2014年10月

2014年10月31日

141031 働かない中高年

                 
従来の年功序列から成果主義に変えようと安倍内閣が提言している。高給を食みながら働かない中高年が多過ぎるとの若手のクレームへの回答だ。当然だと思う。既に喜寿を迎えた私が今更何かを言っても始まらないが、私の現役時代には本当にひどかったが、その悪習がまだ生き残っていたとは驚きだ。                                                                 
                                                                     
私が本社の企画課長になった時に、社内の部長クラスは二派に分かれていた。一方は仕事熱心な部長達、他方は社内外交に生きる怠け者部長達で、廊下トンビとも称され変わりやすい人間関係に生きる社内遊泳派だ。どちらも特徴があり、仕事熱心な部長達は自分が超多忙であることに酔っている感もあり、逆にそれを蔑視する社内遊泳派は余裕にみえて実は内心は不安定な人間関係の維持に腐心している。そしてお互いに他方の振舞いを嫌悪し、その間には越えがたい溝があった。当時の日本は高度成長時代で、廊下トンビでも業績はなんとか伸びたので大きな問題はなかった。しかしこれは昔の気楽なサラリーマン時代の話であり、社会環境が激変した今日では、民間企業の遊泳派は絶滅危惧種になっている筈と思っていたが、しぶとく生き残っていたようだ。                                                                  
                                                                    
当時私が担当した企画課は守備範囲が広く仕事をしてもしなくても済む組織だった。公官庁の企画は特別な権威があり、省庁間の調整役として大きな権限をもっており、大企業の企画課や秘書課も出世への関門で、社内の連絡と調整が主な仕事であり、特別なテーマを遂行することが目的ではない。当人も危険なプロジェクトを避けて安全な出世を狙う連中ばかりだが、不器用な企画課長の私は調整役よりも具体的なテーマを掲げて猛進するプロジェクト戦術を選んだ。                                                   
                                                                     
当時の私の会社は、社員が2,000〜3,000人のオーナー企業で、目立った派閥は無かったが、経理出身のオーナーは技術畑に弱く、その点を突いて取巻き幹部連が茶坊主的に動き回り、若い社員を幻滅させていた。 一般に大企業TOPは業務が広範すぎ、取り巻き幹部を重用するので、若手社員がTOPに接触する時は、この茶坊主達が大きな関門であった。話は飛ぶが、北朝鮮の高級幹部が多数処刑されていると聞くと、政府内の茶坊主幹部達が生死を賭けて必死に戦っている様子が窺われる。                                                         
兎に角、この茶坊主達は、自分の地位を守る為、成果が見えない長期の研究開発には関心なく、企業買収とか技術導入等の短期収穫型のテーマを好む。長期開発テーマを無視して早期収穫型ばかり重視すると、社内に自立精神が育たず大きな弊害を生じるが、その結果が現れるのは、10〜20年と長い年月がかかり、活力低下が浸透して始めて気付く。しかしその時は既に遅く、殆どの企業は取換えし不能な重症に陥っているのだ。                                                                                                                                                                               
私の会社も一時期は業界の注目を浴びる勢いがあったが、経理頭のオーナーは技術革新に疎く時代の激変に乗り切れなくなり、巨額の負債も抱えて社内意識は沈滞に進んだ。茶坊主幹部に抑えられた若手社員の多くはスピンオフまたは社外に移っていった。私も同様に段々と身動きが出来なくなり、遂に米国D社と合弁会社を設立して社外に飛び出し新しい活路を開いた。波乱万丈の月日に変わったが、悔いはなかった。                                                                                                                                                                   
成果主義とは違って能力主義という考えも言い囃された。確かに響きのよいワードだがこれにも大きな問題がある。人の能力は誰が評価するかによって点数が大きく異なる。そして結局は上司が自分の部下を高く評価し、他の社員を評価せず、結局は派閥人事に向かう。                                                                                                                                                         
TOPが聡明なら、茶坊幹部の排除も可能だが、茶坊主側は手練手管でオーナーに対応し、心身を捧げるが如く雄弁に言い寄り彼等の本心はなかなか判断できず、組織は腐っていく。組織を新鮮に保つ特効薬は、有無を言わない人事異動だが、余程聡明なTOPでない限り、簡単には実行できない。かくして働かない中高年は社内にしぶとく生き残り、重要部署に寄生し続ける訳だ。                                                                                                          
通説で企業の寿命は30年とも40年とも言われ、欧米を制覇したあのソニーも10年前から業績悪化に苦しみ続けている。日本の大手弱電メーカーを駆逐して世界に名声をとどろかせた韓国サムスンも、最近では中国メーカーの価格攻勢に押されて下り坂を転げ落ち始め、日本メーカーと同じ運命を辿り始めている。企業を経営するTOPは、社員の能力と成果を見極め、時代の変化に応じた長期的な経営方針を判断する責任があるが、誰が担当してもなかなか難しいものだ。   
  


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2014年10月23日

141023 研究者の孤独と苦悩

今年のノーベル賞が発表された。前評判の高かった文学賞候補の村上春樹氏は今年も外れたが、伝統ある物理学賞は、赤崎勇(85) 中村修二(60)、天野浩(54)の3氏に決まった。嬉しいニュースだ。 私も一応は技術者の端くれであり物理学受賞は本当に素晴らしい。我が家も、最近はLEDに変えたが、20畳の大居間を煌煌と照らす電灯がたった10ワットのLEDとは驚きで、ケチな私の節電意識を変えるのに苦労している。 
赤崎氏、天野氏は大学で研究を志し、研究する環境には恵まれていただろうが、中村氏は徳島市内の小さな日亜化学工業に入社して企業内技術者として苦闘された。LEDの量産技術を開発できた努力の源泉は、企業や同僚に対する怒りであったと繰り返し発言する気持ちは私にも理解できる。     
近年でこそ企業内技術者の待遇は改善されたが、私が入社した60年前ごろ迄は、企業では文系大卒が明らかに上位で、技術者は建前だけは大卒だが、企業内の地位は低く、現場雑用係りであった。私の友人は、公務員の父から経済か法律でなければ学資を出さないと厳命されたが、4年間、両親をだまし続けて自分が希望する工学部を卒業したが、親は息子が技術屋なのをまだ知らないという。何とも恐ろしい話だ。                                                                                                                                             
文系の素質とか理系の素質なんて怪しいもので私は、大学受験の願書を1期校はK大工学部、2期校はY大経済学部に提出した。幸い1期に合格したので私は技術者の道を踏み出した。入社した会社は中規模な日米合弁会社で、日亜化学と同規模だったかと思うが、技術開発部に配属されて、軟質塩化ビニールの可塑剤の開発を命じられた。馬力だけはあったが深遠な科学心に乏しい私は、短い年月の開発で上市できる改良型新製品の開発が性格的に合い、寝食を忘れて製品開発に没頭した。やっと3年後に製品化に成功し、当時で約6,000万円程度のプラントを建設し、多数の来賓を呼んで試運転式典を迎えたが、事務方が準備した式典目録には私の名前は無く、式典にも呼ばれなかった。これには驚愕して怒り心頭に発した。新製品の開発は殆ど私独自の創意と努力で完成したのだが、その創業式典には、新米技術屋の出番は無かったのだ。社長、副社長、工場長、営業部長 技術部長、担当課長などのオエラ方はずらりと並んでいたが、新製品開発の殆ど全てを取り仕切った私の名前はカケラもなかった。この時私は企業における技術者の惨めな立場を初めて知らされた。                                                                                                                             
その事件を契機に私はサラリーマンとして生き抜く軌道を修正し、昼間は開発研究を担当しながら、夜は神戸大学経済学部に学び始めた。上司の部長や課長、同僚達は定時が過ぎるとマージャン屋に入り浸っていたが、その間私は電車に急ぎ、夜間大学に通った。しかし遂に私の夜間通学が露呈し、上司のK課長は烈火の如く怒った。技術屋に経済学は不要だ、俺が習っていない学問は勉強する必要はない、即刻退学しろ! 止めなければ通学不能な石川県の美川工場に配転すると恐喝された。会社の業務には全く影響させないからと懇願する私を一切受け入れず、上司が知らないことを部下が勉強する必要はない、即時退学だ!の一点張りだった。泣きながら私は退学すると言って休学届けを出し、K課長が転出した2年後に再び復学した。                                                                                                                                                                                                                    
一般に研究者の仕事は非常に厳しい。先が全く見えない長期研究もあり、医薬品開発などは超長期の研究で、まさしく一生を暗い研究所で、世界のライバルを相手に競争するのが業務であり、大多数の研究者は評価されることも無く人格まで屈折して定年を迎え、暗く長かった会社生活を終えるのである。                                                                                                                                                                                                              
LEDの中村先生が、日亜化学の上司や先輩から、まだ会社に居るの? いつ辞めるの?と執拗に苛められた悔しさは本当によく理解できる。 特に近年の開発研究は益々複雑化して競争も厳しく、特許申請が1日でも遅れると永年の努力がゼロに帰すのである。更に最新技術をマスターした後輩達が続々と入社して、自分の立場は常に脅かされる。殆どの研究者や技術者は、苦悩の内に定年退職を迎え、やっと終身刑的な研究生活から解放される。                                                                                                                                                                                                                                           
勿論、営業には顧客に罵倒されながらも売れない商品を販売する苦しみがあり、銀行や証券関係者には景気の大変動や、社内の人間関係に苛む苦しみもあり、技術研究者だけが厳しい業務とは言えない。しかし開発研究は、狭い場所でミクロの世界を対象に、世界を相手に戦い続ける独特な苦しみがある。                                                                                                                                                                               
世間を騒がせているSTAP細胞も、小保方春子さんや自殺した笹井芳樹の両氏も苦しい研究生活を続けていた筈で、仮にその論文が偽りと判定されても、世界を相手に苦悩し苦闘し続けた両研究者をテレビで誹謗中傷するだけで終わるマスコミ評論家連中には、私は違和感を感じている。    
                                                                     



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2014年10月16日

141016 サッカーブラジル戦


10/14夜のサッカーブラジル戦は0:4と大敗し、悔しくてなかなか眠れなかった。内容的にはJ-1とJ-2のゲーム以上に差異があり、日本選手は戦う前から恐れおののいていた。世界の強敵ブラジルに勝てるとは私も思っていなかったが、望ましくは0:1 or 0:2であればと願っていたが、結果は大敗だった。日本とブラジル両国から遠くかけ離れたシガポールの新築会場で、ピッチはまだ砂が露出していたが、驚くほどの大観客が詰めかけ、双方はホームゲームの雰囲気で、大声援が飛び交う素晴らしい環境だった。                      
                                          
まず開始18分に縦のスルーパスをネイマールが走ってゴールしたが、それ以後は日本チームも何とか持ち堪えて頑張り、これなら面白いゲームになりそうだと思った。しかし後半が始まるとわずか3分後に、柴崎のトラップミスがカットされて待ち構えるネイマールに独走を許し、2点目を献上した。これは大きなショックだった。これで私の気持ちも変わり始め、早く時間が進んで欲しい、ブラジル相手に0:2なら、まあ何とか納得もできるだろうと思ったが、3点目、4点目と次々とネイマールにゴールされ続けた。これはダメだ、このままでは世界の笑いものになる。私はテレビを切ろうかとも思ったがスイッチを切っても何も変わらない。兎に角ゲームが早く終わって欲しいと祈り続け、やっと0:4でタイムアップした。     
                                       
サッカー音痴の私には大言壮語する資格も知識もないが、選び抜かれた日本の選手が、若いネイマールひとりに弄ばれた感じだった。ブラジルの選手陣はネイマールにボールを渡せば必ずゴールしてくれると信じているようだった。日本は相手ピッチに攻め込んでも、固い守備陣に阻まれて全く突破できない。やっと何とかシュートに結びつけても大慌てのキックは精度を欠き、ボールが大きく枠を外れて得点に結びつかない。これは半月前のジャマイカ戦で20本のシュートを放ちながら,やっとオウンゴール1点を挙げたのと同じだ。ブラジル戦ではこぼれ球をカットされると直ぐにネイマールに渡して独走となり、もう誰も追いつけず、GP川島との一騎打ちで簡単に得点されてしまった。  
                                      
まだ1点目の時は何とか挽回できると希望もあり、早く同点になってほしいと思ったが、2点目を取られると、ああこれはダメだと観念した。特に3点目だったが真正面からの強烈なシュートを受けたGP川島は懸命に叩き落としたが、すぐ目前で待ち受けるネイマールに簡単に押し込まれた。新聞情報だがブラジルでは嘲笑のゴール守備力だという。
                                         
彼我の差は、日本チームにはネイマールがいないことだと思った。日本チームは年功序列から抜け切れず、鈍足でも年長の本田がチームの中心だが、ブラジルでは22才の若造ネイマールが中心で、ボールをとると直ちにネイマールにパスし彼がゴールに走り込む。日本チームも稀にはチャンスに恵まれたが、塩谷司や田中順也が大慌てで蹴り込むボールはポストやバーを大きく外してしまった。やはりチャンスにおける決定力の不足は隠せなかった。おびえた顔付きの日本選手を相手に若いネイマールが、楽しそうに疾走し自信満々にゴールするのは悲惨な情景だった。                  
                                       
こんな胸を潰されそうな寂寥感に襲われたのも久し振りだった。私の義父がシンガポール近くのボルネオ島で食料も弾丸も尽き果てて戦死した時も同様な気持ちだったかとも思った。戦いに敗れるのは兵力や兵站の差も大きいが、これは負け戦だと思った瞬間に敗戦は決定的になると聞いたとことがある。逆に絶対に勝つと信じ込む軍隊は、簡単には敗退しないそうだ。                                
                                          
話は違うが、世界最強を誇ったわが国のテレビ産業が、韓国や台湾企業に打ち負かされたことにも思いを馳せた。日本はTOPから末端社員まで世界最強だと固く信じ、韓国台湾は低価格でも品質が悪く、進化を続ける日本製品には追い着ける筈がない過信していたが、ほんの7〜8年の間に追い着かれ追い抜かれてしまった。そして今の日本企業は敗戦気分に打ちのめされている。韓国台湾は日本の技術者から最新ノーハウを取得し、その後は国をあげて日本製品の追い落としを図った。競争の勝敗は武力や資本の差も大きく精神面の強弱だけでは勝敗は決まらないが、同じグランドで同じルールで戦うスポーツは、精神面の強弱が大きな影響力をもつと私は思う。                          
                                       
兎に角、スポーツは厳しいもので、年功序列などに拘っていたのでは必ず破れてしまう。若手もエースになりうる環境を早急に作るべきだ。あれほど国内で持ち囃される日本の代表選手だから、敗戦で浴びた罵声の屈辱感は測り知れない筈だが早急に立ち直ってほしい。立ち直りが遅れると、マスコミも一般大衆も興味を失って去り本当に見捨てられた寂しいサッカーに戻ってしまうから。   



  
                                                               

mh3944 at 13:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2014年10月15日

141015 道徳教育

     
神戸市で小学1年の生田美玲ちゃんが誘拐され、1週間後に近くの47才の無職男が捕まった。しかし時既に遅く幼女は近くの森に切断されて投棄されていた。コンビニ前を日傘をかざして歩いていた無邪気な女児は訳も分からないまま理不尽に殺害されてしまった。可愛い盛りでこれから花も実もある人生が虫けらのように抹殺された。不惑はとっくに過ぎ何事も判断でき筈の男が何故こんな残虐な行為をするのか、凡人にはなかなか想像できない。                                                                                                                                           
犯罪が起こる時は必ず何か動機か理由がある、例えば昔私の事務所が近くにあった江東区のマンションでは、30過ぎの男が隣り部屋の若い女性に自宅に引っ張り込んで幽閉した。直ぐに動き出した警察に驚き、追い詰められた男は女性を殺害して切り刻み水道に流してしまう恐ろしい事件があった。煩雑なコンピュータープログラミングに追いまくられて女友達や恋人もできず、溢れる精力を発散する機会も無く、遂に隣の若い女性に手を出したという。決して許される訳では無いが、異常な犯行を起こした動機が解明できれば対策も考えられるが、黙秘を続ける47才男には打つ手がない。                                              
                                                                  
現代の犯罪は理由がわからない事件が多過ぎる。例えば、丹精込めて育てられた公園の花が引き抜かれたり 遊歩道に植えられた桜木が切り倒されるとか、見知らぬ通行人を傷つけるなど、理由が分からない事件が多過ぎる。公園の花や植木を切り倒しても誰の得にもならず、他人を刺すと警察に追っかけられるだけである.。多分犯人は、抑鬱した気分で無為な生活を送り、テレビに映る華々しい社会を横目に見ながら、自分の惨めな環境を恨んで起こす犯行なのだろう。                                                                                          
 
確かにテレビの華々しいスター達に比べて、我々の日常は地味で苦労続きの生活だが、それは当たり前であり、テレビの人達も決して幸せの渦中に居る訳ではなく見せ掛けの演技を続けているだけであり、多くは悩み苦しみながら踊っているのだが、自分だけ惨めな環境に堕ち込んでいると誤解されている。神戸の47才男は生活保護を受けていたそうだが、我々の汗と涙の税金がそのような無気力男の怠惰な生活費に使われては堪ったものではない。                                                                                                                                 
このような非常識な男を生み出す原因の一つは学校における道徳教育の欠如があると思う。何が正しく何が悪いかを、小中学生時代からしっかり教えるべきだ。身分が安泰な教職員組合は猛反対するだろうが、組合も平穏過ぎる教員生活に飽き足らず、カンフル剤として過激な運動をしているだけなのだ。今日では彼等のバカげた運動に賛同する国民は激減しており、政府は思い切って道徳倫理教育の復活を打ち出すべきだ。 まだ心が固まらない幼少期の教育の効果は、中国韓国の少年少女が誤った歴史教育に染まり、反日精神に懲り固まって成人する現実を見ると、その影響力の強さを思い知らされる。                                                                                                    
もう一つ、我が国に欠けているのは、厳しい規律生活や鍛錬を経験するシステムがないことだ。オリンピックで韓国選手が死もの狂いに頑張る大きな理由は、金メダルを獲得すると、厳しい兵役義務を免除されるからだという。それほど厳しい心身の鍛錬を殆どの韓国の青年は経験しているのだ。確か香港には罪を犯した青少年を2年間、寮生活で叩き直す学校があり、80%以上が真面な青年に変身して卒業すると読んだこともある。                                                                                                        
我が国には兵役義務がなく、若者達の心身を徹底的に鍛え直す機会がないまま青春時代を無為に過ごして、精神が未熟な成人する若者が多すぎる。心身を鍛える経験を経ないまま大人になり、生活に困ると適当な言訳で生活保護受給者になり、衣食足りて昼夜パソコンゲームに耽っている間に47才になってしまう。 徹底的に心身の鍛錬を受ければ、突然わが身を切り刻まれた幼児の痛みも少しは理解できる筈だ。他人との協力無しにひとりでは生きられないこの世の厳しさを理解し、自分のサービスが他人から賛意を得て初めて対価が得られ、生きることが出来る現世の仕組みを理解させる必要がある。                                                                              


   


mh3944 at 08:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2014年10月02日

141003 私の通うレストラン

サラリーマン時代、私は長らく日本橋に勤務したが,いつも昼食時は混雑していた。普段は昼寸前に社員食堂に駆け込み、@300円の定食を食べていた。狭い地下室で大混雑だったが、何しろ市価の半額で済む魅力には抗せず、長年社員食堂を愛用した。時折本部長に誘われて街のレストランにも同行したが、ケチな私は余り嬉しくなかった。   

その後、外資系合弁会社で海浜幕張に移った時は、広いレストランで昼食を食べたがオートショウなどでメッセ来訪者が押し掛ける時は大混雑した。更に、定年退職して自営の小さな機械メンテ会社を始めた時、家賃の高い都心から逃れて、江東海浜地区の潮見に事務所を置いたが, 場末の悲しさでレストラン等は無く@ 395円の出前弁当に頼った。配達人が若い女性などに何度も入れ替ったが続かず、遂に経営者のオヤジに落ち着いた。数が不足した時は、割高なコンビニ弁当を代わりに持ってくることも度々あった。ギリギリの経営をしているのだろう。                                                                                             
年月を重ねて古希も過ぎ、我孫子駅近くに事務所を移した今は、コビアンというフランス風レストランで食べている。先年テレビにも紹介された店で料理も美味しいが何しろ超廉価で人気のあるレストランだ。 例えばチキンカツ定食が290円という今どき考えられない価格を長年続けており、しかもこれが結構おいしい。毎日通う気恥ずかしさもあり、時折駅前の牛丼屋にも行くが、先日牛丼屋が突然大幅値上げした。中味は殆ど変らないのに名前だけデラックスに変り、更にお盆に乗せて七味を付けて出してくる。過剰包装が嫌いな私は、牛丼だけ受け取りお盆は受け取らなのでいつも店員が変な顔をする。      
                    
コビアンの昼間はいつも満員なので、私は早めて行って混雑する前に食事を終えて出る。安い定食ばかりでは恥しいと思っていたが、周囲を見回すと多くのお客が同じ定食を食べており、最近は安心している。初めて入った若い女性がメニューを見ながら、こんなに安いの!本当に!と声を上げることもある。店員さんも素敵で, 繁盛するので近くに2番店ができたがこちらも連日混雑している。3番店を建設するかどうかオーナーは悩んでいるとも聞く。 
                                                                    
店内には4人用の中テーブルが主で、2人の小テーブルが少々、数は少ないが6人大テーブルもある。ワイワイ声高に騒ぐ中年のおばさん達も多いが、彼女達は少々食べ過ぎても勘定は心配無用なので楽しくて仕方ないようだ。気の弱い私は早く行って片隅の小テーブルに座り食事が済むと直ぐ席を立つ。小テーブルが空いていない時に来店するひとり客は中テーブルに遠慮勝ちに座るが、中には平気で中テーブルにドカッと陣取り、何か文句あるか!と周囲を見回しながらビールをチビチビ飲んでいるオヤジもいる。時折、食事を済ませたテーブルで仕事をする女性もいるがあれは不謹慎だ。低価格で精一杯サービスするオーナーには感謝の念も込めて、食事を終えたら早目に席を立ち、外で待つお客に譲るべきだと思うが、そのようなモラルは持っていないようだ。もし仕事をしたい時は近くの喫茶店にでも行くべきだろう。混雑する昼食時に廉価な定食で長い時間居座られては、経営者の誠意を無視するものだが、店員さんは我慢して何も言わない。                 
                                                                     
定食以外の他の料理も結構安く、店のオーナーは律儀に奉仕の精神を守っている。心優しい経営者の心意気と哲学を感じる。やはりリーマンショック後、日本人の精神構造は大きく変化して、見栄を張ることがなくなり、堅実で実質本位になったのは嬉しい。今の時代に格好つけて高価なメシを食べる輩はお役人など税金で食っている人種に違いない。私はブランド嫌いで、なりふり構わずに何とか生き延びようと苦闘する零細企業のオヤジ等を大いに敬愛している。従って少しでも彼等の苦労を支援しようと、営業員が居ない零細企業でも、ホ-ムペ-ジで営業ができますよと、開発したSEOを安く提供して事業の立ち上げをサポートしているが、悲しいことに頑固な経営者にはなかなかインターネットを信用されない。社会貢献にはいろいろなスタイルがあるが、経営者は、やはり特徴ある製品や商品を廉価で提供することが最も分かり易いサービスだと私は思っている。








mh3944 at 12:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感