2015年04月
2015年04月23日
150423 暴走する裁判所
14日に福井地裁が高浜原発の再稼働差し止め仮処分決定を命じた。環境保全の仮面を被って、国力の弱体化を目論む反原発連絡会は、再稼働を阻止する最大の武器を手に入れたと大喜びだ。
判決が、政府の再稼働の新規制基準は緩やか過ぎて合理性を欠くとの内容には驚く。原発,地震,地理などの各分野の専門家が議論を尽くして決めた新規制基準を、何の根拠も示さず一介の裁判官が否定した。規制委員会の田中委員長は、地裁の事実誤認も甚だしく世界で最も厳しい現行基準を見直す必要はないと反論する。
更に問題なのは、原発にゼロリスクを求めたことだ。リスクゼロのシステムはこの世にある訳がなく、目標はその頻度を最小限にすることなのだ。原発を止めて火力発電でCO2を排出し続ける環境悪化のリスクには目をつぶる全く片手落ちの判断だ。原発はダメ、CO2もダメ、再生エネルギーも実現不透明となると、江戸時代の生活に戻ることも選択肢となる。福井地裁の樋口裁判長は蛮勇で知られているようだが、何とも大胆すぎる判決だ。
別件だが、九州諫早湾埋立て仕切板開放の仮処分も噴飯ものだ。長崎地裁と福岡地裁が真反対の判決を命じた。長崎地裁は埋立仕切板の開放を禁じ、違反すると国は農営者に日額45万円の罰金支払いを命じた。福岡地裁は逆に埋立仕切板の開放を命じ、違反すると国が日額49万円の罰金を漁民に支払うよう命じた。一体どうしろというのか, これも気違い沙汰だ。
実は私も20年以上前に、混乱する東京地裁の判断に大迷惑を被った。世界に先駆けて当社が開発したDNA手法による診断薬の世界特許を申請した時だ。もう時効だが、当時の世界市場を独占していた米国の超有名会社コダック社はこの特許に驚き、当社の米国親会社にクレイムした。仰天した親会社のZ会長は私に経緯を詰問してきた。今でこそ少々落ちぶれたが、当時のコダックは特許戦略も世界最先端で偉そうな髭面の特許部長が幕張の当社に来訪し、難解な文献を示して、恐喝気味に当社特許の無効を迫った。
コダック社は米国の著名な科学者の鑑定書を添付していたが、内容を理解できない東京地裁も、鑑定者の権威に圧倒されて、当社特許の無効に心境が傾いた。当社も国内の有名なI先生の鑑定書を提出すると、東京地裁は再び当社の主張に耳を傾け始めた。そして地裁を舞台に世界の巨人と千葉の小企業が論争を展開することになった。判断能力が無い東京地裁で、激しい論争が何年も続いたが決着せず、遂には和解交渉となって当社が世界市場を獲得した。科学的知識のない裁判所を舞台に、科学論争に明け暮れる空しさを痛感した事件であった。
法務の頂点、裁判官は六法全書を丸暗記しているだろうが、高度な科学技術で複雑化した現代社会を裁くには六法オタクだけでは、全く不可能な時代だ。 裁判官も現代科学のごく基本的な知識程度は勉強して欲しいと思う。猛勇の福井地裁裁判長が、恐ろしい原発を嫌って優しい自然エネルギーを志向する気持は分かるが、経済性無視のまま大胆な判決を下すと、我が国は経済力,国防力も失い破滅に至る危険があることを十分考慮すべきである。裁判官は六法オタクでなく、科学の基礎的な知識程度は学んでおくべきだと思う。
裁判官ではないが、世界の政治家には理系出身の有名な首相がいる。 英サッチャー元首相はオックスフォード大で化学を専攻した後,弁護士資格を取得、独メルケル首相はライプツィッヒ大学で物理学を専攻した後,政治家になったと聞く。わが国の理系首相では、東大工学部で都市工学を専攻した鳩山元首相や、東工大応用物理卒で弁理士の管元首相が有名だが、何故か両氏は政治家としての評価が極めて低い。理由は多分理系だからではなく、ご両人の素質の問題だろう。
お偉い先生方と並べて恐縮だが、恥ずかしながら私も、工学部化学科を卒業した後、経済学部に学んだ。自分の見識を広めようと青春の馬力で、経済学士号も取得した。幅広い別世界を知ることはできたが、自分が成長したかというと自信は無い。唯、カリキュラムに追い捲られる多忙な理科と比べて、文系は時間的な余裕が十分あることがよく分かった。 多忙で厳しい4年間を送る理系学生に対し、文系学生の余裕ある青春時代は人格形形成に有効かも知れない。しかし最終的には、理系文系の違いよりも人生に対する当人の積極性の有無が、その後の人生軌道に大きく影響するのではないだろうか。
2015年04月15日
150415 体力低下と過信
先週土曜日の朝 目覚めると左肩に激しい痛みを覚えた。腕を動かすと猛烈に痛み、殆ど動かせない。僅かに動かしても激痛が走る。喜寿の私がまさか四十肩でもあるまいと思ったが、腕の上げ下げが殆ど不可能なのだ。何だ!これは?と驚いた。 確かに高齢だが内心では健康には自信ありと思っていたので流石に驚いた。
動き過ぎて疲れが溜まっているのだから今日はゆっくり休んでは?と妻は言う。左腕を殆ど動かせなくなった私は外出どころではなく、終日自宅に引き籠っていたが如何にも気分が冴えない。たった1日の引き籠もりで陰鬱なのだから、仕事もなく終日自宅に籠って長い余生を過ごす定年退職者の忍耐強さには改めて感心させられる。兎に角早めに入浴し大きな湿布を貼って寝たが翌日曜も痛む。これは大変なことになったと思ったが、日曜は病院も休業で、テレビを見ながらなんとか過ごした。
月曜朝の出勤する身支度も大苦労で、シャツに腕を差し込むのが大変だった。やっと出社して机に向かったがパソコン操作は殆ど問題ない。暇を見て近くの整形医診療所に行くことも考えたが、一度訪問すると整形医はなかなか患者を放さないとも聞く。歯医者が短い治療を何回も繰り返すように、整形医は捕まえた患者を年単位で治療すると聞いたことがある。さあこれは大変なことになったと本気で悩んだ。何かで読んだが、戦場で大ケガして脚を切断した負傷兵が、ある筈のない足指の痛みを感じることもあるともいうから、神経系か脳の原因で痛むのかとも疑う。
人間は弱い生き物で、健康な時は偉そうに大言壮語しても、一旦弱い立場に陥ると自信なんか簡単に吹き飛んでしまう。外務省が絶対に行くなと引き止めた後藤健二さんは、シリアでどんな事件に遭っても自分が全責任を持ちます!と宣言して出発して直ぐに捕まったが、殺害される直前まで、日本政府は大金を払って必ず自分を救い出してくれると信じていたとも聞く。
4日目の朝、目覚めると何だか腕の痛みが軽くなっている。恐る恐る肩を動かしても痛みが少ない。あれ!これは直るかも知れない、と思いながら腕を回転してもあの激痛は殆ど消えている。腕を上下左右に振っても若干の痛みが残っているだけだった。どうして?とまた驚かされた。
久し振りに痛みを忘れて仕事ができた。夕方帰宅する頃には殆ど完治した状態にまで戻っていた。仮に整形医院に訪ねていたら、無理矢理に患者にされて長い期間の通院を求められただろう。何とも不思議な四十肩だ。
いろいろ考えたが肩に激痛を起こした原因が分かり始めた。 発症の前日、会社からの帰路にスーパーに立寄より、妻に頼まれた牛乳4本、コーヒー2本、ジューズ2本など大量10キロ近い買物を布袋に入れて肩に引掛けて帰ったことを思い出した。重いから2回に分けるよう妻は言ったが、なんのこれしき!と全量を袋に入れて肩にひっかけ10分程歩いて帰宅したが、その荷重が肩の筋肉を痛めて夜中に発症したのだと思った。10キロは大した重さではないと今でも思っているが、80才近い肩には思いがけない荷重で、筋肉が悲鳴を上げたのだ。まったく迂闊だった。年老いて筋力が弱っていることに気付かなかったのだ。
我々年配者は、若かりし日の元気をなかなか忘れられない。昔出来たから今でも簡単にできると勘違いし易い。それが日常生活のケガや、転倒して骨折、車のアクセル/ブレーキ間違い事故になってしまう。 我々が昔の経験や記憶から脱皮するのは非常に難しい。そして今日の若者の忍耐不足や知恵の無さを嘆く。
話がやや飛躍するが、大塚家具の会長も、高品質に十分なサービスが伴えば少々値段が高くても必ず売れた過去の成功体験が忘れられず、節約意識が浸透した現代社会を受け入れられず、低価格のニトリやイケヤに大差をつけられて名門企業を没落させた。 高品質高価格で名声を博したソニーやシャープが、低価格のサムスンを蔑視して破れたのと同じだ。 我々高齢者は、体力の衰えを知っている筈だが、往々にして自分の知力体力を過信してケガしたりブレキ/アクセルを踏み間違えて大事故を起こす。 悲しいことに、知識と経験を頼りに生きる我々高齢者は、一生かけて築いた貴重な財産をなかなか簡単には捨てられない。
動き過ぎて疲れが溜まっているのだから今日はゆっくり休んでは?と妻は言う。左腕を殆ど動かせなくなった私は外出どころではなく、終日自宅に引き籠っていたが如何にも気分が冴えない。たった1日の引き籠もりで陰鬱なのだから、仕事もなく終日自宅に籠って長い余生を過ごす定年退職者の忍耐強さには改めて感心させられる。兎に角早めに入浴し大きな湿布を貼って寝たが翌日曜も痛む。これは大変なことになったと思ったが、日曜は病院も休業で、テレビを見ながらなんとか過ごした。
月曜朝の出勤する身支度も大苦労で、シャツに腕を差し込むのが大変だった。やっと出社して机に向かったがパソコン操作は殆ど問題ない。暇を見て近くの整形医診療所に行くことも考えたが、一度訪問すると整形医はなかなか患者を放さないとも聞く。歯医者が短い治療を何回も繰り返すように、整形医は捕まえた患者を年単位で治療すると聞いたことがある。さあこれは大変なことになったと本気で悩んだ。何かで読んだが、戦場で大ケガして脚を切断した負傷兵が、ある筈のない足指の痛みを感じることもあるともいうから、神経系か脳の原因で痛むのかとも疑う。
人間は弱い生き物で、健康な時は偉そうに大言壮語しても、一旦弱い立場に陥ると自信なんか簡単に吹き飛んでしまう。外務省が絶対に行くなと引き止めた後藤健二さんは、シリアでどんな事件に遭っても自分が全責任を持ちます!と宣言して出発して直ぐに捕まったが、殺害される直前まで、日本政府は大金を払って必ず自分を救い出してくれると信じていたとも聞く。
4日目の朝、目覚めると何だか腕の痛みが軽くなっている。恐る恐る肩を動かしても痛みが少ない。あれ!これは直るかも知れない、と思いながら腕を回転してもあの激痛は殆ど消えている。腕を上下左右に振っても若干の痛みが残っているだけだった。どうして?とまた驚かされた。
久し振りに痛みを忘れて仕事ができた。夕方帰宅する頃には殆ど完治した状態にまで戻っていた。仮に整形医院に訪ねていたら、無理矢理に患者にされて長い期間の通院を求められただろう。何とも不思議な四十肩だ。
いろいろ考えたが肩に激痛を起こした原因が分かり始めた。 発症の前日、会社からの帰路にスーパーに立寄より、妻に頼まれた牛乳4本、コーヒー2本、ジューズ2本など大量10キロ近い買物を布袋に入れて肩に引掛けて帰ったことを思い出した。重いから2回に分けるよう妻は言ったが、なんのこれしき!と全量を袋に入れて肩にひっかけ10分程歩いて帰宅したが、その荷重が肩の筋肉を痛めて夜中に発症したのだと思った。10キロは大した重さではないと今でも思っているが、80才近い肩には思いがけない荷重で、筋肉が悲鳴を上げたのだ。まったく迂闊だった。年老いて筋力が弱っていることに気付かなかったのだ。
我々年配者は、若かりし日の元気をなかなか忘れられない。昔出来たから今でも簡単にできると勘違いし易い。それが日常生活のケガや、転倒して骨折、車のアクセル/ブレーキ間違い事故になってしまう。 我々が昔の経験や記憶から脱皮するのは非常に難しい。そして今日の若者の忍耐不足や知恵の無さを嘆く。
話がやや飛躍するが、大塚家具の会長も、高品質に十分なサービスが伴えば少々値段が高くても必ず売れた過去の成功体験が忘れられず、節約意識が浸透した現代社会を受け入れられず、低価格のニトリやイケヤに大差をつけられて名門企業を没落させた。 高品質高価格で名声を博したソニーやシャープが、低価格のサムスンを蔑視して破れたのと同じだ。 我々高齢者は、体力の衰えを知っている筈だが、往々にして自分の知力体力を過信してケガしたりブレキ/アクセルを踏み間違えて大事故を起こす。 悲しいことに、知識と経験を頼りに生きる我々高齢者は、一生かけて築いた貴重な財産をなかなか簡単には捨てられない。
2015年04月09日
150409 新入社員の頃
4月は新入社員の季節だ。就活中の心配顔とは様変わりして頬を赤らめた若武者達が街を闊歩する姿を見ると、私も大昔の辛かった頃を思い出した。新入社員は 将来自分がこの会社の社長になるかもしれないという夢も抱いているだろうが、思う通りにならないのが会社人生だ。
世界No.1の製造会社トヨタは技術系を中心に1,500名が入社、イオングループは2,200名、三井物産は150名、更生手続中のスカイマークは操縦士志望者11名、宮城県の三陸鉄道は2名、エリート官僚が集まる中央官庁は各々10名前後、街の中小零細企業は残り者でも何とか新卒を確保したいと懸命だが、晴れて正社員になった若者達にはこれから大荒れの人生が待ち受けている。
半世紀以上の昔、私も就活に右往左往した。ブランド大学の工学部応用化学科の我々は4年生になると就職活動が始まった。高度成長の始まりで完全な売手市場で、学生が企業を選別した。大学本部も学生達を広く分散させる為、大企業にも1名しか推薦しない。4月に入ると就職担当のK教授が成績順に学生を一人づつ呼び込んで、希望の企業を聞く。そして順番に、東レ,旭化成、帝人、三菱化学、住友化学、三井化学、松下電工、昭和電工、宇部興産、丸善石油、クラレ、トクヤマ、東ソ、三菱ガス化学。。。と胸中の大企業を次々と内定していく。学業成績が中?あたりと思っている私は、K教授からの呼び出しが遅れるのは仕方ないと諦めて静かに順番を待った。 5月の連休過ぎには大半が内定し、嬉しそうに自分の会社を披露しあっていた。
私は 官邸からの入閣電話を待つ大臣病議員の気持で待ち続けたが何も音沙汰も無かった。6月初めにはほぼ全員が決定し、残ったのは私と中国留学生だけと分かった。これは異常だ, 何か変だ、このままでは夏休みに帰郷もできないと、慌てた私は卒論指導のA助教授に駆け込んだ。そしてK教授の予定表に私の名前はないと知らされた。K教授の燃料講義のテストで欠点を食らった私が採点にクレイムしたのをK教授は激怒しているという。 今風にいう酷いパワハラだが権威主義の大学では堂々とまかり通っていた。 これは大変な失敗をしでかしたと 私は絶望感に打ちのめされた。
数十社へ応募しても内定が得られない現代学生と同じ心境だろうか。私は必死になって自力で探し始め、遂に夏休み寸前にJR尼崎駅前の日本ライヒホールドという新規企業の求人を見つけてやっと内定を取った。200人足らずの小規模だったが、設立間もない合弁会社で存分に仕事ができると思う嬉しさもあったが、誰も知らない英名の会社を友人にはなかなか言えなかった。
それから数十年間、波乱万丈の会社生活で苦しいことも多々あったが、47才の時、会社を飛び出して米国合弁の医薬品会社NDPCを設立し社長として13年間懸命に働き(社員50名)、定年で退職した。その後私は自営の零細企業を設立し(社員5名)、先端のロボット保守とITビジネスを業務に既に17年が過ぎた。就職前に描いた夢は3転4転したが、世界を股に思う存分働いたことに不満はない。
毎春、同窓生達と昼食会を開くが、羨ましいほどの超一流会社に入社し欣喜雀躍していた級友達は、会社時代に何があったのか全く黙して語らない。多分悔しさばかりで話したくないのであろう、全員が既に引退し鬼籍に入った級友も7〜8名いる。K教授から推薦をもらえなかった私はまだ現役でITをビジネスしている。同窓会で私が最先端のITビジネスを話しても、凡才の彼が?と不審な顔付きで聞いているだけだ。
トヨタに入社した1,500名の新卒技術者は超優秀な学生ばかりだろう。しかし先月の米国自動車ショウに、トヨタが出品した渾身の未来車、燃料電池車MIRAIを見た米国の某著名ジャーナリストは これほどバカげた試作車は見たことがない!と嘲笑したという。未来のクルマは、燃費良好、製造簡単、安い製造原価、の電気自動車に決まっており、構造複雑、高い原価、危険な水素ガスタンク、高価なスタンドのMIRAIが実現することはあり得ないと断言する。しかしそれは世界No.1企業のトヨタが崩壊することをも意味する。立派な学業成績で世界一のトヨタに入社した秀才達の心中は如何だろうか。機会があれば是非聞いてみたい。
工学部の主流は電気や機械科で、優秀な卒業生達は、ソニー、東芝、日立、三菱、NEC, パナソニック、などに一流会社に入社するが、これらの大企業も深刻な問題をかかえており、早期退職奨励と1,000名単位の人員整理とを繰り返えしている。私学文系の本流 経済商学系の優秀組は、銀行や証券、三越、高島屋、伊勢丹、阪急、阪神などの超有名デパートに入社して、デパート経営陣は私学の強固な学閥が形成されているが、全国の有名デパートはスーパーに抜かれ、コンビニに抜かれ、専門店に抜かれて凋落し続け、今日ではデパート勤務は恥ずかしくて大声で言ない時代になった。
今後どのような企業が有望なのだろうか? どの会社が一生を安泰に暮らせるかは、実は誰にも分からない。ただ言えるのは第二次産業より第三次産業、更には第四次産業のほうが将来の可能性は大きいことだろう。しかし瀕死の農業にも大穴の可能性があり、無能な農協の傘下から解放されて自由な農業に変身すると、従事者は一般企業並みに週休2日制で、自然を相手に超健康的な職場が実現するかも知れない。
要は自分の将来は自分の判断と責任できめる以外に無い。しかしバイト暮らしで殆ど勉強していない文系よりも、先端科学を猛勉強した理系学生の方が将来の選択の余地が大きいことは確かだと私は思う。
話は変わって、福島原発の事故で、工学部原子力学科の人気は地に落ちた。小泉元首相は髪を振り乱して再生可能エネルギ−を叫び、ノーベル賞大江健三郎が神妙な顔付きで脱原発を説くが、私は原発ナシでは日本は成り立たないと思っている。結局自分の人生は、自分で決める以外に無い。しかし超有名会社だけは避けたほうがベターだと思う。一流企業が今後更に永続的に繁栄し続けることは殆どあり得ないから。仮に入社できても嬉しいのはほんの短い年月で、社内には成績自慢の秀才達が溢れており、激烈な社内競争と足の引っ張り合いが待ち受けている。長い人生は結局自分で開拓し思う存分働くほうが楽しい。全く悔いのない100%人生なんてあり得ないのだから。
2015年04月02日
150402 フィギュア世界大会
上海のフィギュア-スケート世界選手権大会が終わった。どんなスポーツでも自国に有力選手がいないと見る気がしないが、浅田真央が辞めても今度は羽生結弦がいた。あれほど激しく燃えた韓国もキムヨナが去って後継不在となると, 応援団は殆ど空だった。
結果は、男子の金メダルがスペイン-フェルナンデス、手術明けの羽生が僅差の銀、カザフスタンD.テンが銅。 女子はトリプルアクセルを成功させたロシア-トクタミシュアが圧勝し、宮原知子が銀、ロシア-ラジオノアが銅となった。 日本男子の小塚崇彦、女子の本郷理華、村上佳奈子も懸命に頑張ったが、メダルには届かなかった。オリンピック金メダルの羽生結弦は腹部手術の影響が残り僅差で敗れ、安藤美姫の恋人フェルナンデスにスペイン初の世界選手権金メダルを譲ったが、羽生が復調すれば、やはり金メダル最有力選手だと思えた。
有力選手がスケーティングを終えると、観客席のフアンから花束がちらほら投げ込まれる。羽生がフリー演技を終えると、猛烈な歓声が巻き起こり、花束と共に大きなぬいぐるみが宙を飛び始めた。余りにも数が多いぬいぐるみで広いリンク一面が黄色に染まった。投げ込みはなかなか終わらず、フラワーガールが総出で回収に走り回ったが間に合わず、遂にぬいぐるみを拾って次々とリング外に放り出し始めた。 多過ぎるぬいぐるみの後始末はどうするのだろうか? 審判団の採点にも影響するのではないかと思うほど、羽生の応援で広い会場が湧きかえった。
日本から多数の女性フアンが押し掛けていることは分かっており、羽生も気付いていたらしいが、実情は少し違っていた。 多数の中国人女性も羽生応援に詰めかけており、彼女達は日本語で書いたラブレターまで付けたぬいぐるみを投げ込んでいたと知った時は流石に驚いた。 確かに羽生は日本人離れした貴公子風のみずみずしさで、オジサン風の高橋大輔とは似ても似つかぬ容姿で美しく宙を舞う姿は、地元 上海の女性達の心を熱くしたらしい。 習近平主席が扇動し続ける反日運動と中国市民の心は必ずしも一致している訳ではなかった。 素晴らしいモノに素直に憧れる心は、日本製品の爆買とも通じる。 男子フィギュア界で世界に君臨したロシアのプルシェンコが、ソチ-オリンピックで羽生が華麗に舞う4回転を見てショックを受け、演技途中でGive-Upしたのも気持ちも納得できる。
女性陣はロシア勢が圧倒的に強く、特に完璧なトリプル-アクセルを披露したトクタミシュワは圧巻だった。あれ程トリプルアクセルに拘った浅田真央の執着も理解できた。女性選手で美貌No.1の米国グレイシーゴールドはブロンド髪をなびかせながら若々しい肢体を観衆に披露して宙を舞ったが、技術点でロシア勢に敵わず4位に終わった。
エキジビションのフィナーレは、選手達が次々と自慢の滑りを披露しながらリンク中央に集まったが、グレイシーゴールドの視線が羽生を追っているのに気付いた。フィナーレ終演の直前、全員が輪になって滑り始める時、グレイシーは羽生の隣に割り込んで、羽生の手を握り締め最後まで放さなかったのに私の目は釘づけになった。それは別れを惜しむ片思い女性の風情で無心に滑り続けていた。 羽生の愛くるしさは、日本,中国の女性だけでなく、欧米の一流選手達の心をも魅惑していた。
卑近な話で甚だ恐縮だが、中高学生のころの私は、好意を抱く同クラスの女子とは会話など全く苦手で、仮に手でも触れると失神したかもしれないほどウブだった。教室で机が近いだけでも心臓が高鳴りする幼稚さだった若い時代を思うと、近年の若者達は肉体的にも大きく成長し、精神的にも大胆で語り口も落ち着いて行動し、正に隔世の感がある。 自分の若かりし日の素朴で幼ない振る舞いを眩しく思い出した。