2006年04月19日

ブログ終了のお知らせ

こちらのブログ「南極ロックンロール日記」、今日をもって終了したいと思います。
今までご愛読いただきまして、どうもありがとうございました。
では。

michi_hamma at 01:31|この記事のURLComments(0)

2006年04月17日

春の不審者

今日はぽかぽかな一日だった。
休日で天気がいいと気分がいいもんだ。

そんな陽気の中、昼過ぎに1人、角田山付近のシーサイドライン402号線を運転していたら、春の陽気に誘われてか、奇妙な不審者を発見!
ニワトリが3羽、シーサイドラインをきょろきょろしながら横切っていく。
よくテレビなんかで報道されているカルガモの親子みたいに、ニワトリは道路を横断していた。

しかも、茶色いチャボみたいに野生っぽいのじゃなくて、白くていかにも食用っぽいやつ。
おいおい、養鶏場から抜け出して何やってるん?
近くの上堰潟公園へお花見にでも行くんか?

檻に囲まれての生活で筋力が弱っているのか、車を降りて追っかけてみても逃げ足がすこぶる遅い。
お前ら、そんな遅いんじゃ、すぐ捕まって肉にされちゃうよ。

あー、マヌケでかわいかったなあ。

michi_hamma at 21:03|この記事のURLComments(3)

2006年04月15日

食事のマナー

『鬼平犯科帳』や『真田太平記』などで有名な池波正太郎さんのエッセイ『日曜日の万年筆』を読んでいる。
1編が5〜6ページの短編集なので、1日1〜2編を休憩時間とか寝る前に気になる編をランダムに選んで読んでいる。
このエッセイは何気ない日常を綴った随筆で、池波さんの日頃食べている食べ物の話もたくさん登場するのだが、これが実にうまそうだ。

このエッセイでは、和食に限らず「ビフテキ」や「チキンライス」等、洋食もたくさん出てくる。
レストランは「食堂」と書いている。
言い回しがレトロで、そして庶民的で、たまらなく食欲をそそる言葉の響き。

あと「カツライス」。
これってどんな食べ物なんだろう?
新潟のカツ丼みたいなものなのかなあ。
(新潟のカツ丼は、卵でとじず、ソースにくぐらせたカツをご飯にのせるんです。)

それと天ぷら。
天ぷらを外で食べるってなんて贅沢なんだと思うが、昔は屋台の天ぷら屋もあったりして、値段も良心的で、親切な接客をするお店が多かったそう。

あと池波さんは、外で食べる天ぷらも大好きなのだが、お母さんがいろんな野菜を揚げた「精進揚げ」を、翌日甘辛く煮てご飯にのせお弁当にしてもたせてくれたそうで、タレがご飯にしみていて、これも美味しかったらしい。

池波さんは、東京の下町界隈の天ぷら屋さんによく行ってて、そこでは寿司屋みたいに一品一品注文しながら食べる。
そして、キスやハゼ、車海老等、日本酒を飲みながら食べたのだが、その時も池波流の天ぷらの食べ方があるんだそうだ。

天ぷらは揚げたてが上手いし、油の火加減も難しい料理だ。
だから、天ぷらは作る方も食べる方も、そのタイミングを外さぬよう気遣うものなんだって。
だらだら食べていると、油の熱を下げなければならず、それを元の温度に戻すのは難しいそう。
もてなされる方も、食べ物に対し礼儀をもって真剣に向き合えってことか。

これには私にも思い当たる節がある。
私の連れは料理が大好きで、基本的に彼が作る。

だいぶ前2年くらい前だったか、いつも通り彼が夕食にパスタを作っていて、ちょうど出来上がって、「さて食べよう」としたら、私の携帯が鳴った。
で、5分くらい電話で話して切ったら、彼は怒りながらこう言った。
「パスタの鮮度が落ちたじゃねーか!俺はパスタを早く食わない女だけは許せねー!」と。
普段めったに怒ることはないし、怒ることはあってもニヤけながら怒るし、こんな真面目に怒ることはない人だった。

どうやら彼に言わせると、パスタは3分以上経つと油分が乳化し、一気においしさがなくなってしまうんだそうだ。
っていうかそれ以上に、人がせっかく作ってくれた料理に対して礼節がなってないことが、怒りを買ってしまった原因なんだろうね。
しかし、私の礼節で言ったらもっと他に怒ることがあるだろうに。
とりあえず、パスタに関しての礼節だけは、以後注意するようにしている。

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2006年04月12日

団塊世代の青年期

さっきテレビを見ていたら、NHKで美輪明広さんがコメンテーターになって、劇作家で小説家、そして俳句なんかもつくっていた「寺山修司」についての番組をやっていた。

寺山さんは、1960年代に劇場を抜けて路上で「ハプニング」をよく行っていたらしい。
事前に「ナゾの花嫁が何時何処どこに出没します。」みたいなビラをまき、その日時にその場所で白無垢を着た花嫁が都会の街を闊歩する、そんなハプニングなんかもやっていたそうだ。

寺山さんの舞台は実際見たことがなく、脚本やエッセイ、詩集という文字媒体でしか今まで拝見したことがないが、そんなことまでしていたとは驚きだ。
しかし、劇場の舞台用の作品『毛皮のマリ−』(オカマのお母さんに育てられた男の子の話)は、その突拍子のない話の設定からにしても、独特な登場人物とのやり取りにしても、ハプニング同様、日常生活では想定できないような場面設定であり、そこに潜む人間の裏側を鑑賞者に考えさせる作品だ。

そして、寺山さんのその花嫁のハプニングは、ハイレッドセンターのハプニングに比べたら、日本的美意識や怨念、幽玄さをもっているし、寺山さんの世界観が出ているなあと思いながら、その番組を見ていた。

寺山修司さんが活躍された当時は、学生運動があって、若者が既存の価値観を突破しようと模索しつつも、その背景には虚無感と焦燥感で包まれた時代だった。

それまでの日本は、大平洋戦争期では「天皇万歳!」「欲しがりません。勝つまでは。」とか。
映画『蛍の墓』では、白米を食べたがる節子に叔母が「兵隊さんが御国のために働いているのに。昼かて雑炊です!」ってすごい剣幕で怒っていたっけ。
しかし、戦争が終わって、神だった天皇が人間になって、お国のために死ぬことが正義だった日本にアメリカから「自由」が輸入されて。

そんなこんなで、具体的な目指すべき方向性を見失いかけていた混乱期に、寺山さんとか他にも唐十郎、宇野あきら等、芸術界に独特な世界観を持つ創造活動が多々見られるのは興味深い。
みんな全速力で何かを追いかけていた。
本当に面白い作品が生み出された時代だと思う。
私は、当時のハイレッドセンターなんかの前衛芸術は、人の焦りや空しさ、ユーモア等、人間くさい部分があって、海外の「フルクサス」より、ある意味面白いと思う。
日本にとってアートが輸入品だからこそ、こんな面白いことができたんじゃないか?
そして、当時のハプニングの中では、ダダカンが一番好きだ。


余談ですが。

その寺山修司の番組が終わって、ニュースステーションにチャンネルを変えたら、ちょうどタイムリーに団塊の世代の名曲『神田川』の特集をやっていた。

歌詞の「若かったあの頃 なにも恐くなかった ただ貴方の優しさが恐かった」って、恋人の優しさが消えてしまうことが恐かったんじゃなかったんだね。
「革命を起こそう」っていう信念を持ちながらも、家に帰れば同棲中の恋人がいて。
その恋人の優しさに包まれた平凡な生活によって、いわゆる小市民になるのが恐かったんだって、その『神田川』を作詞した人って。

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2006年04月09日

サウンド・オブ・ミュージック

今日、10年ぶりくらいにミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観た。

記憶がとぎれとぎれで、主人公のマリアが朗らかで表情豊かに歌うシーンしか憶えていなかった。
結末ってドイツのナチの弾圧という重たいテーマと絡んでいたんだね。

トラップ家の兄弟の末っ子(5才)が、とてつもなく可愛い。
決して顔のパーツが整っているわけではなく、ブチャイク顔だけど、むくれた顔とか、歌や踊りのテンポが若干ズレ気味なとことか、とてもキュートだった。

あと、主人公マリアの歌の上手なこと。
あやつり人形のシーンのヨーデル風の歌は、何度もDVDを巻き戻しして「ヨ−ロレリッヒー♪」とマネしてみたけど、あんな風にマリアみたいにできない。

それと、ナチに追われて、オーストリア軍の軍人大佐であるトラップ家のお父さんが、若い兵士に「君は若いから、ナチの恐さを知らないんだ」みたいなことを言っていたけど、どうもそこだけは不自然に思えた。

お父さんは奥さんに先立たれ、その結果マリアと結婚するのだが、マリアと結婚する前に、お金にしか目のない傲慢女に騙され婚約までした男だ。
その女はいやらしい作り笑いもするし、見るからに怪しい女だ。
そんな女に騙されるお父さんが、ナチの本当の恐さをあの時分で分かるはずがない。
だって、あの思慮深い哲学者ハイデッガーまでナチに賛同したあの時代に、女を見抜けない男が、ナチの恐ろしさを語るなんて、絶対おかしい。

せいぜい、あのシーンでは、
「わがオーストリア国のためにも、他国の言いなりになってはいけない!」
程度に止めておくほうが無難だ。

しかし、マリアはいつも陽気で邪気が無く、可愛い子ども達に囲まれて歌うシーンはとても素敵だ。
歌ってすごいね。
ドレミの歌やエーデルワイス、私のお気に入り、など、どこかで聞いたことのある歌がサントラになっているんだけど、観ているこっちも歌いたい気分にさせてくれた。
歌は、あんなにも愉快な気持ちを人に与えてくれるものなんだなあ。

しばらくここ数日間は「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラが頭の中に流れそうだ。
実生活がミュージカルみたいに見えてくる日が当分続きそうだ。


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2006年03月31日

お雛様巡り

昨日、村上に行って町屋の人形さま巡りをしてきた。
3月も終わるというのに、雪と強風で天気が悪く、鼻水を垂らしながら背中を丸くして廻った。

このお人形さま巡りは、新潟の村上市にある商店街の人達で運営されているイベントだ。
そして、各家々に代々受け継がれているお雛様や五月人形、金太郎さん、怨念のこもってそうな抱き人形など…江戸時代から平成にかけて様々な時代の人形が、それぞれの店鋪に飾られているというもの。
土人形っていう陶器でできた雛人形もあった。
あと、「トラ屋」というパン屋さんは、動物のトラのお内裏様とお雛様をパンで作っていて、食べちゃうのがもったいないくらい可愛らしかった。

村上は、城下町で古い伝統がある街ながらも、新しくできた建物は新しいし、築百数年の長屋を改築しながら住み続け、黒光りする太い柱や梁が自然とそのまま残った建物なんかもたくさんあった。
なので、京都や金沢ほど徹底的に景観を保とうという姿勢は薄いようで、逆にその敷居の低さが居心地良く、どこか懐かしい雰囲気のある雑多な街だった。
そして、行く先々でお店の店主さんは、村上の長屋の造りだとか、お雛様のこととか(江戸時代まで、男雛は右で女雛は左だったらしい!)、お店の商品のこととか、嬉しそうな表情をしながらいろいろ丁寧に説明してくれた。

村上は鮭で有名な街で、よく伊勢丹のデパ地下なんかに見られる加島屋みたいな、高級感あふれる鮭屋さんも、人形巡りの参加店鋪としてあった。
そして、そのお店の奥にある大きな蔵に行くと、何千匹もの鮭が吊るされていて、それはそれは圧巻だった。
そこでも、お店の女将さんが鮭についていろいろ説明してくれて、おかげで鮭の生態にも詳しくなった。

そのお店の帰り際、塩引き鮭が一切れ千円もの値段で売っているのを発見し、連れがそれを買おうか買うまいか必死に悩んでいた。
で、結局買わなかったのだが、「一生に一度は食べよう」と、連れは漏らしていて、アミノ酸たっぷりの塩引き鮭に対して未練がましい様子だった。

一切れ千円の塩引き鮭の代わりというか、春なので、その商店街の和菓子屋で1つ百円の桜餅を2つ買い、帰りの車の中で食べた。
淡いピンク色のお餅の中に白あんが入っていて、それほど甘くなく上品な味だし、ほんのり桜の香りもした。
とても美味しかった。

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2006年03月30日

『オーラの泉』を見て

さっき『オーラの泉』を見ていたら、須藤元気さんをゲストに迎えていた。

須藤さんは、格闘家なので自分の躰を鍛えることだけに専念している人なのかと思いきや、自分の精神においても非常に関心があり、宗教、哲学、科学に精通した、たいへん勉強家な人だった。
それで、体育会系に偏見のある私は正直驚いた。

まあ、そんな私の偏見はどうでもいいんだけど。

その番組で、須藤さんは、何か悩みがあったり答えがほしい時には、自分の守護霊に手紙を書くとおっしゃっていた。
そうすると、その答えが、電車の中吊り広告の文字であったり、何かしらの日々の生活の中から飛び込んでくることが、おおいにあるらしい。
欲することによって、世の中の事象の中から求めるものが返ってくるんだそうだ。

そして、須藤さんは「シンクロニシティ(偶然の一致)」を大切にしているともおっしゃっていた。
これは、以前大学の心理学の授業でちょっとかじったことがあり、その時から興味をもっていた。
(その授業では、シンクロニシティを「共時性」と言っていた。)

シンクロニシティとは、例えば、自分があの人と会いたいなあ、と思っていると、ちょうどその人から電話が掛かってくるみたいな現象。
偶然って言ったら偶然だけど、でも偶然にしちゃできすぎなこと。
つまり、シンクロニシティは、世の中のどんなものであっても、2つの事象の間に因果関係があると考える立場ということになる。

私は、困っているとだいたい助けてくれる友人や先生がいるし、もともとそういった出会いに恵まれた人間だ。
それに、自分の連れも、会いたい時に会ってくれる確立も相当高い。
あと、いやなことがあって家に帰ると、夕食に大好物なものが出てくることが多い。
なので、シンクロニシティは戯言とは思えない。

科学的立証が難しいし、ただの偶然じゃん、確立的な問題だよ、っていうことで済まされそうなシンクロニシティだけど。

シンクロニシティが本当か嘘かなんて、そんなんどうでもいい。
そんなことより、人のイメージの広がりによって、2つの事柄に関係性を見い出し、そして嬉しい気持ちになったり、感動したり、ありがたい気持ちになれることって大切だと思う。

ちなみに寺山修司さんによると、「どんな鳥でも、想像力よりは高く飛べない」らしい。

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2006年03月26日

フリーペーパー

今まで新潟市内と長岡の中間地点に住んでいながら、買い物や食事やその他の娯楽など、新潟市内で済ませてばかりだった。
中越地方は、長岡の近代美術館に行く以外、立ち寄ることがなかった。

でも、ここ最近、新潟の中越地方の用事が多く、長岡、見附などへ行って、いろいろ驚かされることがある。

で、その1つとして長岡のフリーペーパー。

新潟市内で出ているフリーペーパーはファッションとか流行とか、美味しい食べ物を特集しているものが多い。あと習い事特集とかも。
そういうのって、いかにもオシャレ雑誌の縮小板を目指して制作されている印象がある。
そして、「新潟のおしゃれ」と言いつつ、オシャレの基準を六本木ヒルズや表参道に置き、また制作者が画一的なオシャレスタイルを目標としている方向性を持っていること自体に、見ていていたたまれない気持ちになってしまう。
あと、新潟のオシャレエリアの人たちが内輪的なノリで作っていたり、製本や紙面のデザインにこだわっているわりに内容の無いフリーペーパーを、毎号同じような特集でごまかしているものも少なくない。

これって地方に行けば行くほどこうなんかなあ、と思っていたけど。
でもそれは違うみたいだ。

長岡の「マイ・スキップ」というフリーペーパーを見つけた。
ぱっと見、デザインは凝っていなく、地味な印象。
でも、老若男女問わず長岡の情報を提供していて、しかも地元に密着した話題を提供してくれる良質なものだったのだ。

内容としては、長岡市の文化や学術的な内容が多く(長岡はお城下だったので、文化や学問を尊ぶ気風がもともとあるらしい)、あと展覧会情報や、あるボランティアの結果報告、長岡花火のことまで載っていたりした。

そして、その見せ方が面白い。
長岡の歴史を図書館で働く人が書いていたり。
昭和40年代から続く喫茶店の店主さんに、街の変化やその店主さんの生きるスタイルをインタビューしていたり。

長岡のカフェや雑貨屋などのお店の特集もあり、これはフリーペーパーでよくある特集だ、とも思えた。
でも、よく読んでみると、そのお店をオープンさせた理由とか、お店のこだわりを、店主さんの若い頃の経験やその当時感じた社会に対するジレンマなども含めつつ、じっくり取材して書かれていた。
また、お店の方の日々の生活スタイルも書かれているのだが、私的な暮らしぶりが、自分のお店へのこだわりや熱意とつながっていて、美意識をもって生活する人々の姿が見受けられ、読んでいて気持ちが良かった。

このフリーペーパーは、なによりライターさんや制作者の人達が、丁寧に長岡住民の人と関わっている。
1人ひとりのこだわりや関心や心の深い部分、または文化や学術的なことに至るまで、慎重に掘り起こそうとしている姿勢には、頭の下がるものがあった。

また、長岡は1年半前に、中越地震で大きな被害のあったエリアの1つだが、このフリーペ−パーに登場している長岡住民みんな、お金では還元できない価値とポリシーをもって、生き生きと暮らしている姿が見られた。
こういう情報誌は読んでいて、読者に目には見えないエネルギーを与えているかのように感じる。

michi_hamma at 22:41|この記事のURLComments(1)

2006年03月25日

憎めないキャラ

久しぶりに大学時代の友だちと明日飲む。

で、そのことを卒業式の二次会でちらっと教授に言ったら、ついつい話が弾み、
「A先生も来ますか?」
と、話の流れにまかせ口をすべらせた。
そしたらA先生、乗り気になって、その飲み会に来ることになった。

そしてさらに話は進み、A先生の仲良しのB先生もその飲み会に参加することに話が進んでいった。

ここまではよくある話なんだけど、問題はここから。

でも、B先生は、別な飲み会もあるんだけど、その後うちらの飲み会に移動して飲みたいそう。
その別な飲み会は大学付近でやるだろうって言ってるし、だったらその近辺に私たちの飲み会会場があった方がいいだろうと、大学近くの居酒屋Aを予約した。

で、さっきメールチェックしていたら、A先生からこんな内容のメールが届いた。
《明日の飲み会は、居酒屋Aは避けてほしい。
B先生は、別な飲み会が居酒屋Aであるから、同じ会場の居酒屋Aでやってほしいって言っているんだけど。
僕は居酒屋Aでは飲みたくない。(複雑な事情があるらしい。)
でもB先生はいいじゃん。居酒屋Aでって言うし…
なので居酒屋Aではない飲み屋にして下さい。》

なっなんと!私が予約した居酒屋Aは、B先生の別な飲み会の会場と一緒だったのである。

でも、居酒屋AをA先生は嫌だって言っているし。
別に居酒屋Aでいいじゃん、B先生もその方がいいって言ってるんだし。

しかし、A先生の言う複雑な事情は、教授盛名に関わる問題でもあるわけで。
仕方ない、居酒屋Aは明日の午前中までにキャンセルの電話入れて、別な居酒屋予約しよう。

もし普通の中年がメールでこんなワガママ言ったら、
「おいおい!ちみは何歳なんだ!」
と怒りたくなるが、
19才の頃からお世話になっている教授で、しかもアーティストだと、
「仕方ないなあ。」
と思えてしまう今日この頃。

michi_hamma at 01:41|この記事のURLComments(0)

2006年03月22日

明日は卒業式

明日は卒業式だ。

遠足は家を出た瞬間から自宅に着くまでが遠足だ、と小学校の先生は言うが、女子にとって卒業式は、卒業式前日から卒業式。
とても忙しい。
なぜなら、女子として、卒業式や謝恩会に着る服のコーディネートで、前日からやることいっぱいだから。

今日起きて今までの流れはこんな感じ。
・午前中…
どういったコーディネートにしようかと、『特ダネ』『答えてちょうだい』のアナウンサーを参考にしながら、イメージを高める。

・昼…
結局、「脱アナウンサー」をテーマにしようと思い直す。
で、シャネルの真っ赤なマニキュアを塗ってみたものの、アイメイクはアイシャドーを春らしく淡いグリーン系にしようと考え始める。
でも、目元が緑で爪が赤かったら、「色気狂い」みたいだと思えてきた。

・2時過ぎ…
急きょマニキュアの色を変えようと、ドラックストアのコダマに行って、あらゆるマニキュアを物色。
そして、ヴィセのグリーンゴールド系のマニキュアを購入。
でもつけてみたら、単なるゴールドにしか見えなかった。
5度付けしてもまだまだゴールド。
まあいいや。
指輪はピンクゴールドだし、グリーン系じゃない方が、ちょうどいいや。
でも、さすがに5度付けだと、爪先だけが、金色の大仏みたいに神々しい。
リムーバーで落として、再度やり直し。
1度付けに塗り直し、それでは輝きが足りないので、トップコートを塗って光沢を出してごまかした。

・そうこうしていると4時過ぎ…
昼ご飯も忘れて、マニキュアを塗っていたため、小腹がすいてきた。
で、うどんを作っていたら、マニキュアが剥がれる。
もう一度、前の行程のやり直し。

で、そんなこんなしていたら、こんな時間になってしまった。
もう夜の7時か。

これからやることは以下の通り。
・スーツのアイロンがけ
・ワンピースの試着
・無駄毛の処理
・顔のパック
・靴磨き
・宝飾品磨き

うーん、やることいっぱいだ。

michi_hamma at 19:11|この記事のURLComments(6)