気持はヤマヤマだが、大変悩み苦しんでいる筈だ。小沢さんの意思に反して立候補を表明して逆鱗に触れ、今度は完全に干されるから、なんとか事前承諾とりたい筈だ。しかしクセモノ小沢さんは簡単にはOKを出さない。一度OKすると自分の出番が無くなるから安易な承認はしない。紆余曲折はありそうだが、結局は菅党首が再選されるだろうと私は思う。

問題はこの世界情勢厳しい折に、世論の期待を背負って登場した筈の民主党が、そんなバカげた政局に精力を費やして無駄な時間を過ごしていいのかということだ。 経済情勢は非常に厳しく、新卒大学生は4割近い20万人は仕事がなく泣いているという。日本の規制緩和が進まないので、業を煮やした大手企業は泣く泣く日本を見捨てて生産拠点を益々海外に移しており、益々、国内には働き場所が無くなっているのだ。

更に 欧米や中国、韓国は大統領以下 国を挙げて、原子力発電所や
新幹線の輸出、石炭や鉄鉱石、希土類なのレアメタルの資源確保に全力を注いているのに、日本の政治家だけは 相変わらず国内のコップの中の争いごとに熱中して、民間企業を全く助けようとしていないのだ。 

更に別の例では、中国に進出した日本企業は軒並み中国の労働運動に狙われて苦闘していているというのに、中国政府とひとことも相談しようとしない日本政府は呆れ果てた政治怠慢だ。

グローバル時代で殆どの問題は外国絡みだが、あの不器用で硬直的な岡田外務大臣では如何ともし難く、首相以下内閣が総力を挙げて取り組むべき課題だが、殆ど何もしていない実情だ。 かくして日本が誇る新幹線は中国の安値攻勢に横取りされ、米国の有力原子力企業を支配下に収めたて世界の原子力発電の制覇をねらっていた東芝と日立は、お隣り韓国にやられ、資源に至っては中国が日本の首根っこを押さえようとしているのだ、あれほど期待された民主党も、いざ政権の座についてみると、自民党と同じ政局に熱中し、更に経験不足だけが目立ち、日夜派閥抗争に明け暮れている。全く日本の政治には絶望してしまいそうな気持だ、何とかならないものだろうか。





mh3944 at 10:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2010年08月18日

100818 早生まれと遅生まれ

お盆休みも自転車で手賀沼を周回して過ごした。盛夏の昼間は猛烈に暑いので、多くの中高年者は朝早い内に散歩している。 手賀沼には多数の白鳥が住みつき、私が知っているだけでも今年も15羽近く幼鳥が増えたので、沼全体では20羽近くが新しく沼の住民?になった筈だ。すると沼全体では白鳥は総計100羽近いかも知れない。増えすぎるのでパンなど栄養価の高い食物はやらないよう市役所も広報し始めた。しかし今年は盛夏過ぎの時期外れに、まだ孵化したばかり幼鳥1羽を親鳥が囲んで泳いでいるのを見た。たぶん手賀沼の水位調整の被害を受けたのだろう。

手賀沼は農業用水に利用する為、毎年3月末に水位を40cmほど上げる。実はこれが鳥類の繁殖には大きなトラブルになっている。白鳥やカイツブリ、バンなどの鳥類は、2月後半から3月初めにかけて水辺に巣作りし、5 ―6個の卵を産む。しかし毎年3月末には農業用水を確保する目的で水位を人為的に上昇させるので、これらの多くの巣は水浸しになってしまう。驚いた鳥達は巣を補強して高くしたり、巣を作り直して災難から逃れるが、巣の補強や移転ができず卵が水浸しになって孵化に失敗する例も多い。

今年もボート小屋の下に巣作りしていた白鳥ペアが災難にあって孵化寸前の巣を放棄した。そして場所を変えて再び高い所に巣を作り直して1個だけ産卵してひなが孵えた。発情期間からやり直す為、結局3ケ月以上遅れて、7月末になってやっと小さな幼鳥が1羽だけ孵化した。幸か不幸か手賀沼の白鳥達は、怠け者で秋に北帰行しないので、この遅生まれの白鳥も何とか生き残れそうだ。

手賀沼の水位は国土交通省の出張所が管理しているから、自治会とか鳥類愛好家が水位上昇の時期再検討を申し出ても、その出張所は簡単には受け付けない。先方はもっと偉い霞が関の国土交通省の出先機関と言う自負?もあって、市役所や一般市民の意見には聞く耳をもたない。

同じく、駅への通勤途中に今年2回目の子育てに励んでいる燕ペアがいた。親ツバメが入れ替わり立ち替わり懸命に虫を運んでいるが、春と違って夏は餌になる虫も少なく親達は子育てに一生懸命だ。しかし問題はツバメ達は夏の終りには必ず南国に向かって命がけの大遠征に飛び立つ。しかし遅生まれのツバメは体力を充実させる余裕がない為、南国に到達する前に殆どが海に墜落死してしまう。普通の渡り鳥でも数千キロを飛ぶ大航海の途中で海の藻屑と消える仲間が多いそうだから、遅生れの2番鳥達は殆ど生き残れない厳しい大遠征に出発する厳しい運命が待ちうけている。

実は人についても早生まれ(正確には遅生まれ?)のハンディキャップがある。特に小学校の低学年の間は4月―5月生まれの子供達と、年明けて翌年春に生まれた子供達のハンディーは大きいと聞いたことがある。確かに生まれて満6年経過した子供と、まだ5年しか経過していない子供の差は厳しいと思う。こういう私も実は3月生まれで大きなハンディを抱えた早生れ組で、特に自分は小学校時代を通して体力不足を強く感じていた。
それはトラウマとなり、逆に頑張り屋の精神が私には根付いたように思う。

しかし大人になってからは、逆に早生まれは何となく1年ほど得をしているとも思い始めた。誠に勝手なもので、大学受験の時は仮に1浪でも全損ではないと思うこともあったが、まあ当時は無我夢中で余裕に浸る気分にはとてもなれなかったのが事実だ。しかし定年時期を迎えては、私は同期生より1年長く勤務できたのだと内心嬉しく思ったから、人間とは何とも勝手なものだと思う。 


mh3944 at 09:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2010年08月13日

100813, 余暇人生の過ごし方

土曜に出勤したので、休養の為、次の月曜を休んだ。平日に休むのは案外に新鮮な感じだ。家庭の仕事を午前中に終えて、午後から例の手賀沼周回20Kmサイクリングで出かけた。猛暑の昼さがりで、さすが散歩している人は殆どいない。喧騒とした日常生活から離れて別世界をサイクリングしている感じだ。

途中で小さな公園の木陰に横たわっている年配者を何人も見た。特に何をする訳でもなく終日ベンチに横たわっているらしい。ここは民家よりかなり離れた沼沿いで、彼らは自転車で来ている。多分朝家を出てコンビニで簡単なメシとお茶を買い、いつものベンチまで来て横になって、夕方まで時間を過ごして帰宅する年金生活者だと思うが、何だか優雅さとは縁遠く、もの悲しい毎日を過ごしているように思える。

もし私がそのような立場になったらどうだろうか。最初は多分大いに抵抗感し、何とかして別の過ごし方を探すそうとするだろう。しかし他に適当な方法がなければ、やはり彼らと同じように毎朝コンビニで食糧を買い、自転車で人里離れた場所にやってきて、横たわって過ごし、日が傾いたら帰宅するような生活をできるだろか? なんだか恐怖の生活パターンだ。今はまだ勤めているが、古希を超えた私はいつかそのような状況になかも知れない。

現職を離れるのを一番恐れるのは、やはり政治家だろう。強権の立場を離れると途端に,昨日までの従順であった同僚達は、直ぐに背を向けて、立ち去るのを知り尽くしているからだ。何を目指しているのか分からない民主党小沢(前)幹事長の最近の悪あがきもその典型で、民主党の実力者としての威厳は張り子のトラであることを知り尽くしているから。

しかし一般のサラリーマンはやや事情が異なる。私の友人で大手製鉄所の某事業所副所長を務めていた谷口さんは、サラリーマン生活はもう懲り懲りだと定年退職を喜んでいる。余程苦しいことがあったのだろう。しかし多くのサラリーマンはまだまだ働き続けたい気持だろう。収入が途絶えるのも心配だが、社会から隔離されるも不安の種だ。しかしその寂しい気持を乗り超えれば今度は気分も変わるらしい。

実は手賀沼公園にはホームレスが4−5人か住みついている、一番のちゃっかり者は、暑い時は近くの公民館に入り込み、周囲への迷惑も構わず、堂々と椅子に座って、終日辺りを眺めて過ごし、夕方になると何処か自分のねぐらにかえってゆく者(別称メタボ)、 一般の来訪者の多い公民館に入る勇気はなく、汚れた荷物を自転車に積み込んで人目を避けるように木陰から木陰に移動しながら、公園で過ごすヒゲモジャ(別称タリバン)や、 結構人づきあいよく小さな橋の下をねぐらに決めて、愛想よく散歩人と世間話しをする人(別称:私の友人)や、更にはもう余命いくばくもなく殆ど動かず、ゴミのような荷物のなかに寝込んで、始終ノミかシラミを掻いている者(別称ナシ)など色々だ。

しかし気ままに見える彼等でも、早朝だけは忙しく、まだ暗い内から自転車を飛ばして食べ物探しに走り回っている。最近はコンビニも期限切れ弁当を簡単には捨てないので、各自は独自に秘密の食糧調達ルートをもっているらしい。命にかかわることだから、雨の日も風の日も関係く毎朝自転車を飛ばしている。

しかし、食べ物さえ何とか調達できれば、もう普通の生活には戻る気はさらさらなさそうだ。ホームレスの中には結構な元エリートもおり、事業に失敗して債権者から逃げるためホームレスになった人物もいると聞く。彼らだって仮に運に恵まれていたら、高級車に乗り続けていたかもしれないのだが。

もし私が会社を他人に譲渡して仕事から離れ、毎日ひま過ぎる生活を送るようになったらどうなるだろうか。私は緊張感を維持し続けないと生きられない性格だから、一旦仕事を無くして緊張感を失うと、落ち込んで虚脱状態になるかも知れない。問題はその過渡期を如何に乗り越えるかだろう。機会を見て私も余暇人生の過ごし方を勉強しておこうと思う。




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2010年08月10日

100810, 就職出来ない大卒者

新聞情報によると、大学を卒業しても就職できない進路未定者が10万人いるという。1年間の大卒者が55万人とすると2割近い人数だ。彼らの内2万人はアルイバイトや派遣社員で生計を立てているが、残り8万人は全くぶらぶらして暮らしているという。何とも驚くほどの人数だ。

実はこの10万人のうち9割迄は私大文学部を中心とする文系卒業者だそうだ、多分彼らの大学さえ卒業すれば、就職は何とかなるだろうと思って入学し易い私大文系に入った若者だろうが、すぐにやってきた就職問題に直面している訳だ。

しかし驚くのはまだ早い。この10万人とは別口に更に10万人が仕事無しだという。この別口の10万人は自分の望む就職ができないので留年生として次年度の就職を狙って学費を払い続けているのだという。多くは1年留年組らしいが、中には複数年に渡り留年を続けている若者もいるという、恐ろしい話だ。勿論この中には、国家資格を目指している者も少数いるが、殆どは就職できない留年学生で、結論としては毎年の大卒50万人のうち、私大文系卒を中心とした20万人が就職できないのだという。
確かにこれは深刻な問題だ。

私は小さな機械会社を経営しているから、企業が何故彼らを採用しないか理解できる。要は文学部を卒業して、ハイ大卒です、給料20万円の正社員として雇って下さいと、求められても私はお断りする。理由は、彼らを採用しても殆ど役に立たず、少なくとも5年間以上はタダ飯を食わす責任が生じるからだ。今の時代にそんな余裕のある企業なんて殆どないだろう。彼ら自身も私大文系では就職が難しいことを承知で入学したのから、まあ自業自得とも言えるが。

業務にもよるが、大學を卒後しても直ぐには使えず、ある程度の実習期間を終えてやっと少しは使え始めるようになる。しかし文学部卒などは何年研修しても殆ど実用できるレベルには仕上がらない。勿論彼らには純粋に文学を目指す卒業者もおり、文学の分からない奴が何を言うか?と反論されるだろうが、少なくとも企業を目指して文学部に入ったのなら、かなりば違いだ。昔の大卒は価値があったが、私大文学部卒には勉強を余りしていない者も多く、何とか他の大卒のなかに潜り込もうとしているのかも知れない。我々経営者側からみると、彼らより専門学校卒のほうがよほど柔軟であり、企業にとっては早く使い物になる。

多くの企業が欲しいのは理系技術者でしかも経験者だ。彼らは短期間の研修で使えるようになる。しかし経験技術者の確保が非常に難しいので、理系新卒を採用して年月をかけて育てる。しかし理系は入試科目が多く、数学とか物理、化学、生物などの難解な科目が必須だから、多くの受験生には嫌われる。私も受験時代は科目の多い工学部の受験は悩み続け、特に数学には本当に死にたいほど泣かされた記憶もある。

普通の若者が目指すサラリーマン姿はホワイトカラーであり、油や汗にまみれた工場勤務は基本的に避ける。従って自然に文系となるが名の通った大学の法学部、経済学部などは倍率も高く自信もないので、私大文系を目指すのだろう。その結果、直ぐに卒業時期に直面して、就職できない羽目に陥ってしまう。まだ人生は始まったばかりで、甘いことはごく少なく、企業にとって自分が大卒の価値の無いことが分かっただけであり、再度勉強をし直しては如何だろうか?



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2010年08月06日

100806 次兄が重病に

私の次兄が重篤な状態だと電話で言ってきた。先月まで用件が無くても月曜と金曜には必ず電話で連絡をとっていた次兄だが、終に倒れてしまい、今週から電話する相手が居なくなった。何とも寂しい気持だ。誰も年とるのは本当に嫌なことだ。

次兄は学校の成績は悪かったが、意気地なしの私とは反対に気力は十分だった。特に尋常小学校と高等科時代は田舎のガキ大将として、同じ学年の男子生徒を引き連れ、上級生や下級生と張り合いケンカした豪快な性格の持ち主だった。しかし根はとても優しい兄でもあった。古希を記念して彼ら小学校同窓会を開いた時に、その変わりように同級生から驚きの声が上がったとも笑いながら話していた。

高等科を卒業すると彼は隣町の商業高校に行った。しかし何か勉強した形跡は殆どなく、卒業すると防長バスの運転手になり、周防地区の定期バスの運転手を定年まで努めた。バスの運転手は余程気持が穏やかでないと勤まらないと思っていたが、兄は35年間無事故だったのは思いの外だった。

その間に、同じ町のI家の一人娘に養子に入った。そのI家は余り裕福ではなかったらしいが、相手の女性は純日本風の本当に落ち着いた素敵な人だった、ある時次兄は自分には出来過ぎた妻だったと私に漏らした。3人の子どもにも恵まれた。

しかし幸運は長くは続かす、出来過ぎた妻は不治の病魔に侵されて長い年月苦しんだ。あの車いす姿で有名な宇宙物理学者ホーキング博士と同じく筋肉が徐々に衰えて終には動かなくなるALSだ。一般の病気ではその進行とともに頭脳や判断力も衰弱するのである面では救われるが、ALSは体の全ての筋肉が失われても、頭脳だけ最期まで明晰なので,本当に悲惨な病気だと言われる。 

長年苦しんだ妻も、子供達が結婚するのを見届けて、あの世に旅立ち、その後次兄は一人で不節制な食生活を続けたらしく、高血圧やコレステロールに侵され、20年経って、終に脳梗塞に倒れた。脳幹をやられており、余命長くないと担当医師からは宣告されている。

実は長兄も脳梗塞で亡くなったが、次兄はもっと重症ならしく、最初から意識が殆どないから、冷酷に言えば、看護する側には返って世話が不必要で楽だという。多分 今夏が乗り切れないだろうと思う。

私は6人兄弟姉妹の4番目だが、大昔に姉が心筋梗塞で逝去、続いて妹が脳梗塞で亡くなり、今年初めに長兄が脳梗塞で死亡、そしていま次兄が同じ脳梗塞で重体となる、何だか脳梗塞オンパレードの兄弟姉妹だが、残るは私と末妹だけで、順番から言えば、次は私の番だろう。

ただ、私は食事環境がいい(と妻が言う)ので、健康状態も良く、健康診断のデータも殆ど悪い兆候が見当たらず、まだまだ暫くは気の向くままにブログを書くことができそうだ。


mh3944 at 15:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2010年08月03日

100803 子供の虐待

子供の虐待が増えている。無抵抗な子供を虐待するのだから全くひきょうな話だ。 狭いアパートでは子供の逃げ場がなく、抵抗する力も無いから、暴力を振るわれるままだろう。そしてその恨みは子供の心にトラウマとなって終生残る。先日宝塚の2人の女子中学生が両親ら3人を殺して自宅に火をつけたのも、永年の親に対する恨みからだという。子供虐待の原因は複雑だろうが、やはり生活の苦しさや、加害者の人間関係が希薄で周囲から孤立しているからだと私は思う。

子供の虐待は昔からあった。しかし昔の虐待と今日とは質的に違う。私が小学1年生の同級生に、岸さんと言う女の子がいた。殆ど食事を食べさせて貰えず、痩せ衰えて見るもなく弱々しい姿であったが、とうとう小学3年の途中で登校しなくなり亡くなったと聞いた、その親はなんと私達と同じ小学校の山本先生という太った女教師だった。何かの理由で岸さんは遠縁の山本先生と一緒に暮らす歯目になったのだろう。当時は奇異に思うだけだったが、今思うとなんともひどい話だ。昔は各家庭に子供が沢山いて、少々脱落しても殆ど問題にならなかったが、今日では子供の数も少なく、何より人権思想が大きく変わり、とても許されることではなくなった。

実は私も6人の兄弟姉妹の3男だが、やはり父親が極端にひどかった。もう無茶苦茶に厳しく親近感などは全く感じなかった。ひと昔前に、タケシの父親というテレビ番組があったが、その父親像は正に私の場合とそっくりで、問答無用の頑固オヤジだった。恥ずかしい話だが、私は父と正面から向き合って何かを話した記憶は一度もない。我々兄弟姉妹6人は協力して暴力から逃れ、父親に対抗したので、彼の怒りも火がついた。それは丁度イワシの大群が寄り集まって、大魚からの攻撃を逃れるようなものだ。母親はいつも身を挺して我々幼い兄弟姉妹を守ってくれた。我々兄弟のなかで、特にすぐ上の次兄はワンパク盛りで、いつも父親の攻撃対象になった。父親が何故そこ迄乱暴だったか理由は分からない。多分、祖父母を早く亡くして苦労し、更に子供や家族から疎遠にされた悪循環もあったのだろうか。

私が中学生の時、怖かったその父親が肺結核で亡くなったが、我々兄弟は誰も悲しまなかった。逆にこれで怖い父親から怒られることも無くなると内心は喜んだが、やはり母親は一人悲しんだ。昔の父親は、何処もある程度似たり寄ったりだが、この少年時代の父親像を明確に人生の反面教師と意識して、私は家族や子供たちとの会話に努めるよう心がけてきた。

しかし最近の子供虐待は昔と趣を異にしている。虐待の対象が子供から幼児に変わってきた。昔は大家族で、母親が幼児の面倒をみなくても年長の姉や祖母が子供たちの面倒をみた。私も時間を見計らって、田畑で働く母親のもとに、幼い妹に母乳を飲ますため連れて行った記憶もある。

核家族化した今日では虐待死の6割は0才児だという。その理由は、家族や職場に出産を知られたくなかったり、育児知識がなかったり、更には育児ストレスでノイローゼになどなどが主な理由と言う。昔には考えられなかった孤独な家庭が原因であり、状況が全く変わってきた。

例えば先日大坂で23歳の母親が3才と1才の可愛い女児を育児放棄して餓死させた事件がその典型だ。ネグレクトというそうだ。母親は幼児2人を自宅に置きざりにして、2ケ月の間帰宅しなかったという。餓死するだろうと思ったが、子どもの面倒をみるのが嫌で、帰宅しなかったと話している。もう常識を超えた異常な心理だ。マンションの隣り近所は連日の幼児の泣き声から異常を察知し、市役所の児童相談センターへ繰り返し電話したそうだが、このセンターは十分な対応をしなかった。住民票が登記されていなかったとか、色々もっともらしく弁解はしているが、要は業務怠慢だ、このほうが余程重大なネグレクトだと思う。 
  

子供は本当に可愛くて直ぐに成長する。しかし幼時にその面倒をみるのは母親にとって大変な苦労だ。まして今回の如く女手ひとつで働きながら幼児2人を育てるのはもう至難の業で、そのまま続く訳がなかったが、市役所や児童相談センターは彼女を見殺しにしてしまった。若い母親の両親も自分の娘には関心が薄く、結局彼女の近くに相談できる人は無く、孤独に追い込まれてしまった。この母親は生活費を稼ぐため毎晩働いていたという。誰が考えても社会が助けなければ続かないケースだが、当局は冷たくネグレクトした。

子供虐待が増えるのはやはり核家族化と生活の困窮が原因だと思う。 福祉事務所とか児童相談センター、更には保健所等、子供の福祉と安全を守る機関がいろいろ設置されており、子ども虐待の防止を図っているが、彼らの日常は緊張感がなく、いつもお役所仕事で、事件が発覚して始めて大騒ぎとなり責任の押しつけい合いになる。テレビで弁解する彼らの呆けた顔をみるとその怠慢体質は本当に見苦しい。彼らは給料をもらっているのだから、言い訳できる立場に無いのだが、何とも恥ずかしい話だ。

お役所仕事の児童相談センターでは、子供や幼児の虐待の摘発に対応できないので、やはり近隣の住民がその異常さを察知して、少しでも異変を感じたら、関係部署へ情報提供することが大切だと思う。良識のかけらもない親達だから遠慮は無用、小さなプライバシーを守って大きな命を危険に晒さないように、日本の将来を担う子供たちを大切に育てたい.




mh3944 at 10:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治