2013年11月

2013年11月25日

131125 lineの呪縛

私はやっと携帯電話を使いこなし始めた程度だが、時代は移り変わりスマホが爆発的に伸びていると聞く。特に女子中高生の殆どは無料会話ができるlineに熱中しているという。高齢の私はPCメールだけで十分だが、彼女達は色々なグループに属して連絡し合いながら自由なline会話を楽しみ、少ない人でも1日に10−20回、多い人は毎日200〜500回もメール交換し、もうline抜きでは生きていられないという。lineは家族やテレビよりも大切な分身になっている。全く恐ろしい時代になったものだ。                                

確かにPC無しでは私も仕事にならないが、彼女達はこの比ではなく、line無しでは不安が募り一時も手元から離せないという。これはもう異常な状態でline中毒と言うほかない。多感な彼女達は青春時代をlineでお互いに連絡し合いながら相手の状況や心情を確認し、相互監視しながら揺れ動く毎日を過ごしている。もしメールを無視したり仲間を侮辱すると、険悪な関係になって、村八分やイジメに遭う。lineで相手の現況が分かり自分が仲間と似た状況にあることに安心するのだろうが、自己を発奮させ勉強や教養になることは殆ど無いだろうと私は思う。                                      

大昔には、中学高校時代には携帯とかスマホなどの通信機器などは皆無で、代わりに同僚達が集まって仲良しグループを作り、群れながらlineの代役を果たしていた。そのグループ仲間は溢れる体力を発散させるため他人をイジメたり、悪事に走ることが結構あった。体質的に群れることを好まず、似合わない私は殆ど群れに参加しなかったが。                                                         

line無しでは一時も過ごせないという異常な女子学生の熱狂振りを思うと,これは青春時代の疑似恋愛ではないかと私は思う。年頃の女学生は、人生の春を迎えて心や感情が高揚して揺れ動き始める。本来の対象は異性の筈だが、恥ずかしさや不慣れもあり、特別な用件無しには男性に話しかけられない。しかし相手が見えないlineならきわどい会話も抵抗なく、揺れ続ける心情やつぶやきを好奇心で発散できる。一度発信すると相手からどのような返信が返ってくるか心待ちになるのはメールも同じことだ。 寝ても覚めてもスマホで発信し続け、その返信を待ち続けて、燃える心を抑えているのだ。                                   

ニキビ面の私も高校時代は不安な将来を考えて悩みに明け暮れた。凡才で運動神経も鈍く特別な才能もない私は、仲良しグループに入ることもなく孤独に過ごすことが多かった。学業に遅れないように懸命に努力し、高校を卒業すると親戚のツテで、近くの平生塩田に就職する話が進んでいた。しかし進学する同級生の噂を聞いて、自分も一度だけ大学受験をトライしたいと母親に話した。父親は早く亡くなり資力のない母には無理な相談であることはよく分かっていたが。       
 
進学塾など無縁な田舎の高校では、私も焦りと疎外感に苛まされ続けた。私の受験勉強は、真夜中の旺文社受験講座を文化放送で聞くことと、100円豆単の英単語を丸暗記することだけだった。しかし才能は無くても継続すれば結果は出て、豆単の2800の英単語を本当に全て丸暗記してしまった。その効果は抜群で、受験で大差がつきやすい英語で高得点を獲得し、難関のK大学工学部に現役合格して高校の先生や母を仰天させた。学資が続くかどうか不安が大きかったが、兎に角入社予定の製塩会社は断った。昭和30年代初頭の塩田は孟宗竹の枝を組んだ枝条架式という最新鋭だったが、外国から安い岩塩が大量に輸入され始めると、たちまち塩田会社は倒産した。もし入社していたら直ぐに失業してホームレスの先駆者になっていた筈だ。                    
lineの愛好者は仲間から受信して既読し無視を繰り返すと、段々と仲間外しにあい、村八分になるという。欧米でもネット上のイジメで自殺に追い込まれる若者が多いと聞く。従って寝ても覚めてもスマホを手離すことが出来なくなる。仮に恥ずかしい写真がネットに流れるともう収拾不能で、自分の恥が世界に拡散してしまう。その結果、便利に会話を楽しむ手段が本末転倒して、四六時中lineに束縛され監視される恐怖の機器に変わる。高校時代は人生で貴重な青春時代だが、その人生満開の時を無駄な交信に費やしお互いに仲間を縛り付け合っているのだ。まるでlineに呪縛されて青春時代を過ごすことになる。如何にも哀れで勿体ない話しだ。スマホは最低限にするか、麻薬の如きline地獄から早く脱出すべきであろう。  

自然界においては、春には動物は冬眠から覚め、植物も芽吹き始めて花を咲かせ結実するように、若い女性もこれから自分はどう生きて行くべきか悩み始める時である。突き上げる心の衝動をどう生かすか悩むことは精神成長へ大きな肥料でもある。そして目標が受験勉強に向かうか、スポーツに向かうか、音楽や絵画などの芸術か、或いは世界で活躍を目指すかも知れない。この二度とないこの人生目覚めの時を、lineに囚われて無為な享楽と悩みに費やすのは如何にも勿体ない話だ。級友は確かに大切であるが、生涯お世話になる訳ではなく、自分の人生は自分で切り拓く以外にないのである。 空虚なline通話に囚われて青春を費やすより、自分を解放して飛躍を試みては如何だろうか?




mh3944 at 08:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2013年11月18日

131118 無責任な市長達


テレビでみたが、先般の大津浪で気仙沼市街の奥深く600mも逆流して町のど真中に鎮座していた巨大な漁船、第18共徳丸が完全に解体されて撤去されたという。その跡を訪れた地元市民が、以前は連日多数の日本人や外国人が見物に来て、巨大な船体を見上げながら驚き祈る姿は、自分達には目障りで早く漁船が消えて欲しいと願っていたが、船が無くなった途端、人影も途絶えてしまった。このままでは気仙沼は忘れられるのではないかと今度は不安になったと呟いていた。全く身勝手なものだ。町の中心から漁船が消えた気仙沼は確実に忘れ去られるだろうと私も思うが、それを望んでいたのではないか? 訪れる外国人は驚愕して、大洪水ノアの方舟を連想しながら自然の恐怖に驚き祈ったに違いないと私は思うが、津波の痕跡を消し去りたいと願った地元民は、念願成就で喜ぶべきだろう。     
                                
同様に南三陸町の鉄骨3階建の防災対策庁舎も間もなく解体すると聞いた。解体か存続かについて市が地元住民にアンケートを取ったところ、解体派が多数だったので、その意思に従って市長が撤去を決めたという。鉄骨むき出しの巨大な建物には連日訪問者がやってきて花束を捧げ、3階建の4階屋上にまで逃れながら45名全員が押し流されて溺死した悲劇を悼み、犠牲者に祈りをささげた来訪者はもう来ることもないだろう。
                               
確かに市民の多数意見に従った市長を、誰も非難はできないかも知れない。しかし問題は、市長のリーダーシップが全く見えないことだ。単に投票してその結果に従っただけということではないか。これでは何ごとも投票で決めれば済み、市長の存在価値は無い。これほど悲劇的な犠牲者を出した津浪の遺跡を、何故市長は存続しようと考えないのだろうか?このままでは東日本大震災は世界から忘れ去られてしまうのは確実だと思う。                               
石巻市では80余名の小学生が犠牲になった大川小学校の解体が決まる日も遠くはないだろう。地震発生から40分間もの長い時間を無駄に費やし、夢ある児童達の将来を断ち切った先生や地元教育委員会は、屈辱の記憶を早く消し去りたいと思っているのだろうか。信仰心の薄い私は旧約聖書には詳しくなく、ノアの大洪水は話に聞き映画で見た程度だが、現実に東北を大洪水が来襲し、3万人もの同胞が犠牲になった事件が起きたのだ。地元責任者の市長は、奇跡といえるこの大事件の痕跡を、いとも簡単に住民のアンケートで消し去るのは、何とも無教養で気違い沙汰だと私は思う。
                                
この大津波は人類が決して忘れてはならない歴史上の大事件であり、その遺跡は永久に保存するよう、市長は地元市民を強力に説得すべきではないのか。地元住民は恐ろしい津波を思い出すのも苦しく腹立ちまぎれに撤去を叫んだのであろうが、彼等を冷静に説得して津波の痕跡を残すべく説得するのが市長の役目であろう。 結論を急ぐ理由は全く無いにも拘わらず、責任逃れにアンケートを実施して言訳の証拠を作り、再び起きはならない悲劇の痕跡をこの世から消滅させるのは、取り返しのつかない暴挙だと私は思う。                       
保存に費用が掛かり過ぎ、その調達の目処がなかったとある市長は弁明しているが、それは単なる言訳であり、何を努力したのか聞いてみたい。岩手県の達増知事にも大きな責任がある。市町村長を指導して、再びあってならない大事件の遺跡を存続しようと、何故地元を説得しなかったのか。巨額な保存費用が必要だと市長は主張するが、何を勘違いしているのか。完全冷暖房の室内で芸術品を保存する訳ではなく、野外の破損した建造物の保存だから、費用も工夫出来る筈だ。保存が難しいから壊してしまえ!とは余りに乱暴過ぎる。もし知事にその意志があれば全国に訴えても必要な予算は確保できただろう。仮に予算が無ければ周囲を囲って、荒れ果てた遺跡をそのまま保存して、暫く時間稼ぎしてもいいではないか。無責任で思慮に欠ける東北の知事や市長連中には全く呆れ果ててしまう。




mh3944 at 07:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2013年11月12日

131112 定年延長のトラブル

 
先日NHKで65才定年延長に伴う企業内のトラブルについて激論があった。役職を外された年配者が、自分達の知識や経験をもっと尊重せよと叫び、若い管理職は、横柄で口先ばかりの年配者は殆ど仕事せず邪魔だと言う。永遠に解決されない相互不信の様相だった。私が学生時代の定年は50才だったが、その後55才に延長され、更に60才に延長されて、年金財政のひっ迫から遂に65才定年と政府が決めて、追い詰められる年配者と若い管理職の間でトラブルが続出している。
                     
結論としては、年配者の役職を外し給料を1/3に減らす事例が多いが、年配者は能力や実績を無視して突然役職を取り上げ、更に給料も激減するのは全く不合理だと怒るが、早期退職しても自分で稼げる目処もなく、屈辱を感じながら我慢する状況だ。若者側は、昨日まで威張っていた部長が突然平社員になっても電話も取らず、呼び捨ても出来ず、お茶やコピー依頼を断るのも難しいと困惑している。双方の言い分は感情論もあり簡単には解決できそうにない。高度成長時代には役職も増えて年配者を受け入れる余地があったが、今日では様相が全く変わってしまった。

昔は、能力も実績もない仲間が年功に従って、係長から課長へ、課長からか部長へと次々に昇進して窓際に机を並べる姿を見ながら、企業とはこんなものかと私は思っていた。彼らは定年を迎えて花束を受け取って退職すると暫くはゴルフや旅行へと、忙しく飛び回るが、財布が乏しくなると急に動きが鈍くなり、最後には自宅に籠ってしまう。今日でも殆どの社員は何の準備もないまま役職を外されて定年延長に入る。昨日まであれほど優しく従順だった若い女性が、急に手の平を返して冷淡になるのは本当に屈辱の至りだが、所詮ヒトは動物園のサルと同じで、新しいボスがメスを一人占めすることになるのだから仕方ない。     
     
私の場合は事情が少々違っていた。企画調査部門を主に歩き、製造や営業の経験は殆ど無く、大部隊を率いて定型的な業務をする仕事には無縁で、いつも不安定な将来計画を考える習慣が身についていた。人生最大のプロジェクトのマイホーム作戦も、どこか湖畔に住みたいと、関東一円を広く歩いて、一旦は霞ヶ浦湖岸に狙いを定めたが通勤時間が長過ぎるので、近くの手賀沼湖畔に住居を構えた。唯一のミスは素朴な田園風景の手賀沼周辺も開発が進んで、急に水質が悪化して全国に悪名を馳せたが、大規模な下水道計画が実施されて再び昔の静かさを取り戻し、今では休日は念願のヨットを楽しむ静かな環境に戻った。 
 
仕事に関しても、私は企画参謀役ばかりで、安定した日常業務には恵まれず、いつも少人数で先の見えない仕事に従事しお茶やコピーも自分がした。 45才の時、脳腫瘍を患って暫く仕事から離れたのを機会に、自然に社内起業を思い始めた。しかし何を企画しても社内の他部門から横ヤリが入る為、現業とは全くかけ離れたメディカル分野に狙いを定め、米国の医薬品会社との合弁設立を進めた。 

未経験なメディカル業務は戸惑いばかりで、社内に共同推進者を募ったが誰も応じず、結局は自分が最高責任者として切り拓く以外になかった。不安はあったが覚悟を決めて、若い新人をかき集めて臨床検査薬事業に突進し何とか年商20億円近い50人の中堅企業に仕上げた。特に若い技術開発陣の素晴らしい貢献もあり活発な企業風土に育ったが、12年過ぎて60才になった時、米国会長から解職を言い渡された。しかし隠居する意思は毛頭なく、今度は自分で起業しようと思い始めた。
     
合弁社長時代に痛感した機械装置のメンテ部門に無駄が多い点に狙いを定めて、機械メンテ会社を設立した。その計画に専念していた私は、迂闊にも、誰もが受給する失業保険の申請を忘れてしまった。結局7-800万円にも達したであろう失業給付を受取れず痛恨のミスに泣きながらも、限られた自己資金で開業を進めた。しかし幸運にも尊敬していたM副社長からの個人での参加の申し出を受けてやっと動き始めた。友人達は異口同音に、個人資金で未経験の新規事業を始めるのは破産確実で気違い沙汰、との忠告を受け、故郷の親兄弟も定年後の起業には賛成しなかったが、何とか15年頑張り抜いて、今では安定した中小企業を経営している次第。

私の時代と違って今日ではネット社会が進展し、アイデアさえあれば、誰でも小資本で容易にベンチャーを起せる時代になった。失敗しても出資金の損失で撤退できる時代だが、誰も冒険しようとしないのは不思議なことだ。個人で起業する勇気がないのか、アイデアが無いのだろうか? 勿論新事業は成功の保証は無く失敗する可能性も大きいが、私が危惧した家屋敷まで失う可能性は避けることができる時代であり、仮に失敗しても資本金を諦めれば切り抜けられる時代になっている。若い社員の下で屈辱に苛まされながらサラリーマン生活を終えて、悶々の余生を送るよりは、青天井の晴れ晴れした環境で、起業をトライしてみては如何だろうか?   




mh3944 at 10:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2013年11月06日

131106 今年のプロ野球

米国メジャーの上原が大活躍し、 名門Red-Soxは昨年の地区最下位から6年振りにワールドチャンピオンに輝いた。大阪仰星高校時代は全く無名の控ピッチャーだった上原は、大学入試に浪人してバイトで生活費を稼ぎながら苦しい青春時代を送ったが、大阪体育大学に入学してピッチャーとして開花した。ドラフト1位で巨人に入団後、10年間で112勝を挙げて2009年の33才の時、米国メジャーに移ったが、今度は出場機会に恵まれず2年前のプレイオフでは3試合連続してホームランを打たれ、ワールドシリーズの登録も外された。年俸4億円でRed-Soxに移った今年は、クローザーとして大活躍し、リーグ優勝決定戦の MVPにもなった。ユニフォーム背番号の19は将来が全く見えなかった暗い19才時の苦しさを忘れない為だそうだ。その不屈の精神はメジャーの大試合でも真っ向勝負に徹して米国民を感激させた。小さな上原がキャッチャーに抱えられて腕を突き上げる姿をテレビで繰り返しみたが、素晴らしいひとことだ。百の巧言よりも上原の大活躍は勤勉な日本人に対する米国民の信頼感を倍加させよう。  

日本では創立9年の仙台楽天が初優勝した。妻が巨人ファンで私もファンだが、今回の巨人選手の無気力さは情けなかった。特に4番の阿部慎之助は7試合でも殆どが凡打に終わり打率も1割以下だ。彼がビール腹を揺らせながら片足上げて打席に立つ姿は北洋のトドを思わせて怠惰そのものだ。それに引き替え楽天の攻撃陣は巨人投手を打ちまくり、田中投手や則本、美馬投手が抜群に働いた結果、楽天の勝利は当然であり、東北住民を歓喜させた。

半世紀前、私が学生時代の西鉄ライオンズも大活躍だった。当時のライオンズは強烈で、日本シリーズで3連敗した絶体絶命の4戦目9回2アウトの敗退寸前に同点打を放って延長戦に持ち込み勝利を得てから生き返り、怒涛の如く4連勝して逆転優勝した時の興奮は50年が経過した今でも忘れられない。巨人が優勝なら単なる連覇で1週間経つと冷めてしまうが、地方チームの優勝は、東京を制覇したことになり、その感激と興奮はなかなか消えず翌年中続く。今回の楽天がチャンピオンになったことは、被災に悩む東北地方の住民を歓喜させ、大きく勇気つけて本当に良かったと思う。                         
         
巨人敗退の主犯は阿部だ。殆どの決定的な場面で凡フライに終わり、楽天の打者に比べて雲泥の差があり、これが年俸5億円の日本を代表する打者とは泣けてきた。阿部は、僕が打てば巨人は勝つ、僕が打たなければ巨人は負ける、とマスコミ記者に話していたそうだが、傲慢にもほどがあるというもの。高橋由伸も全く使えず、時折ヒットも打つがケガ続きで満足に働けず、これで年俸3億円とはお笑いだ。           
       
逆に信頼に足りるのはロペスと村田だ。特にロペスは第六戦で必勝を期した田中を攻略して同点に持ち込んだ立役者、村田も攻守ともに大きく貢献した。彼らのヤル気が今回の日本シリーズを救い巨人の面目をなんとか保った。 長野は気合満点だが何故かベースから極端に離れて立つ。本人は離れて立つと気持が合うそうだが、毎回外角を攻められてバットも届かず空振りとか、やっと先に当たるポテンヒットに終わる。彼の打撃コーチは眠っているのだろうか。

坂本はやる気が見えず下位打順でも役目を果たせなかった。彼は子供時代に伊丹の少年野球チームで田中とバッテリーを組んでいた。器用な坂本はいつもチームの中心選手で投手兼4番打者、不器用な田中は捕手役だった。2位指名で巨人に入り器用さを買われて直ぐレギュラーに定着したが、器用貧乏そのもので結果に波が多く、最近は下位打者に落ちている始末。

逆に不器用な田中は努力と精進を重ねて段々と力をつけ、遂に今年はシーズン無敗の24連勝を達成し、来シーズンには米国移籍が計画されている。聞く処によるとメジャー12球団が入り乱れて田中争奪戦を始めており、入札価格は80億円以上の驚くべき高値が噂されているという。不器用でも精進すれば器用を圧倒する典型的なサンプル例だ。プロ野球だけに限らないが、人生で勝利するには才能に溺れて結果が出ない阿部や坂本の傲慢さではなく、能力不足を補って精進を続ける不屈精神の田中や上原の努力であることを教えてくれた今年のプロ野球だった。   




mh3944 at 10:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感