2020年12月18日

201218 武田薬品の大リストラ

2兆円近い売上高を誇る製薬界のリーダー武田薬品が 2,000人近い営業マンの内 500〜600人をリストラするという。全国150ケ所の営業所も50ケ所に集約する。40才台で年収2,000万円近い働き盛りのMRをリストラするとは思いきった決断だと思う。ベテラン営業マンを放出しても 売上には殆ど影響しないと外人社長が確信したそうだ。対象者とは何回も個別面談して退職をOKするまで協議するという。   
                                          
多くの企業にとって営業部門は計算できない暗黒の世界であり、そのリストラは至難で企業には恐怖の作戦であり 売上が激減し致命的な打撃を蒙る恐れもある。しかし武田の外人社長は営業部門を大胆に縮小しても売上は影響しないと確信したようだ。
                                             
実は私にも似たような悔恨の出来事があった。総勢60人の小さな日米合弁D社の社長を務めていた私は、総勢15名の営業部員の内、中堅8名が一斉に退社するという事件が突発したのだ。彼らは全員がバラバラに入社した中途採用社員であり、その処遇には十分配慮していたつもりだったが、フランス系感染症診断薬V社から大金を掴まされたボスが、部員全員の移籍を企て、結局半数8名が移動に同意したのだ。当時は好景気で営業部員不足の時代であり、私も長年に渡って一人ずつ個別に採用してやっと組織化した貴重な営業部員を、営業部長が自分も含めて他社に売り込んだのだった。
                                                                                         
米国出張が多い私に代わり社内を統括していた筈の総務部長も全くお人好しで 事前に察知できなかったのは悔しいが、不意打ちを食らった私は本当に仰天した。当時の感覚では営業部門が壊滅すると 売上も比例して激減すると信じられており、慌てた私は営業部の再構築に取り掛かったが 人材不足で難航し 元の15名体制に復元する迄 実に3〜4年を要した。しかしその間も 売上高は微動だにしなかったのだ。  
                                          
この波乱の騒動から 私が悟ったのは、最後発の診断薬メーカだった当社の売上は 営業マンの功績ではなく、むしろ商品のユニークな特性で売れていたことを教えられたのだった。確かに当社はニッチ商品ばかりが売れて 大型の本命商品は殆ど売れず、私は営業力不足という亡霊に惑わされ続けていたが、実は営業力の良否ではなく、商品の性能が抜群では無かったのだ。先発メーカーと同性能品を 少しばかり値下げで売る商法では 先発の固い壁は破れなかったのだ。因みにV社に転籍した8名の営業マン達にも新天地は天国でなく、部長以下殆どが再び分裂して 四散し退社したと聞く。    
                                            
私の親会社D社は 日本支社の我々に 人海戦術による営業活動ではなく、データ重視の営業に移行するよう繰り返し要請したが、日本では濃密な人間関係が不可欠だと 私はいつも反論していた。しかし武田のドクター社長は、商品性能で戦う重要性を再認識して、営業部門の大リストラを決意したのだ。この流れは自動車など他の業界でも近年は顕著になり、昔の訪問販売は全く影を潜めて 今日では店頭販売に移行していることも、その証拠だと思う。
                                           

mh3944 at 10:17│Comments(0) ビジネス 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔