2011年06月
2011年06月30日
110630, 東京を脱出した
懸案の課題であった事務所を東京臨海部から千葉県に移す為、暫くブログも休んだ。移転した理由は色々だが、仕事も実績を積んで必ずしも東京に居る意味がなくなり、当方も年齢を重ねて片道2時間近い毎日の通勤が苦痛になってきたことや、永年やってきた半導体の仕事が、機器の国産化により減ってきたこと等があるが、先日の大震災で東京臨海部に事務所を構えることの危険性を感じたことも大きな動機となった。
移転先の候補として総武線、京浜東北線等を色々検討したが、都心から少々離れても家賃や環境は殆ど変わらず、常磐線だけが自然に恵まれ、家賃も低かったので、結局我が家に近い我孫子市の駅近くのインキュベ-ションオフィスの一室に入ることにした。
しかし10余年本社を構えていた江東区潮見から移転するのは大仕事だった。不要な書棚、机、衝立、などを処分するだけでも20万円かかると産廃業者から脅されたが、多くの机や椅子は上階のB社が使ってくれることになり、ガラス製の立派な衝立は隣りに入居したばかりのマンション長谷工が喜んで引き取り、鉄製棚や作業テーブルは若干費用を要したが離れた県に住む息子が営業所の倉庫に使うというので送ってやった。 そして産廃業者には8万円支払って残り物を処理してもらった。後日に部屋の清掃状態の確認に出かけたが、我が社の苦闘の跡は完全に消えて無くなり、綺麗に清掃されていたのには驚くと共に、少しばかり感傷気味にもなった。
東京勤務時代には、早朝の5時20分に自宅を出て、7時に会社に着き、ラジオニュースを聞きながら当日の業務予定を立てていたが、新しい事務所は自宅から徒歩10分で、従来通り5時過ぎに新事務所に出勤すると、ドロボウと間違われるので、時間を持て余し、今朝も手賀沼周辺20キロを自転車で1周してから8時過ぎに出社した。早朝の手賀沼一周は1時間かかり、時間潰しには有効だが、土曜日曜のサイクリングで見慣れていた積水女子陸上部の女子部員が集団で早朝訓練していた。少しばかり化粧はしているが真剣そのものの顔つきで、猛烈なスピードだった。数十年前にはプラスチックパイプ屋であった積水化学が1.5兆円を超える巨大企業に成長したが、この女子マラソン部隊は単なる企業宣伝だけではなく、全社員に絶えざる努力と緊張の必要性を訴え続けていたのだろう。まだまだ日本は捨てたものではないと目頭が熱くなった。
新しい事務所は、東北大地震の避難所にも似て大会議室を衝立で区切って小部屋に分けた事務所で、応接会議室は共用スタイルだが、他社は朝9時始業で、私ひとりが早朝出社で空調を無駄に使う訳にもいかず、毎朝の余分な時間を如何に過ごすか、まだまだ工夫している最中だ。二階の事務所に入って、窓下を急ぐ出勤サラリーマンを見ると、昨日までの自分の姿を思い浮かべた。
その昔、早朝の公園を横切って会社へ急ぐ私に、公園を住みかとするホームレスから、毎日ダサイなことですな! と冷やかしの言葉を浴びせられて頭に来た覚えがある。自由な生活を満喫しているホームレスの気持ちも何だか少し分かるような気がした。
しかしテレビに写る日本の政界だけは本当に情けなくなってしまう毎日が続いている。与野党を含めての菅首相やめろ!の大合唱には驚く次第だ。何故菅首相が辞めねばならないのか、その理由が良くは分からない。具体的な失策は何もないと素人目には見えるのだ。 聞く処によると、菅首相の人間性が信用できないのだという、確かに菅首相は市民運動家出身だから、好き勝手ばかり言う自治会のボスみたいなもので、国政に対する信念がある訳ではなく、要求し攻撃するパーフォマンスが目立つ政治屋であることは分かる。しかしそれでは何故菅首相を選んだのかという率直な疑問が出てくる。 或いは今回の大震災で官僚を動かすことを知らず、自分だけが走りまわって結局、何の成果も上げられなかったという意見も分かる。では代わって誰がこのような未曾有の巨大災害に対処できるのかという疑問が出てくる。
私が菅首相がダメ人間だと納得した唯一の事件は、4月後半に中国胡錦濤主席が訪日した時の接見の席で、胡錦濤主席と向かい合った菅首相が来日の歓迎挨拶を述べる時、相手の顔を全く見ず、始終下ばかり向いてメモを読んでいたのに呆れたことだ。これでは日本国民全体が中国から徹底的に蔑まれると私は悲しくなってしまった。国会討論では、自民党の谷垣総裁はそのことには触れず、ただ菅首相に、貴方ではダメだダメだ、のオウム返しばかりだった。これでは谷垣首相になっても同じことだと私は思う。石原幹事長も同様に全くチンピラ政治家だ。 では他に誰が代役を果たせる人物がいるのだろうか? 誰も有望な候補者が見当たらないのが本当に不思議なことだ。
日本の政治家は何故こんなに次から次へとダメな政治家ばかりなのだろうか? 日本の教育が間違っているのだろうか? 或いは彼等を選んだ日本国民がダメなのだろうか? 何とも悲しく気が沈んでしまう。
移転先の候補として総武線、京浜東北線等を色々検討したが、都心から少々離れても家賃や環境は殆ど変わらず、常磐線だけが自然に恵まれ、家賃も低かったので、結局我が家に近い我孫子市の駅近くのインキュベ-ションオフィスの一室に入ることにした。
しかし10余年本社を構えていた江東区潮見から移転するのは大仕事だった。不要な書棚、机、衝立、などを処分するだけでも20万円かかると産廃業者から脅されたが、多くの机や椅子は上階のB社が使ってくれることになり、ガラス製の立派な衝立は隣りに入居したばかりのマンション長谷工が喜んで引き取り、鉄製棚や作業テーブルは若干費用を要したが離れた県に住む息子が営業所の倉庫に使うというので送ってやった。 そして産廃業者には8万円支払って残り物を処理してもらった。後日に部屋の清掃状態の確認に出かけたが、我が社の苦闘の跡は完全に消えて無くなり、綺麗に清掃されていたのには驚くと共に、少しばかり感傷気味にもなった。
東京勤務時代には、早朝の5時20分に自宅を出て、7時に会社に着き、ラジオニュースを聞きながら当日の業務予定を立てていたが、新しい事務所は自宅から徒歩10分で、従来通り5時過ぎに新事務所に出勤すると、ドロボウと間違われるので、時間を持て余し、今朝も手賀沼周辺20キロを自転車で1周してから8時過ぎに出社した。早朝の手賀沼一周は1時間かかり、時間潰しには有効だが、土曜日曜のサイクリングで見慣れていた積水女子陸上部の女子部員が集団で早朝訓練していた。少しばかり化粧はしているが真剣そのものの顔つきで、猛烈なスピードだった。数十年前にはプラスチックパイプ屋であった積水化学が1.5兆円を超える巨大企業に成長したが、この女子マラソン部隊は単なる企業宣伝だけではなく、全社員に絶えざる努力と緊張の必要性を訴え続けていたのだろう。まだまだ日本は捨てたものではないと目頭が熱くなった。
新しい事務所は、東北大地震の避難所にも似て大会議室を衝立で区切って小部屋に分けた事務所で、応接会議室は共用スタイルだが、他社は朝9時始業で、私ひとりが早朝出社で空調を無駄に使う訳にもいかず、毎朝の余分な時間を如何に過ごすか、まだまだ工夫している最中だ。二階の事務所に入って、窓下を急ぐ出勤サラリーマンを見ると、昨日までの自分の姿を思い浮かべた。
その昔、早朝の公園を横切って会社へ急ぐ私に、公園を住みかとするホームレスから、毎日ダサイなことですな! と冷やかしの言葉を浴びせられて頭に来た覚えがある。自由な生活を満喫しているホームレスの気持ちも何だか少し分かるような気がした。
しかしテレビに写る日本の政界だけは本当に情けなくなってしまう毎日が続いている。与野党を含めての菅首相やめろ!の大合唱には驚く次第だ。何故菅首相が辞めねばならないのか、その理由が良くは分からない。具体的な失策は何もないと素人目には見えるのだ。 聞く処によると、菅首相の人間性が信用できないのだという、確かに菅首相は市民運動家出身だから、好き勝手ばかり言う自治会のボスみたいなもので、国政に対する信念がある訳ではなく、要求し攻撃するパーフォマンスが目立つ政治屋であることは分かる。しかしそれでは何故菅首相を選んだのかという率直な疑問が出てくる。 或いは今回の大震災で官僚を動かすことを知らず、自分だけが走りまわって結局、何の成果も上げられなかったという意見も分かる。では代わって誰がこのような未曾有の巨大災害に対処できるのかという疑問が出てくる。
私が菅首相がダメ人間だと納得した唯一の事件は、4月後半に中国胡錦濤主席が訪日した時の接見の席で、胡錦濤主席と向かい合った菅首相が来日の歓迎挨拶を述べる時、相手の顔を全く見ず、始終下ばかり向いてメモを読んでいたのに呆れたことだ。これでは日本国民全体が中国から徹底的に蔑まれると私は悲しくなってしまった。国会討論では、自民党の谷垣総裁はそのことには触れず、ただ菅首相に、貴方ではダメだダメだ、のオウム返しばかりだった。これでは谷垣首相になっても同じことだと私は思う。石原幹事長も同様に全くチンピラ政治家だ。 では他に誰が代役を果たせる人物がいるのだろうか? 誰も有望な候補者が見当たらないのが本当に不思議なことだ。
日本の政治家は何故こんなに次から次へとダメな政治家ばかりなのだろうか? 日本の教育が間違っているのだろうか? 或いは彼等を選んだ日本国民がダメなのだろうか? 何とも悲しく気が沈んでしまう。