2013年02月

2013年02月22日

130222 再生エネルギー


先日NHKの再生可能エネルギーに関する討論会をみた。いつもの素人ばかり50人程度集まって自由討論するのなら結論は見え見えで、無責任な反原発の大合唱になるだろうと予想していたが今回は違った。 流石NHKも考えて専門家5−6名で討論する形式だった。本件はなかなかの難問で再生可能ネルギーという美しいテーマに反し、まだ誰にも正解がないことも改めて認識できた。テレビの欄外に次々と流れる投稿意見のテロップは視聴者の勝手な意見であり、この方が大変面白かった。言いたいことを全国向けに発言できるのだから、全く無責任で奔放な意見のオンパレードだった。

やはりテロップには原発反対者の意見が多く、例えば命と電源コストを比較するとか何事か!という感情的な意見も多かった。しかし10代後半から20代の若手には極めて真剣で穏健な意見が見受けられたのは驚きであった。ある20代の若者は、確かに原発は恐ろしいが直ぐに廃止しても代わるエネルギーがなければ日本は立ち行かない。従って当面は原発に頼るのは仕方なく、本当に信頼できる新エネルギーの開発を強力に押し進めるべきだ、という民主党より余程真面目な意見が何件もあったことだ。社民党共産党など国会議員の諸先生達の思考停止した国会議員の諸先生方に爪の垢でも飲ませてやりたいと思えた。

中年女性が、命を損なう原発は絶対に容認できないとのヒステリー気味で 原発→放射能漏洩→人類存続の危険と短絡しているが、福島事故を教訓に、日本が原発の安全性を更に高めている状況は殆ど考慮していない意見だった。そのような中年女性の過激な意見が次々とテロップに流れるのを見ながら、母性を担う女性の本能的な危険回避であるとは思っても女性の限界をも知らされた。現代社会の常識である男女の完全な平等は、或いは間違いではないかとも思い始めた。本当に日本から原発を排除すると資源国に足元をみられて、更に高価な条件を吹きかけられ、日本が存続できなくなるのが分からないのだろうか? 原発さえ無くなればどんな生き方でも容認するのだろうかと疑問に思えた。

また原発の安全性確保と並んで、放射性廃棄物を如何に完全に処理するかも重大な問題である。原子炉は半減期が数万年以上の厄介な廃棄物を生成するが、その保管場所がなかなか決まらない。アメリカのような広大な国ですら何処も引き受けず、増して狭隘な日本には難しい問題なのは事実だ。最近スエーデンとフィンランドが解決したと聞くが、定期的に安全を確認する条件付きの半永久的な保管と聞く。日本ではどんなに寂れた田舎町でも誘致に反対する運動が盛んで、予備的な説明会もできない状態だという。私の住居の近くでもゴミ焼却炉からでる8000Bq以上の灰の保管で住民が反対運動を続けている。問題は如何に安全に保管する議論ではなく、別の場所に移せという話し合い拒否の運動なのだ。 これを考えると、迷惑は他人に押し付け合うことが我が国民の固有の性癖のようだ。 

あるテロップは、街頭で反原発を叫び、運動を終えて冷暖房完備のマンションに帰宅するとシャワーを浴びビールを飲みながらテレビを楽しむような輩には、発言する資格はないという意見もあった。確かに同感で、殆どのデモ参加者はこのたぐいの連中だと私も思う。生活様式を省エネ方式に改めるべきとの意見も多く、例えばコンビニに24時間営業は不要との意見だ。確かに日本はアメリカ、中国に続いて世界第三位の電力消費国であり、国民一人当たりの消費電力量も年間8,400Kwhで、世界平均年2,700kwhの3倍になる。この自堕落な生活には目をつぶって、実体のない再生エネルギー求め続けるのは、子供レベルの主張だと言う訳だ。

原発政策を推し進めるフランス、中国、韓国に対して、反原発を決めたドイツを称賛する意見もあった。確かにドイツは永らく原発賛成派と反対派が激論を続けていたが、福島原発事故を契機に反原発に踏み切り、将来は原発20基に相当する風力発電を建設する計画だという。しかしその内容はまだ試行錯誤の段階で、コストの高い自然エネルギーで本当にドイツが生きて行けるのかという反対意見も根強い。日本と異なりドイツは仮に風力発電が不成功でも、国内に石炭を豊富にもっており、何の資源も持たない日本とは全く条件が異なることだ。更にドイツは風力発電に適した遠浅の北海沿岸があり、周囲を深い海溝に囲まれて海上適地のない日本とは大きく異なる。わが国には日本海に面した東北と北海道沿岸しか風車発電の適地がなく、資源的には四面楚歌の状態なのだ。

有限な化石燃料には永久に頼るわけにはいかないのは誰も承知しており、最近話題のシェールガスも単に資源消滅の期限が延びただけであるが、従来の中近東一極集中の石油資源から世界が解き放されたという意味では評価できる。同様に原発もウランの埋蔵量が精々100年程度であり無限ではないとの意見は貴重だった。その意味からは日本では中途半端に終わっているプルサーマル計画は燃料が燃料を生むシステムで、再検討されなければならないとの専門家の意見も印象に残った。出席者の一人からバオイエネルギーも無視すべきでないという発言が出た。彼はトウモロキシを使う悪魔のエネルギーではなく、木材利用を利用して発電すべきとの主張だが、果たして山から切り出した木材で採算が合うのか甚だ疑問に思えた。

確かに、福島原発の事故は人類に警鐘を鳴らしたが、最大の原因は、東電の考えられない怠慢にあり、今回の事故を警鐘に、原発の安全性は更に高める必要があるが、例えばテロなど人為的な攻撃に如何に対応するかも大問題で、この対策も真剣な考慮が必要となる。

現代社会に電力は不可欠だが、問題は電力が殆ど貯蔵できないことだ。電力の消費量は昼が夜の2倍であり、その変動に如何に対応するかである。従って電源としては常に安定な発電ができる電源(原子力)と、必要に応じて柔軟に増減できる電源(火力等)の組み合わせがベスト必要となる。太陽電池は晴天には発電するが曇天には発電停止、風力発電は無風では全く発電しないのも重大な欠陥となる。更にこれから問題になるのは太陽電池の耐久性であり、聞く処によると数年で発電効率が半減するという恐ろしい結果もあるという。

世界の原発推進派はフランスと韓国と中国であるが、フランスを除いては皆地震国である。仮に中国や韓国で原子炉事故が起きると、漏洩した放射能の大半は日本に向かうことになる。福島事故では、大量の放射能が太平洋に流れて世界のひんしゅくを買ったが、中国韓国の事故は直ちに日本が被害者になる。それは中国から黄砂や汚染大気の来襲で証明されている現実なのだ。 兎に角、エネルギーの安定確保は現代文明に突き付けられた課題であり、当面は原発を稼働しながらも新エネルギーの開発を探る以外に道はないのだ。 



mh3944 at 09:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2013年02月15日

130215 広報活動の改善を

 東シナ海で、中国戦艦が日本艦艇に対してFCレーザーを照射したという。相手を攻撃する時、目標にレーザー照射してロックオンすることで戦闘開始寸前の状態だという。全く恐ろしく危険な話で、日本外務省は直ちに中国に抗議したが、中国外交通商省は事前には知らなかったと答えた。数日後になって、中国政府はレーザー照射した事実はなかったと、呆れた声明を出したが、これは政府が知らない軍部の独走であり、照射はなかったと表明せざるを得なかったのだろう。中国軍部の危険性を再び世界に広報した訳で、隣国の我々には本当に怖い現実だ。礼儀作法を学ばないまま、体力だけ強くなった脳足りん中国の振舞いを、世界各国は改めて知らされた。ここで私が問題にするのは日本政府の幼稚な広報活動だ。

先ずは小野寺防衛大臣の記者会見だが、余りにも幼稚な記者会見だ。新任大臣だから仕方無いかも知れないが、誠実過ぎてモタモタ説明する態度は国益を損ない大きな問題だ。これでは日本軍部の最高首脳の考えが中国側に読み取られてしまう。両国は緊張状態にあるが、中国側の意思決定過程は殆ど不明で、広報官の発表だけが頼りだが、逆に日本側は執拗な記者団の質問に対して、防衛大臣がしどろもどろに細かに説明するのは見ておられない。更に安倍首相まで記者会見して怒気を含めて自分の考えを直接説明するので、中国側は日本側の真意を簡単に分かってしまう。外交は机上戦争だから内部の意思決定過程が相手に簡単に読み取られてしまうには深刻な問題だ。

記者団は興味本位できわどい質問をぶっつける。どうなれば両国が現実に砲火を交えるかとか危険な質問ばかりで、防衛大臣は言葉に配慮しながらも懸命に答える。防衛大臣の考えは全て中国側に流れる。日本側は何とか事態の進展を抑えようとしていると中国側が判断すると、更にもう一歩進んで次の危険な二歩目を踏み出そうと中国側は画策する。素人が考えても、広報活動は専門の広報官に任すのが常識だと思うが、日本は直ぐに最高責任者が無神経かつ不用意に、記者団の微妙な質問に正直に応答する。何故このような幼稚な広報活動が永年続いているだろか。専門の広報官に任せば、許された範囲で明快に答え、危険な質問にはぼやかした回答ができるのだ。中国広報官も初回の記者会見で、レーザーを照射したかどうか分からないので専門部署に聞いて下さい、と答えたが、日本の防衛大臣はそんな説明は許されない立場だ。

岸田外務大臣も同様だ。自分の大人物さを印象付けようと勘違いしているのだろうが、体を左右に揺さぶりながら、のっそりのっそり現れて、事件の経緯を取り巻き記者団に説明する。国民にはその温厚誠実そうな態度は納得できても、敵側には次の作戦のヒントを教えてくれる。素人にもこれはまずいと思われることだが、広報活動専門の外務省では必ず訓練された担当者に担当させるべきだ。特にこのような重大事件には洗練された広報官が、一見詳しそうにしかも核心事項は曖昧に説明するのが最も賢いやりかただ。

米国の広報活動もスマートだ。余程の緊急事態で無い限り、訓練された女性報道官が記者団に対して応答する。そして微妙な点になると核心を外した回答で、決して真意を明かさないように発表する。中国は更に完璧だ。習総書記とか参謀総長が即席で説明することは絶対にない。若くて元気のいい報道官が、原稿も見ないで中国の方針を朗々と発表する。しかも肝心な点は見事に隠されている。内部では強硬派と穏健派の激しい議論が行われているのは間違いないだろうが、発表会見では自国の方針として明確に説明する。日本側のもたもた会見と比べると、中国は如何にも統一された強国に見える。両国の記者会見を比較すると、中国は日本政府の弱腰を簡単に見抜き、日本側は真意を掴めない中国発表に益々想像を巡らし、如何に対抗すべきか政府は頭を悩ますことになるのだ。

中国では、内部でどのような議論があったか、全く分からない。まして今回の如く、政府首脳の事前了解なく、軍部は勝手に独走することもあり、どの段階で軍事行動が決定されているのか、外部からは意思決定の過程が見えず、日本政府も右往左往するのだ。それだけ内部体制が見えない為、日本にとって中国は厄介で難しい相手になるのだ。

民主党野田内閣の時代も同様だった。元気無なさそうな藤村官房長官が机上の書類をみながら説明し、記者団の顔は殆ど見ない。これでは視聴者に馬鹿にされるに決まっているではないか。北朝鮮の報道官のような、声高くバカ元気で威喝しながら話せというのではないが、実務の最高責任者が誠実実直に説明する幼稚な段階だけは早く卒業して、もっと戦略的な方針を洗練されたスタイルで広報官に発表させるべきだと思う。国際化時代において広報活動は非常に重要だ。単に誠実に話せばよい訳ではない。バカ正直に話せば対手に通じる時代でもない。政府の真意を悟られないように、我が国の方針を世界に広報し宣伝する必要があるのだ。
何処の国にも強硬意見と慎重意見があり、両者の熱い議論を経て、最終的な国家戦略が決定されているが、その過程まで推定れてしまう下手な広報は、国内の混乱や弱腰振りを相手に見せることになり、相手は益々強硬になって、最終的に被害を蒙るのは国民なのだ。


  


mh3944 at 09:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2013年02月07日

130207 ヤマト魂は消えた?


大相撲初場所で日馬富士が全勝優勝した。先場所の極端な不振から立ち直りマスコミや大相撲審議会はベタ褒めだ。確かに全勝は立派だが内館牧子前委員なら多分、あんな勝ち方は褒めるに値しないというに違いない. 私も全く同感だ。全勝だが内容的は正面勝負が殆ど無く殆どが逃げ技だ。例えば稀勢の里戦とか琴欧洲戦がそうだ。誰もが期待した接戦を裏切って、日馬富士は立ち合いすぐに横に回って後ろから相手の腰に抱きつき送り出したのだ。稀勢の里も琴欧洲も力量を発揮する間もなく後ろから抱きつかれ土俵外に歩いて出た。先々場所の肩すかしよりはマシだがまるでサーカスの曲芸師と変わらない。     

まだ記憶に残る近年、7勝7敗の大関魁傑が横綱北の湖と四つに組んで内掛けで北の湖を倒したとき、横綱を目指す大関が足技を使うとは感心できないと非難されたとも聞く。蒙古や欧州から大勢の力士が参入して相撲は国際化したが、足技などはもう日常茶飯事で、日本古来の相撲道精神は消し飛んでしまった。その点では、蔑視されつづけても高見盛は逃げ技を使わなかった。いつも彼は真正面から取り組んだ。余にもわざとらしいと家内は嫌うが、私はその不器用な真面目さを買う。横綱朝青竜に嘲笑され続けても、無骨な高見盛は真正面から取り組み続け、遂に自己流を貫いたまま引退した。3年前の八百長騒ぎの時、相撲界で100%シロは高見盛ひとりだと言われたのも分かる。これから親方付きになり、お嫁さん探しを始めるそうだが、彼の一途さに胸キュンの日本女性はきっと現れるだろうと私は思っている。

欧州を中心に国際化した柔道界にも同じことが言える。日本柔道はイッポン技で決着を目指すが、韓国や外国勢は違反しなければ何をやってもよいという考えだ。例えば開始早々に相手の足にタックルする決め技が流行ったが、それはやり過ぎでレスリングと同じだと国際柔道連盟も禁止したが、依然として違反すれすれの技で優勢勝ち狙いが盛んに行われている。

これはスポーツに限ったことではない。国際政治の場でも、日本人は不器用で体面を重んじる余りPR下手で、言訳しなくても相手は分かる筈だとの思いがあり、中国や韓国など宣伝上手な近隣諸国に押され続けている。例えば慰安婦問題がそうだ。最前線で明日の命も保証されない若い兵士には慰安婦がつきもので、ベトナム戦争に参加した韓国兵が多数のベトナム女性に対して行った非情な行為、朝鮮戦争で米軍が韓国政府に慰安所を設置させた事実など、明日の命も分からない兵士には慰安婦問題は誰も非難できない現実である。

問題は、昔の日本軍が若い韓国少女を強制して戦地に送った記録はどこを探しても見当たらず、逆に高給に魅かれた貧乏な韓国女性が家族に前受金を残して、自ら戦地に出掛けたのが殆どだと言われている。しかし余りにも韓国が感情的に騒ぎ続けるので、バカな河野洋平官房長官は強制があったと認めるような発言をしてしまった途端、今度は逆手をとられて、その河野発言が証拠となって逆宣伝され始め、日本政府も強制を認めたと世界各地に幼い慰安婦像が建てられ始めた。

日本は大金を払って韓国との終戦賠償を実施したが、その対象は日本韓国間の懸案事項の全てを完全に永久に解決する為の対価と条約に明記されているにも拘わらず、韓国政府が賠償金を慰安婦補償に全く使わなかった為、国内慰安婦が未解決だと騒ぎ始めたのだ。日本政府が全く反論しないので、不勉強な米国マスコミまで日本を非難し始めている。昔の奥ゆかしい大和魂は現代の国際社会では全く理解されない時代になっているのだ。 
                    
既によく知られているが、中国や韓国の企業は、日本企業の技術者から最新技術を盗み取り続けて、世界をリードしてきた日本企業の最高機密が次々と安い金額で漏洩が続いている。自動車、テレビ 純水製造装置、リチュ-ム電池。。。。と、世界に誇る日本のあらゆる技術が、ブローカーの仲介で日本技術者から極めて安い金額で持ち出され続けているのだ。本当に悲しい状況だが、日本人技術者のヤマト魂は完全に消えてしまったようだ。いやヤマト魂に拘ること自体が既に時代遅れで、現代の国際社会は何でもありなのかも知れない。

面白い話しを聞いた、安倍内閣は規制緩和を叫び、市民が各種の規制に縛られることなく自由に発案し、自由に起業できるよう規制緩和することで、日本社会を活性化しようとしている。 しかし米国の某マーケッティング会社が世界各国で調査したところ、中国では国民の90%が規制緩和に賛成だが、日本ではたった49%で、主要国では最低の支持率であったという。何とも驚くような数値だ。確かに金儲けのチャンスさえあれば独立心旺盛な中国人は自分で商売を始めるが、日本は全く違う。日本人が望むのは、何とか公務員に潜り込み、終身雇用制のもと、安泰に暮らすことが最高の幸福であり、自分のリスクで起業する冒険は、愚の骨頂だと思っているようだ。その他力本願思想が、社会の沈滞を招き、社会保障費の激増となって、最終的には子供や孫一人当たり1,000万円近い大借金、国全体では1,000兆円の国債発行残高になっているのだから本当に怖い。     
   
中国では100兆円の国家予算も、実際に事業に使われるのは30兆円に過ぎず、残り70兆円は途中で消えて役人や仲介者の懐に入るという恐ろしい現実があるという。中国の首脳陣の殆どは我が身の安泰を考えて、家族や子息の多くに米国の市民権をとらせ、温家宝も米国に2,000億円蓄えているという事実がその巨悪を証明しており、絶望感に駆られた若者達がキッカケさえあれば発火して騒乱を起こすのだ。  

確かに日本は目に見える不正は少なく、精々小沢一郎が西松建設から5億円を貰ったとかのレベルだが、やはり国民は政府に頼る気風が強く、如何にも業々しい名目を付けては政府への補償要求が氾濫している。現代の国際社会は変質して、自己責任で慎ましく生きるのは難しくなり、がめつく自己主張しながら相手を蹴落しても生き抜く時代になったのだ。無骨に昔流を貫く高見盛は、現代社会には不似合いかも知れないが、彼の心情に同感する私も古い殻を引きずっているようだ。 


   


mh3944 at 11:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2013年02月01日

130201 安部内閣の3本の矢

 
安倍首相は3大政策で日本経済を立て直すと宣言している:大胆な金融政策、機動的な財政政策と、民間投資の喚起だ。ダボス会議で久し振りに日本の政策が世界の首脳から注目を浴びた。個人的には私も株の損を取り戻し、メーカーは気違いじみた円高レートから解放され息を吹き返している。金融政策と財政政策は政府の意向で左右できるが、問題は民間投資が喚起出来るかどうかということだろう。長年の不景気で守り経営に懲り固まったメーカーが、簡単に安倍首相の呼び掛けに応じるかどうか甚だ疑問だ。政府は民間投資を喚起する方策として、規制緩和と新エネルギー、医療マーケット分野などを示しているが、下手すると、企業が立ち上がらないままに財政支出だけに終わってしまう可能性もある。

例えば各種の新エネルギー開発投資だ。コスト面で原発やLNGの10円に相当する安価な代替エネルギーは極めて困難で不可能。風力発電は適地が北海道と青森秋田のみで発電量が限られ、福祉分野は人間相手の面倒な3K仕事で、苦労の割には報酬が低いことが知れ渡り、需要はあるが就業希望者が少な過ぎる。八方塞がりのなかで民間を活性化する知恵は誰ももっていない。ひとつのアイデアだが、私は市中の退職者でも意思さえあれば簡単に起業できるよう政府が助成策を打ち出しては如何かと思う。馬力はあっても知恵の無い若者に比べて、豊富な知識経験と人脈を使って新マーケットの開発と社会全体の活性化に貢献出来ると思う。 

私の近隣にも企業や官庁を定年退職して暇を持ち余している元気なシルバー人材がゴロゴロいる。
米系大企業の退職者Kさんは、毎日がゴルフ三昧で厭きもせずお金が続くのも不思議だ。大手商社を退職したSさんは、長かったアフリカ駐在のウップンを晴らそうと家庭を放り出して毎日ダンスだ。都庁OBのTさんは口達者を生かして自治会活動にご熱心。しかし彼らは例外的な存在で、多くのシルバー人材はお金の余裕も無く、退屈な引退生活を送っており、特に銀行マンOBはお金はあっても勇気が無く、引退後は寂しい生活を送っている。 
確かに公務員OBは、平穏無事に過ごすことが骨身に沁み込んでおり、口上は立派でも自らリスクを冒して新しい事業を起こすことはあり得ない。しかしメーカーOBは豊富な知識と経験をもち、意欲に溢れている人材が結構多い。彼らは不完全燃焼のまま退職を強いられ、これから始まる長い余生を退屈に苦しみ悶えながら老いて行く。    

60才過ぎで退職した彼らは、まだ元気で仕事に未練もあり、チャンスさえあれば仕事を続けたい意欲をもっている人材が多い。全く想像だが全国には数十万人のシルバー人材が貴重な知識経験と意欲を持ちながらも朽ち果てていると私は思う。彼らは知識経験に大きな自負があるが、中国韓国の安いコスト攻勢に敗れて、冷たい視線のなかで企業を去った人達だ。自尊心を傷つけられて挽回の機会もなく退職した彼等に、自分の力を試させる機会を与えてはどうだろうか。 機会と場所を与えられれば、彼らは名誉挽回の意欲に燃えて再び着火して動き出す人材が多いと私は思う。既にIT社会になり、個人でも簡単に起業できる時代であり、初期投資が僅少なら、立ち上がるシルバーは多い筈だ。定年後の生活を快適に過ごすには色々な考えもあるが, 私は自由意思で実社会と切磋琢磨しながら生きるのは、密社会でダンスやゴルフに時間を潰すより、よほど刺激的で永続する趣味だと思う。

具体的には、机と電話とパソコンを、格安条件(例えば月1万円程度)で貸与すると、彼らは業界知識を生かし、単独又は仲間と相談して開業するに違いない。最初はコンサルタントから始めるかも知れない。そしてチャンスがあれば、自ら小規模な仕事を始めるだろう。そして何人かは仲間を募って事業拡大も目指すだろう。 

私案だが小さな市町村には10人程度、大規模な都市では100人単位の施設を考えて欲しい。地方の市町村は駅前の便利な場所にも空き室がいくらでもあり、市役所や町役場は部屋を整備する。大規模な都市でも中心から少し離れると放置された空きビルが必ずある筈だ。それを100人程度収容でき、机とPCと受付、守衛を格安条件で提供すれば、希望者が続出するに違いない。もし市町村の財政が無理なら政府が補助する。国全体でも200-300億円で済むのでないだろうか。

例えば、私の住むA市の駅前には、県が建てた11F建ての立派なビルがある。多くのフロアはガラガラで暇な退職者が将棋したり、碁を打ちながら、終日時間を潰しているが、その1Fでも安い料金で有志諸兄に貸し出すべきだ。或いは駅から5分離れるとC銀行の古い建物が永年放置されており、これを利用すれば、20-30人規模の立派なシェアハウスが簡単に出来る。情報革命の進展とともに、今日ではパソコンさえあれば地方都市でも何不自由なく仕事が出来る時代になっている。 私自身も月2万円の家賃で2坪のシェア-ハウスを借りている。早朝出社するとすぐ仕事モードになり、仕事が終わればまだ太陽が高い内に退社する。厄介な上司がいない仕事は本当に快適だ。パソコンが分からなければ、隣室の事務員に教えを乞う。多分私は死ぬ迄ここで仕事を続けるだろう。 閑に苦しんで老いるより、多忙なまま突然人生を終える方が余程楽しいと私は思うが、ほかの方々のご意見もお聞きしたい。  

もうひとつは規制緩和だ。ハローワークの開放を是非進めて欲しい。ハローワークは極めて強力な人材調達組織だが、甚だ使い難いシステムになっている。例えば我社の如く従業員5人が全て定年退職者で失業保険を払っていないと、ハローワークに人材募集を申し込んでも拒否される。国の機関だから失業保険を納めていない企業は門前払いだというが、それは本末転倒だ。税金で作られた組織だから、国民は誰でも利用できるシステム変えるべきだろう。それでは業務多忙になり過ぎると言うかも知れない。では民間企業に人材紹介業を解放すべきだ。いろいろ理由を挙げて民間の人材紹介業を禁じているが、本当は、民間企業がライバルになるとハローワークが負けてしまうのが心配なのだ。彼らは民間と競争する自信がなく、従って民営の人材紹介業を禁止しているだけだ。 それは郵政の民営化と同じで、競合で勝てる自信がないので、ヘ理屈をつけて相手を排除する。規制緩和が大声で叫ばれるが、本当はこのように目に見えない隠れた規制の緩和が必要なのだ。

自由に使えるハローワークが出現すると、有志の人は同じ志の人材を募って、互いに協力し知識や資金を出し合って起業し、民間の活性化に大きな効果を発揮するだろう。 中国のお役人と違って日本の役人はワイロを取らないというが、代わりに目立たないような規制の網を張り巡らせて自分達の権益をがっちり守り、民間の自由な活動を大きく阻害しているのだ。



mh3944 at 09:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感