2020年10月20日

201020 0.1秒の心使い

新装の国立競技場の 陸上ゴ-ルデングランプリ男子100mで 桐生祥秀が10秒14で優勝し、0.02秒遅れのケンブリッジ飛鳥は2位で 俯きながら退場した。陸上では0.01秒の差が10cmであり、素人目でやっと判別できる程度だが この僅差が勝者と敗者を峻別する。日常生活でもこのような瞬時の差が意外に大きな意味をもつ場合があると私は思っている。 
 
田舎者の私が上京して 既に60年経つが、私はこのコンマ以下を大切にしている。毎朝柴犬と20〜30分ほど散歩するが、昨今のコロナ騒動で ペットが増加して、初顔のペットと出くわすことが多い。犬は見知らぬ犬には威嚇するので、私はリードを短く引いてひと言 挨拶するか 会釈するように心がけている。知らん顔で通過する男もいるが あ!と小声で会釈を返してくる女性もいる。全く無視して通り過ぎる人には少々腹も立つ。 街中で突然 顔見知りに出会うこともある。お互いに目が合った時、私は瞬間的に先に会釈する。どちらが 先に会釈したかは当事者には直ぐ分かる。名前を思い出せなくてもお互いに笑顔で会釈しながら通り過ぎることも最近多くなった。 
 
最も嫌なケースはお互いに熟知している筈にも拘わらず 全く反応しない相手もいることだ。例えば近くに住む40過ぎの独身女もその一人で 数十年来の近隣同士にも拘わらず、当方の声掛けに全く反応もしないで通り過ぎる。せまい遊歩道で聞こえない筈はなく、恥ずかしいから挨拶しないのでは と家内は言うが、40女が恥ずかしくて挨拶しないとは言い訳にもならない。中年過ぎても結婚できないのは その非常識さが原因なのだろうと私は思う。 

現役を終えて退職すると 上下関係は完全に消滅して お互いに対等な市井人となるが、職場で沁みついた身分意識を完全に払拭するのはなかなか難かしい。しかしバカ殿様の感覚から早く抜け出さないと 近隣との関係も悪く居心地もよくない。頭を切り替えて地域に溶け込む努力をするほうが余程得である。出会った地元民に自分から先に挨拶すると 面目が潰れると思う人もいるかも知れないが それは自意識過剰であり、殆どの地元人は無関心なのだと知るべきである。 

お金が十分あれば他人のお世話にならずに 自分流に生きられるかもしれないが、誰でも最後は必ず他人様のお世話にならざるを得ないのだ。孤高の生活を続けていると 疎外されて 誰からも無視された孤独な生活になってしまう。そして最期には市役所の救急車と 霊柩車のお世話になるだけだ。 
                            
要は 余り深すぎず適度の距離感覚で付き合うと、温かい雰囲気になり 色々な情報も入り始める。反対に周囲から孤立して厳しい環境に陥ると、自分は何故 周囲から認められないのかと 恨むようになる。0.1秒でも先に会釈するよう心掛けるだけで、退屈な余生も 案外気楽に暮らせるようになるから不思議なものだ。 

mh3944 at 10:41│Comments(0) 雑感 

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