2011年07月

2011年07月26日

110726、悲しい理系首相

菅首相がなかなか辞めない。従来の鳩山さん、麻生さん、阿部さん、福田さんと全員が短期首相であったので、今回は2−3年でも頑張って欲しいと願ったが、やはり交代せざるを得ない状況になった。日本の歴代首相が次々と超短期間で交代するのは、如何にも恥ずかしい限りだ。菅首相と同じ理系出身の鳩山首相は、正常な判断基準を持っていなかったが、世間慣れした菅首相ならもっとマシな筈だと思っていたが、やはり市民活動家に特有の無責任感さから抜けきれていなかった。

例えば、今夏の電力不足を避ける為、原発再稼働の嚆矢として、海江田大臣が周到に準備し、地元の町長や県知事と協議を重ねてやっと承諾させた玄海原発は、突然菅首相が原発の新評価基準ストレステストを発表して中断に追い込み、関係者の猛反発を食らって原発の再稼働を不可能にしてしまった。多分これで全国の原発は同じ運命をたどって再稼働は著しく困難になった。  

確かにヨーロッパでストレステストが検討されているのは事実らしいが、海江田経産相が四苦八苦しながら、何とか猛暑の夏の電力不足を乗り切ろうと、佐賀の玄界原発から再稼動をスタートさせるべく、誠意を尽くして地元関係者と相談を重ねて合意を取り付けた途端、最高責任者としての自覚のない菅首相は、
真反対の発表をして、反原発派を大いに喜ばせた。ハシゴを外された海江田大臣は怒り心頭だろう。これでは菅首相の単なる東大嫌い、官僚嫌いを通り超して、もう気違い沙汰だ。仮に私が大臣だったら、菅首相の下では何も仕事をする気にはならないだろう。 
                  
多分菅首相は、ヨーロッパでストレステストが行われているとの情報を聞きつけ、これは自分の支持率Upに使えると思ったに違いない。常識ある首相なら、まず関係諸大臣を呼んで協議するが、人気低迷に苦しむ菅首相は直ぐに自分の支持率向上を企み、関係諸大臣に相談せずに、手柄を一人占めしようと記者会見で発表してしまった。しかしその結果は予想とは真反対で、関係諸大臣や官僚達の不信感は沸騰寸前に達し、世論も菅首相のバカさ加減には呆れて、低迷する支持率を一挙に10ポイント急降下させ、25%から16%にしてしまった。
何とも菅首相の貧乏根性には呆れてしまう。内閣を発足させて以来、日本のエリート層からの反発を受け続け、日本の官僚達やリーダー層を無気力にさせて、膨大なエネルギーを浪費している事実は、もう笑いごとでは済まされない。

先般の浜岡原発の突然の停止要請も同じ発想だ。確かに静岡県の浜岡原発が事故を起こすと日本の心臓部を直撃する可能性があり、地震学会からも危機切迫がいわれており、その停止要請は理解できる。しかし関係諸大臣や担当官庁に一言の相談もなく、一方的に停止要請を発表するなんて、自分が日本の最高責任者だという地位を忘れ、物事の結果を考えない子供レベルの行動だ。

更に5月のヨーロッパの環境国際会議で、日本は再生エネルギーを積極的に導入する為と称して、深く検討すること無く、10年以内に太陽光発電の住宅を1000万戸建設するとも発表した。その実現の責任は誰が取るのだろうか?これは2年前に鳩山さんが首相になった嬉しさの余り、日本はCO2排出量を1995年比で25%削減すると国連総会で大見栄を切り、世界に笑いものになったのと全く同じだ。結果的に自分の支持率Upの効果はゼロで、逆に国民に大きな重荷を残してしまった。
         
このように哀れな失態を繰り返す菅首相が、もし理系出身の避けられない性癖だとすれば、同じ理系の私としても居たたまれない思いになる。文系は何事も組織力でしか実行できないことを体質的に知っているが、理系は単独でも偉大な発見発明を成し得る世界に住んでいるから陥り易い行動だ。いやむしろ殆どの大発明は常識外れの個人的な発想から生まれているのも事実だ。

例えば日亜化学の中村修二氏が紫色半導体レーザーを発明して会社と訴訟を起こし、8.4億円の賠償金をせしめた例や、素晴らしい医薬を開発した大手医薬会社の研究者が10億円を会社から得たとか、羨ましい話題には事欠かない。理系は通常の平均的な精神力では大きな成果はなかなか達成できず、周囲から孤立無援のなかで長年に渡り執拗にテーマを追及し続け、初めて素晴らしい発見発明に到達できる苦しくて哀れな分野なのだ。 従って理系はものごとを組織で遂行する習性に乏しく、その苦しい心の深層が私にも目に見えるように理解できる。

私がサラリ-マン時代に、部下の成果を横取りする悪名高いH部長がいた。例えば、高卒I研究者が着目した合成皮革を有望だと察知すると、このI研究者を関係業務から外して別業務に追いやり、新しく自分が指導者として開発グループを組織し、一世を風靡する成果を横取りした悪辣な部長であった。往々にしてサラリーマン組織では失敗は部下に押し付け、成功は横取りする上司が多いが、このH部長もその典型だった。

10余年後に運悪く、私はこのH部長に仕えることになった。彼は生理活性物質の開発という大テーマを掲げて、小さな諸テーマを長年追っかけたが、なかなか成果が出なかった。しかし私は幸運にも多数の生理活性物質を開発している米国D社の会長と懇意になり、単独でロス本社に訪問して合弁事業計画を作り上げた。私はこの計画がH部長に横取りされるのを防ぐ為、H部長への報告と同時に社長にも話して、計画を公にした。 その結果、当計画の成否は全て私の責任となり、その後の長い年月の間、私は本合弁会社の最高責任者として、生涯忘れられない波乱万丈のサラリーマン生活を送ることになった。

しかし私は、自分の頭脳は全く平均的なレベルであることを自覚していた。本合弁会社の社長として私は、自分が表に立つことを極力控えて、50余名の部下達を思う縦横無尽に働かせ、成果を得た担当者には大きな報奨を与え続けた。私は自分が社内で目立たないことに一抹の寂しさは感じていたが、部下の成果が企業として業績を押し上げ、最終的には最高責任者の自分の評価にも跳ね返ることを信じていたので、最大限に部下を表に立て続けた。その結果、私がその社長の地位を去る迄、私の合弁会社は飛躍的な成長を遂げ得たこと今でも自負している。  

しかし、思い付きを直ぐ自分に支持率向上に利用したい習性の直らない菅首相は、更に7/13には,党内での議論なしに 日本は脱原発を進めると発表してしまった。一国の首相がこれほどの重大方針を発表する時は、事前に必ず関係部門と討議を重ね、世界への影響も考慮するが、菅首相は事前の検討無しに、大国日本の基本方針として世界に発表してしまったのだ。流石これには官房長官以下の身内の諸大臣達も驚愕し、首相に詰め寄った。そして3日後には、首相は個人的な思いを言った迄だと大きく軌道修正をさせてしまった。しかし個人的とは言え、一国の最高責任者の発言は重く、ベトナムとか,トルコ、ヨルダン、リトアニアなど、日本から原発の導入しようとしていた国々は、日本からの原発輸入を考え直し始めてしまった。

本年5月に脱原発を公表したドイツでは20年近い長い大論争があり、内外の環境保全グループとの論争や、何回もの選挙で議論したテーマなのだ。菅首相はたった一晩の思い付きで、如何にも簡単に脱原発を世界に発表した哀れ極まりない言動で、大混乱に陥っている。日米安全保障条約改定50周年の機に発表される予定であった新日米共同宣言が断念され、9月に予定されていた日米首脳会談も無期延期になってしまった。菅首相の仏頭顔がテレビに出る度に、私は吐き気を催し始めた。まさかこのような悲劇的な状況も理解できない程、菅さんはもう碌したのだろうか? 

1国のトップは簡単に交替させるべきではないと私は常々思っていたが、オーラを失って顔を見るのも嫌になった首相では、国民をリードすることは絶対に不可能だと思い始めた。日本の名誉を背負って激闘を頑張り抜いた女子W杯サッカーなでしこジャパンも、菅首相の言動には心で泣いているだろう。理系トップとして期待した菅首相だが、国民の支持を失ったレームダックでは、もはや何事も決められず、残念だが交替させる以外に道はなくなってしまった。やはり理系にはトップは無理だと言われ始めているが、後に続く人材にこれ以上迷惑をかけないよう、一刻も早く幕引きをお願いする次第。



mh3944 at 14:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2011年07月21日

110721, 職住近接の新発見

 
先月までは、私は片道1時間半かけて東京へ通勤していた。朝の混雑を避けるため、早朝4時半に起きて5時半の電車にのり、7時に会社に着いてラジオニュースを聞きながら、その日の予定を考えた。長時間乗る電車は動く書斎で、誰からも妨げられず新聞を隅から隅まで読むことができ、私には貴重な時間であったが、逆に日が短い冬期に、真っ暗な公園を横切って駅に急ぐのは少々苦痛でもあった。         
しかし今は自宅から事務所まで徒歩13分の超職住近接だ。長い習慣で寝起きの早い私は朝食を済ませて時間つぶしに6時過ぎに手賀沼周回のサイクリングに出かける。一周20キロの距離で約1時間だが、風の強い日は疲れるので、途中で引き返すこともある。7時過ぎには自宅に戻ってシャワーを浴び、1時間ほど時間を潰して8時には事務所に向かう。大部屋形式の事務所は、早く出社してひとり冷房を使うと、電気が無駄なので、9時前迄は扇風機を回して我慢する。

従来から通った自宅→駅への一本道とは違う別の近道を通るが、長年住んでいる我が町にも拘わらず新しい発見が色々ある。とくに朝夕しか知らなかった我が町には昼間の違った顔があり、人々が活動している。中年女性達は我がもの顔に右往左往しながら生き生きと働いている。いつかテレビでみたが、森林で動く動物は、昼間と夜で種類が違うというが、人間社会も似たようなものだ。地元の女性たちは東京を知らないかも知れないが、私が知らなかった田舎町の昼間の活動を支え続けている。年齢だけは古稀を過ぎた私だが、断片的な知識しか持っていないことを恥ずかしく思う。

東京での昼食はいつも430円の持ち込み弁当か、行きつけ食堂だが、この田舎町には牛ドン屋から、500円のマーボ定食や餃子定食屋、更には結構いける290円のチキンカツ定食が売り物の、こぎれいなレストランもある。また清潔感はないが無愛想な亭主が作る日替わり500円定食も見つけた。入って見ないとその日の定食が何だか分からないのも面白い。   
                 
私の出勤時間は、近くの高校生達の登校時間とも重なる。群れて走る自転車軍団や、期末テストのメモを暗記しながら歩く生徒など、道いっぱいに無秩序に登校してくる。みんな田舎顔だが若々しい。確かに私にも苦しい高校時代があったことを思い出した。私の自転車は質屋流れで白ペンキを塗りたくった中古自転車だったが、今の高校生は全てピカピカも新品だ。そして必ずこぎれいな後部座席もついている、友人やあわよくば彼女を乗せるためだろうか。

前身が女学校の私の高校は1学年150名程度の田舎校だったが、早世した父親に代わって、年取った母親と兄達に支えられて、進学か就職かの相談も言い出せないまま3年間を通った。農繁期は勉強よりも田畑の作業を手伝わされたが、作業の合間には寸暇を惜しんで旺文社の豆単を暗記した。水田の草取りは水が濁って作業した跡が隠れるのを良いことに、誤魔化して途中を省いて抜かし、早めに草取りを終えて、近くの田布施川に飛び込んで泥を落とし、気分一新して豆単の続きをめくったが、翌日にはインチキ草取りがばれて兄からこっぴどく怒られた。それに比べると今日の高校受験生達は本当に恵まれた環境だと思う。  
        
会社の仕事を早目に切り上げて帰宅する夕方は、今度はばらばら下校する高校生に出会う。中には相思相愛らしきカップルが人通りの少ない住宅街を選んでゆっくり歩いている。私にも片思いの同級生はいたが、とても話しかける勇気などなく、悶々としながらも、うわの空で豆単をめくっていた。あれから既に2世代が経過し、今では孫娘が高校2年生で受験期を迎えている。 過ぎ去ってみると、光陰矢の如しという言葉通り、人生は本当に早くて短い。このようにして人々は代々の家系を引き継いで行くのだろう。


mh3944 at 08:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2011年07月20日

110720,女子W杯サッカー

暫くブログを休んだが、7/18早朝の女子Wサッカー決勝戦は本当に面白かった。年を重ねると情感が弱くなるが、今回の試合は本当に感動の連続であった。

前評判では、米国は身長が日本より平均15センチ高く、体力と走力をもつ世界No.1のチームで、か弱いやまとなでしこが立ち向かうには余りにも強過ぎると言われていた。事実試合が始まると早速猛攻を受け始め、日本選手は相手のパワーとスピードに圧倒され、米国のシュートはゴールポストを弾き クロスバーに叩き落とされて、得点されないのが不思議なほど猛攻撃を受け続けた。太平洋戦争末期の沖縄戦で、塹壕にもぐって米軍の艦砲射撃を耐える日本兵もこのよう心境であっただろうかと私は思った。小倉日本サッカー協会長も、アメリカに先取点を取られて、ああもうダメだと諦めの心境になったと告白していた。 

しかし、前半を耐え続けた日本だが遂に後半に米国のロングパスで失点した。しかし試合終了9分前に、ゴール前の混戦から宮間選手が貴重な同点ゴールを蹴り込んだ。 延長戦に入ってもつかの間、今度は米側のコーナーキックを長身のワンバック選手がヘッディングで押し込んだ。180cmの同選手はジャンプもせず、狙いすませたヘッディングだった。ゴール前では勝負にならなかったなでしこは、延長戦終了3分前に得たコーナーキックを、宮間がアメリカ側の予想を裏切ってゴール直前の澤選手を目がけてボールを低く打ち込み、これに気付き慌てて追いすがる米国選手より一瞬早く、澤がボールに右足を当ててゴールに突き刺し、再び振り戻しになった。ペナリティ-エリア直前のゴール正面でシュート態勢に入るアメリカFWには岩清水がペナルティー覚悟のタックルでなぎ倒し、即刻退場を食らったが決勝点は防ぎ、遂にPK戦となった。

万策尽きて芝に座りこむアメリカ選手に対し、日本チームはこれで勝敗は5分だと円陣を組んで意気揚々の雄たけびを上げ、一番若手のゴールキーパー海堀選手は奇跡的な足技も使って、相手のシュートを全て弾き飛ばし、遂に世界一になってしまった。
準優勝戦のスエーデン戦でも、川澄選手が無人になったゴールに、柔らかなロングシュートを打ち込んでダメ押し点を得た。 こうまで執拗に守られ攻められると、敵方は誰でも浮き足たってしまう。日本より平均身長が顔ひとつ高い大形の欧米選手は、巨体で走るエネルギーロスもあってか、忍耐が切れて、攻守ともに粗くなり、早いパス回しでかき回すなでしこ軍団に精根疲れ果てた様子だった。22戦で一度も勝てなかったアメリカ相手に、W杯決勝戦という大舞台での初勝利となった。 

体力と走力にも勝る欧米選手は強力で、長いコンパスで走る突進力は恐怖でもあったが、その欧米選手を引き離しながら左サイドを駆け上がる鮫島選手の姿は、和服姿で小走りする典型的な日本女性も連想させて痛快だった。

深い森のなかにあるフランクフルト会場には、満員4万8千人が詰めかけ、その多くは欧米サポーターで日本人は少なく、更にホームで日本に打ち負かされたドイツ人サポーターは複雑な感情でもあっただろう。しかし試合が終わったなでしこジャパンが、To our Friends Around the World, Thank you for your Support! と大書した横断幕をもってピッチを回り始めると、満員の観客席からは日ノ丸ばかりでなく、激闘に感激した欧米サポーターが、ドイツ国旗や星状旗、スエーデン国旗等を振り回して、なでしこジャパンにエールを送る光景には、思わず胸が熱くなった。憎しみを露わに最後まで日本選手をヤジリ飛ばす中国や韓国人サポーターと比べると、人種の違いか教養の差か知らないが、さすが文明国欧米と後進国アジアとの埋めがたい歴史の違いを感じた。   

私は熱烈なサッカーファンではなく、なでしこの歴史にも詳しくないが、彼女達の素早いパス回しと最後まで諦めない執着心には驚いた。特に準々優勝のドイツ戦で、丸山佳里奈選手が右サイドを抜け出して殆ど角度のないところから放ったシュートが値千金の決勝点をもぎ取り、大本命のドイツを撃破できたことは特記に値する。長身と走力はサッカーに不可欠だが、いずれも欠く日本選手が、小パスを繰り出しながら相手陣営に突入する戦法は世界の女子サッカーに大きな転機を与えるかも知れない。

試合が終わって興奮さめやらない日本選手が、テレビに向かって感激を語っていたが、暗い話ばかりに沈む日本を大いに感動させ勇気づけた。大震災に苦しむ東北の皆さん、さあ一緒に元気を出しましょう!と言う言葉には、生きる気力も失って沈み込む大震災の被災者達も、感動と立ち直る勇気を得たと語っていたのは、政治やお金では得られない無限の大きな効果であり、彼女達の献身的な活躍に感謝の一言だった。 
 




mh3944 at 10:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感