2015年08月

2015年08月24日

150824 福島は避けられたか

150824 福島は避けられた。     
                      
福島の原発大事故の恐ろしさに世界は震え上がった。そしてCO2を出さない原発増設の動きが急停止した。確かにM9の大地震は想定外であっただろう。しかし 原発の大暴走は避けられた筈だとの思いは社会に根強く残っている。そして再び検察審査会が動き始めた。東電役員の勝俣元会長(75)、武黒元副社長(65) 武藤栄元副社長(65)の3名が福島原発の事故の対策を怠ったと東京第5検察審査会から3度目の告訴となった。本件は経緯があり、当初、旧経営陣を含む42人が告訴されたが全員不起訴。続いて昨年7月に再び第5検察審査会が起訴相当と議決したが地検が再び全員を不起訴とした。今回は3回目であり、裁判所が指定する検察官(弁護士)による強制起訴となる。                                      

M9大震災の大津浪に対する事前対策を怠ったという告訴は非常に難問で、我々素人が簡単は議論できるテーマではない。 しかし私が強く印象を受けているのは、2年前に逝去した東電福島原発元所長の吉田氏が生前に漏らしたという→ 10mを超える大津波が福島原発に来襲するなんて考えてもみなかった:との発言が忘れられない。現場最高責任者の率直な感想であろうが、現場の最高責任者がその程度の感覚だから、本社の経営陣も 大津浪で原発が水没するなんて想像もしなかったのだろう。東電の技術研究会で10m級大津波が一度テーマに上がったが、殆ど議論にならなかったという。

東電社長は本来総務畑の専管で、東大法学部 or 経済学部OBで政治家と太いパイプを持つ役員が就任しており、古くは企業倫理論で有名な木川田一隆もいた。社長の権限は絶大で、その補佐役として技術担当の副社長が配置されている。 私の率直な意見を言えば、東電の社長, 技術担当副社長はやはり責任を果たしていなかったのではないかと思う。確かに10mを超える大津波の来襲など思いもよらなかっただろう。しかし福島原発は東電の屋台骨を背負う最重要な発電所であり、日本の原発政策を左右する極めて重要な施設である。如何なる事態が起きても原発を冷却し続けて暴走しないよう維持管理する責任があった筈だ。その責任が果たされていなかったのだ。

想定される大事故としては 地震による津波や破壊、空からのテロ、海からのテロなど色々あるが、やはり大地震による津波の可能性が最も大きい。今回大地震でも原子炉容器は破損しなかったが、13mの大津波により 緊急発電装置が水没して全ての電源を断たれ、原子炉の冷却機能が失われた。 海側の地下室に設置した装置が津浪をかぶることを何故考えなかったのだろうか? 

何ごとが起きても、原子炉は冷却を続けなければならないが、緊急電源を固定型ではなく移動型にするという考えは出なかったのだろうか。例えば 戦争時のミサイル兵器の例がある。 従来のミサイルは全て固定型だったが近年は安全性の高い移動型に変わった。固定型は管理し易いが外敵に襲撃され易い、しかし移動型は設置場所を自由に変更できるのでより安全なのである。福島原発の緊急電源は、海側の低い地下室に設置された最悪の配置だった。それは都心ビルのボイラーや電源が地下室に設置されるのと同様で、日常業務に邪魔にならないという観点からの発想であり、安全性の確保という考えはない。 常時は使わなくても必須の電源だから、安全な陸側に置くという発想は出来なかったのか。真剣に討議すれば、車搭載の移動用として、如何なる事態が発生しても、移動して使用するというアイデアが何故なかったのか?  
                                                          
勝手な試算だが、車搭載緊急発電装置は、多分@1000万円以内で調達できるだろう、10台設置しても1億円、全国に100台配置しても、精々10億円の投資だ。東電の企業規模なら、ごく普通の投資だろう。多分副社長が自分で専決できる案件かと思う。福島原発は東電を背負う中核発電所であり、何が起きても絶対に電源だけは維持する思想を忘れていたのだ。大企業には権限が重複する組織が多い。東電も組織が複雑で職務が重複し、権限が不明瞭な組織が多かった筈だ。 技術の最高責任者なら全て解決できる。 戦争で言えば、最高責任者はやはり大統領と参謀総長(技官)であり、企業の存亡に係る事項は、社長及び技術担当副社長が負わけばならない。



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2015年08月16日

150816 澤穂希が結婚  

サッカーなでしこの澤穂希(36)が結婚した。お相手はレイソルの元Jリーガーで 現ベガルタ仙台職員の辻上裕章氏(38)だという。先ずはCongratulationと申し上げたい。 欧米の女性選手にはミセスも多いが、我が国では結婚して現役を続ける女性は極めて少なく、澤選手は頑張って欲しいものだ。                   
                                                                    
一般に、女子スポーツ選手の結婚や恋愛は、市井の若い女性と違って非常に厳しい。それは受験勉強も同様で、恋愛に熱中しながら猛練習するという訳にはいかないからだ。スポーツとは夢や妄想を振り払い、ふくよかな肉体を酷使して猛練習に打ち込まないとメダルに近づけない超厳しい競争社会であり、恋を夢みる若い女性達とは無関係な地獄の世界だから。                                           
                                                                   
澤の入籍話を聞いて、なでしこの同僚達は一様に驚き、いろいろな反応をしたという。まず小柄で可愛いい川澄奈穂美(30)は キャー!と大声を上げて椅子から飛び上がったそうだ。何故そこまで川澄が驚愕したのか。 私の推測だが、ご自分も結婚には非常に関心をもっているが、大先輩の澤さんがまだ独身だから、自分も急ぐことはないだろうと安心し切っていたのだろう。しかし恋人話しを通り越してずばり入籍なので驚愕したのだ。これでは自分もゆっくりしてはおられないと悲壮な心境に陥っただろうと私は想像する。              
                                                                    
鮫島彩(28)は そうですか人妻ですか!と言ったという。これは川澄の反応とは明らかに違う。想像を逞しくすると、既に何人もの男性から好意を寄せられていることを鮫島は十分知っている。 しかし自分はなでしこ選抜選手であり当面はサッカーに集中しないと、直ぐにメンバーから振り落とされてしまう。結婚はまだ何年か先だと思っていたのだろう。 しかし突然入籍情報を聞いて、ああ澤先輩は人妻になっていたのかと驚いたに違いない。なでしこ軍団のなかでも、鮫島は見目麗しい女性で、体操の田中理恵のような浮ついた感じもなく、お嬢様走りと呼ばれる純和風の雰囲気の女性なので、世間の男性からの注目度もきっと高いだろう。澤の報告を聞いて自分も本気になって、自分の将来を考えようと思っているのではないだろうか。              
                                                                    
大野忍(31)は 入籍情報を既に事前に知っていたらしく旦那さんに会ってみたいといったという。これも面白い。大野は素直な性格でごく普通の地味な女性だ。従って一目惚れで男性をキャッチできる状況ではないと自覚しており、お互いが納得しあってから全てが始まると思っているのではないだろうか。相手が自分の性格を本当に理解し納得してくれる男性を探す必要がある。男とはどのように思考して、どのように行動する動物なのか、もっと知りたいと思っているのではないだろうか。気心の知れた澤さんのパ−トナーには 是非一度会っていろいろ率直な話を聞き、男性が結婚を決意するに至る心境を知りたいと思っているに違いない、と私は勝手に想像している。                                                      
                                                                   
スポーツ選手は華やかな現役時代を終えると、次は誰も婚活戦線が始まる。時代が変わったとはいえ、女性が積極的に行動する欧米と違ってわが国では女性はまだ受け身が多い。もしある男性に好意を抱いていても、相手から明らかなシグナルでもない限り、なかなか自分から積極的に働きかけられない。古閑美保や安藤美姫のように、相手に猛進するには余程の勇気が必要になる。結婚は人生最大の選択であり、お互いに満足できるパートナーに恵まれると一生豊作に、不満足では一生の不作になる。恋は盲目的であるのは確かだが、やはり生涯を共にするパートナーの選択は慎重にしたほうがよい。 それは健康とある程度の稼ぎ、及び優しく真面目な性格が大切であり、格好良さとか魅力的な言動、資産などに惑わされないよう私はアドバイスする。 結婚を夢見る女性達の想いをぶち壊すお説教になって甚だ申し訳ないので、無視して頂いて結構だが。                     



                               

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2015年08月14日

150814 私の終戦前後

もう遠い昔だが、私も8/15の終戦前後のことはいろいろ覚えている。まだ国民学校2年生で、真夏の昼休み近くの小川で魚を取っていた時、4発エンジンのB29が10機近く来襲して、呉麓山の向こうの光市の軍需工場を爆撃した。暫く経って黒い煙がモクモクと上がり始めた。千坊山から迎え撃つ高射砲の破片がピシャ! ピシャ!と近くの水田に落ちるのが恐ろしく川岸にへばりついていた。タ-ボエンジンで空高く飛ぶB29には高射砲弾は殆ど届いていなかったという。                                           
                                                                  
8/15の夕方 五右衛門風呂に入っていると、隣家のオヤジがやってきて日本が負けたらしいと話す。私には何だか大変なことになりそうな雰囲気を感じたが、これからは裏山に入って松根油を掘り起こす手伝いはしなくて済みそうだとも思った。戦争が終わっても、何がどうなるのか誰にも分からず、暑い日が静かに過ぎていった。その内に進駐軍がやってくるとの噂が飛び、村人が石油のドラム缶を近くの竹藪に埋めて隠したという。伯母が自慢のひとり息子の下士官が戦死したと通知が入り、ひとり残された伯母はサーベル姿の立派な写真の前で何日も泣いていたが、その家は途絶えてしまった。                                
                                                                  
夏休みも終わり、再び学校に通い始めたが、何をしていたか殆ど覚えていない。校庭の高台には大理石造りの立派な奉安殿があり、機会ある毎に校長先生が白手袋で天皇陛下の写真を恭しく取り出し、整列した生徒達は最敬礼して話を聞いたが、何日の間にかその奉安殿も壊されてしまった。秋になると農繁期になり、学校は長い農繁期休暇に入る。子供達も稲刈りや脱穀に毎日駆り出されるが、昔の農業は殆ど人手仕事だから子供達にも重労働の毎日だった。                                              
                                                                   
当時の農村は地主制で殆どの農民は小作農だった。我家も少しだけ分け前を残して収穫したお米の殆どを地主に納入した。2〜3Km離れて大邸宅に住む弘中さんとかいう大地主に大八車で運び込み、奥様の前で恭しくご挨拶して収穫した米俵を土蔵に運び込む。クタクタになる大仕事が何回も続いた。しかし翌々年になると農地改革が実行され、我が家も1町近い水田をタダ同様の金額で購入した。農地を所有していた大地主制が全廃されて小作農は全員が地主になったのだ。意欲を失っていた小作農は急に変身して自立した経営者になった為、小作農を中心に組織化を進めていた日本共産党は、農民の支持を失い大打撃を受けた。逆に地方の名士だった地主達は悲惨な運命に追いやられ、弘中さんも豪邸を売り払って何処かへ去った。敗戦なしにはあり得なかった日本農業の大革命で、これで日本が共産国家になる可能性が消滅した。               
                                                                    
農村には米やイモは結構あったが、副食が何もなかった、水田のイナゴを取って一升瓶に詰めて持ち帰り、焼いて食べたが美味しいとは思えなかった。あらゆる産業が戦争目的に転用されていたので、生活物資は極端に不足し、日常品は殆ど手に入らず、服や着物も年中同じものを着ていたと思う。履物もワラ草履だったが、雨が降ると水を吸った草履は長く伸びてダメになる。木綿のクツ下もすぐに伸びて穴が開いた。歯ブラシは毛が無くなるまで使い続け、6兄弟姉妹の我が家は傘も足りず、雨降りには破れカラ傘を目立たないようにクルクル回しながら学校に通った。夏休みの宿題用の画用紙やクレヨンも殆ど無く、ケンカが強かった次兄が何処からか手に入れてきたので助かった。夏休み最大の楽しみは、近くの川で泳ぐことで、昼寝する大人の目を盗んで川で泳いだ。暫くするとチリンチリンと鈴を鳴らしながらキャンディ―屋の自転車がやってくる。いつも買うのは赤色の安いアイスキャンディー(3円)だったが、金持ちの子は5円のカクテルを食べた。              
                                                                  
猛烈なインフレが進行し、お金が入ると直ぐ物に変えたが、突然通貨切替えが実施され、古い紙幣の右肩に小さな印紙を貼って使うようになった。印紙は各戸あたりに枚数制限があり、ここでも金持ちは排除された。経済は混乱を続けたが、連合軍のマッカーサー司令官の命令で色々な改革が実行された。何ごとにも言いがかりをつけて騒ぐ昨今と違って、平素では考えられない大革命が次々と実施され、戦前の封建諸制度は殆ど淘汰され民主的な制度に衣替えした。                                             
                                                                    
資材不足で、教科書も相変わらず兄や姉が使ったものを次年度は弟や妹が使い、更に下の兄弟が使い回したが、状況は少しづつ改善されて、日常品も配給制度で配られるようになった。クラスの抽選で私もみどり色の新しい学生服が当たり大喜びしたが、人絹レーヨン製で水にぬれた途端にガチガチに固くなるシロモノだった。透明で美しい塩ビ製ベルトも冬になると簡単にひび割れた。                                                                                                   
娯楽は殆どなかったが、正月休みに小学校で開催される農産品の品評会は本当に楽しく、各農家が自慢の農産物を持ち込み、一等賞、2等賞など書かれた大根や、カボチャ、柿、ナシ、ミカンなどの陳列品を繰り返し見て回った。 時折、講堂の窓をカーテンや新聞で塞いで暗室に変えて映画会が開催された。銀嶺の果て!とかいう映画で、銀行ギャングを働いた3悪人が雪山を逃げる物語だったが鮮烈な印象だった。 今日でも北朝鮮が食糧不足、物資不足に苦しんでいるのは敗戦当時の我々と同じだろうと思うが、我々子供には結構楽しい幼年時代であった。                                                    
                                                                   
欧米や中国、ロシアなど諸外国での封建制度の改廃は殆ど革命によって行われたが 我が国では膨大な犠牲者を出した太平洋戦争によって達成された。もし我が国が戦争に勝利していたら、旧弊制度の改廃には激しい抵抗が起こり、長い混乱が続いたであろうと思う。                          





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2015年08月06日

150806 集団的自衛権-3

集団的自衛権法案の審議が参議院で進んでいる。世論調査で安倍内閣の支持率が10%下がって40%になったが、まだ40%の国民は我が国を守る為に苦闘する安倍内閣を理解していると私は思っている。                                                                                       
平和憲法を守れば日本の安全は保たれると国民を洗脳するバカな政治家が日本には多過ぎる。 現代は一発の核ミサイルによる先制攻撃で勝敗が決する時代なのに、外国から撃たれる迄は反撃できないという非現実的な平和憲法では日本を守れる筈がないのだ。                                    
                                                                    
野党は、憲法違反だ、戦争する立法、徴兵制度復活、人殺し立法だ、人騙し立法だとか、あらゆる大衆受けする悪態を叫ぶ。彼らは如何に国を守るかは全く議論せず、憲法違反の議論ばかりに終始する。中国韓国はほくそ笑み、西欧諸国は嘲笑している。無責任な法学者達は偉そうに違憲だと宣言する。民主党の辻元清美議員は両手を合わせて必死のジェスチャーで お願いだから止めて! と浜田委員長に迫る姿は噴飯ものだ。業務仕訳で大暴れして参院民主党代表代行に出世した若い蓮舫議員に負けて堪るかと、集団的自衛権で大騒ぎして衆院民主党の要職を狙っている魂胆がまる見えする。                                                                                                                                           
平和憲法の解釈変更よりも改憲論議が先だと野党は言うが、憲法改正には衆参両議員の2/3以上の賛成という固い壁があり、簡単ではないことを承知の上だから始末が悪い。民主党は違憲ばかり主張して国民を如何に守るかの代案は出さない。党内の意見を集約できないのだ。連日尖閣周辺が中国警備艇に領海侵犯されているのに。モメている磯崎内閣補佐官の発言は全く正論だ、大事なのは法的安定性を守ることではなく、国民を守ることだと言うのは何故悪いのか。                                                                
                                                                 
10年前のペルシャ湾危機の時、ホルムズ海峡を通過する商船群の7割が日本向け原油タンカーだったが、その船団をイランの機雷から守るため,米国、英国、フランスなどの国際護衛艦隊が結成された時、日本だけは参加せずその無責任振りを各国から非難された。 昨年200隻を越える大軍団の中国漁船の小笠原諸島に襲来して根こそぎサンゴを密漁したが 海上保安庁が殆ど手出し出来なかった。漁民に仮装した中国海軍の大船団が尖閣諸島に押し寄せる危険を身に沁みて感じている石垣市民と市長は政府に助けを求めているが、歴代内閣は誰も対応しなかった。これ以上放置できないと安倍首相は支持率低下を覚悟の上で、憲法解釈の拡大で集団的自衛権により日本を守ろうとしているのだ。                
                                                                 
南シナ海ど真中に中国が4ケ所の軍事基地を建設した事件は世界が知っている。平均水深が1000m以上と深い海南島に大規模な核ミサイル潜水艦基地をもつ中国は、核原潜を南シナ海から秘密裏に潜航して太平洋に出航し、我が国や米国本土を狙う態勢作りを急いでいる。時代ボケした中国首脳は大昔の朝貢システムの再来を夢みて、周辺アジア諸国を再び服従させる妄想を抱いているのだ。米軍が南シナ海を抑える事が出来なくなると、日本や米国は船舶や航空機を自由に航行できなくなる。それを防止する為に、日本は憲法の解釈拡大で米軍と協力して太平洋の自由航行を守ろうとしているのだ。                           
                                                                 
東シナ海でも、中日の中間線上に、石油探索と称して中国は海上基地を12ケ所増設した。この海上基地は直ぐにレーダー基地に化けて沖縄の米軍基地を狙うことになる。中国が日本本土を標的にした核ミサイルを200発近く設置している事実はよく知られている。北朝鮮が米国と日本を狙った核ミサイル開発を急いでいることも周知である。中国や北朝鮮は誠意で交渉できる相手ではなく、強力な軍事力を保持することでやっと外交交渉が始まるのだ。                                                          
                                                                   
集団的自衛権により、自衛隊に犠牲者が出る!とおばさん連中は叫ぶ。犠牲者が出るのは全く当然だろう。毎日訓練だけ繰り返して一生を安楽に過ごせる自衛隊だと考えていること自体が余程おかしい。どんな職業でも業務上の犠牲者は出る。黒部ダム建設でも数百人に及ぶ工事犠牲者の碑が現地に立っている。増して国土を守る自衛隊に犠牲者が出ない訳がない。自衛隊は日常訓練だけで安全に過ごせる公務員だと勘違いしている者は即刻退職すべきだ。おばちゃん達は徴兵制にも反対を叫ぶが、現代戦争は素人兵隊が野原を走り回る昔の戦闘とは全く異なり、遠く離れた山中の地下室や深海の潜水艦から、ミサイルを操作する電子戦争であり、素人兵は全く役に立たない時代なのだ。                                      
                                                                   
繰り返すが、現代はどの大国も単独で自国を守ることは出来ず、中国はロシアと軍事協定し、ヨーロッパ諸国はNATOで団結する、日本が米国と協力して自衛する以外に生き残る道は有りえない。年金で安楽に暮らしながら平和憲法維持を叫ぶ連中は 余程時代ボケした高齢者か、中国から恩恵を受けている売国奴だろう。




mh3944 at 10:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 政治 

2015年08月02日

150802 理系と文系

最近、政府は国立大学の理工系学部を充実し 人文系学部を減らす方針を打ち出した。経済学部生には経済原論は不要でもっと実務的な簿記の勉強を、法学部学生は憲法ではなく司法書士とか宅建を、文学部学生のシェクスピア研究は税金でなく自費で勉強するよう説明する。高い年俸を享受している人文系教授は天下の愚策だと猛反発する。確かに殆どの文系学生は勉学ではなく学卒の資格が欲しいことを私も知っている。教授達も難しそうな顔で同じノートを毎年同じ講義を繰り返す。私は難関な国立K大学工学部と、同じく国立K大学経済学部を卒業した経験から、経済学部の授業は極めて閑で楽だったことを実感している。                   
                                                                   
理系学生にも資格狙いはいる。しかし多くの学生は朝から夕方まで授業と実験に追いまくられて4年間を過ごす。何しろ世界中がライバルだから常に緊張を強いられる。貧乏学生だった私は、アルバイトで生活費を稼ぐ余裕など無く恋人など思いもしなかった。しかし経済学部は友人のノートを借りて読めば殆どの学科は単位を取得できた。現代学生の論文はコピペばかりだと人文系教授は嘆いているという。             
                                                                    
いま零細企業を経営する私は、不勉強な文系学卒を採用する気は無い。経理も簡便なPCソフトが市販されており、仕訳を少し勉強すれば企業会計は対応できる。文系学生が自分の不勉強を差し置いて学歴相応の大手企業に入社を希望するのは思い上がりだろう。 文科省は抵抗しただろうが事務次官は新国立陸上競技場ひとつにも対応できない無能力を露呈した。国や企業は教育する余裕がなくなり、直ぐ社会で役立つ実学を習得した学生を送り出せという産業界の強い要請に抗し得なかった。防衛庁もCivilian-Controlの古証文を盾に長い間 文官優位を維持してきたが、技術が高度に進んだ現代社会では、受験秀才の事務次官では業務不都合が多発し遂に文官と技官を同格にすることになった。                                         
                                                                  
話は飛躍するが、先般の東芝不正会計も、文系か理系に関係があると思う。東芝は石坂泰三→土光敏夫→西室泰三→、と偉大な社長を輩出し、技術力に定評ある地味な企業だったが、文系異端児と言われたパソコン担当の西田社長時代の強引な利益追求で経営が暴走し始めた。続くエネルギー担当の佐々木社長は福島原発事故で大打撃を負い不正会計を増幅させた。田中現社長も追従せざるを得なかった。技術系役員が強い日立ではこのような利益捏造事件は殆ど起きない。業績が悪化すると企業戦略の何が間違っているか? 如何に新製品を開発するか?の議論になるが、文系社長は如何に数値を操作して利益を捻出すか誘惑される。松下やトヨタでも不正会計事件はなかなか起きないだろう。                               
                                                                  
若い時 私が勤務したD社も、創業者社長―長男社長―娘婿社長と、3世代全員が経理系社長だった。全員とも立派な人格者であったが、技術革新の必要性は感じていても何をどうすべきか中期-長期的な議論に参加できず、技術系役員に翻弄されて会社は段々と衰退していった。オーナー社長だから不正会計事件は殆どなかったが予算実行は厳守だった。不埒な部長は月末に売上計上して北海道の倉庫に出荷、翌月始めに返品処理して送り返す程度の不正はあったが、露呈すると厳重に処罰された。また学閥争いも厳禁だったが、社長の心につけ入る事務系の茶坊主幹部が跋扈し始めた。社長業とは本当に厳しい立場であり、余程心を鬼にしないと取り巻き茶坊主幹部に取り込まれ易い。                                  
                                                                   
大企業には、業務遂行を阻害する中堅幹部も多い。部下の成果は自分(上司)の成果にもなることを理解せず、活躍し過ぎる部下は排除する幹部達だ。私も、人畜無害な案件だけを上司に報告し、重要な案件は社長に直接報告した後、上司に事後報告する手法をとったが、息苦しさ耐えられず、遂に47才のとき会社を飛び出した。そして米国企業と医薬品の輸入製造販売会社の社長となって思いっきり働いた。邪魔する上司が居ない職場は本当に毎日が晴天だった。                                 
                                                                    
昔の苦い経験を繰り返さない為、私は身近に茶坊主的な部下は極力作らないように配慮した。酒が飲めない私には結構似合った管理スタイルであった。しかし60余名の社員の半数を占める外部スカウト組と、社内プロパー組との間に溝を生じ始めた。関係悪化を防ぐため私はスカウト組の待遇には特に配慮したが、遂にスカウト組営業部員が集団で退社する事件に発展した。スカウトした営業部長がオルグ首謀者だと知って私は大きなショックを受けた。 当時はまだバルブ絶頂期の末で、人材は売手市場の騒然とした時代で、退社した10人は新規参入の仏系感染症診断薬V社に行ったが間もなくバブルが破裂した。その後10人は再分裂を繰り返して遂に四散してしまったと聞く。規模の大小の違いもあるが、企業戦略と人事はいつも真剣勝負で、特に10年先を思案する業務は理系社長の役割だと私は思う。                                 
                                                                




mh3944 at 06:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 雑感