2015年12月
2015年12月28日
151228 ある登山家の死
日本を代表する世界的な登山家の谷口桂さん(43)が遭難した。北海道大雪山で男性4人と同行したスキーツアで、休憩時間に場所を離れて400m滑落し 頭蓋骨折と頸骨骨折で即死したという。桂さんの父親と私はヨット仲間の親友だが、彼はいつの日か娘が遭難するのではないかと常々不安を口にしていたが遂に現実となった。桂さんが有名になる前に彼女の講演を聞いたことがあるが、ヒマラヤやマッキンレーを独力で登頂した彼女の話しは本当に面白かった。その後、彼女は世界登山界のアカデミー賞と呼ばれるフランスのピオレドール賞(黄金のピッケル)を女性で初めて受賞し、世界の女性登山家の第一人者となったが、ご両親は内心安泰ではなかった。娘は講演料で食えるようになったのだから事故に遭わない内に危険な登山を止めてほしいと親は願い続けていた。しかしそこは登山家の抑えられない冒険心か、マッキンレーで遭難した上村直樹氏と同じように遭難するまで挑戦を止めなかった。
何故冒険家は死ぬ迄危険を犯し続けるのか? 冒険を続けないと精神が安定しないのか? ライバルに遅れることを恐れるのか? 或は冒険を止めると世間から卑怯者とみられることを危惧するのだろうか?これは冒険家本人に聞いてみないとわからない。桂さんの死相を見たが本当に安らかな寝願だった。やっと親の元に帰ってきたという安堵感かもしれないが、子供が先に旅立つのは親にとっては耐えられない悲しみであろう。
私は先日義母の7回忌の法要で、僧侶のお経を聞きながら、お経で義母は安心するのだろうか? お経は生きている我々子供や孫たちが安心するためのセレモニーなのか、更には仏事を生業にするお坊さんの生計の為の奉仕なのか、といろいろ不信心なことを思いめぐらせた。仮にセレモニーだとしても、この世にはセレモニーが溢れており、勝手な個人を纏めて平和に暮らす為に人々が考え出した貴重な手法だとも言えるが。
生き物にはセレモニーが不可欠で、例えば社会性をもつミツバチの動きには無意味にみえる行動が結構あるが、そこは本能で生きる昆虫達が集団で争いごともなく規律正しく暮らす為に不可欠な行動かも知れない。ある生物学者は、我々人間はDNAの意志に従って生きる奴隷であり、DNAが次から次へと人間をボート代わりに使って世代を乗り換えて生き抜く手段なのだと極論を主張する学者もいるが、それはやや過激すぎる意見で、我々は本能だけでなく、自らの創意工夫も大きく生き方に反映されていると思う。
欧米人は信仰心が強く、例えば米国民の半数はキリストの再降臨を信じており、我々の祖先がサルと同一だというダ−ウインの進化論を全く信じていないと聞くと笑ってしまうが、では我々日本人でお釈迦さまを信じている者はごく少ないことを思うと、我々の信仰心は極めて薄いことを不安にもなる。
しかし我々の不信心が恥ずかしいことかどうかはまた大きな議論であり、宗教が人々の幸福に貢献しているのかどうかは大変怪しい。例えば世界中から嫌悪されているイスラムISによる異教徒の虐殺は、マホメット(ムハンマド)を固く信じ、キリスト教や仏教を異教徒として排斥することが争いの根源であり、強い宗教心もつことは本当に立派なことか否か甚だ怪しい。多分イスラム教指導者は、ISの乱暴狼藉は偽のイスラム教だというが、お互いに非難しあうだけで、どちらが本物でどちらが偽物かは誰にも分らない。中世でローマ教皇が十字軍をエルサレムに派遣してイスラム教を弾圧したのもキリスト教の排他性を示しており、宗教が本当に人類に幸せをもたらすのかどうか大きな疑問である。
その点 仏教は極めて寛容な宗教であり、異教徒の存在も柔軟に受け入れる。 確かに江戸時代の島原の乱でキリシタンを弾圧した歴史はあるが、これは関ケ原の功で入植した新しい島原半島の藩主が 重税を課したことに反発する農民一揆が発端であり、抗議と鎮圧が繰り返される間に段々と質的に変化して天草四郎が先導する宗教戦争に発展したものだという。不勉強で宗教心の欠ける私が論じても始まらないが、異教に寛容な仏教は世界に誇れる宗教だといえそうだ。
何故冒険家は死ぬ迄危険を犯し続けるのか? 冒険を続けないと精神が安定しないのか? ライバルに遅れることを恐れるのか? 或は冒険を止めると世間から卑怯者とみられることを危惧するのだろうか?これは冒険家本人に聞いてみないとわからない。桂さんの死相を見たが本当に安らかな寝願だった。やっと親の元に帰ってきたという安堵感かもしれないが、子供が先に旅立つのは親にとっては耐えられない悲しみであろう。
私は先日義母の7回忌の法要で、僧侶のお経を聞きながら、お経で義母は安心するのだろうか? お経は生きている我々子供や孫たちが安心するためのセレモニーなのか、更には仏事を生業にするお坊さんの生計の為の奉仕なのか、といろいろ不信心なことを思いめぐらせた。仮にセレモニーだとしても、この世にはセレモニーが溢れており、勝手な個人を纏めて平和に暮らす為に人々が考え出した貴重な手法だとも言えるが。
生き物にはセレモニーが不可欠で、例えば社会性をもつミツバチの動きには無意味にみえる行動が結構あるが、そこは本能で生きる昆虫達が集団で争いごともなく規律正しく暮らす為に不可欠な行動かも知れない。ある生物学者は、我々人間はDNAの意志に従って生きる奴隷であり、DNAが次から次へと人間をボート代わりに使って世代を乗り換えて生き抜く手段なのだと極論を主張する学者もいるが、それはやや過激すぎる意見で、我々は本能だけでなく、自らの創意工夫も大きく生き方に反映されていると思う。
欧米人は信仰心が強く、例えば米国民の半数はキリストの再降臨を信じており、我々の祖先がサルと同一だというダ−ウインの進化論を全く信じていないと聞くと笑ってしまうが、では我々日本人でお釈迦さまを信じている者はごく少ないことを思うと、我々の信仰心は極めて薄いことを不安にもなる。
しかし我々の不信心が恥ずかしいことかどうかはまた大きな議論であり、宗教が人々の幸福に貢献しているのかどうかは大変怪しい。例えば世界中から嫌悪されているイスラムISによる異教徒の虐殺は、マホメット(ムハンマド)を固く信じ、キリスト教や仏教を異教徒として排斥することが争いの根源であり、強い宗教心もつことは本当に立派なことか否か甚だ怪しい。多分イスラム教指導者は、ISの乱暴狼藉は偽のイスラム教だというが、お互いに非難しあうだけで、どちらが本物でどちらが偽物かは誰にも分らない。中世でローマ教皇が十字軍をエルサレムに派遣してイスラム教を弾圧したのもキリスト教の排他性を示しており、宗教が本当に人類に幸せをもたらすのかどうか大きな疑問である。
その点 仏教は極めて寛容な宗教であり、異教徒の存在も柔軟に受け入れる。 確かに江戸時代の島原の乱でキリシタンを弾圧した歴史はあるが、これは関ケ原の功で入植した新しい島原半島の藩主が 重税を課したことに反発する農民一揆が発端であり、抗議と鎮圧が繰り返される間に段々と質的に変化して天草四郎が先導する宗教戦争に発展したものだという。不勉強で宗教心の欠ける私が論じても始まらないが、異教に寛容な仏教は世界に誇れる宗教だといえそうだ。
2015年12月21日
151221 自治会の一斉清掃
先週日曜の午前は自治会の一斉清掃だった。どこも同じだと思うが、我が町も参加する人と参加しない人々は決まっている。参加者の多くは主婦達で、男達はごく少ない。特に大会社OBは絶対に参加しないのでいつも不思議に思っている。多分在宅しているだろうから、時々カーテンの隙間から覗いているのだろうか。私は家内と一緒に殆ど参加することにしている。義務感というよりも自宅前の空地に草が生い茂り、その手入れに男手が必要なのだが、特に自宅から様子を伺うより、参加するほうが余程気持ちが楽だから。
主婦達は 清掃よりも久し振りの情報交換に関心があり、話題はお互いの近況とか知人の話に集中し、普段はなかなか聞かれない情報も入る。情報過多の大都市郊外に住んでいると、距離的には近くても近隣の情報はなかなか入らない。しかし一斉清掃で多くの主婦達が集まると自然にお互いの近況話が中心となる。今回も、すぐ近くの未婚女性がハリマッサージ師を研修中で来年国家試験に合格すると自宅で開業する予定と聞いて驚く。また反対側隣りの高卒お嬢さんは都内の某料亭で料理人を修行中と聞き、少し先の娘さんは高卒後、理学療法士の資格を取得して既に病院勤務中ともいう。確かに若い女性が正社員か契約社員かで悩むよりも、方針転換して料理人とか鍼灸師を目指すとは思い切った決断だと感心する。就職難、結婚難の今日、若い女性達は、特殊技能で自立を目指し始めているのだ。自分の適職は何だろうかと悩み続ける草食系若者などはもう待っておれないということだろうか。
都銀OB、大手商社OB, 国立研究所OB、などの自称出世組は絶対に参加しない。想像するに、都心の高層ビルに勤務していた元エリート組は 錆付いた自負心から脱却できず、道の草取りなどはバカらしくとても出来ないのだろう。或いは自治会は女の仕事で、エリートには場違いだという思いがあるのかもしれない。現役時代は世界を股に活躍した勇者には、枯葉の清掃などとても我慢できないのだ。いずれにしても長年サラリーマンを務めると精神的に片輪になり、地域社会にデビューするには大変な勇気が必要なようだ。
掃除しながら主婦達の無駄話に相槌を打つのは結構な気遣いが必要で、下手に答えて気分を害さないように私は殆ど枯れた雑草を刈り取ることに専念する。雑談に夢中の主婦達は散乱した枯草を片手間で集めて袋詰めするが、興味深々の情報交換は止むところを知らない。彼女達はそれぞれ懸命に生きており、ご主人からは得られない貴重な情報をお互いに求めているのだ。
その内に子供達も集まってくる。まだ生まれたばかりと思っていた子供が小学生になり、高学生だった筈の子供がサラリーマンだというから、当方は驚くばかりだ。またXXさんは老人ホームに入ったとか、YYさんの娘さんは離婚して子連れで帰ってきているとか、元気一杯だったZZさんが脳梗塞で入院したか、結構深刻な話題が飛び交うが、その内、予定の時間が過ぎて自然解散になる。本当に昔の井戸端会議そのままで一斉清掃を口実にいろいろ情報交換できるので、主婦達には欠かせない年中行事なのかもしれない。
定年退職者達も、これからの長い余生をこの町で生きることになるのだから、自分以外には全く無価値な昔の業績で自縄自縛に陥るよりも、袴を脱いで地域社会にDebutし、長い余生をもっと気楽に生きてみては如何だろうか?
2015年12月15日
151215 プロ野球選手の給料
師走はいつもプロ野球の契約更改が紙面を賑わす。増額組は少なく多くは減額だ。更に自由契約を通告されて涙ながらに引退を決意する選手もいる。
増額組の筆頭は日本ハム大谷投手で、1億円から一気に2億円に倍増したという。彼は最多勝、最優秀防御率、勝率第一位の3タイトルを独占してダルビッシュを超える実績を残し、初めて高卒4年目の22才で2億円に到達したという。先般の世界大会で優勝した韓国チームも大谷の160キロ近い剛速球には全く手が出ず脱帽したと聞く。
私は巨人以外を余り知らないが、巨人選手の多くは減額になった。その代表が阿部慎之助で、5.1億円から35%減の3.3億円になったが 彼の働きを考えるとまだ高すぎると思う。高給取りの泣き所は税金も高いことだ。阿部の5.1億円の場合、所得税△2.2億円、住民税△5,000万円、その他諸税△3,700万円 など合計△3.7億円を引かれて、実手取りは1.3億円になるそうで、阿部は国の財政には大きく貢献しているといえる。
若くして主将になった坂本選手は来年度2.5億円(3,000万円増)、投手陣では唯一頑張った菅野は1.35億円(2,500万円増)だが、エースで傲慢さだけは一流の内海投手は実績が殆どゼロだったにも拘らず4億円据え置きというから何とも不思議なことだ。まあ一般社会にも理解できないことは多々あるものだが。
育成の山口投手は3.2億円で少々高すぎる感もあるが、リリーフ陣のなかでは最も原監督に信頼されていた。速球一本の沢村は1億円(4,800万円増)だ、原監督の指導で速球一本ヤリを通したと聞くが、殆んど打ち込まれた。やはり山口のように硬軟織り交ぜた投球法をマスターしないと来年度も打ち込まれるだろう。驚いたのは5億円の超高額だった杉内投手が強烈な減額を申し出て 5,000万円+出来高払になったというのは凄い。野球協約で少なくとも3億円を維持できた筈だから、杉内の大胆な決意には敬意を表する次第。期待に沿えなかった今年度がよほど悔しく、来年に選手生命を賭けているのだろうが、普通のサラリーマンではとても言い出せない条件だ。
一般のサラリーマンが一生に稼ぐ金額は1億円〜2億円というから、野球選手はやはり高給だ。彼らは強健な肉体と幸運にも恵まれたスポーツ界のエリートで、若い選手や子供達にも夢を与えるから当然だろうが、現実の社会はなかなか厳しく多くの選手は夢破れてグラウンドを去って行く。
私が仕えた米国人会長のZ氏は、日本の高給取りは税金に75%も取られると聞いて驚愕した。そのように大半を税金に取られてどうして働く気になるのか、何故反乱がおきないのか信じられないと言っていた。米国では手取り額が税金より多いという。確かに超高給といっても実際は25%しか貰えないと聞くと少々哀れでもある。 給料や名誉は人々を動かす力の源泉であろうが、金や名誉以外にも、何か生き甲斐いや達成感を得る生き方があるのでないだろうか。
36才の阿部慎之助のように、殆どの選手は30才半ばになると気力体力が低下して収入も激減する。サラリーマンなら30台後半でやっと課長になりフル稼働できる年齢であり、近年の晩婚時代には、やっと結婚して子供が小学校に通学し始める時期だが、スポーツ選手は引退を迫られる時期となる。人生80才時代には残り余生の方が圧倒的に長く、厳しい余生が待ち構えている。
自らの経験を生かして解説者とかスポーツ指導者になるのは少数で、大半は新しく生きる道を探さなくてはならない。多くは生活の糧を稼ぐことに苦労し、飲食業やラーメン屋を開業したりする。巨人-西武の清原和博のように現役時代に50億円超の大金を稼いでも殆ど散財し、妻亜希夫人(モデル)にも去られて、残り人生を如何に生きるか苦悶する例もある。羨ましいような天賦の才能に恵まれても必ずしも幸せな生涯にはならないのだから、人生とは不思議なものだ。
増額組の筆頭は日本ハム大谷投手で、1億円から一気に2億円に倍増したという。彼は最多勝、最優秀防御率、勝率第一位の3タイトルを独占してダルビッシュを超える実績を残し、初めて高卒4年目の22才で2億円に到達したという。先般の世界大会で優勝した韓国チームも大谷の160キロ近い剛速球には全く手が出ず脱帽したと聞く。
私は巨人以外を余り知らないが、巨人選手の多くは減額になった。その代表が阿部慎之助で、5.1億円から35%減の3.3億円になったが 彼の働きを考えるとまだ高すぎると思う。高給取りの泣き所は税金も高いことだ。阿部の5.1億円の場合、所得税△2.2億円、住民税△5,000万円、その他諸税△3,700万円 など合計△3.7億円を引かれて、実手取りは1.3億円になるそうで、阿部は国の財政には大きく貢献しているといえる。
若くして主将になった坂本選手は来年度2.5億円(3,000万円増)、投手陣では唯一頑張った菅野は1.35億円(2,500万円増)だが、エースで傲慢さだけは一流の内海投手は実績が殆どゼロだったにも拘らず4億円据え置きというから何とも不思議なことだ。まあ一般社会にも理解できないことは多々あるものだが。
育成の山口投手は3.2億円で少々高すぎる感もあるが、リリーフ陣のなかでは最も原監督に信頼されていた。速球一本の沢村は1億円(4,800万円増)だ、原監督の指導で速球一本ヤリを通したと聞くが、殆んど打ち込まれた。やはり山口のように硬軟織り交ぜた投球法をマスターしないと来年度も打ち込まれるだろう。驚いたのは5億円の超高額だった杉内投手が強烈な減額を申し出て 5,000万円+出来高払になったというのは凄い。野球協約で少なくとも3億円を維持できた筈だから、杉内の大胆な決意には敬意を表する次第。期待に沿えなかった今年度がよほど悔しく、来年に選手生命を賭けているのだろうが、普通のサラリーマンではとても言い出せない条件だ。
一般のサラリーマンが一生に稼ぐ金額は1億円〜2億円というから、野球選手はやはり高給だ。彼らは強健な肉体と幸運にも恵まれたスポーツ界のエリートで、若い選手や子供達にも夢を与えるから当然だろうが、現実の社会はなかなか厳しく多くの選手は夢破れてグラウンドを去って行く。
私が仕えた米国人会長のZ氏は、日本の高給取りは税金に75%も取られると聞いて驚愕した。そのように大半を税金に取られてどうして働く気になるのか、何故反乱がおきないのか信じられないと言っていた。米国では手取り額が税金より多いという。確かに超高給といっても実際は25%しか貰えないと聞くと少々哀れでもある。 給料や名誉は人々を動かす力の源泉であろうが、金や名誉以外にも、何か生き甲斐いや達成感を得る生き方があるのでないだろうか。
36才の阿部慎之助のように、殆どの選手は30才半ばになると気力体力が低下して収入も激減する。サラリーマンなら30台後半でやっと課長になりフル稼働できる年齢であり、近年の晩婚時代には、やっと結婚して子供が小学校に通学し始める時期だが、スポーツ選手は引退を迫られる時期となる。人生80才時代には残り余生の方が圧倒的に長く、厳しい余生が待ち構えている。
自らの経験を生かして解説者とかスポーツ指導者になるのは少数で、大半は新しく生きる道を探さなくてはならない。多くは生活の糧を稼ぐことに苦労し、飲食業やラーメン屋を開業したりする。巨人-西武の清原和博のように現役時代に50億円超の大金を稼いでも殆ど散財し、妻亜希夫人(モデル)にも去られて、残り人生を如何に生きるか苦悶する例もある。羨ましいような天賦の才能に恵まれても必ずしも幸せな生涯にはならないのだから、人生とは不思議なものだ。
2015年12月07日
151207 恥知らず中国韓国
産経11/15に興味深い記事があった。米国歴代政権の国務,国防両省の高官として長年東アジアを担当したランディー・シュライバー氏が10月に、中国の対外戦略について, ワシントンで講演し、習近平政権は歴史を口実に、日本を徹底的に悪者に仕立て上げて 日米同盟を骨抜きにすることを最重点戦略としているが、中国こそが世界で最低の悪者であると断じた。
同じく今年8月の英誌エコノミストも、中国が主張する日本の悪魔論は危険であり、中国こそアジア制覇の野望の為に、歴史を捻じ曲げて日本の弱体化に利用していると記事にしている。またヒラリークリントン元国務長官は、習主席が空席ばかりの国連会場で臆面もなく女性権利の擁護を主張する姿を、Shameless- 恥知らず!と唾棄した。全くその通りであり、米英はやっと中国の悪辣さを認識し始めたことに快哉を叫びたい。
9月末の国連創設70周年記念式典で、久し振りに国連で演説した習主席は、日本の軍事主義化の非難に終始し,日本は歴史を直視せず、軍国化へ進んでいると酷評した, 日本が第二次大戦時に南京市民30万人を虐殺、更に今日では、原爆数百個分に相当する大量のプルトニュムを保有している! と声を荒げて日本の核兵器開発の危険性を罵った。既に1,000個以上の原水爆を持ち、日夜その拡充に邁進する中国から言われる言葉として、これ以上の屈辱はなく、彼の馬鹿げた噴飯演説には呆れる次第。
確かに日本軍が南京城に侵入した時、虐殺があったのは事実だというが、当時の南京市民の殆どは既に郊外に避難済みで、市内に残ったのは市民に偽装した中国逃亡兵(便衣兵)が殆どであったという。また犠牲者の正確な数は不明で、数万人説、10万人説、最大でも15万人と学者達が諸説を発表しているが、歴史をねじ曲げる習主席は、犠牲者数を更に倍増して30万人虐殺と大誇張し世界に発表した。この欺瞞に満ちた南京大虐殺が正確に検証されることなく、ユネスコ世界歴史遺産に、日本軍の大虐殺事件として登録されることになったのは甚だ遺憾の限りだ。
更に習主席は、第二次大戦中に日本軍は3,500万人の中国人民を殺害したと想像を絶するインチキ話を吹聴し始めた。正に白髪千丈の誇大表現は止まることを知らない。毛沢東の大躍進政策で中国共産党が2,000万人〜5,000万人の自国民を餓死させた歴史的事実を覆い隠す為に、次から次へと日本をやり玉にインチキ事件を創り出して世界に喧伝する。日本政府が声を大にして反論しない為、虚偽に満ちた作り話が日本軍の汚点として世界の歴史教科書に記載されることになりつつあるのだ。
習主席は矛盾に満ちた国内政治から国民の関心を外に向ける為、過去の歴史を忘れるな!と反日スローガンを掲げて、国民の不満を外敵日本に発散させる手段にとして使う。自国政治の矛盾を隠すため外敵を非難する甚だ卑劣な政策しか持っていない。戦後70年以上が経過したにも拘わらず、相変わらず歴史問題を持ち出し、南京虐殺や慰安婦問題を忘れるなと叫び続けているが、積極的に反論しなかった日本政府の無為無策にも大きな責任がある。
歴史の歪曲は朴大統領も同様で、終戦後40年の期間 韓国から慰安婦問題に関する問題提起は全くなかったが、北九州の吉田清治(故人)が、済州島で強制連行があったとインチキ小説を発表し、それを朝日新聞が大々的に取り上げて16回に渡りプロパガンダを連載した。それを読んだ韓国国民が事実と勘違いして騒ぎ始め、世界に訴えて国連に持ち出したのだ。事を荒げたくない日本政府と外務省は黙殺し続けた為、このインチキ物語が歴史的事実に化けてしまった。後日 吉田清治が あれは全くの作り話のフィクションであったと自白し、更に 外務省有志も詳細に現地調査して、自発的な売春婦は居たが、強制連行ではなかったと報告書を作成したが 当時の橋本首相は、韓国との関係悪化を恐れてその発表を抑えた為、逆に日本政府が認めたと宣伝されて世界に拡散した。そして20年が経過した昨年になって、やっと朝日新聞が関連記事16本を全て取り消し社長も辞任したが、時既に遅く歴史的事実として世界に流布した後だった。南京事件も朝日新聞が大虐殺事件として特集を組んで世界に拡散したものだが、朝日は未だに謝罪表明を行っていない。
如何にインチキ物語りでも世界に流布すると、それを取り消すのは至難である。既にタイミングは全く出遅れたが、ここで我々が諦めると、日本軍が戦地で若い韓国女性を性奴隷にしたと、子供や孫達にも汚名を残すことになる。2年前 韓国ソウルの私立大学 世宗(セジョン)大学の朴裕河(パクユハ)教授が「帝国の慰安婦」を出版して、慰安婦は殆ど日本軍の強制でなく、韓国人ブローカーが勧誘して戦地に送った哀れな女性達であったと発表した処、それを知った韓国の市民団体は名誉棄損罪で朴裕河教授を告訴し裁判になっている。
我々に今できることは、世界に流布した南京大虐殺事件と韓国人慰安婦は事実とは違う!と世界に向けて繰り返し 繰り返し叫び続けることだ。日本の、雄弁は銀、沈黙は金、は国際社会では百害あって一利なし、世界では、徹底的に自己主張しないと生き残れないのだ。中国が、ナチス大虐殺と並んで南京大虐殺を連想させようとしても、それは事実ではない!と、常に世界に向かって叫び続けることが必要なのだ。そのことによってのみ、或いは真実ではないかも知れないと、世界の人々に疑念を抱かせることが大事なのだ。そして将来、中国が主張する南京大虐殺事件は、日本軍と中国偽装兵とのゲリラ戦であり、韓国の慰安婦は、韓国人ブローカーが仲介した出稼ぎ目的の女性達であった、と世界が再認識するようになることに期待する以外に無い。