ビジネス

2024年03月02日

激変時代の就職  

3月を迎えて学生達は、人生を左右する就職先探しに懸命な時期だ。先日の新聞に、文系学生の人気就職先ベストテンは 伊藤忠、住友商事、三菱商事、三井物産、東京海上、 住友銀、三井不 三菱UFJ 、博報堂 三菱地所、 理系はソニー、NTT,トヨタ、野村総研、富士フィルム、AGC,富士通、日立、アクセンチュア、とあった。全て超一流会社で、親が喜ぶ名門会社ばかりだが 私の意見とは全く違う。私も一応 有名大学の工学部卒で、同期生達は全員超大企業に入社して苦闘を重ねて 諦めの境地で会社人生を終えている。田舎者の私は、秀才揃いの超一流会社は自分の生きる場所では無いと初めから避けて、新設の 日米合弁会社JRC(社員300名)に入社した。
                                         
JRCに入社すると既に地元の京大OBが何人もいたが、新鋭会社は人材不足で、入社早々の私は 新規プロジェクト塩素系可塑剤の製造プラントの責任技術者に任命された。無我夢中で働き、幸運にも5年後には何とか新プラントの稼動に漕ぎつけた。そして次はFRP船製造販売事業の責任者で、九州山陰四国など西日本地区の漁港を毎日歩き回った。閉鎖的な漁船世界は難業続きで、事業化は殆ど不可能と判断し 何とか抜け出したい一心だったが、5年後にやっと事業中止が決まり 救われた。それから本社の企画課長として、東京地区の外資系企業の企画担当者との幅広い交流活動を重ね、全く新奇な超高耐熱性樹脂PPSの導入に成功したが、当時のエンプラはポリアセタール全盛時代で、社内の誰も加工が難しいPPSには注目せず大苦労、本格的に動き始めたのは 大きく遅れて10年経過した頃となり 今では大きな柱に育ったが, 社内同僚の先見性の無さは本当に悔しかった。
                                         
しかし運悪く私は 40代中頃に脳腫瘍を発症した。流石にこれには落胆で 私の人生も終わりと諦めた。 都内K大学病院で 開頭手術を受けたが、幸い後遺症が少なく退院できたのは本当に幸運だった。入院中の私は 臨床検査の現場を知り、これは仕事になると 退院後に本業にしようと決心した。1年かけて先進米国の市場調査を実施し、米国のDPC社との合弁会社を設立した。会社の同僚は誰も医師相手の仕事を恐れて参加せず、スタート時は私と新人女性の2人だけの 名ばかり合弁会社だったが、段々と参加者も増え始めて 遂に社員60名、年商20億円近くにまで成長し、欧米の兄弟会社との交流を深めたが 60才に達した私は 定年退職で退社することになった。
              
臨床検査は医薬品の付属市場で 小規模だがITに似た変化の激しいマーケットであり、退職した私は自営会社を設立して 今度は臨床検査機器と輸入半導体製造機器のアフターサビスを業務するベンチャーを設立した。当然だが倒産の危険も考えて家屋敷は全て事前に家内に生前譲渡しておいた。対象は欧米輸入機器のメンテナンスで 20年間自営し80才に達した時、家内の強い希望もあって 自営会社を閉鎖したが かなりの剰余金を残した。多くのベンチャーは赤字倒産する宿命だが、私が黒字経営で終了できたのは、優秀な即戦力のシルバー技術者を何人も提供して頂いた横浜シルバー人材センターのお陰であり、そのご協力には深く感謝している次第。
                                            
私の意見とは、見栄え素晴らしい超大手会社に入社しても それは瞬時の喜びであり、翌日からは 秀才ライバル達との厳しい競争が続く地獄だということである。幸運に役員になる確率は0.1%以下で、増して社長就任は0.01%の宝籤レベルであり、殆どの社員は厳しい社内競争と 学閥競争に神経をすり減らして一生を終える地獄なのだ。更に現代は変化の激しい社会で、仮にトヨタに入社しても、10年後にトヨタが存在し続けている保障はない激変社会である。例えば グラフィック業界を長年独占し て世界中に名声を馳せたEastman-KODAKも 今は平凡な会社に没落し, 日本の富士フィルムも再起を目指して奮闘中なのである。
                                            
もし私が新卒学生なら、前述した如き超大手有名企業には決して入社しない。私ならIT業界の中堅企業か新鋭企業に入社して 若い間にあらゆる可能性を勉強するだろう。IT会社は成功没落の激しい世界で、入社しても間違うと倒産する可能性も大きいが、その時は 私は信頼できる仲間と独立して自営会社を設立し、何の遠慮もなく 思う存分働ける自営会社をつくるだろう。ご参考迄に、昔の命懸けで起業する時代とは違って今日では スタートも撤退もごく簡単でリスクも減少できる仕組みになっており、夜逃げする心配は殆どない筈だ。 


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2023年11月14日

巨大企業より自由企業 

傘寿半ばを越えた私は、自営オフィスを閉めることにした。定年退職後、精密機械業やIT業務を自営してきたが、85才を超えると流石 意欲が陰りがちになり、遂にオフィス生活から引退することにした。同期の大半は既に逝去した今、私も周囲に迷惑をかけないことに徹しようと思っている次第。
                                           
大学卒業の時、同期生は全員 三菱,三井,住友,旭化成,東レ,ブリジストン….と 超巨大企業に就職し既に引退したが、私は小型の日米合弁会社JRCに入社した。友人は呆れ顔, 親兄弟も渋い顔だったが, 私は大会社では窒息することが怖かった。JRCにも既に強力な京大OBが多数いたが、雰囲気が自由で 私は夜間の神戸大学経済学部に通って 本格的な企業経営を勉強し、論文をJRC社長に提出して目に留まり 研究室から脱出して 東京本社企画部に転籍した。
                                                       
東京では広範に動いたが、運悪く脳腫瘍(挟)と判明して 慶大脳外科で摘出手術を受け 幸運にも退院できた。しかし 企画部長が脳腫瘍とは恰好悪く、心機一転して 米国臨床検査薬D社と合弁会社(50人)を設立して その社長に就任して本社を離れた。そこでは若手社員の大活躍と 欧米関係会社との頻繁な交流で自由奔放に活動できた。しかし技術革新の大波が来襲して、試薬中心の臨床検査は 全自動検査機器の時代に突入して、エレクトロニクス主導の世界になり、化学屋の私は定年で引退した。
                                             
しかしまだ気力十分の私は、精密機器の保守点検会社を起業して、米国大手半導体機器メーカーS社の機器保全業務を長年担当したが、S社が日本に自社工場を建設した為、我々の保守代行業は終了した。丁度その年、東日本大震災が発生して 危険を感じた私は 都心事務所を脱出して 郊外のオフィスに移転し、自動臨床検査センターの保守管理業を始めたが 10余年が経過した時 ロボット更新と工場移転となり 我々の業務は終了した。いま私は自宅でPC相手に 人材不足時代に備えて 無人ホ-ムペ-ジ営業の開発に注力している次第。                                                 
                                              
時代は大きく変わった現代は 次々と技術革新の大波に襲われる時代である。もし私が大企業に入社していたら 孤独な担当部長で とっくに引退し 今頃は長すぎる余生に苦しんでいることだろう。或いは脳腫瘍の発見が遅れで 身体不自由な後半生になっていたかも知れない。凡才だが意欲だけ強い私は、大企業ではなく 新生の外資JRC をスタート台に、世界を股に活動して、傘寿半ばを超えた今でも IT業務を続けている。新聞情報では、今日でも学生達は圧倒的に大企業を希望していると聞くが 大企業だから安全は絶対ではありえない。現代は激動の時代で 世界最大のトヨタも 目前に巨大なEV大津波が来襲して、明日は没落する危険な時代になったことを後輩諸兄は十分理解し 悔いのない進路を選ぶべきだと私は思う。


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2023年10月20日

自動車業界の行方

私は放射性診断薬(RIA)の輸入販売を10余年 担当したことがある。RIAとはRadio-Isotope-診断薬の略であり、微弱な放射性をもつ臨床検査薬だが、半減期は1ケ月で放射性は簡単に減衰する。しかし正真正銘の放射性物質で その取扱いは厄介、普通の病院検査室では使えず、厳蜜な放射線防止対策特別室が必要となる。更に使用後の廃棄物も 個別に廃棄処理が必要で厄介だった。しかし時代は 簡単に扱える非放射性検査薬への移行がユーザー側の要請だった。問題は、その試薬に適した電子機器の開発で、化学会社の手には負えない分野であり、試薬業界は業界の指導権を 日立、東芝など電子機器メーカーに奪われてしまった。有名な菓子メーカーが包装紙メーカーに乗っとられた気分で 化学屋は悲憤にくれたが、我々は臨床検査業界から撤退することになった。 
                                        
実は同様な大変革が自動車業界でも進行中である。日本は燃費良くて走行距離も長く、素晴らしいHybrid自動車を開発したが、突出し過ぎて欧米が追走できず、諦めた欧米中国メーカーは Hybridを駆逐する意思を固めた。欧米中国はHybridがCO2を排出することに難癖をつけ、CO2ゼロのEV自動車に移行すべきとの意見で一致してしまった。
                                                 
特に世界最大の国内市場をもつ中国は 日米欧から自動車市場を奪取する為、国家総動員で 激烈なEV転換作戦を開始し 欧州もHybrid駆逐作戦に同乗して、世界はEV車に向かって大きく転換し始めた。当初は様子見だった米国も、欧州中国のEV転換作戦を受け入れて、米国内で生産することを条件にEV戦略を採用して、日本Hybridだけが取り残されてしまった。EV車はエンジンが不要で、モーターと電池だけで動き、大幅なコストダウンも可能で有望だが、膨大なエンジン技術陣が不要になり、大規模なリストラ問題になる為、日本は決断が遅れて 世界のEV転換作戦に出遅れた。
                                                             
そして10年が経過した。Hybrid車からエンジンが抜けるEV車はコストも大幅に下がり 次世代を制することになった。中国は世界最大のEV生産国に成長し 欧州にもEV車を大量輸出し始めて 今度は欧州自動車業界が悲鳴を上げるまでになった。自動車大国ドイツもHybrid追放には満足したが、膨大なエンジン関係子会社を簡単にリストラできず、EVに出遅れ勝ちで 深刻な労働問題を生じている。米国はEV車の国内生産を進めているが、 解雇を恐れる膨大なエンジン労働者が反発してストライキを頻発し始めた。

既に年月が経過して、世界がEV車社会に移行することは確定し、日本のHybridはピークを越えて縮小に向い始めた。世界のトヨタもTOPの座を維持できず EV車に乗り遅れた豊田社長は責任を取り辞職した。 もし日本メーカーがに生き残る道があるとすれば、それはEVの最大欠点である リチューム電池の低容量と 繰返し充電で性能劣化する問題であろう。この致命的な欠陥を改良するには 全固体電池開発がカギとなる。本件は世界中のEVメーカーの課題でもあり、各社は 全固体電池の開発競争に全力投入中である。 情報によると ガソリン市場が消滅の危機にある出光興産が 大容量で画期的な 硫黄系全固体電池の開発に成功したと聞く。もし事実なら 発火性で再充電で性能劣化する 現行リチューム電池を代替でき、日本は再び世界の自動車業界を制覇できるかも知れない。出光電池の成功を祈っている次第。
                                       
EV車の特長は、エンジンが無く 電池とモーターだけの 製造工程が簡単で何処でも生産可能となる。そして 台湾,フィリピン,ベトナム,インドネシア,オーストラリアなど,世界国家は EV車を簡単に自国生産することが可能となり、日本車の大量輸出はできなくなると予想される。 TOPメーカー米国テスラ社は、ギガキャストと呼ぶ、一回の成型で 完成車に製造できる簡略システムを開発し 年間200万台の自社工場を完成したという。日本が得意としてきた自動車産業は 大波乱の時代に突入することになった。






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2023年07月17日

想定外の激変人生 

セミが鳴く季節になった。我家の庭は、柿など色々植えているが 夏になると地面に小さな穴が開き、地中に潜っていたセミ達が出て始める。セミの一生は7年7日とも言われ、7年間 地中の木根から栄養を吸って成長した後、地上に出てふ化し 激しく鳴いて交尾し 卵を産んで直ぐ一生を終える。我家は、初めに羽が透明なヒグラシが鳴き始め、8月に入れるとアブラゼミに交代して 賑やかな夏を演出する。今年 鳴くせみは、私が事務所を東京から我孫子に移転した頃に地中に潜ったセミとなる。    
                                                                                                                         
先日 庭の草取りで、汚れた人工芝マットを引き剥がすと、長さ40~50cmのスジ状の穴が何本かあり、干からびたセミの殻が残っていた。私は直ぐに分かった。地上に出ようとしたセミ幼虫が マットに阻まれて動き回り、遂に力尽きて死んでしまった抜殻だった。地上に出ようと必死に穴を掘り続けたが 分厚いマットを通過できず 息絶えた幼虫だ。私は静かに見つめていた。長い7年間を地中で生き続けたセミに ひどい仕打ちをしたものだと思った。不用意に敷いたマットは、セミには悪魔の岩壁だったのだ。全く酷いことをしたものだと私は悔いた。今年 出てくるセミの為に 私はマットの下に竹竿を数本並べて空隙を作り、幼虫が這い出せるように通路を開けておいた。    
                                                                             
我々ヒト社会でも、長い人生では 予期しない事件に巻き込まれて、死ぬほど苦しい状況に陥ることがあるが、それを不運と諦めるか、必死に生き残る道を探す努力をするかは、本人の意欲次第だろう。                                                                                    
例えば超一流会社だった東京電力の 世界に誇る福島原発5基が 東北大震災の大津浪を被って爆発して 四方八方に放射能を散らす悪魔の発電所になってしまった件のように。優秀な東電社員達は、一瞬にして悪魔の会社の社員に転落してしまった。東電福島発電所の後処理に精力を傾けている人もいるが 見切りをつけて東電を退社して 別の道を選んだ社員もいるだろう。技術のニッサンと言われた日産自動車は カルロス-ゴーン社長の強欲に振り回されて2流会社に転落し、秀才社員達が大きく傷つけられた例もある。

長い人生では誰でも予期せぬ事件に遭遇して、耐えがたい恐怖と苦痛に襲われることがあるが、それは避けがたい運命だろう。私も本社企画課長の時、頭に大きな脳腫瘍が見つかって狼狽し 会社人生は終わりだと諦めたが、慶応病院に入院して脳外科手術で完全治療に成功し何とか生き延びた。しかし企業中枢の企画部には残れないと断念して 社外に生き残る道を求めて、日米合弁会社を設立して転出し 悔いのない第二の人生を選んだ。全く未経験の臨床検査薬社会に飛び込んで、世界中の関係会社と仕事をする激変の後半人生に変わったが、そこで数倍の豊かな人生経験を味わった


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2023年07月01日

テレワークと開発業務  

テレワークが定着し始めた。特に中年女性にはテレワークは都合良く、苦痛の通勤ナシ、年10~20万円の交通費ナシ、キャリア中断も心配少なく、企業にも利益がある勤務形態である。問題はテレワークに適した定型業務はIT化され易く 業務が長続きし難いことであり テレワークで新製品開発が難しいことがある。私はテレワークで 特殊な新商品を開発した経験があり 参考までに以下ご紹介する。
                                           
60才で定年退職した私は 半導体製造装置の保守代行業を江東区で自営開業したが、家賃が高く 通勤費も高額で、採算ギリギリの経営を10年近く続けていた時、東日本大震災に遭遇した。大災害の危険を実感した私は、事務所移転を決意し、郊外の自宅近くのシェア-オフィスに移転した。新家賃は1/5に激減、年@20万円の通勤費もゼロ、社員4名は自宅からユーザーに直行直帰方式に変更して、年間300万円近い経費節減となり、零細企業は一転して高収益に転換した。しかし問題は、社員との会話がメ-ルOnlyとなり、雑談出来なくなったことである。日常業務遂行には何も問題ないが、新商品開発には全く不都合な環境であった。
                                                                          
私が合弁会社社長の時、米国会長は、日本式営業は無駄が多過ぎる、米国ではカタログを郵送して電話商談して 交渉が進展する時に 初めてユーザーに出張するが、日本は御用聞き程度でもユーザー訪問するので 出張経費が多過ぎる。出張回数を減らして カタログ営業を推進するよう忠告された。日本のユーザーはカタログを送付しても殆ど読まず 新商品情報はPC検索で調べるが、ネット広告は高すぎて頻繁には使えない。要は一般検索で 自社HPを上位表示させて カタログ営業ができないかと考えた。      
                                                               
幸い新オフィスにはIT熟練の若者がいたので、彼を抱き込んで、検索上位表示方法を相談し始めた. しかし絶望的な日々が続いた。同じ頃に業界では 検索エンジン最適化 が話題になり始めていた。見通しが無い議論と雑談を繰り返している内に、ある時 微かだが表示がかすかに上昇する反応を確認じて 急に勇気づき、試行錯誤を数年続け、段々と 上位に移動する手法に近づき始めた。詳細は説明しないが、 やっと新アイデアに辿り着き、 HPで営業できる手法を見つけたが 本当にラッキーだった、
                                                              
本件を第三者に話しても誰も全く信用しなかったが、生残りに必死の個人零細業者だけは 藁をも掴む思いで耳を傾け、相談に乗って試験採用が始まり、遂に全国10社を超す零細企業で HPだけで営業できるようになった。大会社は依然として全く信用せず 家族も??だが 要はテレワークでも 相談相手がいれば、新商品開発が可能な実例である。 参考までに本件開発に私は長い年月を要したが、IT専門家ならもっと短縮できるかもしれない。               
 


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2023年06月26日

トヨタと富士フィルム

 
人材不足の近年 社員引止策として 企業は内職(副業)を認め始めた。50年前の私の時代には 副業は厳禁で、夜学通学さえ許されなかった。傲慢な上司に相談せず、私は夜学(神戸大学経営学部\)に通い始めた。 夕方4時半の定刻後 更に2時間の残業を済ませた後7時半に オートバイで六甲山麓の神戸大学に走っていたが、通学を知った上司は激怒して 技術屋に経営学は無用だ! 止めなければ地方に転勤させると恐喝した。
                                                                                
取り敢えず私は休学届を提出して通学を止め、上司の転勤を待ち 2年後に再び復学して 遂に経営学士号を取った。技術系の私には経営学の講義は結構面白く、苦労して学習した証拠を残そうと機会を狙っていたが、タイミングよく 社内で懸賞論文募集があり、早速私は実証データを駆使した学術的な論文を書いて提出し、見事一等賞を獲得した。そして2年後に私は、研究開発部門から東京本社企画部に転勤することになった。                             
                                                                                                                
本社の企画課長になった私は、従来からの無駄な社内調整仕事を止めて、新事業の企画立案に方針を転換し、新事業の発掘と 社外交流で情報収集に専念した。本社企画部の同輩10余名は 本部長の顔色ばかり窺って 何の自主行動もしない茶坊主社員ばかりで、私は絶対に差をつけてやろうと決心していた。
                                                
IT革命が始まったばかりの当時、超優良会社の富士フィルムの親しい企画部長は、デジタル技術が如何に進展しても、銀塩の超微細密度には到達不可能で、富士は大量の銀在庫を持っており 事業安泰だと豪語していたが、デジタルメモリーが桁違いに発展した為、富士はIT革命から置き去りされて 遂にITから脱落てしてしまった。全く同様に世界の最優良会社Eastman-KODAK(米国)もデジタル革命の大津波に沈没したが 彼らの過信が原因だった。
                                         
年功序列の我国は、年配になると 部下ナシ専任部長とか,担当部長の名目役職が普通だったが、名目肩書だけの役職が嫌いな私は、米国DPC社と合弁会社を設立して臨床検査薬の日本社長に就任して、世界中の関係会社との技術交流、毎年夏季のSummer-Meetingで、Hawaii、Itary、Rocky山脈、Spain-Canary諸島などの家族交流を楽しんだ貴重な経験は 私の人生の宝物になった。
                                    
                                           
売上高40兆円の世界企業トヨタも Hybrid成功で 激増するEV車に出遅れ、世界の自動車業界から脱落寸前になったのは、世界の動向を軽視した結果である。副業容認はやる気社員には朗報で 社外との交流で、時代変化を見逃す危険を防ぐ効果は大きく、時代変化に乗り遅れない為の強力な対策になる。トヨタの緻密なHybridエンジンは素晴らしいが、電池とモーターだけに簡素化したEV車は更に革命的で、コスト激安、メンテナンス不要で(車検は不要?)、単なるソフト交換で 衝突防止、自動運転, ....そして最終的な完全自動運転車にも ソフト差替えで転換できる画期的な特徴があり、10年先には殆どのエンジン車はEVに置き換る見通となりそうだ。 トヨタにEV革命を乗りれるだろうか?                              

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2023年05月09日

英会話の習熟法

韓国の伊大統領が米国ハーバード大学で英語講演した。これを聞いて私は思った。ハーバード大学で講演できる日本人政治家は誰か居るだろうかと。岸田首相、安倍元首相、菅前首相、誰を考えても米国最高の大学で自分の政治信条を英語で訴えることはできないだろうと思った。では小泉さん、河野さん等若手政治家ならどうだろう。林芳正外相はできるだろうが、英語演説に自信ある政治家はごく少数だろう。
                                      
米国の俊英若者に語る内容にも苦労するだろうが、それを英語で語ることは更に困難だ。激変する国際関係のなかで、通訳を通して話すのは、隔靴掻痒で効果が半減する。日本の英語教育が不十分なことはない筈だが、その内容は受験一辺倒で、実用英語ではないからだ。受験英語には長い年月と資金を投じるが、実用会話力は殆ど身につかず、受験が終わると多くの学生は英会話を止めてしまう。日本は高額な国連拠出金を負担しているにも拘わらず、国連機関で働く日本人職員はごく少数と言われているが、日常生活で英会話力を維持し国際性を磨くのは、大変な苦労である。
                                                  
私は国際会議で議演説したことはないが、日米合弁会社の社長を12年間担当した間、10人程度の米国人との会議は 何回も英語で説明し議論した。例えば、40年ほと大昔の話になるが私は DNA発見ノーベル賞受賞者の J.ワトソン夫妻と ビバリーヒルズの高級レストランで数回食事した。ある時彼は 日本政府のヒトDNA解析基金への出資額が少ないことを、私に激しくクレイムした。それは日本政府の政策で、私は何の権限も責任もないと反論したが、彼は非難を止めなかった。超有名人の彼の偏執的性格を始めて知った時でもあった。多分彼は 国連のヒトDNA解析団体のTOPに祭り上げられていたが、実質的貢献は何もできず、何らか実績を求められて苦しんでいたのだろうと思ったが、世界的に有名な彼を私は大嫌いになってしまった。
                                    
私は日本語も弁舌爽やかではなく、口下手で訥弁だが、少なくとも米国での会議での英会話には余り不自由を感じなかった、しかし食事などの雑談にはやはり苦労があった。日常生活の慣習が全く違うため、欧米の社会的知識がないことを痛感させられた。外国語は日常的に使わないと簡単に会話力を失ってしまう。私は日本語雑談も流暢ではないが、不思議なことに英語には少々自信があった。
                                           
流暢ではない会話力をカバ―するため、私は若い頃から 英会話読本を音読し始めた。吃音気味の話力を矯正する為、いろいろトライしたが、大型で高価な当時の録音機で 英会話をテープで流しながら大声で音読することが最も効果的だと分かった。結局私は 研究社のSpoken-American-English (Advanced-Course)を 毎朝1-Chapter(7~8分)ほど、大声で音読し始めた。それから半世紀以上の長い年月 この英会話読本は何回も校正出版を重ねて内容がかなり変わってしまったが 基本形は維持しており、私は擦り切れそうになった古いテープをそのまま今も使い続けている。
                                                 
長続きした理由は英会話力よりも、訥弁矯正が目的で、年間365日 音読を欠かしたことは殆どない。国内旅行でも朝早く起き出して、誰も居ない屋上に上がって 大声で英会話を発声訓練した。これを怠ると 舌の回転が悪く会話に自信がなくなってしまうのだ。昔は 家族や子供達から 煩いと嫌がられたが 構わずに音読し続けた。妻と2人になった今は何の遠慮もなく毎日 大声音読を日課としている。私はこの方法で現代アメリカン英会話4時間分を完全に身につけ、日米合弁会社プロジェクトが持ち上がった時 TOP就任を打診されても躊躇なく受諾し 12年間も社長を担当してしまった。





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2023年02月16日

小売業界の栄枯盛衰 

大昔の75年前 私は尋常小学校6年の修学旅行で 広島の福屋百貨店に行った。生まれて初めて見る大都会のデパートは夢の世界で、田舎者の私には全てが驚異だった。特に1Fー6Fを繰り返し上下往復するエレベターが無料だと知って、何回もエレベーターに乗り降りしながら 楽しい時間を過ごした。存分堪能した私は 屋上から下を見下ろすと 級友達が道路に整列して待っているのが見えた。驚いた私はエレベターを待たず 階段をぐるぐる回って走り下りたが、遂に下り階段が見つからなくなり 泣き出した処、そこはB1だと教えられた忘れられない出来事があった。

それから1世紀、デパートは小売業界のリーダーとして慶応閥が日本の市場を率いてきたが、遂,に価格勝負のスーパーに敗れて失墜し、今では見る影も無い。しかし勝負に勝ったスーパーも 年中無休 24時間営業のコンビニの利便性に押されて勢いを失い、3大コンビニが 国内マーケットを寡占して、これからの如何に展開するか?と見守っていたが、遂にコンビニを駆逐する強力な新勢力が現れてきた。
                                                                              
それは生協コープの宅配システムだ。半世紀以上の大昔、行商紛いの訪問販売からスタートした。華麗なデパート, 低価格のスーパー, 利便性のコンビニには勝てる筈がない生協だったが、遂に新しい活路を見出した。それは子育てやパート勤務に多忙な主婦の時間を節約する利便性で 惣菜等を纏めて週一回 自宅に届けるシステムだ。手ごろな値段で自宅に届けるサービスは 多忙な時代の波に乗って社会に浸透し始めた。近年コンビニ業界が人手不足で苦戦する中、コープ生協は惣菜から各種雑貨品へと品揃を多忙な主婦に届ける 小売り勢力に成長してきた。        
                                                      
私の近くは 大手ドラッグストア、大手スーパー、大手コンビニ等が 激しく競合する利便な環境でで、コープ生協には長らく無関心だった。しかし夫婦共に高齢になると お茶など重量商品には難儀し、トイレペーパーなど嵩張る商品もコープ生協は 簡単に自宅に届けてくれる便利さに魅了された。スーパー信者だった家内も、次第にコープ生協の品揃と宅配利便性を納得して、遂にコープに宗旨替えする始末。大昔に学生運動で 就職できなかった私の知人は、生協のタートで働いていたが 今はコープ生協の大幹部に収まって 昇天の勢いにある。時代の変化は誠に恐ろしいものだと思う。
                                
最先端の商品と文化を教えてくれた都心デパートには 近年全くご縁が無く、24時間無休のコンビニも不満は無いが、コープ生協の宅配利便性は便利で これから本格的に世話になりそうだ。慶応閥が独占してきた豪華なデパート群は魅力を失って衰退し、代わって パートで細々と生き延びたコープ生協は、小売り業界の寵児になるとは、 小売世界の激しい栄枯盛衰に驚いている次第。 


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2023年02月06日

テレワークの問題点

主人がテレワークになったとペット仲間の奥さんが嘆いていた。いよいよテレワークが普通の時代になった。昼間の公園を散歩中にも、散策する若者に出会うことがあるが、多分彼らはプログラミングなどテレワークを自宅でやっている連中だろう。しかし私は自宅ワークは余り好きではなく、近くにレンタルデスクを借りてテレワークしている。
                                        
私の自宅は庭付で広さも十分だが、気分の切り替えが難しく、徒歩15分のレンタルオフィスに出勤すると緊張感が増して能率も上がる。自宅ワークは気分の切替えが難しく なかなか仕事に入れない。自宅2階には書斎もあるが、私はいつも居間片隅のデスクを使っている。家内は私の在宅を希望しているので、出勤は抑えているが 駅前オフィスに頻繁に出掛ける。自宅ワークの問題点は話し相手が不在で、小さなPCトラブルも相談できないが、レンタルオフィスには必ず誰かいるので困ることが殆どない。
                                      
私の駅前オフィスには、若いK君が週1回ほど来訪していたので、私は彼に時給を払って週1回出勤をルーティンにした、常勤スタッフを雇用するほど仕事は無く、毎週1回半日ほど出勤のK君とは雑談の話題が尽きず、自宅ワークでは得られない貴重な時間であり、一緒に仕事した彼との10年間は、実に充実した日々となり能率も上がり、私は遂にユニークな検索方法をも編み出した。  
                                                                                     

近年SEOが盛んに議論され始めたが、私は10年前から本件を考えていた。例えば「東京銀座、レストラン」を検索すると50,000,000件の膨大な情報数をヒットし、高級レストラン以下のHPが続々と表示するが、殆どの検索者はTOP1〜3頁しか見ない。ヒット情報の0.0000001%程度しか読まず、従って99.999999%のHPは全く読まないのだ。この対策としてGoogle, Yahooは広告料を払えばTOP頁に表示するが、その料金が月@20万円レベルと結構高額で、一般には使えない。これは寡占業界の典型的な弊害である。この弊害を少しでも改善して 一般のHPも検索上位に表示させようとする工夫を、SEO Search-Engine-Optimization という。
                                           
20年前の定年退職と同時に私は、精密機械のメンテナンス代行業の自営ベンチャー会社を設立した。メンテ代行業の市場は確実にあるが、その受け手のHPは 全く誰の目にも読まれないことを知って、私は何とか自営業のHPを検索上位に表示させようと色々工夫し始めた、しかし簡単に解決する問題はなく、永年の試行錯誤が続いていたが、その過程でK君と出会い、雑談の内で大きなヒントに気付き、試行錯誤の末に 遂に私流の検索上位表示法に辿りついた。検索で上位頁に表示すると、顧客からの問い合わせが劇的に増え、機器メーカーや個人美容室など多種多様なユーザーから問い合わせメールが入電し始め、年間200件程度の件数にも達し、HPが絶大な営業効果をもつこと知った。こうして私のベンチャーは営業担当者ナシで動き始め、米国の大手半導体製造メーカーS社の保守管理業や、国内大手臨床検査会社のメンテ代行業を受注できた。                       
                                             
この検索上位表示対策の効果は絶大だが、HP制作専門屋さんに説明しても誰も理解しなかった。彼らはURL検索でHPに到達できればそれで十分であり、検索上位表示の必要性すら感じていなかった。今日でもSEOの営業効果を 本当に理解するHP屋は少ない。この私流SEOは 私一人では開発できず、毎週一回やってくるK君との雑談で たどり着いたアイデアだった。
                                       
私は強調したいのは、孤独な自宅ワークは事務的な仕事には好都合でも、創造的な業務には全く不適当だということである。創造的な仕事は、魂と魂とのぶっつかり遭いで 初めて生まれる賜物である。私は縁あって DNA発見者ジェームズ・ワトソンと長年付き合っていた。あの高慢で厭らしいワトソンですら DNAの2重螺旋構造は彼単独の考えではなく、 X線解析画像の解釈を巡ってフランシス-クリックと雑談のなかから 到達したアイデアであったことを、私に漏らした。    


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2022年12月26日

221226 企業の盛衰

退職して自由時間が多くなった私は始終テレビを見ているが、退屈なCMばかりで飽き飽きしていた。しかし先日見た 子供3人が 繋いだ手を振りながら軽く踊るだけの日清紡CMをみたが、商品紹介は無く シンプルで好感のもてるCMだった。昭和年代には 女子バレーで世界に名声を轟かしたニチボー、東洋紡、日清紡、ダイワボウなどは、時代が変わった現代では 息も絶え絶えの状態だろうにと思っていた。
                                               
しかしある番組で日清紡を見ると、昔の面影とは全く違った企業に変身しており、通信、マイクロデバイス、ブレーキ精密機器、化学品、環境エネルギー等の高技術製商品の企業で、社名由来の紡績部門の売上は 僅か7%程度だと知り驚愕した。 友人がダイワボウの帆布子会社で仕事をしており、日清紡も同様に何とか生き永らえている程度かと思っていたが 私の完全な誤解で 脱皮して蝶になっていた。

実は私も65年前に印刷インキ関係のDに入社した。D社は合成樹脂に進出して急成長中の素晴らしい会社だった。オーナー会長は人格者で、婿養子の若社長も英話堪能のやり手だった。しかしインキに執着する実力会長と 若社長の意思疎通が悪く、その間隙を縫って、若い取締役が社内を攪乱し続けて 根本的な議論が殆どできず、欧米企業の買収で何とか外見体裁を保ってはいたが 社内は沈滞のままだった。ライバル会社のセキスイは パイプ屋から住宅産業の雄に変身し 簡易印刷機の小森製作所は高性能の印刷機に躍進を続けているが、我がD社は、相変わらず印刷インキ,顔料,樹脂の2次材料に執着し、改革発展する勇気が無く、時流に乗れずに取り残されて、志ある学生には殆ど見向かれない図体だけの沈滞企業に陥っていた。

有名な格言に、企業が繁栄し成長続けるのは精々30年が限度で、長期の成長を持続することは至難
との諺がある。確かに、テレビCMを独占して隆盛を極めていた電通は、ネット時代の大波に乗り遅れて没落して 自慢の本社ビルを売却して大リストラを実施中、我国の小売り業を長年 リードし続けてきた慶応閥人材の百貨店群も、泥臭いコンビニ業界には手出しする勇気が無く 小売業から脱落して瀕死状態を続けている。
                                        
世界の大会社トヨタも、Hybrid成功に酔って、EV化の大波に乗り遅れ 先行き不透明となった。本田小型ジェット機は年間200機以上売れているのに、三菱重工が永年かけた三菱スペースジェット MRJ機は遂に米国型式証明を取得できず失速してしまった。日本産業界の精神的リーダーであった東電は、超巨大津波の対策を軽視して、膨大な損失を計上し 国家管理の企業に転落して 日本経済は長期の低成長を続けている。如何に聡明な実力社長でも、繁栄を長続きさせることは至難であり、殆どは取巻き茶坊主役員に騙されて、企業を没落に導く現実を数多くみている。
                                          
前々から私は、企業が繁栄を続ける為には企業が健全な内に、現況製商品を全部否定して 如何に新規な分野を開拓して生き残るかを、元気ある若手社員に任せて独立会社形式でスタートさせ、時代変革の大波を掴むべきだ、と同期の仲間に話し続けていたが 嘲笑されるだけだった。発言するだけでなく私は実際に、営業開拓が最難関業界といわれる 医師病院世界を市場開拓する為、米社との合弁会社を設立して10年間経営し、社員50名、年商20億円近くまで社長として実行したが、業界がケミカル主導から → 装置システム主導の時代に変わり、検査機器メーカー時代に突入した。夢破れた私の合弁会社は 全事業を三菱系に売却して撤退した苦い経験がある。他方 私と席を並べていた同輩は 嘲笑されながらもテニス教室に進出して 時代の波に乗り拡大し続け、遂に国内の3大スポーツクラブの1社Rに迄 成長してしまった。時代の流れを先読みすることは、本当に至難なことだと痛感している次第。



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