2006年03月25日

旧大阪窯業衫瓦工場跡

20060325ohama-1Dsc01045 南海本線堺駅下車東へ徒歩5分。堺市大浜北町にある「大浜公園」のエントランスです。幹線道路に面しているので、この風景を見慣れた方も多いはず。
 ここで、煉瓦(レンガ)風のタイルを使用したオブジェが多用されているのは、この地がかつて巨大な煉瓦工場であったことを偲んでのことだと推測されます。

 その煉瓦工場とは、「大阪窯業株式会社」。「大阪窯業株式会社」が、ここ大浜北町に工場を立ち上げたのは、1896(明治29)年だといわれています。

 明治時代から大正時代にかけて、堺をはじめ泉南地区では、多数の煉瓦工場が操業していました。煉瓦に適した良質の土がとれたというのが、その理由の一つだそうです。
 1870(明治3)年、日本で最初の官営煉瓦工場が作られたのも堺であり(工部省鉄道寮堺煉瓦製造所)、また、1887(明治20)年創業の岸和田煉瓦株式会社、1894(明治27)年創業の貝塚煉瓦株式会社、1893(明治26)年創業の堺煉瓦株式会社など多数の煉瓦工場がありました。
 これらの工場は、全国の鉄道建設現場に向けて大量の煉瓦を供給していました。(ちなみに、煉瓦には一つ一つに刻印が付されており、この刻印によってどこの工場で製造された煉瓦であるかわかるようになっています。)
 しかし、その後、大正末期になって、土木・建築構造物が煉瓦構造からコンクリート構造へと移り変わるとともに、ほとんどの工場は操業を終了しています。


20060325ohama-2Dsc01042 大浜公園をよく訪れる方であってもご存知ない方が多いですが、園内の片隅には、かつてここが「大阪窯業株式会社」の工場であったことを示す碑が保存されています。

 この碑は、従来、ここから少し東側にあたる工場用地内に実際にあったものを移転させてきたものですが、その碑文を見ると、明治時代に空を覆いつくすほどの黒煙を吐いて操業する煉瓦工業の様子や、明治時代から大正時代にかけて土木建築・鉄道事業の発展に貢献した社の自負などが記されています。また、晩年、産業構造の変化からこの地を撤退し、跡地を住宅開発していく様子なども記されています。

 なお、つい最近まで、同社の本社建物が旧国道26号線(府道堺阪南線)のやや東側に個人の居宅として残っておりました。第二次大戦の堺大空襲を生き延びた貴重な建物でありましたが、残念ながら、2004(平成16)年10月、老朽化を理由に解体されてしまいました。
 したがって、現在では、この地に「大阪窯業株式会社」の煉瓦工場があったことを示す痕跡は、この碑のみとなってしまいました。


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michi2002 at 23:00│Comments(2)TrackBack(0)史跡・名産・名店 | 古墳市・堺

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この記事へのコメント

1. Posted by やっちー   2011年08月17日 12:00
この夏、岸和田の夫のおばあちゃんを訪ねた折、おじいちゃんが大阪窯業に勤めていたと聞きました。
その前は、備前市で、窯業の関係の仕事をしていたそうです。
今はなき窯業という産業に時代を感じました。
2. Posted by Jukensei   2011年08月20日 23:21
やっちー様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
そうですか。おじいさまがお勤めでいらっしゃった。
なんかすごい話で、少し大げさかもしれませんが感動してしまいます。

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