2019年05月05日

190505 起業の恐怖 

社会を活性化しようと政府は盛んに有志に起業化を勧めている。確かに豊かな知識経験を持ちながら、長い余生を持て余している年配者が私の近辺にもゴロゴロしている。しかし大組織から離れて自己責任で起業する者の9割は失敗するというから、誰も簡単には踏み切れない。合弁会社社長を退職した私も、自分で精密機械のメンテナンス業を立ち上げようと思い続けていたが、起業することは一大決心であり、それは戦前の出征兵士に似ていたと思う。見送る側は再び生きて帰還できないだろうと思っても、出征兵士側の私は何とか生還できるだろうと理由のない思いもあった。ただ同僚達の目は冷ややかだった。                                 
                                           
                                                            

会社に一部出資して欲しいと願ったが財務部から一蹴された。しかし幸運の女神がいた。会社の実力者のМ副社長が500万円程度出してもよいと聞こえてきた。親しくはなかったのでその金額には驚いたが本当に嬉しかった。私は破産の危険に備えて自宅だけは確保して置こうと、家内に生前贈与して、合計2,000万円の資本金で起業した。私の冒険に家内や義母が反対しなかったのには深く感謝している。                                                        

                              

第一号契約に期待していた古巣の合弁会社の仕事は、後任O社長から冷たく断られてしまった。TOPの座から離れると、後輩達は180度態度を変えて冷淡になるのは世の常だと諦めた。慌てて標的を他のメーカーに定め、DM発送、展示会訪問、電話攻勢など全精力を傾けたが反応は全く無かった。他社の精密機械を修理するなど常識では考えられない荒唐無稽な宣伝は嘲笑された。江東湾岸地区に借りた20坪の事務所には、経理担当+技術担当2名が待機していたが、仕事が無くても忙しそうに動いているのが不思議だった。家賃@20万円、給料計80万円、交通費計10万円など、仕事には無関係に毎月100万円の大金が流出して、急速に資本金は減少し始め、夜中に目覚めると殆ど眠れなくなった。                                                                                      



兎に角、何でも引き受けようと走り回った処、横浜市内の中堅臨床検査センターH社から大型血球カウンター20台のオーバーホールの打診があった。原価1,000万円以上の高級機の中古品のオーバーホールを、@60万円でOKなら20台発注するという。計1,200万円の大型商談で飛びついた。作業は機器内部の極細テフロンチューブ200本更新とバルブを全て新品に交換する仕事だ。早速最初の2台を引き取って当事務所に運び込み解体して驚愕した。内部は飛散した患者血液が凝り固まり、肝炎やHIVなど病原菌の巣窟で地獄絵の様相だった。これ程汚染した医療機器を都内で解体作業すると周辺住民が必ず騒ぎ始めて、警察沙汰になると直感した。静岡の知人会社に頼んで人里離れた焼津の倉庫に運び込んで作業することにした。                                                                                



仕事を待っていた筈の当社社員は恐れ慄いて手が出なかった、高給を払う条件で静岡の知人会社に全てを外注した。先方の社員2名は眼鏡,マスク,防御服など月世界の旅行姿で、恐る恐る洗浄作業を開始した。2台をオーバーホールし終える迄1ケ月を要し大赤字だった。しかし2回目以降は劇的に作業効率が向上し、2台を一週間で仕上げるまで習熟した。そして全20台を3ケ月で完了したが、かように危険な仕事を若い作業員に担当させるのは危険過ぎると自覚して20台で終了し、別の仕事を探すことにした。                                                                                  

                                                                

当時は最盛期の半導体製造業に狙いを定めて、市場開拓を進めると、大阪のDメーカ−から排煙設備の清掃の打診があった。半導体製造過程で排出する危険なフッ化水素を吸着する微細鉄粉を充填したトンネルを定期的に清掃して微鉄粉を入れ替える仕事で、サンタクロースの通り路の清掃作業だった。再び横浜シルバー人材センターに人材依頼して、現れたA氏が猛烈な馬力でこの仕事を進めた。この作業振りに驚愕したメーカーの本部長から、半導体製造の核心装置の検査と修理の打診があり、引き受けることになった。この仕事は連続する大型業務で黒字幅も大きく、これで我が社はやっと夜逃げの不安から脱出できた。                                                                           

                                                  

そして次々と対象分野を拡大し、NECスパコンの熱交換器の保守、独H社製大型印刷機のオーバーホール、全国大病院に設置した検査機器のDOSソフトのVersion-Up、DNA分析機の保守、ビジネスホテルの小型冷蔵庫の修理、など次々と拡大したが、その殆んどは横浜人材センターの特別配慮で年配技術者を紹介して頂き、同センターのご好意には言い尽くせない程感謝している。                                                                                

  

こうして20年の年月が経過し、ライバル無しの業務であり、新規依頼は今日も続いているが、私も高齢になり、多くの仕事は丁重にお断りしている。そして事務所も不便な潮見から、自宅近くの駅前に移転し、今は東京大手臨床検査のセンター工場のロボット群の24時間3交代保守だけに絞っている。高給だが地味な3K仕事なので、若者達は寄り付かず、交代要員もなかなか見つからず、私も傘寿を越えた高齢になり、そろそろ引退する機会を思索しているところである。                            






mh3944 at 07:51│Comments(0) 雑感 

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