京都独り暮らし日記 (2011年6-7月)
2011年09月18日
季節はめぐる

京都で参加したおばんざい教室。
秋から冬にかけてまた開催されるので
10月と12月に参加することにした。
また京都に行くのだ!今回は町屋を
改装した宿の安上がりのドミトリーに
泊まることにして、宿泊予約も完了。
一月半暮らした間に知合った人達や、
よく通ったお店に、再会・再訪できる。
嬉しい、待ち遠しい。
←修学院離宮で見つけた柱の虫食いです。
(愛らしい。 ミロのようだわ)
さて、昨日はピアノのレッスンでした。
楽器の素養のない私にとって、このところの課題は音楽とは思えない。
コンピュータ・ゲームをしているみたいで、鍵盤上で即ゲームオーバー
状態になってしまう。 「もうそろそろ限界。癪だけれど、もう止めますと
言うべきか」などと考えながら、宿題は一応やって出掛けました。
このままだとピアノで音楽をする興味を失くしてしまうと、先生も察して
いたらしく、少し練習方向を変えましょうという事になりました。先生も
しぶとい。それで今しばらくは続ける気になりました。単純な性格。
他の人の何十倍も時間を掛けないと出来ないというのに、ピアノに
触っているのは好きなんだから、私も往生際が悪い。
それじゃ、ちょっとPの宿題、やってみるか。
2011年08月19日
京都で買った中古バッグ

買わないと誓っていたんだけれど、
グレイッシュピンクの色が気に入って
古道具屋でこんなの買いました。
この年でピンクのバッグ!とも思った
けれど。。。 形も可愛いかったし。。。
可愛いってのもナンだけれど、まあ
いいじゃありませんか。
ジッパーを開けるためのパーツが
片方取れている所にも、何故か惹か
れたのだ。壊れている物が愛しいと
いう気持ちは何でしょう。 ”可愛そう
だたぁ、惚れたってことよ” かな。
今は時間があるので、思い入れのある内に修理することにしました。
京都でも探したけれど、似たようなパーツは見つけられなかった。
先日新宿に行ったついでにユザワヤを見たけれど丁度良いのがなく、
渋谷に行った時にハンズで探したらお誂え向きのがありました。下側に
つける丸い金色のパーツも、何とか使えそうなのが見つかりました。
同じサイズになるように削って、蝋燭であぶって焦げ目を付けて、それ
らしくなったでしょう。 金具に嵌めるために上下に穴を開けるところまで
出来ました。元はボタンなので四つある穴を塞いで、最後はニスを塗る。
これは透明のマニキュアで代用できるかな。 この為だけにニスを一瓶
買う気にはなれません。
このバッグ、内側に「GUCCI」のタグが付いている。 グッチのバッグに
バンブーのシリーズが色々あるのは確かだけれど、これは明らかに
真赤な偽物ですな。 グッチがコンシールファスナーを使う訳がない(笑)
ま、ご愛嬌ということで修理しています。 こういう作業は、飽きてきたら
そこで止めるのがコツですね。 私の性格だと、飽きるとその先が雑に
なってきて、いい所まで出来たのに最後に結局駄目にしたりするから。
気長に、気長に。
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一緒に調達してきたスパンコールやラインストーンのブレードをステージ
衣装用に縫い付けるなんてことも、まったりとやっておる今日この頃です。
来週のライヴまでに間に合うかしら。
2011年08月13日
京都御苑のこと−3

見学には許可が必要な御苑内の仙洞
御所の中にも小さな祠がたくさんありま
した。これらはみな綺麗に整備が行き
届いていて、良く見ると後ろ側に必ず
大木が立っていました。
他の庭園、例えば大覚寺の庭の祠の
後にも大きな木がありました。してみると
この場合、祠の神様は木なんですね。
まずは木があり、それに神性を感じて
祠を建てたってことです。祠を拝むのでは
なくて、木を拝むための祠だったんです
(気付くのが遅過ぎ)。大木の前に鳥居だけ
建っているというのも見かけますが、その
鳥居が丁寧になったのが祠なんでしょう。
古い大きな神社で拝殿の後ろに神殿が
あり、建物が重なっていることがある。
この場合は神殿に「神たる物」が祀って
ある訳です。拝殿しかない事があるのは、
御神体が後ろの山だったり瀧だったり
するんですな。 なるほど。
古来、私達日本人は手を合わせて拝むものに囲まれて生きていたという
ことですね。そもそも仏教のお寺の中に神社が同居していたりするのも、
明治の神仏分離令以前は当たり前のことだったそうで、神社でも寺でも
ともかくも手を合わせて拝みたくなるのは、自然の力に神を感じていた
先人の記憶が今も血の中に流れているのでしょう。宗教心はあまりないが
信仰心はある(私はそう)、というのはとても普通のことなんだと思います。
2011年08月07日
京都御苑のこと−2

おりました、私。
御苑の敷地の全てが御所であったわけ
ではなく、明治2年に明治天皇が東京へ
移る前は、御所を囲んで宮家・公家の
家々が200程も建ち並ぶ公家町だった
そうです。
天皇が東京へ移るのに従ってほとんどの
宮家・公家達が東京へ引っ越したので
家々は空家となり、御所周辺は大変に
荒れ果てた状態になってしまったそうです。
明治10年に明治天皇が京都を訪れた時に、そのあまりの様子を悲しまれ、
御所保存の沙汰を出したのが、公園整備の始まりとのこと。
荒れた屋敷を撤去し、周囲の石垣や土塁の工事、植樹などがされて、周辺の
道路の拡張等もされて大正4年にほぼ今の形となり、昭和22年には、新宿御苑、
皇居外苑と共に国民公園となったと、御苑の資料館となっている閑院宮邸を
見学して知りました。
自転車で隅々まで走ってみると、町を形成していただろうことが偲ばれます。
敷地の南側には、閑院宮邸(資料館・見学無料)や、九條家の庭が残って
いますし、今も名水が湧く梨木神社へ行けば、町の一角の鬱蒼とした森の
中にあった神社という雰囲気がします。 仙洞御所の中にも小さな祠が
たくさんありましたしね。 公家の家々が御所を囲んで並び建ち、そこここに
神社や祠がある様子がジオラマのように目に浮かびます。
(写真は仙洞御所の中の小さな神社です。)
2011年08月03日
京都御苑のこと−1

御所のある京都御苑は自転車で隅々まで
走ってみると、懐の広い公園でした。
東・北側、仙洞御所の北から今出川へ
抜けていく道は、うっそうとした森の小道で、
昼なお暗くしっとりとして、ヨーロッパの森の
よう (行った事ないけど)。 犬を連れた
人や、ジョガーと、時折すれ違うだけ。
石薬師御門近くに、木を払っただけの広場が
ある。番小屋みたいなのは子供向けの本の
無人スタンド。「てんとう虫のテム」、「おうむの
しろ」なんて本が、ご自由に、と置いてある。
この日は平日だったので、倒木のベンチにじ〜っと座っているおじさんが
1人居たきりでした。 周囲の木々は、巨木と言っていいほど立派です。
2011年07月17日
やってきました

東の八坂神社へ向いて
進む山鉾は、朝の光が
正面から当たって、
まぶしいくらい輝きます。
昨日、やはり地元の方から
「車のなるべく近くに。。」と聞いた
理由が、鉾が近づいて来ると
よく解りました。
木で出来た大きな車輪が、道の凹凸を乗り越える時とても大きな音を
立てます。そして縄で組んだだけの鉾はきしんで大きく揺れます。
鉾の上の段に腰掛けているお囃子の全員もゆっさりと一緒に揺れる。
屋根の上、鉾頭までの長い棒が、揺れにつれてゆわんゆわんとたわむ。
見ていると少し怖いくらいです。
テレビで巡行の映像はよく見ますが、あの車輪のゴドロンという音こそが
祇園祭のように感じました。
写真は月鉾です。 稚児人形は「於菟麿(おとまろ)」というお名前。
山もたくさんある

前祭(さきまつり)の17日と
後祭(あとまつり)の24日と、
2回に分けて行われていたそう
です。車の交通を2日も遮断する
ことが難しくなり、17日一日で
行うように変更されたとのこと。
現在は、30程もある山鉾が一日で
巡行するのですから、賑やかですし、
巡行する時間も長い。
ちなみに、八坂神社の神輿が
御旅所へ神幸するのが前祭で、
御旅所から八坂神社へ帰還する
のが後祭で、こちらが祇園祭の
本筋と言えます。
京都で知合った人達からは一様に、
17日に帰ってしまっては、神幸祭も
還幸祭も見られない。17日も泊まれ、
24日も戻って来い、と言われました。
どちらも行われるのは夜なんです。
で、本当に祇園祭が終わるのは
月遅れの疫神社夏越祭(えきじんじゃ
なごしさい)が八坂神社で行われる
7月31日なのです。
写真は上から
保昌山(ほうしょうやま)、
太子山(たいしやま)、
油天神山(あぶらてんじんやま)
目前を通り過ぎる

こちらは、一昨日登った函谷鉾
です。
お囃子の人達は叩く鉦(かね)の
綱を握っているとは言え、下からは
腰掛けているだけのように見えて、
落ちはしないかと心配になります。
それほどに、鉾は大きく揺れます。
函谷鉾は、男衆の腰に巻かれた
飾りの帯が色とりどりで綺麗でした。
まだビルがない頃は、家の屋根の向こうに巡行する鉾の頭が進んで
行くのが見えたそうです。お目当ての鉾や山は今どの辺り、と判った
ので、それを追って細い小路を走って先回りして見に行ったそうです。
鉾も山も今よりもずっと大きく見えただろうし、道路も今よりずっとデコ
ボコだったでしょうから、車輪の音も鉾の揺れも、どんなにか迫力が
あったことでしょう。
たった一晩の夢みたい

「ひだまり」さんへ顔を出して
今回最期のカレーを食べました。
京都の町について、少しは
詳しくなっただろうけれど、
こんな過ごし方で、はたして
良かったのかしらと思います。
でも結局、名残が惜しいのは
お寺や神社よりも、町よりも、
知合った人達なのかもしれない。
「ひだまり」のお姉さんが、店から
出てずっと手を振ってくれました。
最後に、帰りの新幹線まで時間があるので、昨日16日にリニューアル・
オープンした京都国立博物館の「百獣の楽園−美術にすむ動物達」を見に
行きました。
博物館に着いて、私、かなり疲れているのに気付きました。見て廻る部屋の
中央の椅子に座り込んで眠ってしまいそうでした(笑) でも、ここでも発見が。
意匠に動物が使われた色々な美術品が並んで、当然狛犬も何組かあり。。。
狛犬とひとくくりに呼んでいましたが、頭に一角があるのが狛犬、角がない
のは獅子だそうです。始めは狛犬と獅子が対で置かれるのが決まりだった
ようですが、だんだんに獅子だけの対になっていったらしい。展示されて
いる何対かの狛犬さん・獅子さんは、ほとんど雄でした。写真を撮る事が
できないのが残念でした。 ここまで来ても、まだそんな所を見てる変な私で
したが、お陰で少し眠気がさめました。
6時の閉館で外に出ると、まだまだすごい陽射し。京都は夕日が特にキツイ。
国立博物館の向いは三十三間堂。 6月1日の到着初日に最初に見たのが
ここでした。あの時はまだ梅雨の最中で雨の日が多かったし、肌寒くもあった。
舞台が転換した程に季節はすっかり変りました。でも、一ヶ月半、あっと言う間。
長い夏休みと思っていたのに、あまりに短く思えて、たった一日、たった一晩の
夢だったような気がします。
(載せ切れなかった記事を、これからも時々UPいたします)
2011年07月16日
まだ夏本番はこれからだけど。。。

朝11時から一保堂さんで抹茶のミニ
レッスンを受けました。手軽にお茶を
楽しみましょうという提案。私にあてが
われたお茶碗はカフェオレカップでした。
お茶とそんな風に付き合うのも良いね。
午後は自転車で、できる限り走り回り
ました。随分と北の詩仙堂、修学院の
辺りまで。 名残り惜しい。。。
夜は宵山最終日。一昨日の比ではない
すごい人・人・人の波。 一人でお祭りを
見て回るのってかなり寂しいもんです。
一番南に位置する太子山は聖徳太子が御神体の子供の知恵の神様。四条通り
周辺の喧騒から少し遠く、静かで子供の数も多い。 一人でしみじみ見物するには
恰好だった気がします。 蝋燭を献じる台が置かれていました。そう、子供達が粽を
売る店番をする時の歌にも「蝋燭一本献じられましょう。蝋燭一本どうですか」という
フレーズが出てきます。 私も、もう少し知恵をいただきたくて一本灯してきました。
::::::
さてさて、明日の山鉾巡行は朝の9時から。 祇園祭りの一番華やかな部分を
見たら、私の夏休みもお終いです。荷物を宅急便で出して、夜の新幹線で東京へ
帰ります。
2011年07月15日
あと2日。祇園祭もクライマックス!

祇園祭りは、どこかで一日は雨が
降るのが例年のことらしい。でも、
今年はずっと晴れマークです。
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(室町辺りは今夜もこんな賑わい
だったろうな。)
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今日も今日とて、もう朝の7時から
すごい陽射しでした。
野暮用があって朝の8時には自転車に乗っていましたが、目がクラクラしました。
野暮用のあと家にもどり、午前中は撤退準備・荷造りをしました。 残り2日だ。
午後から予約の黄粉餅を受け取りに行き、友達ご推奨の俵屋の石鹸を買ってから
(石鹸も消えものだもの)、それから細見美術館へ回りました。大きな帽子、首には
タオル、黒のアームカバー。 草取り作業のおばさんか、といういでたちです。でも、
この格好、京都では流行って?いますから大丈夫。
美術館では、ちょうど祇園祭屏風というものも展示されていました。江戸時代の屏風
ですが、これは長刀鉾、これが橋弁慶山と判ります。今の物とほとんど同じですから、
すごいもんです。
美術館を出ると陽射しは暴力的ですらありました。この後、北へ走ったのは西日を
避けるため。行くとはなしに東山三条北の金戒光明寺を目指していました。
自販機でお茶を買い、建物の影で1時間ほど休みましたが、作業の人以外は誰も
居ない境内のお隣のベンチに本を読む男性一名。 この方もきっと一休みなのね。
塩分補給に、遅い昼のご飯はチャーシュー麺、800円。 お味は今ひとつだった。
家に戻り、心惹かれたけれど、今夜の宵々山はパスすることにしました。 明日も
宵山がある。 やり過ぎてはいけません、と自分に言い聞かせました。
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京都独り暮らし、あっという間だったけど、日数が足りなかったけど、名残は惜しい
けれど、でも、そろそろ帰るということで少しほっとする気持ちもあります。
夏休みにはお終いがなければなりません。
2011年07月14日
いよいよ夜も。。。

7月14日(木) 晴れ 今日は祇園祭り、宵々々山でした。
昔は16日宵山・17日山鉾巡行の二日間だけだったのを、あまりの混雑に
15日宵々山、更に14日宵々々山と、山鉾を見られる日を増やしたそうです。
夜の山鉾は提灯に灯が入りとっても立派。通りのあちこちに立っているのが
見えて、否が応でも見て回ってしまいます。周囲の家やビルが照明をおとして
いるので、家々の軒の提灯が薄闇の中で一層艶やかで、心も華やぎます。
写真は、右側に伯牙山(はくがやま)の提灯飾りと、そのお飾り所となっている
おばんざい教室の杉本節子先生のお宅です。
夜店もそりゃたくさん出て、すでに今日からすごい人出でした。ゆかた姿の人
(年配の方はちゃんと着物)がたくさんいました。 さすが、京都です。
でも、まだ序盤。 宵山では、狭い通りは身動きならない程になるそうですよ。
鉾ってね、組み立てた躯体を倒しておいて、長い鉾を屋根に取り付けてから
起こすんでって。知らなかった。近頃はクレーンを使って起こしているようです。
この作業をしている日、私はまだ信州に居たので見られなかった。 残念!
(下へ続きを書きましたよ)
初体験で、大収穫!

まずは杉本先生宅の屏風祭り見ました。
屏風祭りは一般的には、窓際やショー・
ウィンドウにその家のお宝を飾って道行く
人に見せるのですが、杉本家ではたくさん
ある部屋ごとに屏風を飾り花を活け、庭の
灯篭にも火を入れて、おくどさんも含め、
大部分の部屋を三日間だけ特別公開です。
普段は公開しない生きている家、長く受け
継いだ美しい品で祇園祭のためにしつらえた
座敷。それを間近に見られるのは貴重です。
それも夜に。。。 畳に座ると庭からひんやり
した空気が流れて来ます。うす暗さで、一層
涼しい夏座敷。 なんと品のよろしいこと!
この特別公開は、長く京都に住んでいるこの
彼女も知らなかったそうで、喜んでくれました。
節子先生がおくどさんに居られて、私を見つ
けると「あと数日ね」と声を掛けてくれました。
嬉しいなあ (私、ミーハーです)。
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入り組む路地に面した家は電気を消して、
ボンボリを並べ縁台を出して、皆さん門先で
涼んでいらっしゃいました。 写真が暗くて
よく見えませんね。 ごめん。
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函谷鉾(かんこぼこ)では囃子方が定位置に
揃い、お囃子が始まりました。長刀鉾だけは
女性を乗せませんが、函谷鉾は女性も登る
ことができます。で、長刀鉾同様に「くじ取らず」
の鉾で、長刀鉾に次いで巡行では鉾の2番手を
務める由緒ある鉾です。
「今!登りましょう」と彼女が言いました。毎年
函谷鉾の粽を買っているそうで、私の分も按配
してくれて、2人で入口へ突進しました。
鉾へ渡る橋掛りのある2階には、巡行当日に
飾られる豪華な綴れ織りや、鉾の正面に乗る
稚児の生き人形やその冠も飾られていました。
この2階からだと鉾見物の人たちが下に見え
ます。ちょっとよい気持ち。
いよいよ、橋掛りの階段を越えて、函谷鉾の
中へ。お囃子真っ最中の20人ほどの、その
また真ん中に立つと祇園囃子のコンチキチに
全身が包まれてしまいました。 すご〜い。
高揚感いっぱいでした。
彼女の機転のお陰で、祇園祭り初体験で大収穫でした。
町は祇園祭り。お寺では。。

蓮の花が咲き始めました。
拝観時間を早めて朝7時から入れて
くれるところもあります。
私も少しばかり早起きして見に行き
ました。でも、もう陽が出る時間から
すごい陽射しなんです。
蓮の花の写真を撮るために来た方が
ほとんどでした。
先程ニュースを見ていたら、京都市役所は今日明日の二日間ゆかたでの
勤務を奨励しているそうです。省エネの服装で仕事をするよう数年前から
職員に奨めているそうですが、特に祇園祭り期間のこの木・金の二日間は
ゆかたで、と言うことらしい。ニュースで写った女子職員は、足元や襟元が
涼しいし、嬉しいです、と話していました。 そういえば、京都の市長さんは
ニュースで見るといつも着物姿ですね。
2011年07月13日
盛り上がっています

今日も尋常ならざる天気でした。
傘を差していても全然駄目ね、
また日に焼けました。
午前中から各鉾町を巡り歩き
ました。 既に昨日で鉾建てが
終わっている所も、今日これから
建て始める所もあります。
広い道路は道の半分が、狭い
通りは全面、車は通行止めです。
通りを歩いてゆくと、町内の意気
込みの程が伝わってきます。
「鉾」というのは屋根の上に鋭角的に尖った先端が付いているもの、「山」というのは
屋根に木が飾られているもの、だそうです。 写真は菊水鉾です。
鉾は規模が大きいからでしょうか、早めに建て始めて既に建ち上がっているものが
多い。山で比較的小さいものは今日から枠を組み始めています。山によっては明日
一日で建てるというものもあります。
町内を代表する大きな町屋が鉾・山のお飾り所となっていて、こういう家は2階の
壁が一部取り払われて、そこから鉾・山に直接入れるようになっていたりします。
既に厄除けの粽や手拭が売られています。最近はストラップなんかもあるみたい。
鉾・山を持つ町内が連続している通りでは細い道の目の前、数十メートル向こう、
そしてずっと奥、と並んで見渡せる所もあり、こういう風景には興奮します。電線は
鉾・山の運行に支障のないよう、片方に寄せて黄色い袋に纏められていました。
既に見物客多し。しかし本番は、細い通りは身動き取れないくらいになるそうです。
ただね、数十人が旗振りに先導されてグループで来るのはよいとして、全員が
一様にザックを背負った山登りのいでたちで来るのはちょっといただけません。
年配の人達(私も年配だけど)で街探訪ウォークが趣味のグループは、距離を歩く
せいか皆んなこの格好がユニフォームのようになってますね。でも、普段の探訪
ウォークならいざ知らず、華やかな鉾の飾られた町をこの服装で、それも数十人が
隊列を組んで歩かれるといかにも無粋で雰囲気を壊していました。 見物人も祭りの
景観の一部なのだけど。
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今日は朝の10時半から鉾町見物とその周りの見どころを廻って歩き回りました。
喫茶店に水分補給に入ること2回(一度は餡蜜だったけど)。昼のご飯は京都の
夏祭りの定番・鱧の押し寿司を食べました。旧日本銀行京都支店のレトロな建物で
コンサートを聴いたり、ちょうど開催中だった歌舞伎・京舞・狂言・囃し方の写真展を
見たり、セールの店も覗いたりでヘトヘトになりました。
明日の夜からは提灯に灯が入って気分は更に高揚するらしいですから、家を出る
のは少し遅くなってからにします。本番までにバテてしまいそう。 なにせ陽射しと
気温が尋常ではないです。
昼間の準備を見るのも楽しい

まだこれからの伯牙山(はくがやま)は、
先日のおばんざい教室の杉本先生の
お宅がお飾り所となっています。
間口30m。立派な呉服屋さんだった
建物は今は京都市指定有形文化財に
なっています。
丁度昼時で、「あんたらお昼してき」と
頭のようなおじさんが若い人達を
昼ご飯に出していました。 皆さん、
「ご飯か?」、「麦のジュースやろ」など
と言い合いながらよい雰囲気でした。
船鉾(ふねぼこ)のある新町通りの
花屋さんで向日葵をたくさん買った
おにいさん。自転車です。
「帽子もかぶらんと暑いやろ。気い
つけて。ありがとさん。おおきに。」
京都の店の人は、「ありがとさん」と
「おおきに」を連続して言いますな。
向こうに船鉾が見えます。その奥に
ほぼ建て終わったは岩戸山(いわと
やま)が見えますが、とても暑くて
岩戸山までは見に行けませんでした。
近づいて見た船鉾です。すでに飾りの
織物が飾られて見事です。
欄干を取り付けているところでしたが、
「東側もっといで」「これですか?」
「そりゃ、西側や」などと、楽しそうに
作業が進んでいました。