2023年03月
2023年03月23日
WBCが面白かった
今回のWBCは本当に面白かった。1ケ月前 WBC日本の栗山監督は、強力なメンバーが揃ったので日本は優勝を狙うと豪語していたが 本当に優勝してしまった、準優勝戦のメキシコ戦も2転3転して息を飲むような乱戦だったが6:5で辛勝、決勝は念願の米国戦で、如何に相手の強力打線を封じるかの投手戦となり、遂に3:2で日本が優勝杯を獲得した、共に激戦で、小説以上の逆転劇の繰り返しであったが、 世界中のフアンをテレビに釘付けにし 私も連日大興奮だった。野球がスポーツの王様であることを印象付け、近年人気凋落気味の野球を活性化させた。
60年前の学生時代、私は 稲尾,中西,豊田,大下らの西鉄ライオンズ全盛期に熱烈な野球フアンだった。ライオンズが勝利すると、体調も快調になるほど大きな影響をうけていたが、近年は野球熱も冷めて 毎週の女子ゴルフや 時折大相撲を閑潰しにみる程度になっていた。女子ゴルフは成人式を過ぎたばかりの若い女性でも優勝して2,000万円近い大金を稼ぐチャンスがあり 若者に夢を与えている。 逆に大相撲は 緊張感の乏しい競技だが 最近は国内若手やモンゴル力士も大活躍して、冷遇されていた朝乃山も 幕内に上がり、毎場所 誰が優勝するか予想できない面白い競技に変わった。モンゴルの若者達には 日本の大相撲は 米国メジャーに匹敵する夢の舞台だ。また卓球は世界選手権を中国と日本が争っている世界であり、我々の社会生活にも深く入り込み、多数の選手たちが懸命に頑張っている意味あるスポーツである。
小学校運動会で懸命に走る子供達を見ながら スポーツのできる子供は皆 利口そうに見えるので 多分勉強も良くできるだろうと 私は小学教諭の長女に聞くと失笑され、学業とスポーツは殆ど関係無しと言われてしまった。確かにその通りかも知れず、運動会でいつも後方を走っていた不器用者の私が 大学を卒業して最先端のITを仕事していることを考えると、神様はヒトに二物は与えず バランスを考えているのかも知れない。
陸上競技は最も面白いスポーツで、私は特にマラソンと駅伝が好きだが、女子マラソンには個人的に疑問も持っている。理由は競技が過酷すぎるからであり、乳房豊かな女性ランナーなど見たことがない 。肉体を酷使する女子マラソンは殆ど生理が無いと聞く。モンゴル相撲じだが 陸上競技は体質的に強靭なアフリカ選手等に任せても良いのではないかとも思う。
一般にサッカーや米国フットボールなどはチームで争うスポーツであり、逆に陸上、大相撲、卓球、テニスなどは個人競技のスポーツと言えるが、私はチームで争うスポーツの方が好きだ。理由はフィジカルに加えて戦術戦略も競うスポーツは 内容を濃密にするため、力勝負の相撲等に比べて深みがある。その点 野球は体力と戦略が混合したスポーツかもしれない。フィギュアスケートなどは芸術的な表現力も加味されるので、更に多様な才能と感覚が要求されることになる。
人間社会は基本的に資本と学歴が大きく人生を左右する残酷な世界だが、資本や学歴に無縁でも豊かな運動才能に恵まれた若者は、スポーツ分野で活躍して、生き甲斐を感じ、人間生活を豊かにする 不可欠な職業だと思う。この1ケ月間 夢のようを興奮を世界に与え続けたWBCの3年後の次期開催が楽しみだ。
60年前の学生時代、私は 稲尾,中西,豊田,大下らの西鉄ライオンズ全盛期に熱烈な野球フアンだった。ライオンズが勝利すると、体調も快調になるほど大きな影響をうけていたが、近年は野球熱も冷めて 毎週の女子ゴルフや 時折大相撲を閑潰しにみる程度になっていた。女子ゴルフは成人式を過ぎたばかりの若い女性でも優勝して2,000万円近い大金を稼ぐチャンスがあり 若者に夢を与えている。 逆に大相撲は 緊張感の乏しい競技だが 最近は国内若手やモンゴル力士も大活躍して、冷遇されていた朝乃山も 幕内に上がり、毎場所 誰が優勝するか予想できない面白い競技に変わった。モンゴルの若者達には 日本の大相撲は 米国メジャーに匹敵する夢の舞台だ。また卓球は世界選手権を中国と日本が争っている世界であり、我々の社会生活にも深く入り込み、多数の選手たちが懸命に頑張っている意味あるスポーツである。
小学校運動会で懸命に走る子供達を見ながら スポーツのできる子供は皆 利口そうに見えるので 多分勉強も良くできるだろうと 私は小学教諭の長女に聞くと失笑され、学業とスポーツは殆ど関係無しと言われてしまった。確かにその通りかも知れず、運動会でいつも後方を走っていた不器用者の私が 大学を卒業して最先端のITを仕事していることを考えると、神様はヒトに二物は与えず バランスを考えているのかも知れない。
陸上競技は最も面白いスポーツで、私は特にマラソンと駅伝が好きだが、女子マラソンには個人的に疑問も持っている。理由は競技が過酷すぎるからであり、乳房豊かな女性ランナーなど見たことがない 。肉体を酷使する女子マラソンは殆ど生理が無いと聞く。モンゴル相撲じだが 陸上競技は体質的に強靭なアフリカ選手等に任せても良いのではないかとも思う。
一般にサッカーや米国フットボールなどはチームで争うスポーツであり、逆に陸上、大相撲、卓球、テニスなどは個人競技のスポーツと言えるが、私はチームで争うスポーツの方が好きだ。理由はフィジカルに加えて戦術戦略も競うスポーツは 内容を濃密にするため、力勝負の相撲等に比べて深みがある。その点 野球は体力と戦略が混合したスポーツかもしれない。フィギュアスケートなどは芸術的な表現力も加味されるので、更に多様な才能と感覚が要求されることになる。
人間社会は基本的に資本と学歴が大きく人生を左右する残酷な世界だが、資本や学歴に無縁でも豊かな運動才能に恵まれた若者は、スポーツ分野で活躍して、生き甲斐を感じ、人間生活を豊かにする 不可欠な職業だと思う。この1ケ月間 夢のようを興奮を世界に与え続けたWBCの3年後の次期開催が楽しみだ。
2023年03月16日
人気番組の低落
TBSの人気番組 サンデ-モーニングの視聴率が低下しているという。私も従来は面白く見ていたが 最近は殆ど見なくなった。特に本番番組が無味乾燥な批判の繰り返しばかりで 完全に飽きてまい、後半のスポーツコーナーだけは時々見る程度になった。理由は簡単で、中身の無い評論家意見の繰り返しで マンネリに過ぎることである。
先週は、我国政府の原子力政策見直しを厳しく批判する内容だった。田中優子女史が、危険な原子力路線から離れて再生可能エネルギーに転換すると声明した政府は 余りにも簡単な原発回帰であり、原子炉の使用期間も60年間に延長、新規原発の開発も進めるとの方針への大転換を激しく非難した。非難するのは勝手だが 非難の念仏だけなら子供でも出来ることであり、対策 or 提案が全く無いのは情けない。
例えば太陽光発電の増設がひき起こしている国土荒廃に如何に対処するか、一言ぐらい触れてもよさそうだと思うが何も意見が無い、晴天昼間だけの太陽光電力の、夜間電力はどう調達するのか、アイデアだけでも触れてよさそうだが、子供のワメキ同様で提案は無かった。或いは風力発電は 三菱商事がコスト激減の計画を発表して立派だが 我国には風力発電の適地が非常に少ないことだ。昨年の欧州は無風気味で発電量が激減し困った事実もあるが、日本でも風が吹かなかった場合の対策をどうするか、アイデア程度でも言ってほしかった。
更に原発の放射性廃棄物処理は未解決であるが、生残り策の無い地方自治体は本気で検討を進めている例もあると聞く。原子力に頼る以外に対策の無い我国は如何にエネルギーを調達するか触れないのは、全く無駄吠えであり、オピニオンリーダーとして恥ずかしい限りだ。
私個人の意見を言えば、天然ガスといえども資源枯渇問題に必ず繋がる為、我国は原子力に頼る以外に生きる道がないと確信している。事故発生の可能性が理論的には殆どゼロと言われる大洗町の次世代高圧ガス発電は、我国の子孫繁栄の為にも精力的に進めるべきだと思っている。
放射性廃棄物の最終処理は世界的な問題であり、例えば英仏豪日が相談して、広大な未開拓荒野をもつ豪州大陸に 共同で廃棄物埋設場を設置して、豪州に使用料を支払うことも、あり得るかも知れない。我々は福島原発事故で大きな被害を被ったが その学んだ事故対策を糧として、より安全な原発活用アイデアを具体化する以外に生きる道は無いと私は思っている。
先週は、我国政府の原子力政策見直しを厳しく批判する内容だった。田中優子女史が、危険な原子力路線から離れて再生可能エネルギーに転換すると声明した政府は 余りにも簡単な原発回帰であり、原子炉の使用期間も60年間に延長、新規原発の開発も進めるとの方針への大転換を激しく非難した。非難するのは勝手だが 非難の念仏だけなら子供でも出来ることであり、対策 or 提案が全く無いのは情けない。
例えば太陽光発電の増設がひき起こしている国土荒廃に如何に対処するか、一言ぐらい触れてもよさそうだと思うが何も意見が無い、晴天昼間だけの太陽光電力の、夜間電力はどう調達するのか、アイデアだけでも触れてよさそうだが、子供のワメキ同様で提案は無かった。或いは風力発電は 三菱商事がコスト激減の計画を発表して立派だが 我国には風力発電の適地が非常に少ないことだ。昨年の欧州は無風気味で発電量が激減し困った事実もあるが、日本でも風が吹かなかった場合の対策をどうするか、アイデア程度でも言ってほしかった。
更に原発の放射性廃棄物処理は未解決であるが、生残り策の無い地方自治体は本気で検討を進めている例もあると聞く。原子力に頼る以外に対策の無い我国は如何にエネルギーを調達するか触れないのは、全く無駄吠えであり、オピニオンリーダーとして恥ずかしい限りだ。
私個人の意見を言えば、天然ガスといえども資源枯渇問題に必ず繋がる為、我国は原子力に頼る以外に生きる道がないと確信している。事故発生の可能性が理論的には殆どゼロと言われる大洗町の次世代高圧ガス発電は、我国の子孫繁栄の為にも精力的に進めるべきだと思っている。
放射性廃棄物の最終処理は世界的な問題であり、例えば英仏豪日が相談して、広大な未開拓荒野をもつ豪州大陸に 共同で廃棄物埋設場を設置して、豪州に使用料を支払うことも、あり得るかも知れない。我々は福島原発事故で大きな被害を被ったが その学んだ事故対策を糧として、より安全な原発活用アイデアを具体化する以外に生きる道は無いと私は思っている。
2023年03月06日
受験シーズンも終わった
やっと受験シーズンも終った。医学部を3浪中の知人の結果は如.何だったかと気掛かりだ。合格なら天にも昇る気持ちだろうが 不合格ならもう死にたい気分だろう。受験失敗で失意の底に落ち込んでいる学生も多いことだろう。超高齢の私も 大昔の受験時代を思い出した。難問の数学が解けず、試験会場の2階から投身しようかと思いつめたこともあった。
しかし受験はまだ人生のほんの入口で、これから長い一生が始まるのだ。真面目に努力すば幸運も必ずやって来る。受験失敗で人生を諦めることは絶対不可。私も色々な幸運と不幸に遭遇したが、総じていえば不幸より幸運が多く、受験会場から飛び降りなくてよかったと思っている。
学生時代の級友達は優秀で、私は楽な大学生活ではなかった、なんとか4年生になり、就職相談の時期を迎えると、級友達は成績順に次々と就職担当の教授室に呼び込まれ 住友化学?or 三菱化成? 東レ? or 帝人……と超大手会社を学生に選択させたが 私だけ何故か声がかからなかった。疑問に思い、就職係に問い合わせると、就職担当のK教授は 私には就職指導しないと言っているとの返事で仰天した。半年前にK教授担当の燃料学目の試験で不合格になった私は, 採点内容の説明を求めてK教授室に伺ったが、学生の身分で教授の採点にケチをつける と激怒されて追い帰された事件があった、そのK教授が就職の責任者だったとは私は全く知らなかった。
結局 私だけ就職先が決まらず このままでは夏休みに帰郷もできないと、一人寂しく研究室で居残り実験しながら悩んでいた。その頃 日本に進出したばかりのJRCコーポレーションという米国系会社の常務が大学にやってきた。採用活動に出遅れた 。もし誰か残っていたら紹介してほしいとの話だった。一人だけ残っていると紹介された私は即座に入社を受諾した。誰も知らない無名会社で 級友達には話せず、有名会社を望んでいた親兄弟も落胆したが、大手より新進企業の方が思いっきり働けるだろうと私は内心では喜んでいた。
そして尼崎駅前のJRC研究所に就職した私は5年間夢中で働いたが、東京に行きたいと思い始め、渾身の論文を書いた提案が認められて、30才の私は憧れの東京本社の企画課長に脱出することに成功したのも大企業ではありえないことだった。私は夢中になって働き続けて40才代半ば、全く偶然に慶応大学病院神経内科の懇意な先生が 私の脳腫瘍を発見して、即時 慶大病院に入院して摘出手術を受けた。もし尼崎研究所生活が続いていたら、脳腫瘍の発見も遅れて 確実に半身不随の後半人生になっていただろうと思う。
しかし会社中枢の企画部長が 脳腫瘍患者ではシャレにもならないので、私は本社企画部長を辞めて、社外に出ることを決意し、米国医療診断薬メーカーD社との合弁会社NDPC社を設立して出向し、50才で合弁会社社長として、未知の臨床検査業界に飛び出した。そして10余年間、世界を股に活動して退職したが、まだ元気満々なので 半導体製造機器メンテ会社を設立し、自営会社の社長として存分に働き、家族運にも恵まれて 85才で完全引退した。
受験生諸君にアドバイスしたいことは、大学受験は人生のほんの入口である。窮屈な医師で我慢しなくても、ITエンジニアなどもっと自由に働き稼げる。人材の詰まった大企業より中堅企業のほうが存分に動ける。民間企業なら東大卒でなくても 何不自由なく持てる力を発揮できる。長い人生では次々と不幸の嵐も吹くが、諦めなければ幸運もやってくる。 忍耐心をもって努力すれば道は必ず開け、チャンスも見えてくる。大切なことは、親しい友人知人網を多数持ち、仲間の意見を聞き相談しながら難局に対策することだ。相談すれば素敵なアイデアも生まれて、人生の大嵐は殆ど乗り切れるということである。
しかし受験はまだ人生のほんの入口で、これから長い一生が始まるのだ。真面目に努力すば幸運も必ずやって来る。受験失敗で人生を諦めることは絶対不可。私も色々な幸運と不幸に遭遇したが、総じていえば不幸より幸運が多く、受験会場から飛び降りなくてよかったと思っている。
学生時代の級友達は優秀で、私は楽な大学生活ではなかった、なんとか4年生になり、就職相談の時期を迎えると、級友達は成績順に次々と就職担当の教授室に呼び込まれ 住友化学?or 三菱化成? 東レ? or 帝人……と超大手会社を学生に選択させたが 私だけ何故か声がかからなかった。疑問に思い、就職係に問い合わせると、就職担当のK教授は 私には就職指導しないと言っているとの返事で仰天した。半年前にK教授担当の燃料学目の試験で不合格になった私は, 採点内容の説明を求めてK教授室に伺ったが、学生の身分で教授の採点にケチをつける と激怒されて追い帰された事件があった、そのK教授が就職の責任者だったとは私は全く知らなかった。
結局 私だけ就職先が決まらず このままでは夏休みに帰郷もできないと、一人寂しく研究室で居残り実験しながら悩んでいた。その頃 日本に進出したばかりのJRCコーポレーションという米国系会社の常務が大学にやってきた。採用活動に出遅れた 。もし誰か残っていたら紹介してほしいとの話だった。一人だけ残っていると紹介された私は即座に入社を受諾した。誰も知らない無名会社で 級友達には話せず、有名会社を望んでいた親兄弟も落胆したが、大手より新進企業の方が思いっきり働けるだろうと私は内心では喜んでいた。
そして尼崎駅前のJRC研究所に就職した私は5年間夢中で働いたが、東京に行きたいと思い始め、渾身の論文を書いた提案が認められて、30才の私は憧れの東京本社の企画課長に脱出することに成功したのも大企業ではありえないことだった。私は夢中になって働き続けて40才代半ば、全く偶然に慶応大学病院神経内科の懇意な先生が 私の脳腫瘍を発見して、即時 慶大病院に入院して摘出手術を受けた。もし尼崎研究所生活が続いていたら、脳腫瘍の発見も遅れて 確実に半身不随の後半人生になっていただろうと思う。
しかし会社中枢の企画部長が 脳腫瘍患者ではシャレにもならないので、私は本社企画部長を辞めて、社外に出ることを決意し、米国医療診断薬メーカーD社との合弁会社NDPC社を設立して出向し、50才で合弁会社社長として、未知の臨床検査業界に飛び出した。そして10余年間、世界を股に活動して退職したが、まだ元気満々なので 半導体製造機器メンテ会社を設立し、自営会社の社長として存分に働き、家族運にも恵まれて 85才で完全引退した。
受験生諸君にアドバイスしたいことは、大学受験は人生のほんの入口である。窮屈な医師で我慢しなくても、ITエンジニアなどもっと自由に働き稼げる。人材の詰まった大企業より中堅企業のほうが存分に動ける。民間企業なら東大卒でなくても 何不自由なく持てる力を発揮できる。長い人生では次々と不幸の嵐も吹くが、諦めなければ幸運もやってくる。 忍耐心をもって努力すれば道は必ず開け、チャンスも見えてくる。大切なことは、親しい友人知人網を多数持ち、仲間の意見を聞き相談しながら難局に対策することだ。相談すれば素敵なアイデアも生まれて、人生の大嵐は殆ど乗り切れるということである。