2018年06月

2018年06月25日

180625 英会話のマスター

日本人は英会話に弱い。私も45才の時、米国DPC社との合弁会社 日本DPC社長に就任したが、周囲は私の英話力を不安視していた。しかし私は長年英会話を訓練していたので内心では不安はなかった。研究社のSpoken-American-English (上級)を20年以上も音読して全24章を丸暗記していたので 普通の会話には対応できると思っていた。米国ロサンジェルスのDPC本社で、会長以下主要幹部に私の経営方針を説明したが問題はなかった。                                                                                                                                                                                                  
しかし業務が動き出すにつれて、私の英語力には欠陥があると分かった。Speaking, Hearing, Reading, Writingのうち、Hearingが弱いと分かり始めた。SpeakingとHearingは表裏一体で同じものだと思っていたが 分厚い研究社読本をマスターした程度ではHearingは十分ではなかったのだ。Hearingの弱さを補強しようと私は懸命に聞きとり訓練を始めた。近年テレビで外国人が頻繁に話す生英語を聞き取ろうと努め始めたが なかなか上達の感触はなかった。                                                                                            
                       
テレビの字幕を見ながら会話を理解しようとすることに無理があったのだ。英文と日文の文章構成は真逆で、日本語や韓国語は、私は田舎から送られてきた赤いリンゴを食べた、という日文は、英文では 私は食べました、赤いリンゴを、田舎らか送られてきた、と文章が真反対になるので、字幕を見ながら英語を理解するのは無理があった。半ば諦め気味になりながらも、テレビの字幕を読まずに、生英語を聞き取ろうと努め続けたが、進捗は捗々しくなかった。                                                                                                                           
                     
ところがトランプ大統領が登場して、TVでジェスチャーたっぷりに話す彼の英語はほぼ完全に理解できるのだ。トランプ英語は本当にHearingし易いと分かった。こうなると勇気百倍で、より頻繁にTV-Hearingに時間を割くようになった。従来の米国大統領と違ってトランプ氏は少々の誤解は恐れずに、短い言葉で単純明快に意見を言う。トランプ大統領はマスコミからバッシングを受け続けているが、大衆に理解し易いように短い言葉でストレートに発信するメッセージは誠に分かり易い。英会話の永年の壁であったHearingが何とか克服できそうになり、傘寿を越えた今ごろになって快哉を叫んでいる昨今である。        




mh3944 at 08:29|PermalinkComments(0) 雑感 

2018年06月15日

180615 女児の虐待死

「もうパパとママにいわれなくても、じぶんから、しっかりできるようにするから もうおねがい ゆるしてください あそぶってあほみたいだから やめるから もうぜったいに やらないからね ゆるしてください おねがいします」                                             
これは、先日(3/2)目黒区のアパートで、男親から虐待と暴行を受けて死亡した5才の女児、船戸結愛ちゃんが絶命する前に必死で書いた詫び状だ。これほど悲惨極まりない訴え状に私は思わず落涙した。
                                                                                         
結愛ちゃんは香川県善通寺に住んでいた船戸優理(25)が 船戸雄大(33)と再婚した時の連れ子だった。善通寺に居住した当時から、育児放棄で善通寺児童相談所に2回ほど一時預りされたが、今年1月に男親の都合で東京目黒区に転居した時、品川児童相談所に移管されたが、その後の保護観察が不十分になった結愛ちゃんは3月2日に衰弱して哀れな一生を終えた。 実母の優理は義理の雄太が連れ子の結愛ちゃんに暴行するのを知りながらも, 恐ろしくて止められなかったと言う。野獣は自己以外の子を殺すというが、本当にけだものの残虐さだ。                                                                                                                   
                                            
アフリカでは今でも多数の子供や幼児が飢えと疫病で死亡しているが、息絶えそうな子を親はいつまでも抱き続けている。しかし結愛ちゃんは、親の冷酷な仕打ちに怯えながら必死にもがき孤独と飢えのなかで生き延びようとした。テレビにみる結愛ちゃんの笑顔は本当に可憐だが これほど真摯な詫び状を書く知恵もあった。事情を知っていたら養女に引き取りたいと申し出た人も何人かいたことだろう。結愛ちゃんを孤独な死に追い落としたのは、正しく品川区児童相談所の怠慢と無責任である。                                                                                          
昔は似たような暴行や虐待が結構あり、例えば私の小学時代の同級生に やせ衰えたK子ちゃんがいた。義理の母親は同じ小学校の太っちょY先生だったが、K子ちゃんは虐待を受けて衰弱し学校ではひと言も発しないまま2〜3年後に、太っちょ先生の転勤と共に転校して音信が途絶えた。                                                                                           
                                       
わが家から少し離れた隣家のS家もかなり異常で、4人の兄弟姉妹は極端な無口で、4人共はほぼ言葉を発しないまま学校生活を終えた。虐待の内容は分からないが低能ではなく性格も優しかった。寒い冬の登校時、我が家の庭で焚火すると彼らのズボンからは湯気が上がっていた。おねしょした寝間着のまま通学するのだ。中学校を卒業すると、長男は農家を継ぎ、次男は近くで理髪店、姉妹は何処かに嫁いでいった。                                                                         
           
恥ずかしながら私の父親(明治38年生)も無学で超短気、TVドラマの たけしの父親 そっくりだった。晩秋になると毎年、山陰の酒屋の杜氏に乞われて出稼ぎに行き 家族は平穏だが、早春に帰郷すると途端に家庭の雰囲気は一変する。 父の逆鱗にふれると我々子供は牛小屋の柱に括りつけられる。すると牛が近寄って大きな舌で舐めるが、それはオオカミに襲われるような恐怖で 私は泣き叫び、80年経った今でも忘れられない。ただ当時は子供が多く、我々兄弟は互いに助け合いながら過ごした。その恐ろしい父親も私が中学2年のとき結核で逝去。不謹慎だが我が家はこれからは平穏になると内心では嬉しかった。その後70年の長い人生で、父親は私の反面教師であった。                                                                    
                           
社会弱者の高齢者と幼児には手助けが必要だが、高齢者と違って幼児は声を上げることが出来ず、親に助けを求める以外に術がない。その意味で市役所の児童相談所の責務は極めて重要である。そこに勤める関係者は、多分厳しい競争社会を避けて、身分が安定する役所勤務を選んだ人達だろうが、その気楽さと無責任が結愛ちゃんを地獄に突き落としたのだ。役所勤務は決して天国ではないことを自ら反省するべきだ。  


mh3944 at 09:44|PermalinkComments(0) 政治 

2018年06月11日

180611 医療は2割負担に 

私の住宅街では庭から玄関口まで金属製の手摺りを設置した家が多い、玄関口だけでなく、室内にも多数の手摺りを取り付けていると聞く。高齢になると足腰が弱り転倒して骨折すると2〜3週間入院して体力が極端に弱り、歩くことも困難になるので予防が大切だ。                         
                                     
実は、わが家も玄関口の3段の石段に手摺りをつけた。 前々から思っていたが最近ペット飼い始めて散歩に連れ出すとき引っ張られて危険を感じ、長さ2mの手摺を石段の上から下まで設置した。ごく簡単なアルミ製で作業は半日で終わり代金6万円を請求された。工事屋さんは、介護保険が効けば自己負担は6千円で済みますが、お宅は元気なので定額ですとのこと。設置費が1/10の激安だから多くの家が手摺りを設けているのだ。工事はごく簡単で、余裕があれば私でも知人の手助けで安く工事ができそうだと思う。我が国は福祉予算と名が付くと途端に値段が跳ね上がりボロ儲けになるらしい。中国系企業ならきっと半額以下で工事をするに違いない。                                          
                                       
                      
日本の福祉予算は爆発的に膨張して遂に40兆円に達した。国の税収が60兆円だからその大半を占めるまでに膨れた。福祉事業以外は何もできないほどのモンスター予算になった。野党は無責任な人気取り政策を叫び続け、不人気を恐れる自民党も呼応するので、どこまでも膨張する。私の近隣でも、元気に出歩くAさんは週2回のデイーサービスの送迎車が来る。普通に話せるWさんは毎週土曜、言語訓練教室に通っているなどなど、驚くほど多彩な福祉予算が潤沢に提供され浪費されている。                                                                                                                              
                         
医療費も同様で、病院の支払いは殆どが格安の1割負担だから、閑な高齢者達は少し気分が悪いと直ぐに病院に行く。傘寿になった私もごく初期の前立腺肥大で、泌尿器科に通い始めたが、自営業収入があるので全て3割負担、薬代を含めると毎回2万円前後を請求される。先週も担当医にまだ通院は必要でしょうか?と聞くと少々気分を害したらしく、私は専門医だから任せて下さい!と言われた。数千円なら文句を言わずに何回でも通院するが、毎回2〜3万円を請求されると、いい加減に開放して欲しいと思い始める。                                                                                                               
                                     
殆どの高齢者の医療費負担は1割だが、3割とは言わなくても2割程度に値上げすると、不要な病院通いは激減するだろうと私は思う。 2割になると病院通いも減り服用しない薬は買わなくなり、財政は劇的に余裕になるだろう。このまま高齢者が増え続けると、国家財政が破綻するのは目に見えているが誰も言わない。選挙が無い参院議員も発言ぐらいはすべきだと思うが音沙汰なしだ。立派な意見を吐く小泉進次郎辺りが発言すれば心から尊敬するが、彼も利口者らしく知らん顔している。困ったものだ。 


          


mh3944 at 08:38|PermalinkComments(0) 政治 

2018年06月05日

180605 パワハラ-2

日大アメフトの内田正人前監督がパワハラで窮地に立っている。大学医学部のパワハラはよく知られているが、専門色の強い理系学部もパワハラが強い。私の卒業した化学工学部は、毎年多数の大手メーカーから求人が殺到し、4月になると就職担当教授が成績順に学生を呼びこんで、メーカーを選択させる方式をとっている。多分東大法学部も同様で、成績順に法務省、財務省、経済産業省、外務省…と決めるのだろう。

4月に入ると学生は成績順にひとりづつ就職担当K教授室に呼び込まれる。そして三菱化学 or 住友化学のどちらかを選べ、東レ or 旭化成ではどうか? 松下 or 東芝、という風に、次々と就職する会社を決める。学科試験の点数と実社会での有能さは必ずしも比例しないと私は思うのだが、大学では成績と従順さが全てに優先する。

5月の連休前迄には50名全員の就職先がほぼ内定した。しかし私だけはK教授からお呼びが掛からなかった。成績は中の下あたりで、その内呼ばれるだろうと思っていたが、私を除くほぼ全員が内定したと聞くとさすが心穏やかではなくなった。卒論指導のA助教授経由で接触すると、私には就職先を紹介する予定はないとK教授が言っていたそうだ。気絶するほど驚愕した。私はK教授の不興を買っていたのだ。

思い当たる節はあった。ひと月前の3月にK教授の燃料学科のテストがあり、私は欠点だったが点数に自信があったので、K教授室に訪れて、欠点ではない筈ですが?と問い質して、逆に激怒された件だ。K教授は多分、採点したアルバイトのミスを指摘されたと驚き、自分の採点が間違っていると言うのか?と声を荒げて私を教授室から追い出した。そして直ぐに4月になり、やっと私はK教授が就職担当だと知った。友人達はずっと前から知っていたようだが。
                                                   
さあ困った。大学を卒業しても就職できないでは絶対に困る。夏休みに帰郷すると親達は朗報を待っている筈だと、本当に悲壮な月日が流れていった。世間知らずの私には会社訪問などできる訳がなかった。大学院に残って2年後に就職することも考えたが、K教授がボスだから大学院を認める訳がないとA助教授から止められた。 
   
しかし捨てるてる神あれば拾う神ありだった。悶々として卒論を続けていた初夏に、尼崎駅前の新鋭の日米合弁化学会社JRCのS常務が来訪し、もし学生か残っていたら紹介して欲しいと。私は飛び付いて直ぐにOKした。有名な大手企業ではなく無名会社で友人達には話せないが、化学便覧の末尾には広告も載っていた会社だ。こうして私のサラリーマン生活は小さな会社の大きな歯車としてスタートした。      
そして60年が経過した。殆どの友人達は大企業の小さな部品として人生を終えて引退し、既に3割は逝去したが、私の会社生活は波乱続きだった。直ぐに東京本社の企画課長になり、米国医薬品合弁会社の社長を経由して波風が多い人生になった。退職後、既に20年が経過したが、私はまだ小さな自営会社で先端事業を経営する日々が続いている。                                                                                                
                                          
毎年の同期会には関東在住の友人達20余名が参加するが、自分の会社人生を誇らしげに語る人は殆ど居ない。平穏無事だが報われることの少なかった人生を悔やんでいるのだろうと思う。人生は正に、塞翁が馬で、大企業だから報われ中小企業は報われないとは決して言えないと、私は自分の実経験から確信している。                                                                         


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