aamall

October 03, 2011

石の上にも3年。

更新がめっきり停滞して回復の見込みもないですが、無事生活しております。
先日32になりました。

石の上にも3年、とはよく言ったもので、3年目は劇的に楽になっております。
この地につるむ相手ができたわけでもなく、
ずっと単独行動な生活パターンは変わっておらず、
相変わらず色々なプレッシャーはありますが、
…それすらも日常の一部になっていくというか。

楽になるとともに、ここにいつまでいるのやら、と言う気持ちも。
地道に論文書くしかないんですが、未来は全く読めません。


しかし、論文と言うアウトプット、授業と言うアウトプットをコンスタントに要求されていると、どうもブログに書くことがなく…
仕事は仕事で出してしまうし、プライベートも単調に平和にすごしているし、まだその外に出て行って情報を集めてくるほどの余力がなく。
閉鎖すべきか迷いつつ、このままになっておりますが…
また何かアメリカのアカデミア暮らしをする方に参考になるような話があればぼちぼち書くかもしれません。


mi_wa_fl at 12:48|PermalinkComments(0)

September 11, 2011

10年後

10年前、自分は大学の秋休み中で母と一緒にDC郊外の父の家に来ていた。
個人的に波乱の多かった年で、このイベントもそのひとつ。

現場近くにいた当時よりも、今の方がひとつひとつのエピソードが心にしみる。


震災からも半年。


失うのが怖いものは年々増えていく。

mi_wa_fl at 17:41|PermalinkComments(0)

September 06, 2011

下水道問題と農業自由化の裏側

期間があいてしまったけれど、フィールドツアーの覚書3
3番目の町訪問は、人口180人の集落G。

高速道路ではなく州道を通っていったこともあり、Wからはひたすらトウモロコシ畑。
それも、私の住む州の東部と違って、起伏すらほとんどない。
地平線まで畑で人家はほとんど見当たらない、という景色は東京圏出身の自分には正直恐ろしい光景で、かつての同僚(すでにリタイア)が以前こういった田舎で広場恐怖症でパニックに陥ったことがある、と聞いていたけれど、その気持ちがよくわかる。

自然でもなければ人の匂いもしない景色が何時間も続くことに心が殺伐としてきたころ、Gに到着。
家々はそれなりの密度で並びあって建っているので町の体はなしているものの、店屋もなければレストランも見当たらない、アメリカ田舎生活には必須のガソリンスタンドもない。学校らしきものがかろうじて集会場に姿を変え、郵便局の隣に立っていた。

Gの訪問目的は、町の下水道問題について。

集会場には、映画で見るような「いかにも農家なちょっとワイルドな白人のおじさん・おじいさん」が山のようにたむろしていた。
今日は下水道問題についての町のミーティングの日。
お昼が提供され、話し合いをする、と言うことで、村の人口の8割が集まってきた。

村のおば様たち手作りのお昼(サンドイッチとポテトサラダ…日本で言う家庭的な味、ではなく、ザ・料理下手の国の家庭の味)を列に並んで受け取り、住民の方と混じってテーブルにつく。

ひとしきり食事とIce breakingの会話が済むと村長さんが話し出した。
状況は要約すると以下のよう。

1) アメリカの環境省の要請により、全ての自治体は下水を処理することが義務付けられた
2) この村は他の集落とは離れており、独自に整備しなくてはならない状況にある
3) 施設のコストは約$2,000,000
4) 村の人口は180人で一人当たり$10,000以上になる、とても払えない
(補足1:ここの住民は基本的にかなり低収入。80年代の農業民営化の波で土地を手放した元農家が多く、引退生活の家庭も多い)
5) 河川の水質汚濁は確かに問題だが、もう少し現実的な手段はないのか

住民の不満は以下の3点に集約される
A) 今まで垂れ流しでやってきたのになんで今更
B) 下流の汚染なんか知ったこっちゃない、そんな金はない
C) 例えば、村の直ぐ近くにあるConcentrated Animal Feeding Operations(CAFO, 畜産工場とでも言うべきか)は一切環境規制を受けていない。1箇所につき1万羽の鶏や数千頭の豚の排泄物が垂れ流されてるのに比べれば180人の排水なんてほとんど関係ないじゃないか。そっちを規制するのが先だ。我々だけに負担を押し付けるのはずるい。
(補足2:CAFOは80年代の農業自由化で個人農家から土地を買占めることで発達した。メキシコ移民などを雇い、食肉の大量生産を行っている。農業州であるうちの州ではかなり強い圧力団体で、過去何度も汚水の排水規制を州議会で通そうとしたが、その度に圧力がかかって法案が通らないという事態になっている。)

CAFOのひどさは確かに認める。
こんな状況が許されていることに疑問は感じる。

ただ、Gの住民が何もしなくていいのか、というと…納得がいかない。

件の200万ドル。確かに180人の村にはかなりの負担だが、よくよく聞けば月の水道料金が50ドルになる程度だと言う。
下流の市町村住民が払っている水道料金とさして変わりなく…それを聞いたとたんに一気に同情が薄れてしまった。
ちなみに現状の水道料金は10ドル未満。いやはや、それで垂れ流しはそれもひどい。


Civil Engineeringの水質浄化専門の先生が
「きれいで安心な水にいくらまでなら払う? 安価な技術は我々が今研究しているので将来的に提供できるかもしれない」
と、住民に聞くと、
「ゼロに決まってるだろ!!!」
と、怒号が飛ぶ。
CAFOの件について怒りが収まらずわめき散らした女性は、途中で帰ってしまった。
その女性を知る人は、あまりの錯乱ぶりに「まさか家から銃を持ってきたりしないよね…!?」と陰で話していたとも。

人口180人の村、産業も一切なく少子高齢化も進み、あと2,30年もすれば廃墟になるだろうとも思う。
どうせすぐに消えてしまうんだから放っておけ、と言う人もいるし、それもわかる。
CAFO対策をするほうが大事だと言うのもわかる。

でも、それにしても……


その後の自由歓談では、冷め切った心を以下に気取られないで彼らの話をより聞きだすか、作り笑顔に苦労した。


CAFOの問題についても、住民の反応に関しても、ため息しか出ない衝撃的な体験だった。



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August 18, 2011

二つの名前と身分証明

以前も記事にしましたが二つの名前の使い分けがややこしいことになっております。

あんまりフェミニストなつもりはなかったし、名前が変わったくらいで「自分が自分でなくなる」とも思わないのですが、やはり仕事上のマイナスを考えると大きく、仕事だけは旧姓を通したい気持ちがあります。
学者は、所属ではなく個人の名前で仕事をする&直接会わない人に研究を検索して読んでもらったりすることが多いので、姓が変わるのは以前の業績と人脈が消えるようなもの。
大して論文出してるわけでもないので気にするなと突っ込まれそうですが、ようやく駆け出したところをまた引き戻されるのはだいぶつらいわけです。

当初は日本で多くの人がしているように、通称として仕事のみ旧姓を考えておりました。
けれど、アメリカの場合は法律上は結婚しても姓を統一しなくてもいいことになっている為、旧姓使いたいなら最初から姓を変えるな、ということになったりするわけですね。
加えて、アメリカは日本より断然セキュリティの厳しい国。
不法移民対策・脱税対策の為、そういう抜け道になりそうなことにはかなりうるさくなっているようです。


私の場合は、GCの手続きがほとんど済み、日本で婚姻届も出し、日本のパスポートも名義変更してしまってからこの問題に気づきました…
遅すぎたんですが、これまで知っている学者さんたちの例や、国際結婚した人たちが日米で姓を使い分けしている話を聞くに、仕事で通称利用ができないなんて考えたこともなかったので。
(大学が導入している人事管理システムの設定によるみたいです。うちの大学はセキュリティの厳しいシステムを入れているので、複数の名前の使い分けは一切受け付けないらしい)


結果、パスポートとGCは新姓だけれども、そのほかアメリカの書類は全部旧姓になってます。
(大学の要請で仕事を旧姓でするためにSSNを旧姓で維持→運転免許・銀行・その他生活のすべて旧姓維持)


今回引っかかったのは運転免許の更新。
公的身分証明書がなければ何もできないアメリカで旧姓で生きていくには、パスポートが新姓になってしまった今、運転免許を確実に旧姓でとらねばなりません。
運転免許はSSNと州の在住証明しか要らないから旧姓で取れる、と、弁護士やWebでの経験談など様々なところで確認していたのですが…うちの州は最近規則が変更になったらしく、アメリカの滞在資格証明=GCを出さねばならないことになったようで。
窓口で名前の違う書類を出したから、当然のようにトラブルに。
初日は15分ほど口論しましたが結局受け付けてもらえず、弁護士に相談する、と言って、いったん引き上げました。

結局は翌日、もう一度ダメもとで行った別の窓口では通してもらえたので無事免許は旧姓で取れたのですが…冷や汗ものでした。

弁護士は「大丈夫なはずだ」と言うし、調べてみても、”犯罪目的でなければ既に公式に通用している名前はTrue nameでなくてもLegal nameとして認められる”みたいなことが書いてあったので、たぶん間違ったことはしてないと思うんですけどね。


どうしてもトラブルに陥ったら偽装離婚するか、と、夫は笑っておりましたが、笑えない日が来たら嫌だな。。。


アメリカに残って旧姓で仕事をするつもりの、結婚で姓を変えるほうの方。
パスポートの姓の更新は少なくともGC取得まで待ち、GCまでは旧姓で統一するのがよいと思います。
そうすれば少なくともGC更新までの10年は安泰かと。
もちろん、その期間内にパスポートの姓変更する時は旧姓表記はちゃんと残すようにしてくださいね。入国で引っかかるのも怖いですから。



mi_wa_fl at 17:57|PermalinkComments(0)

August 17, 2011

3年目

夏は東京で充電&仕事をし、戻ってまいりました。
ここでの生活も3年目です。

これまでを振り返ってみようとも思いましたが、
1年目は初めての授業やら火事やらに泣いてばかりいた記憶しかなく、2年目の記憶は正直言って皆無。
わかっているのは仕事のペースが満足のいくものよりずっと遅かったという結果だけ。

3年目は少しはゆとりを持って仕事に成果を出したいものです。
去年も同じことを言ってましたが。。。

GCは無事取得しました。
長居したいという強い意志もないのに学校側の方針に流されて取得してしまいましたが、とりあえずこれでしばらくビザの面倒からは切り離されそうです。
GCに関連して新姓と旧姓の混乱・面倒はありましたが、またそれは別エントリーで。


ともかくも、仕事。
ここに残るにしても出て行くにしても研究で成果を出さねば生きていけません。
焦る割には筆は遅いですが、頑張らないと。
最初の1年半は、正直言って休職・退職しなかっただけでも褒めてほしい状態でしたが、それはそれ。
結局休まず意地を通してしまったのだから、意地は通し続けて通常のタイムラインに乗っていかねば。
心優しいうちのChairに見捨てられないうちにRecoverしないとね。



mi_wa_fl at 05:45|PermalinkComments(0)

June 02, 2011

消えてゆく雇用

フィールドツアーの覚書2。
次に訪問したのは人口8000の町、W。

ある世界的な電機メーカーの工場城下町でその工場での雇用が町の人口の2割を占めていたのだが、この3月末に工場が閉鎖になったという。5年ほど前からのそのメーカーの低価格戦略の一環で、先進国の工場は閉鎖、中国やベトナム、メキシコの工場を重点化することになったのだそうだ。

中心市街地に隣接する工場。
名実ともに、この工場の町だったことがわかるような町並み。
それが消えた今、どうしたらいいのか。
市長や市の観光担当・経済担当、市の雇ったコンサルタントと会合にお邪魔した。

工場の従業員向けに職業トレーニングプログラムなどが行われ、住宅が投売りされている様子もない。
今はまだ、工場閉鎖の影はこの町に落ちているようには見えない。

だが、地域振興策での経済活性化案はお粗末極まりなかった。
美しい川とゴルフコースがあるので観光に力を入れる → 昨年の訪問者、16人で大成功?!
電気系技術者がいるので、工場誘致。戦略は立てるだけ時間の無駄なので、そこら中の町の誘致インセンティブを調べてそれに打ち勝つインセンティブをホームページで宣伝 → 闇雲な低価格競争では消耗するだけ、万が一誘致できてもすぐにいなくなる。

さらに、閉鎖された工場跡地は、土壌汚染が発見され再開発の予定はまだ立っていないという。

学科の同僚のRはEconomic Development専門なので、もっと町の魅力を見つめなおすところから立て直さなきゃ! と、必死に論じていたけれど、私にはその言葉は空々しく響くだけだった。
これと同じ議論を、何度日本の田舎町で聞いたことだろう。
アヤシイ漢方薬で奇跡的にがんが治った! という程度の確率でしか、治った話を聞いたことがない。

途上国への雇用流出という末期がんと死闘を繰り広げる田舎町に、必ず治りますから一緒に戦いましょう、とは言えない。どうしてもシニカルに眺めてしまい、住民に共感できない。せめてもの礼儀、と、口を慎み笑顔で話を聞いていた。

そういえば自分は医者になりたかった頃、ホスピスの医者を目指してたっけ…

mi_wa_fl at 00:20|PermalinkComments(0)

June 01, 2011

学力州内最低の町

フィールドツアーの覚書1。
最初に訪問した町Mについて。

Mはもともと小規模工業都市(機械系)だったのが、時代の波に流されて工場はメキシコに移転し、1970年代頃から徐々に食肉加工の町へ変貌したところ。そしてそれを支えるのがメキシコからの移民たちだ。

現在人口3万弱。
ヒスパニックが12%と、WASP95%以上が当たり前みたいなうちの州においてはかなりマイノリティ率が高い。
メキシコ移民の彼らは工場の都合に振り回されて職も安定せず、所得も低く、しかし子供は比較的多い。
その子供たちの教育はこの町の難題。

Mは州内学力テストで毎回のように最底辺をさまよい、よってNo Child Left Behind政策のターゲットになっている。
ヒスパニックの子供たちはほとんど英語が話せないまま就学する子も多いし、親の仕事の都合で1年に何回も転校したりすると言う。訪問した市立小学校の生徒のうち8割はReduced or Free Lunch(低所得化提示同様給食補助)の対象。中にはホームレスの子もいて、2ブロック先の公園から通っているのだとか。

英語は話せないわ、親自身も英語を話せないわ、すぐに転校してしまうので重点教育もできないわでは、ろくな教育ができるはずもない。
教育の財政も厳しい中でどうやってそういうこの面倒を見ていくか。
ようやく市内の学校では児童情報のシェアシステムを確立しつつあるようだけれど…


そして、その当日は話に出なかったけれど(教師達との対話なので当然)、州の教育課を訪問した時には教師の質の低下の話も議題の一つだった。
Teach For Americaの学生以外は本当に質が悪くて、
毎年州内&周辺州大学学部卒業生のうち、下4分の1からしか教員希望者は集まらないのだという。
平均初任給は$28,000 −大学卒にとって、魅力的なはずはなく、当然だろう。


日本でも教育問題は騒がれるけれど、ここまで深刻な状況は日本にあるんだろうか。
大学町に住んでいると、教員の子供ばかりが通う「インテリ&インターナショナル家庭」ばっかりの小学校が地元にでき、当然教育レベルが高い(少なくともアメリカの中では…)という楽観的な話ばかり聞く。
けれど、教育財政が多分にProperty Taxに依存するアメリカでは、悲惨な地方は悲惨だ。
うちの州はかなり州主導で予算再配分が成されているほうではあるようだけれど…



mi_wa_fl at 13:25|PermalinkComments(0)

May 10, 2011

そしてまた終わる1年

春学期終了、採点と成績提出を終えればこの2010-11 Academic Yearも終了。
早いものでもう2年が過ぎようとしています。

色んな身の回りの変化に翻弄されてメンタルすれすれの時期もありつつ
仕事を休止しなければならないレベルにならずにここまでこられたのは本当にラッキーだったと思う。
まあ、医療に頼らずに何とかなってきたとはいえ、ここ暫く精神面で消耗していて知的好奇心だの集中力だのが完全に失われていたので…研究プランは早急な建て直しが必要ですが。

Tenureの時計はずっと耳元でチクタク鳴っていて、
火事だの何だのという「想定外の事態」もお構いなしなので、怖いもんです。
Chairがとても良い人なので、見かねて来学期のTeaching Reductionをオファーしてくれましたが…多分上司に恵まれたからあった幸運で、普通はそんな事もないのでしょう。
学生だった頃は、非常事態があれば留年するというオプションがあってよかったよな、と思ったりします。


相変わらず好奇心は数年前の自分比でも信じられないくらい鈍いままだけれど、とりあえず研究に手をつけるくらいはできるようになったので随分ましになったのでしょう。
切羽詰ってきたので否応なくアドレナリン出させられてるという面もありますが。


それはそれとして、Teachingにはだいぶ慣れてきたかと。
ストレスは溜まるし相変わらず学生の質問・クレーム対応は嫌いだけど
前は、毎日借金取りが押しかけて有り金搾り取っていくのでその日の食費にも困っている、ような負担感だったのが、今は「やらなきゃならないトイレ掃除」くらいな負担感。随分な差です。
そして、それが多分授業にも現れていて、学生の私への見る目が全然違うのを感じます。


Green Cardも、そろそろ取得が近いはず。
先日指紋の採取と写真撮影を終えたので最終手続き待ちです。
今欲しいわけじゃないんだけど、という微妙な気持ちはさておき(Long-termでアメリカにいるかどうかがはっきりしてからにしたかった)、これもまた、大事な一歩なのでしょう。



引越してきた時に買った観葉植物が随分と枝を張って大きくなりました。
私も苦しんだ分少しは大きくなれてるといいなと思います。

まずは、何かに興味を持てる心を取り戻したいですね。
来週は大学主催のフィールドツアーに行ってきます。
うちの州の田舎の方を訪ねて、Rural Townで何が起きているのかを知るという趣旨。
そういう土地への理解というか共感というかができないのは私の課題でもあるので、少しでも自分への刺激になるといいなと思います…

mi_wa_fl at 17:36|PermalinkComments(0)

April 09, 2011

学会

来週はAssociation of American Geographerの学会でシアトル行ってきます。この学会に行くのは初めてだし、シアトルも初めて。

発表する論文は現在超追い込み中ですが(汗)
US-Canadaの国境税関見学や公共交通見学ツアーに参加予定で、またひとつ都市経験値アップです。
どちらも研究で関心を持っているところなので楽しみです。


たまには楽しい事もないとね…。

mi_wa_fl at 08:25|PermalinkComments(0)

March 24, 2011

グレーの世界

昨今の報道を見てとみにおもう。
世の中は白黒ではないと、どうしてきちんと小さい時から教えないのだろう。
安全だとか、危険だとか、どちらも100%でない事の方が圧倒的に多いのに。

放射線量に関しては、グレーの色が濃くなったのは確か。
それでも、ある一定の基準の下で、一定の発病率・致死率以下が予測されているのも確か。
勿論予測も100%ではないから、予測からどちらに外れるかもわからないのが現実だろう。
たとえ「有意に悪影響がある」という結果が出たとして、それが個人に起こるかどうかもまた確率&程度の問題があって、ゼロイチではない。

不安なのも仕方のないことだし、頭でわかっていても感情がついていかない事もあるけれど、、、
せめてメディアは「じゃあ安全なんですか?危険なんですか?」と詰め寄るようなことは止めてほしい。

問い自体が間違っているから、正しい答えなんか出てくるわけがない。
白に近いとみなして白であると言えば真っ白じゃないのに嘘をついていると騒ぎ、真っ白ではないから白ではないと言えば、黒と同じ扱いをしてパニックになり、不確実である旨を誠実に答えれば、「お茶を濁してわかりにくい!何か誤魔化しているに違いない!」と一蹴するのだろうから。


そもそも、国民全員にそういう不確定さ・不安を正しく認識しろという事自体が過剰な要求なんだろうか。
嘘でもいいから安心させてほしい、という需要がやはりあるのだろうか。

情報開示は情報隠蔽より良いと思うけれど、だからといって、受け取る側の準備ができている気はしない。
これは、日本だけではなく、どこの国でも程度の差はあれこういう問題はあると思う。(少なくともアメリカ人には同種の問題があると肌で感じている)

まあ、こういう話は非常時に急に言ってもどうなるものでもなく、かといって平時には忘れ去られる事なので、きっとずっとこのままなのでしょうね。


もし子供が生まれたら…少なくとも自分の子供にはそう教えたいと思います。
大学院で教える身では、もうだいぶ教育効果に限界があるので。。。

mi_wa_fl at 09:22|PermalinkComments(0)

March 21, 2011

So far away ...

震災で被災された方々、心よりお見舞い申し上げます。

ボストンの友人達のアクティブな活動を横目にRed Crossに寄付を呼びかけるくらいしかできませんでしたが…
私が日本人の知り合い皆無で仲間がいなかっただけでなく、春休みで学校もほぼ完全に空っぽだったもので。
まあ、信頼の置ける公的機関へ資金を集約するのもひとつ大事な事だと思うので、微力ながらできることはしたかと。


何も知らずにぐっすり寝ていたので第一報を聞いたのが発生から7時間も後だったり(すでに夫や親友から無事を知らせるメールが入っていた)、実家への電話がなかなかつながらなかったりと、改めて日本との距離を感じた出来事。
結局私に近しい人たちはみな無事でしたが、家族が離れて暮らすのはとても不自然な事だと痛感する機会になりました。


原発に関するニュースはまだ落ち着きませんが、悲観論と楽観論が二極化する中、現実はきっと、その間のどこかにあるのでしょう。
日本のマスコミにはリスクを過小評価するインセンティブがあり、海外メディアには過大評価するインセンティブがあるのは事実なので、双方比較検討する必要はあると思います。

極論はわかりやすいので人をひきつけるけれど、大抵はいずれの極論も間違っている、というのは母の教え。
安全・危険は白と黒ではなく、多少の不連続があるグレーでしかないので、、、ほとんどの場合においては真っ白でもなければ真っ黒でもない状態を受け止め、対処していくしかないのでしょう。


私ができる事と言えば…
交通ネットワークの災害対策について研究してみることくらいでしょうか。
ただし、こんなに頻度の低いであろう大津波にも壊れない交通機関を作る事は多分非現実的なので、災害で寸断された時に復旧が早いシステムについて検証する、と言う事になるでしょう。
まあ、日本の交通の先生方がもうすでに着手しておられそうですが、多少興味を持って追っていきたいと思います。



mi_wa_fl at 06:09|PermalinkComments(0)

March 10, 2011

一足早く

春休みです!

月水の授業担当なので木曜日から週末なだけでなく、学生&先生達の一部&事務スタッフ二人ともは、シカゴへのフィールドトリップに出かけてしまったので…クレームや質問の嵐からもしばし解放されます。

シカゴのフィールドトリップ、ちょっと行きたかったんですけどね。
サブプライムローン崩壊で空き家になったコミュニティとか、サウスサイドの黒人地区の低所得者用住宅などの見学だそうで、面白そうだったのですが…
残念ながら休み中に友達の結婚式の為東京に帰るのでやめました……というのは半分ほんとで、もう半分は、お休みくらい学生の顔見ないで過ごしたかったから。

いや、いい子もいっぱいいるんですよ。
でも…やっぱり疲れてしまうので…。


家庭教師をずっとバイトでやってたので面倒は見るほうなんですが、多分面倒見過ぎるんでしょうね。
ほとほと疲れてメールボックスを開けたくなくなる、学生の顔も見たくなくなる、学生が訪ねてくるのが嫌でオフィスのドアも閉めっぱなし、というのが大抵の結末。
もっとドライに行かないと、と思いつつ、まだ加減がうまくできませぬ。

自分の想像の範疇外のレベルで理解力の低い子というのも、家庭教師で見たことがあるので慣れてるはずなのですが、一対一なら対処できても、団体になってあれこれ言われると難しいです。


ともかくも、環境を変えて気分転換してきます。


だいぶ、愚痴ばっかり言ってる嫌な女になっているので…

こういう現状不満ばっかりの人間って、私嫌いだったんですが…自分自身がそうなっているという、オチ。


友達の幸せな顔を見て、夫に会って、美味しいもの食べて、ポジティブパワーをチャージしてきます。

そしたら笑顔も取り戻せるかも。
ミソジ女は油断すると苦労が顔に刻みこまれちゃいますから気をつけないとね。


mi_wa_fl at 11:34|PermalinkComments(0)

March 03, 2011

元祖ゆとり教育?

教えているとそれなりにいろんなことがあります。
大抵たいした事ないのだけれど、、、ストレス解消のしようのないここでは、積もり積もって爆発寸前になることも。

ひとつひとつをとれば、ちょっと愚痴りながら美味しいケーキでも食べれば忘れられると思うのだけれど、、、
愚痴るような仕事に関係ない人間関係もなければ、
美味しいケーキも町に存在せず、
何より学生に愚痴を聞かれるリスクを心配せずに済む場所って自分の家以外に思いつかないような町なので…

多数のプチストレスの原因は、半分が学生の基礎学力不足、残りの半分が自分ができないのは相手が悪いんだから交渉する、っていう「なめられてる感」というか言い訳がましいあつかましさ。

びっくりするぐらい中学1年生レベルの数学がわかってない(のに開き直ってる)ところとか、宿題ができなくても試験ができなくてもとりあえず自分が悪いとは思わない(期限設定が悪い、問題文が悪い)とか、ルールを変えることで自分の成績を上げようとするところとか、、、なんとも悪い意味でアメリカ人らしいです。
努力している学生なら多少ゴネられてもまだ許せるんですがね…。

日本ではうわさでしか知らないですが…こういうのを「ゆとり」っぽさっていうんでしょうか?


今週は、プチストレスが積もりすぎて風邪引きました。
あと十日、春休みが待ち遠しい。。。

愚痴、失礼いたしました。

mi_wa_fl at 12:00|PermalinkComments(1)

February 19, 2011

記念日

2月18日は…火事記念日。

昨年同日、住んでたアパートが火事になり半焼しました。
仕事を終えて夜7時ごろ帰途に着き…発見したのは家の窓という窓から黒煙が上がる姿。
消防車が来ているのは道の角を曲がる前に気づいていたけれど、いつもの火災報知機の誤報かと…

4時ごろ出火したそうで、私が帰った頃にはだいぶ消火活動は進んでいたものの、鎮火にはそれからさらに3時間以上かかったようです。


すべて灰になったわけではないけれど、ほとんどのものが厚さ15センチ以上の炭に埋まり、灰(有害危険)まみれ、消火の為に割られたガラスの破片まみれになった上、しっかり茶色(グレー?)に燻製され、消火水で浸した上に冷凍されたので、使い物になる状態で残ったものは少なかったような気がします。
幸い、いくつかの重要書類といくつかの比較的高価なものはは炎から遠かった部屋に防水の収納に入れてあったので助かったものもありましたが、その他はあまりにいっぺんに色々なくしたので、何がなくなったのかも覚えてません。


零下15度の中、暫く炎を呆然と眺めていたものの、消防隊の人をとりあえず捕まえて現状を聞いたところ赤十字に行くよう促されました。
赤十字って、こういう時の救援もしてるんですね。
歯ブラシなどの最低限のアメニティセットと$150ほどのプリペイドカードを渡され、3泊分のモーテルを無料で紹介されて宿泊することになりました。


当日は衝撃のあまり頭がすぅっと冷静になってしまい、消火を待っている間連絡しなければならない人と、お金で買いなおせばすむもの、お金で買えない重要物のリストアップをこつこつとしていたのを覚えております。

私割と泣き虫ですが、その夜は涙一つ出なかった気が。


意外と…お金で買い戻せないものって少ないな、というのがその日の一番の考察。
お気に入りのあれやこれや思い出の品など、失うのが惜しいものも勿論沢山あったけれど、端的に言えば「死にゃしない」。
自分が無事ならば、手元にクレジットカードがあってとりあえず数十万円くらいだったら今すぐ出費できる、というのがリカバリーの第一歩なのだな、と。


それと同時に、、、
物理的距離が近い人との人間関係の大事さも痛感したのでした。

飛行機に飛び乗って駆けつけてくれた彼(現在の夫)は特別としても、やっぱり頼りになったのはアメリカにいた友人たち。
即日物資&資金援助をしてくれたボストンの留学仲間たち、そして色々手を貸してくれた職場の同僚に本当に感謝するとともに、いくら精神的距離が近いつもりでも東京にいる親や友人には、頼ることはできないものです。

家や服が無くたって仕事は休めないし、生活は立て直さなければならないし。遠くにいて状況の想像もつかない人たちにまで被害者アピールする労力を割くことはできないというか…愚痴を言う気にすらならなかった気がします。


異国で暮らすということがどのくらい「独り」なのか、ということ。
だからこそ現地で人間関係を構築しておかねばならないこと。

そして…今回私自身は無事だったものの、今後自分にどんなことがあっても真っ先に連絡が行くようにする為、大事な人とは家族として世に認められておくのが結構大事だったりするのだな、ということ。


物もお金も沢山なくなったけど、色んな含蓄のあったイベントでした。



今日は…1周年記念に職場の友達と"Smoky & burnt"をテーマにランチ。
BBQポークのおいしいレストランでサンドイッチを頬張り、クレームブリュレを食べにカフェもはしご。
消防車のミニチュアをプレゼントにもらったのでした。

mi_wa_fl at 10:50|PermalinkComments(0)

February 04, 2011

全然率直じゃない英語

英語はストレートで、日本語は婉曲的。
大陸ヨーロッパ人は日本ほどではないけれど持って回った言い回しをする傾向にある、というのはよく言われることです。

でも、やっぱりそうとも限らない。
先日日経ビジネスオンラインの記事で「英語での会話はなかなか本音を言わないもの」というのを見ましたが…教員になって痛感するのは、会話における婉曲度の高さ。
確かに論文を書くときは英語のほうが断然ストレートな表現が好まれるのだけれど、会話においては相当な気を使う。特に人の上に立つようになると…

その記事にあったように…基本はGoodとVery Good、およびその派生系で、"Not so good"自分の状態を言うのは人生どん底な感じ、そういうふうに先生・上司か言われるのはお呼び出しで顔真っ青レベルのこと。
特に中西部は礼儀正しさを自認しているだけに、その色合いが濃い気がします。
当然、学生もその基準で私の言葉を受け取るわけです。

"How are you?"と聞かれたらどんなに悪い状態でもネガティブなことは言ってはいけない、というのは長年いろんな人と話していてなんとなく「空気で」学んできましたが、まだまだ修行が足りず"so so"とか"I'm okay"というのが限界だったりします。

教育はなおのこと。
私は勿論日本育ちなので、「あそこを直せ、ここを直せ」といわれて育ってきました。
アメリカではなるべくほめて育てようとしておりますが、、、
それでも育ちが顔を出して、ついつい、なかなか満点の出ない採点基準にしてしまいがち。
学生は随分ご不満なようです。
7割が合格点な私と、クラスの半分が9割とれると思っている学生…
宿題やレポートのコメントも、ふたつほめて一つ注意、という感じでフィードバックしても、それでもまだほめられ足りないよう。
青ざめた学生がどうやったら成績を改善できるか相談に来る、というのが、後を絶ちません。

割と難関の必修コースを教えているので落第のボーダーラインの人が何人かいるのだけれど、彼らとどうコミュニケーションしたらよいやら悩みますな。何せ、私が落第点を出すと、彼ら放校決定なので…


そういえば、私の師匠は嫌いなもの(食べ物)について、
"I'm not a great fan of..."といっていた記憶が。
物言いのとても柔らかかった師匠のこと、その調子でやんわり私にダメだしをしていたのだろうと思いますが…たぶんいくつもスルーしてきたであろうことを思って反省しきりです。


ネガティブな事を言えないっていうのも不便なものですね。


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January 30, 2011

ふたつの名前とGC

ただ今グリーンカード申請中というのは前から書いておりますが、
そんな最中に名前が変わったので色々ややこしいです。

戸籍及びプライベートの名前を変えるにはやぶさかでなかったのですが
仕事は旧姓というのは旦那も了解済み、学者(=ピン芸人)としても
当然かと思っておりました。

ところが。。。

アメリカはもう結婚で姓を変える人がかなり減っていることもあって、
大学のシステムが二重名前を一切許さないことになっており、
話が面倒に。

大学の登録名
=業務用名簿だけでなく内外に教員として公表する名前
=Social Security Numberの名前
でないと、ダメなのだそう。

ミドルネームに旧姓を入れておいて、仕事で旧姓を名乗っても
名簿上はっきり私だとわかるようにするというのも提案してみたのだけど
それも却下。

SSNの名前=アメリカの免許の名前=銀行の名前
なわけで、
仕事で旧姓維持の為にはアメリカの記録は全部旧姓でキープ。
でも、パスポートが新姓になってしまったので、
当然グリーンカードの申請は新姓。

じゃあ、次に飛行機に載る時は・・・
アメリカ国内線の時は学校で経費申請する事も多いから
身分証明書は免許証を出して旧姓で、
国際線は身分証明書がパスポートになるから新姓?

一応弁護士さんには日米での使い分けはOK、と言われておりますが…

本当は、
教員として活動する時&学者として論文を書く時のみに旧姓使用で、
名簿とか経理は新姓、SSNも免許も書き換えて飛行機に乗るときは
新姓に統一、が混乱が少なそうなので良いかと思っていたのだけれど。

以後、トラブったら皆様の参考までにアップします。
何も書かないで済むことを祈ってます。


mi_wa_fl at 14:36|PermalinkComments(1)

January 16, 2011

春学期

クリスマスも年末もスルーして、ずるずると更新頻度が落ちてますが…
日常でインプットに比してアウトプット量が多いので、
どうも自分の中が枯渇してブログ書く気になれない今日この頃です。
ツイッターとか、絶対無理。


何はともあれ、春学期来週開始です。

冬はばたばたと過ごしておりました。
名前が変わりましたが、昔の名前で仕事します。

グリーンカードの手続きやら何やら、相変わらず落ち着きませんが、
今学期は教えるのが大変なコース二つなので頑張らないと。。。

授業をするのも、研究をするのも、何をするのも怖い事ばかりですが、
前に進むしかありませんね。


とりあえず早く風邪を治します。。。


mi_wa_fl at 03:53|PermalinkComments(2)

November 21, 2010

Thanksgiving

ご無沙汰してました。
ようやく休暇です。

2年目は大分まし…と思いつつ、さすがに11月頭には充電が切れ、
時々超準備不足冷や汗物の授業をしたり宿題の採点を溜め込んだりしながらも、
なんとか休暇まで持ちこたえました。

日ごろのスケジュールに加えて、身近な人の訃報が更に続き(この1年多すぎ…)
気持ちが落ちやすかったのも多少堪えたのかも。


この休暇が来ると、もう学期末も間近。日本に帰るのも間近。
もうすぐ一学期終えられる、とほっとするのと同時に、
研究に対する焦り、来学期の授業準備への焦りもでてきます。
冬休みはプライベートで忙しいので、今のうちに仕事進めておかないと。。。


またちょっくらシカゴにも行ってきます。

都会が恋しいんだろ、と、学生にからかわれましたが、その通りでございます。

mi_wa_fl at 13:24|PermalinkComments(0)miscellaneous 

October 25, 2010

Chicago

友達夫婦が引越してきた事もあり、2年目にしてようやく重い腰をあげて遊びに行ってまいりました、シカゴ。

ドライブ片道…4時間ほど。
天気&道路状況がよければ3時間40分くらいで着くかもという感じ。
ドライバーがもう一人いればもう少し気軽に行くのだけれど。


都会に行けば日本のものも色々揃っております。
案内してもらった郊外のミツワで、地元では手に入らない和菓子系やら栗の甘露煮やらナスやら買い溜めし、欲しかった文庫と雑誌も買い、ほくほく。
紅葉もきれいだったし、久々のお寿司&お刺身も美味しかったし、日本人の友達とわいわい話せたし、ご満悦です。


シカゴ自体は前に2度ほど観光や学会で訪れた事はあったけれど…
車で走り回る事でしか得られない知識もあるようで、シカゴの高速道路網を初体験し、勉強になりました。

有料道路のマネジメントとか、色々突っ込むと面白そう。

例えば、夜の郊外(というか、郊外の更に外の田舎)の料金所では、現金払いのブースを閉めてモニター管理し、あとでWebで払うシステムにする実験を実施中。
違反率と罰金と人件費との兼ね合いをモニター中なのでしょう。

払う側から言えば…かなりめんどくさいです。
料金はたいした額じゃないけれど、わざわざサイトに行って、クレジットカード情報入力したりするのがかなり鬱陶しい。

自分はまじめに払ったものの、違反したらどうなるのかプロセスは見てみたかったりします。誰かやって捕まった人がいたらこっそりその成り行きを教えてくださいませ(笑)


都市経験値、またひとつレベルアップです。


mi_wa_fl at 12:20|PermalinkComments(0)

October 12, 2010

学会

この間の週末は、学会でミネアポリスへ。

ACSPという都市計画系学会に行くのはこれで3度目。
師匠の方針で学会デビューが遅かったので回数が稼げていないけれど、ようやく学会の泳ぎ方に慣れてきた。


去年も一昨年も自分の発表の出来に気を取られてしまっていたけれど、やはり学会の主目的はネットワーキング。

プレゼンをしている時も、質問をしている時も、レセプションでも、"Every minutes you are networking"と、就活のときにアドバイスされたけれど、その意味がようやくはっきりわかったし、少しだけ、そのシステムの中に入れた気がする。


ネットワーキングをするにあたって…
出身校が非常に同窓生の少ない学校なので(都市計画分野での卒業生排出数・卒業生に占める米国アカデミア就業率・さらにその中で学会に来る割合、すべて低い)、寂しく思うことは多いし、不利だとさえ思う。
先生方ですら学会来ないタイプが多いし。


元お隣の某工科大や某巨大州立大の各校のように同窓生が沢山いる大学では、就活の際もみんなで大挙して学会に押しかけ、先生たちが各所に紹介してくれる。卒業してからの研究も、励ましあい、助け合いながらやっていて、お互いの今いる大学の情報を交換したり、学会の色んな情報を交換したり。

私の母校のように、私と同期は私のみ、ひとつ下の学年で一人(別分野)、1−3学年上も二つ下以下も誰も来ておらず、先生達も普段は一人来るかどうか(今年は採用活動のため3人も来たけど、そのうち卒業生を覚えているようなタイプは一人だけ)、という状態では、ネットワーキングをはじめるその最初の一歩で随分な差がついてしまう。


確かに、ネットワーキングなしでも超優秀であれば誰かがその論文を見つけて引き立ててくれる。
うちの師匠だけでなく、大御所で学会なんてほとんど来ない人は何人もいるし、ネットワーキングなんて大の苦手という人もいる。

でも、大きな仕事や人の出世が個人の実力だけではなかなか叶わない事は、アカデミアもビジネスと同じ。
実力一本で勝負する! なんて意地を張るのは、相当の天才でない限りやっぱりやめたほうが良いと思う。
少なくとも私にはそんな勇気はない。


いきなり縁もゆかりもない大御所に覚えてもらうのは無理なので、地道にJunior Facultyくらいの研究仲間を作っていこうと思います。


将来の共著者を求めて、婚活並みに「出会いの場に積極的に出かけて」みるのでした。



mi_wa_fl at 12:36|PermalinkComments(0)
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