2011年11月14日
111114,暗かった高校時代
都心から郊外の自宅近くに会社を移して、私は職場と住居が極端に近くなったが、それでも早起きは直らず、普通のサラリーマンと同じく毎朝7時過ぎに自宅を出る。そして彼らが最寄りの駅で電車に待つ間に、私はもうPCを開いている。当然事務所には一番乗りで、暫くは誰も出てこない。
短い出勤途上だが、近くのA高校生の逆向きラッシュと行き交う。A高校はレベルは余り高くない普通高校で、国立大学には数人しか進学せず、殆どが私大狙いだ。自転車で通う生徒も多いが、楽しそうにお喋りしながら群れ歩く集団、携帯を見ながら黙々と行く女生徒、イヤホンを聞く者など色々だが、なかには受験本らしきを見ながら通学する者もいる。各人」各様だが心中には色々な悩みを抱えているに違いない。私にも無我夢中だった田舎の高校時代の苦しい思い出がある。
私の中学校では、出来る生徒は汽車で下松工業専門高校に通うが、私は最寄りのK普通高校に中古自転車で通うことになった。何が普通なのかは殆ど理解していなかったが、大勢が行くから私も行くことにしただけだ。
家督は長男が嗣ぐもので、3男坊の私は地元に居続けることは出来ない雰囲気は分かり始めていた。仮に狭い土地を分与して貰っても農業は単調すぎて気短な私にはとても似合わないと思っていた。しかし高卒で就職先を探しても自分に何か特技がある訳でもなく、やや離れた海岸近くの平生から曽根にかけて塩田地帯があり、枝条式とか流下式とか言う新しいヤグラを組んだ製塩工場があり、そこなら就職できそうだという噂も聞いていた。しかし仮に製塩工場に就職していても、日本の製塩業は輸入岩塩に押されて直ぐに全滅する運命にあり、私も解雇されるのは必定だったが、無知な田舎の青二才にそのようなことは分かる筈もなかった。
K高校2年になって何となく周囲が騒がしくなり始め、先生が受験とか進学について度々話し始め、模擬試験とか補修授業を繰り返されて、やっと大学受験が迫っているのを身近に感じ始めた。確か同級生の1割程度が大学進学する時代だった。
唯一の受験雑誌の蛍雪時代を買って、大学案内を読み、毎夜12時半から始まる文化放送の旺文社の受験講座を布団の中で聞いた。難問の英語は読解、文法、英作文と参考書は買い揃えたが、何から手をつけてよいか分からず、豆単の丸暗記に絞った。難しい数学は半ば諦め気味で、化学は教科書を頭から丸暗記することに努めた。
進学先は地元の山口大学の経済学部辺りかと思ったが、二期校なので一期校は広島大学かと考えていた。 高校二年の秋、毎年の修学旅行があり、京都旅行がお決まりだが、我が家はそのお金を工面できそうになかった。しかし幹事の同級生に、金が無いので不参加と言えず、何か適当な言い訳を考えていたが、結局京都大学を受験するので、合格すれば毎日京都見物が出来るので、京都旅行には行かないと説明した。少し本気だが殆どは言訳で、今の官僚の説明に似ている。しかし私は大きな疎外感に襲われた。後年聞いた話では、私を苦しめた修学旅行不参加は結構多かったと知り、あれほど恥ずかしさに悩むことはなかったのにと後悔した。
高校3年になっても京都大学を受験して受かる自信は余り無く、浪人生活ができる余裕は家庭には全くなかった。更に合格しても京都での生活費を出してもらえる余裕は皆無で、状況は八方ふさがりだった。しかし運よく浪人中の従兄が九州大学経済学部を受験するという話を聞き、仮に2人で共同生活すれば費用も節減できそうだということになり、九州大学に狙いを定めた。
医学部は全く無縁で、当時は隆盛の工学部に狙いを定めたが、高校のK先生から、君が西日本で最難関の九大工学部に合格できる訳がないだろう!と同級生の面前で失笑された。しかし他に代案はなく工学部に願書を出すことにした。
九州大学工学部の入試はやはり難しく、特に最終日の数学は殆ど歯が立たなかった。一応合否判定は総合点だが、一科目でも20点以下があれば不合格と聞いていたので、失敗を覚悟した私は、試験会場の窓から飛び降りようかとまで思い詰めたがその勇気もなかった。意気消沈して4時間の鈍行に乗り自宅に帰った私は、待った無しに二期校の準備を始めた。
また高校のK先生は、お前は暗いので経済学部は不似合いだと反対されたが、工学部がダメ、経済学部もダメなら選択の余地が無く、内心怒り心頭ながらも、暴君の話は黙って聞きながら、山口大学経済学部に二期校の願書を書いた。高校の先生には毎年通り過ぎる受験生の一人に過ぎないだろうが、当方にとっては生涯一度の大冒険であり、呵責なく浴びせられた言葉はなかなか忘れられない。
やはり製塩工場に勤めることになるのかとも思いながら、やる気が湧かなないまま二期校の準備で参考書をめくっていたある朝突然、新聞に九州大学工学部の合格者名簿が掲載され、自分の名前を見つけた。こうして私の孤独で苦しい高校の受験戦争は終った。