2018年06月05日

180605 パワハラ-2

日大アメフトの内田正人前監督がパワハラで窮地に立っている。大学医学部のパワハラはよく知られているが、専門色の強い理系学部もパワハラが強い。私の卒業した化学工学部は、毎年多数の大手メーカーから求人が殺到し、4月になると就職担当教授が成績順に学生を呼びこんで、メーカーを選択させる方式をとっている。多分東大法学部も同様で、成績順に法務省、財務省、経済産業省、外務省…と決めるのだろう。

4月に入ると学生は成績順にひとりづつ就職担当K教授室に呼び込まれる。そして三菱化学 or 住友化学のどちらかを選べ、東レ or 旭化成ではどうか? 松下 or 東芝、という風に、次々と就職する会社を決める。学科試験の点数と実社会での有能さは必ずしも比例しないと私は思うのだが、大学では成績と従順さが全てに優先する。

5月の連休前迄には50名全員の就職先がほぼ内定した。しかし私だけはK教授からお呼びが掛からなかった。成績は中の下あたりで、その内呼ばれるだろうと思っていたが、私を除くほぼ全員が内定したと聞くとさすが心穏やかではなくなった。卒論指導のA助教授経由で接触すると、私には就職先を紹介する予定はないとK教授が言っていたそうだ。気絶するほど驚愕した。私はK教授の不興を買っていたのだ。

思い当たる節はあった。ひと月前の3月にK教授の燃料学科のテストがあり、私は欠点だったが点数に自信があったので、K教授室に訪れて、欠点ではない筈ですが?と問い質して、逆に激怒された件だ。K教授は多分、採点したアルバイトのミスを指摘されたと驚き、自分の採点が間違っていると言うのか?と声を荒げて私を教授室から追い出した。そして直ぐに4月になり、やっと私はK教授が就職担当だと知った。友人達はずっと前から知っていたようだが。
                                                   
さあ困った。大学を卒業しても就職できないでは絶対に困る。夏休みに帰郷すると親達は朗報を待っている筈だと、本当に悲壮な月日が流れていった。世間知らずの私には会社訪問などできる訳がなかった。大学院に残って2年後に就職することも考えたが、K教授がボスだから大学院を認める訳がないとA助教授から止められた。 
   
しかし捨てるてる神あれば拾う神ありだった。悶々として卒論を続けていた初夏に、尼崎駅前の新鋭の日米合弁化学会社JRCのS常務が来訪し、もし学生か残っていたら紹介して欲しいと。私は飛び付いて直ぐにOKした。有名な大手企業ではなく無名会社で友人達には話せないが、化学便覧の末尾には広告も載っていた会社だ。こうして私のサラリーマン生活は小さな会社の大きな歯車としてスタートした。      
そして60年が経過した。殆どの友人達は大企業の小さな部品として人生を終えて引退し、既に3割は逝去したが、私の会社生活は波乱続きだった。直ぐに東京本社の企画課長になり、米国医薬品合弁会社の社長を経由して波風が多い人生になった。退職後、既に20年が経過したが、私はまだ小さな自営会社で先端事業を経営する日々が続いている。                                                                                                
                                          
毎年の同期会には関東在住の友人達20余名が参加するが、自分の会社人生を誇らしげに語る人は殆ど居ない。平穏無事だが報われることの少なかった人生を悔やんでいるのだろうと思う。人生は正に、塞翁が馬で、大企業だから報われ中小企業は報われないとは決して言えないと、私は自分の実経験から確信している。                                                                         


mh3944 at 09:04│Comments(0)

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