2013年07月

2013年07月31日

130731 みずほの国

手賀沼湖畔をサイクリングすると干拓地の瑞々しい水田が一面に広がる。農家の3男坊の私は稲作には特別な思いがある。地球の現在人口は約65億人は、ピークに90億人まで膨れ上がると予想され食糧危機を叫ぶ学者もいるが、私は稲作のお蔭でなんとか耐えられるのではないかと勝手に想像している。

そもそも稲の祖先は東南アジアで、中国とベトナムの国境近くの中国南寧省付近だという。稲がヒトの主食になったのには色々な理由があり、例えば一般の植物は成熟すると、実が地上に落して次世代の命を発芽するが、もし稲が熟して米が地上に落下すれば収穫が非常に困難になる。しかし1万年の昔に突然変異が現れて、成熟しても地上に落下しない親不孝な稲が現れ、それを栽培稲として我々の祖先が育てたものだという。従って稲は自然界では自己の子孫を残すことが苦手で生存競争力を失った品種だが、人間の手で栽培されることによりなんとか命を繋いているのだという。あの青々とした稲も我々と同様に野生では生きる力を失っており、ヒトと共存してやっと生存し続けているのだと知ると何だか哀れに思われる。

人間も含めて動植物に共通する原理は親子や兄弟姉妹間の同一遺伝子間での再生産は不都合を生みやすく、異なる遺伝子と雑交配することで強い生命力を維持するのが定説で植物も他家受粉が基本だが、栽培稲は自家受粉で均質な遺伝子を純化しながら,ヒトが好む品質に特化してきたという。ヒトは栽培稲に他花受精を許さず、残酷に自花受精で品質を維持するよう開花時にオシベとメシベが外に漏れないよう穂が閉じて他の花粉と 雑交しないように性質を改良したという。競馬のサラブレッドも徹底的に走力を高めた馬で、野生では全く生存できなくない動物だ。我々ヒトの立場からは折角苦労して獲得した品質を維持するためには仕方ないことかもしれないが、残酷な仕打ちをしてきたものだ。 
  
野菜などの植物は、同じ土壌で繰り返し栽培すると土中に有害ウイルスが増殖し、肥料の偏りが生じて連作が困難になることはスイカやトマト、ナスでよく知られているが、栽培稲は何百年と同じ水田で連作してもウイルス汚染に耐え、不足する栄養素を補充すれば毎年の連作可能ということは奇跡なのだという。もし連作が不都合になれば、我々人類は忽ち飢餓に直面することになる。台風で横倒しになり易く収穫が困難な背高でスマートな稲は、倒れにくい短いずんぐり型に品種改良された。ヒトは改良という美名のもとに稲の性質を徹底的に作り変えて、収穫し易い稲に変質してきた訳だ。

稲の増殖倍率は強烈で、例えばひと房に300個の米粒がつくとすると、次年度にはその各々の粒が生育して一株から30本の房をつけると仮定すると300粒 x 30本=9000粒の米粒を1年で再生産することになり、1回の栽培で約1万倍に増えることになり、ネズミも驚く驚異的な再生産力をもっている。我々日本人が1世代で1.39倍しか殖えないことを考えると、稲が献身的に頑張って我々人類を支えていることに感謝しなければならない。

トウモロコシを食べる時、私はいつも食用する部分より捨てる部分の方が多く勿体なく思うが、稲は殆ど全部食用し廃棄する部分がない。学識に乏しい私は、稲とトウモロコシの食べる部分が果実か果肉なのか良く分からないが、捨てる部分が殆ど無い稲は素晴らしい高効率だ。増え続ける人類の生存を支える稲には感謝しなければならない。

トウモロコシやサトウキビはC4植物で光合成の効率が優れ、畑作で水が少なくても栽培可能だが、稲には大量の水が不可欠で、水に満たされた環境で初めて育つ。水が少なくて済む陸稲という品種もあるが、まだまだ多量の水を必要とする。将来もし人類が飢餓に直面するとすれば降雨量の不足で稲作ができなくなることが原因かも知れないと私は心配している。今後乾燥に耐えて育つる稲の研究が進めなければならない。

米国企業に10年以上勤務した私は米国人が肉を多食するのは本等に勿体ない悪習慣だと思っている。牛や羊は穀物10キロ食べて肉1キロを再生産するから、米国人は計算上、日本人の10倍のトウモロコシやお米を食べていることになる。これにはアフリカなど年中飢餓に苦しんでいる国々からクレイムが出て当然で、食糧不足の時代には全く不道徳ともいえる悪習である。 幸い世界には日本、韓国、中国、東南アジア、インド、イタリア等南欧諸国、南米諸国等はお米を主食とし、やはりアメリカが肉食の主犯ではないかと私は思う。クジラを殺して食するのは残酷で、牛や豚を殺して食することは許されるという欧米流の思想にはなかなか納得できず、生き物を殺すことは全て残酷な行為には間違いなく、我々人間は、お米や馬鈴薯トウモロコシ等の穀類を食する習慣を志向すべきだと思う。


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2013年07月24日

130724 参院議員の改選

任期満了の参議院議員121名の改選は自民党の圧勝に終わった。自民党は34名から65名へ倍増、民主党は44名から17名に激減した。内心では低い投票率を期待していた公明党は11名、共産党は各8名とほぼ計画通り。みんなの党と維新も各々8名と善戦した。生活の党6人は全員落選でゼロ、小沢一郎代表が苦りきった顔で、敗因は民主党の分裂だと反省していたがご自分の行動が原因だとは分かっているらしい。隆盛を誇った小沢代表の栄枯盛衰は映画を見るように面白いが当人の屈辱は計り知れない。鳩山元首相の乱心振りは衆知だが、管元首相もライバルを応援して東京都の民主党議席を全て失ってしまった。 

公明党は事前に票割を徹底して比例区の上位を独占したが、教条に縛られた宗教政党は共産党と同じ体質で、これ以上伸びると恐怖の政治団体になってしまいそうだ。思想が近いみんなの党と維新は合計すると16名だが、事前の選挙協力が成立していたら公明党を抜く大政党になっていたに違いない。しかし慰安婦問題で窮地に陥った維新を潰すには今がチャンスだと誤解した渡辺代表の思惑は見事に外れて、国民の思いを口外しただけの橋下発言は致命傷にはならなかった。逆に今後はみんなの党内部で代表と幹事長との主導権争いが表面化し渡辺代表ご自身の足元が危なくなりそうだ。 ともあれ衆議院と参議院の捻じれはこれで解消したので、安倍首相は思い切った経済改革と防衛外交問題の解決に全力投入ができるだろう。

安倍首相の業績は立派だが、第三の矢の民間投資の活性化の具体化はこれからだ。評論家諸氏は規制撤廃を叫ぶだけで具体的なアイデアは何も無いが、今後やるべきことは農業改革と、雇用改革だと私は思う。 まず農業は、知恵も気力も無い農民を抱き込んで封建時代に閉じ込めている農地法を全面撤廃し、農民の生血を吸い続けるダニ議員と農水省を一掃し、農地を民間資本に開放すべきだ。自由な民間資本を導入すれば打開策は次々と出て来るのは間違いない。

雇用改革は人材の流動化の徹底で、厚労省のハローワークを民間にも開放して人材の流動化を促進すべきだ。やる気を見せない若者も内心では働きたいに決まっており、何が自分に適職なのか分からないのだ。その解決には杓子定規なハローワークでは対応できない。ハローワークは求人内容を徹底的に厳選し、お役人が理解できる確実な求人だけしか扱わず、社会が必要とする多様な求人のごく一部しか扱ってくれない。私は何回も窓口に参上したが、相談では困る、証拠は?、契約書を見せて、と難問を吹きかけられて、求人のごく一部しか受け付けられなかった。民間版ハローワークなら求人内容の相談にも乗り、若者にも適した仕事を探し出し、柔軟に仲介する。厚労省は効率的な民間版ハローワークが出現すると形式重視の現行ハローワークは開店休業に陥ることを恐れて民間を排除しているだけだ。職業紹介より自分達の職場を守ることの方が厚労省には至上命題なのだから困ったものだ。  

防衛外交については、安倍首相は防衛力の充実を更に強力に押し進めるべきだ。中国韓国は日本が保守化していると危険性を叫んでいるが、全く当て外れだ。自国民を自力で守ることは極めて当然で、中国韓国も膨大な軍隊を持っているではないか。中国は日本の主要都市に向けて百発ちかい核ミサイルを配置しているのは公然の秘密だ。彼らは自衛隊が平和憲法に縛られて軍備充実が出来ず、弱体日本のままで残ってほしいだけだ。その間に中国は益々軍備を充実させて、近い将来に日本周辺を中国戦艦で埋め尽くして、日本を軍事力で屈服させる機会を狙っているのは明々白々だ。

韓国パククネ大統領は、でっち上げの慰安婦問題を、無関係な米国議会で訴えて米国民を仰天させ、中国では伊藤博文を暗殺した安重根の記念碑を中国ハルピン駅前に立てたいと習主席を当惑させるなど、一国の大統領には全く値しない幼稚な言動ばかりで、自国民の歓心を買うことに執心する哀れな大統領だと露呈した。幸か不幸か韓国内は、容共と反共でほぼ二分しており、反日以外に効果的な国論統一のテーマが見当たらない苦しい状況なのだ。今回の衆参両院の捻じれ解消で安倍政権はかなり政策推進の自由度を獲得したので、中韓両国からの保守化非難の雑音には耳を貸さず、防衛力の充実に邁進して欲しい。

同時に人口減少の抜本的な対策が不可欠だ。老人達は大声で老人福祉を求めるが、若者は困窮しており、結婚して家庭を持ちたいと希望する彼等を助ける政策を遂行すべきだ。人口は国力の源泉であり、人口減は直ちに国力の衰退に直結する。その典型がヨーロッパ諸国に見られ、例えばドイツの人口8200万人 ,フランス6400万人、イギリス6000万人と人口は僅差なので、各国とも国力と発言権の維持の為、人口増加に懸命なのだ。わが国の将来に無関心な高齢者達の要求などは聞き流せしておけばいい。




mh3944 at 08:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2013年07月19日

130719 郊外の出勤風景

顧客を訪問する待ち合わせで、早朝の立川駅ロータリで時間をつぶした。 いつもはわき目も振らずラッシュを急ぐ私だが、今回はロータリに腰かけ勤務先へ急ぐ諸兄諸姉の雄姿をゆっくり観察した。都心から離れた立川は中央線の核として発展し、多くの大企業が支店を構えるミニ都心になり、脇目も振らず勤務先へ急ぐ姿は都心サラリーマンと同じだった。

猛暑のせいもあって殆どが上着無しだが、ごく稀にびしっと着込んだサラリーマンもいる。彼も暑いには違いないだろうに何故着込んでいるのか分からない。スーツ姿でないと戦う気分になれないのかも知れないが、現代は省エネスタイルが主流だよと教えてやりたい。電車の冷房が冷え過ぎるからと答える人も時々いるが、この節電時代にウソに決まっている。

それにしても憂鬱顔のサラリーマンが多い。売り上げ未達で苦しいのか、上司に責められているのか?自分も現役時代に売上不振で長く苦しんだことを思い出す。私の親友は売上不足に困り果て、遂に介入取引に嵌ってしまった。他社間の商売に割り込んでマージン無しで売上だけ介入する架空上売上だ。売上は稼げたが未経験の金属の取引きで、結局5千万円の大金を騙し取られ、会社に辞表を出す羽目になった。私にも責任の一端があったが彼は一言も愚痴を言わず去っていった。心の中で彼に深く詫びている次第。

さっそうとエリート風に歩く余裕ありそうな若者が立川にもいるが、やはり苦虫顔の中年が多い。昔と違って経済情勢が一段と厳しい今日、現役サラリーマンは苦しい稼業になった。その昔、私も似たような歪んだ顔で出勤していたかと思うと内心恥ずかしくなる。同じ仕事をしていても余裕がありそうな同僚もいた。私も仕事に悩み過ぎず、もっと広い視野で人生を俯瞰しながら生きるべきだったと昔のサラリーマン時代を反省した。  

人は性格や考え方に大きな差がある。教育や育った環境にも影響され、恵まれて育つと人は楽観的で他人を信じ易く、厳しく育つと悲観的で人を疑う傾向になるのは人も動物もきっと同じだろう。デブ男もいるがやはり怠惰で見苦しい。会社でもきっと損をしているだろうと想像する。肥満の原因は色々だろうが、心構えでかなり改善出来る筈だから、やはり怠惰との相関関係はあるだろう。

服装に気を使う女性にはやはり素敵な身なりが多い。殆どが短いスカートで快適そうだが、なかに派手な超ロングスカートをひらめかせて行く人もいる。これも暑いに違いないだろうがファッションだから我慢するのだろう。背が高くスマートな女性は何だか仕事も出来そうに見えるが、物理的な身長と、精神的な能力は本来無関係な筈だから私の目の錯覚だろう。相変わらずスマートホン片手に脇目も振らず歩く女性も多い。ニュースをみているのか、ゲ-ムが面白いのか、 或いは単なるカモフラージュか、私には全く分からない。

近くに女子高があるらしく女学生が多いが、スカートを巻き上げた超ミニスタイルでかなり挑発的だ。盗撮が良くないのは間違いないが挑発する側にも責任があると思う。普通の膝丈の学生も少数いた。彼女らは受験勉強に夢中でスカート丈なんか構っておられないのか、群れるのが嫌なのか、1年生でまだ勇気がないのかもしれない。以前孫娘に聞いてみたが、みんなベルトを巻き上げているよ!と笑っていた。

私の高校時代も確かに受験に夢中で、神様!何とか合格させて下さい、他には何も望みませんから!と祈った記憶がある。受験に失敗するとその先の人生は真っ暗だと思い詰めていたが、別の人生もあると開き直る知恵は、幼稚な私にはなかった。

サラリーマン生活を卒業して自営の小さな城をもつ今だから気楽に言えるかも知れないが、我々はいつも目前のことにも心を奪われ過ぎて、先を見る余裕を失っていると思う。売上げ達成は義務としても、もっと広い視野から周囲を見回し、自分の将来に思いを馳せると、悩みも緩和され、希望も出て来るのではないかと、今頃になって反省している次第。

人生で大病とか浪人生活をすると精神修行になるという。私も働き盛りに脳腫瘍に襲われ慶応病院で脳外科の手術を受けた恐ろしい実体験がある。その時は事態の展開が早過ぎて、重病に苦しみ人生を悩み心の修行をする時間も余裕もなかった。いま仮に末期ガンになったらどんな気持ちになるだろうか?日本人の平均寿命に近い年齢まで生きたのだからもう仕方ない、と簡単に諦める自信は多分ないだろう。またもう10年長生きさせて下さい,と再び神様にお願するかも知れない。私より私の家内のほうは肝っ玉が太く、もう十分に生きたからこの辺で結構よ!と言いそうだ。数年前亡くなった義母が、もう十分だからお父さんの処へ行きたいと口癖にように呟いていた。

一般に齢をとれば、誰でも偉そうなことを言う。現役時代には、会社の業績、上司との軋轢、僅かな昇給の差、家庭の悩み、子供の受験、家のローン、友人関係などなど、悩みが尽きることはないが、サラリーマンを卒業し、家のローンも完済、孫は子供の責任となれば、衣食足りて礼節を知る、のことわざ通りに、聖人君子の言葉が良く分かる。やはり現代中国と違って昔の中国には偉人が沢山いたに違いない。  




mh3944 at 07:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2013年07月12日

130712 日本農業を救う道

TPP加盟を前に日本農業をどうするか激論が交わされている。危篤状態にある日本農業の治療法が誰にも見当つかないのだ。私も田舎の小農の3男坊で、農繁期は小学校中学校が農繁期休校になり、受験勉強など吹き飛んでしまう苦い思い出が今でも懐かしい。

6月の田植時には隣近所の6-7軒から母親連中が集って共同で田植えする。まだ暗い早朝4時頃から田に入り世間話しに花を咲かせながら次々と早苗を植えてゆく。朝7時頃になると我々子供が食物とお茶をもって水田に駆けつける。母親たちは畔道に座り込んで素早く朝食を済せ、また隣りの田植えを続ける。こうして1ケ月も続くと、風景は一変して一面が水田に変わってしまう。しかし今日ではこの共同の田植えは完全に姿を消して、男衆が機械を操って自分の田植えを行う。 

水田の草取りも変わった。我々の時は小さな羽根が生えた機械をガラガラ押して柔らかい水田の土をかき混ぜながら草の根を浮かしてとる。向こう岸に辿り着くと今度は引き返す。まるで精神修行のようにこの退屈極まりない作業を朝から夕方まで何百回も繰りかえすのだ。時には故意に列を抜くこともあるが直ぐに露見して親から大目玉をくらった。

夏の終わりになると草の根が伸びて簡単には抜けず、今度は腹這いになって人手で土をかき混ぜながら草を引き抜くが、背丈が伸びてギザギザ状の稲の葉が顔を傷つけて赤く腫れあがって痛む。しかし今日の草取り作業は除草剤を撒くだけで済むという。素晴らしく省力化した作業に変わって、肉体労働のない楽な農業に様変わりしている。

しかし何故か農業を継ぐ若者は誰も居ない。最大の問題は農家の年収が少な過ぎることだという。週休2日制などは皆無で365日働いても年収200万円程度では、彼女も近寄らず、パート契約社員の方が余程気楽なのだ。肥料,薬剤代など必要経費を差し引くと1銭も残らないという。更に農機具メーカーが農協と結託して、高額な田植え機械、コンバイン等を全ての農家に売りつけそのローン返済が圧迫する。今日では、地元野菜に囲まれた農村にも立派なスーパーがあり、野菜果物などは殆どスーパーやコンビニで調達すると聞くと大きな驚きだ。

日本と違って、米国やオーストラリア等は約100倍の大規模経営であり、収穫は超大型トラクター、薬剤は飛行機で散布する。ヨーロッパも日本の10倍規模と大きく、完全に機械化されて野菜や花の工場生産もあるという。またドイツでは都会生活者向に、ひと区画が野球グランド程度に広いクライネガルテンと呼ぶ農園もあり、30年賃借で野菜や果樹草花を育て、宿泊できる小屋も併設された大型の家庭菜園だという。老後の生き甲斐や余暇の楽しみ創出だけでなく、緑地保全や子ども達への豊かな自然教育の場として大きな役割を狙っている。国内の段々畑はその有力な候補地として使えるかも知れないが、年老いた日本の農民にはその智慧も資本も、増して気力など全く無い。
 
新聞情報によると、日本では年間産出額4兆円の農業を保護する為、1兆円以上の補助金が毎年投じられているという。農家の衣を着た生活保護世帯に変質しているのだ。それでも農家の危篤状態は深刻度を増している。致命的な問題は後継者が不在なのだ。仮に長男がいても休祭日も無く働き続けた結果が200万円では結婚もできず、誰も跡を継がない。にも拘わらず、日本農業を守ると称して農水省と関係国会議員が、瀕死の老人にカンフル注射の補助金を与え続けているのだ。親の死亡を隠して年金をもらい続ける子供達と殆ど変わらない癒着構造だ。これほど過保護にしても、日本の食糧自給率は先進国で最低レベルだというからまた驚く。 

問題はこれほど日本農業を重篤状態に陥れたのは、農業を救えと叫んでいる国会議員と農水省が真犯人なのだから始末が悪い。如何に重篤状態に陥っても、農地を食糧自給の聖地と称して外部からの関与を排除し続けているのだ。日本農業を救うには、国内農業を縛り付けている農地法を廃止して、無垢な農民の生血を続ける農水省と族議員を排除して、民間資本が自由に参入できる農業にすること以外にありえない。

具体的に言えば、農林水産省を解体して経済産業省農水局に組織変更する。そしてTPPにも積極加入して日本農業を世界の暴風雨に晒し、試行錯誤しながらも新しい生き残り策を網み出すことだ。多分色々なアイデアを組み合わせた姿になるだろうと思うが、自由な民間資本が知恵を出せばユニークなアイデアが続出するだろう。花や果実、野菜等を育てる農業は本質的には人生に大きな憩を与える場であり、農業ディズニーランドを全国に散在させる可能性だってありえると思う。   

諸外国も必死に生き残り策を探しており、お隣り韓国では死者も出しながらも苦闘しているという。日本も経産省農業局の指導で、民間の知恵と資本と効率を徹底的に導入すれば、新しい打開策が見つかり、嫌われる農業を楽しい農業テーマパークに衣替えして、現在の一次産業から高次加工産業に衣変えして農産商品の製造販売、更には流通まで担当する6次産業にも発展できるだろう。民間の知恵と資力で試行錯誤すれば、工場サラリーマンとは違って、自然相手に野菜や食物,草花などの生育を満喫できる職業に変質できる筈だ。   





mh3944 at 09:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 政治 

2013年07月05日

130705 学歴の効用

子供が不登校で悲嘆に暮れる親をテレビでみた。何とか人並みの学歴だけはつけてやりたいと願う親心は誰も同じだ。もし私の子供が不登校だったら、成人して後悔しない学歴だけは子供につけようと人並みに説得したに違いない。

学歴は就職と結婚には重要であり、学歴なしでは苦労するのは確かだ。しかし社会に出て学歴が本当に効くのは成果を上げる必要がない公官庁と超大企業だけであり、そこは目立ち過ぎると返ってバッシングされる現場でもある。しかし一般社会では確実に学歴の効用が薄れて、実力が人生を決める時代になりつつある。正確には学閥と年功が重要な公務員だけに有効で、如何に大企業といえども無用な学閥に胡坐をかいていると、瞬く間に奈落の底に叩き落とされるのは東電の原発事故でも証明されている。冷却ポンプを自由に移動できる態勢にしておいたら、世界を揺るがす大事故にも発展せず、日本を代表する名門会社の東電から外聞も恥ずかしい貧乏会社に成り下がらなかった筈だ。日本の弱電会社を叩き潰して世界を制覇した韓国サムスンでさえ、今は将来の展望を失って経営危機が囁かれ始めているという。本当に恐ろしい時代になったものだ。  

しかし人生の幸不幸を大きく左右するのは幸運の有無が大きい。卑近な例で言えば会社で上司に恵まれるか否かだ。部下が頑張ってもその努力を正当に評価しない上司に出会うと本当に哀れだ。よくある例だが、私も部下の成果を横取りする上司に永らく仕えた。彼もサラリーマンで取締役に評価されたい事情は分かるが、部下を抹殺して自己の成果を誇示したい上司が一般社会には多過ぎる。部下が挙げた成果だと知れると自己の評価が半減するかの如く誤解する哀れな上司達だ。部下の成果を公表しても決して自己の評価が減る訳ではないのに、それが理解できないのだ。このような上司に遭遇したら何とか早く離脱する道を探る以外に無い。  

時代の趨勢も大きく左右する。私の友人に神戸銀行に入社した若いK大理学部卒がいた。昔から銀行は文系エリートの牙城だが、50年前の一時期、理系バンカーが囃された時代があった。コンピューター時代の到来で、銀行業界は数学屋が制すると言われ始めた。私の友人も意気盛んで神戸銀行に入社した。しかしあれほど競争が激しい銀行も時代の大波に襲われ始めた。神戸銀行は1973年に太陽神戸銀行となり、更に1990年に太陽神戸三井銀行(さくら銀行)になり、遂には2001年には宿敵の住友銀行に吸収されて太陽神戸三井住友銀行(三井住友)となり、当人との連絡も全く途絶えてしまった。 風のうわさでは、時代を革新しようと入社した理系バンカーの夢は全て消え失せ、銀行内では理系は異端視扱いされていたと聞く。銀行管理となったゴルフ場のフロント係とか、更にはボイラーマンをやらされた人も私は知っている。

しかし中小零細企業になると、更に学歴は無縁の世界だ。我が社は大企業の操業保全を請け負っており、24時間休みなしに稼働するロボットの修理を担当している。当現場では100人の社員を20台のロボットで置き換えた。ロボットは文句も言わず昇給も求めず劇的に省力化するが、気配りが効かず、ロボット自身が故障するとテコでも動かない。そのトラブルに対応する為、我社の技師がその修理保全を3交代で担当している。我々抜きでは現場は困り果ててしまう程だ。3人の内A君は都心の有力大学の理学部物理科卒,B君とC君は高校卒だ。学卒のA君は理論派だが技術屋特有の堅苦しくて人付合いに難がある。B君は機械専門高校を卒業して永らく営業を担当し, 口上は立派だが時折信頼性に難がある。C君も機械専門高校卒だが誠実で前向きな態度から周囲の評価は高い。全員優秀だが強いて言えばC君が抜け出ている。これは零細企業の話であり、大会社では組織内の調整力も必要だろうが、サッカーと同様に仲間同志の横パスばかりでは得点にならず、時には縦パスや敵陣を突破してゴールに突進するドリブルも不可欠な時代になっているのだ。

確かに子供には人並みの学歴をもたせたほうが安心である。しかし学歴が決め手になるのは極く限られた世界であり、時代の趨勢も運命もあって、結局人生はやってみないと結果は分からないことが圧倒的に多い。ただ努力と積極性を欠かさず、前触れもなくやってくる幸運の女神を逃さないよう努めれば、学歴は欠いても、生き甲斐のある人生を送れる時代になっている私は思う。





mh3944 at 08:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感