2014年08月

2014年08月28日

140828 反日中国の深層

BSフジTVのプライムニュースを時々見る。ニュースキャスター反町理のニヒルな態度も面白い。先週は中国が何故あれほど露骨な反日行動を繰り返すのかがテーマで、興味深かったので、私の解釈も交えて復習してみた。今回のゲストは興侶一郎(神田外大教授)と平野聡(東大法学政治研究科准教授)だが、お世辞にもスマートとは言えない反町キャスチャーが伏し目勝ちに両氏に厳しい質問を浴びせた。 

GDP世界第二の超大国になった筈の中国はなぜ大国として行動や振舞いをせず、国内ではチベットで虐殺を続け、世界では乱暴狼藉な外交を繰り広げるかについてのゲスト両氏の見解は、5年前の北京オリンピックを境に、中国は人類文明の創始者として中華民族の偉大さに目覚め、自らを世界に顕示しようとしているからだという。昨年3月リーダーとなった習近平国家主席は中華人民の偉大なる復興をテーマに、人類文明で誇るべき先駆を果たした中国人民の夢の再現を目指しているという。紀元前の大昔に 中国は羅針盤を発明し、紙と印刷を発明、漢字を発明し、更に火薬をも発明して、人類文明のパイオニアとして偉大な貢献をしたが、その後西洋や日本に侵略され虐げられ続け、やっと逆襲する時がきたという。

即ち2008年夏の北京オリンピックを境に、中国は再び世界のリーダーとして復活したという。漢字を模倣した日本は早々に先進国に仲間入り、中国は日本などから植民地として虐げられ続けたが、再び自力で世界に覇権を復活しようとしているのだと言う。英国のアヘン戦争はその典型的な例であり、中国から輸入する紅茶の代金としてアヘンを売りつけた英国の行為は、言訳できない西欧からの恥辱の歴史であるという。  

南シナ海の領有権主張や防空識別圏設定も、人類文明の開化の時に中国は既に南シナ海の島々を知っていたと、中国の某高官が今春の東南アジア会議で発言して諸外国の列席者から嘲笑され、尖閣など東南アジアの列島の王様は古くから中国に朝貢していたから尖閣列島は当然中国の領土だと説明して、日本からアナクロニズムを非難されても全く平気なのだ。 逆にこの歴史的な中国の偉大な貢献を無視しようとする欧米や日本こそが歴史を捻じ曲げていると反論する。
  
北京オリンピック前まで中国は、国力や軍事力で欧米に劣っていたので沈黙していたが、世界No.2の大国となった今日こそ、この歴史的事実を世界に知らしめる時期が到来したという。しかし軍事面ではまだ米国に後れており、暫くは我慢して米国の立場も尊重し、太平洋は米国と中国が2分割しよう提案する。

他方習近平は、国内の汚職を撲滅する為、ハエも虎も叩く、と公言して国内序列9位の周永康前常務委員を摘発して世界を驚かせたが、これは国内の政敵江沢民胡錦濤一派を徹底的に根絶する派閥闘争であり、本気で汚職撲滅を実行している訳ではないという。

かように乱暴狼藉を続ける中国に対して日本は如何に対応するかが問題だが、ゲストの意見は、兎に角、中国が常識的な大国に成熟するまでは、ことを構えないように日本は慎重に行動すべきだという。更に日本を徹底的に悪者扱するにも拘わらず、個人資格の中国人観光客の来日が急増しているが、その訪問客の殆どは、日本を訪れると、日本人は親切で誠実、乗り物やホテルや街並みも非常に清潔で、中国で悪口されている姿とは全く違うことに驚くという。その新発見はネット社会の中国では必ず広く宣伝されて伝播するのは間違いないから、兎に角日本は中国政府と忍耐強く付き合いを続けて、月日の経緯を見守る以外に対策はないという。

確かにその通りかもしれないが、連日東シナ海で領海侵犯を続け、中国、ロシア、韓国が協力すれば、四面楚歌になった日本は簡単に打倒できると議論する中国は非常に危険すぎる。乱暴狼藉な行動に対して我々日本は我慢するだけではなく、自国の軍事力の充実を続けることが不可欠である。日本は我慢するだけではなく、空軍力と海軍力の充実を急ぎ、下手に日本に手出しすると厳しい反撃を受けるという警戒感を先方に与える必要がある。
                                                              
例のセオール号沈没事件で韓国の国内政治は完全に行き詰まり、反日だけが国内統一のテーマだという。韓国にとって最も危険な外国は何処?との韓国内の世論調査では、75%の北朝鮮に続き、日本が60%、中国は40%だという。日本が本気で韓国を攻撃するとは笑止千万だが、多くの韓国人が本当に恐れているとは全く驚きだ。しかし中国は尖閣を手始めに本気で沖縄列島を日本から奪取しようと狙っているのは確かであり、我々は対抗策を怠ってはならない。   






mh3944 at 10:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2014年08月14日

140814 阿部と本田

読売巨人軍の成績が上がらない。高々プロ野球で、どこが勝っても構わないのだが、 半世紀以上の昔、私は西鉄ライオンズの熱狂的ファンで、西鉄が連勝に連勝を重ねた3年間は本当に爽快な年月で私の青春だった。国内で最多のファンをもつ巨人軍が勝てば、日本社会もより明るくなるだろうから巨人軍はやはり勝ってほしい。                                                      
巨人はエース級のピッチャーが殆ど不調で、沢村は脱落、内海はやっと3勝、菅野も遂に離脱、残った杉内と大竹が懸命に頑張っている。しかし超高額な年俸の打撃陣は湿りがちで 特に3割打者が殆ど居ないことは嘆かわしい次第。阿部、村田、長野、高橋、ロペス、アンダーソン、セペタなど名前だけは錚々たる強力打線だが、頑張っているのは坂本と亀井程度だ。 不振の最たるは4番打者阿部慎之助で、打率2割4分台、ホームランも11本程度では、既に30本超えた他球団4番打者の足元にも及ばない。35歳という年齢による体力低下も原因だが、 4番を打つためには、もっと真面目に練習するべきである。 阿部は鈍足なので出塁しても盗塁せず、相手投手は安心して投球できる。今年のドラフト会議で1位指名された小林捕手(25)も余り起用されていない。   小林の快足と強肩と打力を何故使わないのだろうか。 チームの中心に居座る怠惰な阿部が選手の自由な起用を妨げているのではないかと私は思う。                                                     
W杯サッカーでも日本チームは最悪だった。16強入りは当然で、目標は優勝だと勇んでブラジル入りしたが、結局1勝もできなかった。 素人の偏見だが本田がブレーキになっているのではないだろうか。 ネイマールとかクローゼとか、世界の強豪チームのエース選手は軽快に動き回るが、日本のエース本田は動きが鈍く、パスを受けても直ぐに敵方に奪われる。これではザッケローニ監督も勝てる訳がない。本田が俊敏でないことは素人の目にも明らかだが、チームの背骨だから交代出来なかったのかも。                                                                                              
外国チームのエースは殆どが明朗闊達だが、本田は傲慢でメンバーから遊離しており信頼されていないと思う。彼と自由に話せるのは、香川、長友、吉田、遠藤など限られており、無愛想な本田にボールが集まらないのも 
理解できる。直ぐ敵方に奪われる仲間には誰もパスしたくない。ザック監督も本田がガンだと気付いていた筈だが、中心選手の変更は、それほど簡単ではなかった。                                                                                                   
しかしスポーツに限ったことではなく、社会でも仲間との信頼関係と意思疎通が不可欠である。恥ずかしいことだが私が企画部長時代に上司のH本部長との信頼関係が全く無かった。部下の私の本社栄転を妨害し、泣かされたこともあるが、彼の最悪な評判は成果を取り上げて部下を抹殺すると言われていたことだ。私は有望な企画情報はなかなか本部長に知らせず、人畜無害な情報は積極的に報告した。部下の成果は当然に上司の業績にもなるが、本部長は目立ち過ぎる部下を抹殺する恐怖の性格で、イラクのフセイン大統領とか北朝鮮金日成のように陰湿だった。私は可能性を秘めた案件は可能な限り報告を延ばした。 企画案件は一旦上司に取り上げられるともうお手上げになる。私は本部長より先にまず社長に報告し、間髪を置かずに本部長に事後報告した。この辺りは絶妙なテクニックで、例えば昼食で偶然社長と出会い活動状況を聞かれたので説明しましたとか言訳する高度な技術が必要だった。俺は聞いていないと本部長を怒ると、また困った事態に発展するから。                                                                
逆のケースでも上下関係はなかなか簡単ではなかった。部下を信頼し過ぎると軽んじられ、信用しないと離反する。私が社長を務めた社員50名の医薬品合弁会社の設立初期、業務に忙殺されていた頃、親会社は私に相談無く、英会話が自慢のT君を私のNo.2として送り込んできた。 無言実行型の私と口先手八丁型のT君とは初めから肌合いが違い困惑した。 初めにT君を新任の営業部長として米国親会社会長に紹介する為、同伴渡米した。 T君は超高級ワインを手土産に持参していたことを私は知らなかったが、それが合弁子会社の交際費と知った米国会長は激怒してT君を罵倒した。会長は私以上に一徹者だった。 更にT君は米国流アカデミックなMarketingを全く学んでいなかったことも輪をかけて米国親会社から嫌われたが、T君は何とか居残ろうと懸命に頑張った。                                                            

昔の医薬営業は俗にルノアール営業とも呼ばれ、担当する病院近くの喫茶店ルノアールに陣取って待ち構え、ドクターが出勤する時、廊下で待ち構えてひとこと挨拶し、夕方業務を終えて帰宅する時に、ドクターに手短く説明し、資料を手渡すだけの異様な営業形態が多かったが、T君は配下の営業部員の行動を信用せず、訪問先病院に追跡調査を行っていたことが部下にばれて大反発を喰ってしまった。そして就任後1年も経たない内に営業部長の職責が果たせなくなり、遂に別の関係会社に去ってしまった。                                                                                             
代わって私が新しくスカウトしたY営業部長にも実は大きな問題が隠されていた。45才の彼の経歴書は既に5〜6社を渡り歩いた転職歴が記載してあった。Y君は自分を成長させる為の転職だと説明し、私もう飲みした判断ミスであり、実際には追い出されたJob-Hoppingだった。 当初私はY君を信用して大きな権限を与えたが、彼は英話が全く出来ず、合弁会社の営業部長としては不適格だったのだ。営業成績さえ挙げればと米国を説得できると私は後押ししたが、段々と彼は私から離反し始め、遂には若手営業員10余名の大半をオルグして、我が社から脱走して新規参入のフランス系V社に集団移籍してしまった。苦労して集めた若手営業マンの大半を失った私には大きな打撃だった。 スカウト組みと内部組との軋轢は私も知っており、何とか解消しようと努力したが口八丁手八丁の日本式営業しか知らないY部長は、マーケッティン戦略に従って動く米国流営業方式に馴染めなかったのだ。 先日大問題となったノバルティスファーマの血圧降下剤の大スキャンダルも、年配の一匹おおかみ営業マンが手練手管で年1兆円を売上げた悪質工作の賜物であり、下剋上の激しい医薬品業界の醜い現実の残滓なのだ。                                                                                                                           
逆に技術開発の責任者に据えたN部長は、懸命に働いてくれて感謝しているが、余り権限を与え過ぎて、今度は社長としての私を排除する動きを見せ始めた。 どこの社会でも起こり得ることで、特に政界では日常茶飯事の下剋上が繰り返えされ、党首や大派閥の首領が頻繁に交代する。 結局、我々人間の心の奥底には悪魔が住んでおり、本当に信頼し合うことは難しいのだ。サル山の必ず一匹のボスが君臨する。人間社会も本質的には猿と変わらず、心から信頼しあうボス2頭が並立することはありえず、下は上を蹴落とすことを狙い、上は下を威嚇して保身する。 多分現役のサラリーマンも, 醜い人間関係は仕事以上の大きな悩みであろう。        
                                                                  
兎に角、最大多数のフアンをもつ読売巨人軍にはやはり勝ってほしい。応援するチームが勝つと、体調もよくなり元気百倍になる。スポーツ選手には酷だが、力が衰えた選手は遠慮なく若手と交代させて、我々フアンを活気付けて欲しい。








mh3944 at 11:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ビジネス 

2014年08月07日

140807 NHKのど自慢大会

 
若いときには楽しんだテレビの歌謡コンサートだが、今日でも相変わらず盛んに行われている。まだ視聴者がいるのだろうかと疑わしくも思うが、私は日曜のNHKのど自慢大会だけは必ず見る。別に歌の上手下手は全く関係ない。いや寧ろ音痴のOn-Paradeだが、出場者の人生縮図が見えて結構面白い。のど自慢はその由来通り、素人のど自慢大会で、ズブ素が精いっぱい自分を表現しようと本気なのがいい。多分カラオケで猛練習するのだろうが、所詮は素人でプロとは圧倒的な違いがある音痴ばかりだが、農家あり、公務員あり、漁師ありで、当人達の人生苦労がその振る舞いに凝縮されており、少しでも多く鐘を鳴らそうと頑張る姿は何回見ても飽きない。                                 
                                  
これだけ古色蒼然たる番組でも、全国から引き合いが多いらしく、各地の会場はいつも見物人で満員だ。出場希望者も多く、前日の予選会は100〜200人が厳しい予選会に挑み、20人が選抜されるのだという、予選の合否はどんな基準で判断されるのか知らないが、恐らく歌唱力は二の次で、ユニークさが合否の分かれ目だろう。                                               
運よく予選に合格した人の応募理由もいろいろだ。地元の歌自慢が鐘を三つ鳴らして友人知人に見せつけようと出場する人は、鐘2つに終わった時の大きな落胆でよく分かる。しかし多くは、自分の歌唱力を披露しながら少々笑われても平気で合否は度外視だ。 私なら大勢の観客を前に生放送に出場するだけで足が震えて胸ドキだが、出場者は結構度胸が据わっており感心する。カラオケで少々練習しても鐘3つを鳴らすのは素人にはなかなか大変なことだと思う。                                        
年配の私が言えた立場ではないが、やはり高齢者の歌は音階外れで聞くに堪えない。やはり高齢になると肉体の衰弱と同時に精神も減耗して、全身のバランスが衰えてしまうのだろう。時折プロ並みの素晴らしい歌を披露する中年もいるが、彼等はマイクの前に立つ落ち着いた態度で分かると妻が言い、本当に予想が当たることが多い。逆に素晴らしい歌唱だと思っても不合格に終わった時は、審査員が間違っているのではないかと思うことさえある。  
また高校生はが合格することが多いのは、その優れた才能もあるのだろうが、精神と肉体のバランスが最高で、全身で歌唱を披露するのだろう。アナウンサーの短い紹介で、将来はプロ歌手志望だという若者が合格すると、当人は狂喜してこれでプロへの道が拓けると感極まり涙するが、逆に家族には茨の道の入口で、波乱万丈の残酷人生のスタートになる場合もあろう。兎に角、のど自慢は地方に埋もれている歌自慢が、全国の脚光を浴びて夢の実現を目指す絶好の機会だと思う。

のど自慢は1946年にラジオ番組「のど自慢素人音楽会」としてNHK東京放送会館で始まった長寿番組のNo.1であり、日本中で愛され視聴率もTOP級だ。この番組のお蔭で、無意識に日本国民は同胞を意識し、国民意識の統一に大きな役割を果たしているのは間違いない。 多分録画だろうが東南アジアや南米ブラジルなど世界の各地で再放送されているという。もし民放のオリジナル番組なら、莫大なコマーシャル料を稼げる筈だが、のど自慢に匹敵する巨大番組はなかなか生まれない。              
最初に幕が開けと20人の出演者が入場し、続いてプロ歌手の男女が入場するが、殆どの場合、男性歌手が先頭を歩き、その後に小柄な女性歌手が続いて出る。多分オレの方が音楽界では上位だという男のケチな根性だろうが、派手な衣装には似合わなず、頭脳は土人レベルらしい。先に女性を歩かせても人気が下がる訳でもないのに、やはり日本はLady- Firstが根付いていないと、欧米はこの異様な光景をいつも驚いてみているに違いない。  
 
国論統一に苦しみ、相変わらず、日本を仮装敵国に仕立てて民意統一に苦労する脳ナシ中国と韓国は、のど自慢大会を輸入して、国論の意思統一に使いたいと思っているに違いないが、サル真似番組だと非難されそうで痩せ我慢しているのだろう。 日本との軋轢が少ない欧米とか南米などに類似の歌番組があるかどうか知らないが、歌手の出演料は不要で経済性抜群、視聴率も稼げる超人気番組であり、ノーベル平和賞の有力候補になっても然るべきだと私は思うのだが。                                                                                                               


mh3944 at 07:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2014年08月01日

140801 私の高校時代

私は山口県の奥深い熊毛南高校を卒業した。本当に熊が出たかどうか知らないが、兎に角田舎の高校で昔からスポーツもダメ、進学も最低レベルで有名大学への進学も稀で、時折東大合格者が一人でも出るともう町中が大騒ぎになった。近年は学区制も廃止されて、更にレベル低下が進み、国立大学や有名私立大学には全く合格できなくなったらしい。                               
しかし今夏の高校野球地方大会で突然私の母校が変身した。初戦を突破して連勝に連勝を重ね、遂に決勝戦まで進んで、あわや県代表になるところだったが、春夏連続出場を狙う強豪の岩国高校に僅差で敗れた。当然と言えば当然だが、今までは地方大会の初戦に勝つことが目標だった弱小高校なので驚いた。青春時代の私が小さな胸を痛めた母校であり、久し振りに半世紀以上昔の、私の苦い高校生活を思い出した。   
母校に輪をかけて私も田舎者だった。普通高校と専門高校の区別さえ十分には理解せず、単に姉の嫁ぎ先に近くお米や野菜の運搬に便利だという理由で進んだ高校だった。3年生なって始めて大学受験をどうするかを真剣に考え始めた。お金が無かったから修学旅行には参加できず、京都大学に進学するから京都旅行は行きません、と言訳して参加を断ったが、何とも大胆な言訳をしたものだと、今ごろになって恥じている。           
父親が早逝して貧乏な我が家は、兄や姉も進学せず、兄が私の大学生活費や学資を出してくれるかどうかも分からなかった。小遣銭にもヤミ米を運んで売っていたから、金がないことだけは確かで、相談すれば否定的な結論は見えていた。しかし相談しない訳にもいかず、遂に意を決した試験だけでも受けたいと兄に申し出た。3男坊主の私は、家業の農家を継ぐことはできず、進学しない場合、兄嫁が務めていた近くの、塩田会社に就職することがほぼ確実だったので, 恰好を言っている場合ではなかった。

3年の同級生達は、受験勉強する素振りを殆ど見せなかった。彼らも進学する筈だが、受験勉強している姿を仲間に見せるのが恥ずかしいらしく、如何にも受験勉強なんか気にしない振る舞いだった。しかし私にはそんな余裕はなかった。失敗すれは牢獄行きではなくとも、炎天下の砂浜に海水を散布して乾いた砂をかき集める超厳しい製塩作業が待ち受けており、懲役刑以上の苦役になるのは目に見えていた。私は暇さえあれば旺文社の英単語豆辞書を取り出して丸暗記に務めた。私がガリ勉する近くで、友人達は如何にも余裕あり気に雑談しながら冷やかに私をみていた。  

当然のことだが、友人達や先生達も私をガリ勉野郎だと軽蔑していたと思う。愉快に談笑する友人達の冷たい視線はヒシヒシと感じていた。しかし私は無視した。その内に必ず見返してやると心に決めて、脇目も振らずに赤尾好夫の豆単を小声で音読し続けた。Abandon捨てる、Ability能力 Abolish廃止 …と。学習塾などが田舎にある筈が無く、精々100円の豆単を覚える以外に有効な受験対策を知らなかったから。

いよいよ3年秋になり、大学に受験願書を出す時期になった。担当の加藤先生は、私が超難関のK大学工学部を受験するなんて無茶苦茶だ、合格する訳がないと大声で反対したが、押し切って願書を出した。そして早春の寒い日に片道5〜6時間かかる電車に乗って受験に出掛けた。流石に難問ばかりで加藤先生が言った通り、やはり私には無理だったかと後悔の念に駆られ、サクラサクの電報さえ申し込まなかった。

しかし私は合格した。高校の同級生殆どは不合格で浪人生活に入り、これから受験本番だと話していたが、私は浪人生活には無縁となったが、多感な高校時代を屈辱のガリ勉生活で過ごした頃から、私の偏屈な性格は磨きがかかり、友人との付きあいは苦手で、志を内に秘めて行動する私の暗い性格が形成されていった。
               
大学に入ってからも授業のレベルが高く苦労した。大学同期の仲間は受験勉強から解放されて彼女達と楽しんでいたが、私にはそのような心の余裕は無く、更にお金も無かった。バイトで少しでも生活費を稼ぎたいと思ったが、朝から夕方まで予習復習に追いまくられた。やはり加藤先生の判断通り、私の頭脳は精々標準レベルで、一流大学の厳しい授業には追いつけなかった。人の何倍もの努力しなければ、私は人並みになれないことを何回も思い知らされた。
                
それほど大胆でもないのに、次第に私は他人や周囲の目を気にしないようになった。最後に勝利を掴むことさえできれば、少々軽蔑されたり仲間外れにされても我慢して、忍耐強く頑張り続ける性格が身についた。またワイワイ騒いだり、軽快な会話に軽く応じることも苦手で、いつも腹の底に落して判断しながら会話する重苦しい性格になった。私のこの反骨精神は社会に出てからも益々磨きがかかり 少々の逆境にも平気で立ち向かえるようになった。
                            
その内、私は努力してやっと他人に追い着くだけでは満足できなくなった。他人を乗り越えて見返してやりたいと挑戦する気持を抑えられなかった。例えば工学部を卒業して技術研究所に入社した後、夜間の経済学部に再入学した。上司や仲間の妨害を我慢しながらも遂に卒業し、更に工学部、経済学部の両分野のマスターした成果を仲間にみせてやろうと、社内の懸賞論文に投稿して一等賞を獲得したり、本社企画課長に任命されても旧来の社内調整役から脱皮して、新規事業の企画立案へと方針転換し、PPSなど大型新製品の導入に突進した。
しかし何を計画しても社内の現業部門や管理部門から横槍が入り、はかなか思い通りに仕事ができないので
本社とは離れた別会社を作ることを思い立ち、病院ドクターへ診断薬を直販する合弁会社を設立して自分が社長になった。果敢にみえる私の諸々の行動は、実は自分の能力不足を挽回したい一心で、目を瞑って無鉄砲に突進したのが実情だった。  
                   
大きな波乱に煽られながらもサラリーマン生活を終えて、私は定年退職したが、今度は自分の出資で小さな機械メンテナンス会社を設立した。田舎の親兄弟は反対したが迷惑はかけないからと押し切った。元気がもあったが、周囲の殆どの友人は、無謀過ぎる、負債で自宅も財産も失うぞ!と繰り返し警告した。私も多分倒産するだろうと予感して、家屋敷を妻に生前譲渡し名義を変えて備えた。そして何とか15年間を切り抜けて、今は安定した経営に落ち着き、幸い家族と健康に恵まれて、娘息子や孫達も各々自分の持ち場を作り、相応に活躍している生活に落ち着いた。私は見栄を張る気は殆ど無いが、毎日ウロウロしながら長い余生を如何に時間潰しするかに汲々としている自宅周辺の同輩達の哀れな姿を見ると、私は勝ったのだとも思う。しかし何とも危ない橋ばかり転落することもなく渡ってきたことは運命の女神に感謝しなければならない。 





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