
薄田泣菫、戸川秋骨、岡野知十、疋田達子、平田禿木、星野天知、馬場孤蝶、三宅花圃、半井桃水、島崎藤村、幸田露伴、田辺夏子、樋口くに。
『一葉のポルトレ』…私はこのタイトルではこの本を素通りしてしまっていた。
『最後の一葉』的に「ひとは」と読んでいたし、この本の装丁から勝手に詩集?と思っていた。
ぱせりさんのレビューを拝読していなかったら、到底たどり着くことのできない本だった。
(ぱせりさん、この本に出会わせてくれてありがとう!!)
樋口一葉という人は書かれた作品そのものよりも私は井上ひさしさんの《頭痛肩こり樋口一葉》の舞台が一番先に浮かぶ。
とにかく貧乏。母、妹を家長として養わなければならず、自分たちでできる仕事はなんでも請け負って働く。
やがて執筆したものが雑誌に載り知名度を上げていくが病が忍び寄っていた。
そんな私の記憶に残る断片を文学仲間たちの文章が肉付けし、「樋口一葉」という人物が浮かび上がる。
ただ、彼らの文章は一様に短く、彼女の全集に関わった馬場孤蝶の文章が60頁ほどで一番長く、この本の3分の1を占める。
個人的に読みたかったのは島崎藤村で、短い生涯の中でたくさんの短編を遺したと北村透谷と並べ綴っている。
一葉さんは透谷とは違い病に倒れたわけですが、やはり若い時の仲間との別れは痛切なもので、これを書いたのは明治40年の『中央公論』で一葉の死から10年経っていますがまだまだ忘れられない哀しい思いを感じた。
半井桃水は彼女の恋人、想い人のように勝手に広まっていたのでしょうね。
作家が遺した日記を公にするというのは読み手の勝手な解釈も入るしやはり残酷なことだと思う。(読みたい気持ちはそれはわかるけれども)
石川啄木を例にあげるまでもなくやはり故人の遺志を尊重して日記を全て燃やしていたのならここまで桃水が取り上げられることもなかったように思うのだけど。
妹のくにさんが姉一葉のひどい近眼のことを挙げ、誰の顔かわからず喋っている人だから、「半井桃水が美男だから意中の人であった」と言う人がいるがそれは姉には当てはまらないと書いている。
美男云々ではなく、やはり師というような信頼がある関係であったんではないかな。
若い女流作家の死を悼みつつ華を添えるようなゴシップの匂いも消せないけど。