2015年01月
2015年01月26日
150126 安倍首相の終戦談話
終戦70周年を記念して安倍首相が今夏に発表予定の談話に、諸外国が注目している。 韓国では支持率が最低の30%に迄落ち込んだ朴大統領が再び日本を非難して得点のチャンスを狙い、 中国も国内に拡大する格差問題の不満を日本に向けたい思惑、更に米国は日本が中韓と問題を荒立てないよう穏便な談話を期待している。確かに近隣諸国との友好関係は重要であるが、河野談話の二の舞だけは絶対に繰り返してはならない.
韓国が固執する慰安婦問題の実態が明らかになった。売名目的で千田夏光なる人物が フィクション従軍慰安婦を書き、下関の労務新聞記者と名乗る吉田清治が、済州島で現地調査を行ない16名の慰安婦の強制連行した事実を確認したと偽証、更に朝日新聞の植村隆記者は売名目的で長年に渡ってインチキ記事を朝日に掲載し続け、更に人気凋落の社民党は党勢回復させるべく福島みずほ元党首が慰安婦問題を国会論戦に持ち込んだ。日本の国会で議論と知った韓国政府は、慰安婦問題を世界にPRするチャンスと考え、朝鮮人売春婦を被害者に仕立て偽証言させ、国際的な大議論に拡大した。日本政府や関係者は強制連行の証拠発見に努めたが、強制的に連行したことを示す証拠は遂に発見されなかった。
しかし本件を穏便に収拾したい村山内閣の河野洋平元官房長官が慰安婦問題を謝罪する談話を平成5年8月に発表したが、これは後日、韓国政府の意向を加筆した日韓合作であったと判明した。しかし慰安婦の強制連行を事実かのように容認するこの河野談話は、返って韓国世論を沸騰させて世界への拡散を早めることになった。在米韓国人は米国各地に慰安婦像を建設し、米国高校の世界史には20万人の若い朝鮮人女性を慰安婦として強制的に連行したと記述しているのだ。 日韓共同で調査した結果では、2,000人前後の朝鮮人慰安婦はいたが、全て高給に誘われて貧しい自分の家族を救う為、自由意思で参加したものだと判明しているのに。
想定外の展開に当惑した朝日新聞は、遂に永年の沈黙を破って本件に関する謝罪声明を発表、 過去の殆どの記事が誤報であったとする声明を出して、26/12/5に木村伊量社長が辞職し、担当の杉浦,福地健一の両取締役を停職させたが、全世界に広まった慰安婦問題は簡単には消えず、女性の人権保護の恰好の材料として国連人権委員会も日本非難の声明を発表した。 日韓平和協定を結んだ時、日本は韓国人戦争犠牲者に8億ドル(288億円)を支払ったが、朴正煕大統領は慰安婦と呼ばれる被害者には手渡さず全額流用したのだ。朝日新聞の誤報謝罪で足元が揺らぎ始めた韓国は、更に声を高めて日本は歴史を認識せよ!と叫んでいる。
本件の問題は世界や国連に流布する前に、歴代の日本政府や外務省が何らの対策も取らず 日本の汚名が世界に拡散するに任せたということだ。莫大な予算を使う政府と外務省の不作為は 厳しく問い質す必要がある。インチキ話でもここまで世界に拡散すると、その取り消しは至難で莫大な経費と時間が必要になる。しかし本件を放置すると旧日本軍が犯した歴史的な残虐行為として世界史に残ることになり、東南アジアで戦死した私の義父の名誉も永久に浮かばれない。
中国が喧伝する南京大虐殺事件も同様だ。日中事変初期の昭和12年に日本軍が南京に進攻した時、旧蒋介石軍の殆どは逃亡し、逃げ遅れた中国兵は軍服を脱ぎ捨て一般市民に変装し便衣兵として市内に隠れ、南京市内の中国人は20万人にまで減ったと言われる。そして日本軍の降伏勧告に応じない便衣兵や敗残兵との市街戦が2ケ月間続き、蒋介石軍内部の降伏派と抵抗派の内部戦闘もあり、結果的にかなりの犠牲者を生んだと言われる。
その犠牲者の正確な人数は不明だが、当初中国は犠牲者を100万人と公表したが、20万人市民の5倍の犠牲者?と世界から嘲笑されて慌てて取り消した。そして現在は数千人説から、3万人説と色々だが、昨年暮れに習近平主席は如何にも尤もらしく34万人と公表した。中国特有の 白髪三千丈式の誇張である。証拠として提出される写真は、既にウソと分かっているもの、朝鮮戦争時の写真、自国内の残虐な死刑執行の写真などを交え、性懲りも無く使いまわしの証拠ばかりだ。中国政府は国民の不満を発散させる為、 南京大虐殺を執拗に教育宣伝し続けている。観光で来日する多数の中国人は、自国で聞く恐ろしい日本人像と全く違う礼儀正しく優しい日本人に接して驚くと聞く度に、中国内での恐ろしい教宣の実態を知らされる。
尖閣列島も日中間の未解決問題であると主張し続けているが、中国の最終目標は尖閣に止まらず先島諸島から沖縄列島迄の全域を自国海域に取り込み、西太平洋全域を航行できる中国領海にする戦略で、先ずは一番近い尖閣列島を協議する思惑が明々であり、絶対に乗ってはならない。ここで緊張関係を緩める為、中途半端に妥協して、尖閣問題を曖昧にすると、問題は更に拡大することになる。
日本は歴史に学べ!と中韓両国は繰り返し主張するがインチキ歴史に学ぶ必要は全くない。 両国は、反日政策を国内不満を最も効果的に宥める手段としてこれからも反日を叫び続けるのだ。我々が何回謝罪しても彼等は満足することはありえず、和解する意志は毛頭ないのだ。幸か不幸かいま日本と中韓両国は最低のレベルでこれ以上の悪化はなく、歪められた歴史を正す千載一遇のチャンスである。仮に中途半端な妥協をすると、再び中韓の誇大宣伝に乗せられて日本民族の汚名と恥辱は永久に歴史に残ることになる。 安倍首相は、日本は平和を愛する民族であり、正しい歴史は絶対に忘れないと明言して欲しい。
韓国が固執する慰安婦問題の実態が明らかになった。売名目的で千田夏光なる人物が フィクション従軍慰安婦を書き、下関の労務新聞記者と名乗る吉田清治が、済州島で現地調査を行ない16名の慰安婦の強制連行した事実を確認したと偽証、更に朝日新聞の植村隆記者は売名目的で長年に渡ってインチキ記事を朝日に掲載し続け、更に人気凋落の社民党は党勢回復させるべく福島みずほ元党首が慰安婦問題を国会論戦に持ち込んだ。日本の国会で議論と知った韓国政府は、慰安婦問題を世界にPRするチャンスと考え、朝鮮人売春婦を被害者に仕立て偽証言させ、国際的な大議論に拡大した。日本政府や関係者は強制連行の証拠発見に努めたが、強制的に連行したことを示す証拠は遂に発見されなかった。
しかし本件を穏便に収拾したい村山内閣の河野洋平元官房長官が慰安婦問題を謝罪する談話を平成5年8月に発表したが、これは後日、韓国政府の意向を加筆した日韓合作であったと判明した。しかし慰安婦の強制連行を事実かのように容認するこの河野談話は、返って韓国世論を沸騰させて世界への拡散を早めることになった。在米韓国人は米国各地に慰安婦像を建設し、米国高校の世界史には20万人の若い朝鮮人女性を慰安婦として強制的に連行したと記述しているのだ。 日韓共同で調査した結果では、2,000人前後の朝鮮人慰安婦はいたが、全て高給に誘われて貧しい自分の家族を救う為、自由意思で参加したものだと判明しているのに。
想定外の展開に当惑した朝日新聞は、遂に永年の沈黙を破って本件に関する謝罪声明を発表、 過去の殆どの記事が誤報であったとする声明を出して、26/12/5に木村伊量社長が辞職し、担当の杉浦,福地健一の両取締役を停職させたが、全世界に広まった慰安婦問題は簡単には消えず、女性の人権保護の恰好の材料として国連人権委員会も日本非難の声明を発表した。 日韓平和協定を結んだ時、日本は韓国人戦争犠牲者に8億ドル(288億円)を支払ったが、朴正煕大統領は慰安婦と呼ばれる被害者には手渡さず全額流用したのだ。朝日新聞の誤報謝罪で足元が揺らぎ始めた韓国は、更に声を高めて日本は歴史を認識せよ!と叫んでいる。
本件の問題は世界や国連に流布する前に、歴代の日本政府や外務省が何らの対策も取らず 日本の汚名が世界に拡散するに任せたということだ。莫大な予算を使う政府と外務省の不作為は 厳しく問い質す必要がある。インチキ話でもここまで世界に拡散すると、その取り消しは至難で莫大な経費と時間が必要になる。しかし本件を放置すると旧日本軍が犯した歴史的な残虐行為として世界史に残ることになり、東南アジアで戦死した私の義父の名誉も永久に浮かばれない。
中国が喧伝する南京大虐殺事件も同様だ。日中事変初期の昭和12年に日本軍が南京に進攻した時、旧蒋介石軍の殆どは逃亡し、逃げ遅れた中国兵は軍服を脱ぎ捨て一般市民に変装し便衣兵として市内に隠れ、南京市内の中国人は20万人にまで減ったと言われる。そして日本軍の降伏勧告に応じない便衣兵や敗残兵との市街戦が2ケ月間続き、蒋介石軍内部の降伏派と抵抗派の内部戦闘もあり、結果的にかなりの犠牲者を生んだと言われる。
その犠牲者の正確な人数は不明だが、当初中国は犠牲者を100万人と公表したが、20万人市民の5倍の犠牲者?と世界から嘲笑されて慌てて取り消した。そして現在は数千人説から、3万人説と色々だが、昨年暮れに習近平主席は如何にも尤もらしく34万人と公表した。中国特有の 白髪三千丈式の誇張である。証拠として提出される写真は、既にウソと分かっているもの、朝鮮戦争時の写真、自国内の残虐な死刑執行の写真などを交え、性懲りも無く使いまわしの証拠ばかりだ。中国政府は国民の不満を発散させる為、 南京大虐殺を執拗に教育宣伝し続けている。観光で来日する多数の中国人は、自国で聞く恐ろしい日本人像と全く違う礼儀正しく優しい日本人に接して驚くと聞く度に、中国内での恐ろしい教宣の実態を知らされる。
尖閣列島も日中間の未解決問題であると主張し続けているが、中国の最終目標は尖閣に止まらず先島諸島から沖縄列島迄の全域を自国海域に取り込み、西太平洋全域を航行できる中国領海にする戦略で、先ずは一番近い尖閣列島を協議する思惑が明々であり、絶対に乗ってはならない。ここで緊張関係を緩める為、中途半端に妥協して、尖閣問題を曖昧にすると、問題は更に拡大することになる。
日本は歴史に学べ!と中韓両国は繰り返し主張するがインチキ歴史に学ぶ必要は全くない。 両国は、反日政策を国内不満を最も効果的に宥める手段としてこれからも反日を叫び続けるのだ。我々が何回謝罪しても彼等は満足することはありえず、和解する意志は毛頭ないのだ。幸か不幸かいま日本と中韓両国は最低のレベルでこれ以上の悪化はなく、歪められた歴史を正す千載一遇のチャンスである。仮に中途半端な妥協をすると、再び中韓の誇大宣伝に乗せられて日本民族の汚名と恥辱は永久に歴史に残ることになる。 安倍首相は、日本は平和を愛する民族であり、正しい歴史は絶対に忘れないと明言して欲しい。
2015年01月16日
150116 地方創生は役人教育
安倍内閣が第三の矢、地方創生を叫び続けている。第1は金融緩和、第2の財政出動は既に実施済みだが、本命の民間活性化は地方自治体のお役人の意識改革が必要であり、私は小さな出来事を通じてその困難さを痛感した。
東京から1時間以内の近郊都市に住む私の街は市民活動が盛んだ。俳句短歌の会、古典勉強会、囲碁将棋、絵画教室、料理教室、写真教室、旅行の会、ハイキング、健康体操、社交ダンス、英会話などなどがオンパレードの盛況だ。しかし起業とかベンチャー活動は極めて低調で仕事は全て東京にお願い、の観がある。
起業等のセミナーは開催されてはいるがそれは形式的で全く不十分だ。個人が自己責任でベンチャーを起こすのは簡単なことではなく、奈落の淵に飛び込む一大決心であり、一般的なセミナーに続く次のステップが不可欠なのだが、地方行政は応援歌の合唱ばかりで、次の第一歩を踏み出させる工夫に欠けている。定年退職してベンチャー企業を起した私は、その意味で地方役人の理解不足と縄張意識の問題に大きな不満を感じている。
実は市が駅前に所有するビルからレストランが撤退し、その空室15坪の利用案を市が公募した。面倒な民間応募を抑える為か、市は家賃年@300万円x5年=1,500万円負担を条件として、零細業者や若者に高いハードルを設定した。市が自由に使いたい思惑を感じた私は少し躊躇したが, 締切直前にITビジネスセンター案を提出した。民間応募はやはり当社1件のみで、市の予算を生計にする多数の諸関係団体は市の意向を感じて静かに見守っていた。
想定外の民間応募に驚いたか市は形式に従って審査会を開催し、説明時間10分、追加説明資料は禁止、という厳しい条件で、企画官以下仰々しく並んだ市幹部を前に私は説明した。高度なITビジネスを素人役人に短時間で解説できる訳もなく、私は計画のごく概要を説明して退席した。当社以外に具体的で詳細な利用計画案は無く、審査会は午後の長い時間に何を議論したか知らないが、1ケ月後に市より通知があり、当社提案は平均以下の低い評価であったと通告を受けた。内容の理解も無しにどう検討したか知らないが、これで民間からの提案は葬り去ったが、市役所内に有力な代案がある訳も無く、眺望は絶好だが変形で狭い部屋をどう利用するか、市は苦慮していた。
当社の提案は、この15坪のL字型部屋を、月契約の簡易個室10室(月@2万円)と、時間@300円の自由席8席を設け、有志の若者達に安く貸し出して、雑談と会議の場を設けて ITビジネスの開発拠点にする案で、更に具体的に考えられるテーマ例も列挙した。 例えば、超安いHPの制作、スマホソフトの開発、テレワーク者向作業拠点、退職者向け起業拠点、子育から解放された女性達の企画の拠点、SEO, SEM開発拠点などを例示したが、市側から内容に関する質問は無く、殆ど理解されていないと感じた。
市内を見渡せる絶景の場所だが 変形の狭い部屋をどう活用するか市は説得力ある具体的な計画を探し求めていた。そして葬り去った当社のITビジネスセンター案も再び検討し始めたらしい。或いはベンチャ−支援の当社提案を拒否して若者達の起業サポートが遅れたことを、将来追及される危惧を感じたのかも知れない。しかし融通効きそうにない高齢社長(私)が問題だ。高齢社長に最新のITビジネスを考案できる訳はなく、同席の若い社員がキーマンに違いないと推察して、この社員からアイデアを聞き出し、違う名称の看板を掲げて若者達の作業拠点にしようと考えたらしく、別ルートでこの若者に勧誘の誘いがあった。何だか日本の技術者を唆して高度技術を盗み取る中国,韓国と酷似したやり方で情けない限りだが、酷評した当社提案を再び検討したいとは言いせなかったのかも知れない。
市幹部の推測は当たっている部分もあり、例えば高性能パソコンの操作は私には苦手が多く度々若者に教えを乞い、彼の豊富なPC知識と抜群の行動力は私には不可欠な力となっている。しかし大きな誤解は、PCキーボードを縦横に駆使して開発出来るものはウイルスソフト程度であり、GoogleやYahooのシステムはそんなに底が浅いものではない。一般社会で高く評価されるITビジネスは、社会環境の変化と人間感情への深い造詣無しには開発が不可能なことを市は全く理解していないのだ。
15年前に定年退職して精密機械の修理代行業を起業した私は、当初2年間は全くユーザーを獲得出来ず、資本金2,000万円の殆どを費やして倒産寸前に陥った。機械メーカーの修理担当部門へ懸命にPRして営業したが結果はゼロだった。方針を180度転換して、私はホームページを使い、企業首脳へ直接PRするSEO営業に転換してやっとユーザーを確保し始めて倒産を免れた。省力化やコストダウンを望むのは企業首脳であり、自分が仕事を失う恐れのある担当者は合理化など殆ど考えていなかった。
営業力不足に苦しむベンチャーや零細企業にSEO営業が有効で効果あると判断した私は営業開拓に苦しむ中小企業に紹介したいと、経産省中小企業基盤整備機構に訪問してF主任に説明したが一蹴された。立派なのは組織名だけで、中央のお役人も権威に胡坐したまま頭脳はまったく思考停止していた。
そこで私はSEOによるHP営業を自力で市場開拓しようと覚悟してPRし始めたが、当初なかなか信用されず苦労が続いた。しかし部下の若者の努力もあって徐々にユーザー開拓が進み始め、非常に高く評価して契約した顧客が既に10社に達した。 料金は年10万円〜20万円程度だが、目に見えないサービスに対しては余程実効を確認できないと顧客は料金を払ってくれなかった。
現代は経済情勢が極めて厳しく、高コストの営業マンを雇えるのは限られた大企業であり、営業力の弱い大多数の中小零細企業にはHP営業が不可欠な時代になっている。このSEO営業の如き各種のITビジネスを開発するセンターを設置しようと市に提案したのだが 中小零細企業の苦しみに無縁な市幹部は理解できず、標準以下の提案だと却下された。これは地方役人を責めるだけでは解決できない中央官庁,地方自治体の構造的な問題だと私は思う。
自治体組織もIT時代に不似合な旧態依然であり、企業立地推進課は、土地を造成して建物を建てプラントを立てる時代遅れの固定観念に縛られてIT志向は皆無で、目立った成果も得られないまま意気消沈している。元気なのは、底無しに予算を喰う福祉介護部門や医療部門、ベンチャーには無縁な市民活動支援部門などで、苦吟する若者達をサポートし、起業を支援する組織は市役所の何処にもない。
今日では大学を卒業しても正社員の就職口は少数で大半は契約社員である。出口のない若者達が自分の夢を実現できる唯一の手段は 個人でも大企業と対等に戦えるITビジネスである。ITは机上のパソコンが工場、無形ソフトが商品であり、高額な設備投資は不要で、アイデアがあれば誰でも容易に創業しマーケテイングできる、失敗した時は簡単に撤退もできる業界であるが、時代遅れの組織と思考の地方自治体は、この社会的な変化に対応できていないのだ。
安倍内閣の地方創生は、自治体に予算増額の格好の口実を与えるだけで、創業とかベンチャー支援、 IT起業など耳触り良いスローガンを叫べば、予算枠を拡大できるという本末転倒な展開になっていると思う。如何に地方を活性化しベンチャー起業を促進して、苦境から抜け出せず苦しみ続ける若者達に夢を与えるかは、中央官庁や地方自治体のお役人達を再教育し、社会の構造変化に柔軟に対応できる体制に変えなければならないことを安倍首相は理解して欲しい。
PS: SEO営業とは 検索でHPをTOP頁に表示させることにより僅少費用で効率的に広告し営業できる手法。
東京から1時間以内の近郊都市に住む私の街は市民活動が盛んだ。俳句短歌の会、古典勉強会、囲碁将棋、絵画教室、料理教室、写真教室、旅行の会、ハイキング、健康体操、社交ダンス、英会話などなどがオンパレードの盛況だ。しかし起業とかベンチャー活動は極めて低調で仕事は全て東京にお願い、の観がある。
起業等のセミナーは開催されてはいるがそれは形式的で全く不十分だ。個人が自己責任でベンチャーを起こすのは簡単なことではなく、奈落の淵に飛び込む一大決心であり、一般的なセミナーに続く次のステップが不可欠なのだが、地方行政は応援歌の合唱ばかりで、次の第一歩を踏み出させる工夫に欠けている。定年退職してベンチャー企業を起した私は、その意味で地方役人の理解不足と縄張意識の問題に大きな不満を感じている。
実は市が駅前に所有するビルからレストランが撤退し、その空室15坪の利用案を市が公募した。面倒な民間応募を抑える為か、市は家賃年@300万円x5年=1,500万円負担を条件として、零細業者や若者に高いハードルを設定した。市が自由に使いたい思惑を感じた私は少し躊躇したが, 締切直前にITビジネスセンター案を提出した。民間応募はやはり当社1件のみで、市の予算を生計にする多数の諸関係団体は市の意向を感じて静かに見守っていた。
想定外の民間応募に驚いたか市は形式に従って審査会を開催し、説明時間10分、追加説明資料は禁止、という厳しい条件で、企画官以下仰々しく並んだ市幹部を前に私は説明した。高度なITビジネスを素人役人に短時間で解説できる訳もなく、私は計画のごく概要を説明して退席した。当社以外に具体的で詳細な利用計画案は無く、審査会は午後の長い時間に何を議論したか知らないが、1ケ月後に市より通知があり、当社提案は平均以下の低い評価であったと通告を受けた。内容の理解も無しにどう検討したか知らないが、これで民間からの提案は葬り去ったが、市役所内に有力な代案がある訳も無く、眺望は絶好だが変形で狭い部屋をどう利用するか、市は苦慮していた。
当社の提案は、この15坪のL字型部屋を、月契約の簡易個室10室(月@2万円)と、時間@300円の自由席8席を設け、有志の若者達に安く貸し出して、雑談と会議の場を設けて ITビジネスの開発拠点にする案で、更に具体的に考えられるテーマ例も列挙した。 例えば、超安いHPの制作、スマホソフトの開発、テレワーク者向作業拠点、退職者向け起業拠点、子育から解放された女性達の企画の拠点、SEO, SEM開発拠点などを例示したが、市側から内容に関する質問は無く、殆ど理解されていないと感じた。
市内を見渡せる絶景の場所だが 変形の狭い部屋をどう活用するか市は説得力ある具体的な計画を探し求めていた。そして葬り去った当社のITビジネスセンター案も再び検討し始めたらしい。或いはベンチャ−支援の当社提案を拒否して若者達の起業サポートが遅れたことを、将来追及される危惧を感じたのかも知れない。しかし融通効きそうにない高齢社長(私)が問題だ。高齢社長に最新のITビジネスを考案できる訳はなく、同席の若い社員がキーマンに違いないと推察して、この社員からアイデアを聞き出し、違う名称の看板を掲げて若者達の作業拠点にしようと考えたらしく、別ルートでこの若者に勧誘の誘いがあった。何だか日本の技術者を唆して高度技術を盗み取る中国,韓国と酷似したやり方で情けない限りだが、酷評した当社提案を再び検討したいとは言いせなかったのかも知れない。
市幹部の推測は当たっている部分もあり、例えば高性能パソコンの操作は私には苦手が多く度々若者に教えを乞い、彼の豊富なPC知識と抜群の行動力は私には不可欠な力となっている。しかし大きな誤解は、PCキーボードを縦横に駆使して開発出来るものはウイルスソフト程度であり、GoogleやYahooのシステムはそんなに底が浅いものではない。一般社会で高く評価されるITビジネスは、社会環境の変化と人間感情への深い造詣無しには開発が不可能なことを市は全く理解していないのだ。
15年前に定年退職して精密機械の修理代行業を起業した私は、当初2年間は全くユーザーを獲得出来ず、資本金2,000万円の殆どを費やして倒産寸前に陥った。機械メーカーの修理担当部門へ懸命にPRして営業したが結果はゼロだった。方針を180度転換して、私はホームページを使い、企業首脳へ直接PRするSEO営業に転換してやっとユーザーを確保し始めて倒産を免れた。省力化やコストダウンを望むのは企業首脳であり、自分が仕事を失う恐れのある担当者は合理化など殆ど考えていなかった。
営業力不足に苦しむベンチャーや零細企業にSEO営業が有効で効果あると判断した私は営業開拓に苦しむ中小企業に紹介したいと、経産省中小企業基盤整備機構に訪問してF主任に説明したが一蹴された。立派なのは組織名だけで、中央のお役人も権威に胡坐したまま頭脳はまったく思考停止していた。
そこで私はSEOによるHP営業を自力で市場開拓しようと覚悟してPRし始めたが、当初なかなか信用されず苦労が続いた。しかし部下の若者の努力もあって徐々にユーザー開拓が進み始め、非常に高く評価して契約した顧客が既に10社に達した。 料金は年10万円〜20万円程度だが、目に見えないサービスに対しては余程実効を確認できないと顧客は料金を払ってくれなかった。
現代は経済情勢が極めて厳しく、高コストの営業マンを雇えるのは限られた大企業であり、営業力の弱い大多数の中小零細企業にはHP営業が不可欠な時代になっている。このSEO営業の如き各種のITビジネスを開発するセンターを設置しようと市に提案したのだが 中小零細企業の苦しみに無縁な市幹部は理解できず、標準以下の提案だと却下された。これは地方役人を責めるだけでは解決できない中央官庁,地方自治体の構造的な問題だと私は思う。
自治体組織もIT時代に不似合な旧態依然であり、企業立地推進課は、土地を造成して建物を建てプラントを立てる時代遅れの固定観念に縛られてIT志向は皆無で、目立った成果も得られないまま意気消沈している。元気なのは、底無しに予算を喰う福祉介護部門や医療部門、ベンチャーには無縁な市民活動支援部門などで、苦吟する若者達をサポートし、起業を支援する組織は市役所の何処にもない。
今日では大学を卒業しても正社員の就職口は少数で大半は契約社員である。出口のない若者達が自分の夢を実現できる唯一の手段は 個人でも大企業と対等に戦えるITビジネスである。ITは机上のパソコンが工場、無形ソフトが商品であり、高額な設備投資は不要で、アイデアがあれば誰でも容易に創業しマーケテイングできる、失敗した時は簡単に撤退もできる業界であるが、時代遅れの組織と思考の地方自治体は、この社会的な変化に対応できていないのだ。
安倍内閣の地方創生は、自治体に予算増額の格好の口実を与えるだけで、創業とかベンチャー支援、 IT起業など耳触り良いスローガンを叫べば、予算枠を拡大できるという本末転倒な展開になっていると思う。如何に地方を活性化しベンチャー起業を促進して、苦境から抜け出せず苦しみ続ける若者達に夢を与えるかは、中央官庁や地方自治体のお役人達を再教育し、社会の構造変化に柔軟に対応できる体制に変えなければならないことを安倍首相は理解して欲しい。
PS: SEO営業とは 検索でHPをTOP頁に表示させることにより僅少費用で効率的に広告し営業できる手法。
2015年01月10日
150110 懐かし3人娘
年を取ると睡眠が浅くなり早く目覚めて早朝のラジオ深夜便を聞くことが多い。1/6早朝は落ち着いた語りで定評ある遠藤ふき子さんがアンカーだった。テーマは60年以上昔の昭和20年代後半の3人娘:江利チエミ、雪村いずみ、美空ひばりがデビューした懐かしい流行歌で、完全に目が醒めた。
イガグリ頭の私は3人と同年代で、右も左も分からない田舎中学生だった。 まず雪村いずみの軽快な 青いカナリヤが流れ、これは夢に見るアメリカのポップスかと有頂天になったことを想い出した、彼女はいま静かに老後を送っているという。続いて江利チエミのテネシーワルツ、純日本人風で胴長スタイルの彼女を思い出した。高倉健と結婚したのは正解だったが 文化勲章受賞者夫人の栄誉に浴する前に離婚して50才の若さで逝去. 国民栄誉賞に輝いた美空ひばりは、万人が知る我々世代のアイドルで、私も乏しい小遣いを貯めて 彼女のブロマイドを買い集め、一生懸命に勉強すればひばりと結婚できるかも知れないと夢想していたが、ひばりは小林旭と結婚して離婚、最期は大腿骨頭壊死とかいう重病に侵されてやはり52才で早逝した。
田舎の中学生で、将来自分がどうなるか見当もつかず、近くの農業高校にでも進学して、花咲き乱れる農場で牛や豚を相手に百姓でもやろうかと漠然と考えていたが、姉の嫁ぎ先に近い普通高校に入学することになった。スマホで膨大な情報が自由に入手できる今日と違って、当時はNHKラジオが唯一の情報源で、精々蛍雪時代が受験を知る手掛かり、夜中12時過ぎに起き出して文化放送の旺文社受験講座を聞きながら受験勉強した。 しかし田舎者にも思春期は訪れ、青春時代の片想いに泣たり泣かしたりしながら山の向こうを眺めて、自分の将来の彼女はどこの町に住んでいるのだろうか?と思いを馳せた。
中学の同級生で優等生のK君は地元に残り今も兼業農家だが腰が痛くて動けないと嘆いている。算数が得意だったK君は下松の工業学校に進んだが還暦を迎える前に早逝した。私が片想いのK嬢は岩国の大手紡績工場に就職して去っていった。ストレプトマイシンやパスなど抗生物質の噂が聞こえ始めた時代だが、私のガンコ親父は肺病で40代で死亡、自分は大学に行けるのか全く分からないまま、試験だけと言訳して受験した九大工学部に合格して進学することになり、やっと進路の方向が決まり始めた。
高校時代は、文武両道の俊英で将来は必ず大物になると校長も太鼓判のO君は、一橋大学に進み三井物産の組合委員長をやっていたが、金銭トラブルを起こして退社、米国に渡り消息不明になった。 陸上で懸命にトラック練習していた好青年のN君は広島のマツダに入り技術部長で定年退職し,脳梗塞を患う奥さんを介護中、高校野球のスポーツ青年だったY君は上京して悪名高い総会屋に変身し警察沙汰を繰り返したが近年は音沙汰なく、温厚で人格者のF君は京大から東京海上火災に入り横浜支店長で退職したが喉頭ガンを病んで闘病中、優しく愉快な人柄のS君は千葉大医学部を卒業して評判のS小児科診療所を開業し後継の息子さんと小児医療に生涯を捧げている。
何事にも不器用で無骨な私は工学部を出て、新進の合成樹脂製造会社日本ライヒホールド(尼崎)に入社し、迷いもあって神戸大学経済学部(夜間)も修了したが、社会を見る目が少し広まった程度で大きな影響なく、その後サラリーマン生活の紆余曲折を経て、東京本社に転勤後、親会社を飛び出して、米国診断薬合弁会社の日本DPCの社長を経て定年退職し、現在は技術者5人の零細企業を自営中。友人達はいつまで仕事を続けるの? と妬みと冷かし半分で皮肉るが、自分の意思で人生を切り開いてきた私は、まだまだ夢を追い続けている。 青年時代に今の知識と洞察力があればもっと大きく飛躍し活躍できただろうと思うが、それは万人誰にも敵わないことで、元気がある若い時は行動力だけで考察力が無く、資金と思考力ができた年配になった時は馬力を失っている。
人生において、何が幸運で何が不幸か分からないが、万人を鼓舞し扇動する気迫に欠ける私も、忍耐心だけは人並み以上で、地道に努力し続けてきたのがせめてもの救いといえるかも知れないと、過ぎ去った人生を思い出しながら懐かし3人の美声を聞いた。
イガグリ頭の私は3人と同年代で、右も左も分からない田舎中学生だった。 まず雪村いずみの軽快な 青いカナリヤが流れ、これは夢に見るアメリカのポップスかと有頂天になったことを想い出した、彼女はいま静かに老後を送っているという。続いて江利チエミのテネシーワルツ、純日本人風で胴長スタイルの彼女を思い出した。高倉健と結婚したのは正解だったが 文化勲章受賞者夫人の栄誉に浴する前に離婚して50才の若さで逝去. 国民栄誉賞に輝いた美空ひばりは、万人が知る我々世代のアイドルで、私も乏しい小遣いを貯めて 彼女のブロマイドを買い集め、一生懸命に勉強すればひばりと結婚できるかも知れないと夢想していたが、ひばりは小林旭と結婚して離婚、最期は大腿骨頭壊死とかいう重病に侵されてやはり52才で早逝した。
田舎の中学生で、将来自分がどうなるか見当もつかず、近くの農業高校にでも進学して、花咲き乱れる農場で牛や豚を相手に百姓でもやろうかと漠然と考えていたが、姉の嫁ぎ先に近い普通高校に入学することになった。スマホで膨大な情報が自由に入手できる今日と違って、当時はNHKラジオが唯一の情報源で、精々蛍雪時代が受験を知る手掛かり、夜中12時過ぎに起き出して文化放送の旺文社受験講座を聞きながら受験勉強した。 しかし田舎者にも思春期は訪れ、青春時代の片想いに泣たり泣かしたりしながら山の向こうを眺めて、自分の将来の彼女はどこの町に住んでいるのだろうか?と思いを馳せた。
中学の同級生で優等生のK君は地元に残り今も兼業農家だが腰が痛くて動けないと嘆いている。算数が得意だったK君は下松の工業学校に進んだが還暦を迎える前に早逝した。私が片想いのK嬢は岩国の大手紡績工場に就職して去っていった。ストレプトマイシンやパスなど抗生物質の噂が聞こえ始めた時代だが、私のガンコ親父は肺病で40代で死亡、自分は大学に行けるのか全く分からないまま、試験だけと言訳して受験した九大工学部に合格して進学することになり、やっと進路の方向が決まり始めた。
高校時代は、文武両道の俊英で将来は必ず大物になると校長も太鼓判のO君は、一橋大学に進み三井物産の組合委員長をやっていたが、金銭トラブルを起こして退社、米国に渡り消息不明になった。 陸上で懸命にトラック練習していた好青年のN君は広島のマツダに入り技術部長で定年退職し,脳梗塞を患う奥さんを介護中、高校野球のスポーツ青年だったY君は上京して悪名高い総会屋に変身し警察沙汰を繰り返したが近年は音沙汰なく、温厚で人格者のF君は京大から東京海上火災に入り横浜支店長で退職したが喉頭ガンを病んで闘病中、優しく愉快な人柄のS君は千葉大医学部を卒業して評判のS小児科診療所を開業し後継の息子さんと小児医療に生涯を捧げている。
何事にも不器用で無骨な私は工学部を出て、新進の合成樹脂製造会社日本ライヒホールド(尼崎)に入社し、迷いもあって神戸大学経済学部(夜間)も修了したが、社会を見る目が少し広まった程度で大きな影響なく、その後サラリーマン生活の紆余曲折を経て、東京本社に転勤後、親会社を飛び出して、米国診断薬合弁会社の日本DPCの社長を経て定年退職し、現在は技術者5人の零細企業を自営中。友人達はいつまで仕事を続けるの? と妬みと冷かし半分で皮肉るが、自分の意思で人生を切り開いてきた私は、まだまだ夢を追い続けている。 青年時代に今の知識と洞察力があればもっと大きく飛躍し活躍できただろうと思うが、それは万人誰にも敵わないことで、元気がある若い時は行動力だけで考察力が無く、資金と思考力ができた年配になった時は馬力を失っている。
人生において、何が幸運で何が不幸か分からないが、万人を鼓舞し扇動する気迫に欠ける私も、忍耐心だけは人並み以上で、地道に努力し続けてきたのがせめてもの救いといえるかも知れないと、過ぎ去った人生を思い出しながら懐かし3人の美声を聞いた。
2015年01月05日
150105 新年を迎えて
先日のある会合にかなりの年配者が新しく入ってきた。見るからに高齢で全く無愛想だ。誰の紹介か知らないが、初顔なのに我々仲間には全く挨拶もしない。長い人生経験で挨拶の大切さぐらいは知っている筈だが余程ボケてしまったのか。私も結構な高齢だが、挨拶だけは忘れていない。何だか隣町で電気屋を営んでいた86才の創業者らしく、家業を息子に譲りご自分は隠居のようだ。僕より高齢は誰も居ないだろうね、と隣の女性に話す。確かに86才と言えば誰憚ることもない高齢で、10才若い私でも歯が立たないが、いくら高齢でも我々古参の仲間にひとことぐらい挨拶があってもいいものだと思う。年と共に誰も容貌が悪くなるのは仕方ないが、頭脳も衰えて常識まで失った老人が日本には多過ぎる。年を取っても謙虚さだけは失わないように留意してほしいものだ。
我々仲間には他に80代の老人も居るが、彼は自分の立場を弁えて、初参加の時、名刺代わりですと、小さなお菓子をもってきた。自分が高齢で新参者だという立場を知っておりいつも控えめだ。誰も年は取りたくないが、私自身も昔の写真をみるともう雲泥の差であり、つくづく自分の容姿の衰えが恐ろしくなる。窓の外は学生達が学校に急いでいるが本当に若々しい。彼らも迫り来るセンタ―試験や進学を控えている筈だが少なくとも見かけだけは軽やかだ。私も自分の老醜を弁えて、出来るだけ控え目に行動し、礼儀だけは欠かさないように注意して、若者を押しのけて出しゃばる横柄さはないよう務めているつもりだ。勿論、謙虚さだけのバラスト(重荷)老人にはなりたくなく仕事も続けているが、若者の仕事を横取りする分野ではなく、若者には不可能な経験と幅広い知識を活かすITビジネスであり、結構収支も軌道に乗り始めた。
先般の衆院総選挙でも、民主党の海江田民主党党首を押しのけて比例区3位に割り込んだ管元首相が最後の最後に当選が決まり、お蔭で4位の海江田氏は落選し党首を辞職した。人気ゼロの管元首相より、現役党首の順番が先だと多くの国民は思っていただろうに、横柄な管さんは全く素知らぬ顔だ。管さんは活発な市民活動家の出身で、昔からデモでは絶対に先頭を切らず4列目の管さんで有名だったという。3列目までは逮捕されるが4列目以降は追い払われることを熟知しており、 活発な若手が捕まっても自分だけは生き残り、激しい派閥闘争を生き抜いた強者だ。
民主党の次期リーダーは岡田克也氏か、細野豪志氏か、或いは長妻昭元氏になるか分からないが、管さんのように民主党の将来より自分の椅子の確保にばかり執心な風見鶏では、何回選挙しても民主党の信用は回復できず、党を再生はできる訳がない。内心では海江田さんもやっと党首を辞めることができたと思っているだろう。
当然政治は権力闘争で汚い世界だが、信頼を失った議員が居座り、やる気の現役党首を落選させるのは如何にもお粗末な話だ。その点自民党は最低限の律儀は心得ており、若い安倍首相に大きな権限を任せているから、安倍さんも思い切って世界外交を行い、就任2年間に諸外国50余国を訪問したが 国内で寝首を掻かれる心配もなく外交に専念できた。鳩山元首相, 菅首相、或いは恥,外聞も無く150名の我が国会議員を引き連れて中国習主席に拝謁した小沢元党首など、思い出したくもない指導陣から全く入れ替わった新しいりリーダーになって欲しいものだ。