「北村透谷」という名前を聞いて、代表作がこれ!と浮かぶひとは現代でどのくらいいるのだろう。
増してやその妻、家族のことはどのくらい認知されているのか。
私はトーソン先生のお陰で妙に彼・透谷が気になっていた。
トーソン先生の作品に透谷を思わせる人物が登場していたし、小田原の文学館に今は収まっているあのデカい(デカすぎな)石碑。
どれだけの想いがこの石碑には込められているんだろうと見るたび気になっていた。
気になって透谷の作品を手に入るものは読んだ。彼の生涯も追ってみたが…そこまで正直なところ魅力は感じていないのだ。
「ラヴせよ」とかかなり恥ずかしいし、恋愛至上主義みたく持ち上げられるのも当時としては新しく捉えられたのかもしれないけれど、透谷自身目指していたものはこういうのではないのでは??という気もして。
人間としてダメな感じが太宰を彷彿させる部分もあるのだけど、太宰程作品も名声も遺せず一人で逝ってしまった人。(みちづれを求めなかった部分は太宰より受け入れられる)
さて、こんな人の奥さんってどんな!?
そんな興味から朝日新聞連載時も読んでいたのですが、やっぱりまとめて読みたいと単行本を手に取った。
すんごくシンプルな装幀。タイトルも連載時から地味よねと感じていた。
が、この奥さまからはあまり悲壮感は感じない。
夫に自宅の庭で死なれて、30歳過ぎて日本を飛び出しアメリカで勉強するって凄い飛躍。透谷との間の幼い一人娘は透谷の両親に預けてというのも凄い。
少し前に読んだ『グロリアソサエテ』の柳宗悦夫人も幼い子ども3人を使用人に頼み、単身ドイツ留学を果たすというのもかなり驚いたけれどこの兼子夫人はまだかなり計画的に見えた。時代は昭和の初めだったと思う。
でもミナが日本を飛び出したのは明治。しかもそれほどお金が用意できたわけでもなく、ただ英語を学びたいという溢れる熱意だけで実行したように感じた。
帰国時は40歳を過ぎている。8年もの間アメリカで学びながら生活できたのだからやはりただものではない。
この作品の中でのミナはあくまでも「ミナ」であって、北村透谷夫人という色があまり見えない。
たぶんがむしゃらに前を向いて生きてる人なんでは?と感じていたが、後半で出奔した学生を探し当てる場面。
「今度は止めた」という思いは20年間ずっとミナの心に重く引っかかっていたもので、自死を止められたという思いは大きな安堵と感じたし、あぁやっぱり傷付きながらも前を向いてる人なんだと感じた。
これまでが嘘だったかのように普通に生活する生徒の姿を微笑ましく見たり、ミナにとって教師というのは天職だったんだなと思った。
まぁ、こういう予測不能な生き方をする人の子どもというのはかなり迷惑を被るというのも感じた。うん。気の毒。理解するのは大変だったろうな。
増してやその妻、家族のことはどのくらい認知されているのか。
私はトーソン先生のお陰で妙に彼・透谷が気になっていた。
トーソン先生の作品に透谷を思わせる人物が登場していたし、小田原の文学館に今は収まっているあのデカい(デカすぎな)石碑。
どれだけの想いがこの石碑には込められているんだろうと見るたび気になっていた。
気になって透谷の作品を手に入るものは読んだ。彼の生涯も追ってみたが…そこまで正直なところ魅力は感じていないのだ。
「ラヴせよ」とかかなり恥ずかしいし、恋愛至上主義みたく持ち上げられるのも当時としては新しく捉えられたのかもしれないけれど、透谷自身目指していたものはこういうのではないのでは??という気もして。
人間としてダメな感じが太宰を彷彿させる部分もあるのだけど、太宰程作品も名声も遺せず一人で逝ってしまった人。(みちづれを求めなかった部分は太宰より受け入れられる)
さて、こんな人の奥さんってどんな!?
そんな興味から朝日新聞連載時も読んでいたのですが、やっぱりまとめて読みたいと単行本を手に取った。
すんごくシンプルな装幀。タイトルも連載時から地味よねと感じていた。
が、この奥さまからはあまり悲壮感は感じない。
夫に自宅の庭で死なれて、30歳過ぎて日本を飛び出しアメリカで勉強するって凄い飛躍。透谷との間の幼い一人娘は透谷の両親に預けてというのも凄い。
少し前に読んだ『グロリアソサエテ』の柳宗悦夫人も幼い子ども3人を使用人に頼み、単身ドイツ留学を果たすというのもかなり驚いたけれどこの兼子夫人はまだかなり計画的に見えた。時代は昭和の初めだったと思う。
でもミナが日本を飛び出したのは明治。しかもそれほどお金が用意できたわけでもなく、ただ英語を学びたいという溢れる熱意だけで実行したように感じた。
帰国時は40歳を過ぎている。8年もの間アメリカで学びながら生活できたのだからやはりただものではない。
この作品の中でのミナはあくまでも「ミナ」であって、北村透谷夫人という色があまり見えない。
たぶんがむしゃらに前を向いて生きてる人なんでは?と感じていたが、後半で出奔した学生を探し当てる場面。
「今度は止めた」という思いは20年間ずっとミナの心に重く引っかかっていたもので、自死を止められたという思いは大きな安堵と感じたし、あぁやっぱり傷付きながらも前を向いてる人なんだと感じた。
これまでが嘘だったかのように普通に生活する生徒の姿を微笑ましく見たり、ミナにとって教師というのは天職だったんだなと思った。
まぁ、こういう予測不能な生き方をする人の子どもというのはかなり迷惑を被るというのも感じた。うん。気の毒。理解するのは大変だったろうな。

