2012年11月

2012年11月26日

121126 原発ゼロの幻想

12/16の衆院選挙を迎えて原発論議が盛んだ。党勢拡大のチャンスとばかりに、可能性無視で、原発と消費税だけは反対した方が得票になると無責任な発言がテレビを賑わしている。小沢さんの如く、選挙で稼げるなら何でもOKの議員は別として、真面目に脱原発を願う方々には、以下の私の意見を参照願いたいと思っている。 
 
経済よりも何よりも生命が大切で原発の危険性は福島事故でみんな思い知った筈だという。特に地震大国に日本では、原発は危険極まりなく、世界の先頭に立って再生可能エネルギーへの転換を進めるべきだと主張する。確かに説得力もあり反対できない。30年代に原発ゼロを実現するという民主党も、期限の2039年まで26年間あるので結果は誰も分からない筈という気持ちだろう。

確かに太陽光発電や太陽熱発電は魅力的だ。しかしその効率は晴天で最高20%前後、曇りや雨天には発電せず夜中は当然ゼロだ。雨の降らないアフリカや米国、中国などの砂漠地帯では有効な方法だが、日本のように曇りや雨天の多い地帯ではとても使い物にならない。特に梅雨時期の発電量は殆どゼロだ。普及を目指す政府は42円という高い値段で買い取る約束だが、何年続くか保障はなく、ドイツでは買取り価格を3割引き下げ始め、脱原発の方針を変更し始めているという。

風力発電もある、これはコストが安く遠浅海岸のヨーロッパで盛んだと聞く。問題は安定した風力望ましく、弱風だと電圧が下がり強風だと高電圧になり過ぎる。立地は平坦な平野か遠浅の海岸が望ましく、日本は陸地は山地、海岸は直ぐに深海で、適地は北海道の一部に限られる。更に1基当たり1,000kwと発電量が少なく、原発I基100万kw相当の発電には2-3,000台の風車が必要となる。風力発電の先進国ドイツでは、北方海上から3,600キロ離れた南部工業地帯への送電線の建設が地元住民の猛反対で混乱していると聞く。

海流発電もあり、強力な電力を発生するが、問題は海水の強烈な腐食力だ。福島原発に海水の注入がモメたことでも分かるが、海水は金属を激しく腐食し短い年月で溶かしてしまう。更に貝殻等の生物が付着して効率を大幅に下げる深刻な問題もあり、本当に長い年月に渡って使用に耐えるかどうか大きな問題だ。

地熱発電もある。これは国立公園法との関係があり、観光立国を目指す温泉業界からの猛反対は必至で、温泉業者の生き残りと大論争に発展するのは確実だ。人の食糧を発酵させて作るバイオ燃料に至っては悪魔のエネルギーで議論に値しない。  

燃料電池を挙げる人もいる。これは基本的には火力発電と同じ化石燃料を使うが、熱効率が大型火力発電の最大50%に対し、分散型燃料電池は理論効率が83%にも達するが、白金とかコバルト等の高価な金属触媒が不可欠で、高額な設備を全国の家庭に設置する必要がある。

代替エネルギーを示さず原発ゼロを主張するのは無責任な日本人の常で、平和ボケした再軍備反対運動と似ている。殆どの日本人はもはや戦争経験を持たず、私も悲惨な戦争体験はないが、尖閣を巡る中国の恐喝や、図に乗って騒ぐ韓国の竹島占拠などの蛮行に曝されると、呑気に軍縮を叫ぶのが恥ずかしくなってしまう。もし日本に自衛隊が無かったら、尖閣だけでなく沖縄列島も簡単に中国に占拠され、韓国も念願の対馬を獲得し、北海道は極東ロシアの中心になっていただろう。もし平和主義者が本気なら、国内で騒ぐだけではなく中国に出向いて平和共存を説いても良さそうだが、その勇気がある訳が無い。

確かに原発は恐ろしい。しかし技術的に、いろいろと予防措置を講じることは出来るのだ。福島の放射能漏洩は世界を脅かしたのは事実だが、それは東京電力の信じられない怠慢が原因で、ドル箱の原発の緊急冷却装置を海岸沿いの海抜10mの地下に設置していた為、13mの大津浪に襲われて瞬時に水没し冷却機能を失ってしまった。近くの東北電力の女川原発は15mの堤防を築いていた為、大津浪に耐え、放射能漏れを起こさなかったのがその証明だ。東京電力は、ドル箱原発が冷却機能を失ったときの代替策を全く準備していなかったという驚くべき怠慢が原因なのだ。独占惚けした電力業界は自分達の怠惰さに始めて気付き、今では日本の全ての原発は大地震にも耐えうる態勢になっているという。

例えば7基の原発をもつ東電柏崎発電所は、周囲を15mの堤防で完全に囲い込み、更に35mの高台にガスタービン発電車、海水熱交換機、軽油15万リットルを備え、炉心が損傷して放射能が漏れ始めた時には、フィルター吸着装置も準備済み、緊急時には手動で水素ガスを排気できる操作パネルまで取り付けた完全防備態勢を作り上げているという。

仮に、日本か唯一の自主エネルギー源を失えば、太平洋戦争の時、東南アジアからの石油を絶たれたのと同じ絶対絶命に陥ってしまうのだ。現在でも日本は全量の天然ガスを購入しているが、欧米の2倍―5倍の高い価格を押し付けられており、日本の年間軍備費3兆円の貴重な国富を毎年失っているのだ。もし原発を全廃すれば、足元を見られて更に高額な値段を押し付けられるのは確実で、経済は完全に崩壊し、3流国に転落するのは確実だ。その意味からもある程度の台数の原発は稼働し続ける必要があるのだ。 
                         
原発ゼロの活動家は、経済より生命の重要さを説く。しかし炭酸ガスを放出し続ける世界は今世紀末には平均気温が5度も上昇し、世界の気候と環境は大混乱に陥ると予言されている。熱帯地帯に組み込まれる日本はどう対処しようと言うのだろうか? それでも命には関係ないと言い続けるのだろうか?
  
危険な原発も2重3重の緊急冷却装置を準備すれば、殆どの放射能漏れは防げる。確かに日本列島の中心に位置する浜岡原発は撤廃し、瀬戸内海ど真中の上関原発は中断,老朽化した原発は廃棄すべきと私も思うが、使用可能な原発は、緊急冷却装置を多重化して使い続けて、信頼できる再生可能エネルギーの開発を待つ以外にわが国が生きる道はないのだ。例えば飛行機や新幹線や自動車は危険な乗り物だが、現在社会では避けることが出来ないのと同じように。    








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2012年11月19日

121119 ロシアと手を組もう

 
産経新聞だったと思うが、日本の尖閣問題に悪乗りして韓国大統領が竹島訪問など下品な行動を繰り返しているが、何故かロシアは黙って静観している理由が書かれていた。要約すると、中韓の対日批判に対してロシアが同調しないのは、内心で中国の台頭を非常に警戒しているからだという。共産世界のリーダーを自認してきたロシアは中国の台頭でリーダーの地位を失い、弟分の立場に落ち込み屈辱を味わっているのだという。このまま中国の膨張を許すと、広大な極東シベリア地区に多数の中国人が移住して、実質的に中国領土になってしまう危惧もあるという。しかしロシアはメンツ上から米国と手を組むわけには行かない。残された道は経済力があり政治的野心を持たない日本が最適のパートナーである筈だ、という主旨だ。

東海大山田吉彦教授も言っている。近年シェールオイルが登場して世界の石油市場は大転換期を迎え、原油王国サウジアラビアと天然ガス王国ロシアの地位が揺らいでいるという。米国は2015年には天然ガス王国ロシアを抜き去り、2020年に世界最大の産油国サウジアラビアを抜いて世界最大のシェールオイル産出国になるという。現在世界の天然ガス業界を支配してヨーロッパにガスを一手に供給しているロシアは、日本への供給を想定するサハリン天然ガス計画に1兆円もの投資を要し、日本抜きでは未開発に終わってしまう恐れがある。ロシアは最大の顧客である日本と早急に開発計画と資金計画を煮詰める必要性に迫られている立場だと言う。

確かにこの説明は説得力があり、ロシアが日本との領土問題を早急に解決して協力関係に入る合理性があると私も思う。しかし、現在北方4島には多数のロシア人が住んでおり、色丹3,000人, 国後7,000人 択捉7,000人と合計2万人が生活しており、彼らを追い出して、日本に返還することは現実的に不可能である。これらロシア人は極東優遇策に誘われて移住してきた人々だが、その優遇策が殆ど中止された現在、中央政府から見放され、漁師になって何とか生き延びており、ロシア政府も港湾整備とかインフラ整備を声高に叫んで、現住民の不満を抑えているのだという。逆に日本は、中国と尖閣紛争、台湾と漁業問題、韓国と竹島、ロシア北方4島問題など、どれも簡単には解決できない難題を抱えて、四面楚歌の状態に陥り、動きが取れない状態を続けているが、このまま推移するのは国家的に極めて大きな損失である。

私の持論を再びここに披露すると、日本がこの困難な状況を打開するには、まずロシアと領土問題を早急に解決して、敵対国を減らす必要がある。その為には北方4島の絶対死守は取り下げて、先ずは小さな歯舞色丹の日本返還で和解し、国後択捉は当面ロシア領として、将来現地住民の意志で最終決着する内容で早急に平和条約を結ぶ、以外には解決策はないと思う。そして両島住民のビザ無し交流を進めて実質的な友好促進を図るべきだと。
          
将来、仮に現地住民がロシア行政の存続を希望すればそれを認め、逆に日本帰属派が多数を占めれば日本に返還する。その時期は30年後でも50後でも両政府の協議で決めればよい。日本との領土問題が解決すれば、北方4島の開発は急速に進む筈だ。ロシアは基本的に欧州国家であり、北方4島はモスクワから地球半周も離れているが、わが国とは目と鼻の先で圧倒的に日本が有利であり、最終的には日本に帰属する公算も大きいと私は思う。

益々国力を強め、覇権国家への道を走り続ける中国は、その目と鼻の先に位置する尖閣問題で日本と安易に妥協する可能性はなく、日中緊張の関係は半永久的に続くだろう。更にニューヨークタイムズが米国で暴露した温家宝首相の2,200億円の不正蓄財は、中国幹部の誰にも当てはまる深刻な腐敗で、中国の一般大衆は憤怒に燃えているという。今回最高指導者となった習近平一族も米国に305億円を蓄財していると言われる。中国政府はその腐敗と国民の不満の吐け口として、日本敵視政策を掲げ続けざるを得ないのだ。我々としては徹底的に守備体制を固め、潜水艦増強、地対艦ミサイルと、空対艦ミサイルを充実して配備して、中国軍に対する守備態勢を固める必要がある。特に12式地対艦誘導ミサイルは有効で、尖閣周辺を徘徊する中国戦艦には大きな脅威となる筈と東洋学園大桜田淳教授はいう。幸いに防衛戦力は攻撃戦力より大幅に安く済むと言われており、日本が尖閣を守り切ることは十分可能な筈だ。  

竹島も偏屈極まりない韓国相手では簡単に解決する可能性は少なく、仮に南北朝鮮問題が解決すると、彼らは更に竹島占有に重点を強めてくる筈だ。従って日本はまずはロシアとの領土問題を早急に解決して、敵対する国を減らす必要がある。

愛国思想が関係する領土問題は強力な指導者でなければ解決できない。絶対的な強権をもつプーチン大統領こそが、その平和条約を決断できる人物であり、仮に他の弱体な大統領が出現すると、解決のチャンスは永遠に失われてしまうだろう。天然ガスの価値が薄れてき始めた現在、広大な領土をもつロシアにはシベリア開発は重要課題だが、極東の小島に執着する理由は少なく、その点が尖閣問題や竹島問題と決定的に違う点である。従ってプーチンを説得して、広大なシベリア開発には技術力をもつ日本がベストパートナーだと説得すれば、敵対し続ける意味は殆ど無くなり、協力関係を進めたほうは有利だと必ず理解してくれる筈である。







mh3944 at 08:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2012年11月12日

121112 イタリア地震裁判

さすがイタリアらしいと苦笑し人も多い筈だ。地震を予知できなかった7人の地震学者が6年の懲役刑の判決を受けた。新聞によると2009年3月31日のイタリア地震学会で、大地震が起きる可能性は小さいと報告した6日後の4月6日にラクイラでマグニチュード6.3の大地震が発生して309名が死亡した。裁判所は少しでも危険を警告していたら、人々はもっと慎重に行動して死亡者を減らせた筈だと説明する。世界も注目する興味深い裁判である、このような裁判が続けば今後の地震学者は常に危険性を大きく叫んで自分の安全を守ろうとしそうだ。

いや既にその傾向は日本では現れているかも知れない。例えば今春発表された南海トラフの三連動型巨大地震の予報がある。最大マグニチュド9.1、津波高さ30m以上という超巨大な津波が高知、静岡, 和歌山、静岡などの太平洋沿岸地区に襲いかかり、最大32万人の犠牲者が予想されるという恐ろしい予報だ。ここまで巨大な災害規模になると、太平洋沿岸に住む住民は絶望的な恐怖に襲われ、関係自治体はどんな対策を講じても間に合わないと諦めてしまうだろう。  

この三連動型大地震の予報はイタリア裁判より前に発表され、イタリアの判決には無関係だろうが、昨年の東日本大災害の膨大な犠牲者を念頭に、発表する被害予想は高めの方が安全だと思ったと見られても仕方にないほど甚大な被害想定だ。地震とはそれほど学問的に未発達なのかもしれない。

しかし私は反対のことも考えていた。昨年の東日本大震災で、襲来する津波予報を気象庁が余りにも低く予想し過ぎて、返ってその被害を倍増させたのではないかと。昨年3月11日午後2時46分頃、私は武蔵野線の西船橋―船橋法典の間で地震に遭遇した。猛烈な横揺れ激震で、電車と共に高架から10m下の地上に振り落されるのではないかと思った程だ。自宅にいた家内も今までに経験したことのない猛烈な振動だったと言う。後日テレビで、やっと難を逃れた被災者の多くが、生まれて始めて体験する激しい上下動だった、必ず巨大な津波がやってくるだろうと思ったそうだ。それほどの大規模な地震だったのだ。

しかるに気象庁は、地震発生後3分後に岩手福島の津波予想を3mとテレビで予報した。これを聞いてなーんだ3m程度か その程度なら面白い見物しようと、川土手に上がって港方向を遠望したり、歩いて港に向かう何人もの人々をテレビが映し出していた。そこに突如13mの巨大津波が襲い掛かったのだ。

直ぐに気象庁は津波の高さを3m → 6m → 10m以上と修正を繰り替えし、最終的には巨大津波と予報を修正したが、時すでに遅く、多くの住民は第一報の3m津波を聞いて、家の外に出た筈だ。同じ予報を繰り替えし聞く者は少なく、超巨大津波に訂正されたことは殆ど誰にも知られないまま貴重な時間が経過した。巨大な津波が間もなく押し寄せることを誰も知らないまま、漁船に急ぐ漁師とか、子供を迎えにクルマを走らす母親とか、校庭に集まって小田原評定を繰り広げる先生だった。

例えば80人の児童が津波に飲み込まれた石巻市大川小学校は、その程度の津波なら裏山でなく河口近くのやや小高い橋の麓でもいいだろうと相談して, わざわざ危険な河口に向かって進み始めた。そこへ突如13mの巨大津波は襲いかかり、殆どの子供達と先生を飲み込んでしまった。

気象庁の控え目な津波予報はイタリア学者の安全宣言と同じ効果で、精々3m程度の津波なら大丈夫だと安心させた結果、返って膨大な犠牲者を生んでしまったのだ。幸い日本人は温厚だから、気象庁を訴えることは誰も控えているが。

最初から巨大津波の警告があれば、犠牲者は大幅に減らせたのではないかと私は思う。幸い今回は日中の大地震であったが、これが夜中だったら、犠牲者は倍加したことだろう。気象庁は何を理由に3m→6m→10mといい加減な訂正を繰り返したのだろうか。もしイタリアなら、気象庁関係者は終身刑を宣告されても仕方なかったとも言えそうな軽率極まりない予報だった。

更に、気象庁長官や関係者がこの深刻な誤発表を国民に謝ったことは全く聞いていない。どんな理由でこれほど出鱈目な津波予報を発表したのか、国民に説明して謝罪してもいい筈だと私は思う。また気象庁長官は責任をとって辞職しても当然だと私は思うが、謝意表明も聞かず まして辞職など全く考えてもいないようだ。 

やや時代がかった話になるが、日露戦争の旅順港攻防で、日本兵5千名の犠牲者を出した乃木希典司令官は、生涯自分の責任を悔み続け、明治天皇崩御と共に、夫婦で割腹して殉死し遺族と国民に詫びている。そこまでは言わないが少なくとも地震津波の予報責任者として、気象庁関係者は自分達の軽率過ぎた予報を釈明し、多数の犠牲者を出したことを国民に深謝すべきだと今でも思っている。
                              
調べてみる気もないが、当時の気象庁長官は責任を追及されない内に退職金を貰って既に引退してしまったかも知れない。民間の社長なら、財産を剥がされて破産しホームレスに転落してしまうのに、お役人は高額な退職金をもらってどこかにひっそり暮らせるのだ。それは丁度膨大な年金積立金を霧散させて知らん顔をしている社会保険庁のお役人連中と全く同じで、無責任で卑屈極まりない奴らだ。
 
僅かでも救われるのは、検察庁が原発事故に関して、東電や政府関係者の過失責任を問えるか検討していることだ。巨大企業の東電がそのドル箱の福島原発の冷却装置を重層化して津波対策をより確実にして備えていれば、全世界を騒がせた放射能被害は大きく軽減させることができた筈だから。

 


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2012年11月07日

121107 越路吹雪とザピーナッツ

 
早朝に目覚め、深夜放送をイヤーホンで聞くと、素敵な歌声が流れてきた。サントアマミーだ。失恋を悲しみ、私から離れないでと言うフランス語らしい。きれいなバイブレーションに思わず聞き入り、直ぐに越路吹雪だと分かった。さすがシャンソンの名手と言われるだけあって、本当に素晴らしい。今朝は越路吹雪の特集らしく続いて、ウナセラディ東京、が始まった。こちらは、たそがれの東京、というイタリア語だという。

しかし、おや!と思った。 私がいつも聞いているザピーナッツのウナセラディ東京とは何か違う。越路吹雪が歌うウナセラディ東京はなんだか雑だ。うまく表現できないが、ザピーナッツに比べると越路吹雪は、カラオケ上手が唄うウナセラディ東京に近いと思えた。 どうして!あの有名な越路吹雪が何故こんなに粗っぽい歌い方するのかと驚いた。ザピーナッツのウナセラディ東京しか知らなかった私も迂闊だが、他の歌手も歌っているようだ。 デュエットとソロの違いはあるだろうが、それにしてもピーナッツと越路吹雪の歌唱力は大差がある。丁寧さ、情感の込め方、延ばし方、抑揚など、誰が聞いてもピーナッツの方が抜群に情感を込めて歌い、越路が粗っぽい。あれほどの名歌手が、こんな歌い方をするとは信じられなかった。ザピーナッツが越路吹雪の歌を聞いて、もっと上手に歌おうとリカバーしたのかも知れないが、両者を比べると歌唱力のレベルが違うように思えた。実はザピーナッツの別の歌でも同じことがあった。

余り有名ではないが、心の窓にともし灯を!も私の大好きな歌だ。 情感を込めたザピーナッツのハーモニーは静かで素晴らしく、流石ヨーロッパやアメリカでも名声を博したピーナッツだと感心する。 ちゃかちゃか騒ぐばかりの最近の歌手にはとても真似のできない別次元の世界だと思われる。私は時々ボリュームを高めてCDを聞くと、近所に聞こえるから適当にしなさい!と直ぐ家内が文句をつけるが、やはり歌の世界に浸るにはある程度のボリュームも欲しいから、家内の留守には音量を上げて聞くことにしている。

倍賞千恵子も私の好きな歌手だ。妹の倍賞美津子よりも、姉の千恵子のほうが落ち着いた大和なでしこらしく静かに丁寧に歌う。さよならはダンスの後にとか さくら貝の歌など、彼女の歌は心に沁み込み、これもCDを何枚か持っている。しかし先日、たまたま倍賞千恵子の、心の窓にともし灯を、を聞いて驚いてしまった。あれほど素敵な倍賞の、心の窓にともし灯はザピーナッツと比べると、倍賞はカラオケ上手な素人歌手のように思えたのだ。私の大好きな倍賞なのに。

越路吹雪も倍賞千恵子も、日本の歌謡界の大御所で、歌唱力を誇る超有名な歌手であり、彼女達にクレイムをつける気はさらさら無いが、私の感想は、ザピーナッツと比べると、その歌唱力、丁寧さ、情感の込め方、抑揚などなど、両人ともザピーナッツより明らかに練習不足に思え始めた。
或いはザピーナッツが特別に優れたデュエット歌手だからかも知れないが。 

異議ある方が何人も居られるだろうから、ぜひ両人の歌を聞き比べてみて欲しい。それは単なる好みの違いとか、ソロとデュエットの差とかのレベルを超えて、別次元のようで、明らかに情感の込め方が違うと感じられるから。 越路吹雪が本場フランスでも、シャンソンの名手と呼ばれたかどうか私は知らない。或いはザピーナッツが先輩諸姉の歌唱を聞いて、更に猛練習に積んで自信ができてからレコーディングをしたのかも知れないが。

私はオンチだからカラオケを殆どやらない。大昔、確か小学校の先生から歌が上手だと褒められたようなかすかな覚えもあり、私の人生で数少ない褒められた出来事で、忘れずに記憶に残っている。その程度の私が、超高名な歌手にケチをつけるなど、けしからん限りだ!と越路,倍賞のファンからお叱りを受けそうだ。私自身も歌謡界の高名な歌手にケチをつけるのは罰当たりだと思うが、両女史のCDを聞いて率直な感じだ。私が名前を知っている歌手は、精々中島みゆきとか松任谷由美あたり迄で、SMAP, Exile, 嵐などは、何を唄っているのかどこが良いのか全く分からない。しかしど素人でもプロ歌手の唄を聞いてその良し悪しを感じることができるのだ。
近い内に、ヨーロッパの女王カテリーナバレンテとザピーナッツを聞きくらべてみたい。アジアを席巻したテレサテンと美空ひばりも比べてみると面白い発見がありそうだ。ただオンチの私が聞き比べて勝手な意見を言っても所詮しがないことではあるが。  














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2012年11月01日

121101 手賀沼エコマラソン

121101 手賀沼エコマラソン
今年も手賀沼エコマラソンが先週(10/28)行われた。前日までは晴天続きだったに、この日曜に限って意地悪な小雨になってしまった。スタート時はまだ降っていなかったのが不幸中の幸い。

私はマラソン見物が大好きだ。特に我が家近くを走るこのハーフマラソンには思い入れもあり、毎年スタートから終りまで見尽くす。今年も参加者は8,000人以上と、やはり猛烈な人数だ。いつも市役所下の交差点で待ち構える。ここは往路5キロと復路15キロが交差する所で観客も多い。出場者の多くは関東周辺だが、手賀沼を1周するコースは景観もよく、国内でも結構人気のマラソンという。 

号砲が鳴って15分、先頭の2人がやって来た、すぐ後ろには派手な蛍光色パンツの中央学院大ランナー3人が続く。全く無名だった中央学院大も、15年前から難関の箱根マラソンに出場し始めて、全国的に名前を知られるようになった。恐らく入試の偏差値も上がったに違いない。体力と頭脳とは無関係ではないということか。  

続いて、千葉、柏、流山、東京、埼玉のマラソンクラブの選手達がぱらぱらやって来る、暫くすると急に人数が増え始めた。色とりどりの服装で圧倒的に男性が多いが、女性も1割程度はいそうだ。マラソンは女性に有害だと昔は禁止されていたが、強くなったものだ。5キロ地点のランナーはまだ元気一杯で、家族や知人の声援に元気に反応する選手も多く、女性ランナーも平静な顔つきで走ってゆく。昨年からは我がヨットクラブも湖上から応援するようになり、10隻以上がセイルを高々と上げて並走すると、普段は静かな田舎町も賑やかな風景に一変する。今年の天候は良くなかったが、風には恵まれて、湖上を帆走するヨットは苦しむランナー達には一服の清涼剤になるだろう。
日本はマラソンが盛んで、秋から春には毎週必ず何処かで大規模なマラソン大会が行われている。鈍足の私は長距離を走ることはとても敵わないが、練習を積んだランナー達にも決して楽なことではなく、帰路15キロ時点では、多くのランナーの形相は変わり苦しそうに顔を歪めて走っている。しかし平然と走るランナーも少しいる。特に若い女性が脇見もせず颯爽と疾走するのを見ると思わず感涙してしまう。私なんかはとっくにぶっ倒れる距離なのに何とも平気なことだ。安くはない参加料を払って迄こんな苦しい思いをする気持ちは私もなかなか理解できないが、完走した時の快感は何物にも代えられないと聞く。しかし走っている時はやはり苦しいに違いないだろうに、忍耐心の問題なのだろうか。

先日のテレビで、若い学卒ホームレスの生活を取材していた。彼は普通の生活に戻りたいのだが、きっかけがつかめないと話していた。ハローワークにも条件に合う募集は殆どないという。しかし私には言い訳に聞こえた。本当にやる気があれば、何とか抜け出す手段はありそうなものだ。結局彼らは仕事にいろいろと条件をつけ過ぎ、やる気と忍耐力が不足しているだけではないだろうか。

幸か不幸か、日本には徴兵制がなく、韓国中国のように青年時代を徹底的に鍛える場がない。米国は志願制らしいが、彼らも中近東でも、決死の覚悟で働かされている。悲惨なアフガン戦場からの帰国兵の多くはPTSDで生涯苦しむと聞く。 もしわが国がアフリカに派遣中の自衛隊員に何人かの戦死者でも出たら、国内には衝撃で、マスコミは大騒ぎし、内閣が倒れるかも知れない。しかし外国では軍人が職務で倒れるのは異常ではなく、想定内の出来事だと思う。日本は若者も高齢者も過度に保護されて忍耐心がなさ過ぎるのではないだろうか。例えば、国内の生活保護受給者は年々増え続けて210万人に達し、更に予備軍が80万人もいるという。その中にはインチキ受給者も結構含まれるというから、何をかいわんやである。高齢の石原慎太郎が都知事を辞めて日本再興を叫ぶのも分かるような気がする。

先日プロ野球のドラフト会議があった。上位指名は全てピッチャーで、投手は完全な売り手市場で超高給らしい。理由は簡単、ピッチャーは非常に重要な役割で、他のポジションと違って勝敗を一身に背負って試合する。 殆どは30代半ばを超すと体力を使い果たすほど過酷な仕事をするのだ。従って有望な投手はいつも高給で買い手が待っている。我々の仕事だって同じことで、研鑽を重ねて特殊な技能を身に付ければ、いつどこにも仕事があり、仕事にあぶれることはあり得ない。資格は学卒だが、アルバイト程度の知識と経験しかない学卒に、4−5百万円の給料を払う企業はある筈がないのだ。   
確かに大昔は、大学を出れば学卒様と言われて仕事を選べたが、今日ではとっくに時代は変わった。アルバイトで4年間を過ごした学卒には、アルバイト程度の仕事しか残されていないのだ。その時代変化を理解せず、学卒を認めない社会を恨むのは時代錯誤も甚だしい。昔のホワイトカラーの職場は殆どパソコンに代わってしまった。 残された仕事は、勇気と忍耐力とセンスと体力の勝負で、あとは僅かな幸運を女神の配慮に任せるだけだ。忍耐心もセンスも無ければ、体力で勝負する以外に無いだろう。それも嫌なら、社会で生きて行く場所は無く、ホームレスになって勝手に流されて生きるだけのことだ。 生活保護をインチキ受給し、親の死亡を隠して老齢年金受給で暮らすなんて本当にけしからん奴だと思う。  


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