2018年08月27日

180827 ボランティアの勘 

周防大島(山口)に里帰りしていた2才の男児(藤本理稀ちゃん)が行方不明になり、柳井警察が大動員かけて3日間捜索したが見つからなかった。そこに大分県日出町から駆けつけた78才のガンコ親父が一人で山に分け入り直ぐに幼児を見つけた、とのニュースには驚いた。有名な作詞家 星野哲郎さんもここ出身で、実は私もすぐ近くの山村生まれで、ひとごととは思えなかったから。                              
                                                                                     
私の若い時代、柳井は憧れの繁華街で、映画館も松竹、東映、東宝、セントラル.....など10余館が軒を連ね、お正月は柳井で映画を見るのが最高の楽しみだった。私の大学時代(昭33)には、県立柳井高校が夏の高校野球で全国優勝して町中をパレードし、岩国、徳山、防府と並んで、柳井は山陽道を代表する人気の町だったが、半世紀の間に人口は激減して今や3万人に落ち込み、お隣りの大島は、顔見知りばかりの老人200〜300人が住む寒漁村で、人口減が止まらない超過疎地だった。                    
                                                                
                                                             
事件発生の直後、柳井警察は管内から250人を動員して、3日間かけて幼児を捜索したが手掛かりが無く絶望視され始めた矢先、ボランティア尾畑さんがクルマで駆け付けて母親に、必ず見つけてお母さんに直接渡しますからと言い残して、ひとり山中に入り30分で幼児を発見したのには仰天した。面目丸つぶれの捜索隊長は、法律上、警察からご両親に手渡すことになっていると幼児を渡すよう迫ったが、ダメです私が渡しますと尾畑さんは拒否、捜索隊員3〜4人はしずしずと後に従って山から下りた。 幼児が山奥に入る筈がないと信じた尾畑さんは近くのヤブから探し始め、ヨシキちゃん!ヨシキちゃん! と叫びながら進むと直ぐに、ボクココ!と応答があったという。                    
                                                                  
                                            
話は少々異なるが、私にも少し似た経験がある。私が合弁会社日本DPC社長を退職して、精密機械の修理代行業を起業した時、仰天した友人達から止めたほうが良い!と忠告された。精密機械は種類も多く、人材も持たない私が、あらゆる精密機器を修理します、は気違い沙汰だという。私はDPC社長時代に自社機器のメンテ業務の非効率さに業を煮やして、効率的に修理を代行する会社を企画したが、よくある話で後任O社長は私への業務外注を拒否した。万事休した私は 他社機械に目標を変えざるを得なかった。常識的な企画マンならこの段階で計画を中断するだろうが、私は多くの機械メーカーは機械修理の非効率さに困っている筈という思いがあった。                            
                                            
国内機械メーカーからは全く相手にされなかったが、メンテに困窮している外国機械メーカーは関心をもち、まず米国Shumacherから半導体機器の修理打診があった。     
                                             
メンテ機械が決まった私は直ぐに技術者の手配を始めた。特に優秀な技術者が多数住む横浜市に注目し、同市シルバ―人材センターを訪問して、半導体関連人材の派遣の協力を懇願した。さすが横浜市は度量があり要請に応じて、安住氏(仮名)という経験豊富な60才過ぎの技術者を紹介され、修理代行業が動き始めた。まだ実績も無く、最初は半導体製造工場の排煙装置の清掃業務だったが、意欲満々のA氏の懸命な頑張りでメンテ代行業務が軌道に乗り始め、S社も驚嘆する完璧な仕事振りで業務が拡大し始めた。           
                                                                
半導体機械修理が動き始めたことは、私に大きな自信となり、続いて世界最大の印刷機械メーカーH社(独)、スーパーコンピュータの熱交換機(米)、DNA自動分析機器(米)などから自社機械のメンテ代行の打診が段々と入り、横浜シルバーからの人材で対応した。メンテ業務はメーカーも困惑する不定期3K業務に焦点を当てた狙いは当たり仕事は多忙になり、20年が経過した。そして傘寿を迎えた私は意欲も萎え始めたが、メーカーからの修理依頼は絶えず、今は対象を絞って業務を行っている次第。  
                                         
私とほぼ同年の尾畑春さんの果敢な行動力と鋭い直感力には頭が下がるばかりである。大恥かいた柳井警察は表彰状を出して取り繕ったが、紙切れを喜ぶのはお役人であり、市井の尾畑さんには、謝礼金のほうが余程有り難かっただろう。    
                                         
                                                                






mh3944 at 08:30│Comments(0) 雑感 

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