2019年02月07日

190208 子供虐待事件 

野田市の小学4年の栗原心愛ちゃん(10)がこの極寒のなかで父親の栗原勇一郎(41)から冷水を浴びせられて凍死した。お父さんからぼう力をうけています、先生どうにかできませんか、と学校に出したアンケートを教育委員会から見せられた父親が激怒して, 食事も殆ど与えず廊下で起立罰を与え続け1/24には風呂場で冷水を浴びせて凍死させたという。誠に痛ましい事件である。野田市教育委員会のフルメンバーがテレビの前で頭を下げ、柏児童相談所長はそのアホウ面でぼそぼそ説明して詫びたが、全て後の祭りだ。無神経な対応と学校は欠席し続ける児童に何の対応もしていなかった。                                                 

1年前の香川市から東京目黒区に転入した船戸結愛ちゃん(5)も同じだった。親の暴力に苦しむ結愛ちゃんは、ゆるして下さい もう2度と悪いことはしませんから、と大学ノートに幼い字で詫び状を書き続けたが、香川市―目黒区の児童相談所の対応不足で遂に衰弱死してしまった。この平和な日本で、小役人の無責任でかように残酷な事件が家庭で繰り返されているのは本当に言語道断であり、責任の役人共は厳罰に処して、児童相談所の仕事を続けさせてはならない。                              
                                                    
子供の虐待は昔からあった。恥ずかしくて話したくないが、私も70年以上の大昔に、短気な父親に苦しめられた悲しい思い出がある。長男長女は大事にされたが、次男以下には、父親は家庭に同居する恐ろしい鬼だった。僅かな救いは冬季に酒造りで父が山陰に出稼ぎする冬の留守期間だけ安らかな日々だったが、2月終わりに帰ってくると途端に、家庭の雰囲気は一変して恐ろしい日々に変わった。その怒り方も尋常ではなく、棒をなげつけ、牛小屋に放り込まれるなど言うも恥ずかしい暴力だった。祖父母に早く死に別れた無学の父は若くして苦労し、大勢の子供達の生活が重荷だったらしく、暴力は苦しい生活のはけ口だった。                                   
                                      
私の母は敢然と父に抵抗して我々子供を守ってくれた。私が中2の時、父親は肺結核で死去したが、その葬儀の日は、これで我が家はやっと平和になると内心では大喜びした。しかし子供時代の恐怖の経験は幼い性格を大きく傷つけた。特に次兄は激しい吃音になり一生苦しみ続けた。3男の私も性格が歪み、微笑は絶えて無口になり何事にも徹底的に耐え我慢する性格に変わってしまった。                      
                                      
この悪性遺伝を断ち切ろうと、私は家庭をもった後は、あらゆる面で父を反面教師として生きてきた。子供や孫達には絶対に怒らず、社会生活でも人と言い争う自己主張は抑えて、代わりに徹底的な自己努力で相手を見返してやる変わり者になり、傘寿を越えた人生終盤の今でも、その性格から脱皮できていない。            
                                         
今回事件を起こした栗原勇一郎は、テレビでは一見明るい成人に見えるが、その歪んだ性格は多分祖父の影響であり、治療することは殆んど不可能で、牢獄に閉じ込めて社会に出してはならないと思う。本件事件を起こした柏児童相談所のアホな所長や、野田教育委員会の連中は、文部省やモンスター父兄に向けて自分だけを守る意識から180度転換し、閉ざされた家庭内で助けを求め続けている幼児や子供達を救い出す業務に全力投入すべきである。
                                                                





mh3944 at 13:43│Comments(0) 雑感 

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