2013年04月
2013年04月30日
130430 学生の就職難
学生が就活に苦しんでいる。大昔に私も初めに不合格を食らい、やっと決まった苦しい思い出があるが、今日では100社に願書を送っても殆どは1社も受からず、時代が激変したという。大学を卒業しても就職が決まらず自殺する学生が毎年50人にも達するらしい。私の経験でも就職が決まらないと帰郷して親に合わす顔がなく、自殺したくなる気持ちも理解できる。零細企業だが私も社長として採用する立場でいろいろ考えてみた。
まず思うのは、勉強していない学生が多過ぎるということだ。特に文系は肩書目的で進学するので、最初から勉強する気は毛頭なく入学するとすぐに生活費稼ぎのアルバイトに精を出して年月が経過し、いざ面接となってさあ大学卒の私を雇って下さいと言われても、頭が空っぽのバカ学生を雇う社長は居る筈がない。
今の時代、仮に新入社員に年300万円払っても企業には500万円の負担となる。500万円を稼ぐには2千万円の売上が必要なのだ。殆ど勉強もせずアルバイトに明く暮れたバカ学生に、そんな大金を出す奇特な会社がある訳がない。就職が決まらないのは自業自得と言える。仮にボロ企業の当社に訪問されても絶対に雇う気にならない。
昔と違って今日の企業経営は、極めて困難になっている。海の向こうの13億人の低賃金の中国と戦わなくてはならないのだ。従って新しい学問と知識をマスターした学生以外は要らない。知識経験と社会常識のない生意気な文系学生は手足まといになるだけだ。しかし最新知識をマスターした学生は欲しい。日進月歩の時代に、古い頭の我々では技術進歩に追いつけず、お金をかけても若い学生が必要になる。その意味から学生は理系を選ぶべきだと私は思う。しかし殆どの学生は単位取得が困難な数学や理科を嫌い、勉強しなくて学卒の肩書きを取れる文系を選ぶ。その結果、就活に苦しむのは当然の結末だと心得るべきだ。私は工学部と経済学部を修了したが、理系に比べて文系は勉強時間が1/3以下で、殆どの授業には出ず、試験前に友人のノートを借りて勉強すれば単位を取得できた。しかし理系は4年間を死にもの狂いで勉強し実験してやっと学卒の資格を得ているのだ。
政府も人気取りの規制で企業と学生を困らせる。契約社員や派遣の規制を強化して、企業に正規採用を強制、雇用した社員は簡単には解雇させない仕組みに進めている。まるで日本企業を虐める中国政府と同じやり方だ。聞くところによると正規採用された社員の3割が入社2-3年で辞めてしまうという。苦労して正社員になってみても、実際の仕事は予想以上に厳しく、やる気を失うからだという。勿体ない話だ。
企業は有能な社員を求めているが、格好良い若者や口達者なだけの青年では、どの程度働いてくれるか分からない。やはり1年〜2年間、使ってみて初めて真価が分かるというもの。その為にはぜひ、簡単に試験雇用ができるインターン制度などを導入して欲しい。一旦雇ったからには余程の理由がないと解雇できない現行システムは社員と企業の双方を不幸にしている。インターン制が定着すれば、このように激烈な就職難と、直ぐに退職する不幸は激減すると思われる。
学生の企業選択にも問題がある。名前を知られた大企業が10名募集すると聞くと、数千名を越える学生が殺到するという。これは宝くじであり、人物を確かめて選抜する事は不可能、書類選考で有名大学だけを残し、殆どの学生は切り捨てられる運命なのだ。確かに有名企業に内定すると親や彼女は喜ぶだろうが、それは本当に一時的な出来事で、大企業は特有の厳しい競争が待ち受けており、多くは子会社や関係会社に追いやられて意気消沈した人生に追いやられる運命になる。 何とか大企業に潜り込んで安穏な生活を送りたいと考えている学生は絶対に生きてゆけない社会だ。現代のサラリーマン生活は決して甘くなく仮に入社できても、多くは悲惨な目にあう世界なのだ。
もし自信があれば、ぜひ有力な中小企業を選ぶことを学生に勧めたい。そこには思い切って働き実力を発揮して経験を積める場がある。マルチタレントでなくても、何か得意な仕事を任されたら誰にも負けない自信のある学生は、ぜひ中小企業を選ぶべきと思う。そこで思い残す事のない働きをして、周囲が認める経験を積むと大企業に転身することも可能になる。永い人生で何があるか分からず、転職しても貴重な経験は必ず生きてくる事を私は経験で知らされた。
もし全ての願書が不合格になり自殺を思い始めても、まだ考え直す余地がある。昔と違って今日ではパソコン一台とアイデアがあれば、新しい事業を起こせる時代になっている。本当にインターネットは素晴らしい武器で、机と知恵とやる気さえあれば、極めて低コストで、個人でも世界を相手に仕事が出来る時代になのだ。一時的な感情に押し潰されて絶望し、親兄弟を悲しませる恥ずかしい行為だけは絶対に考えないで欲しい。
しかし、頭も悪く、経験もなく、アイデアもなく、馬力もお金もない学生もいるかも知れない。その時は残念ながら諦める以外に道はないだろう。しかし自殺を考える前に君を生かせる最後の砦がある。それは地方の農村だ。地方は若者を喉から手が出る程求めている。そこは若いだけでも評価されるのだ。確かに金銭的は恵まれないかも知れないが、精神的に豊かな田園生活の場だ。若い男女なら家付き耕地付で迎える市町村もあるという。確かにTPP加入で、日本の農業の将来は苦しいかも知れない。しかし田舎は疲れた都会人を受け入れる場として大きな将来性がある。ヨーロッパのクライネガルテンの詳細は知らないが、やはり田園は働き疲れた都会人を癒す所であり、働き疲れた中高年者を受け入れる巨大なマーケットになると私は確信している。自殺した気で農村に行けば、何らかの新しい生き方も見つかる筈だ。それも気が進まない時は万策窮だから、富士山麓の樹海かどこか気の向く所に行かれるがよい。
まず思うのは、勉強していない学生が多過ぎるということだ。特に文系は肩書目的で進学するので、最初から勉強する気は毛頭なく入学するとすぐに生活費稼ぎのアルバイトに精を出して年月が経過し、いざ面接となってさあ大学卒の私を雇って下さいと言われても、頭が空っぽのバカ学生を雇う社長は居る筈がない。
今の時代、仮に新入社員に年300万円払っても企業には500万円の負担となる。500万円を稼ぐには2千万円の売上が必要なのだ。殆ど勉強もせずアルバイトに明く暮れたバカ学生に、そんな大金を出す奇特な会社がある訳がない。就職が決まらないのは自業自得と言える。仮にボロ企業の当社に訪問されても絶対に雇う気にならない。
昔と違って今日の企業経営は、極めて困難になっている。海の向こうの13億人の低賃金の中国と戦わなくてはならないのだ。従って新しい学問と知識をマスターした学生以外は要らない。知識経験と社会常識のない生意気な文系学生は手足まといになるだけだ。しかし最新知識をマスターした学生は欲しい。日進月歩の時代に、古い頭の我々では技術進歩に追いつけず、お金をかけても若い学生が必要になる。その意味から学生は理系を選ぶべきだと私は思う。しかし殆どの学生は単位取得が困難な数学や理科を嫌い、勉強しなくて学卒の肩書きを取れる文系を選ぶ。その結果、就活に苦しむのは当然の結末だと心得るべきだ。私は工学部と経済学部を修了したが、理系に比べて文系は勉強時間が1/3以下で、殆どの授業には出ず、試験前に友人のノートを借りて勉強すれば単位を取得できた。しかし理系は4年間を死にもの狂いで勉強し実験してやっと学卒の資格を得ているのだ。
政府も人気取りの規制で企業と学生を困らせる。契約社員や派遣の規制を強化して、企業に正規採用を強制、雇用した社員は簡単には解雇させない仕組みに進めている。まるで日本企業を虐める中国政府と同じやり方だ。聞くところによると正規採用された社員の3割が入社2-3年で辞めてしまうという。苦労して正社員になってみても、実際の仕事は予想以上に厳しく、やる気を失うからだという。勿体ない話だ。
企業は有能な社員を求めているが、格好良い若者や口達者なだけの青年では、どの程度働いてくれるか分からない。やはり1年〜2年間、使ってみて初めて真価が分かるというもの。その為にはぜひ、簡単に試験雇用ができるインターン制度などを導入して欲しい。一旦雇ったからには余程の理由がないと解雇できない現行システムは社員と企業の双方を不幸にしている。インターン制が定着すれば、このように激烈な就職難と、直ぐに退職する不幸は激減すると思われる。
学生の企業選択にも問題がある。名前を知られた大企業が10名募集すると聞くと、数千名を越える学生が殺到するという。これは宝くじであり、人物を確かめて選抜する事は不可能、書類選考で有名大学だけを残し、殆どの学生は切り捨てられる運命なのだ。確かに有名企業に内定すると親や彼女は喜ぶだろうが、それは本当に一時的な出来事で、大企業は特有の厳しい競争が待ち受けており、多くは子会社や関係会社に追いやられて意気消沈した人生に追いやられる運命になる。 何とか大企業に潜り込んで安穏な生活を送りたいと考えている学生は絶対に生きてゆけない社会だ。現代のサラリーマン生活は決して甘くなく仮に入社できても、多くは悲惨な目にあう世界なのだ。
もし自信があれば、ぜひ有力な中小企業を選ぶことを学生に勧めたい。そこには思い切って働き実力を発揮して経験を積める場がある。マルチタレントでなくても、何か得意な仕事を任されたら誰にも負けない自信のある学生は、ぜひ中小企業を選ぶべきと思う。そこで思い残す事のない働きをして、周囲が認める経験を積むと大企業に転身することも可能になる。永い人生で何があるか分からず、転職しても貴重な経験は必ず生きてくる事を私は経験で知らされた。
もし全ての願書が不合格になり自殺を思い始めても、まだ考え直す余地がある。昔と違って今日ではパソコン一台とアイデアがあれば、新しい事業を起こせる時代になっている。本当にインターネットは素晴らしい武器で、机と知恵とやる気さえあれば、極めて低コストで、個人でも世界を相手に仕事が出来る時代になのだ。一時的な感情に押し潰されて絶望し、親兄弟を悲しませる恥ずかしい行為だけは絶対に考えないで欲しい。
しかし、頭も悪く、経験もなく、アイデアもなく、馬力もお金もない学生もいるかも知れない。その時は残念ながら諦める以外に道はないだろう。しかし自殺を考える前に君を生かせる最後の砦がある。それは地方の農村だ。地方は若者を喉から手が出る程求めている。そこは若いだけでも評価されるのだ。確かに金銭的は恵まれないかも知れないが、精神的に豊かな田園生活の場だ。若い男女なら家付き耕地付で迎える市町村もあるという。確かにTPP加入で、日本の農業の将来は苦しいかも知れない。しかし田舎は疲れた都会人を受け入れる場として大きな将来性がある。ヨーロッパのクライネガルテンの詳細は知らないが、やはり田園は働き疲れた都会人を癒す所であり、働き疲れた中高年者を受け入れる巨大なマーケットになると私は確信している。自殺した気で農村に行けば、何らかの新しい生き方も見つかる筈だ。それも気が進まない時は万策窮だから、富士山麓の樹海かどこか気の向く所に行かれるがよい。
2013年04月22日
130422 北朝鮮幹部の粛清
恐ろしい話を聞いた。昨年の北朝鮮金正日が逝去した時、その盛大な国葬に列席して霊柩車を取り囲みながら行進した北朝鮮軍部の超エリート幹部の殆どが粛清されたという。身の毛のよだつような話だ。後継の若い金正恩第一書記は、強過ぎる軍部指導層を粛清したのだ。父親の金正日総書記に虐げられてきた軍部が、政権交代をチャンスに権力拡大を狙ったのだろうが、危機感を覚えた金正恩に返り討ちされ、軍首脳の24名が殺害され, 軍歴のない崔竜海氏をトップに据えたという 。その反動で、北朝鮮軍内に激しい反金正恩気運が巻き起こり、今度はその打倒金正恩のムードを抑える為に、韓国攻撃計画をでっち上げて軍部の引き締めを計っているという。確かに今回の異常な危機は作為的で、一般の北朝鮮市民は全く平静に生活し、戦時の緊張した雰囲気は皆無で、普通の日常生活を営んでいるという。
韓国でも状況は把握しているようだ。特に北朝鮮と争うべき具体的な紛争は何もないのに、唐突に北朝鮮テレビが戦争気運を煽り始め、日毎にレベルを上げて過激になり遂に最後通牒まで発表したが、何故北朝鮮がこんなに騒ぎ立てるのか韓国には不思議で堪らないという。しかし若くて経験少ない金正恩は何をしでかすか分からない不安もあり、米国も新政権の出方が予想できず、一応の臨戦態勢は準備しているようだ。韓国は新しい女性大統領がスタートしたばかりで、ウオン高も重なり、輸出に依存する韓国経済が苦境に落ち込み始めて、今回の騒動は頭痛のタネのようだ。
もし私が金正恩の立場だったらどうするだろうか。金正恩は政権を守り抜こうと必死に格闘しているが、独裁政権がこれから彼の一生に渡って存在し続けることは殆どあり得ないと私は思う。あれほど疲弊した北朝鮮が2000万人国民を飢えさせながらも、全国民を3ケ年も満腹させる5000億円の巨費を使って核開発に邁進できた理由は、お隣り中国の支援があったからだが、その両国関係も怪しくなってきた。
確かに、北朝鮮は核とミサイルの開発に成功しつつある。これは韓国や米国、日本を狙ったものだが、絶対中国には向けないとは言えないシロモノでもある。中国が北朝鮮を支えてきた理由は、もし北が崩壊すると多数の難民が国境を越えて中国になだれ込むからだと説明するが、本当の理由は、北を有力な外交カードとして利用していただけだ。しかしその間に北朝鮮は、中国に対しても恐喝手段になり得る核兵器とミサイルを持つことに成功した訳で、従来通りに支え続けることに中国は疑問を持ち始めているという。その意味からも金正恩の独裁政権が、これからその永年に渡って存続し続けることは不可能だと思う。世界を見渡しても3代に渡って独裁政権が継続した例はどこにもないのだから。
金正恩の取り巻きは、将来の政権崩壊を考えるべきと首領に忠告できる筈がなく、金正恩も政権の永続を信じているだろうが、私なら政権崩壊に備えた対策を考えるだろう。金正恩の大きな特徴は、過去に国民を虐殺し飢餓で苦しめた責任がまだ殆どないことである。仮にいま北朝鮮の政権が倒れて、金正恩は逮捕されるだろうが、手が汚れていない彼が、極刑に問われることはあり得ない。従って私なら平和裏に民主政権へ移行する方策を慎重に検討し実行するだろう。
先ず強くなり過ぎた軍部を抑えたのは正解だ。即ち軍最高首脳24名を抹殺したことは誤りではない。代わり新任で自由思想の持ち主を軍部以外から任命する。そして戦争以外は何も出来ない軍隊を、徐々に経済活動に移行させる工作を私は考える。問題は権力にしがみつく軍人達を如何に再教育するかであり、それは多くの経験と実績がある中国にその指導を仰ぐことになる。
軍人国家から民主国家への権力移動は困難で、國ごとにプロセズが違うが、お隣り中国が共産党独裁で自由化を進めた方式を見習うことができ、或いはミャンマーとかベトナムなど、形式やスピードは違っても 方向は軍事政権から解放国家に向かっている参考例を見習えばよい。問題は折角手に入れた魅力的な核兵器を本当に手放すことに軍が応じるか否かだが、非常に困難なのは事実だ。 結局放棄はしないがこれ以上の開発はしない辺りが妥協点だろう。
仮に北朝鮮が開国に向かい始めると、韓国を始め、近隣諸国はその安い賃金を狙って投資を始め、経済が飛躍的に発展し、国民の生活水準も向上し政権が安定する。このストーリーを金正恩が納得するか否かが問題で、仮に民主化が進むと、最終的には金正恩が裁判にかけられる場面があり得るだろう。しかし民主化の流れに逆行が永続する訳はないのが歴史だから、残虐な政治は避けながら、開国を受け入れざるを得ないと思う。
,
父親の金正日は王朝を守るため核兵器を選んだ。確かに核は魅力的で米国でさえ警戒するほどの威力をもつが、大きな欠点は核では国民が食えないことであり、国民が幸せにならないことだ。従って北朝鮮は核兵器を輸出して食料を調達する道に進むだろう。しかし核の拡散は、欧米や日本のみでなく、中国、ロシアにも大きな脅威をもたらすので世界は絶対に許さず、その阻止を計り、船舶や航空機の臨検し輸出の妨害を行うから、北朝鮮が益々追いつめられるだろう。
日本や韓国の国民の反応も大きな影響を及ぼす。北朝鮮の核武装が本格化すれば韓国は自衛のため核武装すべしという意見が世論調査で国民の7割が賛成しているという。増して憲法改正を進める日本が核武装に進めば韓国は確実に核武装に進む。その結果、近い将来北朝鮮は、敵の核兵器に囲まれてしまうことになる。この点からも核武装では金正恩に将来展望が望めない。
情報が伝達し易い現代は、政権の悪弊を国民から隠すことが殆ど不可能になり、金正恩は益々警察部隊を増強して、国民の弾圧を強化することになり、白いハンカチは段々汚れる。そして遂には全国民と世界を相手に苦しい戦いを強いられる事態に陥るだろう。スイスかマカオ辺りで気楽に暮らせた筈の三男坊が、長男次男を残して真っ先に地獄への道を突き進むことになりそうだ。国民弾圧を続ける中東シリアのアサド大統領も、あそこまで殺戮を重ねると、もう地獄への片道切符しか残されていないのだから
韓国でも状況は把握しているようだ。特に北朝鮮と争うべき具体的な紛争は何もないのに、唐突に北朝鮮テレビが戦争気運を煽り始め、日毎にレベルを上げて過激になり遂に最後通牒まで発表したが、何故北朝鮮がこんなに騒ぎ立てるのか韓国には不思議で堪らないという。しかし若くて経験少ない金正恩は何をしでかすか分からない不安もあり、米国も新政権の出方が予想できず、一応の臨戦態勢は準備しているようだ。韓国は新しい女性大統領がスタートしたばかりで、ウオン高も重なり、輸出に依存する韓国経済が苦境に落ち込み始めて、今回の騒動は頭痛のタネのようだ。
もし私が金正恩の立場だったらどうするだろうか。金正恩は政権を守り抜こうと必死に格闘しているが、独裁政権がこれから彼の一生に渡って存在し続けることは殆どあり得ないと私は思う。あれほど疲弊した北朝鮮が2000万人国民を飢えさせながらも、全国民を3ケ年も満腹させる5000億円の巨費を使って核開発に邁進できた理由は、お隣り中国の支援があったからだが、その両国関係も怪しくなってきた。
確かに、北朝鮮は核とミサイルの開発に成功しつつある。これは韓国や米国、日本を狙ったものだが、絶対中国には向けないとは言えないシロモノでもある。中国が北朝鮮を支えてきた理由は、もし北が崩壊すると多数の難民が国境を越えて中国になだれ込むからだと説明するが、本当の理由は、北を有力な外交カードとして利用していただけだ。しかしその間に北朝鮮は、中国に対しても恐喝手段になり得る核兵器とミサイルを持つことに成功した訳で、従来通りに支え続けることに中国は疑問を持ち始めているという。その意味からも金正恩の独裁政権が、これからその永年に渡って存続し続けることは不可能だと思う。世界を見渡しても3代に渡って独裁政権が継続した例はどこにもないのだから。
金正恩の取り巻きは、将来の政権崩壊を考えるべきと首領に忠告できる筈がなく、金正恩も政権の永続を信じているだろうが、私なら政権崩壊に備えた対策を考えるだろう。金正恩の大きな特徴は、過去に国民を虐殺し飢餓で苦しめた責任がまだ殆どないことである。仮にいま北朝鮮の政権が倒れて、金正恩は逮捕されるだろうが、手が汚れていない彼が、極刑に問われることはあり得ない。従って私なら平和裏に民主政権へ移行する方策を慎重に検討し実行するだろう。
先ず強くなり過ぎた軍部を抑えたのは正解だ。即ち軍最高首脳24名を抹殺したことは誤りではない。代わり新任で自由思想の持ち主を軍部以外から任命する。そして戦争以外は何も出来ない軍隊を、徐々に経済活動に移行させる工作を私は考える。問題は権力にしがみつく軍人達を如何に再教育するかであり、それは多くの経験と実績がある中国にその指導を仰ぐことになる。
軍人国家から民主国家への権力移動は困難で、國ごとにプロセズが違うが、お隣り中国が共産党独裁で自由化を進めた方式を見習うことができ、或いはミャンマーとかベトナムなど、形式やスピードは違っても 方向は軍事政権から解放国家に向かっている参考例を見習えばよい。問題は折角手に入れた魅力的な核兵器を本当に手放すことに軍が応じるか否かだが、非常に困難なのは事実だ。 結局放棄はしないがこれ以上の開発はしない辺りが妥協点だろう。
仮に北朝鮮が開国に向かい始めると、韓国を始め、近隣諸国はその安い賃金を狙って投資を始め、経済が飛躍的に発展し、国民の生活水準も向上し政権が安定する。このストーリーを金正恩が納得するか否かが問題で、仮に民主化が進むと、最終的には金正恩が裁判にかけられる場面があり得るだろう。しかし民主化の流れに逆行が永続する訳はないのが歴史だから、残虐な政治は避けながら、開国を受け入れざるを得ないと思う。
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父親の金正日は王朝を守るため核兵器を選んだ。確かに核は魅力的で米国でさえ警戒するほどの威力をもつが、大きな欠点は核では国民が食えないことであり、国民が幸せにならないことだ。従って北朝鮮は核兵器を輸出して食料を調達する道に進むだろう。しかし核の拡散は、欧米や日本のみでなく、中国、ロシアにも大きな脅威をもたらすので世界は絶対に許さず、その阻止を計り、船舶や航空機の臨検し輸出の妨害を行うから、北朝鮮が益々追いつめられるだろう。
日本や韓国の国民の反応も大きな影響を及ぼす。北朝鮮の核武装が本格化すれば韓国は自衛のため核武装すべしという意見が世論調査で国民の7割が賛成しているという。増して憲法改正を進める日本が核武装に進めば韓国は確実に核武装に進む。その結果、近い将来北朝鮮は、敵の核兵器に囲まれてしまうことになる。この点からも核武装では金正恩に将来展望が望めない。
情報が伝達し易い現代は、政権の悪弊を国民から隠すことが殆ど不可能になり、金正恩は益々警察部隊を増強して、国民の弾圧を強化することになり、白いハンカチは段々汚れる。そして遂には全国民と世界を相手に苦しい戦いを強いられる事態に陥るだろう。スイスかマカオ辺りで気楽に暮らせた筈の三男坊が、長男次男を残して真っ先に地獄への道を突き進むことになりそうだ。国民弾圧を続ける中東シリアのアサド大統領も、あそこまで殺戮を重ねると、もう地獄への片道切符しか残されていないのだから
2013年04月15日
130415 嫌らしい笑い
週刊誌情報によると、先日雅子さんが皇太子、愛子さんらと一緒に長野にスキー旅行に出発された時、東京駅で年配男性から雅子さんに、税金ドロボウ、仮病、なまけ者、皇室から出て行け!と大声で罵声をあびせられ、周辺の雰囲気が凍り付いた事件があったという。年配男性は取り押さえられたが、直ぐに釈放さたという。大昔なら懲役刑になる処だが、多くの国民も同じように感じていることを口外した迄で、無罪放免も仕方ないだろう。美智子様が沖縄に訪問された時、火炎瓶を投げられた事件もあったが、あれは政治的信念の違いであり、賛否は別としてもあり得ることで、今回の罵声とは意味が全く異なる。
先日の罵声事件は、雅子さん自身の日常の異様な行動を非難したもので、雅子さんの心中を推し量ると哀れであり可哀想でもあるが、自業自得の結果だと思う国民は結構多いのではないだろうか。こんな状況ではオランダ王室から招待されたヨーロッパ旅行を公表するのもなかなか難しく、返事が出せない状況も分かる。更に国際日本文化研究センター元所長の山折哲雄氏が「新潮45」3月号に「皇太子殿下ご退位なさいませ」という刺激的な寄稿を寄せたのも同じ理由からだろう。
雅子さんは精神的に不安定な病気だというが、例えば先日のオリンピック調査委員10余名が来日した時に、皇太子1人が寂しく対応された。ライバルのスペインでは、王室スキャンダルに揺れているなかでも、王女以下がきらびやかで華やかな対応をしている報道をテレビで見た。日本でも時間は短くても雅子さんも揃って対応されたら効果も倍増であったろうと思うと、如何にも残念に思われる。雅子さんはその程度の挨拶も出来ない筈はないだろうと多くの国民は不審に思っている筈だ。時折テレビに映る雅子さんの不自然なほほえみを見ると、天皇皇后両陛下の誠実味ある対応と比較して、雅子さんは本当に挨拶もできない程の重病なのだろうかと、国民の多くは疑っていると思う。
不遜な話になってしまったが、人のほほえみは、心の裏側も透き通して見えるので怖いものだ。例えば、長い間日本政界で牛耳ってきた小沢一郎も、最近その勢いが凋落して誰も返り見なくなった。影響力激減に焦る当人は何とか昔の夢を取り戻そうと懸命に笑顔を振りまき、権力回復に全力を尽くしているが、魂胆丸見えの嫌らしい笑顔を見せられると悪寒を感じる。離反してしまった国民の人気を取り戻すことはもう不可能だろう。当人は昔の権力を忘れられず、懸命に笑顔を振りまきながら応対するが、傲慢極まりなく不遜で、煮え湯を飲まされた多くの人々は、彼の過去を忘れず、その不自然極まりない作り笑いに嫌気を感じる人が殆どだ。本人は自覚していないかも知れないが、彼の薄汚い魂胆が丸見えで、不自然極まりない笑顔になっているのだ。
国会議員には同じような嫌らしい笑い人種が多い。例えば今を時めく自民党の石破幹事長もそうだ。小沢一郎ほどのワルではないかも知れないが、彼の笑顔には自然さが無く、あれではとても大衆受けなど難しいと思う。総裁選挙で圧倒的多数の地方票を獲得したことをバックに、幹事長の椅子を射止めて自信満々だが、それは尖閣問題でゴリ押しする中国に反発した国民が、軍事に強い石破氏に頼ろうとした心理の反映であり、決して石破さんの人格に惚れて選んだ訳ではないのをご存じないのだろう。やはり今回の総理大臣は安部さんでよかったと私は思う。
演技することが仕事で、笑顔やほほえみには特別に神経を使う筈の芸人や俳優にも、嫌らしい笑顔が見受けられる。例えば、堺雅人がその例だ。最近菅野美穂と結婚するとかでテレビ映像を見たが、そこに映る、彼が目を細めて上品ぶったほほえみは、嫌らしさばかり感じられてとても長くは見られなかった。誰でも結婚話しになると、程度の差はあっても羞じらいと初々しさを見せるが、極端に目を細めてニタニタするばかりの堺雅人の笑顔は却って無表情にも見えた。皇太子妃の雅子さんと違い、単なる市井の一芸人だから、どんな笑顔でもいいだろうが、芸を売ってお金を儲ける仕事だから、もっと誠実味のある笑顔が欲しいと思う。
タイプは違うが、毎日曜朝早くNHKうまい!に出る天野ひろゆきの笑いも好きではない。彼の特技は、ちょっとした内容にも耳をつんざくような大声でウッハッハッハッハと笑い飛ばすだけの芸人だが、余りにも頻繁な大笑いには飽きてしまう。ユニークな農産物、果物、魚介類を紹介する面白い番組だが、彼の無芸大食が気障りで最近見なくなった。
複雑極まりない人間社会では、誰もが完璧を期すことは難しいが、少なくとも心の底では誠実な気持ちを持ち続けることが一番長続きする処世術であろう。
週
2013年04月08日
130409 横断歩道を渡る
私は手賀沼湖畔の自宅から我孫子駅前の事務所まで歩いて15分の通勤だ。今まで東京江東区の潮見まで、毎朝1時間半かけて満員電車通勤していた頃と比べると夢のように快適だ。職住近接とマスコミが騒ぐ訳も分かり始めた。春には道端の咲き乱れる花を見ながら、秋には落ち葉の風情を感じながら歩く。発達したITのお蔭で郊外でも仕事は殆ど支障がない。まだ元気な私は近過ぎる通勤距離なので、帰りは遠回りするルートを探して2〜3通りの新ルートも決めている。
自宅と駅の間には大通りがありいつも多数の車が行き交い、特に朝は勤務先へ急ぐ車が疾走する。その1キロ余りの大通りは信号が3ケ所あり、平均300m毎に横断歩道で、その内2ケ所は押しボタン式信号の横断歩道だ。小学校に通う子供達は押しボタンの手前で集まり、全員が揃うとリーダーがボタンを押して集団で渡ってゆく。やはり子供達の通学姿はいつ見ても楽しい。自転車で駅へ急ぐサラリーマンの渡り方は違う。クルマと平行して大通りを走りながらクルマが途絶えた瞬間に大通りを斜めに横切って渡り駅へ急ぐ。
実は私の渡り方も恥ずかしながら自転車族と似ている。大通りに添って歩きながら左右の様子を見る。暫く歩くと上り下りのクルマが完全に途絶える時があり、その時を狙って大通りを走って横断する。5秒間も上下のクルマが途絶えれば楽々と走って渡れる。
信号のない車道を横断して交通事故を起こすと、責任は全て自分にあることは私でも承知している。法律上はクルマが途絶えていてもボタンを押して赤信号に変えてから渡るべきだろう。しかしクルマ通行を妨げたくないという気持ちもあるのだ。
運悪くクルマが途絶えないまま、私は信号まで来ることがあるが、私はひとりの時はボタンを直ぐには押さず少しだけ他の横断者を待つ。時折ご婦人が自分ひとりで多数のクルマを止めていいものかどうかと躊躇する姿をみることもあるが、このようなケースは極めて少ない。
しかし、私がいつも見かける犬連れのシルバー氏は全く違う。周囲には全く目もくれず、横断歩道に着くと直ぐにボタンを押す。すると信号は直ちに赤に変わりクルマが止まる。そしてシルバー氏は堂々とゆっくり渡る。自分は正しい行動をしているのだと確信しており、毎朝ほぼ同じ時間帯に犬の散歩を終えて信号にやって来て多数のクルマを止めて平然と渡る。前後に他の人が居ようが居ないかは関係なく、いつもひとりでクルマを止めて犬様とゆっくり横断される。その都度上りと下りには長い車列ができるが、シルバー殿は早足で歩くこともせず王様然に歩く。1人のシルバー殿とお犬様が渡る為、左右の10-〜20台のクルマはそのお渡りが終わるのをイライラしながらじっと見守っている。
私は他人が渡ろうとするのを見つけると走って追いつき一緒に渡る。私が先頭の時は、誰か後に居ないかと見回し、居れば少し相手を待つ。すると先方も気づいて急いで走ってくる。しかし犬連れシルバー殿は僅かに遅れていても決して急がない。マイペースで信号に到着して再びボタンを押す。すると青信号に変わったばかりの信号は直ぐに赤に変わり、クルマを一斉に止める。普通の信号は青→赤→青の信号が変わるまで1分程度はかかると思うが、設計ミスかどうか、この信号はボタンを押す度に敏感に反応して何回でも信号が変わる。そして忙しいクルマを止めては運転手をイライラさせる。普通の信号機より余程交通を妨げているような気がする。
犬連れシルバー氏が堂々と横断するのをみて子供達が走って追いつき一緒に渡るのを見ると私は安堵する。仕事が無く暇を持て余している筈のシルバー殿が1−2分も待てない筈はないと思うのだが、彼は前後を見渡して他の横断者と一緒に渡ろうという気はさらさら無い。信号機は歩行者を守る為にあり、自分はルールに従って、自分の都合で、いつでもボタンを押して、台数に関係なくクルマを止めて渡るのが正義だという感覚なのだろう。自分を通すため待っているドライバー諸氏に気を遣って足早に歩くことは絶対にしない。恐らく同伴する愛犬と同じ程度の動物的な低レベルのモラルなのだろう。
勿論ルールを守る彼は正しい、仕事先へ急ぐ多数のクルマが見守る目の前を彼と犬様がゆっくり平然と歩く姿は遠くからみる私でもかなりイライラする。シルバ−氏は悪意地ではなく、単に無神経に法律を遵守しているだけなのだろう。朝から晩まで時間をもて余すシルバ−氏がたった1〜2分も待てない筈はないのだが、定年になって疎外感に打ちひしがれた彼にはそのような精神的な余裕はないのだろう。
日本人は他人の気持ちを思いやる優しい気持ちの持ち主だと世界で言われているが、退職して社会から疎外されると、心までやせ細って冷酷になるようだ。現役に年金で食わせてもらっているからごく短時間でも待って、現役のクルマを先に通す感謝の念はさらさらない、心は冷え固まって周囲への気配りはできなくなっているようだ。
日本だけでは無いかも知れないが、現代社会は他人のことを思う余裕を失っている。他人に少々の迷惑はかけても、法に触れない限り当人は全く平気なのだ。これは単に犬連れシルバー氏だけでなく、優しい日本人でも多くは押しボタンで他人を全く待たない。日本は冷たい社会になってしまったのかと寂しくなる。
本当の話しだろうと思うが、アメリカでは受験に失敗した学生が家庭教師を告訴し、空き巣に入ったドロボウが壊れていた窓枠から落下して負傷し、治療代を家主が請求したと聞いた事がある。多分中国でもあり得る話だ。日本も同じように冷淡な國にはならないで欲しいと思いながら、今朝も私は大通りを突っ走って渡った。
自宅と駅の間には大通りがありいつも多数の車が行き交い、特に朝は勤務先へ急ぐ車が疾走する。その1キロ余りの大通りは信号が3ケ所あり、平均300m毎に横断歩道で、その内2ケ所は押しボタン式信号の横断歩道だ。小学校に通う子供達は押しボタンの手前で集まり、全員が揃うとリーダーがボタンを押して集団で渡ってゆく。やはり子供達の通学姿はいつ見ても楽しい。自転車で駅へ急ぐサラリーマンの渡り方は違う。クルマと平行して大通りを走りながらクルマが途絶えた瞬間に大通りを斜めに横切って渡り駅へ急ぐ。
実は私の渡り方も恥ずかしながら自転車族と似ている。大通りに添って歩きながら左右の様子を見る。暫く歩くと上り下りのクルマが完全に途絶える時があり、その時を狙って大通りを走って横断する。5秒間も上下のクルマが途絶えれば楽々と走って渡れる。
信号のない車道を横断して交通事故を起こすと、責任は全て自分にあることは私でも承知している。法律上はクルマが途絶えていてもボタンを押して赤信号に変えてから渡るべきだろう。しかしクルマ通行を妨げたくないという気持ちもあるのだ。
運悪くクルマが途絶えないまま、私は信号まで来ることがあるが、私はひとりの時はボタンを直ぐには押さず少しだけ他の横断者を待つ。時折ご婦人が自分ひとりで多数のクルマを止めていいものかどうかと躊躇する姿をみることもあるが、このようなケースは極めて少ない。
しかし、私がいつも見かける犬連れのシルバー氏は全く違う。周囲には全く目もくれず、横断歩道に着くと直ぐにボタンを押す。すると信号は直ちに赤に変わりクルマが止まる。そしてシルバー氏は堂々とゆっくり渡る。自分は正しい行動をしているのだと確信しており、毎朝ほぼ同じ時間帯に犬の散歩を終えて信号にやって来て多数のクルマを止めて平然と渡る。前後に他の人が居ようが居ないかは関係なく、いつもひとりでクルマを止めて犬様とゆっくり横断される。その都度上りと下りには長い車列ができるが、シルバー殿は早足で歩くこともせず王様然に歩く。1人のシルバー殿とお犬様が渡る為、左右の10-〜20台のクルマはそのお渡りが終わるのをイライラしながらじっと見守っている。
私は他人が渡ろうとするのを見つけると走って追いつき一緒に渡る。私が先頭の時は、誰か後に居ないかと見回し、居れば少し相手を待つ。すると先方も気づいて急いで走ってくる。しかし犬連れシルバー殿は僅かに遅れていても決して急がない。マイペースで信号に到着して再びボタンを押す。すると青信号に変わったばかりの信号は直ぐに赤に変わり、クルマを一斉に止める。普通の信号は青→赤→青の信号が変わるまで1分程度はかかると思うが、設計ミスかどうか、この信号はボタンを押す度に敏感に反応して何回でも信号が変わる。そして忙しいクルマを止めては運転手をイライラさせる。普通の信号機より余程交通を妨げているような気がする。
犬連れシルバー氏が堂々と横断するのをみて子供達が走って追いつき一緒に渡るのを見ると私は安堵する。仕事が無く暇を持て余している筈のシルバー殿が1−2分も待てない筈はないと思うのだが、彼は前後を見渡して他の横断者と一緒に渡ろうという気はさらさら無い。信号機は歩行者を守る為にあり、自分はルールに従って、自分の都合で、いつでもボタンを押して、台数に関係なくクルマを止めて渡るのが正義だという感覚なのだろう。自分を通すため待っているドライバー諸氏に気を遣って足早に歩くことは絶対にしない。恐らく同伴する愛犬と同じ程度の動物的な低レベルのモラルなのだろう。
勿論ルールを守る彼は正しい、仕事先へ急ぐ多数のクルマが見守る目の前を彼と犬様がゆっくり平然と歩く姿は遠くからみる私でもかなりイライラする。シルバ−氏は悪意地ではなく、単に無神経に法律を遵守しているだけなのだろう。朝から晩まで時間をもて余すシルバ−氏がたった1〜2分も待てない筈はないのだが、定年になって疎外感に打ちひしがれた彼にはそのような精神的な余裕はないのだろう。
日本人は他人の気持ちを思いやる優しい気持ちの持ち主だと世界で言われているが、退職して社会から疎外されると、心までやせ細って冷酷になるようだ。現役に年金で食わせてもらっているからごく短時間でも待って、現役のクルマを先に通す感謝の念はさらさらない、心は冷え固まって周囲への気配りはできなくなっているようだ。
日本だけでは無いかも知れないが、現代社会は他人のことを思う余裕を失っている。他人に少々の迷惑はかけても、法に触れない限り当人は全く平気なのだ。これは単に犬連れシルバー氏だけでなく、優しい日本人でも多くは押しボタンで他人を全く待たない。日本は冷たい社会になってしまったのかと寂しくなる。
本当の話しだろうと思うが、アメリカでは受験に失敗した学生が家庭教師を告訴し、空き巣に入ったドロボウが壊れていた窓枠から落下して負傷し、治療代を家主が請求したと聞いた事がある。多分中国でもあり得る話だ。日本も同じように冷淡な國にはならないで欲しいと思いながら、今朝も私は大通りを突っ走って渡った。
2013年04月02日
130402 波乱の人生
私も75才の誕生日を越えた。何とも年を取ったものだと恥ずかしくなる。私の近所には同年配が多く住んでいるが何故か病弱者が多い、元都庁勤務のY氏は心臓麻痺で早く逝去、銀行マンH氏とK氏は胃ガンで亡くなり、小学校の元校長だと威張っていたY氏も昨年病死、大手化学会社O氏は肺ガンで闘病中、元銀行専務K氏は痴呆症という。まだ元気なのは元商社マンでダンス気違いのS氏、口達者な都庁OBのT氏、元日銀理事の癖が抜けないA氏と私ぐらいだ。 やはり男の平均寿命は79才というが本当らしい。更にまだ現役として働いているのは元日銀理事の看板で食っているA氏と、小さな貧乏会社を経営している私だけ。大して儲かる訳ではないが、無趣味な私は仕事無しではどう過ごしてよいか困ってしまうが、何よりも税金も払わず無駄メシを食らって生き永らえるのは社会に申し訳ないという気持ちもある。
私の人生を振り返えると、決定的な転機が何回かあった。初めは高校進学の時、内心は近くのT農業高校に行きたかったが、姉の嫁ぎ先へ荷物運びに便利なK高校に行けと説得されて普通高校に入った。3年の大学受験の時、理系か文系か迷ったが、一次は旧帝大のK大工学部、二次を地元のY大経済学部と決めて高校の担当教諭に話した処、超難関のK大工学部は受かる筈が無いと嘲笑され、私も危ないとは思ったが現役で合格してしまった。
大学4年の春、就職先を決める時、級友は全て大企業に内定した。三井化学、三菱化学、住友化学、東レ、帝人、旭化成、宇部興産、三菱重工、丸善石油、ブリジストン、昭和電工、旭ガラス、三井石油化学、ゼオン、東陶, 新日鉄 、ゼネラル石油、住友金属、住金化工、山陽国策パルプ、カネカ、松下電工、 東芝、倉敷レーヨン、徳山ソーダ、東洋ソーダ、電気化学、新日鉄化学、小野田セメンント。。。と全員が羨ましいような有名企業ばかりだが、私だけ誰も聞いたことのない無名の会社だった。大学の成績も良くはなかったが、3年後期の燃料の試験で欠点を食らった私が、クレイムを申し出た加藤教授がまさか就職担当だとはつゆ知らず、怒っていた教授から完全に干されて、私は企業紹介を拒否されてしまったのだ。ひどいパワハラだが、加藤教授は化学部門の筆頭教授でその権威は絶大であり、北朝鮮の金正日もどきだった。仕方なく私は自分で探したJR尼崎市駅近く小さな日米合弁の日本ライヒホールド化学に決めたが、流石に私も恥ずかしく級友に社名を言えなかった。 亡くなった親は無関心を装ってくれたが、あの世で再会したら謝ろうと思っている。
しかし超大手企業に入った級友達の殆どはごく普通の会社人生に終わり、少数は理事待遇とか、工場長、小会社のTOPとかで平凡なサラリーマン人生を終えて既に全員が退職しているが、私はまだ現役だ。確かに大手企業は外聞も良く高待遇で羨ましいが、入社後の社内競争は激烈だ。最近でも松下とかソニーなど多くの大企業は、高齢社員を大部屋に集めて仕事を与えず、自主退社を迫っているとも聞く。大企業の正社員が幸せで、中小企業が本当に不幸かどうか、やってみないと分からないというのが人生だろう。長い生涯の幸不幸を決めるのは、やはり気力半分で、残りは運だと私は思っている。
幸い我々の昭和30年代後半の高度成長期で、尼崎工場に配属された私も多忙だった、同年入社の友人達は会社が終わると大阪梅田に出てマージャンや飲み食いに騒いだが、酒の飲めない私は一心発起して神戸大学経済学部(夜間)に通い始めた。技術屋に経済は不要と上司から激しい妨害を受け続けながらも5年間通学してなんとか経済学士号も取得した。時を同じくして会社の将来に関する論文の募集があり、理系文系をマスターした自分の意地を誇示しようと、私は渾身込めて大論文を作成し見事に一等賞に輝いた。その結果1年後に不機嫌な上司を尻目に、私は工場勤務から東京本社の企画担当に転勤を命じられた。
その間に私は同郷で3才年下の大津和子と結婚した。彼女は私には出来過ぎた女性だった。田舎出の私の精神を解きほぐし、技術屋根性に凝り固まった狭隘な心を教育して社会常識をひとつづつ教えてくれた。私の80余年の生涯で最も影響を与えてくれた彼女だった。殆ど口外したことはないが、彼女には感謝してもし尽くせない気持ちだ。
本社企画部では色々仕事したが、成功した仕事は最初の苦労人の名前は常に消される運命にある。例えば私が日本で初めて導入したPPS超耐熱性樹脂は、私の名前などは消し飛んで誰も知らない。逆に失敗した漁船事業は終生汚名が付いて回った。この漁船事業は社長発案で原料のポリエステル樹脂を造船会社に売るよりも、自社でFRP船を作って売れと少々荒っぽい社命を受けて始めた仕事だが、将来が見通せない苦しい環境で5年間辛抱したが成績は上がらず遂に解散し汚名を背負ったまま私は企画部に戻されたが、内心では安堵していた。
次の事件は大病を患ったことだ。45才の時、脳腫瘍を患った。時々足のしびれには気づいていたが、夏の御嶽山登山を控えた直前に慶応病院で検査した処、脳にピンポン大の腫瘍が見つかり直ちに脳外科手術が必要と宣告された。これには本当に驚愕し、私のサラリーマン人生も終わりだと観念したが、幸運にもほぼ五体満足で乗り切った。しかし脳の手術を受けた社員が企画部長に座り続けるのはいささか具合悪く、私はスピンアウトの機会を狙っていた。
たまたま入院中に診断薬なるものを知り、大いに興味を持った。色々経緯はあったが米国DPC社との合弁会社の設立に至った、しかし誰も危険なベンチャー仕事は引き受けず、言い出しっぺの私が社長となった。波瀾万丈の12年間であったが、社員50名 売上20億円に迄成長させた60才で米国会長から辞任を求められた。
しかしこの12年間は私の人生で忘れられない貴重な体験ばかりで米国流マーケッティングも叩き込まれた。また私が外部からスカウトした営業部長柳沢君が、10名近い営業部員を引き連れて競合他社へ脱走した時は、残った社員が動揺し始めて、社長の私には大きな打撃だった。戦いに敗れるのは内部の動揺が原因だと初めて知ったものこの時で、もうこれで私の会社は終わりだと観念した。しかし半年経っても売上は減らず、寧ろ成長を続けた。そこで分かったのは、我が社の製品は営業努力で売れているのではなく、製品のオリジナリティで売れているのだと初めて知らされた。
合弁会社時代は、毎年世界60ケ国の合弁会社の社長家族が数百人集まってサマーバケーションと勉強会を開くが、連夜のダンスパ-ティーには困惑したが、 狭い視野で凝り固まった私の殻を打ち破ってくれたのも、合弁会社時代の数々の体験だった。無粋な私がワルツ、タンゴ、ルンバ、ジルバ、チャチャなどを、人前で踊ることが出来るようになったのも不思議な気分だ。
米国会長から解任を通告された理由はUntouchableだった。訳せば勝手にやり過ぎて会長の指示に従わなかったということだ。確かに思い当たることもあり、体力的に自信があった私は今度は自分で機械メンテナンス業の会社を設立した。自己資金は500万円で、残りは知人3名の株主に出資して頂いたが、予感した通り仕事はとれず、資本金は減少し続けて、今度は本当に河原の枯れススキになる恐怖を感じた。しかし幸運にも恵まれてまた何とか乗り切った。
メンテ会社の主な仕事は米国等から輸入するSchumacher社の半導体機器の修理事業で10年続いたが、そのうち新型製品に代わって名古屋で国産化されることになり我社は旧型製品だけに限定されて、仕事は目に見えて減り始めた。古希はとっくに越えた私はもう人生の潮時かと思ったが、時期を同じくして某大企業の企画部長に出世していた昔の部下T君から新しい仕事の話しがあった。全自動連続ROBOT運転の装置を3交替で24
hrs保守管理する業務で、条件的には非常に厳しかったが、貴重な提案を無駄にしてはならないと必死で対応して軌道に乗せた。T君には深く感謝している次第。
多分私はこのまま体の動く限り仕事を続けそうだ。機械メンテの市場は大きいが、技術的に難度が高く技術者調達も困難だ。最近私は新しいIT事業の立ち上げを狙い始めた。創業当初私も苦しんだ市場開拓の手助けだ。即ち営業マンによる人海戦術は完全に時代遅れであり、今日はホームページによる効率的なマーケッティングの時代に入っている。美しいだけのホームページは全く無用の長物で、顧客の目にとまって初めて効果を発揮することになる仕事だ。軌道乗せ迄まだ何年かかかりそうでなかなか引退できそうにないが、ホームレスのように図書館や公園をうろついて、終日ひま潰しに苦労する退職者の真似はしたくないので、まだ当分は忙しい年月が続きそうだ。
私の人生を振り返えると、決定的な転機が何回かあった。初めは高校進学の時、内心は近くのT農業高校に行きたかったが、姉の嫁ぎ先へ荷物運びに便利なK高校に行けと説得されて普通高校に入った。3年の大学受験の時、理系か文系か迷ったが、一次は旧帝大のK大工学部、二次を地元のY大経済学部と決めて高校の担当教諭に話した処、超難関のK大工学部は受かる筈が無いと嘲笑され、私も危ないとは思ったが現役で合格してしまった。
大学4年の春、就職先を決める時、級友は全て大企業に内定した。三井化学、三菱化学、住友化学、東レ、帝人、旭化成、宇部興産、三菱重工、丸善石油、ブリジストン、昭和電工、旭ガラス、三井石油化学、ゼオン、東陶, 新日鉄 、ゼネラル石油、住友金属、住金化工、山陽国策パルプ、カネカ、松下電工、 東芝、倉敷レーヨン、徳山ソーダ、東洋ソーダ、電気化学、新日鉄化学、小野田セメンント。。。と全員が羨ましいような有名企業ばかりだが、私だけ誰も聞いたことのない無名の会社だった。大学の成績も良くはなかったが、3年後期の燃料の試験で欠点を食らった私が、クレイムを申し出た加藤教授がまさか就職担当だとはつゆ知らず、怒っていた教授から完全に干されて、私は企業紹介を拒否されてしまったのだ。ひどいパワハラだが、加藤教授は化学部門の筆頭教授でその権威は絶大であり、北朝鮮の金正日もどきだった。仕方なく私は自分で探したJR尼崎市駅近く小さな日米合弁の日本ライヒホールド化学に決めたが、流石に私も恥ずかしく級友に社名を言えなかった。 亡くなった親は無関心を装ってくれたが、あの世で再会したら謝ろうと思っている。
しかし超大手企業に入った級友達の殆どはごく普通の会社人生に終わり、少数は理事待遇とか、工場長、小会社のTOPとかで平凡なサラリーマン人生を終えて既に全員が退職しているが、私はまだ現役だ。確かに大手企業は外聞も良く高待遇で羨ましいが、入社後の社内競争は激烈だ。最近でも松下とかソニーなど多くの大企業は、高齢社員を大部屋に集めて仕事を与えず、自主退社を迫っているとも聞く。大企業の正社員が幸せで、中小企業が本当に不幸かどうか、やってみないと分からないというのが人生だろう。長い生涯の幸不幸を決めるのは、やはり気力半分で、残りは運だと私は思っている。
幸い我々の昭和30年代後半の高度成長期で、尼崎工場に配属された私も多忙だった、同年入社の友人達は会社が終わると大阪梅田に出てマージャンや飲み食いに騒いだが、酒の飲めない私は一心発起して神戸大学経済学部(夜間)に通い始めた。技術屋に経済は不要と上司から激しい妨害を受け続けながらも5年間通学してなんとか経済学士号も取得した。時を同じくして会社の将来に関する論文の募集があり、理系文系をマスターした自分の意地を誇示しようと、私は渾身込めて大論文を作成し見事に一等賞に輝いた。その結果1年後に不機嫌な上司を尻目に、私は工場勤務から東京本社の企画担当に転勤を命じられた。
その間に私は同郷で3才年下の大津和子と結婚した。彼女は私には出来過ぎた女性だった。田舎出の私の精神を解きほぐし、技術屋根性に凝り固まった狭隘な心を教育して社会常識をひとつづつ教えてくれた。私の80余年の生涯で最も影響を与えてくれた彼女だった。殆ど口外したことはないが、彼女には感謝してもし尽くせない気持ちだ。
本社企画部では色々仕事したが、成功した仕事は最初の苦労人の名前は常に消される運命にある。例えば私が日本で初めて導入したPPS超耐熱性樹脂は、私の名前などは消し飛んで誰も知らない。逆に失敗した漁船事業は終生汚名が付いて回った。この漁船事業は社長発案で原料のポリエステル樹脂を造船会社に売るよりも、自社でFRP船を作って売れと少々荒っぽい社命を受けて始めた仕事だが、将来が見通せない苦しい環境で5年間辛抱したが成績は上がらず遂に解散し汚名を背負ったまま私は企画部に戻されたが、内心では安堵していた。
次の事件は大病を患ったことだ。45才の時、脳腫瘍を患った。時々足のしびれには気づいていたが、夏の御嶽山登山を控えた直前に慶応病院で検査した処、脳にピンポン大の腫瘍が見つかり直ちに脳外科手術が必要と宣告された。これには本当に驚愕し、私のサラリーマン人生も終わりだと観念したが、幸運にもほぼ五体満足で乗り切った。しかし脳の手術を受けた社員が企画部長に座り続けるのはいささか具合悪く、私はスピンアウトの機会を狙っていた。
たまたま入院中に診断薬なるものを知り、大いに興味を持った。色々経緯はあったが米国DPC社との合弁会社の設立に至った、しかし誰も危険なベンチャー仕事は引き受けず、言い出しっぺの私が社長となった。波瀾万丈の12年間であったが、社員50名 売上20億円に迄成長させた60才で米国会長から辞任を求められた。
しかしこの12年間は私の人生で忘れられない貴重な体験ばかりで米国流マーケッティングも叩き込まれた。また私が外部からスカウトした営業部長柳沢君が、10名近い営業部員を引き連れて競合他社へ脱走した時は、残った社員が動揺し始めて、社長の私には大きな打撃だった。戦いに敗れるのは内部の動揺が原因だと初めて知ったものこの時で、もうこれで私の会社は終わりだと観念した。しかし半年経っても売上は減らず、寧ろ成長を続けた。そこで分かったのは、我が社の製品は営業努力で売れているのではなく、製品のオリジナリティで売れているのだと初めて知らされた。
合弁会社時代は、毎年世界60ケ国の合弁会社の社長家族が数百人集まってサマーバケーションと勉強会を開くが、連夜のダンスパ-ティーには困惑したが、 狭い視野で凝り固まった私の殻を打ち破ってくれたのも、合弁会社時代の数々の体験だった。無粋な私がワルツ、タンゴ、ルンバ、ジルバ、チャチャなどを、人前で踊ることが出来るようになったのも不思議な気分だ。
米国会長から解任を通告された理由はUntouchableだった。訳せば勝手にやり過ぎて会長の指示に従わなかったということだ。確かに思い当たることもあり、体力的に自信があった私は今度は自分で機械メンテナンス業の会社を設立した。自己資金は500万円で、残りは知人3名の株主に出資して頂いたが、予感した通り仕事はとれず、資本金は減少し続けて、今度は本当に河原の枯れススキになる恐怖を感じた。しかし幸運にも恵まれてまた何とか乗り切った。
メンテ会社の主な仕事は米国等から輸入するSchumacher社の半導体機器の修理事業で10年続いたが、そのうち新型製品に代わって名古屋で国産化されることになり我社は旧型製品だけに限定されて、仕事は目に見えて減り始めた。古希はとっくに越えた私はもう人生の潮時かと思ったが、時期を同じくして某大企業の企画部長に出世していた昔の部下T君から新しい仕事の話しがあった。全自動連続ROBOT運転の装置を3交替で24
hrs保守管理する業務で、条件的には非常に厳しかったが、貴重な提案を無駄にしてはならないと必死で対応して軌道に乗せた。T君には深く感謝している次第。
多分私はこのまま体の動く限り仕事を続けそうだ。機械メンテの市場は大きいが、技術的に難度が高く技術者調達も困難だ。最近私は新しいIT事業の立ち上げを狙い始めた。創業当初私も苦しんだ市場開拓の手助けだ。即ち営業マンによる人海戦術は完全に時代遅れであり、今日はホームページによる効率的なマーケッティングの時代に入っている。美しいだけのホームページは全く無用の長物で、顧客の目にとまって初めて効果を発揮することになる仕事だ。軌道乗せ迄まだ何年かかかりそうでなかなか引退できそうにないが、ホームレスのように図書館や公園をうろついて、終日ひま潰しに苦労する退職者の真似はしたくないので、まだ当分は忙しい年月が続きそうだ。