2015年05月

2015年05月26日

150526 衰退を選んだ大阪

  
橋下大阪市長の大阪都構想が住民投票で否決された。投票総数140万票で賛否の差がコンマ以下の1万票だった。 これでは勝った方も喜べず、負けても敗北感は薄いだろう。都構想の詳細は不勉強だが、沈滞を続ける大阪を効率化により活性化しようと言うところから出発したのが橋下構想だろう。大阪府と大阪市、堺市などが深く絡み合う2重行政を解消して単純化し効率化しようという狙いだ。      
                                       
確かに私の同期生にも大阪大、大阪府大、大阪市大が居り、何がどう違うのか?疑問に思うこともあるが、要は名称を変えて多数のお役人や教授のポジションを増やす便法だろう。個人の責任なら何をやっても結構だろうが税金を使って無駄使いされては困る。よく比較される横浜市は人口370万人で市職員19,000人だが、大阪は人口270万人で職員は35,000人もおり、横浜と比べて大阪の職員は40%の仕事しかしていないことになる。しかし、横浜市の職員は極めて柔軟に満足できるサービスを提供していることを私は実感している。                                     
                                    
大阪都構想という言葉を初めて聞いた時、いささか意味不明に感じたが、橋下氏の話を聞くうちに同感し始めた。例えば非効率の典型の国鉄北海道は昔から、寒ければ寒冷手当、暑ければ猛暑手当、雪が降れば降雪手当、風が吹けば暴風手当、深夜手当、早朝手当、、。。など考えられるあらゆる名称の特別手当てを甘受していたが、それがJR北海道になっても、労組の怠慢感覚だけは生き残り、考えられない事故を続発し続けている。                                                             
                                    
大阪府や大阪市も地方自治の美名に隠れて無茶苦茶やりたい放題で、補助金漬けになっていると言われる。やれ文楽協会、トラック協会、医師会、薬剤師協会、教職員協会。。。とあらゆる組織に意味不明な補助金を垂れ流していたのは知られていた。その非効率と他人依存が大阪の活力喪失と地盤沈下を招いた大きな原因なのだ。大阪は口達者で自尊心も旺盛だが、自主独立精神に欠け、東京(国)からお金をもってくることに大きく依存する体質になっている。橋下市長はそれを断ち切ろうとしたが、サービス甘受に慣れきった大阪市民は目覚めなかった。特に規律を求められた公立小中学校の教職員も橋下追い落としに懸命になった。                                                                                                                                         
5年以上昔、橋下府知事が市町村への補助金を減額する会議で、予算取り亡者の市長連中を相手に懸命に効率化を訴えているのをテレビで見た。 補助金を死守しようとする市町村長を相手に涙を流して説得する橋下知事の形相を初めて見た私は感動した記憶が今だに忘れられない。 彼のように必死の政治家は我が国には殆ど消えてしまった。                                                   
                                       
今回の住民投票は事前の予想では反対派55% 賛成派は35%と圧倒的に橋下市長に不利だったが、懸命の説得で僅差に迄追い上げたが、既得権派 特に変化を嫌うシルバー住民の頑固な抵抗を崩せなかった。既得権グループは自民党,民主党、公明党、共産党、社民党と全与野党がタッグを組んで、自分達の地位と既得権を守ろうとした。それは裏返せば変化を嫌ってこのまま衰退しても仕方ないという意思表示でもある。既に横浜 名古屋には大きく抜かれてしまったが、このまま衰退すると小さな商人町になり下がるだけだ。                                                                                                                                               
既得権者が抵抗するのは大阪だけでなく、私の住む人口15万の小さな郊外都市も全く同じだ。市の予算は、介護、市民活動、環境整備、文芸運動、観光活動、河川浄化….などなど甘い汁に群がる諸団体の栄養源になっており、もっともらしい看板を掲げて予算を食いものにし続けている。市役所の小役人たちも権利の源泉の分配権を手放そうとしない。彼らは衰退する地方都市を如何に再生するかには殆ど関心なく、尤もらしい看板を掲げて前年同額の予算を獲得し、傘下の関係団体に分配して使い切ることに専念している。彼等はどうすれば地元の若者を活性化させて、次世代に何を残すかの政策には殆ど関心を持たないのだから、本当に困ったものだ。




mh3944 at 07:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2015年05月21日

150522 真央ちゃん復帰


フィギャースケートの浅田真央が現役に復帰する。これには本当に驚いた。私だけでなく世界も驚いただろう。女子フィギャは選手層が若く、13〜14才から活躍し、あっと言う間に第一級のスケーターに成長する。真央ちゃん自身も若い時、僅かの時差でオリンピックに出場できなかった経緯があるが、それからの10年間 世界で大活躍して昨年 一時中断を発表した。しかし日本ではなかなか真央の後継者が現れず、我々も歯がゆい思いであった。 その間にフィギャー界は大幅に若返り、真央の活躍をテレビで見ていた世界の子供達が第一戦に躍り出てきた。特にロシア勢は脅威で、素晴らしい実力を備えた若手選手が続々と頭角を現している。真央自身も本当にこれら世界の若手達と戦えるだろうかと大いに悩んだことだろう。  
 
現役復帰の記者会見では、1年間休養していろいろと新しい世界を体験でき勉強になったが。しかし満足できる演技をしたときの充実感が忘れられず何にも変えられない達成感をもういちど味わいたいと思い始めた,という。確かにその通りかも知れない。しかしその達成感は普通の努力では決して味わえない厳しい訓練が必要になる。 彼女自身も猛烈な練習と屈辱を経てやっと歓喜が味わえたことを知っている。世界を席巻しつつあるロシア勢も真央が再び登場することに大きな警戒感を示しているという。

確かに日本では、彼女の後継者が出てこない。 ジュニア世界を制覇して大いに期待された村上佳菜子も20才になり、精神的にも成長したが何故か審査員の受けが悪く得点が伸びない。我々には分からない問題があるのだろう。宮原知子(18)は147cmと小柄だが、その屈辱を跳ね返すべく猛練習で高得点を叩き出し、先般の世界選手権では銀メタルを獲得した。彼女は決して器用な選手ではないそうだが、小柄なハンディーを跳ね返す為、猛練習を積んでいるという。 本郷理華(19)は166cmと欧米選手に負けないスタイルだが、残念ながら素人目にも無骨さが見えて優雅さにも欠ける 。
毎回 代表選手が入れ変わるほど競争が激しい米国は、最近では、グレイシー・ゴールド、アシュリー・ワグナーが好成績を挙げている。技術レベルも結構高く、若々しい豊満な肢体で宙に舞うスケーティングは豪華で眩いばかりだ。同じスポーツの陸上やフィールド競技は、時間や距離で正確に勝敗を決定でき、優雅さは無関係だが、芸術性が大きな要素を占めるフィギャーは女性らしい美しさも大きな要素となるから勝敗が非常に複雑だ。ソチオリンピックでもキムヨナは銀メダルに終わったが、韓国勢が得点がアンフェアだと訴えて騒ぎ続けた。

まだまだ子供だと思っていたロシアの新鋭選手達もこの1年間に見違えるように成長した。先日の世界選手権ではトプルアクセルを成功させたトクタミシュワが熟女の魅力で金メダル、 銀の宮原に続いて,あの幼かったラジオノワが銅を獲得し、若くて華麗な米国グレイシーゴールドは4位だった。しかしロシア国内には同レベルの若い選手がまだ多数控えているという。ソチで騒いだ韓国は何故か後継者が全く出ていない。代わって中国では可憐な李子君(19)がメキメキ上達して有力選手に仲間入りしてきた。   

ソチオリンピックの優勝候補であった真央はSPでトリプルアクセルを転倒してメダルを逃がしたが、フリーでは最高の演技を示して世界を感動させた。彼女は成功と失敗を繰り返しながらも常に最高難度の技に挑戦し続ける態度は世界の称賛を浴びている。更に彼女のスケーテイングは美しく、芸術性も抜群で、いつも審査官の高い評価を獲得している。しかし現役に復帰すると5〜10才若いライバル達と競い合うことになり、技量だけでなく柔軟性や体力も大きく影響するだろう。その辺りは真央も承知している筈だが アクセルは当然として更に成人女性としての魅力を芸術的に発揮することに可能性をかけているようだ。 

 3年後の韓国の平昌オリンピック時、27才になる真央は出場するかしないか明言いない。多分やってみないと分からないのが真相だろう。我々日本人は、真央の現役復帰は歓迎だが、これから始まる年齢ハンディーとの戦いに彼女が味わう苦闘を思うと心配もある。ヒトは誰でも一度頂点を極めて、功成り名を遂げると 更なるチャレンジは躊躇して引退するが、フィギャー界に真央ありと世界で活躍した彼女が再挑戦する勇気には全く脱帽する。彼女の幸運を祈るのみ。 




mh3944 at 14:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2015年05月19日

150519 お金と名誉

   
お金や名誉が欲しくない人は殆ど居ないだろう。結構欲深い私も残念ながら金品にはご縁が無く嘆いていたが、先日の新聞に人は何によって幸福を感じるかを広範に調査した慶大前野教授(53)の研究が載っていた。


難しい議論は省いて結論をいうと、お金や名誉を得た喜びはごく短時間で終わってしまうそうだ。それは間違ったダイエットと同じで満足できる結果は得られないという。良いクルマを持てば更に上級のクルマが欲しくなり、モノやお金を得た喜びは直ぐに終わって限界が無いらしい。我々はもっと永続的な幸福を追求すべきだというのが前野教授の結論である。名誉は無理としても、株で大儲けも出来ない私は何だがほっと安心する記事であった。

前野教授の結論を良く考えてみると確かに同感する部分が多い。例えば先週、人も羨む最高名誉の旭日大綬章を授与された石原慎太郎は、「何に対してもらうのかさっぱりわからない。長くやっていただけならバカでももらえる」と苦笑いしながら語っていたが、やはり全精力を賭けた自分の努力が認められたというような最高の満足感ではないらしい。  
前野教授は1,500人を対象者に、87項目を質問して、その回答を分析した。その結論は「自己実現と成長」「つながりと感謝」「前向きと楽観」「独立とマイペース」の4つの幸福因子をバランス良く満たすことが人生を最も幸せにすると結論づけている。 お金や名誉に無縁な我々がその真偽を追及しても始まらないが、自分の限られた経験から省みても納得できる部分がある。
  
例えば「自己実現と成長」と「独立とマイペース」は全く同感する。50年以上の昔、大学工学部4年生になって就活を始めた時、殆どの級友達は、超有名企業を就職先に選んだ。 私も有名企業に就職して田舎で待つ年老いた母や兄達を喜ばせたいとは思ったが、思い切って働ける小さな企業にも魅力を感じていた。 色々な事情も重なり、結局私は尼崎駅前の社員300人の新鋭の中規模会社JRCに入社したが、その後の会社人生は波乱万丈で本当に面白かった。いま就活中の大学生は殆ど大企業の正社員を目指しているようだが、大企業に就職しても必ず幸福になれる訳ではなく、口達者な秀才ばかりに囲まれて苦しい会社生活が続くことも考慮しておくべきだろう。
年月の経過と共に私は色々な経験を積みながら、仕事にも習熟して自分の我儘も出始め、更に自由度が大きくマイペースで仕事ができる環境に強く惹かれ、遂に自分が社長として働ける新会社設立に進んだ。 紆余曲折を経て米企業との50/50合弁会社の設立し自分が社長となってゼロからスタートし、社員50名の中堅規模まで成長し、事務所も都心を離れて千葉幕張ニュータウンに移した。50/50はどちらの親会社にも決定的な権限はなく、子会社TOPの私の自由度が大きかった。ユダヤ系の米国親会社は医薬品専門会社であり、子会社の経営への干渉は強かったが、殆どは前向きの議論で積極的に応じた。日本側からの干渉もあり悪意ある介入もあったが、医薬は特殊な業界だからと適当にあしらって自由度の高い経営を維持した。
   
社長として試行錯誤の毎日であったが米国からは色々なことを学んだ。特にMarketingを営業戦術と考えていた私は、その重要性を徹底的に叩き込まれ、自分の考え方が大きく変化した。また欧米の風俗習慣も大変勉強になり、不自由な言葉も返って真正面からの議論と応酬をすることになり、大変勉強になる社長経験であった。

合弁会社を退職して、個人会社を設立した時、出資を依頼した一部の株主からの干渉には苦労した。ある株主は会社の成長よりも配当狙いであり、なかなか折り合いがつかず、遂に出資金を全て買い取って100%自己資本に切り替えた。一般に、企業経営者はマスコミや銀行、株主等から常に厳しい監視と追及を受けており、その苦悩には同情する次第。
100%自己出資は、第三者への配慮は無用だが、責任は全て自分が背負うことになり、経営が順調なら全く快適でマイペースの経営ができる。 私は企業体質を極力身軽にして無駄な出費を省き、見栄を張らない実質本位の企業体質に努めた。今日の如くパソコンが発達すると、殆どの業務は効率的に少人数で実行できる時代になり、個人経営が可能な時代だと思う。勿論収支が悪化すると倒産につながることは当然で、軌道乗せまでは大苦労が続く。何れにしても人生の幸福はお金と名誉では決して達成されないという研究結果は、無名で貧乏な市井の私を安心させる結論であった。  





mh3944 at 07:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感 

2015年05月13日

150513 OB達との再会

会社を定年退職して既に20年近くなる私は、自営の小さなIT会社を経営している。在職中は新鋭の日本橋18階建てビルに40年間勤務したが、年月の経過と共に都内には超高層ビルが続々と建ち、私が愛した18階ビルは建て替えられて、先日我々OBにその披露宴が開かれた。あの威容を誇った高層鉄骨ビルも半世紀で寿命を迎えた訳だが、ひ弱い人間が80年も長生きするのは本当に驚く。普段は集まりが悪いOB達も新装ビルの披露宴と聞くと400人近くが出席した。私もその一人で久しぶりに日本橋に出掛けた。  

早めに着いたので周辺から新装ビルを眺めたがなかなか立派だ。日本橋一等地のこの辺は、半世紀前にはまだ木造建て店舗が散在し、すぐ隣の高島屋デパートだけが大理石造りで時代の花形であったが、いまデパートを散策しても人影は本当に少ない。大型量販店、スーパー、コンビニ、専門店などに押しまくられて、小売業の栄枯盛衰は本当に恐ろしい。
                                                         
OB達と一緒にエレベターに乗って新装ビルの最上階12階の大会場に向かったが、誰も見分けがつかない。ひとり私を注視しているのを感じた。お!東か!と声をかけてきたのは私が新入社した時の直属上司の山井部長だった(以下全て名前は一部修正)。あ!お久し振りです!と返事はしたが、エレベーターを出るとそのまま別れた。超乱暴で悪名馳せた上司で、私の心に刻み込まれたトラウマも根が深く、懐かしさは微塵にもなかった。今でこそパワハラと騒ぐが、昔は絶大な権力者で部下を虫ケラ扱いしたが、退職すると誰も寄り付かなくなり孤独な余生を送っているという。                                                                                                                
4〜5代が交代した現役社長の挨拶から始まった。言葉はなかなか立派だが、業績についての説明は余りなかった。内情を良く知るOB達には少々糊塗しても通じず、株高時代の波に乗れず株価も350円前後で低迷するのは人気が無い証拠だろう。あれ程社員から信頼の厚かった創業者一族も3代目で終わり、社長一族も経営からほぼ離れてしまった。                                                                                                                      

会社は、出席OB達に名札を準備していたが、気の利かし方が不十分で活字が小さ過ぎる。互いに動きながらそれとなく先方の名前を確認するのだから、小さな活字は全く不十分で臥龍点晴を欠く。                                                                                          

名札を盗み見しながら歩き回っていると、見覚えのある年長の低橋本部長に会った。お互いに、いや!久し振りですと交歓する。 3代目社長から 東が計画したプロジェクトのTOPをやれと口説かれたが医薬品には門外漢で全く自信がなく断ったよ! ハ!ハ!ハ!  しかしその後も色々あってねー、と苦笑いしながら語り合った。確かに当時の本部長クラスで元気があり見栄えも良かった彼を、私が企画した米国合弁会社の社長に推薦したが、全く未経験の世界は誰からも断られて、遂に言い出しッペの私がその社長を引き受けることになった紆余曲折を思い出した。 合弁の社長と言っても新人女性と私の2人だけのスタートで本当に何もなかったが、私が最高責任者となり、後半の会社人生はこれで決まった。しかし定年まで12年間だったが、医薬品事業は波乱万丈で、思い残すことがないほど刺激的でやり甲斐のある世界だった。                                                                                      

更に友人を探すと、同年配の中野企画部長に会った。私が12年間担当し社員50名、年商17〜18億円にまで育ったところで、定年退職になった私の後釜に座った本人だった。在任中は私の悪口を言い続けていたと聞く。前任者の悪口は自分の無能を誤魔化す常套手段だが、20年も経つと、当方の怒りも薄れていた。特に話すこともなかったが、色々ご迷惑をおかけしました!」と口上すると、いやいやこちらこそ!と返事された。まあこの短いやり取りでもお互いに積もった積年の恨みが少しは解消しただろうか。                                                                                     

続いて 韓国合弁企業を担当していた四好君に会った。同伴する奥さんは派手な帽子をかぶり愛想を振りまいていた。確かに奥さんが何か仕事をしていると聞いた覚えがある。欧米のパーティーは必ず夫婦同伴が原則で、東南アジアでも同伴が多い。しかし文化の差とでもいうか、日本は夫婦同伴は極めて稀だ。私が家内を誘ってもまず来ないだろう。                                                                                                                      
 
次にコンピュターで名前を馳せた生産管理の大泉部長に会った。彼は相変わらず、生産管理システムの開発支援、販売管理システム支援、原価管理システム、物流管理システム、など昔の流れを今も仕事にしているという。しかし今日では事情が激変して、簡便なソフトが市販され、机上PCも昔の大型コンピュター以上に極めて高性能になり、殆どの業務はPCで対応出来るようになった。私もPCでITビジネス(SEO)を業務としているが、その話題を出すと彼はインチキだと言い出すかも知れない。PCの世界ではアイデアの差が決定的で、それはインチキと似た関係にあり、伝統に拘る者は新参者のアイデアをインチキと思うので、彼と論争になる前に離れた。                                                                                                                                  
更に歩き回っていると、NY支店で技術連絡役を担当した九尾君に会った。テニス好きの地味な男性だが現役時代には余り捗々しい評判はなかったが、今はすっかり変身して大阪の中堅ゴム製品会社の社長になっていた。驚いて経緯を尋ねると、親戚が経営していたゴム製品の製造会社が後継者不在となり、自分がやることになったという。 各種ゴム製品、消防関連製品、ホース,マット類を製造販売する立派な建物の会社だが、古手ベテラン社員に囲まれて、大企業育ちの素人新社長は苦労が多いだろう。                                                                                            
私も60名企業の社長を長らく務めたが、規模の大小にかかわらず業績が順調ならTOPの気分は晴れ晴れで社長業ほど楽しいものはない。しかし業績が苦しくなると地獄に変わる。特に現代は競争環境が厳しく、大手と言えども簡単に倒産する時代になった。今日では大会社の正社員も決して安心できず、厳しい競争社会が一生続く時代に変わった。我々OBの世話に走り回っている若い後輩達も、新装ビルの快感は長続きせず直ぐに消え失せて、再び厳しい業務に引き戻されるだろうと思うと少々同情した。                                                                                          

私は新入社員時代に社内の懸賞論文で一等賞を受賞したが、50年近い大昔の出来事を2人の友人OBが語り始めたのには仰天した。私の入社4年目にその論文募集があったが、私は工学部+経済学を修めたことを示そうという魂胆もあり、3ケ月かけて渾身の論文を書き上げた。徹底的にデ−タ基づいた実証的な論文を書き上げ、応募期限の8月末に東京本社に郵送した。                                                                                                       
         
しかし10月にも11月にも審査結果が発表されず、やっと1月に結果が発表されてTOPの社長賞は本社企画の岩木君、私が一等賞(次席)であった。社長賞を確信していた私は大いに落胆したが、その経緯が判明した。 即ち期日寸前に提出された私の論文をみて本社企画部は仰天したそうだ。これでは名誉ある初回の社長賞を地方の若造に奪われる。第一回の社長賞だけは本社から!と作戦を立てた。それは後出じゃんけんで、マラソンのゴールラインも移動させたのだ。本社企画部の岩木君(既に逝去)を代表として当時流行のP.F.ドラッカーの経営論を殆どマル写しで、美辞麗句の論文を書き上げ、年末に提出したのだった。しかし内容は、新しい酒は新しい酒袋に!とか殆どコピペばかりで、私の実証的な創作論文が圧倒的に充実していたのは誰にも明白であり、谷専務や前田副社長以下、殆どの関係者も認めていたと、50年が過ぎた先日、この2人のOBが語った。薄々は感じていたが、私が愛した親会社は 創成期からこのような欺瞞に満ちた茶坊主達で固められていたのは本当に寂しい。                                                 
                                           



mh3944 at 09:49|PermalinkComments(1)TrackBack(0) 雑感 

2015年05月07日

150507 モンゴルの夢

モンゴルを潤す力士たちとの見出しで読売新聞に記事があった。日本の相撲界を席巻するモンゴル力士は、引退しても自国の実業界で大活躍しているという。パイオニアは25年前に来日した元小結の旭鷲山、ウランバートルで飲食店を経営し、更に戸建て住宅販売、自動車販売、インターネット通信業、病院、学校など27〜28社を経営し、年商50億円にも達する。日本で蓄えた資金と知識と人的関係を活用して、モンゴル社会で大活躍し、国会議員も4年間務めて、最近は鉱山にも投資しているという。
 
元横綱朝青龍はビール醸造所を併設したパブを開設し、兄は貿易、銀行、不動産などロイヤルグループを率いる。朝赤龍の姉は日本の住宅の輸入販売代理店、兄はイタリアンレストラン経営、横綱白鵬の親族もトヨタの販売代理店の経営者だという。 白鵬自身は白鵬基金を設立して、医療関係に貢献し、病院や、児童養護施設へ医療機器を寄付、スポーツの白鵬杯も設けて野球,バスケットや相撲などを後援している。同じく十両で引退した城ノ龍は モンゴルの青年達を日本の農業、道路建設の技術研修に送り出す仕事を始めている。彼等は日本で得た、資金、名声、知識、友人関係などを利用して、引退後も 実業界で大活躍している。
日本で健闘するモンゴル力士のお蔭で、モンゴルからの来日者は激増し、モンゴル社会や経済に大きな影響力を及ぼしている。モンゴルのある大学教授は、この潮流を巻き起こしたキーマンは25年前に来日した旭鷲山であり、彼が関取になって活躍するのをみた自国の若者達が大きな刺激を受け、続々と後継者が続き、経済発展につながる大金星を挙げたと説明する。もし彼がいなかったら今日の隆盛は有り得なかったという。 
       
旭鷲山自身も日本に行かなかったら今頃何をしていたか分からない、日本で如何に生きるかを教わったという。彼は6人で来日し5人は脱走したが1人残留して、多彩な相撲技を生み出し母国では朝青龍以上の有名人だ。これはまさしく我々日本人が忘れかけていたアメリカンドリームのモンゴル版だろう。モンゴルの若者達は日本の大相撲の力士になることを夢に見ながら猛烈に鍛錬しているニュースは何度もテレビで見る。
                    
ヒトは夢なくしては生きられない。アメリカが現在も世界のリーダーであり続けるのは、夢を実現できる米国を目指して世界の頭脳が集まるからで、日本の大学教授はそのキャリアに米国留学が不可欠である。  
翻って現代の日本は物質的には確かに豊かになったが、若者達は夢を失った。人生において如何に自己実現を図るかを夢見ることができなくなった。それは現代社会が成熟し、高度に複雑化した結果、自分の夢が簡単には実現できないからである。     
               
今日では懸命に努力しても夢や希望を実現できる可能性が極めて困難になった。若者たちは夢に向かって精進することを諦めて意欲を失い、あり余る精力を無意味な行動に発散する。例えば昼夜パソコンゲームの逆転生活に陥り、公園の花を引き抜いたり、貴重な建造物にオイルを吹きかけるなどは序の口で、麻薬に耽ったり、無人ヘリのドローンを原発上空や首相官邸に飛ばしたりする短絡的事件が絶えず、更には年下の中学生を冬の川に追い込みナイフで殺害したり、知人女性を生き埋めしたり、英雄気取りでイスラム国に出国したり狂気の事件が頻発する。生きる目的を失った社会に対する不満を発散する為、昔では考えられない刹那的な行動や陰惨な暴行が横行する社会に変わってしまった。
     
政府はこの若者たちの暴走を非難しマスコミも騒ぎ立てるが、根本的に彼らの欲求不満を解消する手立ては何も提供しない。モンゴルには日本の大相撲で関取になるという夢があるが、日本の多くの若者達は具体的な夢を描けないのだ。資格ばかりの学卒で役に立たたない新人は企業も雇わない。

政府は、選挙の票につながる年配者達への医療費とか、介護施設は充実するが、将来の日本を背負うのは老人ではなく若者達なのだ。その若者に夢を与えることもなく、彼等が結婚もできず苦悩と無為に過ごして年を取るその先は2流国家への転落であることを、政府や市役所はもっと深刻に考えるべきである。     
    
2年前に私は、新しく開発したITプロジェクトを市役所幹部に説明し、パソコンを使えば個人でも大企業と対等に競合できる実例を示したが、無能な幹部や市会議員は全く理解しなかった。若者に夢を与えることは確かに困難だが、唯一ITビジネスは若者が夢を実現できる素晴らしい手段になり得るのだ。PCを使えば、多くのアイデアを机上で試行できる。何かアイデアがあれば、IT世界でPre-Marketingして社会のニーズに適合するか否かも判断できる。即ちPCは個人が大企業と対等に競合できる強力なツールなのだ。零細企業オヤジの私はSEOという武器で大企業と対等に競い、年間数百万円の純利を稼ぎ始めているが、これは産業界では数千万円以上の売上に相当する仕事であり実証でもある。営業マン無しでもPCを使えば商品を営業でき、納品もできる。PCは工場であり営業であり管理部門をも代行する強力な武器なのだが、不勉強な役人は理解せず勉強もしない。彼等が考えるベンチャーとは相変わらず、土地を造成して建物を建て、プラントを据えて製造し、営業マンが走り回って販売する旧来の起業スタイルから全く抜け出ていない。
   
政府は地方創成を看板に予算をつけて叱咤激励するが、創業や起業経験が無い地方自治体は、単に予算を消化することが最終目標に変わり、国の起業促進策をPRしたり、セミナーの開催などで終っている。市役所はもっと真剣に、如何にすれば若者が夢を実現できるか、ITビジネスなどの足が地についた具体策でベンチャーを育成すべきである。  






mh3944 at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2015年05月01日

150501 誘拐事件

先日NHKテレビで恐ろしいニュースを見た。中国では毎年20万人の幼児が誘拐されているという。まだもの心つかない幼児が親から離されると、それは永遠の別れになってしまう。愛児を奪われて気が狂ったように嘆き悲しむ母親を映していた。本当に悲惨な事件だが、中国には幼児拉致が避けられない事情があるという。
即ち、跡継ぎの居ない農村の老夫婦が幼児を5〜10万円で買い取り、大事に育て成人すると老夫婦の面倒を見ながら農業を引き継ぐのだという。誘拐された幼児達に精神的な苦しみは殆ど無く大事に育てられる。成人になったある若者は、自分を育ててくれた養父母に感謝しているが、実の親も知りたいと語っていた。年間20万人なら、誘拐された総数は4〜5百万人にも達する規模で、恐怖の社会現象だ。問題は誘拐事件が発生しても地元政府は殆ど動かないという。誘拐犯グループが地方警察と結託しており、訴えても殆どは迷宮入りになる。                                                                  
                                                                    
                              
終戦時に満州に取り残された日本人の子供が中国人に育てられた例は何件も聞いたが、我々にはない寛容さも中国人にはあるようだ。日本国内でも少数の誘拐は起きるが、事件の性格は異なり、殆どが変質者や性犯罪者による凶悪事件だ。解決が長びくと総じて悲惨な結末に終わるので、事件が発生すると警察は総力を挙げて早期の犯人逮捕を目指す。                                                                                                                             
熊本の慈恵病院には、捨てられる新生児の受皿として赤ちゃんポストが設けられており、年間20〜30人の新生児の命を救っている。こちらは不倫や未婚の出産、生活苦で育てられない赤ちゃんの命を救っており、欧米にも同様な赤ちゃんポストがあるという。異論もあるが見捨てられる運命の赤ちゃんを救っているのは事実だ。
                                                                                                 
日本の若い男女が突然北朝鮮に拉致された事件もその苦痛が並大抵ではないことは分かる。しかし既に数十年が経過して、痛みもある程度治癒しているだろう。愛する子供を奪われた国内の親達は、生きている間に日本に帰せと、忍耐強く活発に運動を続けているが、石原慎太郎は北朝鮮拉致事件は騒ぎ過ぎだと言う。私も核開発阻止よりも拉致事件解決の方が重要だとまで言うと、それは違うだろうと首をかしげる。         
                                                                            
朝鮮戦争で激戦となった韓国では、南北に生き別れた親子親族が桁違いに多い。同じ親族が生き別れていることを思うと、大韓航空爆破事件の元死刑囚金賢姫は、北朝鮮で虐待されているであろう自分の親兄弟のことを思うと悲しいと先日テレビで話していた。                                                                                                            
2014年4月のナイジェリアで16〜18才の女子学生276人がボコハラムに誘拐されて行方不明になった。ボコハラムのリーダーはイスラム教では女性は学校にゆくべきでなく早く結婚すべきだと叫ぶ。キリスト教の女子学生達は全員イスラム教に改宗させられて兵士の妻とか性的奴隷として売買されるというが、可愛い娘を奪われた現住民の親達の嘆き悲しむ映像をみると、あの広大なアフリカ大陸で誘拐されると、もはや再会は絶望的だろうと思う。どんな事情であれ子供を奪われて生きる望みを失った親達の悲しみには深く同情する。 しかし、所詮ひとは最終的には親や兄弟姉妹とも別れて、自分の人生を歩むことになる運命なのだが。         


mh3944 at 08:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治