2010年10月

2010年10月28日

101028, 甲斐路は素晴らしい

先日リニアー新幹線のルートが決まったと報じられた。南アルプスをトンネルで貫く最短ルートだ。誰が考えても直線ルートが最有力で、迂回ルートなどはあり得ず、最初から議論の余地すらなかった筈だと私も思っていた。しかし先日私は所要で特急あずさに乗ってこの迂回ルート添いに松本まで行き、その迂回ルート周辺の景色の素晴らしを初めて知った。

私はオンチだが、あの狩人のあずさ2号が大好きで、前々から一度特急あずさに乗ってみたいと思っていた。実際のあずさ2号は、新宿発ではなく、松本発東京行のぼり電車であったが、兎に角、その特急あずさで松本まで小旅行をした。

朝の出勤地獄で狂気じみた大雑踏の新宿を出発して八王子を過ぎると、急に山岳地帯に入り山並を縫いながら30分ほど行く。人もなかなか住めないような高い山並みが遠々と続きやっと甲府に出る。武田信玄は、関東の北条家とのいさかいが殆どなく、主に駿河の今川義元や越後の上杉謙信との戦いに生涯を費やした理由もわかる。

甲府盆地に出ると風景が一転して、素晴らしい景色がひらけてきた。右側は手前に武田家らしい古城の跡があり、先には秩父山脈がみえる。左側前方には延々と続く3000m級の南アルプスの遠景が素晴らしく、ヨーロッパのアルプスもこんな景色ではないかと錯覚しそうだった。

軽井沢も確かにいいが、余り開発されていないこの南アルプス一帯に住居を構えて、毎日遠景を楽しみながら老後を過ごせば天国の気分だろう。リニアー新幹線の直線ルートはこの素敵な南アルプスには目もくれず、無味乾燥でまっ暗のトンネルに突き進むが、迂回ルートはA案B案共に遠々と続くこの美しい風景を心おきなく堪能できそうだと知った。

更に先に行くと右側に八ケ岳が見え、左側には諏訪湖が見え始めた。さすが不況のまっただなかの平日で、ヨットをやっている閑人は誰もいなかったが、諏訪湖は広さも十分で、適当な風さえあれば、私は途中下車してこの丸い湖を2−3時間、縦横無尽に帆走したい気分になった。

甲斐路の山麓には、人の出入りもなくなった破れ社屋と、消えかけた看板があちこちに見えたが、多分起業の夢に破れて矢尽きた企業家達の痕跡であろうか。企業家は誰でも倒産危機の大洗に襲われるが、唯一セイコーエプソンだけは巨大企業に成長した。しかし聞くところによると、セイコーグループもやはり不況風に追いまくられて、リストラに苦戦中だという。

更にやや長いトンネルを通り抜けて終点松本駅に着いた。そこで私はあずさを下り,待っていた篠井線の下り電車に乗り換え、犀川沿いに更に先に行った。この先を小1時間近く進むと、あの武田信玄と上杉謙信で有名な、川中島の古戦場があるという。確かに犀川にも、あちこちに広い河原が広がっている。武田信玄もこんな河川敷で上杉謙信と命をかけて戦ったのだろうと思うと、延々と続く河原も興味深くて飽きることがなかった。

甲府から信濃にかけてのこの広い一帯を治めた武田信玄は、領内各地の豪族の反乱や裏切りに手を焼いたと聞くが、特急電車でも1-2時間かかるこの広い甲斐路を、馬と足軽で治めるには大きな苦労があっただろうと、今更ながらいにしえに思いを馳せた。

犀川は千曲川の姉妹川らしいが、武骨な私でも島崎藤村の 千曲川旅情の歌や、小諸なる古城のほとり、などの詩歌は知っている。その舞台は山一つ越えた向こう側の浅間山や佐久地方だが、藤村もこのような景色を見ながら、歌を詠んだのだろう。普通の山や川の景色も、詩歌に唄われ、歴史に色付けされると、その風景は一変して輝きを増し、見飽きることもなく色々な
連想に繋がってゆく。

日本語は、言葉の意味が奥深いので、ビジネスの契約用には余り適していないかもしれないが、千曲川旅情の歌などの文学用語としてはその韻律と味わいは格別だと思う。ノーベル賞も化学や物理ばかりでなく、川端康成のような文学賞がもっともっと輩出してもいい筈だとも思う。しかし一旦英語など翻訳されて外国語に変わると、五七五調の素敵な韻律や深い
味わいが失われてしまうのは本当に残念なことだ。


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2010年10月25日

101025、お役人しごと

私の会社は機械装置の修理業で、初めは医療機械の修理から始まった。当然のことだが、厚生労働省の指導に従い、中身のない講習を受けて、面倒な書類を作成し、やっと医療用具修理業の免許を受け、血液検査装置のメンテから始めた。色々問題はあったが、なんとか事業も軌道に乗り始めて5年が経過し、免許の更新時期を迎えて、都庁の出先から若い女性2名が当社に来訪した。 5年前に提出した古い書類を見ながら、現状と見比べてこまごまと注意を受けた。

曰く道具棚の数が増えている、棚の場所が変わっている、棚の段の間隔を広げている。作業所の入り口が代わっている、、、、等など、5年の間に色々あった小さな変更にクレイムをつけられ、それを最初の図面通りに戻すよう求められた。 新しく購入した棚は撤去するよう、コピー機を取り払って棚の間隔を元に戻し、入口の看板も掛け替えるよう指示された。殆ど指示は本質には関係ない枝葉末節な変更ばかりだが戻せという。そして書類の再提出を求められた。従わないと業務が停止になると言われた。しかし古い図面通り戻すと今度はこちらが困るので、終に医療用具修理業の免許を返上することで決着した。

確かに彼女は、決められた規則に従って我々を指導しているのであろう。しかしその枝葉末節な規則が問題なのだ。現実を知らない若い役人が机上で考えた勝手なルールをそのまま押し付ける。棚の段の間隔を10センチ変えてもダメだという。彼らの自分の権益を守り、服従する者だけを囲い込んで、従わない者は排徐する。

似たような例は他にも色々ある。例えば医療保険の適用除外問題も同じだ。治療薬や医療用具のごく一部に未承認品を使うと、治療全体を承認外扱いとして保険適用から外すとか、欧米広く使用されているガン治療医薬に日本人の治療データが不足だと承認しないとか、数え上げればきりが無い。彼等は人種が違えば薬の効き方が違うと説明するが、それをいうなら、同じ日本人でもA患者には効き、他のB患者には効かないことの方がもっと多い筈だが、それには知らん顔をする。そして承認を延ばす間に、新薬治療を望んでいた患者は死んでも自分の責任ではないから一向気にしない。現実無視の形式主義の典型だ。

新薬承認の期間は、日本と欧米の間に大きなドラッグラグがあり、例えば既に外国で使用されている新薬を自国で承認するに要する日数は、米国では申請から1年で、EUでも1.5年で保険適用許可が出るが、日本だけ5年間かかり、厚生省役人の机上に積まれて時間だけ過ぎてゆく。役人達は調査要員が少ないとか、慎重に審査しているのだとか、理屈を並べるが、要は自分達の権威を高めて権益を守る為に、机の上に積んでおくだけだ。

マスコミに騒がれている、外国人介護福祉士の問題も同じだ。日本の介護福祉士の不足を補うべくフィリピンやインドネシアから正規の看護師1000人を来日させたが、3年以内に日本の介護福祉士の試験に合格しないと追い帰すという。日本人でもなかなか困難な介護福祉国家試験で、褥瘡とか麻痺など、難しい専門用語を並べたテストに短期間で合格することを絶対条件と、3年で合格しないと国外追放だそうだ。

最初から非常に達成困難なバリアーを設けるのはお役人の得意技だ、その結果は明らかで初年度は合格者ゼロ、2年度も1%という実質的には超難関テストとなって希望をもって来日した多数の若者を締め出す結果となり、諦めて帰国し始めた看護士が多数で始めているという。社会常識のない若手役人が、自己の権益を拡大するため、勝手に作成した机上プランが、日本にあこがれて来日した若者達の夢を打ち砕いている。

文科省の幼稚園と厚労省の保育園の区別もその例だ。文科省の幼稚園は幼稚園教諭免許をもった職員が担当し1日4-5時間しか開園しないが、厚生労働省の保育園は乳児から受付け、長時間の延長保育も可能で、保育士資格をもつ担当者があたるなど、お互いに勝手な規則を設けて、利用する側の国民の都合は考えず、自分たちの影響範囲を拡大しようとする魂胆だ。シルバ-人材センターがその業務領域を自分の市内だけに限定し、少しでも隣の市町村に関係する仕事は認めないなど、勝手なルールを平気で押し付けてしまう。仕事が隣の市に関係すると売上が減るという訳でもないのに。

私はお役人が好きではない。下町の大衆食堂のオヤジの方が好きだ。理由は簡単、税金でメシを食っている役人よりも、苦労しながらでも自己責任で何とか生き抜いている一般市民の方がよほど尊敬に値する。 確かに庶民は所得をゴマかしたり、節税操作をするかも知れないだが、それでも国民が泣きながら収めた税金を当然のように受け取って生活するお役人よりもよほど立派だと思う。庶民は時には大金を儲けて女遊びやギャンブル、更には投機もするかも知れないが、運が悪ければ破産して夜逃げする可能性も背負っている。杓子定規なルーチンをこなしながら平穏無事を指針として生活する役人連中とは責任の度合いが違う。

最も問題なのはやはり国会議員だ。肝心の不景気対策等とか、就職難対策、更には尖閣諸島を如何に守るか等は殆ど真剣に検討せず、やれ小沢派だとか非小沢派だとか、終りない論争を楽しんでいる議員たちだ。それを横目に見ながら、役人連中は建前を口にしつつも、マスコミに叩かれ易い抜本的な政策提言は出来るだけ避けて、目立たぬように自分達のテリトリーを守り固めることに始終している。

最大の悪法はやはり古くからの農地法だ。世界の農業事情が大きく変わったにも拘わらず、国会議員らは自己の選挙対策の為、国内多数の零細農民を土地に縛り付けて囲い込もうとするこの農地法は、あらゆる面で矛盾を露呈している。世界の農業事情は大きく変革したのに、農水省やその役人達は自省のテリトリーを守ることに執着し、EPAとかFTAとかの貿易自由化交渉は殆ど棚上げだ。その間に保護している筈の農民は殆ど消滅して居なくなっているのにすら気づかない。今構ずるべき抜本的な対策は農水省を経済産業省と合体させて、日本農業の規制緩和をすることだが、それには農水省役人が絶対反対だ。

小学校から大学まで、わき目もふらずに受験勉強に没頭してやっと国家試験1種合格資格を獲得した彼等は、その永年の苦労の対価を何とか取り返し、甘い果実を吸おうと、自己のテリトリーを守ることに腐心する高級役人と、そのおこぼれに預かろうとする下級役人の有様が明々白々で、何とも情けない限りだ。


mh3944 at 13:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2010年10月21日

101021, 中国が又騒ぎ出した

また中国で学生が騒いでいる。今回は特に内陸部の都市だという。彼らのスローガンは、尖閣諸島から日本を追い出せとか、日本製品をボイコットせよ、琉球列島は中国の領土だ、更には沖縄も中国の領土だ、と段々とエスカレートしている。

つい先日まで日本と中国は親しく良く付き合い、バカな小沢幹事長が140名の国会議員を引き連れて,あの恥ずかしい胡錦濤への朝貢事件まで起こしたとは思えない程、険悪な関係になっており、正にイスラエル/アラブの不倶戴天の関係のようだ、韓国や東南アジア諸国は固唾をのんで成り行きを見守っているという。なぜ1隻の漁船侵犯事件で、こんなに天地が逆転したのだろうか不思議な思いだ。

確かに潜在的には、江沢民が自分の不安定な政権を維持する手段として、日本を外敵に祭り上げ、徹底的に反日感情を教育して地位固めの利用した結果であることはよく知られており、大金を投じて中国各地に大規模な反日記念館まで作った。その教育を受けた若者達が20-30年経って中国社会の中核になり騒いでいると言われている。観光旅行で来日中の中国人が、あんなに中国学生が反日で騒いでいるのに、日本人は中国人に非常に優しいのに驚いているとも話している。

しかし、騒動の本当の理由はどうも就職難に苦しむ学生達がストレス発散のはけ口として、反日暴動をおこしているのが真実だと言う。反日運動を口実にすれば政府や警察は簡単には集会やデモを禁止できないらしい。中国では毎年600万人の学生が卒業するが、その2割の100万人以上が正当な仕事に就けず、特に内陸部の都市が就職難だ、日本の未就職学生10万人とは桁が違う膨大な大学生が仕事もなくうろついている。巨万の富を築いた中国人がいる一方、その日の暮らしに困る無数の大学生が、その不満のはけ口を反日デモに求めているという。

日本ではワーキングプアという、働けど働けど楽にならないグループが大きな社会問題になっているが、中国では彼らを蟻族(ありぞく)といい、特に就職事情が厳しい地方都市の蟻族は就職口がなく困窮している。中国は党幹部や資産家の子供達は格別に優遇されるが、コネのない地方の一般学生は虫けら扱いで、まともな職業に就けず、この蟻族がストレスを爆発させる手段として反日運動を看板として暴れているという。少数の日本人が東京の中国大使館前で尖閣抗議デモをしたことを絶好の口実として、中国の10万人の学生が暴動を展開する。

中国政府もその実情は十分承知はしているが、下手に日本と妥協すると直ぐに自分のクビが危険になるという。即ち1980年代に胡耀邦書記長が日本との友好関係を進めて保守派の反発を買い失脚したのと同じ運命になる危険性を知っているから、簡単には反日運動を抑えられない。中国政府は片方では愛国反日を煽って学生運動のガス抜きをしながら、他方では反国家運動に発展しないよう抑え込む苦しい操縦を続けているという。

確か50年前の日本でも、我々は反米運動だったと思うが大規模なデモに参加して、旗を振り上げてワッショイ ワッショイとデモした記憶がある。何が具体的な目的でデモに参加したのかは全く覚えていないが、その時の快感はまだ忘れられない。

10/10の日経新聞に 中国を脅かす時限爆弾として興味深い特集がで出ている。即ち30年前に始まった中国の一人っ子政策が、これから中国では老齢化という大問題に展開するのだという。即ち日本では15年前の1994年に高齢化社会が始まったが、中国では30年遅れて2027年には日本並みの高齢化社会が始まるという。更に恐怖なのは中国の一人っ子政策が効いて、その時代は1組の若夫婦が2組の両親4人を養う社会になるという。中国の人口構成はいびつで、男性100人に対して 女性80人だから、生涯結婚来ない男も多数存在する不安定な社会になるという。

高齢化社会の宿命として経済成長の長期低落傾向が始まる。確かにGDPでは日本を抜いた中国だが、国民一人当たりのGDPはまだ世界100位当たりであり、豊かになる前に国が老い始めてしまう、未富先老という恐怖の到来を政府当局者が口にしているという。それは日本の東海大地震のように必ず到来する恐ろしい現実だ。

いくら日本が中国を嫌っても我々は引越す訳にはいかない、またバカな鳩山さんの友愛精神なんて中国には全く無意味だと分かった。ここは覚悟を決めて、仮に尖閣が中国の軍事力で侵攻されたら、直ちに強力な一撃で対抗できる海軍力と空軍力を持つべきだ。危なくなってから急いで訪米して相談する始末では、米国も助けてくれない。さもないと本当に沖縄列島まで中国に取られてしまうだろう。韓国さえ対馬を狙っているかも知れないから。






mh3944 at 12:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2010年10月18日

101018 , だらしない巨人軍

やっと巨人がCS-First-Stageを乗り切った。私はプロ野球のマニアではなく余り詳しくないが、巨人ファンの家内に付き合って、TVを度々見ているので、段々と巨人の選手を知るようになった。岡目八目で素人の私の独断と偏見を承知で、チームの働き振りを採点すると、何ともだらしない選手が多過ぎて、原監督の苛立ちも分かる気がしている。
          
まず今年の巨人は投手陣が壊滅的だった。内海ダメ、東野ダメ、越智ダメ、ゴンザレスだめ。グライシンガーだめ、マイケルだめ、、、、、とエースと呼べる投手が全く不在だった。他のチームは、巨人より余程薄給だと思うが、素晴らしいエース級投手が何人もいる。日本ハムのダルビシュ、楽天の田中、中日の吉見、ロッテの成瀬、ソフトバンクの和田のような絶対的なエースは別格としても、杉内、前田健、チェン、浅尾、岩隈のように、素晴らしいエース投手が各チームに必ず1−2名いるが、巨人には誰も居なかった。これは監督の責任だろうか?斎藤コーチの責任か? 或いは高給と名声に選手が安住していたのかもしれない。

内海や東野あたりは格好こそいいが、いつも中盤に崩れてしまう。ゴンザレスは155キロ前後出せるが、直球一本ヤリで、相手打者が慣れてくるとすぐに打ちこまれる。その点やはり山口はよく頑張った。彼は球速こそ140キロそこそこだが、コントロールが良く、カーブを織り交ぜた軟投で、相手打者を翻弄させる頭の良いピッチャーだ。とても育成出身とは思えず素晴らしい。
                    
抑えのクルーンは全く惨めだった。阪神の藤川、中日の岩瀬、ソフトバンクの馬原などに比べて、スピードそこ155-160キロと凄いが、コントロールが皆無、四球を出しては打たれ、走者が出ると今度は投球に集中できずに打たれ、そして暴投と蟻地獄に陥る。1点差ではとても抑えきれない情けないクローザーだ。やはり投手は適当な球威と共にコントロールが必須条件だ。

巨人軍の打撃陣を見ると、名前は素晴らしい豪華メンバーだ。坂本、小笠原、ラミレス、阿部、李、高橋由、亀井、長野、谷、。。 しかし本当に大事な時に貢献できたのは、坂本、松本や脇谷当たりだと思う。 確かにラミレスは本塁打と打点でトップだが、守備が全く草野球レベルで、外野フライがくると、一応スタコラとその方向に走るが、初めから補球する気は毛頭ない。ましてダイビングキャッチなど毛頭にもない。ケガでもすると、自分の個人成績に響き、来季の年俸が下がる心配があるからだろう。従って、相手チームはラミレスのエラーを狙って左翼へ打つ。確かに明るくて人柄は良いが、打撃ばかりでなく走る練習もさせるべきだ。

キャッチャー阿部は、巨体を揺すってまあまあと言うところだ。小笠原は守備も打撃も良く一生懸命なのは分かるが、打撃フォームが良くない。意欲が強過ぎて腰が曲がって空回りしている。もう少し気楽になれないものか? 天才だと言われる高橋由は、ホームランを打つ時のフォームこそ美しいが、この1−2年彼がスタメンで出たことは殆どなく、ベンチスタートだ。彼も阿部やラミレスと並んで年俸4億円程度貰っていると思うが、その貢献度は新人並みだ。ルーキー長野は真面目で守備や打撃も良いが、バッターボックスでベースから離れて立つので、必ず外角を狙われて三振ばかり食らう。運よく当たってもバットの端で飛ばない。打撃コーチは、何故アドバイスしないのだろうか。もう半歩ほど前に立つと、相手投手も投げ得る範囲が狭まり、外角攻めが減ると思うのだが。   

その点、坂本は打撃も良く、牛若丸のように身軽な動きで幅広く守ってくれる、彼の好守に助けられた投手は多かったと思う。First-Stageの第二戦8回に阪神が2死満塁で攻撃中ブラゼルの2塁後方の小フライを坂本の超々ファインプレイで、グラブの先に挟んで捕獲し逆転を免れた。非力に見える打撃もホームランを29本打っていることを思うと、今後素晴らしい選手になりそうだ。     

しかし、巨人選手は全員バントや犠打が下手で、成功率が低い。巨人の犠打成功率はリーグワーストだという。ヤクルトとの最終戦で九回一死満塁で外野に一本打飛ばせば勝てたのに坂本が失敗したが、状況はいつも似たり寄ったりで、大事な場面で犠打の失敗を繰り返している。短時間でいいから打撃練習の合間にバントを練習すると、勝率はもっと上がるだろう。

松本選手も本当によく打ちよく守る牛若丸だ。あの小さな体で、チャンスには必ず打ち、好守する。センター周辺に飛んだボールの殆どは彼がダイビングキャッチする。 問題は鈴木だ、あれほどの走力を持ちながら、打撃がさっぱり。また打撃スイング中の瞬間からもう腰を引いて,一塁方向へと体が移動し始める。打撃の時は、バットを振り切る迄 バッターボックスで振り切ってから一塁に走り出せばもっと打率が上がるだろう、それが出来ないから代走役しか与えられない。彼も35才前後だからもう後はない。もう少し打撃が良くなれは、残りの野球人生を晴れやかなスタメンで送れるのだが。 

李選手は全くダメだ。現役時代は韓国最強の実力選手だったので、原監督も我慢して時々起用しているが結果が出ない。後輩のロッテ金泰均のほうが余程立派だ。李選手は年俸3億円前後だと思うが、もう彼を追い出してその源資で新人10人を採ったほうが余程大きな戦力になると思う。亀井も格好はいいがダメだった。多分体調を崩しているのだろうが、サラリーマンでも長期病欠すると、再び立ち上るのはなかなか大変になる。

それにしても原監督は我慢しながらよくやっている。長嶋や王と同様に常識的な監督で立派だ。中日落合監督や星野監督の陰険な性格には、どうしても好きになれない。彼等も周囲の目ばかり気にせず格好をつけないで、王さんや原さん、梨田監督、山本浩二監督のように、もっと素直な指導者になれないものだろうか? 如何に人格者でも、勝負に負ければオシマイなのは分かるが、TV観戦者も重要な顧客だから、余り嫌われない気配りをしてほしいものだ。

TV解説者にも極端な開きがあり、自然に聞ける楽しい解説者と、耳を覆いたくなるイヤな解説者がいる、特に中畑や川藤、掛布などは最低だ、全て早口で頭のてっぺんから絞り出すような金切り声でしゃべり続ける。彼等は自分の知識を誇示したいのだろうが、みっともないので止めて欲しい。当方は画面を見ているだから、もっと要点だけを謙虚に話して欲しいものだ。その点 山本浩二、江川、桑田、依田剛などは、押しつける感じが無く余裕もあって耳触りがよく、彼らの人柄も表しているようだ。 まあ、巨人が勝っても阪神が勝っても、或いはセリーグでもパリーグでも、更にデパートの大売り出しにも行かない当方には大きな影響はないのだが。


mh3944 at 09:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2010年10月06日

101006 仕事がみつからない

高校生や大学生の就職率が極めて悪いそうだ。先日も九州の某女子大学生が上京して、簡易ホテルを2ケ月間借り切り、連日就職運動にかけずり回っている例をテレビが報じていた。本当に哀れなものだ。

大昔だが、私にも苦い思い出がある。工学部化学専攻の4年になった途端、就職担当の加藤教授が学生をひとりづつ呼び出して、東レは(T君)、旭化成(I君)、旭ガラス(K君)、ブリジストン(O君)、倉敷レーヨン(H君)、出光石油(K君)、徳山ソーダ(H君)、東洋ソーダ(I君)、松下電器(K君)、東芝(Y君)、日本石油(A君)、丸善石油(N君)、昭和電工(M君)。。。と大手メーカーに次々と学生の就職先を決めていった。

成績順に選択させて就職先をきめるのだ。やる気の有無なんて殆ど考慮しない、これは日本の社会の悪弊のひとつだが、私には全く声がかからなかった。成績は中か中の下あたりだったが、遅れても必ず私にも声がかかると思って待ち続けた。何だか大臣就任の呼び込みを待つ国会議員の気分も分かるが、6月になってもお呼びが無く、終に7月の夏休みシーズンに入ってしまった。誰も私のやる気はまったく理解せず、このまま就職が決まらないで、親が待つ田舎に帰るのかと思うと、焦りで胸一杯になり張り裂けるような空しい気分だった。

終に私が呼ばれない理由が分かった:加藤教授の燃料科目の採点に私がクレイムを付けたことを教授が怒っていたのだそうだ。見かねた麻生助教授が、小さいが新しい会社だよと、初めて聞く日本ライヒホールドという会社と薄いパンフを見せてくれた。小さくても思う存分に働ける場だと私は思った、本当に乾天に慈雨で、天に昇る気分になって直ぐにOKした。そしてその後は結構面白く、悔いのないサラリーマン生活を送ることになった。

今日、卒業生の就職先が少ない理由は色々あるが、製造現場が海外に移転し、国内に製造工場が少なくなったこと、企業が徹底した人件費節減経営に乗り出し、パソコンとかロボットによる省力化で現場の労働者がごく少なくなったこと等だろう。昔の管理職には、廊下トンビと陰口を言われながらも、朝から夕方まで社内外交一本でサラリーマン生活を生き抜いた猛者もいたが、時代に合わず根絶されてしまった。このような時代的な推移や変遷を考える事もなく政府は、的外れな製造工場への人材派遣の禁止とか、派遣法の再改正など、百害あって一利ない政策ばかり繰り返している。

その昔私の末妹も、山村の山奥で小さな縫製会社を経営し、田舎にも拘わらず素敵なデザインの婦人服を作って、時々当方にもおすそ分けを貰っていたが、中国との加工賃の競争に敗れて破産してしまった。

パソコンやロボットの普及の影響も大きい、私が40年前に見学した日産自動車追浜工場の組み立てラインは見渡す限り無数の工員が溶接の火花の中を忙しく働いていたが、近年は人影が全く消えて、ロボットだけが唸りをあげながら火花を散らして動き回る恐ろしい光景に変わってしまった。

これは日中間の人件費の大きな差異が原因だが、更に輪をかけて日本の法人税が極端に高く40%なのに、欧米は15%―30%と大きなハンディがある。これには企業も嫌気がさして海外移転へ拍車をかけている。税収不足は課税対象が巨大な消費税で補う以外にないのは世界の常識なのに、社民党や共産党を始めとするバカ議員共が、大衆受けする高い法人税を課している結果だが、結局は自分たちに息子や娘のクビを絞めている。国会議員らの脳ナシには本当に呆れてしまう。

しかし、特に影響が大きいのはパソコンの普及だろう。例えば経理や業務などは大変に省力化されて殆ど人手を使わなくなり外注化も進んだ。ひと昔前の経理部や業務部は、若い女性がずらりと並んでいたが、今ではその美しい花園は全く見られなくなった。

更に営業活動も変わりつつある。昔の典型的な例だが、1に訪問、2に訪問、3,4が無くて5に訪問、とかいう気違いじみたヤンマー農機などの営業スローガンは良く知られているが、もしこんな営業を今だに続けている企業があったらとっくに倒産していただろう。

わが社は典型的な零細企業で、精密機械の修理や保守代行を業務としており、以前は展示会とかダイレクトメール、新聞雑誌への広告など、考えられるあらゆる手法を使って宣伝広告していた、しかし今日では全く変わってホームページだけだ。 勿論 外交営業マンも居た方が良いが、それは高い人件費を吸収出来る効果が期待できる大企業だけで、多くの中小企業は営業部門を縮小させてしまった。

大学生の就職率を下げている要因に、仕事も無くなったが、技術を持った学生が少なくなったこともある。即ち私大の文系卒業生の就職口がないことが就職率を大きく引き下げているのだという。我々よりひと世代前のサラリーマンは、圧倒的に理系冷遇社会で文科系優位の定説があり、理科系学生は、仕事は汚い割には殆ど出世の見込みがないと信じられていた。その風評はいまだに尾を引いており、大学入試の困難さもあって、理系卒業生が少なく文系の方が圧倒的に多い。

確かにバブル時の証券マンはひと月に億単位のボロ儲けもした、これは理系技術者が一生かけても稼ぐことができない大金だった。しかし、京大の西村和雄教授は、この文系優位の定説を見事に打ち砕いた。即ち、今日のサラリーマン社会では実質的には、理系サラリーマンが非常に有利になっているという。

理系か文系かは企業に入ると、区別が難しくなるので、西村教授は大学受験時に数学を選択した人と、数学を選択しなかった人で区別し、その年収を広範に調査した。すると驚くなかれ例えば2000年のデータで、数学選択サラリーマンの平均年収が748万円であったのに対し、数学非選択者の平均年収は641万円と、実に15%を超える100万円以上の年収差があると分かったそうだ。これは同志社大学の八木教授、立命館大学の平田教授らとの共同研修で、インターネットを通して6,800名に配信して2,150名の有効回答者を分析した結果だという。この傾向は今後さらに加速しそうだ。

更に、大学のレベルをABCに分けた場合、中級Bレベル大学の理系卒サラリーマンは、最高Aレベル大学の文系卒サラリーマンよりも全ての年代で年収が上回っているという恐ろしい結果が出たそうだ。理系出身者は出世できないとか、文系に比べて年収が少ないという昔からの定説はとっくに消え失せた迷信となっていた。

確かに文系に比べて理系の勉強は苦労が多いのは事実だが、世界市場がグローバルなった今日、日本が生き残ろうとするには、企業でも個人でもやはり何か特殊な技術を持つ以外に手段がない。頭が悪くて数学に苦しんだトラウマが残る私も、何だか昔の苦労が今頃になって報われた気持もする。ただ学生を学業の成績だけで判断するのではなく、更にやる気も加味できる評価法も開発して欲しいと思うのだが。



mh3944 at 10:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治