2012年07月
2012年07月27日
120727,反再稼働デモへ質問
東日本大震災は原発事故の恐怖を世界中に知らしめた。もし福島原発が大暴走したら、利根川近くに住む私も、家屋敷を捨てて山口へ逃げ帰る羽目になった筈だが、辛うじて最悪の事態だけは避けられた。神様に感謝したい。原発の絶対安全を繰り返していた東電は、全電源が失われて原発が暴走し始めた時、冷却水を継続注入する為の原子炉のベントができなかった無責任さには我々も驚いた。
毎週金曜には極暑のなか官邸周辺の原発反対運動に参加する人々の気持も分かるような気がする。しかし立ち止まって考えてみると何か少し変だ。不足する電力への対策や考え方も示さず、ただ危険だから再稼働を止めようと感情的に反対しているだけなのだ。デモを終えた人々は満足して、冷暖房完備のマンションに帰って行く。皇居回りをジョギングして体も心も満ち足りて帰る気分と似ている。昼間の原発反対と夜の電化生活との差が余りにも大きすぎる、 昼は善良な市民として振る舞い夜は窃盗を働くジキル博士とハイドのようだ。
鳩山元首相も原発発電に反対してデモに参加したが、終わって帰宅する先は冷暖房完備の鳩山御殿だ。仮にも日本の首相になった方なら、代替エネルギーぐらいは話して欲しいものだ。こんなデモ男が日本の首相だったのかと本当に悲しくなってしまう。黄色い声を張り上げて再稼働反対を叫ぶ多数の小沢チルドレンの女性議員達も, その本心は違う筈だ。浮動票を掴んで次の選挙で生き残るには、反原発,反消費税を叫んだ方が票を稼げると計算しているのだろう。デモが終わればオール電化の議員会館に帰って休む。国会議員なら、電力不足で停電パニックになった時、日本はどう生きるべきか、本当の節電生活とは何かぐらいの話はあっても然るべきだろう。
福島原発は暴発寸前にまで進み、殆どの外国人は日本を捨てて自国へ逃避した。3/12 -13の休日、世界中がかたずを飲んで福島原発の展開を見守り、原発が暴走しないよう祈っている時、残念なことに私の友人達はのんびりヨットを楽しむバカ者もいて、その無神経さに呆れてしまった。確かに我々は祈る以外に何ら方法は無かったが、生き地獄のなかで何とか大暴走を抑え込んだ福島原発の作業員各位には頭が下がる。チェルノブイリ事故で33名の即死者と数十万人にも達する中長期的な犠牲者を出したと言うが、福島原発では放射線による死亡者は殆ど出ておらず、何とか収拾出来たことを神様に私は深く感謝している。
今回の福島事故で世界は自然再生エネルギーに目を向けた。例えばドイツは再び脱原発に羅針盤を切り換え始めた。ドイツは再生エネルギーに適した有効土地面積が日本の数倍あり、風力発電に適した遠浅海岸と、電力不足の時はEU相互間で電力を融通できる環境にあり、如何にすれば再生エネルギーへ切り替えが進むか模索中だ。しかし今だに何が本命か見通しは立っていない。太陽光発電は数倍もコスト高、風力は適地不足、水力は限界、バイオは道徳的に許せず、結局不足電力をお隣りフランスの原子力発電から購入する始末なのだ。
確かに新しく開発されるシェ-ル天然ガスは200年以上の消費埋蔵量と計算され、反原発派には喜ばしい情報だろう。しかし天然ガスが有限の化石燃料であり, CO2ガスも必ず発生するが、その環境悪化は誰も語らない。いや内心では知っていても、ここで環境問題に触れると、自家撞着に陥るので、触れないのだろう。これも日本人が得意なご都合主義といえる。
わが国の再生可能エネルギーは、全消費電力の7%(原発換算で約10基分)の水力発電が全てで、自力で調達できるエネルギー源は殆ど無いのは衆知の事実だ。石油や天然ガスを輸入するには、年間数十兆円単位のドルが必要なことも現実である 仮に大金を準備できたとしても、もし何かトラブルが起きれば、石油供給を止められ第二次世界大戦に追い込まれた昭和初期の苦い経験を思い出す筈だ。官邸前のデモ隊はエネルギーを全て輸入に頼る危険性には知らん顔で、デモを楽しんでいると言われても仕方ないだろう。
マスコミは多種多様な再生可能エネルギーについて論じている。しかしそれは殆どが実用的にはまだ初歩の段階にあり、冷静に考えると日本の1億5000万KWH(原発換算約150基分)という膨大な電力を供給し得るものは何ひとつないのだ。仮に太陽光発電なら、日本中の1,000万戸以上の家屋の屋上に200万円のパネルを無理やり買わせて設置させ、風力発電なら北海道,東北の全ての高地を数十万本の風車で埋め尽くすことになり、現実にはあり得ない空想の世界なのだ。何を代替エネルギーにするのか、デモ隊の方は教えて欲しいものだ。多分彼らの答えは、これから開発される各種多様な再生可能エネルギーを寄せ集めますと、無責任でごまかしの回答をするに違いない。ではもし開発できなかったらどうするかも合わせて教えて欲しい。
鳩山元首相の低脳さは矯正不能としても、反原発者はもっと自分の行動に責任を持つべきだと思う。我々は電力不足で毎日停電パニックの恐怖と戦い続ける訳にはいかないのだ。いま為すべきことは、日本が持つ50余基という巨大な原子力発電所を如何に安全に活用するかなのだ。恐怖の福島事故で学んだ貴重な体験を肝に銘じて、最悪の事態でも冷却水用電源を確保できるよう3重4重の緊急電源装置を開発して、どんな事態でも冷却を続けられるよう多重の安全策を講じることなのだ。
今回はM9大地震は日本の弱点を世界に露呈した。今後は大地震だけでなくテロも考えられ、全て海岸に面する日本の原発が、正体不明のテロ攻撃に襲われる危険性もあり、その対応策も講じる必要もある。色々な事態を想定して、多重の電源確保策を講じ原発の冷却を継続する以外に日本が生き抜く道はないと私は思う。
毎週金曜には極暑のなか官邸周辺の原発反対運動に参加する人々の気持も分かるような気がする。しかし立ち止まって考えてみると何か少し変だ。不足する電力への対策や考え方も示さず、ただ危険だから再稼働を止めようと感情的に反対しているだけなのだ。デモを終えた人々は満足して、冷暖房完備のマンションに帰って行く。皇居回りをジョギングして体も心も満ち足りて帰る気分と似ている。昼間の原発反対と夜の電化生活との差が余りにも大きすぎる、 昼は善良な市民として振る舞い夜は窃盗を働くジキル博士とハイドのようだ。
鳩山元首相も原発発電に反対してデモに参加したが、終わって帰宅する先は冷暖房完備の鳩山御殿だ。仮にも日本の首相になった方なら、代替エネルギーぐらいは話して欲しいものだ。こんなデモ男が日本の首相だったのかと本当に悲しくなってしまう。黄色い声を張り上げて再稼働反対を叫ぶ多数の小沢チルドレンの女性議員達も, その本心は違う筈だ。浮動票を掴んで次の選挙で生き残るには、反原発,反消費税を叫んだ方が票を稼げると計算しているのだろう。デモが終わればオール電化の議員会館に帰って休む。国会議員なら、電力不足で停電パニックになった時、日本はどう生きるべきか、本当の節電生活とは何かぐらいの話はあっても然るべきだろう。
福島原発は暴発寸前にまで進み、殆どの外国人は日本を捨てて自国へ逃避した。3/12 -13の休日、世界中がかたずを飲んで福島原発の展開を見守り、原発が暴走しないよう祈っている時、残念なことに私の友人達はのんびりヨットを楽しむバカ者もいて、その無神経さに呆れてしまった。確かに我々は祈る以外に何ら方法は無かったが、生き地獄のなかで何とか大暴走を抑え込んだ福島原発の作業員各位には頭が下がる。チェルノブイリ事故で33名の即死者と数十万人にも達する中長期的な犠牲者を出したと言うが、福島原発では放射線による死亡者は殆ど出ておらず、何とか収拾出来たことを神様に私は深く感謝している。
今回の福島事故で世界は自然再生エネルギーに目を向けた。例えばドイツは再び脱原発に羅針盤を切り換え始めた。ドイツは再生エネルギーに適した有効土地面積が日本の数倍あり、風力発電に適した遠浅海岸と、電力不足の時はEU相互間で電力を融通できる環境にあり、如何にすれば再生エネルギーへ切り替えが進むか模索中だ。しかし今だに何が本命か見通しは立っていない。太陽光発電は数倍もコスト高、風力は適地不足、水力は限界、バイオは道徳的に許せず、結局不足電力をお隣りフランスの原子力発電から購入する始末なのだ。
確かに新しく開発されるシェ-ル天然ガスは200年以上の消費埋蔵量と計算され、反原発派には喜ばしい情報だろう。しかし天然ガスが有限の化石燃料であり, CO2ガスも必ず発生するが、その環境悪化は誰も語らない。いや内心では知っていても、ここで環境問題に触れると、自家撞着に陥るので、触れないのだろう。これも日本人が得意なご都合主義といえる。
わが国の再生可能エネルギーは、全消費電力の7%(原発換算で約10基分)の水力発電が全てで、自力で調達できるエネルギー源は殆ど無いのは衆知の事実だ。石油や天然ガスを輸入するには、年間数十兆円単位のドルが必要なことも現実である 仮に大金を準備できたとしても、もし何かトラブルが起きれば、石油供給を止められ第二次世界大戦に追い込まれた昭和初期の苦い経験を思い出す筈だ。官邸前のデモ隊はエネルギーを全て輸入に頼る危険性には知らん顔で、デモを楽しんでいると言われても仕方ないだろう。
マスコミは多種多様な再生可能エネルギーについて論じている。しかしそれは殆どが実用的にはまだ初歩の段階にあり、冷静に考えると日本の1億5000万KWH(原発換算約150基分)という膨大な電力を供給し得るものは何ひとつないのだ。仮に太陽光発電なら、日本中の1,000万戸以上の家屋の屋上に200万円のパネルを無理やり買わせて設置させ、風力発電なら北海道,東北の全ての高地を数十万本の風車で埋め尽くすことになり、現実にはあり得ない空想の世界なのだ。何を代替エネルギーにするのか、デモ隊の方は教えて欲しいものだ。多分彼らの答えは、これから開発される各種多様な再生可能エネルギーを寄せ集めますと、無責任でごまかしの回答をするに違いない。ではもし開発できなかったらどうするかも合わせて教えて欲しい。
鳩山元首相の低脳さは矯正不能としても、反原発者はもっと自分の行動に責任を持つべきだと思う。我々は電力不足で毎日停電パニックの恐怖と戦い続ける訳にはいかないのだ。いま為すべきことは、日本が持つ50余基という巨大な原子力発電所を如何に安全に活用するかなのだ。恐怖の福島事故で学んだ貴重な体験を肝に銘じて、最悪の事態でも冷却水用電源を確保できるよう3重4重の緊急電源装置を開発して、どんな事態でも冷却を続けられるよう多重の安全策を講じることなのだ。
今回はM9大地震は日本の弱点を世界に露呈した。今後は大地震だけでなくテロも考えられ、全て海岸に面する日本の原発が、正体不明のテロ攻撃に襲われる危険性もあり、その対応策も講じる必要もある。色々な事態を想定して、多重の電源確保策を講じ原発の冷却を継続する以外に日本が生き抜く道はないと私は思う。
2012年07月20日
120720 時代の変遷
上野から30分、典型的な東京郊外の町、我孫子市で夏祭りがあった。地元の八坂神社のお祭りだ。昨年まで私は典型的な通勤都民で、地元の夏祭りには殆ど関心がなかったが、事務所を東京から我孫子に移して事情が変わった。友人から、地元企業なら夏祭りになにがしか奉納しては?と勧められたのがことの始まりだ。話によると当社の如き新参の零細企業は高額奉納して目立ち過ぎないよう、金額は最低の3,000円が妥当、との勧めだ。親切な友人に背かないよう3,000円を祝儀袋に包んで幹事会社に持参した。 小さな八坂神社が我孫子駅近くにあることは前々から知っていた。また例年真夏には手賀沼へ下る1キロの沿道の両側に夕方から露店が並び、子供や孫達をあやしながら、大昔と全く変わらない夜店を懐かしく見て歩いたが、神社ご本尊には関心無かった。しかし少額でも奉納すると気分は変わった。
7月14日-15日を中心に市内の旧水戸街道沿いに4組に分かれた地元衆が中小型の神輿を担いで大通りを練り歩く。比べものにならないが浅草三社祭りのミニチュア版だ。信仰心の薄い私は、テレビに映る浅草三社祭りの騒ぎには余り馴染めず、白々しい気分で眺めていたが、地元にも同様な祭りが息づいていると知り親近感を覚えた。しかし多くのサラリ-マンは、やはり極暑の祭り騒ぎより、冷房の効いた部屋でテレビの野球中継を見るほうが圧倒的だろう。
聞き話で正確さは欠けるが、地元には飯泉家、鈴木家、村越家及び他の旧家があって、彼らが中心になって、毎年八坂神社祭りを細々と続けているという。やや後ろめたさはあったが、翌朝早く祭り会場に来てみると、奉納者一覧表が貼り出されていた。村越家を筆頭に30,000円奉納者が4名、次に10,000円組が約20名、5,000円組も20名程度、最後に3,000円組が10余名と金額順に貼り出され、端っこに当社の名前もあった。個人的にはもっと出したかったが、先輩の友人企業を恥かしめるので我慢した。
奉納者一覧には栄枯盛衰があり、昔から地元を代表する割烹料亭2軒の名前はなかった。不景気のせいで企業の接待費は極限まで削られ、両割烹料亭は灯が消えた静かさで、いつまで持つか周囲も好奇心で見守っている状況だから仕方ない。同じく地元の旧家に連なる某庭園業者も見当たらない。後継ぎ一人息子で大手電機会社に勤めていた長男が昨年暮れにガンで急逝し、年老いた両親は気力が萎え失せて、代々家業の植木業を閉めることまで考えているという。
私が育った山口のド田舎にも昔は盛大な夏祭りがあった、石城山麓の八幡様の境内に多数の夜店がこうこうと並び、1年かけて腕を磨いた地元の若衆が自分の腕前を披露する素人演芸会があり、また旅回りの芸人が演じる痛快な股旅物を見物できる楽しい娯楽の場であった。宴の終わりには興奮した若者達が徒党を組んで、隣村の若者連中とケンカをするのも常だった。
しかし近年は我孫子市街も様変わりし始め、旧成田街道はすっかり寂れた。道幅が狭く信号ばかり多い旧成田街道を避けて、人通りは手賀沼沿いの信号が少ない大道路に移った。クルマ社会への変化は街の様相を激しく変えて、沼沿い道路沿いに新しい大型店が相次いで開店するようになった。
常磐線沿線には、伝統と格式を誇る人口50万の松戸市と新興の40万の柏市が両雄だが、勢いは柏市に移りつつある。つくば新線も開発され、もめている柏市40万人,我孫子市13万人,流山市18万人の合併計画が、仮に実現すると人口70万の巨大都市にもなる。今年の国税庁発表の地価一覧では、柏駅前が千葉駅前を抜いて、県内最高の土地表示価格になったのも頷ける。
全国的にみても大都市のデパート群の衰退は激しい。私が新入社員の頃、尊敬する同僚は昼休みには必ず近くのデパートを歩き回っていた。理由を聞くと、デパートには時代の最先端が見えると!ややキザな返事だったが、最近はクルマ社会の進展で都心デパートの衰退を続け、風前の灯になり、代わって郊外に広い駐車場を備え大型スーパーに商権が移った。三越,伊勢丹,高島屋,大丸,阪神,阪急など、国内有名デパートの総売上高を合計しても、やっとイ-オン(旧ジャスコ)1社の規模だというから、時代の変遷は恐ろしい。私学の超名門K大学の学閥で固められた国内デパート群の幹部連中に、ご自分の生涯を賭けたデパート業界の衰退について、一度話を聞いてみたいと思う。
7月14日-15日を中心に市内の旧水戸街道沿いに4組に分かれた地元衆が中小型の神輿を担いで大通りを練り歩く。比べものにならないが浅草三社祭りのミニチュア版だ。信仰心の薄い私は、テレビに映る浅草三社祭りの騒ぎには余り馴染めず、白々しい気分で眺めていたが、地元にも同様な祭りが息づいていると知り親近感を覚えた。しかし多くのサラリ-マンは、やはり極暑の祭り騒ぎより、冷房の効いた部屋でテレビの野球中継を見るほうが圧倒的だろう。
聞き話で正確さは欠けるが、地元には飯泉家、鈴木家、村越家及び他の旧家があって、彼らが中心になって、毎年八坂神社祭りを細々と続けているという。やや後ろめたさはあったが、翌朝早く祭り会場に来てみると、奉納者一覧表が貼り出されていた。村越家を筆頭に30,000円奉納者が4名、次に10,000円組が約20名、5,000円組も20名程度、最後に3,000円組が10余名と金額順に貼り出され、端っこに当社の名前もあった。個人的にはもっと出したかったが、先輩の友人企業を恥かしめるので我慢した。
奉納者一覧には栄枯盛衰があり、昔から地元を代表する割烹料亭2軒の名前はなかった。不景気のせいで企業の接待費は極限まで削られ、両割烹料亭は灯が消えた静かさで、いつまで持つか周囲も好奇心で見守っている状況だから仕方ない。同じく地元の旧家に連なる某庭園業者も見当たらない。後継ぎ一人息子で大手電機会社に勤めていた長男が昨年暮れにガンで急逝し、年老いた両親は気力が萎え失せて、代々家業の植木業を閉めることまで考えているという。
私が育った山口のド田舎にも昔は盛大な夏祭りがあった、石城山麓の八幡様の境内に多数の夜店がこうこうと並び、1年かけて腕を磨いた地元の若衆が自分の腕前を披露する素人演芸会があり、また旅回りの芸人が演じる痛快な股旅物を見物できる楽しい娯楽の場であった。宴の終わりには興奮した若者達が徒党を組んで、隣村の若者連中とケンカをするのも常だった。
しかし近年は我孫子市街も様変わりし始め、旧成田街道はすっかり寂れた。道幅が狭く信号ばかり多い旧成田街道を避けて、人通りは手賀沼沿いの信号が少ない大道路に移った。クルマ社会への変化は街の様相を激しく変えて、沼沿い道路沿いに新しい大型店が相次いで開店するようになった。
常磐線沿線には、伝統と格式を誇る人口50万の松戸市と新興の40万の柏市が両雄だが、勢いは柏市に移りつつある。つくば新線も開発され、もめている柏市40万人,我孫子市13万人,流山市18万人の合併計画が、仮に実現すると人口70万の巨大都市にもなる。今年の国税庁発表の地価一覧では、柏駅前が千葉駅前を抜いて、県内最高の土地表示価格になったのも頷ける。
全国的にみても大都市のデパート群の衰退は激しい。私が新入社員の頃、尊敬する同僚は昼休みには必ず近くのデパートを歩き回っていた。理由を聞くと、デパートには時代の最先端が見えると!ややキザな返事だったが、最近はクルマ社会の進展で都心デパートの衰退を続け、風前の灯になり、代わって郊外に広い駐車場を備え大型スーパーに商権が移った。三越,伊勢丹,高島屋,大丸,阪神,阪急など、国内有名デパートの総売上高を合計しても、やっとイ-オン(旧ジャスコ)1社の規模だというから、時代の変遷は恐ろしい。私学の超名門K大学の学閥で固められた国内デパート群の幹部連中に、ご自分の生涯を賭けたデパート業界の衰退について、一度話を聞いてみたいと思う。
2012年07月17日
120917大昔の手術
郊外の我孫子駅前に事務所を移して1年が経過した。仕事で東京の東端から西端に通う時も、都心は避けて武蔵野線を使うようになった。乗り換えも少なく何より混雑の都心を通らなくて済む。先日久し振りに雑踏の都心に出た。上野のAJ病院に外来診察で訪問した。
AJ病院はベッド数400の中堅病院だ。私は暫く病院に通っていなかったが、この病院の職員が機能的に働いているのに感心した。窓口は8:30に開くので、既に大勢の外来患者が待っていた。多くは年寄りで、行き場がなく来院した者もいる雰囲気だ。まず来訪者は玄関を入り直ぐ横の外来受付機に診察カードを差し込んで順番を確保する。しかし初診の私はカードがないので、備え付けの用紙に来院理由を書きこんで、初診受付を待つ。
職員もなかなか感じがいい。多くは若々しくユニフォームも清潔で専門職そのものだ。きびきびと自分の配置につき、机上や書類を手早く整理する。しかし本日は終了しました、の立札だけは動かさない。これを取り去るとすぐ患者が詰めかけるからだ。まず初診受付が時間前に始まり、次々と来訪者の症状を聞き院内の手順を説明する。初診者の振り分けは結構難しく、ベテラン職員が受け持つようだ。定刻になると、各窓口は一斉に,本日は終了しました,札を外し、見渡す限りの窓口が一斉に業務を始めた。
初診外来6番目の私が呼ばれた。まず紹介状の有無を尋ねられ、紹介状は無いが担当ドクターとのメール交信のコピ−を示すと、内容を読んだ窓口係は考え込み、隣のベテランと相談する。私にはどうでもいいのだが、大病院ではやはり紹介状の有無が重要なのだ。繰り返しメールを読んでいたベテラン職員は遂にOKですとサインした。メール交信を紹介状だと判断したようだ。
直ぐに受付で簡単な外来ファイルが作られ、それを外科の外来窓口に出すよう指示された。離れた場所の外科窓口にファイルを提出すると、再度紹介状を見せるよう求められた。大昔に私の脳外手術に立ち会ったY先生と交信して、AJ病院に来るよう要請されたメールを見せると、内部で暫く相談した後、申しありませんが貴方は紹介状ナシの扱いになります、と説明された。30年前に手術した時の先生とのメールの交信だから、紹介状とは言えないのは確かだ。
AJ病院は上野地域の中核病院で、大学病院より効率化が進んでいるようだ。昔から大病院では処方箋の作成や点数計算、清算など多数の職員が並んで忙しそうに作業していたが、今は受付や計算、処方箋、清算など総計6-7人の女性が全て担当し、病院のPC化が格段に進んでいるようだ。医療は特殊業務でPC化は困難とドクター方が抵抗していると聞いたが、一旦PC化されるとその効率は素晴らしいことを先生方も実感したのだろう。
名前を呼ばれて脳外科の診察室に入ると、大昔にK大学病院で私の脳外科の手術時のY先生がこちらを見て座っていた。さすが頭は薄くあの初々しい姿は消え失せていたが昔の面影も少し残っている。お互いに懐かしく、やあ!大変お久し振りですと、笑いながら先生も大きな声をあげた、当時自分は臨床に出始めてまだ4年目の新米でした、実際に手術を担当したのは先輩のI先生です、と笑いながら言った。大昔なのによく覚えている。K病院の事務局は30年前のカルテを倉庫から取り出して調べると言っていたので。多分古カルテを事前に読んだのだろ。事務局に感謝!
頭痛でMRI受診を希望している私は、昔の手術した時の頭骸骨の留め金が残っており、持参した頭部X線写真を見せながら、MRI診断の障害にならならいかを相談したが、Y先生はステンレスだから大丈夫ですと答え、3週間後のMRI受診の予約が決まった。黙ってみている看護師の前でY先生は、私と話しながらもPCから目を離さず打ち込み続け、10分程度で診察は終わった。お礼を言って部屋を出た私はファイルを受け取って、計算窓口に出すと、暫くして壁の掲示板に私の番号が表示され、支払窓口で清算を済ませた。810円と意外に安かった。昔のK大学病院ではいつも1時間近く待たされた記憶があるが、最近のPC化の威力は素晴らしく、その便利さにはただ驚くばかりだった。
当病院でお気付きになったことは、備え付けの用紙に記入して箱に入れて下さい、とポスターが貼ってあったが、用紙が見当たらなかったのが唯一残念な出来事だった。帰宅してY先生をPCで検索すると、K大学病院脳神経外科の筆頭に名前があった。あの控え目なY先生が超有名なK大学付属病院の脳外科の重鎮になっていたのだ。やはり30年の月日の威力は大きいものだと痛感した次第。
2012年07月09日
120709格安航空LCC
JALやANAで東京から札幌,福岡に行くと、片道25,000円前後かかる。それを5,000円で飛ぶと言う格安航空LCCがスタートした。嬉しい話だ。大体ハワイ旅行が3泊4日ホテル代込みで50,000円で行ける時代なのに、たった1時間半の札幌,福岡への片道キップが25,000円とは如何にも高過ぎる。
わが国ではJALが完全な独占の花形路線としてスタートした。私の近所に住んでいた知人の娘さんもJALステュワーデスになった途端、生活が一変し, 成田に通うのも電車の10倍高いタクシーを使う馬鹿げた会社だった。その後ANAが参入して少し競合が始まったが、依然として2社の寡占体制が続いた。そして殿様商売のJALは何回も破産を繰り返し、民間体質のANAだけは辛うじて生き延びた。
新幹線でも東京から福岡まで5時間かかるのは確かに苦痛だ。行くだけでなく、現地に着いてからの仕事もある。それを1時間のあっと言う間に現地に着くと毎朝の通勤と同じ感覚で、無理しても航空機を使うことになる。増して子供連れの旅行となると苦行で、大金はたいても飛行機を選ばざるを得ない。それが格安LCCの登場で1/3で行けるとなると少々サービスは悪くても誰も文句は言わない。
海外では、早くからLCCがスタートし現地の航空券が劇的に下がったが、日本では、国土交通省が事故対策の不備とかあることないことケチをつけLCCを認めなかったが、やっと最近 Peach-Aviation、 AirAsia-Japan、JetStar-Japanの3社が成田,関空でスタートすることになった。
先日もPeach-Aviationの発足式をテレビでみた。広報マンが誇らしげに、我が社の机や椅子は全て中古品です、社長机も大部屋の片隅です、と自慢そうにPRしていた。しかし何だか変だ. 民間の中小企業では当たり前だ。丈夫で長持ちの事務机は長年使っても新品同様だ。社長が大部屋に居ることも中小企業では当然。 新品の机や椅子でTopが別室にデンと構えるのは、税金でタダ飯を食う官庁や大企業だけだ。民間の中小企業は、昔から血のにじむような節減経営をしているのだ。
JetStarは成田市郊外の芝山町のある空き倉庫を本社にしたという。これも当然で、家賃の高い東京に本社を置く必要は毛頭ない。我社も都心外れの江東区臨海部の事務所で年間家賃150万円を払っていたが、千葉県の田舎駅前に移転したら年25万円と劇的に下がった。小さな成田の航空会社が都市に本社を置く必要はさらさらない。
JALやANAはフルサービスとか格好つけて煩いほどの至れり尽くせりサービスを提供して高い航空券を売りつけている。そんな高コスト体制では、そう遠くない将来にきっと行き詰まると私は思う。
10時間前後の海外路線でも乗客の多くはEconomy-classだが、椅子は狭く長時間はかなり苦痛だが、値段が2倍のゆったりBusiness-classや、4倍の豪華なFirst-Classに乗る客はタダ飯組のお役人が殆どだ。近年では大企業の中間管理職もEconomy-classを使うという。
以前私は、成田―ロスを数十回も往復したが、常用するJAL やANAのEconomyは往復20万円だが、長時間のフライトはやはり苦痛だった。しかし大韓航空KALはEconomyが13万円、Businessが20万円と知って、KAL-Business 20万円に変更し, その快適さに感激した。 更にJALやANAは午前中にロスに着き、昼前にホテルに入って眠気を我慢しながら 翌朝の仕事に備えるが、KALは早朝一番にロスに着くので、そのままユーザーに急行して当日9時から仕事に間に合った。キムチ臭があるとかいうJALやANAの悪口は全く当て外れの快適で、その後私はKAL-Businessの愛好家になってしまった。
昔の話ばかりで恐縮だが、私が新入社員時代の昭和40年代は、社長や上役が米国に行く時は大騒ぎで、出征兵士の見送りと同様に多数の社員が羽田で見送ったが、海外旅行が一般化した今日では、誰ひとり見送りせず出発する時代になった。しかし航空運賃だけは昔のまま、高額で生き残っているのだ。こんなバカな体制が長く続く筈がないと思う。
LCC対策としてJALは国内線にはなかったFirst-classを沖縄線や福岡線に導入し、ANAも座席を本革シートに変えて機内食も充実したそうだが、甚だしい勘違いで、本革シートで2倍の運賃を払うには税金タダ飯組だけだ。 贅沢で高コスト体勢に馴染んだJALシステムでは、少々の小手先変更で対応することは殆ど不可能で、結局、根本から変革しなければ対応できないだろう。即ち、社長から幹部社員まで総入れ替えする以外に、解決策はあり得ないと思う。
国土交通省も激安のLCCが拡大しないよう便利な羽田を使わせないとか、場違いな防戦をしているが、安いLCCの衝撃は大きく、乗客の多くは初めて飛行機に乗る客だという。 JALやANAもフルサービスの充実などと、のんきなことを言うのではなく、時代の変革を早く気づき、頭脳を完全に切り替えて、抜本的な対応しなければ生き残れないだろう。
2012年07月04日
120704,断末魔の小沢さん
小沢元代表が民主党に47名の離党届けを出した。消費税増税反対、原発反対と野田内閣を脅迫し続けたが、野田首相は屈服せず、逆に小沢さんが離党に追い込まれた。予想に反して民主,自民,公明が懸案項目を全て棚上げし10%増税だけに絞って合意し、増税法案は衆議院を通過してしまった。想定外の決着になり、目算の狂った小沢さんは、小沢チルドレンを道連れに離党してしまった。
何故小沢さんはここまで強硬に増税に反対するのか。民主党のマニフェストを順守すべきだと彼はいう。しかし民主党政権になって既に3年、鳩山内閣で幹事長を務めた小沢氏は、マニフェスト目玉のガソリン暫定税率を廃止できなかった。減収する2.5兆円を補う財源がなかったのだ。財源の裏付けがないマニフェストはインチキだった。
行政を洗い直して年間16.8兆円を捻出するというマニフェストはたった1.7兆円しか捻出できず、インチキと判明した。殆どの看板項目が瓦解して実現不可能な夢物語と分かった。しかし小沢さんは財源のアイデアを持たないまま、ただ野田内閣がマニフェスト違反だと騒いでいる。
増え続ける国の借金は遂に1000兆円にも達し、究極財源の消費税増税に頼る以外に打開策はなくなってしまった。現行5%(年14兆円)から10%(年28兆円)に増税して、増える14兆円を福利厚生財源に充てようとするものだが、何故か小沢さんは執拗に反対する。ギリシャはたった40兆円の借金でヨーロッパ全体を震撼させているが、日本は40倍の1000兆円の巨大借金があり、鵜の目鷹の目の世界の投資家達が次の餌食として狙っている危険な状態なのに。
惜しむらくは、小沢さんは方向を間違えてスタートした。バカな大衆は増税反対と言えばついてくると判断したのだ。100人以上の自派閥議員をもってすれば、若造の野田首相を振り回すことができると踏んだ。しかし政治生命を賭けると断言した野田首相は屈しなかった。そしてあれほど主張に隔たりがあった自民公明と合意してしまった。懸案事項は全て棚上げにする条件で。これには小沢さんが驚いた。
急遽小沢さんは100名近い自派閥員に大号令をかけ、半数の57名が呼応して増税反対に投票した。活路を見出したと思った小沢さんは、ヨシ!と快哉を叫び、この勢いで民主党離脱と脅せば、野田首相は折れる筈と踏み、白紙委任状を強要して45名が渋々と応じた。しかし45名の離党届けも野田首相には効果がなかった。
一般国民もバカではない。地元に帰って増税反対を訴えた小沢派議員は、後援会から激しい反発を受けた。目を覚ませ!小沢さんに騙されるな!離党はやめろと! 小沢さんのお蔭で議員になった新人達も、やっと小沢さんについて行くのは危険かも知れないと気づいた。
原発反対も同じだ。国民の多くは電力需給に無関心だから、原発反対を掲げれば味方にでき選挙も勝てるとの小沢さんは思った。ノーベル賞作家,大江健三郎が唱えるのならわかるが、私利私欲の小沢一郎の主張では誰も耳を傾けないと、やっと気付き始めた。
新人議員は、内心では小沢派に入ったことを後悔し、派閥を離れたい気持ちはやまやまだが、申し出ると激怒されて村八分は確実。しかし今更、主流派に屈服するのはもっと屈辱だと、多くの議員は塗炭の苦しみに陥っている。大ボスには反抗できず、如何に地獄から抜け出すか、小さな胸を痛めている最中だ。
小沢さんの悩みはもっと深刻だ。50人近い議員を連れて新党を結成しても、政党助成金が無く直ぐに資金難に陥り、選挙でも大敗して半数以下の弱小派閥になることは必定だ。数が武器の政界では、少人数人では誰も相手にしなくなる。壊し屋の面目躍如の小沢さんには他の派閥も恐れをなして共闘する見込みがない。これでは新党の将来性は真っ暗だ。
誰でも長い人生には色々な苦境の時期がある。私もFRP漁船の製造販売を担当した時期が正にそうだった。FRP船は人件費の塊で、管理費の高い大企業には不向きの事業、作れば作るほど赤字を積み、将来性は真っ暗だった、しかし責任者の私は、小さな灯りを大きな可能性だと誇張して、バラ色の将来性を説き続けた。責任者から撤退を言い出すのはとても不可能で、進め進めと言う以外に対策は無かった。しかし内心では会社から事業中止の命令を出して欲しいと切望し続けていた。
企業の行動原理は簡単で、赤字なら中止するのが当然だ。しかし政治の世界はそう簡単ではない。国民に説明できる大義が必要なのだ。政策変更には多くの国民が納得できる大義が不可欠なのだ。しかし我利我欲の小沢さんに大義などあろう筈が無い。かくして彼は断末魔の苦しみを味わっているのだ。何か大義名分は無いか、誰か助けてくれないかと、もがき苦しんでいる。これを自業自得と言うのは小学生でも知っている。