2023年08月

2023年08月21日

ウクライナ戦争の行方

先日のテレビで、日本は米国に勝つ見込みがないにも拘わらず 対米戦争を開始して 膨大な犠牲者を出す迄 和平停戦を実現できなかった経緯を 某氏が語っていた。当時の複雑な国内外状況を簡単に説明することは不可能だが、天皇の権威をしても 軍部の暴走を抑えることはできなかった。226事件が発生して国内の対立が決定的になり、昭和天皇は 軍部の中核 東条英機を満州から呼び戻して 内閣首班に指名して和平戦略に転換するよう要請したが、東条は満州関東軍を抑えようとはしなかった。                                          
                                     
圧倒的に強力な米国と戦っても、日本は勝てないことを軍部も知っていたが、石油輸入を米国が全面禁輸し始めると 日本は絶体絶命に陥った。米国の世論はまだ参戦することに躊躇していたこの段階で 日本軍は満州から撤退する方針を表明すれば和平の機会はあったが、年末に日本軍が真珠湾を奇襲攻撃したことで 米国世論が激高して 本格的な日米戦争となった。米国から輸入が出来なくなった石油を インドネシアから直接輸入しようと計画したが、ガダルカナル海戦で日本海軍が大敗して制海権を失ない、石油輸入の手段も失ってしまったという。
                                            
実は、ロシアのプーチンも東条英機と似た立場なのではないかと 私は思い始めた。プーチンは 友好国が次々とロシアを見捨て,ヨーロッパEUに加入し始め、ロシアとは親子以上の関係とも言われたウクライナまで、NATO加入の動きを見せ始めた為、これではプーチンの面目は丸潰れだと、自信の大戦車軍団を、首都キエフに進撃させて一週間で攻略し、1ケ月以内に全ウクライナを占領できると信じて、誰も予想しなかった戦車軍団をウクライナに突進させた。
                                             
しかし喜劇役者だと思っていたゼレンスキーは、敢然と立ち向かって抵抗し始め、米国,ヨーロッパ諸国の全面的な援助で猛烈に反撃を開始した。手元に核ミサイルを持つプーチンは 自分が敗北することはあり得ないと思っていたが、開戦して1年半が経過した今日、ロシア軍は敗色濃厚になってきた。このまま戦争を継続すると プーチンは全人類の敵になり 核ミサイルで大打撃を与えることはできても、核反撃を食らってプーチン自身も悲惨な結末になる可能性を予感している。   
                                                                              
プーチンは 太平洋戦争の東条英機と似た状況ではないかと私は思う。東条英機とプーチンの違う点は、マスコミに踊らされた日本国民は軍部を支持していたが、ロシア国民はウクライナ戦争の真相を知って嫌悪し国外に脱出し、ロシア兵自体もこの戦争の無意味さを感じて 戦闘継続に意欲を失っていることである。更にロシアは 自国領土を全く失っていないことも和平提案ができる立場にある。
                                                      
プーチンの課題は、戦争目的がネオナチ撲滅である という詭弁を取り消して 国民に謝ることだけである。世界の国々はウクライナ戦争に反対しており、 プーチンは自国民とウクライナ人に対して悲惨な殺戮を続けていることを理解すべきである。このまま戦争を継続すると、プーチンは益々追い詰められて ロシア国民から完全に見放されるだろうが、ひとこと 停戦意思があることを表明すれば、世界のリーダー達は歓迎して、プーチンに致命的な屈辱を負わせることなく 具体策な停戦案を提案してくれるだろう。

mh3944 at 10:08|PermalinkComments(0) 政治 

2023年08月15日

マウイ大火災とジャンボ宝くじ

ハワイのマウイ島が大火災に襲われた。100人の焼死者と1,300人の行方不明者が出ていると テレビは報じている、運悪くハリケーンに煽られて、マウイ島中心街は完全に灰燼に帰し、クルマ逃避中に火災に巻き込まれたカップルが 死にたくな~い! と悲鳴を上げていた、他人事ながら本当に悲しい大惨事である。私も個人的にハワイには深い因縁がある。マウイ島には会社の研修会で何回も訪問し、オアフ島には年賀ハガキの1等賞が当選し 家族でハワイ旅行を満喫して以来、快適な海外旅行に病みつきになり 何回もハワイ旅行を繰り返すことになったが、今回のマウイ大惨事には非常に驚いている。
                                         
話は変わり 政府のドリームジャンボ宝くじは 1等賞3億円が13本、前後賞1億円が26本、最高は 1等賞3億円+前後賞2億円で合計5億円の巨額賞金を手にできるからもの凄い。当選者は危険を恐れて絶対に名乗り出ないが、これほどの大金を突然手にした幸運者の多くには 幸福な事件ではなく、怠惰で平穏な人生か 悲劇的な後半人生に陥ってしているらしい。週刊誌情報だが、多くは贅沢病に取りつかれて お金を使い切ってしまい人生が破綻するケースが殆どらしい。もし私が5億円の大金を入手しても、全額貯金することはまずあり得ず 狙い澄ました筈の株式投資で大失敗するか、新プロジェクトを始めて家族を大混乱に巻き込み 不幸な人生に追い込むことに多分なるだろう。超高額な最高賞金は、社会学者のお偉い先生方のご意見で決まったのだろうが 政府は国民を不幸にする政策を実行している訳である。
                                          
私の提案だが 賞金額を劇的に下げて当選本数を増やし,3億円x13本 →3千万円x130本、前後賞1億円x26本→1千万円x260本に修正しては如何だろうかと前々から思っている。最大賞金は5千万円に下がるが 当選者は13名→130名に増加するほうが、多数の日本国民を幸福にすると私は思っている次第。或いは更に賞金レベルを下げて、最大賞金者を1千万円にして 当選者を650名に増やしてもよい。1千万円程度の賞金なら 会社員の定年退職金が増加した感覚で、人生を狂わすことは殆どあり得ないだろう。
                                      
一般国民の射幸心を煽ると 悲惨な結末に追い込む危険性が非常に大きいと思う。それよりも精々ハワイ旅行程度の小さな幸せを最大多数の国民に提供するべきではないだろうか。  

  



mh3944 at 09:57|PermalinkComments(0) 雑感 

2023年08月03日

白内障の手術 

先日 私は左目の白内障手術を受けた。右目は65才の時 白内障手術を受けて良好だが、20年も経過すると 今度は左目も悪くなった。 白内障とは眼球の水晶体レンズが白濁して見え難くなる病気で、専門医から、今が最後のチャンス、90才になると手術はできないと脅迫されて決心した。
                                           
重大な手術にもかかわらず 入院ナシの外来手術で 30分で終わる。 内容はこの水晶体レンズを、新しいプラ製レンズに置き換える手術で、顕著な効果と長い実績がある。眼球全体を部分麻酔して、外側の角膜を少し切り開いて 水晶体部分を超音波粉砕して摘出し、代わりのプラ製多焦点レンズを挿入して終わる。当日の患者は5人で私が最後だったが 一度経験済みでもあり、気楽な気分で待機したが、自分の番となると流石に緊張して手術室に入った。
                                          
部分麻酔しても視界はあり 医師の動きと小さなメスが見えて緊張した。少しオーバーに表現すると、死刑囚もこのような気分になるのだろうかと思ったが、突然視界が消えて真っ白になり メスを感触した。痛みは無いが、水晶レンズの粉砕と ゴロゴロした小片を吸い出して洗浄し、新レンズが挿入されたようだった。暫くすると 手術終了です と医師が告げた。現代医学の進歩に ただ感謝するだけだった。近年は 循環器系のカテーテル手術も外来になりつつあると聞くが、白内障も多くの眼科医が外来手術する時代になった、しかし地方ではまだ2泊3日の入院治療だという。片目では街中を歩けないので、タクシーで帰宅したが、流石に感染予防は不可欠で, 2時間毎の頻繁な眼球消毒が必要で、3日間ほど外出禁止を要請された。
                                         
その昔 右目手術をして20年が経過した高齢の私は 幸いにも健康な毎日を暮らしているが、流石に体力は低下し 足腰も弱まってきた。特に朝夕の柴犬散歩の時、転倒しないように注意している。高齢者が転倒骨折して2~3週間も入院すると、筋肉が衰弱して普通の歩行に戻るのが困難になり 老化が一気に進むので絶対に転倒しないようテ レビも言っている。日本人の平均寿命は 男81才 女86才でも、終わりの10年間は 病気に苦しむ年月と言われる。幸い私は大病にも罹らず健康を維持しているが、家内は 転倒しないように 毎日執拗に繰り返している。     
                                          
確かに、近隣の同輩友人の殆どは既に逝去か病床に伏しており、ごく少数が健康で残っている感じもする。親友の化学会社工場長Nさんは肺がんで10年間苦しみ逝去、秀才で大学教授のAさんは肝臓がんで逝去、 都庁幹部のMさんは心臓マヒで出勤前の朝食中に急死、 大手都銀専務のWさんも肝臓がん、住宅融資会社のKさん夫婦は殆ど相次いで急死。私大理事長夫人も肺がんで先月逝去、大手商社部長で雄弁なMさんは既に痴呆状態で歩行不能、などなど私と同年の多数は重病を患い、80の壁は簡単には越えられないようだ。 
                                                                                                            
私は若い時に脳腫瘍を患ったが 都心 の有名なK病院脳外科で摘出手術に成功し、その後は 精々 高血圧症程度で済んでいるが、体力は確実に低下しつつあり、身内関係者に迷惑をかけないように 余生を無事に生きようと思っている次第。


mh3944 at 10:40|PermalinkComments(0) 健康