2011年11月
2011年11月18日
111118,どうする日本農業
山田前農水大臣以下の農業関係者が反TPPデモを連日繰り広げている。日本農業はTPPの荒波を受けると滅亡すると連日の大騒ぎだ。何の具体策も言わず、ただ日本農業を守れと叫び続けている。
国会議員は誰でも日本農業が衰退した理由を知っているがタブーらしく決して口外しない。それは零細農家を鎖国状態に隔離し続けた農地法なのだが誰も触れない。この法律に守られて、日本農業は戦後60余年の時代的な大変革の荒波から隔離されて、国内の農民は鎖国状態に置かれ、将来像も後継者も無いまま高齢化して意欲を失い、危篤状態に陥ってしまった。農業を救えとデモを繰り広げる農業幹部連中も、抜本的に農業を改革する気持ちは全く無く、このまま出来るだけ長生きさせて現在の旨みを吸い続けたいらしい。
農地法という悪質なウイルスは日本農業の体内深く食い込み、農民の活力と潜在的可能性まで奪い去ってしまった。自民党が零細農民の票を確保するため、農家を隔離して土地に縛りつけた悪法だが、時代を重ねて蓋を開けてみると、そこには年老いた農民が息絶え絶えに悶えている姿だった。これは丁度、中世西欧の荘園領主が農民を領土に縛りつけて安住した結果、最終的は自分達も破滅してしまったのと同じことだ。
繰り返すと、日本農業の問題点は、自由な民間資本の参入を堅く禁じてきたことだ。具体的には、民間資本による自由な株式会社経営を許さず、農業関係者以外に土地所有を許さず、農地を支配できないように、非農業関係者の議決権を1/4以下に抑え続けてきたことだ。世界は自由な民間資本が創意工夫を重ねて農業の生産性向上に日夜努力している最中、狭隘な土地に閉じ込められた日本の零細農家は何ら対抗策も講じないまま、温室状態で無駄な年月を重ねてしまった。
今、日本で行われるべきは、農地法を完全撤廃して自由な民間資本を農業に導入し、未開拓でフロンティア状態の国内農業を徹底的に改革して企業経営に改質することだ。常に激しい競争に慣れている民間資本は、必ず創意工夫して新しい打開策を次々と打ち出してくるだろう。単なるひとつの例として、私のアイデアをご紹介したい。
日本の平均的な農家の耕作面積は2ha(ヘクタール)だという。私の実家も50年前に1.5haの農家だったから、半世紀が過ぎても殆ど何も変わっていない訳だ。 アメリカは日本の100倍以上の300ha規模と言われ、誰が考えてもコスト的に日本は太刀打ちできず、そのまま自由化すれば、圧倒されるのは自明だ。しかしアメリカは更に10倍規模3,000haのオーストラリアに対して、経営努力を重ねながら日夜工夫し対抗している。
欧米に比べると日本の農耕地は大きなハンディーがあり、平坦な農地は全体の2/3で、残り1/3は狭隘な山間地だという。先ずは民間資本をこの2/3の平坦農地に導入して、更に大規模に区画整理して耕作面積を現在の2haから10倍程度の20ha程度に拡大し、一層の機械化と効率化を推進する。そして一般企業と同様に、週休2日制の企業経営を導入する。汗と涙とにまみれた非効率な現行の農業から完全に決別し、近代的な大規模に機械化し省力化した農業に改変する。農業従事者も一般サラリ-マンと同様な待遇に変更する。休みが取れない酪農は交替制度を導入して対応する。政府は補助金とか税制面でこの法人企業を助けてもよい。
コスト的にはまだ米国に劣るかも知れないが、工業製品と違って農産物は生鮮食料品だから、鮮度や、品種、味覚、有機栽培、産地直送などなどの付加的な工夫を重ねれば、少々の価格差はカバーできると思う。
一般のサラリーマンが満員電車に揺られて雑踏の都心に出勤する代わりに、職住近接の農業従業員は、清んだ空気に恵まれた田園地帯の大規模な農場に毎朝定時に出勤し、大型機械を動かして作業し、夕方には帰宅する制度に改変すれば、農業に目を向ける若手も大いに増えると私は思う。
では残り1/3の狭隘な山間地の段々畑はどうするか?これは効率化農業から切り放して、そのままレジャー農園として都市住民に安い価格で販売する。政府は各地にモダンな簡易宿泊施設を設けて、都会住民が安く宿泊出来る便宜を図る。そして土曜日曜や連休には都市住民が泊まり込み、自分名義の土地で農作業を楽しめるレジャー農園に改変する。
旧来の日本のレジャーは単純な観光地見物や温泉だけの受身型レジャーで、多くの国民は飽きている。新しいレジャー農園は家族全員が積極的に農耕に参加する能動型レジャー変える訳だ。ここでは自分達が作った春の野菜や、秋の穀類果物を収穫し、持ちかえって料理すれば、きっと格別なレジャーになると思う。例えば稲作や野菜を作るのもよし、モモやブドウ作りもあるだろう。更には自分達が育てたイチゴやトマトも賞味できる筈だ。或いは美しい花の栽培や、花園作りに熱中する人も出るだろう。
詳細は知らないが、ヨーロッパにクライネガルテン(英名Small- Garden)と言う、簡素な別荘付きで農作を楽しむこの種のレジャー農園があると聞く。日本でも風光明媚な海山に恵まれた土地で家族が農耕に汗を流すこのレジャー農園はきっと広く受け入れられると思う。農業には日常的な管理も必要だが、それは経営企業の社員や、近くに住む農民の手を借りれば十分間に合う。
クルマが下駄代わりになった今日、従来のドライブは娯楽として無意味になった。また単純な温泉保養地も飽きられてガラガラだと聞く。海外旅行は結構な費用がかかり、ゴルフに至っては家族一同で楽しむにはほど遠い。ディズニーランドも年配者は無用、その内子供達にも飽きられる日が来るのはそう遠くないだろう。
旧来の汗と涙にまみれた零細農業は苦しくて私も嫌いだが、週休2日制の近代経営の大規模農業は大歓迎であり、生産性に追いまくられる自動車工場や電子機器工場に比べて、作業環境は格別に優れている。連休に狭くても自分名義の農耕地に家族全員で出かけて、大自然と話し合いながら農作物や花の栽培に汗を流す作業は大いにやり甲斐もある筈だ。
反対デモに専念する国会議員や農協幹部に言いたいのは、何の見通しもなく、ただ自分達の目先の利益や地位を守る為だけの反対運動は是非止めて欲しい。そしてTPP加入をショック療法として利用し、鎖国状態で眠り続ける日本農業を徹底的に変革してはどうか? 政府に働きかけて、日本農業を覚醒させれば、新らしい第四次産業として再び農業を隆盛できると思うのだが。
2011年11月14日
111114,暗かった高校時代
都心から郊外の自宅近くに会社を移して、私は職場と住居が極端に近くなったが、それでも早起きは直らず、普通のサラリーマンと同じく毎朝7時過ぎに自宅を出る。そして彼らが最寄りの駅で電車に待つ間に、私はもうPCを開いている。当然事務所には一番乗りで、暫くは誰も出てこない。
短い出勤途上だが、近くのA高校生の逆向きラッシュと行き交う。A高校はレベルは余り高くない普通高校で、国立大学には数人しか進学せず、殆どが私大狙いだ。自転車で通う生徒も多いが、楽しそうにお喋りしながら群れ歩く集団、携帯を見ながら黙々と行く女生徒、イヤホンを聞く者など色々だが、なかには受験本らしきを見ながら通学する者もいる。各人」各様だが心中には色々な悩みを抱えているに違いない。私にも無我夢中だった田舎の高校時代の苦しい思い出がある。
私の中学校では、出来る生徒は汽車で下松工業専門高校に通うが、私は最寄りのK普通高校に中古自転車で通うことになった。何が普通なのかは殆ど理解していなかったが、大勢が行くから私も行くことにしただけだ。
家督は長男が嗣ぐもので、3男坊の私は地元に居続けることは出来ない雰囲気は分かり始めていた。仮に狭い土地を分与して貰っても農業は単調すぎて気短な私にはとても似合わないと思っていた。しかし高卒で就職先を探しても自分に何か特技がある訳でもなく、やや離れた海岸近くの平生から曽根にかけて塩田地帯があり、枝条式とか流下式とか言う新しいヤグラを組んだ製塩工場があり、そこなら就職できそうだという噂も聞いていた。しかし仮に製塩工場に就職していても、日本の製塩業は輸入岩塩に押されて直ぐに全滅する運命にあり、私も解雇されるのは必定だったが、無知な田舎の青二才にそのようなことは分かる筈もなかった。
K高校2年になって何となく周囲が騒がしくなり始め、先生が受験とか進学について度々話し始め、模擬試験とか補修授業を繰り返されて、やっと大学受験が迫っているのを身近に感じ始めた。確か同級生の1割程度が大学進学する時代だった。
唯一の受験雑誌の蛍雪時代を買って、大学案内を読み、毎夜12時半から始まる文化放送の旺文社の受験講座を布団の中で聞いた。難問の英語は読解、文法、英作文と参考書は買い揃えたが、何から手をつけてよいか分からず、豆単の丸暗記に絞った。難しい数学は半ば諦め気味で、化学は教科書を頭から丸暗記することに努めた。
進学先は地元の山口大学の経済学部辺りかと思ったが、二期校なので一期校は広島大学かと考えていた。 高校二年の秋、毎年の修学旅行があり、京都旅行がお決まりだが、我が家はそのお金を工面できそうになかった。しかし幹事の同級生に、金が無いので不参加と言えず、何か適当な言い訳を考えていたが、結局京都大学を受験するので、合格すれば毎日京都見物が出来るので、京都旅行には行かないと説明した。少し本気だが殆どは言訳で、今の官僚の説明に似ている。しかし私は大きな疎外感に襲われた。後年聞いた話では、私を苦しめた修学旅行不参加は結構多かったと知り、あれほど恥ずかしさに悩むことはなかったのにと後悔した。
高校3年になっても京都大学を受験して受かる自信は余り無く、浪人生活ができる余裕は家庭には全くなかった。更に合格しても京都での生活費を出してもらえる余裕は皆無で、状況は八方ふさがりだった。しかし運よく浪人中の従兄が九州大学経済学部を受験するという話を聞き、仮に2人で共同生活すれば費用も節減できそうだということになり、九州大学に狙いを定めた。
医学部は全く無縁で、当時は隆盛の工学部に狙いを定めたが、高校のK先生から、君が西日本で最難関の九大工学部に合格できる訳がないだろう!と同級生の面前で失笑された。しかし他に代案はなく工学部に願書を出すことにした。
九州大学工学部の入試はやはり難しく、特に最終日の数学は殆ど歯が立たなかった。一応合否判定は総合点だが、一科目でも20点以下があれば不合格と聞いていたので、失敗を覚悟した私は、試験会場の窓から飛び降りようかとまで思い詰めたがその勇気もなかった。意気消沈して4時間の鈍行に乗り自宅に帰った私は、待った無しに二期校の準備を始めた。
また高校のK先生は、お前は暗いので経済学部は不似合いだと反対されたが、工学部がダメ、経済学部もダメなら選択の余地が無く、内心怒り心頭ながらも、暴君の話は黙って聞きながら、山口大学経済学部に二期校の願書を書いた。高校の先生には毎年通り過ぎる受験生の一人に過ぎないだろうが、当方にとっては生涯一度の大冒険であり、呵責なく浴びせられた言葉はなかなか忘れられない。
やはり製塩工場に勤めることになるのかとも思いながら、やる気が湧かなないまま二期校の準備で参考書をめくっていたある朝突然、新聞に九州大学工学部の合格者名簿が掲載され、自分の名前を見つけた。こうして私の孤独で苦しい高校の受験戦争は終った。
2011年11月08日
111108, 文系有利か理系か
昔から理系有利か文系有利かは盛んに議論される難しいテーマだ。ひとつは人生の有利不利は文系理系よりも、不確実な運命に左右されることの方が大きいからだが、しかし一般的には、文系の事務営業職は理系の技術職より早く出世して高給取りになるというのが世間の常識であった。
先般10/23に京都大学の西村和雄教授より次の様に全く逆の実証データが発表された。40代給与所得者の年収を調べると、理系637万円、文系510万円で、年収120万円ほど理系が有利、月当たり10万円ほど理系の所得が高かったというデータだ。更に面白いのはその先で、理系のなかでも物理を選択した人が681万円 化学が620万円、生物が549万円という専門間にも大きな差があったことだ。
物理というのは私流に言えば電気電子専攻という意味で、デジタル時代の象徴であり、反対に化学や生物はアナログ理系の代表だ。電気電子は現代社会のデジタル隆盛の基盤技術であるのは衆知の事実だ。数学は理系に共通の必須科目なのでDigitalとNon-Digitalの区別には使えず、従って物理で区分したのだろう。理系の私は残念ながらNon-Digitalの化学専攻だ。
理系文系の格差は戦前には明白で、官僚に象徴される文官は圧倒的に優位であった。理由はいろいろだが、まずは官高民低という旧来の常識があり、製造業など民間企業は蔑視された昔からの社会的思想基盤があった。更に往時は技術革新には無縁で、理系の仕事は暗く、性格的に人間関係が下手な人向きであり、年を重ねるに従って、組織内では管理職には無縁の専門分野に追いやられたからであろう。特に近年は超高給の金融業も生まれて格差を更に広げたが、日本のバブル崩壊で厳しい天罰を受けた。最近の米国ウオール街の大規模な反格差デモもその流れで、誰が見ても金融界の超高給は異常な状態だから、将来まで高給が続く保障は無いだろう。
数学が苦手の私が理系に進んだのは、お前は暗いので理系向きだと高校の担当先生に言われたのが発端だが、嫌いであった化学を専攻したのは、故郷の山口県の有名な某ソーダ会社T社に、夏休み体験実習した経験があり、故郷に錦を飾りたいとの思いもあった、しかし私より優秀な同級生に先を越されて、希望は敵わなかった。
近年の若い年代で、数十社に願書を出すという新卒文系の呆れるような就職難は理系では殆どあり得ない事だ。文系は専門は何でも社会で出て将来を決定するほど大きな影響はないが、理系は細分化された製造業など特殊な分野が対象で、その技術が分からない者は企業には無用である。近年の文系の就職難を考えると、受験生は理系も選択肢として考え直すだろうが、数学という大きな壁がある。数学は理系学生に必須科目の鬼門だが、数学を得意とする学生はごく少なく、私も大学入試では最低点であったが、何とか通過して生き延びることができた。
前記西村教授の結論は実証データだから誰も異論はなく、更にこれから専門を決める10代後半の若者は、真面目に努力して理系を修了すれば就職は殆ど困らない事を肝に銘じておくべきだろう。但し理系は必須科目が多く、講義や実験に追いまくられて、彼女を誘惑する余裕も時間もないのは覚悟する必要があるが、最近の若い女性は損得勘定に敏感で身分の安定したパートナーを望むので、努力して得られる理系の人生は果実も大きく、私も理系を推奨する一人である。
私ごとで恐縮だが、弊社は小さな機械会社で精密機器の保守点検を業としており、電気や機械などの専門知識をもたない文系は全く無用である。ハローワーク等で募集すると、理系だけでなく、文系も高い時給につられて応募してくるが、当社は幅広い専門知識を持ち、人柄の柔らかい人物を望むので、事務系とか営業系の応募者は全て門前払いしている。10人探すと1-2名程度は面接に値する人物が見つかり、更に運がよければ、素直な性格で、苦しい技術系人生に送ったとは思えない明るい人物に出会うことがある。
当社の実例で言えば、芝浦工大卒の横浜Aさんは、メカ電気技術に明るくしかも積極的で、我が社の創成期に大変助けて頂いた。取手のUさんは千葉大電気卒の優しい人柄で、大手電機会社から我が社に移り、彼の幅広い弱電知識は大いに役立った。千葉の高専電気卒のNさんは素直な性格で現場にも詳しく、永い間大きな貢献をして頂いた。しかし米国生活が長い横浜のHさんは、英会話に堪能で高度なパソコン技術を持ち縦横無尽は働くが、一寸油断すると何をゴマ化すか分からない陰湿な性格で、彼の行動は注意が必要で、長くは続かなかった。
化学を専攻して合成樹脂の企業に就職した私は、潜在的に経済学に憧れがあり、就業しながら関西の有名大学の経済学部(夜間)に学士入学して4年間通ったが、文系の専門は理系ほど大きな特異性はないことを知った。更に新聞や雑誌を通じて独学で勉強しても、十分間に合う勉強内容であることも分かった。従って文系学部は私流に解釈すると、理系ほど勉強しなくて済む学生生活であり、どこそこの大学卒という看板狙いが大きな比重を占めていると判断した。
長くなるので先を急ぐと、文系卒業者が数十社に願書を出すという呆れるような就職難は、真面目に勉強した理系には殆どあり得ないという事だ。更に誰でも代替できる文系の仕事では高給は難しく、逆に地味で嫌われる技術系の仕事は、高給を出さないと誰も来てくれないので、身分的にも保障されるということだ。
問題は所得の大小は、文系理系の違いよりも、幸運を引き寄せることが出来るか否かが、より大きく影響するという現実だ。即ち組織内において人間関係を大切にする人柄と、何事にも積極性を失わず前向きであれば、おのずと幸運の道は開けてくる。具体的に説明すれば、良い上司に恵まれるかどうかが運命を大きく左右することだ。組織の上司は自分が信頼できる部下を引き上げるのは当然であり、その為には、上司に理解される必要があり、その近道は有力な上司の元で働くことである。私は理系だが良い上司には恵まれなかったので、その幸運に預かれず、自力で運命を切り開かざるを得なかった。生き甲斐はあるが危険な道であり、安泰を望む若者には推奨できる人生ではない。
2011年11月02日
111102手賀沼エコマラソン
先週の日曜、恒例の手賀沼ハーフマラソンがあった。毎年楽しみにしているがもう17回目だそうで月日の経つのは早いものだ。それだけ自分も年をとった訳だ。 昔からマラソンを見るのは好きだが、特にスポーツの少ない冬季には大きな楽しみ、自宅近くを走る手賀沼マラソンには格別の思いもある。半世紀前の私が学生時代、卒論の化学実験の途中で、大学近くを走る朝日国際マラソンを見に出かけて実験を忘れてしまい、発火寸前になり、教授から大目玉を食らった苦い思い出もある。
天気予報は外れてマラソンには好適な薄曇りとなった。大雨が予想された大阪マラソンも殆ど降らなかったらしい。日本にはなじみ深いリディアシモン選手を招待した大阪マラソンの30,000人に比べ、風光明媚な手賀沼マラソンも人気が高いのでいつも抽選で絞っており、今年も参加者は8,000名だが、それでも本当に大人数だ。一旦始まると強烈な人波が遠々と2時間は続いて、道路の横断も出来ないほどだ。
私は、手賀沼周遊コースの途中、往路5キロ,復路15キロに当たる手賀大橋近くで毎年見る。スタート15分にはパトカー2台に先導されたTop- Runnerがやってきたが、ダントツの早さで後続は誰もいない。余りに飛ばし過ぎでそのうち落ちるだろうと思いながらも、疾風のように走る姿は格好いい。暫く経って後続の大集団が来始めた。もの凄い人また人だ。私ならとっくにへたばる5キロだが、殆どの走者は元気で観衆の声援に応じる者も多い。走る父親を応援するらしい若い母親がタスキ鉢巻に着飾ってはしゃぐ幼い姉妹を伴って待っていたが、父親はなかなか現れず、遂に私も待ちくたびれてその場を移動した。
50分近く経過して復路15キロ地点にトップランナーが帰ってきた。やはりあの男だ。後続との距離を更に広げて1km以上誰も付いて来ないほど飛ばしている。多分プロだろう。フルマラソンでは15キロはまだ序の口だから平気で当然だが,ハーフマラソン専門のアマ走者は殆どが本当に死もの狂いの形相に変わっている。後で聞くと手賀沼ハーフマラソンの上位入賞者は男女とも殆どがフルマラソン選手だという。シーズンが始まる晩秋のこのハーフマラソンは格好の実力を試す舞台なのだ。
しかしマラソンであんなに形相を変えて苦しみながら走るのは何故だろうといつも不思議に思う。勿論、生活や給料が掛っている人達、例えば積水女子陸上部員や、箱根駅伝の常連になった中央学院大学の走者が頑張るのは当然だが、手賀沼ハーフマラソンの参加者の大多数は、趣味で走る素人かセミプロ選手だ。それなのに何故そこまで苦しまなければならないのだろうか? メーカー所属のアフリカ出身者なら、記録が悪いとクビになり、無味乾燥なアフリカに追い帰されるから、死にもの狂いに頑張るのは分かる。しかしこのハーフマラソンの殆どは一般参加の趣味的ランナーであり、仮に新記録を出しても、お金が入る訳でもない。にも拘わらず彼らは年間を通して鍛錬を重ね、そして冬季の2-3回の本番レースに出る訳だ。健康維持も目的だろうが、体に過度の負荷をかけるマラソンは、余り健康的ではないだろうと私は思う。
この苦しいマラソンが日本で盛んなのはひょっとして我々にマゾ的な体質があるのかも知れない。しかしニューヨークマラソンとかシカゴマラソン、ベルリンマラソン、ロンドンマラソン等々、欧米にも有名なマラソンがあるから、やはり人間は本質的に自分を苦しめる自虐的な体質があるのかも知れない。人類の長い繁栄を願う立場からは、底知れない享楽に耽るより、余程健全で望ましいことだとは思うのだが。
学生なら箱根マラソンで目立つと大企業にスカウトされるが、それにしても大学4年間は必死の鍛錬を重ねて、更に入社できても練習を怠ると直ぐに結果に現れるから、余り効率的な就職活動とは言えない。箱根駅伝のように格別なレースでは責任感もあり失神するランナーも出る程厳しいが,私は本気で勉強するほうが余程楽ではないかと思う。
数は多くはないが、後半でも引き締まった顔付きで走るランナーもおり、天使のように神々しく走る若い女性も何人かいた。彼女達はマラソンでなくても楽に生きる道はあるだろうに、何故この苦しいレースを選ぶのか、一度話を聞いてみたいと思っていたら、今回大阪マラソンで優勝したリディアーシモン選手(38)が勝者インタービューで答えていた。マラソンは人生の苦難を乗り越える術を教えてくれると。ルーマニア出身の彼女は今でも美しいが、特に若い時は最高の美形ランナーだった、やはりマラソンには経験者でないと分からない苦しさ以上の大きな収穫があるようだ。
天気予報は外れてマラソンには好適な薄曇りとなった。大雨が予想された大阪マラソンも殆ど降らなかったらしい。日本にはなじみ深いリディアシモン選手を招待した大阪マラソンの30,000人に比べ、風光明媚な手賀沼マラソンも人気が高いのでいつも抽選で絞っており、今年も参加者は8,000名だが、それでも本当に大人数だ。一旦始まると強烈な人波が遠々と2時間は続いて、道路の横断も出来ないほどだ。
私は、手賀沼周遊コースの途中、往路5キロ,復路15キロに当たる手賀大橋近くで毎年見る。スタート15分にはパトカー2台に先導されたTop- Runnerがやってきたが、ダントツの早さで後続は誰もいない。余りに飛ばし過ぎでそのうち落ちるだろうと思いながらも、疾風のように走る姿は格好いい。暫く経って後続の大集団が来始めた。もの凄い人また人だ。私ならとっくにへたばる5キロだが、殆どの走者は元気で観衆の声援に応じる者も多い。走る父親を応援するらしい若い母親がタスキ鉢巻に着飾ってはしゃぐ幼い姉妹を伴って待っていたが、父親はなかなか現れず、遂に私も待ちくたびれてその場を移動した。
50分近く経過して復路15キロ地点にトップランナーが帰ってきた。やはりあの男だ。後続との距離を更に広げて1km以上誰も付いて来ないほど飛ばしている。多分プロだろう。フルマラソンでは15キロはまだ序の口だから平気で当然だが,ハーフマラソン専門のアマ走者は殆どが本当に死もの狂いの形相に変わっている。後で聞くと手賀沼ハーフマラソンの上位入賞者は男女とも殆どがフルマラソン選手だという。シーズンが始まる晩秋のこのハーフマラソンは格好の実力を試す舞台なのだ。
しかしマラソンであんなに形相を変えて苦しみながら走るのは何故だろうといつも不思議に思う。勿論、生活や給料が掛っている人達、例えば積水女子陸上部員や、箱根駅伝の常連になった中央学院大学の走者が頑張るのは当然だが、手賀沼ハーフマラソンの参加者の大多数は、趣味で走る素人かセミプロ選手だ。それなのに何故そこまで苦しまなければならないのだろうか? メーカー所属のアフリカ出身者なら、記録が悪いとクビになり、無味乾燥なアフリカに追い帰されるから、死にもの狂いに頑張るのは分かる。しかしこのハーフマラソンの殆どは一般参加の趣味的ランナーであり、仮に新記録を出しても、お金が入る訳でもない。にも拘わらず彼らは年間を通して鍛錬を重ね、そして冬季の2-3回の本番レースに出る訳だ。健康維持も目的だろうが、体に過度の負荷をかけるマラソンは、余り健康的ではないだろうと私は思う。
この苦しいマラソンが日本で盛んなのはひょっとして我々にマゾ的な体質があるのかも知れない。しかしニューヨークマラソンとかシカゴマラソン、ベルリンマラソン、ロンドンマラソン等々、欧米にも有名なマラソンがあるから、やはり人間は本質的に自分を苦しめる自虐的な体質があるのかも知れない。人類の長い繁栄を願う立場からは、底知れない享楽に耽るより、余程健全で望ましいことだとは思うのだが。
学生なら箱根マラソンで目立つと大企業にスカウトされるが、それにしても大学4年間は必死の鍛錬を重ねて、更に入社できても練習を怠ると直ぐに結果に現れるから、余り効率的な就職活動とは言えない。箱根駅伝のように格別なレースでは責任感もあり失神するランナーも出る程厳しいが,私は本気で勉強するほうが余程楽ではないかと思う。
数は多くはないが、後半でも引き締まった顔付きで走るランナーもおり、天使のように神々しく走る若い女性も何人かいた。彼女達はマラソンでなくても楽に生きる道はあるだろうに、何故この苦しいレースを選ぶのか、一度話を聞いてみたいと思っていたら、今回大阪マラソンで優勝したリディアーシモン選手(38)が勝者インタービューで答えていた。マラソンは人生の苦難を乗り越える術を教えてくれると。ルーマニア出身の彼女は今でも美しいが、特に若い時は最高の美形ランナーだった、やはりマラソンには経験者でないと分からない苦しさ以上の大きな収穫があるようだ。