2011年12月
2011年12月27日
111227,北朝鮮の泣き女
北朝鮮の金正日総書記が突然亡くなった。後継者の三男,金正恩は指名されたばかりで1年余しか経っておらず、権力は未確立で、総書記は大変心残りだっただろう。問題児の北朝鮮ではあったが、唯一の実力者が居なくなり、更に問題解決の見通しは不透明になってしまった。
テレビで連日放送される北朝鮮の国民の慟哭は、その激しさに我々は呆れてしまう。如何に立派な指導者であっても国民が床を叩いて嘆き悲しむのは何故なのだろう。西欧諸国も驚いて、一体これは何なのだ!という気持ちだろう。多分インチキではないかと思うだろうが、それにしても演出が過激だ。静かに冥福を祈るべき喪服の時、このように派手なインチキで糊塗しなければならない北朝鮮に、世界は更に不信感を募らせるに違いない。
親類縁者が亡くなった時に、悲しみを盛り上げる職業として、泣き女が演出する習慣が朝鮮半島にあるとは聞いていたが、今回の映像は呆れるほど物凄い。ある脱北者が語っていたが、本気で泣いている者は誰一人も居らず、テレビに映る映像は全て事前にカメラ位置まで準備された演出だと白状していた。もし演技者の嘆き方が不十分だと愛国心に欠けると諜報組織から密告されるそうだ。中国への出稼ぎ者も、荷物を纏めてき北朝鮮に急ぎ帰国していた。このような重大時には帰国して悲しみの演出に参加しないと、非国民だと言われる心配があるという。ここまで全国辻浦々まで相互監視と密告組織が張り巡らされていると, 北朝鮮の一般民衆は救いようがない暗黒の社会に暮らしている訳だ。
首都平壌の北朝鮮最大のデパートには、あらゆる種類の商品が美しく陳列されて、総書記や外国訪問団は見物できるが、部外者は誰も商品を買うことはできないと聞く。商品は全て陳列用であって販売用ではないらしい。北朝鮮にはこんなに商品が溢れるほど豊富にありますと世界にPRするのが唯一の目的だと聞いてまた驚き呆れる。
確かに総書記は中国でスーパーを見物し、韓国その他の外国のテレビ報道から、北朝鮮国民にも何とか十分な商品を供給したいと思うのは当然であり、全国の工場や作業所を頻繁に視察し、叱咤激励に走り回っていたが、総書記の来訪時だけうまく飾って騙すことに、国民全体が習熟して、完全に騙され続けていたのではないだろうか。或いは金総書記は自分が裸の王様になっていることに気づいていたかも知れないが、彼の実力をしても国全体に染み込んだこの見せ掛けの悪弊を払拭できなかったのだろう。
程度の差はあれ、実態以上に外観をよく見せようとする気持ちは日本を含めて世界中にあり、例えば日本の某ワンマン企業の社長が久し振りに来訪すると知った営業所では、全員が社内で熱心にパソコンを打っている姿を見せようとした処、逆に社長は営業部長を怒鳴りつけ、何故ユーザーに訪問しないんだ!と怒った例がある。 私の経験でも、会長が来訪する前日には終日研究を止めて、同僚と語らいながら休日気分で実験室の清掃や整理整頓に気楽な時間を過ごした記憶もある。
実力者は常にその裏事情を知らなければならないが、金総書記は多分その見せ掛けを殆ど知らなかっただろうし、仮に知っていても、国民全体の奥深く染み込んだこの悪弊は総書記の実力をしても,如何ともできなかったのかもしれない。
日本においても、内容は無視して辻褄合わせに執着する官僚組織の非効率と無責任な体質は常に批判され続けており、新任の内閣は、必ず官僚組織の効率化を叫ぶが、影に隠れた抵抗にあって殆ど成功していない。唯一小泉元首相の20万人郵政局員の民営化は国民の支持があってかなり前進し、郵便局のサービスも格段に改善されたが、古い保守勢力の抵抗は根強く民営化はまだ未完成のままだ。
3000万人国民の多くが飢餓に追い込まれて苦しむ北朝鮮では、100万人の軍隊と数%の特権階級が、恵まれた自分達の地位を守るべく、全国に強固な秘密警察と密告組織を張り巡らせている。金正日総書記でも解決不能であったこの欺瞞体質は、全く弱体な金正恩大将では更に不可触の問題であり、仮にその解決を目論もうとすると、直ちに反撃にあって金正恩自身が失脚することになるのは確実なのだから。
先軍思想に優遇された軍隊は、モノ不足に苦しむ北朝鮮において、唯一恵まれた国家組織といわれているが、その軍隊ですら近年は食糧不足に苦しみ、末端の兵士は痩せ細っていると聞く。新しい指導者に対して軍部の各派閥は忠誠心競争を始めて混乱し、どう決着するのか、経験皆無の実績ない金正恩大将は、想像を絶する程山積する難問に直面することになる。
アラブ諸国に見られるような全国民が反乱に立ち上がるには、余程の多数の犠牲が伴うだろうと予想され、秘密警察の恐怖に反抗して、ハラ減った国民が果たして立ち上れるか否か、隣国の日本としても注意深く見守る以外になさそうだ。
テレビで連日放送される北朝鮮の国民の慟哭は、その激しさに我々は呆れてしまう。如何に立派な指導者であっても国民が床を叩いて嘆き悲しむのは何故なのだろう。西欧諸国も驚いて、一体これは何なのだ!という気持ちだろう。多分インチキではないかと思うだろうが、それにしても演出が過激だ。静かに冥福を祈るべき喪服の時、このように派手なインチキで糊塗しなければならない北朝鮮に、世界は更に不信感を募らせるに違いない。
親類縁者が亡くなった時に、悲しみを盛り上げる職業として、泣き女が演出する習慣が朝鮮半島にあるとは聞いていたが、今回の映像は呆れるほど物凄い。ある脱北者が語っていたが、本気で泣いている者は誰一人も居らず、テレビに映る映像は全て事前にカメラ位置まで準備された演出だと白状していた。もし演技者の嘆き方が不十分だと愛国心に欠けると諜報組織から密告されるそうだ。中国への出稼ぎ者も、荷物を纏めてき北朝鮮に急ぎ帰国していた。このような重大時には帰国して悲しみの演出に参加しないと、非国民だと言われる心配があるという。ここまで全国辻浦々まで相互監視と密告組織が張り巡らされていると, 北朝鮮の一般民衆は救いようがない暗黒の社会に暮らしている訳だ。
首都平壌の北朝鮮最大のデパートには、あらゆる種類の商品が美しく陳列されて、総書記や外国訪問団は見物できるが、部外者は誰も商品を買うことはできないと聞く。商品は全て陳列用であって販売用ではないらしい。北朝鮮にはこんなに商品が溢れるほど豊富にありますと世界にPRするのが唯一の目的だと聞いてまた驚き呆れる。
確かに総書記は中国でスーパーを見物し、韓国その他の外国のテレビ報道から、北朝鮮国民にも何とか十分な商品を供給したいと思うのは当然であり、全国の工場や作業所を頻繁に視察し、叱咤激励に走り回っていたが、総書記の来訪時だけうまく飾って騙すことに、国民全体が習熟して、完全に騙され続けていたのではないだろうか。或いは金総書記は自分が裸の王様になっていることに気づいていたかも知れないが、彼の実力をしても国全体に染み込んだこの見せ掛けの悪弊を払拭できなかったのだろう。
程度の差はあれ、実態以上に外観をよく見せようとする気持ちは日本を含めて世界中にあり、例えば日本の某ワンマン企業の社長が久し振りに来訪すると知った営業所では、全員が社内で熱心にパソコンを打っている姿を見せようとした処、逆に社長は営業部長を怒鳴りつけ、何故ユーザーに訪問しないんだ!と怒った例がある。 私の経験でも、会長が来訪する前日には終日研究を止めて、同僚と語らいながら休日気分で実験室の清掃や整理整頓に気楽な時間を過ごした記憶もある。
実力者は常にその裏事情を知らなければならないが、金総書記は多分その見せ掛けを殆ど知らなかっただろうし、仮に知っていても、国民全体の奥深く染み込んだこの悪弊は総書記の実力をしても,如何ともできなかったのかもしれない。
日本においても、内容は無視して辻褄合わせに執着する官僚組織の非効率と無責任な体質は常に批判され続けており、新任の内閣は、必ず官僚組織の効率化を叫ぶが、影に隠れた抵抗にあって殆ど成功していない。唯一小泉元首相の20万人郵政局員の民営化は国民の支持があってかなり前進し、郵便局のサービスも格段に改善されたが、古い保守勢力の抵抗は根強く民営化はまだ未完成のままだ。
3000万人国民の多くが飢餓に追い込まれて苦しむ北朝鮮では、100万人の軍隊と数%の特権階級が、恵まれた自分達の地位を守るべく、全国に強固な秘密警察と密告組織を張り巡らせている。金正日総書記でも解決不能であったこの欺瞞体質は、全く弱体な金正恩大将では更に不可触の問題であり、仮にその解決を目論もうとすると、直ちに反撃にあって金正恩自身が失脚することになるのは確実なのだから。
先軍思想に優遇された軍隊は、モノ不足に苦しむ北朝鮮において、唯一恵まれた国家組織といわれているが、その軍隊ですら近年は食糧不足に苦しみ、末端の兵士は痩せ細っていると聞く。新しい指導者に対して軍部の各派閥は忠誠心競争を始めて混乱し、どう決着するのか、経験皆無の実績ない金正恩大将は、想像を絶する程山積する難問に直面することになる。
アラブ諸国に見られるような全国民が反乱に立ち上がるには、余程の多数の犠牲が伴うだろうと予想され、秘密警察の恐怖に反抗して、ハラ減った国民が果たして立ち上れるか否か、隣国の日本としても注意深く見守る以外になさそうだ。
2011年12月19日
111219,田舎の新事務所
会社を徒歩で10分の我孫子内に移して半年が過ぎた。以前は早朝まだ暗い時間に家を出て、1時間半かけて東京に通勤していた生活が激変した。東京でも私の事務所は京葉線新木場駅近くの下町で、華やかな都心とは凡そはかけ離れた場所だったが、それでも一応は東京勤務の気分だった。しかし職住超接近の地元に移って、色々と様変わりした印象を、記憶が失せない間にメモしてみた。
以前、朝早6:30に家を出て6:45の電車に乗っていたが、今は電車を待つ間に事務所に着き直ぐにPCを開くので極楽浄土に通勤する気分だ。サラリーマン諸氏と同様に、昔の私は、自宅と会社を往復する以外に、地元のことに殆ど無知だったが、小さな田舎町にもそれなりに人々の活動があり、住民が毎日忙しく生活していることを実感している。
例えば、私が駅に通う道はいつも同じ駅前の大通りで、歩道が狭くて少々危険だった。しかし駅へ通じる道は他に何本かあり、余裕ある地元民は少しは回り道でも、静かな住宅街と林を横切って通っており、この新ルートの景色も私はなかなか気に入っている。
駅前には大型スーパー店があり、30年前に地域一番店として出店し賑わっていたが、近年は手賀沼湖畔に便利なバイパス大通りが開通して、大手ドラッグストアや、食料品店、大手電気店、ファミリーレストラン、スポーツ用品店、カラオケ店、自動車販売店等、各種の大型店が次々と開店した。旧来の駅前通りは、ゴネ得を狙った地元住民が再開発の反対運動を長い間繰り広げた結果、殆どの駅前商店街は閉店に追い込まれて今はペンシルビルが林立する寂しい町並みになった。何だか民主党と自民党が泥試合に明け暮れている間に、中国や韓国に追い抜かれた日本経済にそっくりだ。
サラリーマンが通う駅前の大型スーパー店は、今でも正面ロビーで入れ替わり立ち替わり、色々なデモンストレーションを繰り拡げている、しかし10年前に駅の反対側の大工場が移転して、空いた広大な跡地に高層のマンション群が10棟ちかく林立した結果、商権が移動して、そちらに新しい大型スーパーE店が出来た結果、旧来の駅前大型スーパー店は急に勢いを失って寂れ始め、今では惣菜部門だけが細々と続けるようになった。特に2Fは空室ばかりで、入替わり立替わり入居する各種商店も撤退を繰り返し、怪しげな自然食品店とか、健康促進器具屋とか、英会話教室、パソコン教室、保育施設などが、開店と閉店を繰り返している。
スーパー店のホールでも色々な催しが繰り返されており、例えば、フリーマーケット、起業応援事業、絵画展示即売会、植木即売会、売残商品の格安販売、骨董品の即売会、素人吹奏楽団など面白いほど多種多様な企画が続き、地元民のエネルギーが感じ取れ、次は何のプロジェクトかと楽しみだが、人件費を考えると殆どのプロジェクトは収支が合わない筈で、出展者はボランティアなど安い人件費で運営されているのだろう。
唯一客足が絶えないのはスーパー2階の100円ショップで、行く度に占有面積を拡げている。100円ショップの低価格商品は周辺に圧力となって、近くのホームセンターの各種雑貨はその多くの商品が100円ショプに圧倒され、例えば旅行用品店は携帯用品とかトランクに巻くベルトとか等は100円ショップ品に駆逐された。しかしお隣りの本屋だけは堂々と頑張っており、再販制による定価販売の功罪が良く分かる。駅の周辺には食堂が20軒前後はあるが、従来何軒かあった中級レストランが殆ど姿を消してごく普通の大衆食堂だけが生き残っている。何だか寂しい雰囲気だ。
我が町の人口は13万人だが、大企業が殆どなく、財政的に苦しく毎月増え続けるのは仕事のない定年退職者ばかりだ。市の図書館には早朝からシルバーで溢れ、彼らは夜遅くまで帰らない。自宅に帰って寂しい思いをするよりも、同僚相哀れみながらも冷暖房完備の図書館で時間を費やすほうが気分も安らぐのだろう。しかし我が町は、老人福祉や介護関係の仕事だけは多忙のようだが、その財源は殆どが政府資金であり、結局は税金なので、海のタコが自分の足を食って生きている(?)のと同じようなことだ。役所は何とか民間資本による企業の活性化と税収増加を模索しているが、地方公務員の片手間な知恵では抜本策は見当たりそうにない。
駅の周辺には理容店が20店近くあるが、長い間守ってきた一律料金制のお蔭で客足が去り、殆どが1,000円カット店に転向した。野田首相も1,000円カット愛好家だったと聞いて驚いたが、単なるサンパツに3,000円を取るほうに無理があり長続きはできない。しかし美容院も駅周辺に同じく20店近くあるが、こちらは相変わらず高級路線を継承して激しい競争を続けている。どこも料金表は8,000円とか6,000円とか超高額な料金表を並べて、各種の優待特別割引制度を掲げているが、客足は多くなく空椅子がお客を待っている。その内に、理容店と同様に3,000円均一美容とか、2,000円スピード美容など、極端なダンピング競争も始まるかも知れない。
最近は主婦層も殆どがクルマで、駐車場なしのスーパーは存立し得なくなったが、私の住宅街には大型ドラッグストアーが4店もあり、誰が考えても超過当な競争状態だ。駅前のF社だけは駐車場なしだが駅前ゼロ分が売り物、他の3店は広い駐車場を誇るM社とU社、或いは狭い駐車場をいつも近くの図書館通いのシルバーに不法占有され困惑しているS社など、どう考えても狭い田舎町に4店の大型ドラッグストアーの過当競争の継続は難しく、そのうち半数は閉店する日もあるだろう。
何れにせよ、田舎には田舎特有の生活があり、地元の住民は知恵を絞りながらも、地域にへばり着ついて必死に模索しつつ生きている。私もその地元住民の一員になった訳だが、孫達が償還する年金に頼りながら細々と図書館通いで余生を生き永らえる同輩のシルバー諸兄とは違って、微力でも自己責任で地元経済の活性化に少しでも貢献したいと思っている次第。
以前、朝早6:30に家を出て6:45の電車に乗っていたが、今は電車を待つ間に事務所に着き直ぐにPCを開くので極楽浄土に通勤する気分だ。サラリーマン諸氏と同様に、昔の私は、自宅と会社を往復する以外に、地元のことに殆ど無知だったが、小さな田舎町にもそれなりに人々の活動があり、住民が毎日忙しく生活していることを実感している。
例えば、私が駅に通う道はいつも同じ駅前の大通りで、歩道が狭くて少々危険だった。しかし駅へ通じる道は他に何本かあり、余裕ある地元民は少しは回り道でも、静かな住宅街と林を横切って通っており、この新ルートの景色も私はなかなか気に入っている。
駅前には大型スーパー店があり、30年前に地域一番店として出店し賑わっていたが、近年は手賀沼湖畔に便利なバイパス大通りが開通して、大手ドラッグストアや、食料品店、大手電気店、ファミリーレストラン、スポーツ用品店、カラオケ店、自動車販売店等、各種の大型店が次々と開店した。旧来の駅前通りは、ゴネ得を狙った地元住民が再開発の反対運動を長い間繰り広げた結果、殆どの駅前商店街は閉店に追い込まれて今はペンシルビルが林立する寂しい町並みになった。何だか民主党と自民党が泥試合に明け暮れている間に、中国や韓国に追い抜かれた日本経済にそっくりだ。
サラリーマンが通う駅前の大型スーパー店は、今でも正面ロビーで入れ替わり立ち替わり、色々なデモンストレーションを繰り拡げている、しかし10年前に駅の反対側の大工場が移転して、空いた広大な跡地に高層のマンション群が10棟ちかく林立した結果、商権が移動して、そちらに新しい大型スーパーE店が出来た結果、旧来の駅前大型スーパー店は急に勢いを失って寂れ始め、今では惣菜部門だけが細々と続けるようになった。特に2Fは空室ばかりで、入替わり立替わり入居する各種商店も撤退を繰り返し、怪しげな自然食品店とか、健康促進器具屋とか、英会話教室、パソコン教室、保育施設などが、開店と閉店を繰り返している。
スーパー店のホールでも色々な催しが繰り返されており、例えば、フリーマーケット、起業応援事業、絵画展示即売会、植木即売会、売残商品の格安販売、骨董品の即売会、素人吹奏楽団など面白いほど多種多様な企画が続き、地元民のエネルギーが感じ取れ、次は何のプロジェクトかと楽しみだが、人件費を考えると殆どのプロジェクトは収支が合わない筈で、出展者はボランティアなど安い人件費で運営されているのだろう。
唯一客足が絶えないのはスーパー2階の100円ショップで、行く度に占有面積を拡げている。100円ショップの低価格商品は周辺に圧力となって、近くのホームセンターの各種雑貨はその多くの商品が100円ショプに圧倒され、例えば旅行用品店は携帯用品とかトランクに巻くベルトとか等は100円ショップ品に駆逐された。しかしお隣りの本屋だけは堂々と頑張っており、再販制による定価販売の功罪が良く分かる。駅の周辺には食堂が20軒前後はあるが、従来何軒かあった中級レストランが殆ど姿を消してごく普通の大衆食堂だけが生き残っている。何だか寂しい雰囲気だ。
我が町の人口は13万人だが、大企業が殆どなく、財政的に苦しく毎月増え続けるのは仕事のない定年退職者ばかりだ。市の図書館には早朝からシルバーで溢れ、彼らは夜遅くまで帰らない。自宅に帰って寂しい思いをするよりも、同僚相哀れみながらも冷暖房完備の図書館で時間を費やすほうが気分も安らぐのだろう。しかし我が町は、老人福祉や介護関係の仕事だけは多忙のようだが、その財源は殆どが政府資金であり、結局は税金なので、海のタコが自分の足を食って生きている(?)のと同じようなことだ。役所は何とか民間資本による企業の活性化と税収増加を模索しているが、地方公務員の片手間な知恵では抜本策は見当たりそうにない。
駅の周辺には理容店が20店近くあるが、長い間守ってきた一律料金制のお蔭で客足が去り、殆どが1,000円カット店に転向した。野田首相も1,000円カット愛好家だったと聞いて驚いたが、単なるサンパツに3,000円を取るほうに無理があり長続きはできない。しかし美容院も駅周辺に同じく20店近くあるが、こちらは相変わらず高級路線を継承して激しい競争を続けている。どこも料金表は8,000円とか6,000円とか超高額な料金表を並べて、各種の優待特別割引制度を掲げているが、客足は多くなく空椅子がお客を待っている。その内に、理容店と同様に3,000円均一美容とか、2,000円スピード美容など、極端なダンピング競争も始まるかも知れない。
最近は主婦層も殆どがクルマで、駐車場なしのスーパーは存立し得なくなったが、私の住宅街には大型ドラッグストアーが4店もあり、誰が考えても超過当な競争状態だ。駅前のF社だけは駐車場なしだが駅前ゼロ分が売り物、他の3店は広い駐車場を誇るM社とU社、或いは狭い駐車場をいつも近くの図書館通いのシルバーに不法占有され困惑しているS社など、どう考えても狭い田舎町に4店の大型ドラッグストアーの過当競争の継続は難しく、そのうち半数は閉店する日もあるだろう。
何れにせよ、田舎には田舎特有の生活があり、地元の住民は知恵を絞りながらも、地域にへばり着ついて必死に模索しつつ生きている。私もその地元住民の一員になった訳だが、孫達が償還する年金に頼りながら細々と図書館通いで余生を生き永らえる同輩のシルバー諸兄とは違って、微力でも自己責任で地元経済の活性化に少しでも貢献したいと思っている次第。
2011年12月14日
111214,神様のご配慮
東京から我孫子の新事務所に移転して、昼食をいろいろ試していたが、結局あるフレンチ風の小綺麗なレストランに落ち着いた。そこは牛丼並みの格安チキンカツが看板メニューである。初めは遠慮勝ちに注文していたが、客の多くはこの格安ランチだと分かり最近は安心して注文している。私は混雑しない昼前に短時間で食事を済ませて切り上げるが、読書しながら安ランチで時間をつぶしたり、仕事をする輩もいて、なんだか見苦しい。
先日少し早めにレストランに行くと市内中学の男子生徒が2人、給仕のアルバイトをしていた。話を聞くと社会科学習の一環で、どこかの店で必ず実習することになっているとのこと。一人は背が高くなかなか格好がいい。聞くと165cm超えとのことで、私より高い。一般に日本人は背丈が低くテレビに映る世界の国際会議でも見栄えせず、発言も少ないので、いつも寂しく思っているのは私だけでは無いだろう。
その昔中学生で色気付き始めた頃の私は、格好のいい仲間の長身が羨ましくて仕方がなかった。近年日本人も背丈が伸びて、男性大人は平均170cmと聞いたことがある。その内にアメリカ人に近づくかと思っていたら、欧米人も平均身長が伸びつつあるというから、簡単には追いつけそうにない。
誰でも人間に生まれたからには、背が高くて、運動神経がよく、勉強が出来て、弁舌さわやかでありたいが、残念なことに私は背が低く、走るのは苦手、口先は訥弁、数学は嫌いで、何一つ取り柄がなく、ここまで不揃いに生んでくれた親を恨んだこともあった。やはり長身で逞しい男性や容姿端麗な女性は、潜在的な優越感を身に纏いながら一生を暮せるだろうと思うと本当に羨ましい。
例えば私の近所の大手商社OBのMさんは長身だが、日常の振舞いに自分の背丈自慢が滲み出ているようで余り好きになれない。同じく昔の私の部下T君は自分の長身と英語堪能が売り物で、いちど彼とゴルフに出かけた時、私の半ズボン姿をみて、足が短いと半ズボンは余り似合いませんね!と抜かした。余りにも無神経で露骨な表現に私は思わずこのやろう!と本当に怒ったこともある。
同じく私が40代の部長時代、北関東の某印刷会社の社長令嬢が短大卒で私の部下に配属されてきたが、背が低く、お世辞にも容姿端麗とは言い難かった。幼小時代から抑圧された雰囲気で育ったせいか、性格的にも暗く何年か後に帝国ホテルで盛大な結婚披露宴を挙げたが直ぐに離婚してしまった。新郎も最初は持参金に目が眩んだのかも知れないが、気持ちの暗い新婦との生活は耐えられなかったのだろう。
何れにしても背丈が高くハンサムな俳優は少々芸が下手でも起用されることもあるだろうが、背が低く見栄えのしない俳優にはチャンスも少なく、人知れ消え去って行く連中も多いだろう。天賦の才に恵まれない俳優は余程努力しないと生き残るのが難しいかも知れない。ときどき街でみるホームレスにも、格好いい長身の男性を見かけるが、何故若い時にもっと自分のAdvantageを生かさなかったのだろうかと残念に思う。
しかし逆のケースもあり、清水市の私の元得意先D社の社長令嬢に素敵な才色兼備のお嬢さんがいたが、浜松の某医科大学の助教授に熱心にプロポーズされたが遂に断ったと聞いて、どうして?と思っていたが、清水市内のある釣餌販売業者の若造と出来ていたらしく、暫くしてその貧乏な若者と結婚したが、何年か後に、子連れで離婚してしまった。美人必ずしも幸福になるとは限らないのもまた現実であり、幸せを偏在させないように努める神様のご配慮かも知れない。
私が外資系医薬会社に勤務した時、毎年夏には世界の関係会社の社長が家族同伴で集まり、10日間のレジャー休暇を一緒に過ごすのが恒例であったが、アメリカや北欧からの参加者は殆ど圧倒的に長身だったが、逆にイタリア、スペイン、ポルトガルなどラテン諸国の家族は、我々と似た背丈で、特に中学生前後の少女達は眩しいほど愛くるしかった。しかしその母親は、少女達からは想像できない程見苦しく太った中年女に様変わりしていた。一生を美人のまま過ごして高慢になり過ぎないよう、ここにも神様の配慮があるのかもしれない。
クレオパトラの鼻ではないが、平均的には容姿端麗の人は幸運に恵まれ、特に女性は容姿が彼女の運命に大きく影響し、容姿に恵まれない女性は努力しても幸運を掴むのは難しいこともあるが、必ずしも筋書き通りには進まないのも人生だと思う。逆に男性は少々不細工でも努力すれば何とか自分の活路を切り拓けることもあるから、私も男性に生れて良かったかと、親に感謝しようと思うことも時々はある。勝手な人間には神様も呆れているかも知れないが。
2011年12月07日
111207,柏レイソル
111207,柏レイソル
柏レイソルがJ1優勝した。今春にJ2から昇格したばかりなのに、J1の強豪並みいるチームを蹴散らして優勝した。レイソルはそもそも日立本社サッカー部として東京小金井で発足し、20年前に活動拠点を常磐線の人口40万人足らずの柏市に移したが、巨大都市の有力他チームを圧倒して優勝してしまった。
このレイソルも近年は永い間低迷が続き、アジア大会で見事なボレーシュトを見せた李忠成は広島に移り、大津はドイツに移籍して、戦力的にずば抜けた選手は皆無、全日本代表チームには一人も送り込めない無名選手ばかりのチームだ。2年前にJ2に降格して一昨年途中からブラジルのネルシ-ニョ監督が指揮を取り始めて、突然様変わりし、J2優勝を果たしてJ1に復帰した。そして今季J1ではシーズン始めより圧倒的な強さで、名だたる伝統チームを圧倒し、昇格即優勝という外国にも殆ど例がない勝利を果たした。
隣町に住む私は、柏在住の中学生の孫がサッカーに熱中していることもあり、時々レイソルの試合を見るようになった、最終戦の浦和レッズ戦も結果は3:1であったが、内容的には柏が雨の如く25本の強烈なシュートを放ったのに対して、浦和のシュートは数本で、やっと柏を3点に抑えたという圧倒的なゲームであった。
あの弱々しいレイソルが何故このように変身したのか? マスコミ情報によると、1年半前に就任したネルシーニョ監督の手腕だという。曰く柏レイソルには先発が決まっている選手は一人もいないという。選手とのコミュニケーションを重視し、顔を見れば何を考えているか分かる迄クラブ員を掌握し、若手や無名選手にもかかわらず調子が良ければすぐ起用するので、毎回が試合に出る為の競争だそうだ。
サッカ−の監督に就任すれば誰でも考えそうなことだが、ネルシーニョ監督はそれを実行して、そして成果を挙げた。ブラジルから来たレアンドロ、ジョルジワグネル両選手も、今季は各々15ゴール、11ゴールと見事な働きをして、J1復帰に大きな貢献を果たした。
チームプレイのサッカーだが、選手は自己顕示欲が激しく言葉ではチームの勝利に貢献すると上品だが、内容は如何に自分を目立たせるかを狙うスポーツだ。ピッチに立つと頑張るだけではなく、結果を出す責任を負わされる。そして結果が出なければ次回は使って貰えないだけだ。
ネルシーニョ監督はチーム内で、お互いに徹底的にポジションを競い合う意識を植え付け、ベンチに残る誰が出ても同レベル以上の成果を出せるようにしたのだという。確かに優勝がかかった今季の最終戦にも、大黒柱の33才北嶋選手は出場できなかった。代わりに24才若手の13ゴール田中や、21才7ゴールの工藤らが大きな働きをした。
サッカーを観戦して感じるのは、強力チームと弱小チームの試合も、流れによってはどちらが勝ってもおかしくないゲーム展開があるが、最終的には勝つべきチームが勝ってしまう。何故そのような結末に終るのか、多分僅かな気合いの差や見通しの違いが結果を大きく左右するのではないだろうか。例えば今季最終戦の浦和レッズ戦でゴール前混戦が繰り返されたが、こぼれ球を予想したレアンドロは、左側ライン近くで待ち伏せ、こぼれてきたボールを強烈にシュートして貴重な初得点を挙げた。少ないチャンスでも見逃さずに得点に結びつけるということだろう。
監督になる程の人は誰でもサッカーの内情を十分理解して、チーム構成員を理解するよう考えるであろうが、ネルシーニョ監督がやり遂げたのは、ピッチサイドで、派手なジェスチャーで指揮することではなかった。日常の練習を通じてクラブ員と徹底したコミュニケーションを計り、自己顕示欲の強いクラブ員との信頼感を醸成して、彼らの意欲を競わせ合わせながら全体のレベルアップだった。ネルシーニュ監督の今季の目標はJ1上位入賞だったそうだが、優勝してしまった。
2011年12月02日
111202,ハワイと観光立国
先週、家内や子供達とハワイに出かけた。ホノルルは日本人の海外旅行のメッカであり、オアフ島全体は庭園の如く美しく整備されている。年配の日本人には忘れられない真珠湾攻撃の記念施設もあり、我々の先輩の苦悩に思いを馳せながら見学した感慨深い旅行であった。しかし観光業に燃えるハワイも色々な問題を内蔵していることが垣間見えた。
今回はホノルル中心街のSホテルに宿泊した。繁華街のど真ん中に立地し太平洋に面した素晴らしいホテルだが、設備的にはいろいろガタがきていた。例えば、部屋に置かれたホテルの案内冊子が中途から上下逆さまに綴じられたままだ。破損した冊子を修復する時に、上下逆さまで綴じたらしい。読む途中で逆さにすれば用は足りるが、日本ではあり得ないことだ。毎日部屋を清掃するメイドは知っている筈だが、ご自分の仕事ではないのだろう。
昔は電話オペレーターに依頼していたWake-Up-Callは、デジタル時計で自分がセットする方式になっていたが、設定した時間に鳴らなかった。セットの仕方が間違っているのかと思い、何回も試してみたが鳴らない。殆どが新婚客などの観光目的だから、それでも済むのかも知れないが、何とも大らかなものだ。浴室のシャワーも水漏れして、日本なら直ぐに修理する筈だがハワイでは放置されたままだ、シャワーが浴槽の外に漏れなければOKというところか。日本では常識のウオッシュレット式トイレが設置されていないのは、邦人を最大の得意先とするハワイとしては配慮が足りないと思った。
しかしハワイにも時代の変化は確実に影響しつつあり、最近は韓国や中国からも多数の観光客が訪れるらしく、案内板にも日本語に加えてハングル等が追加され、私は何回もニイハオ!と歓迎の挨拶をされた。
太平洋ではハワイの独占的な地位を脅かすような他の有力な観光地がない為、ホテルの設備が少々壊れていても営業には関係ないかも知れないが、ハワイ生まれの若者達には永久に住み続ける島ではなさそうで、我々を案内してくれた年配の日系男性は、自分の子供達は全て米国本土に出稼ぎで働いていると話していた。観光業は条件が整備されれば簡単にお金を稼げて、内容を選ばなければ仕事に困ることはないだろうが、青雲の志に燃える若者が一生を託す仕事としてはなかなか満足出来ないのだろう。
日本の大学新卒が就職を希望する職種として、女子では観光業は常に上位を占めているが、男子にとっては嫌われる職種だと聞く。若い女性には旅行プランの作成とか海外同行旅行とかは、興味深深かも知れないが、血気にはやる若者にとっては、毎日が手間仕事の域を超えないのだろう。
観光慣れしない一見の素人客にはハワイは最高のレジャー地であり、日本で言えば京都とか奈良、箱根、日光、熱海、別府など、目先を楽しませてくれる場所だが、段々旅慣れすると薄っぺら過ぎて面白くなくなるらしい。
先日テレビで報じていたが、日本を度々訪問する欧米の観光客は都心のホテルではなく、台東区上野とか谷中の古びた日本式旅館など、我々が思いもよらない裏町の旅館に泊まると聞いた。宿泊費が安いこともあるが、何故あんなに薄暗くて不便な宿に好き好んで?と思っていたが、そこには日本の古い慣習や仕来り、街並みや暮らしがあり、更に普段の日本人の日常生活が見えて本当に興味深いのだそうだ。
日本政府が叫んでいる観光立国も、単なる東京や京都ではなく、越中八尾の風の盆とか、岐阜高山とか白川郷、大分湯布院など、自然豊かな田舎の町は、訪問すればするほど新しい発見や、歴史の深みに触れることができて欧米人を魅了すると思うが、それには政府も本腰をいれて環境整備やPRなど、相当の覚悟と努力する必要があると思う