2019年06月10日

190610 引き籠り男   

 
80代の親と同居する50代の引籠り息子が引き起こす事件が最近頻発し、マスコミは8050問題と呼んでいる。練馬区では元農林事務次官(76)が引籠り息子(44)の将来を危惧して殺害、川崎では錯乱した引籠り男(51)が有名小学校のバス待ち児童に切り込み20余名を殺傷した。両事件ともに社会から疎外された引籠り男が関係した事件で、同様な引き籠りが日本には100万人いるというから、社会的には大問題である。
                                            
私の自宅近辺にも引き籠りが何人か居り、その中に女性(45)もいる。彼女は学卒だが就職せず結婚もせず、20年近く両親と同居して籠っている。ただ自治会の一斉清掃には、親に代わって彼女が毎年参加する。先日の春の一斉清掃にも、おばさん連中は世間話に夢中するなか、彼女は率先して草の生い茂る空地に飛び込んで懸命に刈り取った。そのボランティア精神は見事だが、自治会掃除が終わると再び引き籠りに戻り、次の一斉清掃まで殆ど出てこない。元気な彼女が何故自宅に閉じ籠るのか誰も分からないが、 英会話番組が時々聞こえるのでラジオかテレビで勉強しているらしい。                                                           
昨年秋の清掃時に、彼女と一緒に草取りした私は、米国子会社の社長を12年間勤めたが、仕事での英会話は殆んど困らなかったが、食事しながら雑談には苦労したと話すと、まあ!仕事で困らないなんて羨ましい!と感嘆の声を上げ、彼女が英会話に大きな関心を持っていると知った。学生時代の彼女は超勝ち気で男勝りだった性格が原因で、何か大ショックを受けて自信を喪失し引き籠り始めたのだろうか。市役所は支援センターを設けて悩みの相談に乗っているが、恥ずかしい相談を地元の市役所にする人は少ない筈で、別の市役所でも相談できる態勢に改善しなければ、効果は期待できない筈だが、縄張りが生甲斐のお役人は成果には殆ど関心ないから困ったものだ。                                                     

先月新しい皇后になられた雅子さんはご成婚後既に20年近いが、彼女は公式行事を度々欠席して、国民には評判が悪く、怠け病とか引き籠りだと言われてきた。しかし先日のトランプ大統領夫妻の歓迎会では、流ちょうな英会話を披露して、その素晴らしい社交性にトランプ夫妻も賞嘆したというから大きな驚きだ。本来外交官出身の雅子さんだから、これを契機に華麗な蝶に脱皮して、大いに外交能力を発揮して頂ければ、全国民が心から敬愛する素晴らしい皇后陛下に変身されるだろう。                                                                                  
                                                  
誰でも若い時代は悩みが多い。私も学生時代は劣等感に苛まされ続けた。田舎出の小男で 不器用で悪筆で訥弁と5拍子揃った私は、学校時代に表彰された経験は殆ど無く 劣等感の塊のような暗い年月だったが,負けじ魂だけは強かった。運よく旧帝大系工学部に現役入学したが、スマートな都会出身の級友達は要領よく、自分だけが疎外された感じの4年間を過ごした。就職は級友達全員が巨大な財閥系会社に就職したが、私だけは小さな日米系合弁会社JRCに入社した。大会社で競い合うより 小さな新進会社で思う存分働く道を選んだが、有名大会社を期待していた親兄弟達を悲しませた。                                                 
                                         
JRCに入社して研究所に配属された私は、新規な塩素系可塑剤の開発とプラント建設の実行責任者として全力を尽くして開発に励み、 3年後に新プラントを完成して、社長以下多数の得意先を招いた竣工式典が挙行されたが、寝食を忘れて開発した実行責任者の私は式典に招待されなかったのには呆れ果てた苦い想い出だ。                                                                             
                                                     
しかし野心に燃える私は神戸大学(夜間)通学で習得したデータ重視の技法を応用して、化学会社の将来戦略の懸賞論文に応募して 一等賞を獲得したことに周囲は驚愕した。やっと一目置かれる存在になり、本社企画課長に選抜され、研究所を脱出して東京に転勤した。そして10年後、自ら企画した米国合弁会社の社長に就任して12年間勤め、世界でも働く自信がついてきた。危険で苦しい時期もあったが無骨な私を信頼してついて来てくれた家内には感謝の言葉以外にない。傘寿を過ぎた今、同期生達は全員引退し、既に半数近くは逝去しているが、幸いにも私はまだ元気で最先端のITとRobotの仕事を楽しんでいる次第。                   



mh3944 at 09:12│Comments(0) 政治 

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