2022年02月

2022年02月24日

210225 幼児,子供の虐待

幼児や子供の虐待死事件が続いている。野田市の栗原心愛ちゃん(10才)は 義理の父親に虐められ続けて、学校の先生に、せんせい たすけてください、どうにかなりませんか? とメモ書きを渡してたことを知った義父が激怒して、自宅での風呂場で冷水を浴びせて殺されてしまった。 岡山市では、西田真愛ちゃん(5才)が 母の交際相手の義父に虐待され 布団に巻かれて押し入れに押し込まれたまま 低酸素脳症で死亡した。誠に哀れという言葉以外に表現しようのない事件である。更に義父は その虐待場面をスマホに録画していたと聞くと 全く言語道断であり、我が子を犬や猫と同じように虐める、ヒトの行為とは言えない虐待事件だ。
                                     
中国では、父母が血縁関係の無い 幼児を大事に育てる実話を何度も聞く。終戦時に中国に残された日本人幼児が 中国人の養父母に大事に育てられ、成人して来日して実親に会った時、中国の育て親の恩は忘れられない話していた。現代でも、跡継ぎ不在の農民が、誘拐児として買った他人の幼児を養育するケースが多々あるが、成人になった幼児達が 自分を誘拐児だと知って、実の親を探し出して面会した時に 泣きながら、育ての親を見捨てることが出来ないと嘆く姿をテレビでみると、中国人の愛情の深には感動させられる。                                 
                        
なぜ日本の若い義父は 可愛い幼児を虐待するのだろうかと不思議に思う。犬は飼い主から一度でも叩かれると 決して忘れないが、ヒトも同じで、幼児期に受けた虐待は 成人しても決して忘れず精神に残り 当人の性格を左右する。

10年以上昔のテレビ番組に、大酒飲みで塗装職人だった ビートたけしの父親が 50才の時に生んだビートたけしに暴力を振るい、家が破産して たけしと母親が夜逃げする番組だった 。恥ずかしい話だが 私の父親も よく似て暴力を振るう酒飲みだった。晩秋から4ケ月間は 山陰の酒の醸造所に杜氏として長期間 出掛けるが、春には恐ろしい父が帰ってくると 途端に我が家の雰囲気は一変して 厳しい雰囲気に変わる。いつも母親は懸命に庇ってくれたが、我々兄弟は父親が大嫌いになった。                            父は私の人生の反面教師となり 優しい親になろうと決心した。私は非常に用心深い性格になり 何事も表立って行動することは避けて 目立たない所で何倍も努力をする人間になった。80代半ばの超高齢になった今でも、私は父の暴力を忘れられない。
                                          
日本の若い父親に必要なことは、受験勉強や知識技術ばかりではなく、他人の痛みを思いやる情操教育が不足していると思う。日本の若者は過保護に育てられ、困れば生活保護さえ受けることができる。もっと痛みや苦しみを実体験できる人間教育が必要であり、同時に苦しみにも耐える厳しい軍事訓練が必要だと私は思う。

mh3944 at 10:11|PermalinkComments(0) 政治 

2022年02月11日

220212 表意文字と表音文字 

北京の冬季オリンピック開会式は 過剰な演出もなく、納得できる内容だった。15年前の北京夏季オリンピックは、中華民族の歌劇な礼賛と賛美に世界は辟易したが、今回 その繰り返しだけは勘弁願いたいと思っていたが、中国も成長したようだ。  

私が大きな関心をもったのは 入場行進プラカードに書かれた参加国名を表記する中国語であり、色々苦労している様子が伺えて面白かった。 例えば:
(日本) → 日本  (米国) 美国、 (英国) 英国、 (仏) 法国、 (独) 徳国、 (イント) 印度 (韓国) 韓国 (北朝鮮) 北朝鮮 (蒙古) 蒙古 (タイ) 泰国   などは 日本とよく似た表記法だが、      
                                                                              
(カナダ) 加拿大 (イタリア) 意大利 (スイス) 瑞国 (ポルトガル) 葡萄牙 (オ-ストラリア) 奥大利並 (オ-ストリア)奥地利  (ガーナ) 加納  (サモア) 薩摩並 (イラク) 伊拉克 (インドネシア) 印度尼西, (アルゼンチン) 阿根延  (マレーシア) 馬来西並などなど なかなか苦労しているようだ。
                                           
日本漢字や中国漢字は 文字自体が意味をもつ表意文字であり、一見して意味が分かる便利さはあるが IT化には余り使い易くない。 逆にアルファベットは表音文字で、文字自体には意味がないが IT化には使いやすい言語といえる。 日本語は 表意文字の漢字と 表音文字のカタカナ,ひらがなを 併用する珍しい国で、 どんな外来語でも簡単に表記できるが 表意文字だけの中国漢字では 外来語を表示するにはかなり不便であり 例えば、 ロシアは露西亜, マレーシアは 馬来西亜 など似た発音の漢字を配列して表現し、表意文字の意味とは全く無関係である。
                         
言語としての厳密さから言えば、英語はかなり正確な言語であり、逆に日本語は本来曖昧でビジネス用語には適していないが、俳句など文学作品には大きな効果を発揮する。まだITが始まる半世紀ほど昔 確か伊藤忠商事だったと思うが、社内用語に 漢字をやめて全てカナ文字に統一したが、大混乱を招いて直ぐに中断した事件があった。表意文字の重要さを軽視した為だ。 中国語は日本語より正確だが 英語には敵わない。その意味から 中国が世界最大のGDP国に成長しても、自国言語が国際言語として 世界に受け入れられるのは困難で、やはり英語がビジネス用に使用され続けることだろう。
                                         
お隣り朝鮮のハングル文字は 15世紀半ばに開発された、母音と子音を組合わせた合理的な表音文字であり、文字を読めなかった庶民にも分かり易い 論理的な書体であるという。日本統治時代に漢字が普及し始めたが、終戦後は再びハングル文字に戻り、国際面では孤独でユニークな文字である。もし漢字を使い続けていたら、日本,中国,韓国は共通漢字を使う最大のグループになっていたかも知れない。  
                                            
複雑すぎる漢字を簡略化する目的で 中国は繁体文字を大胆に簡略化した簡体文字に切り変えたが 日本漢字と共通する略字も多い。逆に日本と中国で意味が全く違う漢字もあり、例えば 日本語の汽車は 中国語では自動車を意味し、汽車は中国語では火車と表記するなど 極端な事例もある。 更に行政上でも 、日本では岡山県倉敷市は、中国では岡山市倉敷県と逆に表示する。多分文明の交流黎明期に 間違って伝えられたのだろうか。兎に角 中国と日本は 同じ漢字を使うグループだから、友好関係も維持したいものだと願っている。    
        





mh3944 at 11:29|PermalinkComments(0) 雑感 

2022年02月07日

220207 テレワークも厳しい

コロナ対策でテレワークが普及すると、自宅業務に苦しむ者、喜ぶ者など喜悲こもごもとなる。 私の現役時代は、殆ど仕事せずに口先一本で生き抜く茶坊主連中が社内にゴロゴロいたが、近年のテレワーク大津波で絶滅したことだろう。 会社の事務部門は省力化が進んで人影が消えたが 問題は間接部門の省力化であり、特に企画部、調査部など茶坊主が多い部門は、自宅作業で大きな成果を出すのは至難であり、テレワークは退職打診の意味も含まれて 当人は落胆することだろう。           
                                       
合弁会社時代に、上司の米国会長は私に、何故日本は頻繁にユーザー訪問を繰り返すのか、もっと資料やカタログを活用して 効果ある訪問するよう再三指導した。広大な米国では、個別案件でユーザー訪問を繰り返することは少なく、まず資料を送って電話で説明するのが一般的で、ユーザー訪問を繰り返すのは 時間と費用の無駄だと会長は力説した。 私は商談を成立させる為に頻繁な面談も必要なのだと説明したが納得しなかった。しかし最近のユーザーは単なる御用聞き訪問には付き合ってくれない傾向になった。.
                                                                         
PC相手に終日思案しても成果の少ない一日が多い。やはり新アイデアは仲間との雑談や意見交換が大きなヒントになる。社交性が無く田舎者の私は 独力で仕事する習慣は身についていたが、それでも連日のテレワークは 社会から疎外された気分にもなる。その意味から 仕事仲間と交流できる郊外サテライトが必要だと思う。 テレワークに耐えられない社員が転職を考えても、年配者の再就職は非常に厳しく、年功だけの事務系社員はテレワークで淘汰されるのは確実である。 茶坊主とリップサービスだけで生きる時代は終わったと諦めることだ。 
                                       
半世紀前までの日本は 事務系サラリーマンが花形であり、技術系社員は出世には無縁な職場だった。有名私大卒の私の友人は 技術系を極度に嫌う親には文系学部だと4年間も偽り通して 工学部を卒業した強者がいる。確かに昔の大会社は 事務系職場が中核だったが 近年の調査部などは AIコンピュターに代替されつつある。この厳しい時代に大会社で生き残るには、自己能力をフルに生かしたアイデアで戦う以外なく、やっと技術系社員の出番が来たといえる。新時代に適応できないサラリーマンは自営業で生きるか 静かに消え去るのみである。 快哉! 

mh3944 at 10:54|PermalinkComments(0) 雑感