2011年09月

2011年09月29日

110929,落合監督が辞める

中日ドラゴンズの落合博満監督が今季で辞めるそうだ。7年前中日の監督に就任して以来、Aクラスを確保し続け、リーグ優勝3回、日本チャンピオンン1回という文句をつけようがない実績にも拘わらずだ。後任はかなり年輩の高木監督だそうだから、若返りではなく、大幅な年寄返りとなる。

監督交替の理由は任期切れだという。確かにどんな組織でも、同一指導者が長く続くとマンネリになり、リフレッシュが必要となるのは事実だろう。しかし他の大きな理由はチームの好成績にも拘わらず、観客の動員数が毎年減少し続け、フロントから不満が噴き出していたという。企業で言えば、立派な新製品を上市しても利益が減少し続ければ社長は交替、という図式だろうか。落合監督の一匹オオカミ的な性格と観客動員数の減少がどのような関係にあるか難しい問題だが、実は私も落合監督を余り好きではない。         
                              
まず試合開始から終了まで、感情を全く表わさないのが不思議でたまらない。よくもあのように不自然に冷静を装っておられるものだと思う。きっと心の中では激怒したり、喜んだりしているのだろうが、微塵にも顔や態度に出さない。 ピッチャー交替の時は、マウンドに行って少しニヤニヤしながら話して帰るが、その歩き方も何とも不自然極まりない。手や腕は殆ど振らず、観客やテレビを十分意識しながら、如何にも冷静に見せようとしているようだ。

何故そこまで、彼が心の動揺を顔や感情に表さないように努めるのだろう? 私の独断と偏見で言えば、多分彼は幼い時の何かのトラウマが大きく影響して、自分自身を素直に表現することが出来なくなっているのではないだろうか。例えば彼の幼少時代に、父親が非常に厳格で、厳しく育てられたとか。。。 その結果、彼は自分の気持ちを自由に表現する習性を育めず、抑圧された性格に育ったのではないか。いわゆる、三つ子の魂百まで、というやつだ。

定説によると、ひとの脳神経は生れて3才になる頃までに80%が完成するという。脳内の神経の配線図の殆どは、この幼小時に完成されてしまい、その時に受けた外的要因が、脳神経の配線を大きく左右して、性格形成に決定的な影響を及ぼすそうだ。勿論、人間の性格は、幼小時代、子供時代、青春時代、熟年時代、更には老年時代と、人生の色々な段階で色々な経験と影響を受けながら変化するが、人格の基本的な骨格は3才までの幼小時代に殆ど決まってしまうらしい。

良くは覚えていないがひと昔前、ビートたけしの父親、とかいうテレビ番組があり、ハチャ目茶なオヤジが暴君として登場し、家庭をかきまわす番組を見て、あ!私の父親と同じだと思った。 彼は北野菊次郎とかいう、余り教養のない無茶苦茶な塗装職人だが非常に厳しく、ビートたけしの変わった性格は、恐らく幼小時代を恐ろしいオヤジの影響を受けて形成されたのではないだろうか。しかしその結果成人たけしの鬼才は、欧米の映画界で非常に高く評価され、フランス文化省からは、類を見ない自由さで直感的に動く素晴らしい才能をもつ、とコマンドール賞とかいう最高の栄誉を受けるまでになった。(国内ではそこまで高く評価されているとは思えないが)  

たけしとは全く逆で、誇れるものは何もない私だが、早世した父親は同様に非常に厳しかった。決して厳格なオヤジという格好いいものではなく、飲んだくれで、子供の教育にも無関心の我儘暴君だった。多分戦前の父親の多くは似たり寄ったかと思うが、私達兄弟姉妹は父親と率直な意思疎通をした経験とか、楽しい記憶は殆どないままに育った。 普通なら子供はグレて家出し暴力団にでも入っていたかもしれないが、私にはその勇気も知恵もなく、優しい母親の陰に隠れて、恐ろしい父親から逃げ回って育った記憶しかない。しかし我々兄弟は、お互いに助け合って父親の暴力に対抗しながら育ったので、母親を中心とした我々兄弟姉妹は強い団結心で結ばれて育った。

私は社交性に欠ける。いくら努力してもなかなか克服できない性格だ。いつも私の心には、自由奔放に交友したい気持と、それを抑えつける別の人格がいる。もっと自分に素直になりたいのだが、私の心は強固な枠に嵌められて、なかなか抜け出ることができない。多分トラウマのせいだと思うが、私はいつも自由な感情表現を抑えつける別の自分と格闘し、敗退して悔しい思いを繰り返している。人生の終盤になった今でも自分の枠から抜けることができないでいることを自覚している。

しかし捨てる神あれば拾う神ありで、私は我慢強くなり、徹底的に努力する忍耐心を得て,努力する習性だけは身についた。 自分の性格はなかなか変えられないが、逆にオヤジを反面教師として、家庭内で激怒することは絶対に避け、家族との意思疎通には最大限努めるよう努力してきた。そしてその結果にはかなり満足している。

これから子供を育てる若い父親や母親は、ご自分の子供達の、特に幼小時には、無理強いする厳しい育て方は避けて、自由に育てることをお勧めしたい。お勉強もあるだろうが、遊び仲間から遠ざけて、貴重な子供時代を塾通いで過ごすと、取り返しのつかない歪んだ性格になってしまい、当人が大変苦労することになる。仮に偏差値の少々高い学校に入れても、成人した後は苦労続きで、悔いの多い人生を送ることになるだろうと私は思う。それよりも、子供同志でケンカもしながらも、自由で開放的な人格に育てたほうが、余程実りある人生を送ることができると私は確信している次第、ご参考までに。


mh3944 at 14:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2011年09月22日

110922, 馬齢を重ねる

先日、テレビで中曽根康弘元首相の話を聞いた。今年93才になるそうだが、米国キッシンジャー元国務長官程の貫録は無いにしても、頭脳明晰でつややかな顔付きは失われず、的確なご意見には賛同するところが多くあった。

曰く、世界の指導者が脱原発なんて言うけど、そう簡単に再生可能自然エネルギーが開発される訳ではなく、やはり徐々に原発を減らす以外に道は無い。曰く日米安全保障条約は、日本が繁栄する為の絶対の条件である。曰く領土問題で外国の脅しに屈して、日本固有の国土が盗られることはあってが、先祖や子孫に申し訳が立たない。曰く野田新首相は自分をドジョウに例えていたが、政治家らしくて面白い。曰くいま日本の社会は暗い話ばかりだが、いつの時代にも暗い話はあり、悲観してはいけない。明るい時代も必ずやってくる….等などの意見であった。

現役時代の中曽根元首相は、風見鳥とも言われ、周りの雰囲気ばかり気にしてご自分の意見が無いと言われたこともあったが、今回の話は立派であり同感する部分が多かった、私はいま73才で中曽根さんの年齢にはまだ20年先だが、果たしてその時に、あのように的確な意見を持てるかどうか少々不安もあった。

幸い大病も患わず、私は健康に恵まれ、BMIは24、足腰健全と、有難いことだが、やはり年をとると体力は段々と弱まり、胸の肉は薄くなって、お腹の方に移ってきたと家内が嘲笑する。 そう遠くない将来、仕事をやる意欲が薄れることのないよう願うばかりである。

しかし先日、同年の親しい友人に会った、彼はダンスを素敵に踊るダンディー男であったが、歯が抜けて容貌が変わったのには驚いた。同じく私の隣家の同年のご主人は、先月に脳出血で半身不随になった。命は何とか助かったようだが、あれほど元気だった人が、目と口と体も不自由になり、何より家族が話しかける内容をどの程度理解しているのか分からないのが辛いと、奥さんはこれから始まる長い介護の苦労をこぼしている。   

私の近隣には定年退職者がウロウロしている。彼らのうち、民間企業の退職者は、現役時代に会社は自分の能力を正当に評価してくれなかったことを恨み、もし適当な機会を与えられていたら、もっと実績を上げ得ただろう、との思いを引きずっている人が多い。これに対しお役人上がりや超大企業の退職組は少々事情が違い、苦労の多い現役時代から解放されて嬉しい、これからは年金生活だが、ゆっくり余生を楽しもうという考えのリタイア組が多い、彼らは、職場の学歴社会には洗脳されきって、自分の待遇に不満な人は少ないようだ。逆に長年かかって形成された官僚社会の独特の習性が身につき、如何に自分を実体以上に立派に見せるかという鼻つく雰囲気がなかなか消えず、私は余り好きになれない。しかし、年月が経過すれば、その嫌な習性も薄れて、みんな同じような見栄えしない好々爺になってしまうのだが。

私は、お役人上がりよりも民間リタイア組の方が好きだ。いくら偉そうに振まっても、所詮お役人は、国民の血税を食って生きてきた連中なのだ。それに比べると、民間リタイア組は、例え零細企業やソバ屋のオヤジでも、自分の働きでメシを食ってきたという尊敬できる価値観を持っている。彼らの長い生涯の間には、資金不足で倒産の危機に遭遇したこともあるだろう。一旦倒産すると世間は冷たく、街に放り出されてホームレスになる以外に生きる道はない。生涯の身分が保障されているお役人連中に比べると、彼らは桁違いに緊張した人生を送ってきたのだから。 町のソバ屋のオヤジだって、小さなゴマカシは色々あるだろうが、一旦ソバが売れなくなると、直ちに自分もメシも食えなくなるから、毎日が気の抜けない真剣勝負を続けているのだ。

そういえば、煌びやかな芸能人はもっと厳しいかも知れない。自分の努力や精進とは無関係に、多くの芸能人はいつしか人気が落ち目になり、売れなくなってしまう、そしてその日のメシも食えなくなる日は必ずやって来る。

例えば75才になり、聞くに堪えられないほど歌が下手になった島倉千代子も、まだテレビに出て、かすれた声で歌い踊りながら生活費を稼いでいる. 芸能人は他に売りものになる術をもたないから、消えかかった昔の人気の残り香に頼って、安い報酬でテレビ出演し、地方をドサ回りしながら生きる。こっそり税金や年金で食べているお役人連中に比べ、余程真面目で真剣に生きている人達だ。

しかしやはり年だけは取りたくなく、若い人々が羨ましい。若さがあれば少々の困難にも立ち向かう勇気も湧いてくる。若いというだけで、何か目に見えない可能性を感じさせ、人間の価値が大きく膨れ上がるような感じがする。中国の秦の始皇帝が、大金を投じて不老不死の薬を探し求めた気持も分かる気がする。


mh3944 at 11:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 雑感 

2011年09月14日

110914,中国合弁成功のコツ


円高進行に対して必死の中小企業は、仕方無く中国進出を決断し始めた。資金力や人材に乏しい中小企業が 会社の命運を賭けた中国進出も、多くの場合、技術を盗み取られて敗退する危険性が非常に大きい。海外進出を成功させる為の、私の貴重な経験を参考までに述べてみたい。
              
約25年前、米国の中堅診断薬会社が日本市場に進出する為、日本企業との合弁企業を設立し、私はその実務責任者として永年苦闘した。海外進出の殆どの例は、貴重な企業技術を現地企業に流出させて終る結果が多いが、私の場合も同様に、逆の立場で米国企業には大いに不満足な結末に終った。  
                             
対象製品は医療用体外診断薬でKnow-Howの固まりの製品だった。問題はその貴重な製造Know-Howを厚生省に提出して、輸入販売の承認を得る必要があったことだ。米国D社は日本市場に如何に安全に進出するかの検討を重ねた結果、当該分野にズブ素人の日本企業P社と合弁会社を設立して、資金力人材は日本P社に出させ、技術は米国が管理する方式を選んだ。P社は国内インキ製造の大手で、米国D社と50/50の合弁形態を設立し、P社の中堅社員だった私がその合弁会社の社長に就いた。 
                                  
米国D社は厚生省の輸入承認を得る為、この合弁会社に技術情報を提供して厚生省承認を急がせ、日本P社は資本金10M$(当時のレ-トで約15億円)を出して、私は合弁会社のGeneral-Managerとなって業務がスタートした。

私も医療用診断薬にはズブ素人であった。最初の課題は、難解な厚生省の承認申請を如何に提出するかにあった。素人の我々には申請書作成は難攻不落と思われたので、ある仲介ブローカーに下請けを打診した所、1品目1000万円、予定した30品目で合計3億円という高額な提案を受けた。 
仲介ブローカーは、大手医薬品会社の申請担当者を休日のアルバイトで使い、書類を作成するもので、これは丁度日本企業の中堅技術者が休日を利用して中国に出張して、技術指導するのとよく似たやり方だ。

法外な金額に驚いた私は、今度は国内企業から申請担当者をスカウトする方法に切り替えた。習熟すれば厚生省承認申請作業は、理科系女性社員には易しいドキュメンテ-ション作業であり、2-3年程度かけて主要20品目の書類を作成して承認を取得した。

しかしこの日米の合弁計画は基本的な大問題を含んでいた。米国D社は、米国製品を日本市場に輸入販売する販売店の役割を合弁会社に求めたが、日本P社は米国の技術を吸収して、早い時期に合弁会社を米国から独立させることを狙っていたのだ。

即ち日本側の構想は、この機会にKnow-Howを吸収して、段々と国内生産に切り替え、最終的には合弁会社を吸収して米国から独立する考えであり、最初から米国D社と日本P社は異夢同床のパ-トナーであった。今日の日中間の合弁事業の殆どは、同様に異夢同床の関係であると私は思う。

最大の問題は私自身だった。私は自分の籍をP社に残したまま、出向形式で合弁会社のGeneral-Managerになり、米国から分離独立する構想の実現を担う役割を持っていた。もし米国D社がこの裏事情を察知して、私の籍を米国D社に転籍するか、或いは私を完全に合弁会社に移して日本P社から切り離せと主張すれば、事情は全く変わったであろうが、米国D社はそこまで日本P社の思惑を理解していなかった。私自身も、海ものとも山のものとも分からない合弁会社に身分を預けるより、親会社に身柄を残す方を選び、親会社P社の思惑に乗って走り出した。そしてその後10年間以上に渡って起きた日米間の争いは、全てこのスタ-ト時の私の身分問題に起因していたのだった。

この点が米国D社の犯した唯一最大のミスであり、中国に進出する日本企業にも全く同じことが言える。現地合弁会社の責任者の身分を合弁会社に移して中国親会社から完全に切り離すか、或いは、日本の会社の一役員として保障してやることが、成功の必須条件であることを肝に銘じるべきだ。

具体的には、Marketing-Managerの問題があった。米国の企業戦略は、Marketing-Managerを執行責任者として、販売戦略を立案し、その構想に従って営業部長が動く訳だが、私はMarketing-Managerを営業部門の単なるStaff程度にしか理解せず、本格的なMarketing-Managerを要求し続ける米国との論争が絶えなかった、

日本の親会社P社も全く理解不足で、英語が話せ、口八丁手八丁の日本型営業マンT氏を営業部長として私の元に派遣してきたが、米国側は全く受け入れず拒否し続け、遂に当人は親会社P社に追い返すことになった。私も同様に理解不足で、今度は日本の診断薬業界の裏事情に通じたY部長をスカウトしてみたが、やはり米国側は受け入れず、もっと本格的な学識的知識を習得したMarketing-Managerを要求し続けた。

この点は、私自身もまだ十分には納得した訳ではなく、日本でMarketingというと,欧米の学問を机上で弄ぶインチキManagerを連想する傾向があり、何処まで日本に根付いているかまだ自信はない。 米国D社は私にもそのMarketing-Managerの役割を求めたが、Marketingに関する私の理解レベルがこの程度では、米国の期待に沿うことはとうてい不可能だった。

合弁会社のGeneral-Managerの私は、表面的には米国D社の会長に服従したが、内心では米国から分離独立も企んだ。このことは次第に米国側Z会長の疑いを招き始め、あらゆるケースで私に、君は日本P社の社員ではなく、合弁会社の責任者なのだと、執拗に説得され、合弁業務に専念するよう繰り返し求められた。  

それでも技術習得と国内製造に執心する私は、技術開発グル-プを組織して、更に米国側の猜疑心を強めた。製品販売には技術力が不可欠なのだと私は強く説得して時間を稼ぎながら、技術習得に務めた。これはイランや北朝鮮が、平和利用を口実に核兵器開発にまい進する姿と近いものとも言える。 米国側は日本の開発部門の投資額の大きさに度々クレイムをつけていたが、遂に我々は、従来の免疫技法とは異次元の、遺伝子組み換え法による、画期的な診断薬に開発に成功したのには、米国D社も驚愕した。  

しかし本件発明に関して特許戦争が勃発した。我々は、米国親会社D社に断り無く、この新技術の特許を米国ヨーロッパを含む世界主要国に提出したが この特許出願は米国Z会長の逆鱗に触れてしまった。曰く米国から技術供与を受けた子会社が、親会社米国市場に無断で特許を申請するとは言語道断だと怒った。確かにこれは、中国に設立した日本の子会社が、日本の親会社に無断で特許を日本に申請するのと同じで、米国親会社が怒り心頭になるのも理解できた。
                        
特許は技術上の権利で、販売権とは全く別物だと私は主張したが、では何故米国親会社に事前相談なしに特許を申請したのかと反論された。私は特許は寸刻の時間を急ぐので、先ずは申請書を提出して、事後報告しようと考えたと弁解したが、到底納得は得られなかった。
                      
私の心配は、事前に米国に相談すると必ずストップをかけられ、申請が大幅に遅れただろうと信じていたのだ。この時点で米国D社は私を解雇する方針を固めたが、既に時遅く、合弁会社の殆どの社員は独立思想に洗脳されており、米国側からみて日本進出は不成功に終る運命だった。

更に後日、私はこの画期的な新技術を米国親会社に無償で提供したが、逆に米国は我々合弁会社に10%の技術料を米国に支払えと求めてきた。
これには私が激怒した。米国D社の子会社の立場は完全に忘れており、技術を開発した子会社が、開発に貢献のない親会社に技術料を支払うとはあり得ない話だと下手な英語で激烈に論駁し始めた。米国Z会長,日本P社のK社長、合弁会社社長の私の3人が、技術料支払いを巡って激論を続けたが、私は絶対に譲らなかった。そして米国Z会長が怒気を含んで部下の私を見つめる眼差しを見て、私は非常に近い内に合弁会社から解雇されることを悟った。 技術料支払い小額で決着したが、私は3ケ月後に米国D社からクビを言い渡された。 
         
これから中国に進出する日本企業が肝に銘じるべき最も重要なことは、日中合弁会社の社長や幹部社員の身分を、現地中国の親会社から完全に切り離すべきであること。そして当人等の給与は、現地中国企業の同僚よりも高くして、現地親会社に復帰できないよう工夫しておくことだ。さもないと、如何なる約束が中国内で内密に約束されているか誰にも知り得ず、最終的には合弁会社が中国企業に乗っ取られて、技術流出に終るからである。 

日本育ち中国人を現地企業のGeneral-Managerに任命する方法もあろう。そして彼を信用して日本側が盛りたてることだ。ルーツ的には中国人でも心情的には日本人だから。日本親会社から信頼をうけた中国人幹部は、日本を裏切ることは、まずないだろうと私は思う。








mh3944 at 13:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2011年09月08日

110908.菅首相が辞めた



遂に菅首相が辞任した。20%を切ると再起不能という内閣支持率が15%に迄下がっては如何ともできなかった。民主党政権になって3年目、鳩山首相、菅首相に続き、3代目の野田首相になった。先日民放で自由になった菅首相が懐古談議をしていた。首相在任中の一番の思い出は?と聞かれ、大震災が起きた3/11から3日間の超緊張の業務だったと答えた。

東電から、福島原発が制御不能になりそうなので、全社員を引き揚げると連絡してきたことに驚愕して、絶対に認められない、現場に残れ、福島第一原発4基が制御不能に陥ると、広島型原発10個分の放射能がまき散らされ、東京を含む関東圏3000万人の国民が避難を強いられ、日本国が壊滅してしまう、現地社員の引き揚げは絶対に認められない! と激怒したことだった、と話していた。

確かにこれは事実だろう。アメリカ、ヨーロッパ、中国韓国を始め、在留外国人の殆どが総引き揚げに走った事実が、福島原発が大爆走する恐怖を如実に示している。

当初は何が起こっているのかよくは理解できなかった私も、警視庁放水車がしっぽを巻いて退散し、東京消防庁が消火放水を続け、自衛隊の戦車やヘリコプターまで出動する有様をテレビでみながら、どうか無事に納まって欲しいと祈り続ける以外に何もできなかった。菅首相の心労には深く敬意を表する次第である。

しかしこのような菅首相の苦闘を、何故もっと早い時期に、国民に率直に話さなかったのかと惜しまれる。多くの国民はテレビを通して、福島原発の危機的な状況を察知はしていたが、菅首相から詳しい説明を聞けば、最高責任者の苦悩を理解し納得したのではないだろうか。

続いて、突然に静岡県の浜岡原発の運転停止を命じた理由を聞かれ、すぐ近い時期に東海大地震の可能性があると聞かされて、もし浜岡原発が暴発すると、日本の中心部が東西に分断されて、国全体として大変な事態に陥ることを心配した、との説明であったが、これは少々納得し難い。

確かに浜岡原発の危険性は繰り返し報じられており、緊急の対応策が求められているのは事実だが、少なくとも旬日又は数週間程度の議論をする余裕すらない筈はなかった。政府関係者とは全く討議しないで、菅首相の独断で巨大な発電量をもつ浜岡原発を停止させたのは、多くの国民が納得していないだろう。菅首相の決断は、日本の最高責任者としては余りにも不適当であり、精々中小企業の社長の判断といったところだ。

最後に、夏季の電力不足に対応して、海江田経産相以下の多数の関係者が、やっと円満了解にこぎつけた佐賀県九電玄海原発の再稼働を、直前になって菅首相がストレステストという言葉を持ち出して、運転再開にストップをかけ、関係者の努力を潰した事件については、 原発の安全性を更に向上したいと願った、との菅首相の説明であったが、これは全くナンセンスで誰も納得せず、原発反対派を歓喜させただけだ。

電力需要がピークに達する夏の最盛期の直前に、地元関係者が懸命の努力した結果を粉砕した菅首相の行為は、同じく政府の最高責任者としては全く落第であり、競争力に苦しみ続ける日本産業界に、更に計画停電と電力値上げという冷水をぶっかける結果となっただけだ。    

質問者から、官邸に報告される多くの情報が殆ど考慮されずに、菅首相から一方的に命令が出されてしまう、とのクレイムに対しては、菅首相は官邸という建物に情報を上げても、総理の自分には殆ど届かず、握り潰されていたと弁解した。その結果、首相自身が現地に出かけ、福島原発の吉田所長に直接電話して確認せざるを得なかったと答えた。菅首相の見解によれば、今回の福島第一原発の暴走は、決して天然災害ではなく、緊急電源の喪失を想定しなかった原子力関係者の人災であるとの総括意見であった。

菅首相の徹底した官僚嫌いは有名で、原発に関しても、経済産業省―原子力保安院―原子力安全委員会―東京電力と繋がる、日本のエリート集団の怠慢が原因であったと結論づけたが、これはかなり事実だと思う。具体的には、福島原発の現場から伝言ゲームで上がってきた情報が 官邸に届いても、官房長官が選別して、総理には断片的な情報しか届かなかったのだ。これは民間の大企業でも頻繁に起こる問題であるが、元を辿れば、菅首相が自分より力のある仙石官房長官を任命したことが間違いの始まりであり、言い訳する余地は殆どない。

私から追加すれば、日本の多くの超巨大組織においては、その決定権は全て事務系幹部に握られて、技術系社員から、10mを超える巨大津波の可能性があり、電源喪失対策が必要だと上申されても、聞く耳を持たなかった東電事務系幹部の怠慢だと言い換えてもよいだろう。 
  
最後の首相辞任の前日、福島県庁に出向いて、放射性廃棄物の一時保管を
福島県内でお願いしたいとの話を県知事に通告したのは了とする。佐藤雄平県知事は突然の話に驚いた、とか答えたが、これは単なるポーズであり、
誰が考えても福島県の原発跡以外には保管場所はないのだから。

何れにせよ、もっと早い時期に、菅首相が国民に対して率直に語りかけたら、小泉元首相のように国民の高支持率をバックに巻き返すことも可能であったかと思うと、やや残念さも残る菅首相の辞任劇であった。


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2011年09月02日

110902, 新エネルギー

やっと野田新内閣に落ち着いた。自分の発言の影響力を考えない菅前首相の脱原発方針で混乱はしたが、新内閣は地道な新エネルギー議論を始めるだろう。評論家諸子や吉永さゆり等芸能人が勝手に脱原発を言うのは無視すればいいが、責任ある立場の菅前首相まで脱原発を平気で叫び始めたので、大きな混乱を起してしまった。やはり菅首相は最後まで一介の市民活動家の殻を脱しきれなかった。

確かにエネルギー問題は難解で、誰も簡単には答えられないのは事実だろう。先日もNHKで脱原発に関する一般市民を含めた討論会があったが、評論家諸子や派遣社員など責任の軽い出席者は格好よく脱原発を主張し、経営者や学者等は減原発の意見であった。そういう私も責任の軽い一市井だが、自分の意見を勝手に述べてみる。

結論から先に言えば、当分の間は原発に頼る以外に方策はないのが現実だ。当分とは10-20年くらいだろうか?その間に代替エネルギ−を早急に開発し、生活を省エネスタイルに変更する。その間にも次の大震災に襲われる可能性があるので、現存の原発には至急大型地震対策を補強し、緊急電源の確保策を講じておく。
  
先般の東電福島原発の大爆発は、3年前に同社内部で10m以上の大型津波来襲の可能性があると提起されたが、無視されてしまったと判明した。
今に思えば痛恨の事実だが、追加対策が講じられていたら、先般の如き悲惨な大災害には発展しなかった筈だ。お隣り東北電力女川原発は15m津波の防御壁を作っていたので、水没による電源喪失を起さず、原発が暴走しなかった事実が明確に証明している。

莫大なエネルギーを要する現代社会では、原発に代わり得る一番手はやはり環境に優しい天然ガスだと私は思う。天燃ガスは化石燃料で、再生可能自然エネルギーではない、しかし原発に代わる強力な次世代エネルギーの開発は短期間にできる訳がなく、その新電源が開発される迄は、やはり環境に優しい天然ガスが繋ぎ役を果たす最有力な候補だと思う。

天然ガスには大きな特徴が2つあり、まずCO2発生量が非常に少ない。大雑把にいって石油の1/3, 石炭の1/10程度と環境負荷が非常に少ない。石油は燃料として燃やすには余りにも勿体ない天然資源であり、他の用途に使うべきである。更に近年の技術開発による天然ガスの埋蔵量が増えて、一説では今後400年間程度の消費にも耐えるほどの量があるらしい。例えばシェ-ルガスの天然ガスは埋蔵量が莫大であり、また日本近海に眠るメタンハイドレートもある。これらの天燃ガスで当分の間を繋ぎ、その間に次世代を担う強力な再生エネルギーの開発を進めるべきである。

並行して現代社会の生活様式も大きく変更して省エネ化を徹底する必要がある。生活スタイルの変更は言うは易く行うは著しく困難で、例えば私の住む住宅街には、定年退職者が溢れているが、彼らに中には家庭ゴミまで車で近くの集積所に運ぶぐうたら連中もおり、その生活スタイルの再教育は大仕事だ。結局一番手っ取り早い方法はガソリンの値上げだろう。民主党のマニフェフトに掲げる高速料金の無料化等によるガソリン浪費の奨励などは、全く愚の骨頂だ。     

また私が忌み嫌うのはバイオエネルギーだ。言葉の格好よさに惹かれて菅前首相までバイオエネギーを強調し始めたが、責任ある立場の者はもっと真面目に勉強してから発言すべきだ。世界の現人口65億が近い将来90億に急増するという時代の趨勢に、人類が飢えないで暮らせる食糧はデンプン系食料が最も確実で効率的であり、その貴重なデンプンを燃料として浪費する余地などある訳が無い。

バイオエネルギーの製法は、でんぷんか砂糖を水溶液として発酵させアルコールに変えて、更に石油か石炭で加熱蒸留して燃料アルコールにする訳で、原料の炭水化物と共に大量のエネルギーを使って蒸発するもので、2重に貴重な資源を浪費する。バイオ燃料に熱心なアメリカやブラジルは、人類を危険に曝す産業を推進している訳で、オバマ大統領も周囲のブレインの意見を十分に聞いて、早急に方針転換し、バイオエネルギーの禁止政策を打ち出すべきだ。 

自然再生エネルギーには、太陽光発電、太陽熱発電、風力発電、地熱発電など色々あり、私も詳細は知らないが、どれも力不足でしかもコスト高だ。我々素人に一番分かり易い判別は、そのコスト比較であり、コストが安い再生エネルギーは実用性に優れ、コストが高いものはそれだけ環境に適さない再生エネルギーと言える。

諸エネルギーのコスト比較に関しては諸説あり、権威者は自説に有利な再生エネルギーを安く見積り、敵視するエネルギーのコストを高く見積もる。しかし一般論でいえば、原子力発電のコストを7円とすると、石炭5円、LNG 7円、水力10円、風力15円 石油15円、太陽光発電,太陽熱発電は35円当たりがほぼ妥当なレベルであろう。即ち太陽熱 太陽光発電のコストはかなり高く、エネルギー源の主役としては馴染まない。色々な再生エネルギーの中でコストが安いのは、やはり15円の風力発電だ。

風力発電は原理が簡単で設備費と維持費も安く、低コストが最大のメリットである。問題は設置場所が少なく、どこに設置するかであり、海上と山奥が適地だ、もし国立公園法が邪魔なら、法律を変えれば済む。日本は遠浅が少ないので、海上設置には不利だが、色々工夫して浮き設備等も開発できるだろう。全ての再生エネルギーと同じく風力も天候に左右されるが、それは台数や設置場所を増やして対応する。
                        
そして技術開発が進んで、将来風力発電のコストが半分にはなるだろうから、LNGなど天然ガスと同じレベルとなれば、一般家庭用、一般工業用と大規模に用途が広がる。風力発電が素質のいいエネルギーである証拠は、ヨーロッパ各国で非常に盛んに実用化されており、次世代エネルギーのエースになり得るのは事実だと思う。   

人前では格好良く脱原発を叫んでおき、家に帰れば今度は原発など忘れて最新の電化生活に入り浸るような馬鹿げたことを続けられる時代ではなくなったのをお互いに自覚する必要があろう。
          
                       







mh3944 at 14:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治