2014年05月
2014年05月30日
140730 勝ち過ぎる白鳳
今年の夏場所も白鵬が優勝した。29回目の優勝だという。しかしご本人は何か不満らしく、優勝明け翌日の定例記者会見を拒否した。理由が分からず大相撲協会も困惑気味だ。一人横綱として大相撲を支え続けた白鵬に対して協会も少し遠慮がちだが、何とも困ったものだ。
昔のハワイ勢に代わり、近年の大相撲は、朝青竜に始まったモンゴル勢が大活躍し、遂に東西3横綱は全てモンゴル独占になった。日本人力士に比べてモンゴル力士は形相が違い、必死の粘りで相撲に取り組む。実力的には白鵬がダントツだが、続くのは日馬富士でも鶴竜でもなく稀勢里だと思うが、気力と土俵際の踏ん張りの差で、モンゴル勢二人が先に横綱になってしまった。モンゴルでは大相撲が大人気で、子供達の夢は、将来は日本に渡って横綱になることだと聞く。何だか嬉しいような寂しいような気持ちだ。
白鵬が不機嫌で会見拒否した理由はマスコミも分からないらしい、当然私が知る由もないが、独断と偏見的でその理由を推察してみる。一つは、千秋楽の白鵬:日馬富士戦で、満員御礼の大観衆が、東の正横綱白鵬ではなく、西の日馬富士に大声援を送ったことかもしれない。理由は簡単で、白鵬が負ければ2敗同志の稀勢の里との優勝決定戦となり、日本人力士が優勝するかも知れないと期待したのは当然だろう。これが白鵬の癇に障った。日本人妻を娶り、これほど日本に同化しようと努めているにも拘わらず、日本は自分を同胞と認めてくれないと不満に思った可能性はあるが、ややケチ臭い話だ。
或いは12日目の白鵬:稀勢の里戦で、白鵬は立ち会いを2度も外して立たなかった。少し躊躇した稀勢の里は3回目の立ち合いを一瞬遅らせた瞬間に、白鵬が先に飛び込んで一気に寄り切ってしまった。横綱はずるいと私は思ったが、評論家諸氏にも皮肉られてカチンと来たのではないか。もし立ち合いを合わせていたら結構面白い勝負になり、稀勢の里が勝った可能性も大きい。 他のモンゴル勢はもっと更に違反すれすれの奇策を平気で繰り出す。どんな局面でも受けて立った双葉山に比べてあの白鵬もやはりモンゴル勢だと私も感じた。豪栄道:鶴竜戦で豪栄道が鶴竜を押し出して勝ったにも拘わらず、4人検査役を差し置いて白鵬が手を上げて、豪栄道がマゲを掴んだとモノ言いをつけ、鶴竜が横綱として初めて反則勝ちを得た。2日後には今度は日馬富士:稀勢の里戦で、日馬富士がマゲを掴んで反則負けになった。考え過ぎかも知れないが、懸命に同化に心掛けても、勝つこと最優先のモンゴル勢を日本人が余り賞賛しないことに白鵬は潜在的な不満があるのかも知れない 。
ゴルフ界でも韓国勢が席巻し過ぎている。1時間半で来日できる日本は賞金額も高く韓国選手の稼ぎ場なのだ。毎週の試合でも中盤までは日本選手も結構頑張っているが、終わってみれば韓国選手が優勝している。韓国選手が上位に並んだ試合は面白くないので私はいつもスイッチを切る。慰安婦問題や竹島問題で、日本に対してあれ程執拗なイヤガラセを続ける朴政権を、韓国選手はどう思っているのか一度聞いてみたいと前々から思っている。内心は別としても多分、あれは政治の世界で、私達には関係ありません!と答えるだろうが、そんなキレイごとでは我々日本人は納得できない。 もし誰か一人でも、多くの日本人は親切で友好的ですよ、と何故言わないのだろうか? 多分自国民からバッシングを恐れて黙って稼いでいるのだろう。
逆に、強い選手が勝つのがどうして悪いのですか?と開き直る選手でも居れば尊敬するが、静かに黙って稼ぎ続けたい彼女達は決して言わない。欧米でも強過ぎる韓国選手に辟易し、米国女子ゴルフ協会が外国選手の参加資格を厳しくしたと聞いており、悩みは同じらしいが、権威ある筈の大統領にウソ八百の悪口を言われながら、お金だけを持ち逃げされる我々日本人は本当に頭に来ているのだ。
しかし我々日本人も、考えるべき点がある。例えば米国メジャーでダルビッシュや田中将太が活躍すると、我々は素直に喜ぶ。しかしそれは大相撲のモンゴル勢やゴルフの韓国女子選手とどんな違いがあるのだろうか。 結局は誰にも自国選手に対する偏愛があり、米国人は必ずしもダルビッシュや田中将が勝ちすぎるのを喜んでいないかも知れない。偉大な米国が、小柄なイチローの大活躍に驚愕して声援を送ったのはただ珍しいからであり、何事もやり過ぎ出来過ぎは禁物なのである。
ナショナリズムは万国共通だが、それは程度が問題であり、日本人選手が活躍し過ぎると、米国でもブーイングが起こりえるだろう。韓国中国は日本に対して激しい憎悪を燃やすが、モンゴルは日本に親近感を抱き続けている。しかし昔は中国韓国も極めて親日的であり、日本の進んだ技術を積極的に取り入れた。あるいは盗んだという方が正確かもしれないが、彼らが国力に自信を持ち始めた途端、態度を豹変させて、今度は日本のあらゆる行動にケチをつけ始め、日本を貶めようと世界中に悪評をばらまいている。 外敵を作って自国民の目を国外に向け、国内の不満を抑える方法だろうが、余りにもみすぼらしく下品な政策である。
昔のハワイ勢に代わり、近年の大相撲は、朝青竜に始まったモンゴル勢が大活躍し、遂に東西3横綱は全てモンゴル独占になった。日本人力士に比べてモンゴル力士は形相が違い、必死の粘りで相撲に取り組む。実力的には白鵬がダントツだが、続くのは日馬富士でも鶴竜でもなく稀勢里だと思うが、気力と土俵際の踏ん張りの差で、モンゴル勢二人が先に横綱になってしまった。モンゴルでは大相撲が大人気で、子供達の夢は、将来は日本に渡って横綱になることだと聞く。何だか嬉しいような寂しいような気持ちだ。
白鵬が不機嫌で会見拒否した理由はマスコミも分からないらしい、当然私が知る由もないが、独断と偏見的でその理由を推察してみる。一つは、千秋楽の白鵬:日馬富士戦で、満員御礼の大観衆が、東の正横綱白鵬ではなく、西の日馬富士に大声援を送ったことかもしれない。理由は簡単で、白鵬が負ければ2敗同志の稀勢の里との優勝決定戦となり、日本人力士が優勝するかも知れないと期待したのは当然だろう。これが白鵬の癇に障った。日本人妻を娶り、これほど日本に同化しようと努めているにも拘わらず、日本は自分を同胞と認めてくれないと不満に思った可能性はあるが、ややケチ臭い話だ。
或いは12日目の白鵬:稀勢の里戦で、白鵬は立ち会いを2度も外して立たなかった。少し躊躇した稀勢の里は3回目の立ち合いを一瞬遅らせた瞬間に、白鵬が先に飛び込んで一気に寄り切ってしまった。横綱はずるいと私は思ったが、評論家諸氏にも皮肉られてカチンと来たのではないか。もし立ち合いを合わせていたら結構面白い勝負になり、稀勢の里が勝った可能性も大きい。 他のモンゴル勢はもっと更に違反すれすれの奇策を平気で繰り出す。どんな局面でも受けて立った双葉山に比べてあの白鵬もやはりモンゴル勢だと私も感じた。豪栄道:鶴竜戦で豪栄道が鶴竜を押し出して勝ったにも拘わらず、4人検査役を差し置いて白鵬が手を上げて、豪栄道がマゲを掴んだとモノ言いをつけ、鶴竜が横綱として初めて反則勝ちを得た。2日後には今度は日馬富士:稀勢の里戦で、日馬富士がマゲを掴んで反則負けになった。考え過ぎかも知れないが、懸命に同化に心掛けても、勝つこと最優先のモンゴル勢を日本人が余り賞賛しないことに白鵬は潜在的な不満があるのかも知れない 。
ゴルフ界でも韓国勢が席巻し過ぎている。1時間半で来日できる日本は賞金額も高く韓国選手の稼ぎ場なのだ。毎週の試合でも中盤までは日本選手も結構頑張っているが、終わってみれば韓国選手が優勝している。韓国選手が上位に並んだ試合は面白くないので私はいつもスイッチを切る。慰安婦問題や竹島問題で、日本に対してあれ程執拗なイヤガラセを続ける朴政権を、韓国選手はどう思っているのか一度聞いてみたいと前々から思っている。内心は別としても多分、あれは政治の世界で、私達には関係ありません!と答えるだろうが、そんなキレイごとでは我々日本人は納得できない。 もし誰か一人でも、多くの日本人は親切で友好的ですよ、と何故言わないのだろうか? 多分自国民からバッシングを恐れて黙って稼いでいるのだろう。
逆に、強い選手が勝つのがどうして悪いのですか?と開き直る選手でも居れば尊敬するが、静かに黙って稼ぎ続けたい彼女達は決して言わない。欧米でも強過ぎる韓国選手に辟易し、米国女子ゴルフ協会が外国選手の参加資格を厳しくしたと聞いており、悩みは同じらしいが、権威ある筈の大統領にウソ八百の悪口を言われながら、お金だけを持ち逃げされる我々日本人は本当に頭に来ているのだ。
しかし我々日本人も、考えるべき点がある。例えば米国メジャーでダルビッシュや田中将太が活躍すると、我々は素直に喜ぶ。しかしそれは大相撲のモンゴル勢やゴルフの韓国女子選手とどんな違いがあるのだろうか。 結局は誰にも自国選手に対する偏愛があり、米国人は必ずしもダルビッシュや田中将が勝ちすぎるのを喜んでいないかも知れない。偉大な米国が、小柄なイチローの大活躍に驚愕して声援を送ったのはただ珍しいからであり、何事もやり過ぎ出来過ぎは禁物なのである。
ナショナリズムは万国共通だが、それは程度が問題であり、日本人選手が活躍し過ぎると、米国でもブーイングが起こりえるだろう。韓国中国は日本に対して激しい憎悪を燃やすが、モンゴルは日本に親近感を抱き続けている。しかし昔は中国韓国も極めて親日的であり、日本の進んだ技術を積極的に取り入れた。あるいは盗んだという方が正確かもしれないが、彼らが国力に自信を持ち始めた途端、態度を豹変させて、今度は日本のあらゆる行動にケチをつけ始め、日本を貶めようと世界中に悪評をばらまいている。 外敵を作って自国民の目を国外に向け、国内の不満を抑える方法だろうが、余りにもみすぼらしく下品な政策である。
2014年05月23日
140523 冬眠して株儲け
株売買には門外漢の私がこんな刺激的なテーマを掲げると嘲笑されると覚悟している。百戦錬磨の玄人でも株式は危険で簡単には儲からない難物だ。しかし素人でも儲かる方法があることを私の実体験からご紹介したい。これもコロンブスの卵?
私は本来投機が好きな方ではないが、自分の能力不足をカバーする為に、投機は有効な手段だとも思っている。しかし株式はなかなか勝てないので殆どやらなかった。 半世紀前の私が新入社員として入社して3~4年が経った頃、証券会社に就職した友人に勧められて初めて株を買った。銘柄は小西六で確か120円前後だった。今はコニカミノルタだが、当時は富士フィルムに次ぐNo.2の写真フィルムメーカーだった。かき集めた元金50万円で誘われるままに何回かの売買を繰り返し、100万円ほど儲けた。月給が4~5万円の時代に大金だった。これは堪らない。株式とはこんなに簡単に儲かるもとかと味をしめて、会社の仕事そっちのけで株の売買を繰り返する内に、今度は逆に大損を出して元金まで失ってしまった。
株を売買するサラリーマンが困るのは、仕事中も株価変動が頭から離れず注意散漫になることだ。夕方帰宅してラジオで株式の下落を知って悔んだことが何回もあった。しかしいくら注意しても、素人の耳に入る情報はいつも勝負がついた事後ばかり。特に研究所で新製品開発を担当していた私は、実験中も世界のどこかで大事件が起き株価が暴落して大損を出しているのではないかと、四六時中落ち着かず、研究どころではなかった。そしてこの元金まで失った大損失のショックで株式投資の熱が一気に冷めた。ラジオで株の暴落を知るようでは、所詮儲かる訳がないと悟り私は株から遠さかった。
そして年月が経過しバブル崩壊の激動時代に突入した、テレビで山一証券事件などを見ながらも私は全く平穏無事だった。3軒隣りのKさんは自宅を売って家族は四散し、更に向こうの豪邸に住んでいたTさんも見事な邸宅を残したまま突然家族全員が夜逃げして音信不通になった。証券会社勤務の友人のT君は、都内に高級マンションを何室も買い増して築いた資産をいつも自慢していたが、バブル崩壊で灰燼に帰し、再びささやかな生活に戻った。しかし株を持っていない私は全く平穏だった。
更に年月は経過して私は定年退職し、自営の小さな会社を設立した時、リーマンショックで株式が暴落した。ライバルの優良会社T社の株価が余りにも安くなったので思い切って1万株(300万円)を買った。1万株の株式を持つと企業も礼を尽くして対応してくれ、配当も結構ある。何だかライバル会社を征服したような気分にもなった。そして殆ど注意も払わずに3~4年が過ぎ、株価も段々戻したので売却した、その結果 源泉徴収税や住民税を払った残りが450万円程度になった。取引はSBI証券でパソコン経由だが、結局150万円の純利益を得たことになった。
私の株式経験は精々この程度だから、とても株売買の極意なんて言うつもりは毛頭ない。しかし私は株の極意と称する本や格言は余り信用しない。株の売買は結局は騙し合いだから、確実に儲かる方法などあり得ないと思っている。
もし何かあるとするとそれは冬眠の術ではないかと思う。ある特定の銘柄に狙いを定めてその値動きを横目で見ながら普段は手を出さずに冬眠状態で過ごす。中途半端な変動では絶対に買わないが、幸か不幸か株式は時々暴落する。その時に目を覚まして思い切りかなりの数量を買う。そしてそのまま再び冬眠に戻る。年月さえ待てば価格は戻してくる。株の暴騰は滅多に起きないので、普段は思い出した時にチェックする程度で十分。年月が過ぎれば値は必ず戻ってくるから、満足できる差益が出た時に売る。元金500万円でも3~4年待てば100万円~200万円程度の利益は出る。この程度利益を出せば何だか儲けたな気分になる。そして利益を確保して再び冬眠に入り次の暴落を待つ。これが株式ど素人の私の方法だ。株価に一喜一憂しながら短い人生を不安に過ごすのは本当に勿体ない話だ。気楽に年月をかけてゆっくり儲けては如何?
2014年05月15日
140515 外資系医薬品会社
ノバルティスファーマ(スイス)が治験で不正をしたと報じられている。単品で年商1,000億円の巨大な売上げを誇る血圧降下剤ディオパンが血圧降下以外にも優れた効用があるようにインチキ宣伝して売上げを増やし、白血病治療薬の臨床治験では副作用のデータを隠していたという。医薬業界に長年従事してその複雑さに苦しんだ私は、この新聞報道は当然のことだと頷いている。外資系医薬会社の営業マンは成績を上げる為には少々の不正には平気なMRが多く、臨床検査データの操作などは朝飯前で、管理者もその実態を知らない訳はない筈だと思う。
かなり大昔の昭和50年代初め、私は米国診断薬の輸入販売を計画して合弁会社を設立し、営業マンの募集、承認申請など、一連の業務の全てに苦闘した記憶は忘れられない。理系の超エリートで自信満々の医師やドクターに対する営業は非常に気を使い、手練手管も必要だが、それを工学部卒で営業経験ゼロの私が担当することになり、厳しい試行錯誤の年月だった。
まず承認申請は、官僚が作り上げた複雑な制度で、新参者には極めて複雑で大変苦しんだが、長い年月をかけて習熟する以外に対策はなかった。時間を急ぐ私はブロカーの仲介で既存医薬品企業の薬事担当者に高額なアルバイト料を払って休日に作業をさせた。外国の臨床データを国内の承認申請に使えないなど勝手な国内規則には改善の余地が非常に多い。TPP交渉で米国が、不要な車検を頻繁に繰り返す日本の自動車業界の閉鎖性を撤廃するよう求めているのも当然である。
営業部門の組織化にも大変苦労した。人材会社の紹介で自称プロの営業マン多数をひとりづつスカウトしたが、彼等の多くは定着性に乏しく、殆どが4~5回以上の転職を重ねたJob-Hopping者ばかりだった。自分を出来るだけ高く売り込んで転職を重ね、また次の就職先を探す連中も多く、企業を信じて誠実に勤務する日本流の営業マンとは別次元にドライだった。甲状腺に強いA君は経験豊富で温厚な人格者であったが、続いてスカウトしたY君は、厄介者を引き取って頂き有難うと先方の社長から皮肉られた。医薬品の世界を渡り歩く年配者には口八丁手八丁で信頼できない人物がいるのは事実だ。
Y君も国内の医薬品会社を渡り歩いた強者で、私は営業の中核として誠実に待遇したが、段々と社内をオルグして5~6年経過した後、貴重な若手営業マンを纏めて集団退社し、新規参入のフランス系の感染症診断薬V会社に転籍した。苦労して作り上げた営業部門の若手多数を奪われたショックで、社内に残るスカウト組は大きく動揺し始め、それを鎮静させるのに私は必死だった。 後日談だが、このY君は再びV社も退社してグループは四散したという。しかし不思議なことに我社は営業部隊が壊滅しても売上げには殆ど影響しなかった。当社の製品は営業力で売れるのではなく、製品の特徴と商品力で売れていることを結果的に知らされた次第。
営業マンMRは、朝早くから病院に出社して、医師が出社する時のごく短時間に挨拶し、診察を終えて午後自室に戻る時の短い時間に廊下で面談するという極めて変則的な営業スタイルであり、俗に(喫茶店)ルノアール営業とも言われた。MRの多くは誠実に営業活動するが、年増のプロ営業マンは何をしているか掴めない不規則さもある。売上至上主義の外資系では目標額を達成する為には何をやっても許されると言う雰囲気は確実にある。
医師には誠実で素晴らしい人格者が多いが、なかにはお金と接待を要求し期待する面倒なドクターもいる。医学会は地方の観光地で開催されることが多くゴルフや接待を求める医師もいる。更にそれを悪用して空接待ゴルフをする悪質な営業マンもおり、接待内容をドクターに確認することも不可能で管理者泣かせだ。企業への忠誠心に乏しい営業マンが出張旅費を誤魔化す例もあり、管理者としては大変苦労させられる仕事であった。
かなり大昔の昭和50年代初め、私は米国診断薬の輸入販売を計画して合弁会社を設立し、営業マンの募集、承認申請など、一連の業務の全てに苦闘した記憶は忘れられない。理系の超エリートで自信満々の医師やドクターに対する営業は非常に気を使い、手練手管も必要だが、それを工学部卒で営業経験ゼロの私が担当することになり、厳しい試行錯誤の年月だった。
まず承認申請は、官僚が作り上げた複雑な制度で、新参者には極めて複雑で大変苦しんだが、長い年月をかけて習熟する以外に対策はなかった。時間を急ぐ私はブロカーの仲介で既存医薬品企業の薬事担当者に高額なアルバイト料を払って休日に作業をさせた。外国の臨床データを国内の承認申請に使えないなど勝手な国内規則には改善の余地が非常に多い。TPP交渉で米国が、不要な車検を頻繁に繰り返す日本の自動車業界の閉鎖性を撤廃するよう求めているのも当然である。
営業部門の組織化にも大変苦労した。人材会社の紹介で自称プロの営業マン多数をひとりづつスカウトしたが、彼等の多くは定着性に乏しく、殆どが4~5回以上の転職を重ねたJob-Hopping者ばかりだった。自分を出来るだけ高く売り込んで転職を重ね、また次の就職先を探す連中も多く、企業を信じて誠実に勤務する日本流の営業マンとは別次元にドライだった。甲状腺に強いA君は経験豊富で温厚な人格者であったが、続いてスカウトしたY君は、厄介者を引き取って頂き有難うと先方の社長から皮肉られた。医薬品の世界を渡り歩く年配者には口八丁手八丁で信頼できない人物がいるのは事実だ。
Y君も国内の医薬品会社を渡り歩いた強者で、私は営業の中核として誠実に待遇したが、段々と社内をオルグして5~6年経過した後、貴重な若手営業マンを纏めて集団退社し、新規参入のフランス系の感染症診断薬V会社に転籍した。苦労して作り上げた営業部門の若手多数を奪われたショックで、社内に残るスカウト組は大きく動揺し始め、それを鎮静させるのに私は必死だった。 後日談だが、このY君は再びV社も退社してグループは四散したという。しかし不思議なことに我社は営業部隊が壊滅しても売上げには殆ど影響しなかった。当社の製品は営業力で売れるのではなく、製品の特徴と商品力で売れていることを結果的に知らされた次第。
営業マンMRは、朝早くから病院に出社して、医師が出社する時のごく短時間に挨拶し、診察を終えて午後自室に戻る時の短い時間に廊下で面談するという極めて変則的な営業スタイルであり、俗に(喫茶店)ルノアール営業とも言われた。MRの多くは誠実に営業活動するが、年増のプロ営業マンは何をしているか掴めない不規則さもある。売上至上主義の外資系では目標額を達成する為には何をやっても許されると言う雰囲気は確実にある。
医師には誠実で素晴らしい人格者が多いが、なかにはお金と接待を要求し期待する面倒なドクターもいる。医学会は地方の観光地で開催されることが多くゴルフや接待を求める医師もいる。更にそれを悪用して空接待ゴルフをする悪質な営業マンもおり、接待内容をドクターに確認することも不可能で管理者泣かせだ。企業への忠誠心に乏しい営業マンが出張旅費を誤魔化す例もあり、管理者としては大変苦労させられる仕事であった。
2014年05月09日
140509 失敗談いろいろ
尖閣紛争や慰安婦など暗い話ばかり絶えない日常から離れ、話題を転じてみた。誰にも長い人生では失敗談や恥ずかしい経験がある。特に田舎者の私は失敗続きの人生で、誰にも言えない話もあるが、半世紀が過ぎて時効でもあり、いくつか思い出話を書いた。
先ずは学生時代、スマホ全盛の今日と違って50年の昔は、固定電話さえ数少なく、当然我が実家にも電話はなく、隣町の姉の嫁ぎ先の電話番号は10番だった。受話器を抑えて4~5回ほどハンドルを回して発電してから受話器を取り上げる。口下手な私は、見えない相手と話をするなんて恐ろしくて、電話をかけたことは殆どなかった。
ある時、大学の友人と外出のアポをしたが、当人と待合せ場所を電話で確認する約束をしていたが、電話が恐ろしい私は遂に連絡できなかった。長い間待たされた彼は、何故電話を呉れなかったのかと私を詰問したが、電話の掛け方が分からないとは言えなかった情けない出来事。
サンパツでも苦い思い出がある。若い時の私は頭髪が硬く多くて本当に困っていた。当時はポマード全盛で、多くの男性はあの嫌な臭いのクリームをつけていた。固い毛髪を抑えて寝かす為に私はポマードをたっぷりつけていた。入浴して洗髪するとポマードが落ちて頭髪が再び立つので、滅多に洗髪はしなかった。当然頭は相撲取のようにごてごてに固まり、悪臭を放っていたと思うが私は無神経だった。頭髪を洗うのはサンパツする時だけ、まるで昔のバンカラ学生を演じていたのだ。今頃になってその恥ずかしい姿を思い出しながら、田舎っぺ丸出しの学生時代を苦々しく思い出している次第。
食事でも失敗が多い、進学して都会に住み始めた私は、いつも安い学食ばかりだった。ある時、下宿近くの大衆食堂でスパゲッティーを注文した。出てきたスパゲッティーはミートソースが足りなかった。私はミートソースと勘違いしてタバスコを思いっきり振りかけた。店員が不思議そうに遠くから私をみていた。タバスコがたっぷりかかったスパゲティーを口にした途端、その激辛さに私の舌はしびれた。店員の冷たい視線を感じながらも私は、無知を認める訳にもいかず、舌が千切れるようなスパゲッティを、額に汗をかきながら食べ終えた激辛の経験。
同学年の従弟と共同で6畳部屋を間借りしていた私は、布団を洗ったことがなかった。時々友人が来るときは布団を裏返して使っていた。しかし天気の良い日は、窓に布団を掛けて乾燥させたが、家主さんは布団を干すのを大変嫌がった。理由は4年の間、一度も洗わず真っ黒に汚れたシーツを窓から出すなという意味だったらしい。迷惑をかけたと今頃になって反省している次第。
就職して10年後、初めて私は米国に出張することになった。昭和40年代の海外出張はまだ珍しく、社長が渡米する時は多数の社員が総出して、羽田に見送りに出かける有様だった。私が渡米した昭和46年頃は、持出し外貨は限度額 $2,000だった。同僚と2人でNY空港に到着し、タクシーで国連ビル近くの安宿に着いた。部屋のキイーを受け取りエレベーターに乗るとアフロヘアの可愛い黒人女性もエレベーターに入ってきた。彼女は何処から来たのかと私に聞くので、From-JAPANと答えると、日本は大好きだと彼女が答えた。下手な私の英語が通じたのが本当に嬉しかった。部屋に入って暫くすると、ドアにノックがあり、開けると例の黒人女性がいた。近くの部屋に友人と一緒に泊まっているが、まだ友人が帰って居らず入室できない、トイレを貸してほしいと言っているらしい。彼女の申し出をやっと理解した私は、即座にOKしてしまった。
しかし狭いシングル部屋で、カーテンで仕切った奥のトイレで、彼女が用足すせせらぎ音を聞くのは失礼だと思った私は、一寸だけ部屋の外に出て廊下で待った。直ぐに水を流す音が聞こえて彼女が出てきた、Thank you very muchと嬉しそうに急ぎ足で彼女は去っていった。何だか妙な胸騒ぎを感じながらも私は自分の部屋に入って直ぐに、机上に置いていた$2,000のTravelers-Check が無いのに気付いた。まだ片方にもサインしていなかった。慌てた私はスーツケースをひっくり返して探したが見つからなかった。さては彼女が盗んだのか?と初めて疑い始め、彼女を追ったが全て後の祭り。警官も呼んだがケガをしなくて良かったと言うばかり。結局$2,000 x ¥360=720,000円という、当時の私の6ケ月分の給料で、今日に換算すると300〜400万円の巨額を瞬時に奪われてしまった。現地駐在員に事情を説明して$1,000を借りて食うや食わずの2週間を過ごして帰国したが、恥ずかしくて事件を社内に話せず親戚から借りて返済した。オレオレ詐欺で巨額の老後資金を詐取される悔しさも分かる気持。
最後に苦しかった仕事の話。会社の主力製品に不飽和ポリエステル樹脂があったが、もっと付加価値を付けて販売せよ、と当時のK社長から指示があった。当該樹脂の主用途は漁船、小型ボート、住宅設備、耐食パイプ等で、私は小型ボートを担当した。四苦八苦しながら遂に車にも積める軽量ボートを開発して、全国に4,000〜 5,000台を販売した。 一般にボートは、転覆しても海面に浮き続けていることが必須条件で、我々は腰かけ板に浮体を付けステンレス釘でボート船体にしっかり固定した。浮力には自信満々で2年が経過したある時、ボートが沈没したとの報告が入った。驚愕した我々が実地検分すると、ステンレス釘が海水の電蝕作用で跡かたも無く溶けていた。これは人命に拘わる大問題だと痛感して、全国に数千台販売した小型ボートを1台づつ探し出して修復作業を始めた。もう絶望的な雰囲気の2〜3年間が過ぎて、舟艇事業は大損を出して解散することになった。いくら儲かる机上計画も人命に関する仕事は、金輪際やらないと決心した次第。
2014年05月02日
140502 三流国家の証明
今回の韓国の客船セオール号の事故は身の気もよだつ悲惨な出来事だった。夢と希望に溢れた高校生達を中心に302名がゆっくり時間をかけて水責めで殺されてしまった。今回の事件は、社会の隅々まで浸透した腐敗と、荒廃した韓国民の問題点が次々と表面化して、多数の若い自国民を殺害してしまった。韓国はこれほど国民の精神が荒廃し道徳観念を欠いた国家であったかと世界は驚いた。国民の倫理教育を怠り、日本叩き得意技として政権維持を図ってきた朴大統領も、足元の国民がこれほど精神的に荒廃していることを改めて思い知らされただろう。
マスコミ情報では、950トンの積載能力のセオール号に3,500トンもの貨物を積み込んで、船体が完全にバランスを失い、僅かな横揺れでも荷崩れを起こし船体が傾斜し始めた。過積を隠す為、船底のバラスト水まで抜いた為、客船の重心が更に高まり、僅かな船体の揺れで、固定が不十分な積み荷が左舷側に崩れ始めた。そして轟音を立てて荷物が滑り落ち、バラスト水を抜いて空になった船底を上に向けて、船体は沈没していった。
乗客の安全を守ることが最優先である筈の船長は、自己の責務を忘れて一般人を装って早々と救助船に逃げ、13名の乗組員達も乗客を残したまま専用避難口からこっそり脱出した。他方、高校生達は、船内に残留して絶対に動かないようにと、繰り返す無責任な船内アナウンスに従って客室に留まり続けて、脱出するチャンスを逃して、船体と運命を共にした。多数の救命ボートは手入れ不足で錆びつき一隻も救助の役割を果たさないまま、客船と共に沈んでしまった。これ以上は考えられない無責任さの連続である。
適切な避難指示があれば、間違いなく高校生達は全員脱出して助かっていた筈だ。1時間以上の時間的余裕があったにも拘わらず、経験が少ない高校生達は、絶対に動くなとのアナウンスに従って客室に留まり続け、逃げる機会を逃した。初めはしゃいでいた仲間達は、事件の深刻さに気づいた時は既に手遅れで、悲鳴を上げながら水責めでゆっくりと海底に沈められた。
日本で250名のベテラン潜水夫を要する海上保安庁は、目と鼻の先で起きた海難事件の人命救助の為、佐世保に待機して出動要請を待ち続けたが、メンツを重んじる韓国海洋警察からは遂に救助要請は無かった。もし日本の海猿部隊が駆け付けたら、傾いた客船に飛び込んで多数の高校生達の命を救えたと彼等自身も語っているが、韓国は高校生達の命よりも自分達のメンツを守ることを選んで、救助を要請しなかった。
事故の第一報を高校生の携帯電話で知った韓国の海洋警察も、格好ばかりで決断力と実行力がないことを露呈した。近海の警備艇1隻が現地に急行したが、傾いた船体には入ることはなく、海面すれすれに傾いた船内の窓から必死に助けを求めて手を振る高校生に知らん顔で右往左往するばかりだ。目の前で窓越しに助けを求める高校生に気付かない筈は無く、多分救出する自信がなくやり過ごしたのだろう。
ある韓国高官は、300名の高校生のうち80名も救出したら上出来だと関係者に漏らし、他の高官は犠牲者名簿の前で記念写真を撮ろうと同僚に呼びかけるなど、常識ではありえない人命軽視と無責任さを次々と露呈し、倫理感皆無で未成熟な韓国人の国民性を世界が知った。
朴大統領は、国民の人間性教育という時間のかかる政策には無関心で、捏造した慰安婦話を熱く語り、選挙民をアジテートしながら政権維持に汲々として、成熟した韓国を世界にPRしようとしたが、今回の悲惨な事件で、その内幕が世界に知れ渡り、未熟で利己的な国民性を世界に宣伝することになった。彼等が最も重視する目標は、お隣り日本に追い着け追い越せと産業を隆盛させ、不足な技術は日本から盗んで充足し世界の大国になったと誤解してしまったのだ。
犠牲になった高校生達の告別式で、犠牲者の家族から徹底的に罵倒された朴大統領の心中は如何だったろうか? これほど無責任で悲惨な事故と、自己中心的で倫理道徳性に欠如した国民性を世界に実況中継されて、これからどうするのだろうか。日本を外敵に祭り上げる以外に政策を知らず、世界中から1億人の署名を集めて、日本に慰安婦の賠償を迫ろう、なんて馬鹿げた運動に力を注ぐより、国民の教育が先決の筈だが、朴大統領には重荷だろう。今回の悲劇に何の反省も無いまま、慰安婦問題をテコに人気維持を図り、任期を全うするなら、海底に沈んだ多数の若者達が余りにも可哀そうだ。