2012年01月

2012年01月30日

120130 コダックが倒産した

先週の新聞にコダックの倒産を報じていた。長年に渡り世界に君臨した世界の名門コダックが倒れたと知って驚いた。私自身も長年コダック社とは因縁浅からぬ関係があったことを思うと、感慨深い思いがある。
                   
今から40年前に遡るが、インドネシアのジャカルタ駐在員のS氏宅を初めて訪問した時、私は自分のカメラを玄関先に置き、広い邸内を案内してもらった。S氏邸は高い塀で囲まれた大邸宅で、庭の片隅に住む男性使用人、室内で料理を担当する女性使用人、室内で掃除兼秘書役を担当する女性、及び自家用車運転手の4名の現地使用人を使っており、各使用人の厳格な役割分担にも驚かされた。食事を済ませてホテルに帰る時、私は玄関先に置いたカメラが無くなっているのに気づき、室内担当の女性使用人に、私のCameraを知らないかと聞いたが、彼女は知らないと答えた。

まさかこの厳重警備の邸宅にドロボウが入ったのかと騒ぎになり、探したところ、女性使用人の部屋で見つかった。盗みを疑った私は険悪な形相で彼女に問い質すと、あ!貴方が探していたのはKodakですか? 貴重品なので自分の部屋に置きましたと、彼女は澄まし顔で答えた。    
 
あっけにとられた私はSさんに訴えると、インドネシアではCameraは理解できず、Kodakと言わないと通じないのだ知った。日本のカメラが世界を圧倒し始めた時代の話だが、東南アジアではニコンもキャノンも通じず、依然としてKodakがカメラの代名詞であるほど有名だった。 

今度は30年前の話だが、私は高分子同友会という、化学業界の技術勉強会の世話役で、毎月著名な先生や専門技術者を呼んで、科学技術や業界の将来動向を話してもらう談話会があり、ある時富士フイルムの技術本部長を講師に招いた。同氏はデジカメと旧来の銀塩写真フィルムとの競争力について、あの銀塩の微細な結晶は、デジカメでは決して再現出来ない極限であり、いくらデジカメの高密度化が進んでも、銀塩粒度の超微細さには絶対に追いつけないと声高らかに断言したのを、今でもはっきりと記憶している。しかし年月が経つ間に、銀塩写真フィルムはデジカメに完全に淘汰されてしまった。

あの自信満々な本部長さんも今頃は引退して、湯河原あたりの別荘でのんびり暮らしておられるかと思うが、コダック本社も銀塩フィルム信奉で会社を潰したことを思うと、富士フィルムの本部長が間違うのもあり得ることだと思い直している次第である。

今度は20年前の話だが、私が日本DPCの社長を勤めていた時、我々が世界に先駆けて遺伝子組替DNA法による、画期的な診断薬を開発して、米国特許を申請し、コダック社が世界を独占していた免疫法診断薬を駆逐する作戦を進めていた時、突然米国コダック本社の特許部長が千葉市幕張の小さな我が社に来訪したいと申し出があった。  
                   
当時のコダックはIBMと並んで、世界で最も強力な特許戦略を進める最強の技術戦略会社であり、トヨタの豊田市と同様に、米国オンタリオ湖畔に大都市ロチェスターを築いているコダック本社は、極東日本の片田舎の零細な我が社から特許攻勢を吹きかけられたと知って憤慨し、恫喝しようと特許部長を派遣してきた訳だった。技術的には当方が圧倒的に有利であったが、コダックは複雑怪奇な論文を持ち出して、技術の分からない東京地裁の裁判官を徹底的に煙に捲く作戦をとり、数年間に渡って論争になった。最終的には我が社が優勢で和解となり、製造権と販売権を確保したが、シロをクロと言いくるめるコダック特許部門の攻勢力には驚かされた次第であった。

何れにしても、今日の圧倒的なデジタル隆盛の現状を見れば、銀塩を信奉して倒産したコダックの戦略が間違いだったが、コダックは、選択と集中の戦略に従ってデジタル分野を排除し、銀塩フィルムに集中投資するという致命的な誤りを犯した結果、倒産した訳である。米国GEの有名なジャックウエルチ会長の、分野を選別して集中的に投資せよ!というという言葉を信じ、間違った選択をした結果でもある。

身近な例では日産のゴーン社長が技術開発部門の最大テーマのハイブリッド車を無用と判断して破棄した決断も同じ愚かな判断ミスであり、如何に有名な格言でも、誤った解釈で間違って選択をした分野に集中投資すると、致命傷になるという典型的な事例である。





mh3944 at 08:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2012年01月23日

120123 不器用者の生き方

テレビを見ていると、最近の小中学生は自分の意見を実に堂々と発言している。私の幼少時代とは比較にならないほどしっかりと自分の考えを表現するので羨ましい限りだ。

山口県の片田舎で育った私は不器用で訥弁だったので、器用で口達者な同級生達にはいつも劣等感を抱いていた。特に中学高校時代の国語が一番苦手だった。級友達が見ている読本を私が引っかかりながら読むのが非常に恥ずかしかった、吃音気味でうまく読めないのを、無知で読めないと誤解される屈辱は辛かった。しかし英語は大好きだった。外国語なので吃っても当たり前だったから、そのため英語が大好きになり、高じて英語が段々と話せるようになってしまった。

舌回りをよくする為、私は英会語を大声で朗読する習慣を始め、数十年間に渡って、毎朝大声で英会話を朗読し続けている、事情を知らないお婆ちゃんにはいつもうるさいと嫌っていた。しかし分厚い英会話テキストを永年読み続けると、自然に文章を丸暗記してしまい、その為、英会話が苦にならなくなった。

尼崎工場に勤務していたとき、いろいろ経緯があって1000人近い単組の書記長を勤めることになった。特に春秋の組合大会で、書記長の経過報告には大変苦しんだ。大勢の前で原稿を読むことは本当に苦手で、できる限り原稿を見ないで演説した。考えながら話すと、詰まっても自然で恥ずかしくなかった。その結果、原稿を読まないで考えながら話す習慣が段々と身についてしまった。

国会議員の偉い諸先生が、原稿を読みながら話すのを、私は好きではない。自分の信念の表明なら、思うままに話すのが最も自然で説得力がある筈だ。分厚い原稿を読むのは首相の施政方針演説だけで結構で、原稿を見ながら議論するのは全く説得力がない。アメリカ大統領とかイギリス首相は、殆ど原稿を見ないで演説するがよほど説得力がある、

恥ずかしいが私は字も下手だ。妻は素晴らしく美しい書き手で、書道師範の資格をもつが教室を開く気はない
、私の長兄もきれいに書いていたが、次兄は余り見たことが無く、3男の私だけは悪筆であった。学生時代の筆記試験では私はかなり損をしたと思う。毎年年賀状等を書くのが恐怖で、上司とか気になる女性に出す時は、悲しくなるほど書いては破り書いては破りした。

会社員になってレポートを書くのが苦手で、上司から度々怒鳴られた。その結果、パソコンが入ったと私は直ぐにマスターした。今日ではビジネス書類は全てパソコンなので、悪筆に困ることは無くなったが、逆に年賀状が全てパソコンに代わり、相手の顔が見えなくなったので、相手の名前だけをちらりと見る寂しい時代に変わってしまった。 悪筆も相手の人柄を表し結構味わい深いものだったかと、少し名残惜しい。英語にも達筆と悪筆があるが、ラブレターだけは絶対に直筆で書く習慣だと聞く。タイプで書くラブレターは厳禁で、熱い心が伝わらず、まず拒絶されるそうだ。

私は運動神経も鈍く、小中学校時代の運動会は大嫌いであった。400m競走はいつも同じメンバーで、結果は殆ど変わらず、私はいつもブービーかメーカーであり、誰か転ばない限り私は入賞できなかった。 しかし中学高校生の孫達は運動会のフィナーレを飾る紅白リレーにいつも出場するので、私にとっては大きな誇りと喜びであり、神宮で短距離を走ったことが自慢だったお婆ちゃんの遺伝子には頭が上がらない。

自分の不器用さをカバーする為、私はいつも運動を心がけ、毎朝の通勤は駅までの1.5キロを必ず歩き、夕方帰宅する時は、雨降りでも駅前の100円ショップで傘を買って歩くので、自宅には安物傘が山のように貯まり、いつも家内が文句を言っている。勿論20分歩くよりクルマで瞬時に行くほうが快適に決まっているが、必ず歩くと決めていると1.5キロ程度もごく短時間で全く苦にならない。

その結果かどうか分からないが、私の住む隣り近所の同輩リタイア組は日頃はごろごろして、月いちゴルフで健康維持に努めているが、肥満体や糖尿病で苦しみ、何人かは亡くなり、現在入院中の同年配もいるが、私は元気でまだ現役で仕事を続けられることに感謝している次第。 ひとは誰も完全で万能には生まれず、色々な欠陥を抱えて生きているが、仮に不器用で口下手で悪筆あっても、案外面白い生き方が見つかるものである。
 










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2012年01月16日

120116,気象庁の大誤報

東日本大震災で2万人近い犠牲者が出たのは本当に悔やまれる。同胞が大津波に流されていくテレビ映像を何回も見たが涙が止まらない。何故このように多数の犠牲者を出したのだろうか? 想定外のM9の大地震であったと関係者はいう。しかし阪神大地震は激震で建物が倒壊し、あっという間に多数の犠牲者を出したが、今回は激震があって大津波に襲われる迄、少なくとも30分程度は余裕があったのに、何故逃げられなかったのか。 多分関係者は自分の責任になるのを恐れて本当の理由を口外しないのではないだろうか。私は独断と偏見で、今回の悲劇の本当の原因を考えてみた。関係の意見も伺ってみたい。

1)まず第一に私は気象庁の無責任が最大の原因だと思う。 気象庁はひたすら黙り込んで嵐が去るのを待っているようだが、犠牲者が膨大な数に上った主因は気象庁のいい加減な第一報だったと私は思う。あれほどの激震にも拘わらず、気象庁が最初に発表したのは、高さ3m程度の津波の予報だった。これで殆どの住民はかなり安心してテレビやラジオのスイッチを切ってしまった。そのあと30分が経過して恐怖の大津波が東北沿岸に襲いかかり、住民が逃げ惑っている最中に、やっと気象庁は高さ6mに修正した。そして更に15分後、巨大津波が住宅を破壊し、住民が激流に飲み込まれて溺死している最中に、気象庁は高さ10m以上の巨大津波に変更した。全く無責任極まりない予報だった。この気象庁の大誤報により、犠牲者が増大したのだと私は思う。

更に日本のごく近海で発生した大地震にも拘わらず、気象庁はM7.9と誤発表もしたのもあってはならないミスだ。米国からM9だと訂正勧告を受けて、始めてM9の大地震だったと訂正した。日本気象庁のいい加減さには呆れてしまい、国民を愚弄するにも甚だしい。気象庁幹部の誰一人、自分たちに責任があったと誤り、辞表を出したと聞かないのは本当に不思議なことだ。
            
仮に津浪の高さが分からなかれば、巨大津波の来襲が予想されるので直ちに高台に避難するよう緊急警告していたら、住民の多くは驚き慌てて高地に避難したに違い。そして犠牲者も激減した筈だ。それを津波は精々3m程度だから(防波堤で持ち堪えられる程度だから、慌てて逃げなくても大丈夫でしょう)と言わんばかりの発表をしたから、殆どの住民はかなり安心してしまった。そして30分後に突然山のような大津波に襲われてしまったのだ。気象庁役人の無責任さがこのような多数の犠牲者を生んでしまった。確かに自然災害ではあるが、責任官庁の気象庁がいい加減な発表をした結果、住民をひと安心させて膨大な犠牲者になってしまった。これだけの犠牲者を出しながらも、彼らは誠実に自分の組織を総括することは避けて、ひたすらに嵐が過ぎ去るのを待っているのも情けない話だ。

2)次に見逃せないのは、我々住民側の野次馬根性も原因のひとつではなかったかと思わざるを得ないテレビ映像を何回かみた。 例えばあるテレビでは引き潮で河川の水が殆ど無くなってしまったのを何人もの男が河岸の土手にあがり、次に来襲するであろう津波を待っている若者達を写していた。そして直ぐに大津波が逆流し始めたが、それでも若者達は逃げないで見守っている。近くの建物の屋上からは直ちに避難するよう狂気のように叫びつづけるのを知らん顔で、逆流してくる高波を興味津々と見ていた。更に何処か田舎紳士の風情で道路をゆっくりと歩きながら避難している呑気者も何人かいた。そして巨大津波が一気に襲いかかり、河岸の若者達や路上の紳士連中を一気に飲み込んでしまった。このようなテレビ放映を私は繰り替えしみたが、多分東北の沿岸の各地でも同じような、野次馬根性の逃げ遅れが犠牲者を増やしたであろうと思う。 

3)次にクルマ信仰も大きな原因だと思う。激震で津波が来襲することは全員予感し、避難しようか家庭に帰ろうかと迷いながら急いでクルマに乗ってしまった。全く奇妙なことだがクルマに乗ると、何故か自分だけは安全地帯に避難した雰囲気になってしまう。雨風や嵐が来襲しても外部からは隔離されて、自分はいつでも逃げ出せる安全地帯にいるような気持ちになってしまう。確かに普通の状況ではクルマは非常に安全だが、クルマの致命的な欠陥は、一端渋滞に巻き込まれると、安全で逃げ足抜群な機能を一挙に失い、単なる棺桶になってしまうことだ。そのことまで頭は回らず車のすぐ後ろに巨大津波が迫っていても全く気づかず、渋滞解消を待ちながら、突然激流に押し流されてしまうクルマを何台も見た。余りにも身近になり過ぎたクルマ信仰に騙されて、今回も多数の住民が愛車もろともに濁流に乗ってあの世に行ってしまった。 

4)もうひとつの原因は緊急時に現場の責任者が右往左往し過ぎたことだ。例えば石巻市大川小学校の事件もそうだ。地震到来で全校学童110名を校庭に集めた迄はよかったが、すぐ隣の裏山に避難するにどのルートから登るか決まらず20分-30分の間、小田原評定を続けている最中に、突然大津波に襲われ、大半の90余名の幼い命を濁流に呑み込まれてしまった。災害発生時に、議論する余裕などないに決まっているに誰もリーダーシップを発揮せず、多数の貴重な命が一挙に失われた。まったく先生達の無能力にも呆れてしまう。介護施設などの院長や事務長にも同じリーダーシップが求められ、誰から救い出すか、難しい判断を迫られることになるので、事前の訓練が不可欠となる。    

確かに1000年に一度の大地震かも知れないが、それを言い訳の免罪符にしては、気象庁の第一報を信じて突然大津波に飲み込まれた地元住民は救われない。オオカミ少年では困るが、これほどの激震に襲われたら、津浪は3m程度でしょう、などの当てずっぽうな発表は厳禁であり、安全第一の緊急警報を出すことが非常時を担当する公務員の責任である。  





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2012年01月10日

120110,頑張れドジョウ

年も明けて冬本番だが、これから季節は間違いなく春に向かう。しかし日本の政治はなかなか明るさが見えず、就任したばかりの野田首相の支持率は下がり続けている。半年前に就任したばかりなのに終に内閣支持率が30%となり、不支持率が49%に達したとマスコミが騒いでいる。地味な新首相は、政策を実行し始めた段階で、まだ確たる判断材料がある訳もないのに、国民は早々と不支持の判定を出した。何とも無責任な話だ。我々日本国民の浮気性はいつものことだが、半年余りで内閣が信頼できるか否かを判定できるとはとうてい私には思えないのだが。

ロシアのプーチン首相の支持率も下がって50%になったとテレビで報じている。政治のトップが批判の嵐にさらされるのは常だが、10年前に大統領に就任して80%以上の高支持率を誇ったプーチン氏は、その後首相に転向したり色々あったが、ロシアの揺るぎない指導者として10年以上の政権を担当したのだから、不平不満がたまるのも仕方ないと思う、しかし野田さんは首相就任後1年未満で、支持率がたった30%に落ち込んだとは如何にもひどい。殆どの国民は不支持になったということだ。

アメリカのオバマ大統領も今秋の改選期を迎えて不人気がささやかれ、共和党は政権奪回のチャンスと対抗馬選びに熱を帯びている。確かにChange!と大声で叫んで当選して、めぼしいChangeが無ければ仕方ないが、オバマ氏だって既に4年が経過している訳で、下がったと言ってもまだ支持率は50%を超え、半年前に発足した野田首相とは事情が違う。

日本では、野田首相だけでなく、安倍元首相、福田元首相、麻生元首相、鳩山元首相、菅前首相と殆どの首相が、例外なく就任後支持率を急速に下げるのは何故だろうか? 何だか国民の支持率に関する考え方が違うのではないだろうか? 個人的な意見だが、日本の支持率とは、内閣が政策を実行した成果の判定ではなく、単なる好きとか嫌いとかの人気投票の域を出ていないのではないだろうか。即ち新鮮味が無くなったということだけかも知れない。

確かに小泉元首相は高低の波はあったが、平均して50%前後の支持率を保って4年間政権を維持した。小泉さんは腐り切っていた郵便局の効率化と民営化をスローガンに、大改革を頑固に押し進めた。まだ目標は未完成だが、郵政批判で目覚めた郵便局は、その後の業務内容が格段に改善されて、見違えるほどサービスが良くなったのは誰もが認めるところだ。

大阪橋下市長の人気も高い。地方自治体のなかで最も悪評が高く、高給を侍りながらも体質的に非効率が浸透して、汚職の臭いが立ち込めていた大阪府の役人共の徹底的な効率化を進めているからだ。テレビでみた橋下知事が泣きながら大阪府下の市町村長と激論を交わす姿をみて、彼の本気度を私も納得したのである。

そこで私は野田首相にアドバイスしたい。マスコミの支持率発表に気をとられて右往左往しないで欲しい。世評を重視し過ぎると歴代の首相と同様にマスコミの餌食になるだけだからだ。まず支持率は浮気っぽいものと覚悟して無視することだ。そして自分の信じる政策を思い切って実行して、突っ走る以外に生き残る道はないと思う。
私が野田首相の立場なら次の政策を掲げて突っ走るだろう。

1) 社会保障と税の一体改革
2) 国会議員を大幅に減らし国会を効率化
3) 公務員数と給料を削減し官庁の効率化   
4) 生活環境を改善する諸施策を実施。
5) 外務省を強力な集団に編成変え。    

民主党は大騒ぎを重ねてやっと4年後に消費税を10%に上げることを決めた。欧米諸国の殆どは20%前後で、高成長中のお隣り中国でさえ17%の消費税なのに、世界で最も高齢化が進んだ日本がたった5%は余りにも低過ぎる。GDP比の国債残高でみてもあの野放図なイタリアでさえ128%, 米国103%, ドイツ87%に対して、日本は220%で、地方債まで含めると940兆円の天文学的な借金を作り上げているのだ。赤ん坊も含めて一人当たり800万円の巨額な借金を抱えているのだ。これだけの重荷をヘ理屈をつけて、子供や孫にその返済を肩代わり負担させるのは、誰が考えても無責任に過ぎる。

消費税値上げに反対して9名の民主党議員が脱退したが、彼らの殆どは比例区1年生議員で、次回の選挙では落選確実だから、この際に何とか目立っておこうという魂胆がミエミエだ。小沢派も消費税は据置きとマニフェストに書いてあると増税反対叫んでいるが、昔の求心力を失った小沢元代表が、何とか派閥を立て直す方便として利用しているだけだ。世論の風向きが変わると彼は直ぐに主張を引っ込めるのは確実なのだ。

国会議員の削減と官庁の効率化も野田首相の仕事だ。大体日本の国会議員が衆議院480名+参議員242名,合わせ722名とは余りにも多すぎる、1000名以上の国会議員がいるというギリシャに良く似ている。更に参議院は一度当選すると6年間は寝て暮らせる身分が保証されているのだ。粗製乱造に過ぎるから順番を待つ人を起用せざるを得なくなる。例えば素人を自認する一川防衛大臣とか、自分が監督する消費者金融からお金をもらっていた山岡消費者省担当大臣、ヤクザまがいの松本防災担当大臣なども出てくる訳だ。民主党案の衆議院80名削減ではまだまだ甘い。ある議員の私案では、良識を失って政党化し,その存在意義を失った参議院を廃止して衆議院に統合し、議員総数も500名に集約する大胆な試案もあるそうだが、大変結構なことだ。憲法改正が必要なことを盾に、保身目的で猛反対する議員も多いだろうが、余り活発に反対し過ぎると次の選挙での自分の首が飛ぶのは確実だから、無視して強行すればいい。

国家公務員の給料切り下げも直ちに実行すべきだ。近年の不景気で民間企業は大幅に給与を減らしているが、公務員にはまだまだ甘い、野田首相は範を垂れて率先して橋下大阪市長のように、公務員の給料切り下げを実行すべきだ。国民の目があるから、紆余曲折はあっても成功するのは確実だろう。

しかし後ろ向きの政策ばかりでは国民は夢を失ってしまう。生活環境を改善して社会に明るさを与えてほしい。具体的には色々あるが、例えば政府はベンチャー起業等、経済を活性化する諸政策も実行すべきだ。例えば各地に極めて割安なベンチャー起業促進施設を設け、資金援助やアドバイサーを任命して、野心に燃える現役世代や、意欲あるシルバー人材の経験を生かし、埋もれた起業化精神にチャンスを与えて欲しい。

また子持ち中年女性の社会復帰にもチャンスも与えてほしい。結婚退職して埋もれる貴重な人材を生かさないのは、国家的な知的資産の浪費だ。幼稚園や保育園の合併も直ちに実現して子育ての心配をなくして女性が働ける環境を整備してほしい。文科省や厚生労働省の役人共は、幼稚園と保育園とは設立意義が違うとか、ヘ理屈を吐いているが、本末転倒であるり、自分の省庁を守ることを最優先する小役人共の詭弁は無視することだ。

又増え続けるシルバー人材にも夢を与えて欲しい。現在のシルバー人材センターは各市町村内の仕事に限定し、その行政区域を超える仕事をさせない。これでは豊富な知識をもつシルバー人材の手足を縛っているのと同じことで、結局庭の手入れとか草取り等の軽作業を低い時給で提供しているだけだ。溢れる意欲のはけ口を求めてシルバー人材は東南アジアに出かけて貴重な技術を垂れ流している始末だ。狭苦しい行政枠は直ちに取り払って彼らを思う存分に活動させるべきだ。

最後に、完全にグローバル化した世界では、機敏で権威ある外交が不可欠だ。昔のような単なる情報収集、出張手伝い出迎えホテル手配、等から直ちに卒業すべきだ。外務省は、自己の組織防衛は止めて、真剣に創造的に国益の為に行動する組織に改編すべきだ。従来の日本外交は、自国の主張は殆どせず、米国の顔色ばかり気にし過ぎる。このままでは3流国家に陥ってしまう。華やかな駐在員生活を夢見て受験勉強だけに専念してひ弱に育った頭でっかち東大OBは排除して、国際的な荒波にもまれた有能多彩な人材を外交官に起用してほしい。  









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2012年01月05日

120105,フラメンコ

正月3日、友人と食事した帰路、駅前イトーヨーカドーのロビーでフラメンコショーを見た。目出度い新年の客寄せでヨーカドーの企画だが、本当に興味深かった。男性4人+女性4人の8人組グループだ。正月休みも営業するヨーカドーが奮発したのだろうが、フラメンコの実演を見る機会は殆ど無く、休憩を挟んだ1時間x2回の実演に魅せられてしまった。  

フラメンコとはかなり違うが、私の住む小さな町は最近フラダンスが盛んで、殆どがアマチュアーグルプだが、何か適当な口実さえあればすぐに何組かのグループが集まって踊る。フラダンスは動きが遅いので、初めは閑な女性の時間潰しぐらいかと私は思っていたが、じっくりみるとなかなか美しい。 踊り手にとってもフラダンスはスタイルに余り関係ないマタニティー型ウエアなので、特に中年太りの女性には最適のスポーツらしいが、やはり若い子が踊るフラダンスは本当に素晴らしい。常磐沿線いわき市に全国的に有名なスパリゾートハワイアンがある影響かも知れないが、この人口15万足らずの常磐沿線の我が町にも20を超えるフラダンス同好会があるようだ。少々太り気味の女性でも、フラダンスは趣味と健康管理とダイエット目的で、大変な人気のダンスとなっている。

それに比べるとフラメンコはかなり厳しい。何しろ動きが激しくシャープだから、暇つぶしの生半可な気持ちではとても続かないだろう。 調べてみるとフラメンコは本来スペインのジプシーの踊りだとあった。日銭を稼ぐ為に始まった踊りがフラメンコに発展したという。踊り手(バイレ)と歌い手(カンテ)が主体で、トケ(ギター)の伴奏で激しく踊るが、素人が短期間に習ったのではとても見られたものではなさそうだ。非常にセクシーで下手に踊ると嘲笑されてしまう。踊りには出演の順序があり、まず最初は男性バイレが踊り、次に女性バイレが踊る、そして最後に主役の若い女性バイレが踊る。熟練を必要とするフラメンコでもプリマ役は若い女性で、やはり一番美しく、魅力的だった。

運動神経の鈍い私だが、フラメンコに近いタンゴは踊ることができる。苦しい屈辱に耐えて3年間猛練習したので、人前でも踊ることができるようになってしまった。ものの本によるとタンゴの起源は南米で売春婦が客を勧誘する踊りだと書いてあった。 確かにフラメンコと似てタンゴも非常にセクシーで、下手に踊ると完全に笑いものになってしまう。

それに比べるとワルツは優雅さだ。ワルツは南ドイツとかウイーン地方で起った踊りらしいが、これも男女が組みあって踊るので、初期には領主が禁止したらしい。国際的にワルツが有名になって登場したのは、会議は踊る,されど進まず、で有名なウィーン会議らしく、これを契機にウィンナーワルツとして世界中に広まったと書かれていた。確かに正装した男女が手を組み合って集団で踊るのは美しいが、動きの激しさからいえばかなり緩やかで、フラダンスとタンゴの中間あたりだ。  

門外漢の私は言える立場ではないが、日本舞踊はかなり違うのではないだろうか。日本舞踊も女性の美しさを見せるもので、独断だが義経の愛人の静御前が白拍子のころに踊っていた辺りに起源があるのかもしれない。しかし日本舞踊はフラメンコやタンゴ、ワルツに比べると動きが緩やかでセクシーさを抑えた踊りであり、強いて言えばフラダンスに近い。このあたりがフラダンスや日本舞踊等の東洋系ゆるやかダンスと、フラメンコやタンゴなど欧米系の激しいダンスとの国民性の違いだろう。 

いずれにしても、フラメンコはとうてい踊る自信はないが、タンゴやワルツは本気になれば誰でもマスターでき、舞台で踊ると本当に気分が晴れやかになる。年配の素人がフラメンコを踊ると腕を脱臼するか、足首を骨折することもあり得そうだが、タンゴやワルツにはその心配はない。還暦でも更に古希になっても、恥ずかしい屈辱さえ我慢して1―2年練習すれば、踊れるようになるので、関心ある方には是非お勧めする次第だ。

色々想いを巡らせながらイトーヨーカドーのフラメンコを見終わったが、8人組で1時間を2回踊ると、ヨーカドーはいくら払うのだろうか? ヨーカドーも厳しいので、大金を出す筈がないだろう。全くの想像だが、精々1回8人で10万円、2回なら20万円以内だろうか、一人当たり2万円余の稼ぎにしかならない。年間彼らに何回お声がかかるだろうか?   

日本ではマイナーなダンスなので回数も少なく、決して忙しくはないだろう。しかし彼ら彼女達が激しく踊るフラメンコを見ながら私は、彼女達の人生にかける意気込みを感じて思わず胸が熱くなった。彼らは少ない収入で決して生活は楽ではない筈で、サラリーマン生活の方が楽で安定しているに決まっているのに、敢えて不安定で、厳しいフラメンコの道を選んだことを思うと、その心意気に感じ入った次第だった。いくら好きとは言え、彼ら彼女達は退路を閉ざしてフラメンコ一本に絞り、激しい練習を重ね苦しい道を選んでいる、その人生に賭ける心意気に深い敬意を表わさざるを得なかった。





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