2019年04月
2019年04月27日
190427 事務職/技術職
先週日曜のTBSテレビの日曜劇場、集団左遷、を見た。少々誇張はあるが、技術屋の私には無縁な銀行マンの世界を初めて垣間見た気持ちで大変面白かった。
廃店が内定している南関東の某支店長に任命された新人の福山雅治が、古参の香川照之副支店長と繰り広げる主導権争い、演技過剰気味の銀行常務の三上博史の威圧的言動など、技術一筋の私には興味深い世界であった。近くの某都市銀行OBに話すと、銀行は完全に学閥社会であり、非学歴組には苦しい世界だと気色ばんで話し始めた。現役時代に権威を振るった幹部達はOB会に出ると元部下達に囲まれて袋叩きに遭うから絶対に参加しないという。
確かに私の50余年のサラリーマン人生活でも人間関係のトラブルは多発し、田舎者の私には悩みの連続だったが、親分/子分とか学閥関係が大きく影響する事務職とは違い、技術分野には技術という厳然たる現実があり、その良否は誰も否定できない事実であり、不器用な私でも技術で勝負すれば負けないという安心感があった。
工学部を卒業した私は自分の意思で中堅米国系化学会社(尼崎)の研究部門に入社した。大学同期の友人達は全て、三菱化成、三井化学、住友化学、東レ、旭化成、宇部興産、松下電工、丸善石油、ブリジストン、旭ガラス、日石、昭和電工、徳ソー、東ソー、鐘淵化学、…….と全員が巨大企業を選び、大学教授も卒業生を大企業に送り込むことが自慢の高校レベルの就職担当であった。しかしクソ真面目で人間関係を好まない私は、敢えて財閥を避けて中小企業に会社人生を賭け、誰も知らない日米合弁の日本ライヒホールドという新進会社に入社して、財閥企業を期待していた親や兄弟達を悲しませてしまった。
入社した私は研究開発に従事したが、内心は野望に燃えていた。定時退社する友人達は、大阪キタの繁華街に繰り出して遊ぶのを自慢していたが、私は夜学を志し、神戸大学経営部(夜間)に通い始めて、新しい世界を勉強し続けていた。しかし夜は麻雀荘に入り浸りの上司K課長に見つかって厳しい叱責を受け、即刻退学を命じられた。理由は自分が知らない学問は部下も学ぶ必要ナシと断言した。従わなければ遠隔の石川県美川工場に転勤させると脅かした。私には大ショックだったが受け入れる以外に道無く、退学と偽って休学届を出したが、2年後に上司が転勤したのを機会に再び復学し、遂に経営学士号を取得した。しかし資格取得だけでは不満足な私は腕試しの機会を狙っていたが、時を同じくして募集されていた、企業活性化の懸賞論文募集に参加しようと決めた。美辞麗句を散りばめた素人論文は煮ても焼いても食えないが、私は事実に語らせる作戦をとり、実証データを多用して説得力ある論文を半年かけて作成した。異色で少々粗削りではあったが、この論文は高く評価されて、見事に一等賞になり周りを驚愕させた。
事務系と違って、技術職は専門技術からは離れることができず、技術系幹部が大きな人事権を持っているが、私の懸賞論文を読んだ社長は、私を技術部門から引き抜き、本社企画課長に抜擢した。技術部長は激怒したが、私は技術部門の牢獄からやっと解放されて、活動分野が一挙に世界に拡大した。
企画部長に昇進した私は、世界への飛躍を狙って、米国医薬系企業との合弁会社を企画し設立した。合弁会社の頭に年配社長を探したが殆どの先輩は忌避した。将来像が全く分からない医薬品事業の社長職は恐怖以外の何ものでもなかったようだ。誰も引き受けtない本件企画は、結局私が新会社のTOPを担うことになった。年功序列の社会では考えられない抜擢だったが、失うものがない私には、40代で新事業の社長を担当できることは痛快で素晴らしいチャンスだった。10余年の社長職で医薬合弁企業は大きく成長したが、赤字体質を解消できず内心では倦怠感も感じ始めていた私は、定年と共に合弁会社社長を退社した。そして今度は自己資金で臨床検査機器のメンテナンス会社を設立して、自己責任で事業経営を始めて20余年が経過し今や傘寿を超えた老齢になった。
若い事務系や営業職を目指す若者達も、企業に入ると必ず学閥や複雑な人間関係に悩まされることになるが、もし打開の目途が無い時は、視野を拡大して技術分野にも踏み込むと、新しい世界が開けてくることも頭の隅の入れておけば、新しい方向転換ができる機会があると知っておくとよい。
廃店が内定している南関東の某支店長に任命された新人の福山雅治が、古参の香川照之副支店長と繰り広げる主導権争い、演技過剰気味の銀行常務の三上博史の威圧的言動など、技術一筋の私には興味深い世界であった。近くの某都市銀行OBに話すと、銀行は完全に学閥社会であり、非学歴組には苦しい世界だと気色ばんで話し始めた。現役時代に権威を振るった幹部達はOB会に出ると元部下達に囲まれて袋叩きに遭うから絶対に参加しないという。
確かに私の50余年のサラリーマン人生活でも人間関係のトラブルは多発し、田舎者の私には悩みの連続だったが、親分/子分とか学閥関係が大きく影響する事務職とは違い、技術分野には技術という厳然たる現実があり、その良否は誰も否定できない事実であり、不器用な私でも技術で勝負すれば負けないという安心感があった。
工学部を卒業した私は自分の意思で中堅米国系化学会社(尼崎)の研究部門に入社した。大学同期の友人達は全て、三菱化成、三井化学、住友化学、東レ、旭化成、宇部興産、松下電工、丸善石油、ブリジストン、旭ガラス、日石、昭和電工、徳ソー、東ソー、鐘淵化学、…….と全員が巨大企業を選び、大学教授も卒業生を大企業に送り込むことが自慢の高校レベルの就職担当であった。しかしクソ真面目で人間関係を好まない私は、敢えて財閥を避けて中小企業に会社人生を賭け、誰も知らない日米合弁の日本ライヒホールドという新進会社に入社して、財閥企業を期待していた親や兄弟達を悲しませてしまった。
入社した私は研究開発に従事したが、内心は野望に燃えていた。定時退社する友人達は、大阪キタの繁華街に繰り出して遊ぶのを自慢していたが、私は夜学を志し、神戸大学経営部(夜間)に通い始めて、新しい世界を勉強し続けていた。しかし夜は麻雀荘に入り浸りの上司K課長に見つかって厳しい叱責を受け、即刻退学を命じられた。理由は自分が知らない学問は部下も学ぶ必要ナシと断言した。従わなければ遠隔の石川県美川工場に転勤させると脅かした。私には大ショックだったが受け入れる以外に道無く、退学と偽って休学届を出したが、2年後に上司が転勤したのを機会に再び復学し、遂に経営学士号を取得した。しかし資格取得だけでは不満足な私は腕試しの機会を狙っていたが、時を同じくして募集されていた、企業活性化の懸賞論文募集に参加しようと決めた。美辞麗句を散りばめた素人論文は煮ても焼いても食えないが、私は事実に語らせる作戦をとり、実証データを多用して説得力ある論文を半年かけて作成した。異色で少々粗削りではあったが、この論文は高く評価されて、見事に一等賞になり周りを驚愕させた。
事務系と違って、技術職は専門技術からは離れることができず、技術系幹部が大きな人事権を持っているが、私の懸賞論文を読んだ社長は、私を技術部門から引き抜き、本社企画課長に抜擢した。技術部長は激怒したが、私は技術部門の牢獄からやっと解放されて、活動分野が一挙に世界に拡大した。
企画部長に昇進した私は、世界への飛躍を狙って、米国医薬系企業との合弁会社を企画し設立した。合弁会社の頭に年配社長を探したが殆どの先輩は忌避した。将来像が全く分からない医薬品事業の社長職は恐怖以外の何ものでもなかったようだ。誰も引き受けtない本件企画は、結局私が新会社のTOPを担うことになった。年功序列の社会では考えられない抜擢だったが、失うものがない私には、40代で新事業の社長を担当できることは痛快で素晴らしいチャンスだった。10余年の社長職で医薬合弁企業は大きく成長したが、赤字体質を解消できず内心では倦怠感も感じ始めていた私は、定年と共に合弁会社社長を退社した。そして今度は自己資金で臨床検査機器のメンテナンス会社を設立して、自己責任で事業経営を始めて20余年が経過し今や傘寿を超えた老齢になった。
若い事務系や営業職を目指す若者達も、企業に入ると必ず学閥や複雑な人間関係に悩まされることになるが、もし打開の目途が無い時は、視野を拡大して技術分野にも踏み込むと、新しい世界が開けてくることも頭の隅の入れておけば、新しい方向転換ができる機会があると知っておくとよい。
2019年04月21日
190421 仕事が無い
高齢の私はまだ零細企業オヤジを続けている。ある分析工場の自動化ラインの機械群を3交代で保守管理する地味な仕事を請け負っている。既に傘寿を越えた高齢だが代わりが居ないので辞められない。電気+機械+PCの知識と経験が必要なハイレベル業務だが、暗い3K仕事なので誰も希望しない。昔は多数のパート女性が バーコードを読みながら手作業で分類選別していたが、ミスは許されない単純業務を朝から夜まで作業する気が狂いそうな苦行だった。
しかし数年前に機械化されて、自動的に分類と選別を行う方式になり、その自動ラインの保全を我々が行っている。本システムの開発者は有能だったが、自信過剰になり暴走して脱落してしまった。それは丁度日産のゴーン会長と同じ経過だった。往年の日産は日本を代表する最先端の自動車会社で、東大工学部OBの牙城であったが、激しい権力闘争で、遂に倒産寸前にまで陥った。そこに登場した白馬の騎士カルロス-ゴーン会長が、快刀を振るって腐敗した組織と関係子会社を断ち切り、見事に復旧させた。彼の業績は素晴らしかったが、自己陶酔して私腹を肥やす行為に陥り、世界から称賛された栄光の人生を台無しにしてしまった。
我々の仕事は、昼夜休みなく動き続ける装置群の摩耗した部品交換などトラブルシューティングだが、3K仕事で若者は近寄らず、私が定年退職者を起用して対応してきた。 しかし寄る年波には勝てず、社員等は古希を越え、私も傘寿越えになったが、後継の技術者がなかなか見つからない。企業にも保安要員は居るが、保全業務の重要さにも拘らず、周囲から余り評価されないので自分の仕事に自信をもっていない。我々は仕事を終えても現場に残って仕事の手助けをし好評価されているが、保全要員は修復を終えると直ぐに自室に戻ってしまう。我々のウエットな作業態度はドライな保全要員には不向きないようだ。
自分に適した仕事が無いと嘆いている若者が多い。彼らは楽で恰好良い仕事を探しているのだが、質さえ問わなければ、産業界は人手不足で困り切っているのだ。街や公園には仕事のない定年退職者が溢れており、自分達の現役時代の実績が評価されないと嘆くが、彼らが誇る実績とは昔の管理職業務である。しかし近年の管理業務は人工知能AIに次々と代替されつつあるのだ。人工知能AIの発達は強烈で、病院のドクターさえ、近い将来には大部分の業務が人口知能に代替さると予想されている。 仕事を探して呻吟する若者達や、苔が生えた経験を武器に仕事を求める定年退職者達が、再登場できる出番が殆どなくなったのだ。しかし彼らが奮起して本気でやり直す意気込みさえあれば、自ら生き甲斐を感じる働き場所はいくらでもあるが、格好良いデスクワークを希望したり、無用なプライドが頼りの定年退職者達には出番は殆どなくなった。退職者も見苦しいプライドとは縁を切って、本気で自分達の活躍場所を探してみては如何だろうか。
しかし数年前に機械化されて、自動的に分類と選別を行う方式になり、その自動ラインの保全を我々が行っている。本システムの開発者は有能だったが、自信過剰になり暴走して脱落してしまった。それは丁度日産のゴーン会長と同じ経過だった。往年の日産は日本を代表する最先端の自動車会社で、東大工学部OBの牙城であったが、激しい権力闘争で、遂に倒産寸前にまで陥った。そこに登場した白馬の騎士カルロス-ゴーン会長が、快刀を振るって腐敗した組織と関係子会社を断ち切り、見事に復旧させた。彼の業績は素晴らしかったが、自己陶酔して私腹を肥やす行為に陥り、世界から称賛された栄光の人生を台無しにしてしまった。
我々の仕事は、昼夜休みなく動き続ける装置群の摩耗した部品交換などトラブルシューティングだが、3K仕事で若者は近寄らず、私が定年退職者を起用して対応してきた。 しかし寄る年波には勝てず、社員等は古希を越え、私も傘寿越えになったが、後継の技術者がなかなか見つからない。企業にも保安要員は居るが、保全業務の重要さにも拘らず、周囲から余り評価されないので自分の仕事に自信をもっていない。我々は仕事を終えても現場に残って仕事の手助けをし好評価されているが、保全要員は修復を終えると直ぐに自室に戻ってしまう。我々のウエットな作業態度はドライな保全要員には不向きないようだ。
自分に適した仕事が無いと嘆いている若者が多い。彼らは楽で恰好良い仕事を探しているのだが、質さえ問わなければ、産業界は人手不足で困り切っているのだ。街や公園には仕事のない定年退職者が溢れており、自分達の現役時代の実績が評価されないと嘆くが、彼らが誇る実績とは昔の管理職業務である。しかし近年の管理業務は人工知能AIに次々と代替されつつあるのだ。人工知能AIの発達は強烈で、病院のドクターさえ、近い将来には大部分の業務が人口知能に代替さると予想されている。 仕事を探して呻吟する若者達や、苔が生えた経験を武器に仕事を求める定年退職者達が、再登場できる出番が殆どなくなったのだ。しかし彼らが奮起して本気でやり直す意気込みさえあれば、自ら生き甲斐を感じる働き場所はいくらでもあるが、格好良いデスクワークを希望したり、無用なプライドが頼りの定年退職者達には出番は殆どなくなった。退職者も見苦しいプライドとは縁を切って、本気で自分達の活躍場所を探してみては如何だろうか。
2019年04月15日
190415 ペットの公園デビュ3
豆柴犬プチを飼い始めて私の生活は一変した。先日、私が幹事として大学同期会(於:東京霞が関ビル)を取り仕切ったが、卒業後60年でも、まだ意気盛んな友人もいるが、多くは人生に疲れて余生を持ち余している者が多かった。3時間余りのランチと歓談を終えて、記念写真を撮り閉会したが、仲間達が日比谷公園を散策しようという話になった。しかし私は参加できず、1時間半かけて愛犬の待つ自宅に舞い戻った。
帰宅して玄関ベルを鳴らすと、待っていたとばかりにプチの悲鳴が聞こえる。直ぐに散歩に連れ出して思う存分は走らせたが、プチには散歩が最大の生き甲斐なのだ。雨の日も風の日も朝夕の散歩は欠かせず、友人知人との飲み会にも殆ど参加できず、増して一泊旅行など絶対に不可能となった。その点 トイプードルなどの超小型犬は天候が悪いと室内で用足しも可能なので、近年小型犬が増えている。兎に角世話の焼ける家族一人が増えた為、世間との付き合いは大いに制限されるが、家庭の会話が格段に増えたのは事実だ。
ペットは飼方ひとつで、その性格が大きく変わってしまう。優しく育てると優しい成犬になり、厳しく育てると顔付きも性格も厳しい犬になる。ペットは誕生以後、殆どの時間が飼い主との共同生活になり他の世界を知らない。学校に通うこともなく、社会の荒波にもまれることも無い。粗相した怒って飼主が愛犬を激しく叩くと、相手は叩かれたことを絶対に忘れず、飼主を避けて心を開かなくなってしまうという。犬との意思疎通にはDog-Foodが最適で、タイミングよく与えれば効果抜群だが、これはなかなかむつかしい。私はエサのやり過ぎを少々反省しており、改善する必要もある。
公園仲間のK(メス)は 当方プチ(オス)によく似て外観は可愛いが、感情を表さず気性が強烈で直ぐに噛みつく。先日も自分の足に絡まったリード綱を飼主が解こうとするとキバを剝いて飼い主に向かって怒る現場をみて驚いた。可愛がり過ぎると我儘な犬に育ってしまうのだ。当方もプチを時折は叱るが優しく育てた為、活発だが性格は極めて温厚になり、メス犬に追っかけられても直ぐに尻尾を巻いて逃げてしまう。実の息子だったら尻をひっぱたいて、逃げるな! 負けるな!と叱咤激励する処だが、勇猛な警察犬にする訳でもなく、相手にケガをさせるよりは逃げたほうが安全と私は思っている。調教師から指導されたように 飼犬は飼主の左側に並んで飼主より前は絶対に歩かせない習慣付けも試みたがこれは本当に難かしく、いつも私の先を引っ張って進んでしまう。走る回ることは彼の最高の楽しみだから、余り窮屈を強いず、好きなようにさせようと諦め気味だ
仲間ペットも段々と増えて30〜40匹にもなったが、付き合いの基本は余り深入りせず、相手の犬はさらっと褒めることであり、悪口は絶対に禁句だ。自分の子供以上に可愛い愛犬をけなされると、殆どの飼主は気分を害してしまう。更に相手の愛犬の名前を間違えないことも重要だが、これが案外難しい。迂闊に間違った名前で呼ぶと、甚だ気まずい思いをする。私は飼主とのペアで覚えるので、相手が子供から親に変わると惑ってしまう。特に数が多い柴犬は体型も似ており、記憶が不確かなことも屡々で、バツの悪い思いをし易い。名前を忘れた時は誰かが呼ぶまで適当に強く待つ以外に対策は無い。しかしユニークな名前は覚え易く 金色の体毛が美しいダックスのローレンちゃんはお似合いだが、優しい柴犬に官兵衛とか、雑種の小型犬にスルメ君などの名前は笑ってしまう。
帰宅して玄関ベルを鳴らすと、待っていたとばかりにプチの悲鳴が聞こえる。直ぐに散歩に連れ出して思う存分は走らせたが、プチには散歩が最大の生き甲斐なのだ。雨の日も風の日も朝夕の散歩は欠かせず、友人知人との飲み会にも殆ど参加できず、増して一泊旅行など絶対に不可能となった。その点 トイプードルなどの超小型犬は天候が悪いと室内で用足しも可能なので、近年小型犬が増えている。兎に角世話の焼ける家族一人が増えた為、世間との付き合いは大いに制限されるが、家庭の会話が格段に増えたのは事実だ。
ペットは飼方ひとつで、その性格が大きく変わってしまう。優しく育てると優しい成犬になり、厳しく育てると顔付きも性格も厳しい犬になる。ペットは誕生以後、殆どの時間が飼い主との共同生活になり他の世界を知らない。学校に通うこともなく、社会の荒波にもまれることも無い。粗相した怒って飼主が愛犬を激しく叩くと、相手は叩かれたことを絶対に忘れず、飼主を避けて心を開かなくなってしまうという。犬との意思疎通にはDog-Foodが最適で、タイミングよく与えれば効果抜群だが、これはなかなかむつかしい。私はエサのやり過ぎを少々反省しており、改善する必要もある。
公園仲間のK(メス)は 当方プチ(オス)によく似て外観は可愛いが、感情を表さず気性が強烈で直ぐに噛みつく。先日も自分の足に絡まったリード綱を飼主が解こうとするとキバを剝いて飼い主に向かって怒る現場をみて驚いた。可愛がり過ぎると我儘な犬に育ってしまうのだ。当方もプチを時折は叱るが優しく育てた為、活発だが性格は極めて温厚になり、メス犬に追っかけられても直ぐに尻尾を巻いて逃げてしまう。実の息子だったら尻をひっぱたいて、逃げるな! 負けるな!と叱咤激励する処だが、勇猛な警察犬にする訳でもなく、相手にケガをさせるよりは逃げたほうが安全と私は思っている。調教師から指導されたように 飼犬は飼主の左側に並んで飼主より前は絶対に歩かせない習慣付けも試みたがこれは本当に難かしく、いつも私の先を引っ張って進んでしまう。走る回ることは彼の最高の楽しみだから、余り窮屈を強いず、好きなようにさせようと諦め気味だ
仲間ペットも段々と増えて30〜40匹にもなったが、付き合いの基本は余り深入りせず、相手の犬はさらっと褒めることであり、悪口は絶対に禁句だ。自分の子供以上に可愛い愛犬をけなされると、殆どの飼主は気分を害してしまう。更に相手の愛犬の名前を間違えないことも重要だが、これが案外難しい。迂闊に間違った名前で呼ぶと、甚だ気まずい思いをする。私は飼主とのペアで覚えるので、相手が子供から親に変わると惑ってしまう。特に数が多い柴犬は体型も似ており、記憶が不確かなことも屡々で、バツの悪い思いをし易い。名前を忘れた時は誰かが呼ぶまで適当に強く待つ以外に対策は無い。しかしユニークな名前は覚え易く 金色の体毛が美しいダックスのローレンちゃんはお似合いだが、優しい柴犬に官兵衛とか、雑種の小型犬にスルメ君などの名前は笑ってしまう。