2012年05月
2012年05月28日
120528,Positive-List
先般のテレビ報道で、ドイツ議会の原発論議をみた。野党が主張する原発事故の恐怖に対して、メルケル首相は昨年3/11の日本の大地震では福島原発の制御棒は直ちに挿入されて原子炉は緊急停止し、緊急炉心冷却装置が働き始めた。問題はその後の津波に対応できなかったことだと反論していた。 確かにその通りである。
M9地震の衝撃に対して、制御棒が挿入されて原発は緊急停止した。外部電源も途絶えたので、緊急発電装置が稼働を始め、炉心の冷却が継続された迄は設計通りである。問題は半時間後に高さ13mの大津波が来襲し、ご丁寧に海側の地下室に設置された緊急電源装置が全て水没して緊急電源も途絶えたことだ。仮に緊急電源が13m高さの大津波にも耐えられるよう、陸側の高台に設置されていたら重大事故には発展せず、世界を震撼させた人類史上の大事件にはならなかった筈だ。しかし東電にはこの津波対策を怠っていたのだった。
因みにすぐ近くの東北電力女川原発は、故平井副社長が周囲の反対を押し切って15mの防波堤を構築したので、今回の13mの大津波に耐えた。対する東電福島原発は10m防波堤を構築し、真正面の太平洋からの15m大津波に襲われ、全ての電源を喪失してしまった。 東電社内では数年前に大津波への対応が必要だと議論されたが、結局具体的な対策は何ら構じられなかった。この東電の無責任な体質が、世界を震撼させて、超優良企業であった東京電力を, 世界で最も将来性の暗い債務超過会社に転落させてしまった。
一般生活で、緊急対策をどのレベルまで想定するかはなかなか難しく、結局はリーダーの人生観まで影響するが、少なくとも人類を危機に追いやる可能性がある重大危機や災害に対しては絶対に対策を怠ってはならない。その点、東北電力の故平井副社長の如き頑固な技術者が東電にも居たら、3流会社に陥落することはなかっただろう。
私事で恐縮だが、私は軟弱地盤に住んでいる。40年前に土地を購入した時、どの程度に基礎を補強するか、当時の限られた知識でいろいろ考えた。地盤改良には結構な費用もかかるが、建築後の地盤補強に比べると格安だ。当時の土地改良技術は不完全であったが、私はかなりの金額で基礎の補強を実施し、今回の大地震では全く影響がなかった。同様に地震保険についても、一般には高額な保険を掛け渋るが、私は地震保険にも加入している。震災で貴重な我が家を失い路頭に迷うことを恐れたからだ。
東電に限らず日本は危機対策に疎く準備も全く手薄だ。例えば自衛隊法がある。不勉強で詳しくは分からないが、自衛隊法は世界に例を見ないポジティブリストだといわれ、銃器の使用が許されるケースが規定されており、それ以外の時は発砲できない仕組みになっているという。例えば領空侵犯に対しては対応規定があるが、領海侵犯や領土侵犯については何の対応規定もなく動けないのだそうだ。一般に戦争状態では、何が起こるか想定できす、虐殺など人間の尊厳を損なう行為を除いては、殆どの行動が許されるネガティブリストが世界のルールだが、日本だけは逆で、発砲できるケースが制限されており現実の戦闘には殆ど対応できない仕組みになっているという。要は敵から攻撃されて初めて自ら防衛できるというバカげたルールだという。
領空侵犯についても日本海を我が国に向かって飛行中の北朝鮮ミサイルを発見した場合でも、標的が本当に日本ならミサイルを撃墜できるが、日本を飛び越えて米国へ向かうミサイルには、PAC3を発射できないのだそうだ。この基準に従うと、日本に向って飛行中のミサイルの最終標的が日本か米国か判明するまでは応戦できず、日本上空に飛来して標的が東京だと判明した時では既に間に合わず、撃ち落とす時間的な余裕は殆ど無いという。また米国は日本を守っても日本からの援護射撃は期待できず、何の為の同盟なのかという議論が米国側にある。これは北朝鮮に限らず相手が中国でもロシアでも同じことで、自衛隊の行動は固く手足を縛られているという。
アフリカや中東に派遣された自衛隊も同様に、明らかに敵と思える武装部隊に遭遇しても、敵から攻撃されてから初めて、自己防衛の行動をとることができる。戦争では敵を欺くあらゆる戦術や策略が普通だから、手足を縛られたわが国の自衛隊は、優秀な兵器を携帯しても殆ど有効に仕えないのである。
自衛隊に限らず日本では、民主主義の権現のように、幅広くポジティブリストが施行されており、国民は昨日まで安全に過ごせたので今日も明日も安全に過ごせる筈と信じ込んでいる。自分自身を守る準備も覚悟が無いままに、我々はこの危険極まりない世界に空拳徒手の裸で住んでいるのだ。
M9地震の衝撃に対して、制御棒が挿入されて原発は緊急停止した。外部電源も途絶えたので、緊急発電装置が稼働を始め、炉心の冷却が継続された迄は設計通りである。問題は半時間後に高さ13mの大津波が来襲し、ご丁寧に海側の地下室に設置された緊急電源装置が全て水没して緊急電源も途絶えたことだ。仮に緊急電源が13m高さの大津波にも耐えられるよう、陸側の高台に設置されていたら重大事故には発展せず、世界を震撼させた人類史上の大事件にはならなかった筈だ。しかし東電にはこの津波対策を怠っていたのだった。
因みにすぐ近くの東北電力女川原発は、故平井副社長が周囲の反対を押し切って15mの防波堤を構築したので、今回の13mの大津波に耐えた。対する東電福島原発は10m防波堤を構築し、真正面の太平洋からの15m大津波に襲われ、全ての電源を喪失してしまった。 東電社内では数年前に大津波への対応が必要だと議論されたが、結局具体的な対策は何ら構じられなかった。この東電の無責任な体質が、世界を震撼させて、超優良企業であった東京電力を, 世界で最も将来性の暗い債務超過会社に転落させてしまった。
一般生活で、緊急対策をどのレベルまで想定するかはなかなか難しく、結局はリーダーの人生観まで影響するが、少なくとも人類を危機に追いやる可能性がある重大危機や災害に対しては絶対に対策を怠ってはならない。その点、東北電力の故平井副社長の如き頑固な技術者が東電にも居たら、3流会社に陥落することはなかっただろう。
私事で恐縮だが、私は軟弱地盤に住んでいる。40年前に土地を購入した時、どの程度に基礎を補強するか、当時の限られた知識でいろいろ考えた。地盤改良には結構な費用もかかるが、建築後の地盤補強に比べると格安だ。当時の土地改良技術は不完全であったが、私はかなりの金額で基礎の補強を実施し、今回の大地震では全く影響がなかった。同様に地震保険についても、一般には高額な保険を掛け渋るが、私は地震保険にも加入している。震災で貴重な我が家を失い路頭に迷うことを恐れたからだ。
東電に限らず日本は危機対策に疎く準備も全く手薄だ。例えば自衛隊法がある。不勉強で詳しくは分からないが、自衛隊法は世界に例を見ないポジティブリストだといわれ、銃器の使用が許されるケースが規定されており、それ以外の時は発砲できない仕組みになっているという。例えば領空侵犯に対しては対応規定があるが、領海侵犯や領土侵犯については何の対応規定もなく動けないのだそうだ。一般に戦争状態では、何が起こるか想定できす、虐殺など人間の尊厳を損なう行為を除いては、殆どの行動が許されるネガティブリストが世界のルールだが、日本だけは逆で、発砲できるケースが制限されており現実の戦闘には殆ど対応できない仕組みになっているという。要は敵から攻撃されて初めて自ら防衛できるというバカげたルールだという。
領空侵犯についても日本海を我が国に向かって飛行中の北朝鮮ミサイルを発見した場合でも、標的が本当に日本ならミサイルを撃墜できるが、日本を飛び越えて米国へ向かうミサイルには、PAC3を発射できないのだそうだ。この基準に従うと、日本に向って飛行中のミサイルの最終標的が日本か米国か判明するまでは応戦できず、日本上空に飛来して標的が東京だと判明した時では既に間に合わず、撃ち落とす時間的な余裕は殆ど無いという。また米国は日本を守っても日本からの援護射撃は期待できず、何の為の同盟なのかという議論が米国側にある。これは北朝鮮に限らず相手が中国でもロシアでも同じことで、自衛隊の行動は固く手足を縛られているという。
アフリカや中東に派遣された自衛隊も同様に、明らかに敵と思える武装部隊に遭遇しても、敵から攻撃されてから初めて、自己防衛の行動をとることができる。戦争では敵を欺くあらゆる戦術や策略が普通だから、手足を縛られたわが国の自衛隊は、優秀な兵器を携帯しても殆ど有効に仕えないのである。
自衛隊に限らず日本では、民主主義の権現のように、幅広くポジティブリストが施行されており、国民は昨日まで安全に過ごせたので今日も明日も安全に過ごせる筈と信じ込んでいる。自分自身を守る準備も覚悟が無いままに、我々はこの危険極まりない世界に空拳徒手の裸で住んでいるのだ。
2012年05月21日
120521,管首相の功罪
昨年の東北大震災で、原発暴走の大事故を起こした原因は、名門に胡坐をかいでいた東京電力の責任であり、特に原子炉の非常電源が全て水没して、炉心が溶融する事態を全く想定していなかったという考えられない怠慢が主因であるのは明らかである。
事故発生の4日目に、原発からの全面撤退を政府に申し出た東電に対して、管首相が激怒し、原発死守を命じた結果、原発の暴発は抑え込み、東日本全域が居住不可能に陥る危険を防いだ。もし東電の要請を受けて福島第一原発の暴走阻止作業を放棄していたら、東日本全域が放射能に汚染され、住宅を失って逃げ惑う住民は数千万人にも達した可能性がある。これは米国や中国等の諸外国住民が一斉に日本から脱出した事実からも、大惨事に陥る危険性が極めて大きかったことがわかる。
管首相の激怒で、何とか被害を最小限に抑えられた今頃になって東電勝俣会長は、東電は福島原発から全面的に撤退するとは言っていなかった、一部社員を引き上げると言った迄だと弁明し始めている。全くの詭弁であり、これがあの名門企業の最高幹部の言い分かと呆れてしまう。
電話連絡は、福島第1原発から15キロ南の第二原発に作業員を引き上げるとの申し出だが、勝俣会長は全社員を引き上げるとは言っていなかったと弁明している。何が真実かは不明だが、全社員を撤退させるか一部社員を残すかは、議論の対象になることではない。
ただひとつ確かなのは、東電清水社長より、福島原発から撤退する旨の電話連絡を受けた海江田経済産業相は、自分で判断するには余りに重大過ぎると管首相に判断を仰ぎ、激怒した管首相が東電に乗り込んで、撤退を阻止したという事実がある。外国の報道は、世界を救った福島原発の50人Fukushima-50`sと言っているが、管首相の原発死守の厳命も彼らを奮い立たせたと私は思う。
今回の事故は、暴走し始めた原子炉と、それを制御しようとする人間の必死の戦いである。戦争のさなか一部作業員でも戦線から離脱させるということは、誰が考えても戦闘に負けて撤退するという意味になる。即ち部分的に残すか全く残さないかは、戦闘においては大きな違いはなく、戦い放棄して撤退することである。東電勝俣会長は繰り返し、一部は残そうとしたと言い訳しているようだが、これは日本国民の存在を危険に晒しても自社社員は守ろうとした悪魔の戦略である。
日本社会では東京電力は民間会社の最高峰であり、東電社員はエリート中のエリートだと自他ともに認める名門企業だ。そのなかでも勝俣会長は、言動に信頼感がある稀有の人物としても知られている。その会長から一部社員は残す考えであった、など自己保身の言い訳を聞くと、もはや悲しくて言葉も出ない。
対する管首相は、人の説明よりも自分の知識を重視する理系人種である。彼は独断専行の傾向が強く、例えばヨーロッパでストレステストが行われているとの情報を得ると、九州玄海原発の再稼働を関係者間で纏め上げていた海江田経産相の苦闘を無視して、突如ストレステスト導入を宣言し、その後の原発再稼働の動きを全てストップしてしまった。静岡の浜岡原発の緊急の運転停止も同じ流れである。
確かに原発の事故対応は、会議を開いて長々と議論を重ねる余裕も時間もないのは事実だが、このような重大な方針転換を何故担当大臣に一言も相談しなかったかは大いに疑問だ。多分支持率低迷に苦しむ管首相が、自分自身の名誉挽回と支持率向上を狙ったのであろうが、日本という大国のリーダーとしては誠に残念な判断であったと言わざるを得ない。
何はともあれ、管首相の犯した過ちは多々あるが、東電の福島原発からの全面撤退を防いで世界中が危惧した東京以北の広範な日本国土を放射能汚染から救ったことは、高く評価される成果である。それは議論に明け暮れし、無責任な駆け引きばかりに終始して何も決められない日本の国会や行政府のなかでは、特記すべき管首相の偉大な業績であったと思う。
事故発生の4日目に、原発からの全面撤退を政府に申し出た東電に対して、管首相が激怒し、原発死守を命じた結果、原発の暴発は抑え込み、東日本全域が居住不可能に陥る危険を防いだ。もし東電の要請を受けて福島第一原発の暴走阻止作業を放棄していたら、東日本全域が放射能に汚染され、住宅を失って逃げ惑う住民は数千万人にも達した可能性がある。これは米国や中国等の諸外国住民が一斉に日本から脱出した事実からも、大惨事に陥る危険性が極めて大きかったことがわかる。
管首相の激怒で、何とか被害を最小限に抑えられた今頃になって東電勝俣会長は、東電は福島原発から全面的に撤退するとは言っていなかった、一部社員を引き上げると言った迄だと弁明し始めている。全くの詭弁であり、これがあの名門企業の最高幹部の言い分かと呆れてしまう。
電話連絡は、福島第1原発から15キロ南の第二原発に作業員を引き上げるとの申し出だが、勝俣会長は全社員を引き上げるとは言っていなかったと弁明している。何が真実かは不明だが、全社員を撤退させるか一部社員を残すかは、議論の対象になることではない。
ただひとつ確かなのは、東電清水社長より、福島原発から撤退する旨の電話連絡を受けた海江田経済産業相は、自分で判断するには余りに重大過ぎると管首相に判断を仰ぎ、激怒した管首相が東電に乗り込んで、撤退を阻止したという事実がある。外国の報道は、世界を救った福島原発の50人Fukushima-50`sと言っているが、管首相の原発死守の厳命も彼らを奮い立たせたと私は思う。
今回の事故は、暴走し始めた原子炉と、それを制御しようとする人間の必死の戦いである。戦争のさなか一部作業員でも戦線から離脱させるということは、誰が考えても戦闘に負けて撤退するという意味になる。即ち部分的に残すか全く残さないかは、戦闘においては大きな違いはなく、戦い放棄して撤退することである。東電勝俣会長は繰り返し、一部は残そうとしたと言い訳しているようだが、これは日本国民の存在を危険に晒しても自社社員は守ろうとした悪魔の戦略である。
日本社会では東京電力は民間会社の最高峰であり、東電社員はエリート中のエリートだと自他ともに認める名門企業だ。そのなかでも勝俣会長は、言動に信頼感がある稀有の人物としても知られている。その会長から一部社員は残す考えであった、など自己保身の言い訳を聞くと、もはや悲しくて言葉も出ない。
対する管首相は、人の説明よりも自分の知識を重視する理系人種である。彼は独断専行の傾向が強く、例えばヨーロッパでストレステストが行われているとの情報を得ると、九州玄海原発の再稼働を関係者間で纏め上げていた海江田経産相の苦闘を無視して、突如ストレステスト導入を宣言し、その後の原発再稼働の動きを全てストップしてしまった。静岡の浜岡原発の緊急の運転停止も同じ流れである。
確かに原発の事故対応は、会議を開いて長々と議論を重ねる余裕も時間もないのは事実だが、このような重大な方針転換を何故担当大臣に一言も相談しなかったかは大いに疑問だ。多分支持率低迷に苦しむ管首相が、自分自身の名誉挽回と支持率向上を狙ったのであろうが、日本という大国のリーダーとしては誠に残念な判断であったと言わざるを得ない。
何はともあれ、管首相の犯した過ちは多々あるが、東電の福島原発からの全面撤退を防いで世界中が危惧した東京以北の広範な日本国土を放射能汚染から救ったことは、高く評価される成果である。それは議論に明け暮れし、無責任な駆け引きばかりに終始して何も決められない日本の国会や行政府のなかでは、特記すべき管首相の偉大な業績であったと思う。
2012年05月15日
120515東京大災害
東京湾北部で大地震が起きたと仮定した時の東京都内の犠牲者が9,700人になると4/18に発表された。冬の夕方6時頃,風速8というかなり厳しい条件下で、主に焼死による犠牲者だ。都内で1万人近いなら、神奈川,埼玉,千葉など東京周辺の各県でも甚大な被害が出る筈で、関東圏全体の犠牲者は多分4−5万人にも達するかも知れない。恐ろしい人数だ。
被害は都内の火災だけではなく、湾岸地帯の津波や、新幹線脱線、走行中の自動車事故、工業地帯の石油タンク火災など、大地震に付随して起きる色々な大災害もあるので10万人規模に近づくかも知れない。世界も驚く恐ろしい大惨事になる。
しかもこの人数は単なる計算上の想定ではなく、90年前の1923 年9月11日の真昼に起きた関東大震災の焼死者10万人が出た事実を考えると現実味のある推計である。90年前と違って危険物が充満している東京圏でこのような大災害が起きると、多分日本は当分の間再起不能で2流国家に転落してしまうだろう。悲惨という以上に言い表す適当な言葉がない。
東京都の推計では、消失する可能性が大きい地区としては大田区,杉並区,世田谷区,練馬区など東京南西部と、墨田区,足立区,葛飾区,江東区など東京北東部の木造密集住宅街が大火災の危険が特に大きいという。
この発表を聞いてこれらの危険地帯に住む住民はどんな心境だろうか? 可能なら一刻も早く自分が住む危険地帯から逃げ出したいと思っているに違いない。しかし仕事はどうする? 住宅はどうする? 生活はどうなる? お金は?などを考えると、やはり何も手がつかないのが現実だろう。 いやそのような恐怖の大地震が本当に起きるのだろうか?と改めて思い直したりもするだろう。そして結局月日だけが経過して、今回の東日本大震災のように、突然大災害に襲われて打ちのめされ、膨大な犠牲者を生んでしまうかもしれない。政府を始め、東京,神奈川,埼玉,千葉等、関東地区の主要都県知事は、一刻も早くその対策を考える必要がある。
特に重大な災害として、東京湾沿岸の工場地帯の石油タンク火災がある。石油に一旦火がつくと消火は極めて困難で、燃え尽きるまで手がつけられないことは、先日の東日本大震災が如実に示した。市原の丸善石油のタンク1基に火がつき、燃え尽きる迄一週間燃え続けたが、これが広範な京浜工業地帯のタンク群に広がると、多分1ケ月間は燃え続ける巨大な東京湾大火災になってしまうだろう。
では何から手を付けるか? 山ほどある対策に対して財源はごく限られる。 取りあえず、火災で延焼必至といわれる木造密集地帯に避難路を確保することと、そして広い安全地帯を構築することだ。 既に江東墨田地区では、移転した工場跡地を利用して、高層住宅街で周囲をとり囲み、火災発生時にはそこに逃げ込めるような高層住宅街が数ケ所実現しているが、杉並世田谷あたりの高級住宅街では、適当な用地も少なく、避難路や避難地帯の建設はなかなか難しいかもしれない。しかし抵抗はあっても国と都庁は、まず生命だけでも救うこの事業は推し進めなければならない。特に将来の日本を担う子供達の安全は絶対に確保しなければならないから。
政府機能も致命的な損害を受けるだろうから、その代替機構の構築も急ぐ必要がある。10年以上前に、第二の首都を作る構想が大々的に討議されたが、不況で殆ど立ち消えになった。しかしやはりその必要性は東日本大震災で改めて確認させられた。特にIT社会が進展した今日では、通信網の維持は絶対に不可欠だ。誰かこの難事業をやり遂げる救国の剛腕政治家はいないのだろうか?
いや、多くの人が喧伝する剛腕政治家の小沢元代表がいる。小沢さんもし貴方が本当に日本の将来を憂うる大政治家なら、遠くない将来に必ず起こる関東大災害の対策推進に力量を発揮しませんか? どんなに潔白を主張しても、何回裁判を繰り返しても、貴方に関する国民の疑念を拭い去ることが不可能なのだから、これ以上下手な証拠隠しや無罪主張はやっても無意味です。 そして評判の剛腕振りを救国事業に発揮してみませんか?
貴方が消費税反対や原発再稼働反対を叫んでもそれは口実だけで、政府を困らせる方便だと、殆どの国民は知っているのです。既に70才で人生の第4コーナに入っている貴方の焦燥感はわかるが、悪評を裏書きするばかりの無駄な努力は止めませんか? それよりも迫りくる関東大災害の対策委員長に名乗り出て、救国の大事業に余生を投じてみませんか? 例えば、金正恩が軍事優先に決別して経済開発に方針転換すれば、韓国,日本,米国は北朝鮮の経済開発に駆けつけ国家を再興できるのは確実なのに、ミサイルと核兵器に固執して亡国に突き進んでいるのと同じことを貴方もやっているのです。今こそ東北の老醜な悪党から完全に脱皮して蝶の如く変身し、小沢一郎は口下手だが立派な政治家だったと、日本の近代政治史に高名を残せるチャンスと思いますが。
被害は都内の火災だけではなく、湾岸地帯の津波や、新幹線脱線、走行中の自動車事故、工業地帯の石油タンク火災など、大地震に付随して起きる色々な大災害もあるので10万人規模に近づくかも知れない。世界も驚く恐ろしい大惨事になる。
しかもこの人数は単なる計算上の想定ではなく、90年前の1923 年9月11日の真昼に起きた関東大震災の焼死者10万人が出た事実を考えると現実味のある推計である。90年前と違って危険物が充満している東京圏でこのような大災害が起きると、多分日本は当分の間再起不能で2流国家に転落してしまうだろう。悲惨という以上に言い表す適当な言葉がない。
東京都の推計では、消失する可能性が大きい地区としては大田区,杉並区,世田谷区,練馬区など東京南西部と、墨田区,足立区,葛飾区,江東区など東京北東部の木造密集住宅街が大火災の危険が特に大きいという。
この発表を聞いてこれらの危険地帯に住む住民はどんな心境だろうか? 可能なら一刻も早く自分が住む危険地帯から逃げ出したいと思っているに違いない。しかし仕事はどうする? 住宅はどうする? 生活はどうなる? お金は?などを考えると、やはり何も手がつかないのが現実だろう。 いやそのような恐怖の大地震が本当に起きるのだろうか?と改めて思い直したりもするだろう。そして結局月日だけが経過して、今回の東日本大震災のように、突然大災害に襲われて打ちのめされ、膨大な犠牲者を生んでしまうかもしれない。政府を始め、東京,神奈川,埼玉,千葉等、関東地区の主要都県知事は、一刻も早くその対策を考える必要がある。
特に重大な災害として、東京湾沿岸の工場地帯の石油タンク火災がある。石油に一旦火がつくと消火は極めて困難で、燃え尽きるまで手がつけられないことは、先日の東日本大震災が如実に示した。市原の丸善石油のタンク1基に火がつき、燃え尽きる迄一週間燃え続けたが、これが広範な京浜工業地帯のタンク群に広がると、多分1ケ月間は燃え続ける巨大な東京湾大火災になってしまうだろう。
では何から手を付けるか? 山ほどある対策に対して財源はごく限られる。 取りあえず、火災で延焼必至といわれる木造密集地帯に避難路を確保することと、そして広い安全地帯を構築することだ。 既に江東墨田地区では、移転した工場跡地を利用して、高層住宅街で周囲をとり囲み、火災発生時にはそこに逃げ込めるような高層住宅街が数ケ所実現しているが、杉並世田谷あたりの高級住宅街では、適当な用地も少なく、避難路や避難地帯の建設はなかなか難しいかもしれない。しかし抵抗はあっても国と都庁は、まず生命だけでも救うこの事業は推し進めなければならない。特に将来の日本を担う子供達の安全は絶対に確保しなければならないから。
政府機能も致命的な損害を受けるだろうから、その代替機構の構築も急ぐ必要がある。10年以上前に、第二の首都を作る構想が大々的に討議されたが、不況で殆ど立ち消えになった。しかしやはりその必要性は東日本大震災で改めて確認させられた。特にIT社会が進展した今日では、通信網の維持は絶対に不可欠だ。誰かこの難事業をやり遂げる救国の剛腕政治家はいないのだろうか?
いや、多くの人が喧伝する剛腕政治家の小沢元代表がいる。小沢さんもし貴方が本当に日本の将来を憂うる大政治家なら、遠くない将来に必ず起こる関東大災害の対策推進に力量を発揮しませんか? どんなに潔白を主張しても、何回裁判を繰り返しても、貴方に関する国民の疑念を拭い去ることが不可能なのだから、これ以上下手な証拠隠しや無罪主張はやっても無意味です。 そして評判の剛腕振りを救国事業に発揮してみませんか?
貴方が消費税反対や原発再稼働反対を叫んでもそれは口実だけで、政府を困らせる方便だと、殆どの国民は知っているのです。既に70才で人生の第4コーナに入っている貴方の焦燥感はわかるが、悪評を裏書きするばかりの無駄な努力は止めませんか? それよりも迫りくる関東大災害の対策委員長に名乗り出て、救国の大事業に余生を投じてみませんか? 例えば、金正恩が軍事優先に決別して経済開発に方針転換すれば、韓国,日本,米国は北朝鮮の経済開発に駆けつけ国家を再興できるのは確実なのに、ミサイルと核兵器に固執して亡国に突き進んでいるのと同じことを貴方もやっているのです。今こそ東北の老醜な悪党から完全に脱皮して蝶の如く変身し、小沢一郎は口下手だが立派な政治家だったと、日本の近代政治史に高名を残せるチャンスと思いますが。
2012年05月08日
120508連休中の出来事
今年の大型連休は最後にやっと晴れ間も覗いたが、天気が良くなかった。特に連休終りは全国的に強風に襲われ、つくば市等は住宅街が広範囲の竜巻被害を受けた。たまたま当日私はヨットに乗ることを予定していた。
私のヨット歴は長いがセーリング中の写真が無く、今回親しい友人に私の雄姿?の写真撮影を頼んでいたが、当日は強風で毎秒10mを超えており、常識的には小型ヨットには無理な条件だった。しかし写真を撮りたい気持ちもあり、湖水も温んでいたのでな、仮に沈没しても事故にはならない確信はあった。また連休中の最後の晴天で、ヨット桟橋には10人近い仲間も来ておりギャラリーに格好よく見せたい邪心も少しあった。ヨットは見た目には優雅だが、風速が10mを超えると、大きな帆布が風を孕んで猛烈な力となり、バタバタと地獄のような状態になるのが常である。
当日2人乗りヨットで私と組むパートナーS君は新入会員だった。互いに命運を共にする仲間が初対面というのは、登山等ほかの命がけのスポーツにあってはあり得ないことだが、S君は大学ヨットクラブOBという触れ込みもあり、多分大丈夫だろうという安心感が私にはあった。
当日は南風だったが、毎秒12mを超える強烈なブローになった。危険なので桟橋近くで東西に往復を繰り返すことにした。ヨットの方向を変える時、穏やかな方向転換ができるタッキングが常識だが、危険なジャイビングという逆回りもある。これは雪道をドライブ中の急ブレーキにも似て,強風時は絶対に避けなければならないセーリングの基本マナーである。
しかしパートナーのS君は当初こそタッキングで方向変換していたが、何を狂ったか後半にはジャイビングを始めた。そして桟橋近くのジャイビングで方向転換を試み、一瞬にして我々は船体もろとも風に吹き飛ばされて転覆してしまった。
桟橋の仲間たちは目の前の出来事にオー!と声をあげて立ち上がった。ほかの事故の場合も同じかもしれないが乗船している私は、あー転覆すると直感した、そして後はスローモションの如くゆっくり空中に放り出され、逆さになって水中に飛ばされた。不思議なもので見物者が感じるほどの恐怖感はなかった。幸い救命衣を着用しており水深も深くなかったが、パートナーのS君を見失った。もし水中に沈んでいるのであれば、緊急に助け出そうと思って船体の反対側に回り、呆然として浮かんでいる彼を見つけた。
少し離れた手賀沼大橋上からは何人かの歩行者が立ち止まって成り行きを見守っている。実はこの観客達は我々セイラーには親切であると共に少し厄介な存在でもあるのだ。昔と違って携帯電話をもっている人が多く、我々には問題ない小さな事故でも、彼らが危険だと感じると、すぐに110番に通報する。するとパトカーと消防車がサイレンを鳴らしながらやってきて大騒ぎとなったことが先週もあったばかりだ。幸い我々はレスキュー艇も準備していたので、直ぐに転覆艇に横付けして、我々乗員の救助と船体の引き起こし作業を始めた。
当日近くには中型のモーターボートも出港準備中で、オーナーの中年男性とその家族や知人子供達や乳児も含めて全部で15-16名を乗せて船出しようと準備していた。我々と違って彼女たちは誰ひとり救命衣を着用せず、危険極まりないのには驚いた。私はそばに近づいて大丈夫ですか?と声をかけた。しかし更に踏み込んで危険だから止めてはどうですか?とは、なかなか言い出せなかった。仮に口に出すと、招待客の前でプライドを傷つけられたオーナーは、多分余計な世話だと怒るに違いないから。或いは女性たちの中にも、強風が怖くて何か口実があれば下船したい人もいただろうが、招待主を傷つけるので、なかなか言い出せなかったに違いない。
そしてモーターボートは前後左右に大きく揺れながら荒れる海へ走り出した。あとは事故のないよう祈るだけだ。
前日、北アルプスで北九州の60-70才代の医師6-7名が遭難した。稜線で彼らと行き違った別パーティーは、医師グループの軽装に驚いたそうだ。しかしやはり危険だから引き返せ!とはなかなか言えなかったのだろう。また遭難した仲間には, 引き返そうと思っても雰囲気を壊すので言い出せず、最後まで行動を共にして、もう一枚厚着しておけばと悔しさに苦悶しながら息絶えた医師もいたに違いない。危険を予感しても、なかなか言い出せないのがこの世の常であると痛感した貴重な休日体験であった。


私のヨット歴は長いがセーリング中の写真が無く、今回親しい友人に私の雄姿?の写真撮影を頼んでいたが、当日は強風で毎秒10mを超えており、常識的には小型ヨットには無理な条件だった。しかし写真を撮りたい気持ちもあり、湖水も温んでいたのでな、仮に沈没しても事故にはならない確信はあった。また連休中の最後の晴天で、ヨット桟橋には10人近い仲間も来ておりギャラリーに格好よく見せたい邪心も少しあった。ヨットは見た目には優雅だが、風速が10mを超えると、大きな帆布が風を孕んで猛烈な力となり、バタバタと地獄のような状態になるのが常である。
当日2人乗りヨットで私と組むパートナーS君は新入会員だった。互いに命運を共にする仲間が初対面というのは、登山等ほかの命がけのスポーツにあってはあり得ないことだが、S君は大学ヨットクラブOBという触れ込みもあり、多分大丈夫だろうという安心感が私にはあった。
当日は南風だったが、毎秒12mを超える強烈なブローになった。危険なので桟橋近くで東西に往復を繰り返すことにした。ヨットの方向を変える時、穏やかな方向転換ができるタッキングが常識だが、危険なジャイビングという逆回りもある。これは雪道をドライブ中の急ブレーキにも似て,強風時は絶対に避けなければならないセーリングの基本マナーである。
しかしパートナーのS君は当初こそタッキングで方向変換していたが、何を狂ったか後半にはジャイビングを始めた。そして桟橋近くのジャイビングで方向転換を試み、一瞬にして我々は船体もろとも風に吹き飛ばされて転覆してしまった。
桟橋の仲間たちは目の前の出来事にオー!と声をあげて立ち上がった。ほかの事故の場合も同じかもしれないが乗船している私は、あー転覆すると直感した、そして後はスローモションの如くゆっくり空中に放り出され、逆さになって水中に飛ばされた。不思議なもので見物者が感じるほどの恐怖感はなかった。幸い救命衣を着用しており水深も深くなかったが、パートナーのS君を見失った。もし水中に沈んでいるのであれば、緊急に助け出そうと思って船体の反対側に回り、呆然として浮かんでいる彼を見つけた。
少し離れた手賀沼大橋上からは何人かの歩行者が立ち止まって成り行きを見守っている。実はこの観客達は我々セイラーには親切であると共に少し厄介な存在でもあるのだ。昔と違って携帯電話をもっている人が多く、我々には問題ない小さな事故でも、彼らが危険だと感じると、すぐに110番に通報する。するとパトカーと消防車がサイレンを鳴らしながらやってきて大騒ぎとなったことが先週もあったばかりだ。幸い我々はレスキュー艇も準備していたので、直ぐに転覆艇に横付けして、我々乗員の救助と船体の引き起こし作業を始めた。
当日近くには中型のモーターボートも出港準備中で、オーナーの中年男性とその家族や知人子供達や乳児も含めて全部で15-16名を乗せて船出しようと準備していた。我々と違って彼女たちは誰ひとり救命衣を着用せず、危険極まりないのには驚いた。私はそばに近づいて大丈夫ですか?と声をかけた。しかし更に踏み込んで危険だから止めてはどうですか?とは、なかなか言い出せなかった。仮に口に出すと、招待客の前でプライドを傷つけられたオーナーは、多分余計な世話だと怒るに違いないから。或いは女性たちの中にも、強風が怖くて何か口実があれば下船したい人もいただろうが、招待主を傷つけるので、なかなか言い出せなかったに違いない。
そしてモーターボートは前後左右に大きく揺れながら荒れる海へ走り出した。あとは事故のないよう祈るだけだ。
前日、北アルプスで北九州の60-70才代の医師6-7名が遭難した。稜線で彼らと行き違った別パーティーは、医師グループの軽装に驚いたそうだ。しかしやはり危険だから引き返せ!とはなかなか言えなかったのだろう。また遭難した仲間には, 引き返そうと思っても雰囲気を壊すので言い出せず、最後まで行動を共にして、もう一枚厚着しておけばと悔しさに苦悶しながら息絶えた医師もいたに違いない。危険を予感しても、なかなか言い出せないのがこの世の常であると痛感した貴重な休日体験であった。


2012年05月07日
120507,田舎町のシェアハウス
先日の日経新聞に、今春から渋谷や原宿に一気に増えた先端的な施設として、シェアオフィスとかコワーキングスペースという雑居形式の仕事場があるという。主な利用者は個人で働くデザイナーやコンサルタンであり、図書館の閲覧室を衝立で区切ったような形式で、休憩室や会議室もある雑居オフィス、特徴は入居者間に交流が生まれ色々な情報交換が可能になるという。日本の若者も働き方の意識が変わり、個人雑居型オフィスへの需要が増えてきた結果らしい。最新の例では渋谷駅前に開業した最新式の東急高層ビルにもこの種の施設を敢えて設けたという。
全く同感だ。実は私もその一人なのだ。定年退職後、私は東京臨海部の潮見に10余年間20坪近い事務所兼作業所を借りて機械関係のベンチャー企業を営んでいたが、大震災に恐れをなして、自宅のある我孫子に事務所を移した。勿論渋谷の最新ビルとは比較にならない田舎町だが、駅近くのT信用金庫が事務所建て替えの間、暫く間借りした2階建てプレハブがそのまま残されて、入居企業も4社と小型だが、狭い共同会議室もあり家族的な雰囲気で働ける。そして最大の特徴は東京に比べて家賃が本当に桁違いに安くなり、毎月の小遣いの範囲で小さな自分の事務所をもてた。私は自宅から徒歩10分だが、僅かでも毎朝の通勤時間が入ると気分が一新し、事務所に着くと一気に仕事モードになる。そして都内や近郊で働いている社員からのメールをチェックし指示を出す。当社の作業員も、回り道してオフィスに出勤する必要は全くなく、作業所へ直行できるから、通勤時間も短く交通費も安い.夜勤者には更に便利だ。
この事務所に常駐する私が少々パソコンでトラブっても専門業者に教えを乞えば必ず1-2万円は要求されるが、衝立の向こうの女性社員に相談すると大抵は修復でき、お礼はチョコレートで済んでしまう有難さが何ものにも代えがたい。 私はこの狭いオフィスにぞっこん惚れ込んでおり、多分これから何年も仕事を続けようと生き甲斐を感じている始末。土曜日曜の休日にも散歩の途中でこの事務所に立ち寄り、メールチェックする始末。
民間活力の利用や、元気なシルバー人材の活用を叫ぶ政府や市役所も、大げさな金食い政策は止めて、近郊の小さな空きスペースを修理してこのような便宜を安く提供すれば、貴重な知識経験を持て余している定年退職者達の企業心を刺激して、何人かは立ち上がるに違いない。シルバー人材が若者と同じ仕事を奪い合うことはやめて、自分たちの長い人生経験と貴重な知識経験から滲み出る新しいニッチ産業を開拓できることになる。
彼らは一寸した手助けやアドバイスがあれば、豊富な知識と人間関係を活用でき新しい知識産業を創造でき、市役所は殆ど金のかからない方法で市民を活性化できることになる。都心の渋谷ばかりでなく、郊外の市町村もお金を使うことばかりでなく、ぜひ知恵も使って欲しいものだ。
2012年05月02日
120502,隣家の出来事
暗い話で恐縮だが、私の隣家の奥さん(65才)が突然死された。前日まで元気だったが、夜中にくも膜下出血で亡くなった。運悪くご主人は前の週から都内の病院に検査入院中で、奥さんとの連絡が途絶えたのを不審に思い、警察に通報して、自宅の寝室で亡くなっているのが発見されたという。
親しくしていた隣家の出来事で本当に驚いた。もしご主人が在宅なら、急変に気づき直ぐ救急車を呼んだだろうが、深夜のひとり寝では誰にも気付かれない。近くに住む長男も大慌てだが全て後の祭りで、元気な間に海外旅行でも同伴しておけば良かったと沈んでいる。
隣家とは長い付き合いで大胆な奥さんだった。私がバスに乗って自宅に帰る時、駅前からの長い下り坂道のど真ん中をブレーキをキーキー鳴らしながら、我々のバス以下の車列を従えて平気で堂々と大通りを下る女性だった。確かに狭い車道では、クルマ扱いの自転車は車道を行く以外に方法はないから理には適っているが私にはとてもできそうにない。元気な奥さんだったが、予期せぬ出来事で家族や関係者は嘆いたが、半身不随の長患いで家族に迷惑をかけるよりも本人や家族にとって幸せだったかも知れない。
最近似たような独居老人が誰にも看取られず亡くなる例が多い。私の住宅街も老人ばかりになり、ご主人に先立たれた未亡人圧倒的に多いが、今回はご主人がとり残された。昔と違って近年は便利なスーパーやコンビニもあり、男の一人住まいも可能だが、不器用な男性は家庭内のことが不得手で、一人住まいはなかなか難しい。
それに比べると未亡人になった奥さんは元気いっぱいだ。昼に近くのレストランに行くと、いつも未亡人らしきご婦人連中が賑やかに騒いでいる。想像するに、永年連れ沿ったご主人から解放されてやっと自由な身分になり、これから人生の春を再び謳歌し直そうという雰囲気が満ち満ちている。
逆に男の高齢者は如何にもだらしない。現役時代の自分の大きな影響力が老後も忘れられず、引退して初めて知る自分の無力さに大きな落差を感じているようだ。周囲の誰もが自分の現役時代の偉大さを理解してくれず、無力になってしまった引退生活がなかなか受け入れられない。拭いきれないプライドも邪魔して自由に外出できず自宅に閉じこもり勝ちになる。社用で慣れ親しんだゴルフも自己負担となってプレイ回数は減るが、スコアは増え続けて段々と足が遠のいてしまう。
何とか勇気を出して絵画教室や、パソコン教室に通い始め、恥ずかしさを我慢して、我が娘程度の若い先生に教わるがなかなか上達しない。目に見える進歩が感じられない内に挫折して、次の新しい習い事に変わるが再び挫折の繰り返しだ。何も目に見えてモノにならない内に、体力だけは確実に衰えを実感して気力も萎える。 そして遂には恥も外聞も捨てた恥ずかしい老人になってしまう。
西欧は罪の文化が根付いているが、日本には恥の文化があると、米国の人類学者ベネディクトがいったそうだが、確かに日本人は、他人にどう見られているかが気掛りで、下手に行動すると恥ずかしいという気持ちが根強く、シルバーの行動に大きな足枷となっている。
この点、民主党の小沢さんは全く日本人離れだ。誰がみてもクロで裁判官も心証はクロだが証拠がないので無罪判決を下したのに大喜びだ。そして今度は内閣打倒だと叫び始めている。古希に届く年齢になり後がない自分の高齢が心配なのかも知れないが、外聞を気にしない日本の政治家のなかでも、特に小沢さんは異常だ。筋も理屈もかなぐり捨てて、自分の内閣を打倒することに執心する変質の政治家になり変わった。その取り巻きの小沢チルドレンたちは更に大バカ者だ。自分が選挙民から選ばれたことはすっかり忘れて、羞恥心もなく小沢さんの提灯もちになり、打倒内閣に走り回る。何とも情けない限りだ。やはり日本で恥を大切にするのは一般の市民だけで、政治家だけは違うようだ
親しくしていた隣家の出来事で本当に驚いた。もしご主人が在宅なら、急変に気づき直ぐ救急車を呼んだだろうが、深夜のひとり寝では誰にも気付かれない。近くに住む長男も大慌てだが全て後の祭りで、元気な間に海外旅行でも同伴しておけば良かったと沈んでいる。
隣家とは長い付き合いで大胆な奥さんだった。私がバスに乗って自宅に帰る時、駅前からの長い下り坂道のど真ん中をブレーキをキーキー鳴らしながら、我々のバス以下の車列を従えて平気で堂々と大通りを下る女性だった。確かに狭い車道では、クルマ扱いの自転車は車道を行く以外に方法はないから理には適っているが私にはとてもできそうにない。元気な奥さんだったが、予期せぬ出来事で家族や関係者は嘆いたが、半身不随の長患いで家族に迷惑をかけるよりも本人や家族にとって幸せだったかも知れない。
最近似たような独居老人が誰にも看取られず亡くなる例が多い。私の住宅街も老人ばかりになり、ご主人に先立たれた未亡人圧倒的に多いが、今回はご主人がとり残された。昔と違って近年は便利なスーパーやコンビニもあり、男の一人住まいも可能だが、不器用な男性は家庭内のことが不得手で、一人住まいはなかなか難しい。
それに比べると未亡人になった奥さんは元気いっぱいだ。昼に近くのレストランに行くと、いつも未亡人らしきご婦人連中が賑やかに騒いでいる。想像するに、永年連れ沿ったご主人から解放されてやっと自由な身分になり、これから人生の春を再び謳歌し直そうという雰囲気が満ち満ちている。
逆に男の高齢者は如何にもだらしない。現役時代の自分の大きな影響力が老後も忘れられず、引退して初めて知る自分の無力さに大きな落差を感じているようだ。周囲の誰もが自分の現役時代の偉大さを理解してくれず、無力になってしまった引退生活がなかなか受け入れられない。拭いきれないプライドも邪魔して自由に外出できず自宅に閉じこもり勝ちになる。社用で慣れ親しんだゴルフも自己負担となってプレイ回数は減るが、スコアは増え続けて段々と足が遠のいてしまう。
何とか勇気を出して絵画教室や、パソコン教室に通い始め、恥ずかしさを我慢して、我が娘程度の若い先生に教わるがなかなか上達しない。目に見える進歩が感じられない内に挫折して、次の新しい習い事に変わるが再び挫折の繰り返しだ。何も目に見えてモノにならない内に、体力だけは確実に衰えを実感して気力も萎える。 そして遂には恥も外聞も捨てた恥ずかしい老人になってしまう。
西欧は罪の文化が根付いているが、日本には恥の文化があると、米国の人類学者ベネディクトがいったそうだが、確かに日本人は、他人にどう見られているかが気掛りで、下手に行動すると恥ずかしいという気持ちが根強く、シルバーの行動に大きな足枷となっている。
この点、民主党の小沢さんは全く日本人離れだ。誰がみてもクロで裁判官も心証はクロだが証拠がないので無罪判決を下したのに大喜びだ。そして今度は内閣打倒だと叫び始めている。古希に届く年齢になり後がない自分の高齢が心配なのかも知れないが、外聞を気にしない日本の政治家のなかでも、特に小沢さんは異常だ。筋も理屈もかなぐり捨てて、自分の内閣を打倒することに執心する変質の政治家になり変わった。その取り巻きの小沢チルドレンたちは更に大バカ者だ。自分が選挙民から選ばれたことはすっかり忘れて、羞恥心もなく小沢さんの提灯もちになり、打倒内閣に走り回る。何とも情けない限りだ。やはり日本で恥を大切にするのは一般の市民だけで、政治家だけは違うようだ