2023年11月

2023年11月14日

巨大企業より自由企業 

傘寿半ばを越えた私は、自営オフィスを閉めることにした。定年退職後、精密機械業やIT業務を自営してきたが、85才を超えると流石 意欲が陰りがちになり、遂にオフィス生活から引退することにした。同期の大半は既に逝去した今、私も周囲に迷惑をかけないことに徹しようと思っている次第。
                                           
大学卒業の時、同期生は全員 三菱,三井,住友,旭化成,東レ,ブリジストン….と 超巨大企業に就職し既に引退したが、私は小型の日米合弁会社JRCに入社した。友人は呆れ顔, 親兄弟も渋い顔だったが, 私は大会社では窒息することが怖かった。JRCにも既に強力な京大OBが多数いたが、雰囲気が自由で 私は夜間の神戸大学経済学部に通って 本格的な企業経営を勉強し、論文をJRC社長に提出して目に留まり 研究室から脱出して 東京本社企画部に転籍した。
                                                       
東京では広範に動いたが、運悪く脳腫瘍(挟)と判明して 慶大脳外科で摘出手術を受け 幸運にも退院できた。しかし 企画部長が脳腫瘍とは恰好悪く、心機一転して 米国臨床検査薬D社と合弁会社(50人)を設立して その社長に就任して本社を離れた。そこでは若手社員の大活躍と 欧米関係会社との頻繁な交流で自由奔放に活動できた。しかし技術革新の大波が来襲して、試薬中心の臨床検査は 全自動検査機器の時代に突入して、エレクトロニクス主導の世界になり、化学屋の私は定年で引退した。
                                             
しかしまだ気力十分の私は、精密機器の保守点検会社を起業して、米国大手半導体機器メーカーS社の機器保全業務を長年担当したが、S社が日本に自社工場を建設した為、我々の保守代行業は終了した。丁度その年、東日本大震災が発生して 危険を感じた私は 都心事務所を脱出して 郊外のオフィスに移転し、自動臨床検査センターの保守管理業を始めたが 10余年が経過した時 ロボット更新と工場移転となり 我々の業務は終了した。いま私は自宅でPC相手に 人材不足時代に備えて 無人ホ-ムペ-ジ営業の開発に注力している次第。                                                 
                                              
時代は大きく変わった現代は 次々と技術革新の大波に襲われる時代である。もし私が大企業に入社していたら 孤独な担当部長で とっくに引退し 今頃は長すぎる余生に苦しんでいることだろう。或いは脳腫瘍の発見が遅れで 身体不自由な後半生になっていたかも知れない。凡才だが意欲だけ強い私は、大企業ではなく 新生の外資JRC をスタート台に、世界を股に活動して、傘寿半ばを超えた今でも IT業務を続けている。新聞情報では、今日でも学生達は圧倒的に大企業を希望していると聞くが 大企業だから安全は絶対ではありえない。現代は激動の時代で 世界最大のトヨタも 目前に巨大なEV大津波が来襲して、明日は没落する危険な時代になったことを後輩諸兄は十分理解し 悔いのない進路を選ぶべきだと私は思う。


mh3944 at 12:53|PermalinkComments(0) ビジネス 

2023年11月01日

私の恒例行事

今年の夏は本当に暑かった。我が家の柿木も精力が尽き果てたらしく,子孫を残すべき種も殆ど無かった。東北ではドングリが実らず、飢えたクマが人里で騒動を起こしていると聞くが、多くの植生も猛暑の被害を被っているようだ。      
                                
柿が赤くなると 待ち構えていた野鳥達が暗い内からやってきて騒ぐので、食い荒らされる前に 私は早めに収穫を始めた。長い鋏棒で一個ずつもぎ取り、ビニール袋に入れていると、学校帰りの小学生の声が聞こえてきた。声をかけると2人が駆け寄ってきた。今年は出来が悪くてごめんね!と言いながら、5個づつビニール袋に入れて渡すと、柿だ! 柿だ〜! と叫びながら、袋を振り回して走って帰った。高級果物とは言えない柿を 近隣のベルを鳴らして配るのは照れ臭く、私は無言で玄関ノブにビニール袋を掛けておくが、無事に受け取ったか否かの確認ができない不安がいつもある。
                                     
まず最初の一袋を近くの柿好き親友宅に持参すると、丁度庭にいた奥さんが走り寄ってきて、あ〜ら今年も忘れずに有難う!と嬉しそうに受け取った。 続いて2軒目も奥さんが車で帰宅したところだった。苦笑いしながら 僅かで済みません!と柿袋を手渡すと いえいえ大好物でいつも有難うございますと応え、庭で採れた曲がったきゅうり2本を頂いた。
                             
3軒目は回り道して4年生宅に行ったが、留守だったので玄関ノブに掛けておいた。しかし数日経っても何の反応もなく、さては誰かに盗まれたか?と不安だった。そして翌々週の朝 子供に同伴して登校する若奥さんと出会い お互いに軽く挨拶を交わしたが 何の言葉もない, やはり渡っていない!と思っていたら急に奥さんが引き返してきて、先日は美味しい柿をありがとうございましたという。これで私の心もやっと晴れた。粗品の柿でも 一言お礼を聞くと嬉しいが、何の反応もないと気分が晴れない。とっくに傘寿超えた私も 悟りの境地にはほど遠いことを痛感する。
                                  
残りの2軒には玄関ノブに下げておいたが、夕方各々からお礼の電話があった。翌朝のペット散歩帰りに、息子が医学部受験で2浪し気落ちしている若い父親に出会った。柿があるよ!声かけて一緒に帰宅し 袋を渡すと嬉しそうだった。医学部だけが人生でないと思っているだろうか。翌々日の夕方 保護犬2匹を散歩する顔見知りの高齢女性に会ったので、 3個ほど渡すと子供のように喜んだ。思いがけない突然のプレゼントは大人でも子供でも嬉しいものだ。
                             
家内は 柿程度では相手に迷惑なので 来年からは止めようと毎年繰り返すが、田舎育ちの私は、隣家から柿やスモモを貰った喜びは 80年経った今でも忘れられない懐かしい記憶であり なかなか止められない。人間関係が希薄な今日、住宅街でも殺風景な雰囲気になり易いが、 少々面倒な柿配りを終えると 心が少し暖かくなる。子供達は嬉しいだろうが、親はお礼をどう言うか知らん顔するか 内心では悩んでいるかもしれない。かくして今年も 秋の 柿配り行事 は終わった。      

 


mh3944 at 06:14|PermalinkComments(0) 雑感