2022年01月24日

220124 新浪社長/早期転職提案

サントリーの新浪社長の45才退職案が批判を浴びている。やっと仕事が軌道に乗り始めた中年で転身しろとは冗談ではない!と激怒する人が多いが、私はGood-Ideaだと思う。 新浪社長は、激変する現代社会では、入社20年程度が経過し知識経験も積んだ45才前後は、気力体力も充実しており、現業は後輩に託して 何か新規な分野に取り組み、後半人生を豊かにしては如何?と言う意味だと思う。
                                       
実は私も45才で人生を転換した経験者であり 新浪社長の提案には賛成する。入社して20年間、合成樹脂の研究,製造,営業など2次中間材料業務に従事していた私は、より有能な若手が出始めた為、これから何をしようかと悩み始めていた。このまま社員7,000人の大企業の企画部長の椅子にかじりついて 雑用を続けることが不安になり始めていた。

丁度その頃、毎年恒例の御嶽山参拝登山組の一人に選ばれた私は、片脚の太ももに痺れを感じていたので 旧知の慶大医学部神経内科F先生を訪ねて診察を受けた処、頭にピンポン玉状の大きな腫瘍があることと判明し、即入院手術しないと全身マヒになると知らされた。即ち頭頂部を切開して、腫瘍を摘出する脳外科手術で、仰天驚愕の診断結果であった。

躊躇する暇もなく 私は信濃町に入院して 丸坊主になった頭を開頭手術した。幸い結果は良好で 1ケ月間休んで まだ頭髪もない丸頭のままで 再び会社に出始めたが、やはり周囲から奇異の目で見られ、企業中枢の企画部長が脳外科手術ではと 笑い話にもならない嫌な雰囲気を感じ始めた。これでは長続きしないと直感した私は 企画部長を辞めて外部に転出しよう考え始めた。

色々考えた末、目指すべき分野は、多くの化学会社が夢に見る、超高付加価値商品の医薬品事業だと思い始めた。その計画を確実に実行するには 既存の欧米会社との合弁会社設立が手っ取り早いと決断した。方向は決まっても、問題はパートナー探しが難題で 殆どの場合は頓挫するのが現実だったが 知恵を絞った私は 米国版の医薬会社四季報を取り寄せて パートナーを選択しようと思い始め、 NY事務所にTELEXで、米国医薬品業界の会社四季報を入手して欲しいと頼んだ。

半月程度で、US MED-TECH-Directory1984が送られてきたのは嬉しかった。米国の医薬品会社 医療機器会社 約2,000社の事業概要とP/L, B/S, 役員名が略記された小冊子だったが 包みから取り出し 小躍りして喜んた。

しかし合成化学出身の私には 英文の医薬品情報は難解過ぎた。仕方なく親友のRobert さんに頭を下げて、この冊子から合弁相手となりそうな中規模新進会社を選び出して欲しいと頼んだ。すると彼は半月余りで30社近い新進医薬品l会社を赤マークして返してくれたのも感謝感激だった。やはり持つべきは友人だとつくづく肝に銘じた。

この30余社のMedical-Companyに 私はInvitation - Letterを次々と書き始めた。それは恋しい米国女性にLove-Letterを出す気分で、御社の商品を日本に輸入販売したいので 合弁会社を設立しませんか と切々と訴えた。殆ど同様な手紙を 色々違う相手に出すには少々気も引けたが、相手は誰でもよく当方が選別できる権利はなかった。同時に我社自慢の豪華なAnnual-Reportも同封したが、庶務担当の女性は 費用が勿体ないから無駄なことは止めてほしいと抵抗したが、私は無視して手紙を投函し続けた。

全て返信が来たが 殆どは丁重な断り状で, 日本の代理店を紹介するから そちらの担当者に相談してほしいという内容だった。ただ NYのQ介護専業会社と、LAの体外診断薬会社の2社からは前向きの内容だった。特にLos-Angeles のDPC社 のZ会長は本気で、合弁会社設立の具体策を協議したいとあった。私には躊躇する理由もなく 早速単身でロスに飛び LA出張所W氏に同伴をして、空港近くのDPC社本社工場に訪問し、余り得意ではない英語でZ会長に切々と訴えた。Z会長は $10million (当時約30億円)を出せば 対等合弁交渉OKとの意思を確認して帰国した。社内の茶坊主役員を通すと妨害するので、直接K社長に直談判した。

突然の医薬品合弁話にK社長は驚愕したが、相手会社の内容を確かめようと K社長自身が訪米してZ会長に面談し、会社規模、商品内容、製造設備などを見学した幸運もあった。社長は 自社研部門の高額な開発開発の無駄な結果に比べれば 100種類以上の体外診断薬が $10millionで入手できるとは安いと断じ、本件合弁会社設立は実行することになった。

一端決まればワンマン会社の特長で即実行となり、まだ40代半ばの私がその責任者となって動き始めた。スタート時は3人の小所帯だったが、直ぐに社内から 幸運の女神や騎士などバイオ技術の大集団10名が参加を希望して、技術先行型の輸入販売合弁会社が幕張新都心を拠点にスタートし、彼ら技術陣の献身的な努力のお陰様で、10年間に社員50名、年商20億円近いRIA型診断薬の輸入製造販売会社に成長した。果敢に参加してくれた有能な技術陣諸兄には万感の謝意を忘れられない。

しかし体外診断薬は技術進歩が激烈で、放射性RIA型からNon-RIA型の自動検査システムへ転換し始め、全自動検査システムの開発競争に移行して 電子機器技術に無縁な我々は対応不可能になり、遂に三菱系に身売りすることになり、私も定年退職年齢を迎えて引退することになった。しかしこの米国合弁会社への転身で、私の東京日本橋の会社人生から 世界を股にかけた 異次元の会社人生となり、波乱万丈で満ち足りた後半人生になった。

医学の進歩で現代は 人生100年時代になった。会社人生も定年延長で 給与半減 部下無しで 寂しく勤務するよりも、一旦45才辺りで新しい分野に挑戦し、パソコンを活用すれば、少人数と小資本で、危険も少ないベンチャー起業が可能な時代になっている。元気ある内に、気の合う仲間と相談して新規な分野に切り込み、長い後半人生を充実した年月にするべきだと私も思っている次第。



mh3944 at 09:37│Comments(0) ビジネス 

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