ふらり道草―幻映画館―

映画が最大の娯楽だった時代があった。昭和20年代から30年代に掛けてである。田舎の小学校の講堂で、固唾を飲んで熱中した巡回映画。場末の映画館で熱くなった3本建ての4番館・5番館。フィルムに雨が降っていても、途中で何度も切れても、スクリーンに映る名画は変わらない。
≪他のブログ≫
「ふらり道草―季節の往来―」 http://blog.livedoor.jp:80/michikusa05/「ふらり道草―南丹今昔―」 http://blog.livedoor.jp/umagasetouge/「峠の向こう」

幻映画館(77)「張り込み」

「張り込み」スチール

















『張り込み』   1958(昭和33)年  松竹   1958 (昭33)年キネマ旬報ベストテン第8位)

<野村芳太郎監督>
野村芳太郎監督<監督>野村芳太郎
<企画>小倉武志
<撮影>井上晴二
<音楽>黛 敏郎
<美術>逆井清一郎
<録音>栗田周十郎
<照明>鈴木茂男
<編集>浜村義康

「張り込み」松本清張著
「張り込み」松本清張<原作>松本清張 『張り込み』

「張り込み」シナリオ掲戴「張り込み」シナリオ

<台本>
「張り込み」台本<脚本>橋本 忍





<出演>
大木 実・宮口精二・高峰秀子・田村高広・菅井きん・竹本善彦・清水将夫・伊藤 卓・高木美恵子・春日井宏行・内田良平・高千穂ひづる・藤原釜足・文野朋子・町田祥子・高木秀代・磯部玉枝・浦辺粂子・山本和子・小田切みき・川口のぶ・直島愛造・南進一郎・近衛敏明・松下猛夫・土田桂司・鬼 笑介・芦田伸介・大友富右衛門・多々良純・小林十九二・清水孝一・大友 純・山本幸栄・草香田鶴子・末永 功・福岡正剛・今井健太郎・竹田法一・小林和雄・稲川善一


「張り込み」










<粗筋>

  「さあ、張込みだ!」。警視庁捜査第一課の下岡(宮口)と柚木(大木)は、質屋殺しの共犯石井(田村)を追って佐賀へ発った。主犯(内田)の自供によると、石井は兇行に使った拳銃を持っていて、3年前の上京の時に別れた女さだ子(高峰)に会いたがっていた、とのことだった。
  横浜駅を出る鹿児島行き特急に、2人はかろうじて飛び乗る。特急といっても蒸気機関車である。真夏の車内は満席で冷房などなく、窓を開けて風を入れ乗客はそれでも汗だくの状態である。
  無理に乗った2人の刑事には座る席もなく、やむなく通路にしゃがむ。京都で1人、岡山辺りで1人降りて、やっと座席に座われた。昼の11時に横浜を出て、延々走り続け翌日の昼頃に目指す佐賀駅に到着した。

「張り込み」  若い柚木刑事は、犯人は絶対に彼女に会いにやってくるという気がして、佐賀行きを希望した。その考えに、中年の下岡刑事も同調したのだ。
  さだ子は、現在は佐賀の銀行員で3人の子供(伊藤ら)のある横川(清水)の後妻になっていた。彼女の所へ、石井の立寄った形跡はまだなかった。
  両刑事はその家の前の木賃宿然とした備前屋の女将(浦辺)に頼み込み、2階から張込みを開始した。さだ子はもの静かで寡黙な女で、過去に熱烈な恋愛の経験があるとは見えなかった。
  ただ、20歳以上も年の違う吝嗇な夫との生活は、まるで幸せそうには見えなかった。僅か1日100円の生活費を、出勤前に夫から与えられる日々である。
  猛暑の中で、昼夜の別なく張込みが続けられた。3日目、4日目と張り込みは続く。だが石井は現われなかった。そんな退屈な毎日が、2人の女中(山本・小田切)とのやり取りで、僅かに慰められたりしている。

「張り込み」  柚木には、肉体関係までありながら結婚に踏みきれずにいる弓子(高千穂)という女がいた。だが、近頃の2人の間は曖昧なものになっている。
  柚木には下岡の妻(菅井)の口利きで、風呂屋の娘(川口)との条件の良い結婚話が持ち上り、弓子の方には両親(藤原・文野)の問題があったからだった。
  夫を会社に送り出し小さな家でせっせと家事に励み、決して幸せそうでなかったさだ子の姿を見ていた柚木は、心にいつか優しい感情を抱くようになる。年輩刑事の下岡は父性愛を擽られているようだ。
  遂に1週間が過ぎた。柚木が1人で見張っていた時、郵便屋(稲川)が1通の手紙を配達するのが見えた。そして、突然さだ子が裏口から外出する姿が目撃された。手紙は、かつての愛人石井からだったのだ。
  必死になってあちこち探した末、柚木はやっと温泉場の森の中でさだ子と石井が楽し  げに話し合っているのを発見した。彼が応援を待っていると、2人はいつの間にかいなくなっていた。

「張り込み」  再び探し当てた時、さだ子は石井を難詰していた。だが、彼女は終いには彼に愛を誓い、彼と行動を共にすると言った。「自分で自分を殺してしまったのよ」。
  しかし下岡刑事が到着して、石井はその温泉宿で逮捕された。その事実を知らないさだ子に、「今からだとまだ間に合いますご主人がお帰りになられる時間までに」と言う柚木。
  「この女は数時間の命を燃やしたに過ぎなかった。今晩からまたあのけちな夫と先妻の子供達との生活に戻らなければならない。そして、明日からはあんな情熱が潜んでいようとは思えない平凡な姿でミシンを踏んでいるだろう」。
  柚木はそう心の中で独白しながらも、そんな彼女に掛ける言葉も思い付かず、ただ黙って去って行くしかなかった。

  悄然と自宅へ帰るさだ子。この張込みで、柚木は女の悲しい性(さが)を知らされ、弓子の心情を思い遣って彼女との結婚を決意したのだった。
  柚木は、最後東京へと護送する石井に向かって、「済んでしまったことは仕方がないよ。今日からやり直すんだ」という優しい言葉をかける。
  「きっと新しい人生が開けるよ。君も若いんだ」という言葉を最後に、このドラマは終わりを迎える。この言葉は結婚を決断し、新たな生活を迎える彼自身の意気込みでもあった。


「張り込み」













<一言> 
   
  東京で起きたピストル強盗殺人。その犯の立ち回り先と見られる佐賀市に住む愛人 は、年長の銀行員の後妻となって細々と暮らしている。東京から派遣された2名の刑事は、安宿の2階で張り込みを始める・・・・。
  冒頭、横浜駅から九州行きの列車に慌しく乗り込む2人の刑事の緊迫した描写から1週間にわたる張り込み。そして犯人逮捕まで、一分の隙もない緊迫した展開に、場面から目を離せない。

「張り込み」  女はいかにも平凡な主婦で、恩順で無気力にさえ見える。見るからに吝嗇で小心な年輩の夫から便利にこき使われている感じである。この女の日常を、刑事たちは宿屋の2階から見張り続け、女が外出すれば尾行する。
  若い刑事は、この女のいじましいばかりの暮しぶりに、次第に同情するようになる。そして、犯人が現われても、彼女のプライバシーは極力守ってやろうと考える。

  しかしながら、一向に犯人が現れないので、もう張り込みを止めて帰ろうかと刑事達が話し合っているところに、いきなり女が外出する。若い刑事が延々と尾行して行くと、山の中で彼女は1人の青年と密会している。
  それが犯人だった。犯人は意外と純情そうな青年であり、彼女は彼が殺人犯として逃亡中であることを知らない。あれ程おとなしかった女が、この時ばかりは目を輝かせて、もう今の夫には我慢できないから駆け落ちしようと話している。

「張り込み」  若い刑事には、彼女のその気持がよく理解出来た。しかし、彼らは職務を遂行して青年を逮捕する。そして、女には、早く帰ればご主人の帰宅までに間に合う、と告げる。
  この作品のタイトルから、張り込みをして犯人逮捕を狙う刑事が主役のようにも思えるが、実際の主役は刑事ではない。この物語の本当の主役は、張り込みをされ監視される、平凡な主婦の方なのだ。
  3人の子供と20歳も年が離れた気難しくてケチな銀行員の元へ、後妻として嫁いで来た主婦。毎日毎日判で押したような、平凡で起伏のない生活を送っている。
  吝嗇な夫から1日100円の生活費を与えられ、小言を言われながら黙々と毎日を送るだけの女。佐賀の地方都市の袋小路の様な世界の中で、ただひたすら無表情に生きているだけの女。
  そんな女の元へ、東京で殺人を犯し拳銃を持ったまま逃走した、昔の恋人が逃げて来かもしれない。彼女はその男を受け入れるのか?それとも、自暴自棄になった彼に利用され、巻き込まれるてしまうのか?

「張り込み」  毎日張込みをしている刑事達が退屈してしまうほど、変化のない毎日を過ごす女。その女が、男の出現でどう変化するのか。
  その「変化」こそが、まさにこの作品の真髄だと言える。ラストの温泉宿のシーンは、結果が分かっていても動悸がするほど情感たっぷりに描かれて鮮やかである。
  ロケーション効果を生かしたセミ・ドキュメンタリー・タッチの場面。人間描写も確で、この種の推理ドラマのひとつの到達点を示したと言っても過言ではない。
  ただ、映画の最後は、原作通り温泉宿で終わってもよかったのでは、と思う。さらに、取って付けた様なラストの駅でのシーンは、かなり蛇足感がある。これこそが「野村調」と言える神髄なのだろうが。


「張り込み」











<参考>

  小説新潮所載の松本清張の同名小説の映画化で、兇悪犯を追う刑事の姿を描いたセミ・ドキュメンタリ篇。「伴淳・森繁の糞尿譚」のコンビ、橋本忍が脚色、野村芳太郎が監督した。撮影も同じく「伴淳・森繁の糞尿譚」の井上晴二。
  主演は「淑女夜河を渡る」の大木実・高千穂ひづる。「その夜のひめごと」の宮口精二、「喜びも悲しみも幾歳月」の高峰秀子・田村高廣。他に、清水将夫・藤原釜足・浦辺粂子・多々良純・川口のぶなど。

「張り込み」-2  松本清張原作・橋本忍脚色・野村芳太郎監督と並ぶ、強力なトリオによる社会派推理ドラマの代表作である。
  このトリオは、その後「ゼロの焦点」「影の車」「砂の器」と話題作・力作を発表いて数々の話題作・秀作を発表している。見事なトリオではある。
  原作の短編小説を読み直してみると、実に多くのアレンジが加えられている。まず、張り込み役の刑事の人数が、原作では柚木刑事1人が張り込みを続け、同時に物語の語り手となっている。
 だが、映画ではもう1人の中年刑事が同行して、2人の視点からストーリーが語られる。その分だけ、内容は濃くなったと思える。そのベテラン刑事の配役も、宮口精二が当てられてまさに適役と言えるだろう。

「張り込み」  さらに、原作ではほとんど人物像が触れられていない刑事達のプライベートな側面(柚木刑事の結婚問題など)が、かなり詳しく加えられている。そのほか細かく上げれば切りがない程の大幅な物語が挿入されている。
  もちろん、文庫本にして僅かか24ページの原作を2時間の映画に膨らませるためには、ある程度のサブエピソードを加える必要があったと思われる。
  そして、それぞれのエピソードが、原作にもその様に書いてあったのだとしか思えないほど、実に見事に物語を構成している。
  しかもそれが、作品の内容を深める働きをしている。まさに、原作を忠実に映画化したとしか思えない出来栄えと言える。やはり、練り上げた脚本と共に、冴え渡る監督の演出の力だろう。
  

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<テレビドラマ>

1959年版『サンヨーテレビ劇場』TBS系列
<脚本>若尾徳平<制作>KRテレビ
<出演>沢村国太郎・ 山岡久乃・安井昌二・殿山泰司

1960年版『ナショナルゴールデンアワー』
<制作>KRテレビ
<出演>宇津井健・三井弘次

1962年版NHK『松本清張シリーズ・黒の組曲』
<制作>NHK
<出演>沼田曜一・福田公子

「張り込み」(短編集)松本清張1963年版テレビ朝日系列『日本映画名作ドラマ』/1958年公開映画のテレビ版リメイク。
<脚本>大和久守久<制作>NETテレビ
<出演>縁江原真二郎・織田政雄・高倉みゆき・佐竹明夫・長島 隆・天草四郎

1966年版フジテレビ系列『松本清張シリーズ』
<監督>堀 泰男<脚本>西島 大<制作>関西テレビ
<出演>中村玉緒・下条正巳・高津住男・土屋嘉男

1970年版日本テレビ『張込み』/ギャラクシー賞第15回期間選奨受賞(八千草薫)
<監督>小野田嘉幹・高井牧人<脚本原作>橋本 忍<脚本>大津皓一<制作>日本TV
<出演>加藤剛・八千草薫・浜田寅彦・江原真二郎・山口果林

1976年版『裁きの夏/愛のサスペンス劇場』日本テレビ
<監督>松尾昭典<原作>松本清張『張込み』<脚本>重森孝子<制作>C.A.L
<<出演>林美智子・倉沢満夫・堀越節子・近藤 宏・天田俊明・

「張り込み」19781978年版『東芝日曜劇場/張込み』TBSドラマ
<演出>柳井 満<原作>松本清張『張込み』<脚本>服部 佳<制作>TBS
<出演>吉永小百合・荻島真一・佐野浅夫・須田圭一・森本レオ・森塚 敏・前田昌明・児玉謙次・樋口和子・中島 元・松村彦次郎・安田 隆・桐原史雄・大沢慎吾・三川雄三・戸沢佑介・大平加奈子・西山水木


「張り込み」清張作家活動40周年記念19911年版『金曜ドラマシアター』フジテレビ
<演出>河村雄太郎<原作>松本清張『張込み』<脚本>岸田理生<制作>フジテレビ
<出演>大竹しのぶ・田原俊彦・井川比佐志・石橋 凌

1996年版「文吾捕物絵図・武州糸くり唄」(松本清張原案・時代劇スペシャル)
<原作>張り込み<脚本>倉本 聰<縁<出演>和田 勉
<出演>杉良太郎・東野英治郎・露口茂・奈美悦子

「張り込み」清張記念番組2002年版『松本清張没後10年記念/ビートたけしドラマスペシャル・張込み』/文化庁芸術祭参加作品
<演出>石橋 冠<原作>松本清張『張込み』<脚本>矢島正雄<音楽>坂田晃一<制作>テレビ朝日
<出演>ビートたけし・緒形直人・鶴田真由・田辺誠一・伊武雅刀・平田 満・宇津宮雅代・大谷允保・ 平泉 成・保阪尚希・あめくみちこ・河西健司・不破万作・梨本謙次郎・磯村千花子・魏 涼子・木村 茜・山田賢太郎・春海四方・田中要次・野添義弘・阿部 裕・五森大輔・又野彰夫・ 植草栄治・佐和タカシ・阿部六郎・森山米次・中村由起子


<1958年作品>

「張り込み」ポスター























「張り込み」パンフレット「張り込み」ちらし




















「張り込み」DVD「張り込み」DVD

















「張り込み」DVD「張り込み」DVD













「張り込み」VHS

幻映画館(76)「楢山節考」

「楢山節考」

















『楢山節考』    1958(昭和33)年  松竹

1958 (昭33)年キネマ旬報ベストテン第1位)・監督賞(木下恵介)・女優賞(田中絹代 )/第9回ブルーリボン賞ベストテン2位/NHKベストテン1位・最優秀監督賞(木下)・シナリオ賞・日本映画技術賞(楠田浩之・大野久男)/第3回コーク国際映画主演男優賞(高橋貞二)/芸術選奨文部大臣賞(楠田)

<木下恵介監督>
木下恵介監督<監督>木下恵介
<製作>小梶正治  
<撮影>楠田浩之
<音楽>杵屋六左衛門 ・野沢松之輔<音楽参与>遠道為春

<美術>伊藤熹朔・梅田千代夫
<装置>古宮源藏<装飾>小巻基胤
<録音>大野久男
<照明>豊島良三
<浄瑠璃>野沢松之輔<三味線>竹本南部大夫<長唄作曲>杵屋六左衛門・他杵屋一門 
<編集>杉原よし
<監督助手>大槻義一 
<色彩技術>楠田浩之

「楢山節考」深沢七郎著
「楢山節考」深沢七郎<原作>深沢七郎『楢山節考』(第1回中央公論新人賞)+『東北の神武たち』

「楢山節考」シナリオ
「楢山節考」シナリオ<脚本>木下恵介





<出演>
田中絹代 ・高橋貞二・望月優子 ・市川団子・小笠原慶子・東野英治郎・宮口精二・伊藤雄之助・鬼 笑介・高木信夫・三津田健・織田政雄・小林十九二・西村 晃・末永 功・本橋和子・五月女殊久・服部勝之・吉田兵次(口上役)

「楢山節考」-2












「楢山節考」-3<粗筋>

  東北地方の奥深い日陰の村。長野盆地南西に位置する姨捨山の麓である。69歳のおりん(田中)は亭主に死に別れた後、これも去年嫁に死なれた息子の辰平(高橋)と孫のけさ吉(市川)達の世話をしながら、息子の後妻を探していた。
  村では70歳になると楢山詣り行くことになっていた。楢山詣りとは姥捨のことである。働き者のおりんは、その楢山詣りの支度に余念がない。
  やがて村一番の行事である楢山祭りの日、隣村から辰平の嫁(望月)が来た。お玉と呼ぶ名で、年も辰平と同じ45歳である。気立ての良い女で、おりんは安心して楢山へ行けると安堵した。
  しかし、もう一つしなければならない事がある。おりんの歯は、村の子供達の唄に歌われるほど立派だったのだ。歯が丈夫だということは、食糧の乏しい村の年寄りとしては恥かしいことである。

「楢山節考」-5  33本あると言われて28本しかない、と言い返す。そして、おりんは自分の歯を石臼にぶつけて欠いた。
  これで支度はすっかり出来上り、後は冬を待つばかりである。おりんの隣家は銭屋といい、70歳の又やん(宮口)と強欲なその伜(伊藤)が住んでいた。
  その又やんはなかなか山へ行く気配がなく、村では振舞支度が惜しいからだと噂していた。おりんの家では女がまた1人増えた。
  けさ吉の子を姙っている松やん(小笠原)である。彼女は家事は下手だが、食物だけはよく食べる女だった。
  木枯が吹く季節にんった。雨屋の亭主(鬼)が近所へ豆泥棒に入り、捕って重い制裁をうけた。
  そして雨屋の一家12人は村から追放された。おりんは、鼠っ子(曽孫)が生れるまでに楢山へ行かねばと決心する。

「楢山節考」-4  後4日で正月という日、おりんが「明日山へ行く」と言い出した。辰平を急かせて山へ行ったことのある人々を招き、酒を振舞ってお山まいりの作法を教示された。次の夜、おりんはしぶりがちな辰平を責めたてて楢山へ向った。
  辰平に背負われたおりんは一言も発せず、険しい山道をひたすらに辿った。楢山の頂上近くになると、辺りには死体や白骨が見え始めた。おりんは死体のない岩陰に降り立った。
  その顔にはすでに死相が現われていた。おりんは辰平に山を降りるよう合図した。涙ながらに山道を戻った辰平は、七谷という所で銭屋の伜が又やんを崖からつき落そうとするのを見た。憤りが辰平の身内を走り、又やんの伜に躍りかかった。
  だが、銭屋の2人を呑んだ谷底には、鳥が雲のように群っていた。そこへ雪が降り出した。辰平は禁を犯して山頂まで駈け登り、念仏を称えているおりんに「雪が降って来て運がいいなあ」と呼びかけた。おりんは肯いて、辰平に帰れと手を振った。
  村に帰りついた辰平は、玉やんと並んで楢山を望み見ながら、「わしらも70になったら一緒に山へ行くんじゃね」と呟きながら合掌するのだった。


「楢山節考」


















<一言> 
   
  暗くて重い物語である。大きな山場がある事もなく話は淡々と進む。しかし、親を捨てることで葛藤する子共の気持ちが交錯する。
  親などどうでもよい、役に立たない婆は早く山に行けと言う子共も存在する。そこには、親子の愛もあれば、家族であっても憎しみもあるという複雑な状況が存在する。

「楢山節考」-2  父親を山に捨てに行く息子が、嫌がる父を簀巻きにしようとして谷底に突き落とし、その後で自分も谷底に落ちてしまうという場面がある。嫌な場面ではあるが、人間の恐ろしさ悲しさ或しいは愚かさを感じさせられて胸が苦しくさえなる。
  いずれにしても、こうした凄まじい状況が実際に日本にあったということ。今また、「平成の姥捨て山」の現状が露見しいることからして、単に凄まじいを過去のものとしては済まされないものがある。古き時代の映画で終らない、それこそ貴重な一作と言えるのではないか。
  主演の田中絹代は、この役を演じる為に自らの前歯3本抜いて年老いた老婆の役を演じたという。二度と生えてこない前歯を抜いて役を作ったのだから、その執念にも似た情熱には、ただ平伏してしまう凄まじさを覚える。
  題材からしてモノクロが適切とは思う。だが、楢山参りの掟を告げられるシーンでは、人々が緑がかった色で、炭火だけが赤くなっているシーンが、緊張感が盛り上がり迫力満点で怖いくらいである。
   
「楢山節考」深沢七郎実際にも作中で使用されている歌「楢山節」は、深沢七郎が作詞作曲をした。

かやの木 ギンやん ひきずり女                       
アネさんかぶりで ネズミっ子抱いた

塩屋のおとりさん 運がよい
山へ行く日にゃ 雪が降る

楢山まつりが 三度来りゃる
栗の種から 花が咲く

山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る
行かざなるまい しょこしょって
  :
  : 
なんぼ寒いとって 綿入れを
山へ行くにゃ 着せられぬ

「楢山節考」深沢七郎(内容)  リメイクされた今村昌平監督の作品(1983年)は、鼠・蛇・蛙・狸・梟・などの生態、特に交尾のシーンや他の動物を食べている場面が頻繁に挿入される。人間もこうした動物と同じように、生と性のどろどろした営みの中で生きている、との監督特有の感覚だろう。
  乏しい食料を泥棒する一家に対する「村の掟」で残酷な仕打ちがあるものの、途中までは「姥捨」についての暗い面はあまり出てこない。却って、笑えてしまうようなユーモラスな面があり、木下版に比べると話が多少膨らんでいる。
  女達の濡れ場的な場面も登場する。夫の遺言で祟りを防ぐために男に体を開くおえい(倍賞)、その彼女に順番を抜かされるほど嫌われている利助(左)を慰めることを頼まれたおかね(清川)など。彼女らは、性の大らかさを見せつつ、生命力の強かさも兼ね備えた女でもある。     
  辰平(緒形)がおりん(坂本)を背負って山に行く場面は、実際の山を歩いている。木下版がセットだったのに対して、リアルな表現と言える。
  木下作品は見事な芸術作品である。対する今村作品も、この監督にしか作れない価値のある作品ではないかと思う。


「楢山節考」















「楢山節考」-1<参考>

  中央公論第1回新人賞を受賞した深沢七郎の同名小説に「東北の神武たち」を加えた映画化。脚色・監督は「風前の灯」の木下恵介。撮影も同じく「風前の灯」の楠田浩之が担当した。
  主演は「悲しみは女だけに」の田中絹代・望月優子、「その手にのるな」の高橋貞二、その他東野英治郎・宮口精二・伊藤雄之助などのベテラン。色彩は富士カラー。
  歌舞伎様式を取り入れて撮影された犒狠羞爿瓩侶措阿箸覆觝酩福2伐亜ι景・自然物・、道など全てをセットで作った。背景の照明の色を変化させて、様々な感情や場面の変化を演出している。


「楢山節考」記念碑「日本映画300」   (佐藤忠男著/朝日文庫)

 時は、風俗から見ると江戸時代か?所は信州の山の中、ある貧しい寒村である。老人は70歳になると山に捨てられる習慣がある。
 おりん婆さん(田中絹代)は、息子(高橋貞二)にも嫁(望月優子)を貰い、もう働き手としては役に立たない年になっていて、そろそろ神様の待っているお山に捨てられなければならないのだが、孝行者の息子は、なかなか捨てに行こうとしない。
  婆さんは、自分がまだ歯も欠けていないくらい健康なのを恥ずかしがって、自分で石臼に歯を打ちつけて欠けさせる。いさぎよく捨てられなければならない年になって、まだなんでも食えるというのでは恥ずかしいのである。
  彼女には、山に捨てられる覚悟はもうすっかりついている。だから、隣の爺さんが捨てられながら逃げてきたのを見て、なんという恥さらしな不甲斐ないことかと嘆く。彼女はすすんで山へ行くと言い、山へ行ったことのある人たちを集めて捨てられるときの作法を教えてもらう。
  そのあと、息子は彼女を背負って裏の山に登る。そして、定めた場所に彼女をおいて息子が山を下りかけると、空からチラチラ雪が降ってくる。雪が降ると、捨てられた老人はすぐに死んで醜態をさらさずにすむ。
  だから、たいへん運がいいと言われている。息子は、母の心掛けの良さと自分の孝行が天に通じたのだと思い、いったん捨てたら運び手は決して老人のそばへもどつてはならぬという掟も破って婆さんのそばへかけもどり、「良かったなあ良かったなあ」と絶叫する。
  婆さんはかすかにほほえむが、黙って、もう帰れ、と手で追う。息子は悲しみと喜びのこもごもにたかまる気持にせきたてられ、一気に山をかけ下りる。
  この不思議な情愛に充ちた恐ろしい物語を木下恵介は凝りに凝って演出した。まず、全体に歌舞伎の調子をとり入れた。ラストシーン以外はぜんぶセットで、人工的な風景のなかで物語が進行する。場面の転換にも、風景のセットを車で横に動かしてその奥にまた風景が現れるというような舞台転換の方法が使われている。
  音楽にも三味線を使い、暗たんたる無常感が強調されている。カラーも日本の昔の版画の陰うつな味を生かしている。
  田中絹代は、犂遒鵑濃爐魴泙┐覘瓩箸いο掲未鮓事に好演している。幾つかある彼女の汚れ役の中でも、極め付きの代表作の一つと言えるだろう。


「楢山節考」













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「楢山節考」-3












「楢山節考」ポスター「楢山節考」ポスター

















「楢山節考」パンフ「楢山節考」パンフ






















                     
「楢山節考」広告「楢山節考」DVD
















<リメイク>

「楢山節考」1983スチール











『楢山節考』   1983(昭和58)年 東映   1983年キネマ旬報ベストテン5位/1983年カンヌ国際映画祭パルム・ドール受/1983年日本アカデミー賞作品賞・主演男優賞(緒形拳)受賞
<今村昌平監督>
今村昌平監督<監督>今村昌平
<製作>友田二郎
<脚本>今村昌平
<企画>日下部五朗
<撮影>栃沢正夫
<音楽>池辺晋一郎
<美術>芳野尹孝
<録音>紅谷愃一
<照明>岩木保夫
<編集>岡安 肇
<スチール>石黒健治
<監督助手>武重邦夫・池端俊策

「楢山節考」深沢七郎著
「楢山節考」深沢七郎<原作>深沢七郎『楢山節考』+『東北の神武たち』

<出演>                                  
緒形 拳・坂本スミ子・倉崎青児・左とん平・あき竹城・高田順子・嶋守 薫・辰巳柳太郎・深水三章・横山あきお・志村幸江・岡本正巳・江藤 漢・清川虹子・倍賞美津子・常田富士男・小林稔侍・三木のり平・ケーシー高峰・殿山泰司・樋浦 勉・小沢昭一


「楢山節考」(1983)













「楢山節考」1983-1「楢山節考」1983-2







「楢山節考」1983-3「楢山節考」1983-4







「楢山節考」1983-1「楢山節考」1983-2







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幻映画館(75)「どん底」

「どん底」スチール














『どん底』   1957(昭和32)年  東宝    1957 (昭32)年キネマ旬報ベストテン第10位)

<黒澤 明監督>
黒澤 明監督<監督>黒澤 明
<製作>黒澤 明
<撮影>山崎市雄
<音楽>佐藤 勝
<美術>:村木興四郎
<録音>矢野口文雄
<照明>森 茂
<監督助手>野長瀬三摩地
<製作担当>根津 博

「どん底」シナリオ掲戴
「どん底」シナリオ<脚本>黒澤 明・小国英雄

「どん底」ゴーリキー著
「どん底」ゴーリキー<原作>マクシム・ゴーリキー(『どん底』より)





<出演>
三船敏郎・山田五十鈴・香川京子・•中村鴈治郎・千秋 実・藤原釜足・根岸明美・清川虹子・三井弘次・東野英治郎・田中春男・三好栄子・左 卜全・上田吉二郎・藤木 悠・藤田山・加藤 武(クレジットなし)


「どん底」
















「どん底」-2<粗筋>

  幕末に近い江戸時代。四方を石垣に囲まれて陽の当たらない棟割長屋。汚れ放題で荒れ果てたあばら屋には、もはや人間であることを諦めたかの如き連中が住んでいる。
  年中叱言(こごと)ばかり言っている鋳掛屋(東野)と、寝た切りで余命幾許もない女房のあさ(三好)。まるで、生娘の様な夢想に耽る八文夜鷹(根岸)。中年の色気を発散させる飴売り女(清川)。人生を諦観し切った遊び人で賭博師の喜三郎(三井)。酒毒に犯された役者くずれ(藤原)。昔は旗本だったと嘯(うそぶ)く狹騨有瓩噺討个譴觚羃反擁れ(千秋)。桶職人の辰(田中)。2人の駕籠かき(渡辺・藤田山)と下駄職人(藤木)
  そして、隣りに住む向う気の強い泥棒の捨吉(三船)らである。さらに、下っ引きの島造(上田)までが遊びに出入りしていた。

「どん底」  だが、外見の惨めさに反して、長屋には何故か自惰落で楽天的な空気が漂っていた。内心では、いつかここを抜け出そうとする連中ばかりだったのである。
  或る日、この長屋にお遍路の嘉平老人(左)が舞い込んで来た。この世の荒波にさんざん揉まれて来た老人は、その人生観を長屋の連中に説いて回った。
  病人のあさには来世の安らぎを説いて安堵させ、役者には酒毒を癒してくれる寺を紹介して気力を取り戻させる。喜三郎や辰たちは嘉平を嘘吐き呼ばわりするが、強く責める気にはならず、却ってどこか穏やかな気分になるのだった。
  そうした嘉平の言動に、長屋の雰囲気は徐々に変わってきていた。泥棒の捨吉は大家(中村)の女房お杉(山田)と既に出来ていたが、その妹のかよ(香川)にぞっこん惚れていた。
  お杉は恐ろしい心の女で、主人である因業大家の六兵衛にも増して、誰からも嫌われていた。嘉平老人は、捨吉にかよと一緒にここを逃げることを勧める。しかし、かよは決心が着かなかった。

「どん底」  捨吉の心変りを知ったお杉は、事ある毎にかよを虐待した。口惜しがる捨吉に、お杉は、もし亭主を殺して私をこのどん底から救い出してくれるなら、かよと一緒にしてやろうと持ち掛けた。
  或る時、六兵衛夫婦が、またまたかよを虐めていると聞いて駈けつけた捨吉は、やにわに六兵衛を突き飛ばす。すると、それだけのことで、六兵衛は死んでしまった。お杉は捨吉を人殺しと罵った。
  「亭主を殺せと唆かしやがって」と怒る捨吉の言葉に、かよは「二人で企らんで邪魔な亭主と私を殺そうとしたのだ」と叫ぶ。お杉と捨吉は番所へ曳かれて行った。嘉平はどさくさにまぎれて姿をくらましてしまい、長屋はまた酒とバクチに明け暮れる日々に戻った。
  冷たい霙の降る一夜、長屋の連中が酒に酔って馬鹿囃子の真っ最中である。
    ♪地獄の沙汰も金次第
     仏の慈悲も金次第
     小判の雨でも降ればよい
  殿様が駈け入んで来て、役者が首を縊ったと報せた。「折角の踊りをぶちこわしやがって」と、遊び人の喜三郎は顔を歪めて不興げに言った。


「どん底」
















<一言> 
   
  時代は江戸の末期。崖下にある極貧の人間達が雑居する崩壊した長屋が舞台になっている。実際に傾いているのか、斜めに映る場面がよく登場する。
 泥棒、飴売り、夜鷹、怪我で隠退した相撲取り、博打打ち、病身の妻を抱えた職人、アル中の元役者等々。まさに「転落」した人生が、この小屋で雑居している。
 そこへ1人のお遍路の老人が新参として入ってくる。老人は、彼らに対して親身に同情を寄せ、様々な経験談を話す。少しずつ変化を見せ始める長屋の住人達。その変化は、彼らに生きようとする力を与えたり、また、お互いに相手を思い遣る気持ちなどを起こさせる。

「どん底」  しかし、結果的に、彼らのどうしようもない現実の境遇が、却って生き方の変化から際だつことになる。そして、ある意味では平穏とも言うべき爐匹鹹讚瓩棒験茲靴討い身爐蕕法逆に悲劇をもたらすことにもなってしまう。
  貧しい住民達は、諦めや絶望から少しでも逃れて人間らしく生きようとした途端に、真に生きることの辛さに直面したのである。しかし、本来は、それでも人間らしく生きるべきだ、とこの映画は主張しているのかも知れない。
  お遍路の老人に感化されて生きる希望を持った筈の役者崩れのアル中男が、やはり現在の状況に絶望して自殺する。
  その直前に、小屋では酒を飲んだ連中がバカ騒ぎして、踊り狂っている。そこへ、元役者の自殺が知らされる。「折角の踊りをぶちこわしやがって」と、遊び人の男は顔を歪めて呟く。拍子木がひとつポンと鳴って映画は終わる。
  何もかも判っている人間が、判っていてどん底にいる。そんな強さを感じるラストである。「判っている」と言うことは、絶望的でも、楽観的でも、そのどちらにも片寄り過ぎていない、逞しい強さがあるのではないか。人間は、この両極の真ん中辺りで生きるのが最良なのかも知れない。そんなメッセージを感じた。


「どん底」















<参考>

  帝政ロシアを舞台にしたゴーリキーの名作戯曲を、日本の江戸時代の棟割り長屋に暮らす貧しい庶民たちの話に置き換えた骨太なドラマ。事前に入念なリハーサルを行い、複数のカメラで一気に撮り上げたとされている。マルチ・カム方式による演出が、頂点を極めた作品とも言える。
  「蜘蛛巣城」に次ぐ黒澤明作品。ゴーリキーの同名戯曲から材を取る。黒澤明と、「真昼の対決」の小国英雄が共同で脚本を書き、黒澤明が監督、「「元祿忠臣蔵・大石最後の一日」より 琴の爪」の山崎一雄が撮影した。
  主な出演者は「危険な英雄」の三船敏郎、「ひかげの娘」の山田五十鈴、香川京子「「元祿忠臣蔵・大石最後の一日」より 琴の爪」の中村鴈治郎。ほかに東野英治郎・三好栄子・根岸明美・清川虹子・千秋実など。

「どん底」  この映画は、同時代の批評が二分された。岩本憲児の「批評史ノート」(『全集黒澤明第四巻』)に次の紹介がある。
  『読売新聞』(57年9月30日)は、「黒澤監督は、爐匹鹹讚瓩砲△┐ながら、泣くがいやさに笑い候といった庶民の生きるたくましさを見事に描ききっている。素晴らしい演出力である」と称賛した。
  一方、『東京新聞』(同9月26日)は、「作品が意図したらしい明るさというものが、それほど強く伝わってこないのは根本的な失敗と見られる。暗さと無気力さが全体を支配するために、希望も明るさもカゲが薄くなっているのである」と批判している。


「どん底」スチール


















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<登場人物>

登場人物「どん底」-4登場人物







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「どん底」(舞台)<舞台劇>

  『どん底』(ロシア語:На дне)は、マクシム・ゴーリキーの戯曲。1901年冬から1902年春にかけて書かれた。

<概要>

  執筆当時のロシア社会の貧困層が描かれ、木賃宿を舞台に住人達の表面騒がしく声高ながらも、底流には諦観的で惻々として身に迫る実情が漂う。作品には筋がなく主人公もいない。在来の芝居と趣きを異にする、アントン・チェーホフの諸作と軌を一にしている。
  ゴーリキーは、当時新しい劇壇を風靡していたチェーホフの示唆と慫慂とによって幕を開け、自然とモスクワ芸術座をもチェーホフの劇場と呼ばせたほど盛名のあったこの先輩の影響を、少なからず劇作において受けている。
  ゴーリキーの戯曲は知識階級を描いた作品が多いが、第2作である本作はゴーリキーの物書きとしての初期作品に見られるルンペンプロレタリアートが描かれている。しかしながら、「嵐の告知者」と呼ばれたゴーリキーの特色たるロマンティシズムの面影はほとんどなく、実写主義が勝利を占めており、本作はルンペンに失望しボシヤーク(跣足男)の時代を葬る挽歌、訣別の辞として知られている。

<あらすじ>

  コストゥイリョフの妻ワシリーサは、夫から自由になることを画策する。ワシリーサは情夫ペーペルが、彼女の実妹ナターシャに惚れていることに目をつける。ナターシャは姉夫婦の家に居候していて、虐待を受けていた。夫を殺害すれば、妹と結婚させ300ルーブルを提供しようと申し出る。
  ナターシャは結婚することで虐待から逃れられることができ、ペーペル自身もコストゥイリョフに2度も牢屋に送らた仕返しをでき、ワシリーサは夫と別れることができ、皆が幸福になるという。ペーペルはワシリーサの誘惑にのり、コストゥイリョフを殺害する。ところが、ワシリーサはペーペルが殺したと訴える。
  騙されたと知ったペーペルはワシリーサを道連れにしようとし、ワシリーサから計画を持ち込まれたことをしゃべる。そうしてナターシャは姉と自分の夫となる人が、共謀して義兄を殺害したことを悟り、ワシリーサ・ペーペル・自分を牢屋に入れてくれという。
  ペーペルとワシリーサは捕まり裁判にかけられ、ナターシャは病院から失踪してしまう。彼女たちの叔父のメドヴェージェフは警察を首になっていた。犯罪を犯さない者も、貧困という牢獄から抜け出すことを夢見ながらも、抜け出せない。誰一人幸福になることがなく、どん底にいる市民たちは、歌と酒だけを娯楽に日々の生活を送っていく。

ゴーリキー< 登場人物>

ミハイル・イワーノヴィッチ・コストゥイリョフ /54歳、木賃宿の亭主。
ワシリーサ・カールポヴナ / コストゥイリョフの女房、26歳。
ナターシャ / ワシリーサの妹、20歳。
メドヴェージェフ/ ワシリーサとナターシャの叔父、巡査、50歳。
ワーシカ・ペーペル / 泥棒、28歳
クレーシチ・アンドレイ・ミートリイチ / 錠前屋、40歳
アンナ / クレーシチの妻、30歳
ナースチャ/ 娘、24歳。
クワシニャー/ 肉饅頭売りの女、40代格好。
ブブノーフ / 帽子屋、45歳。
サーチン / 40代位
役者 / サーチンとほぼ同年輩。
男爵 / 33歳。
ルカ / 巡礼者、60歳。
アリョーシカ/ 靴屋、20歳。
クリヴォイ・ゾーブ/ 荷かつぎ人足。
だったん人 / 荷かつぎ人足。
他に、名もなく台詞を持たない浮浪人数人。

<唄>第2幕および第3幕で作中人物の歌う唄

明けても暮れても 牢屋は暗い
よるひる牢番 えい、やれ!
わが窓みはる。見張ろとままよ
おいらは逃げぬ。逃げはしたいが、
えい、やれ! 鎖が切れぬ。

ああこのくさり わがくさり
てめえは 鉄の牢番よ
おれにゃ切れぬ てめえは切れぬ。


「どん底」ポスター



























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「どん底」ラベル

幻映画館(74)「幕末太陽傳」

「幕末太陽傳」スチール

















『幕末太陽傳』   1957(昭和32)年  日活

1957 (昭32)年キネマ旬報ベストテン第4位)・男優賞(フランキー堺)/第8回ブルーリボン賞4位/男優主演(フランキー堺)・シナリオ賞/第12回毎日映画コンクール音楽賞(黛敏郎)

<川島雄三監督>
川島雄三監督<監督>川島雄三 
<製作>山本 武<製作助手>友田二郎
<助監督>今村昌平<監督助手>浦山桐郎・遠藤三郎・磯見忠彦
<撮影>高村倉太郎<撮影助手>真野孝之・飯島 浩・永塚各一郎・大場浩司
<音楽>黛 敏郎
<美術>中村公彦・千葉一彦<美術助手>岡田 力・深民 浩
<装飾>橋本 清・斎藤幹斎・長嶋 巌
<装置>細谷喜一・関谷 修・荒井次男<背景>真野仙吉
<録音>橋本文雄
<照明>大西美津男<電飾>秋元一彦
<所作指導>沢村門之助
<風俗考証>木村荘八
<編集>中村 正
<スクリプター>飯村 知<スチール>斎藤勘一
<資料提供>宮尾しげを・安藤鶴夫
<特殊撮影>日活特殊技術部

「幕末太陽傳」台本
「幕末太陽傳」台本<脚本> 田中啓一・川島雄三・今村昌平

<出演>
フランキー堺・左 幸子・南田洋子・石原裕次郎・金子信雄・山岡久乃・梅野泰靖・織田政雄・岡田真澄・高原駿雄・青木富夫・峰 三平・小沢昭一・芦川いづみ・市村俊幸・菅井きん・西村 晃・熊倉一雄・三島 謙・植村謙二郎・殿山泰司・加藤博司・井上昭文・榎木兵衛・河野秋武・二谷英明・小林 旭・関 弘美・武藤章生・徳高渓介・秋津礼二・宮部昭夫・河上信夫・小泉郁之助・井東柳晴・福田とよ・新井麗子・竹内洋子・芝あをみ・清水千代子・高山千草・山田禅二/ナレーター=加藤 武
*クレジット無し:川村昌之・須田喜久代・横田陽子・水木京一・橘田良江・福田文子・伊豆見雄・光沢でんすけ・谷川玲子・早川名美・阪井幸一郎・阪井幸一朗・小柴 隆・山之辺閃・二木草之助・上野山功一・沢本忠雄


「幕末太陽傳」












「幕末太陽傳」-2<粗筋>

  明治維新まであと5年になる文久2(1862)年11月のこと。品川の飯売旅籠(遊郭)相模屋である。佐平次(フランキー)は、遊び仲間の金坊(熊倉)や新公(西村)を引き連れて大尽遊びの放蕩三昧をしていた。
  やがて、遊び疲れた仲間達は散りながら帰って行った。だが、佐平次だけは、相も変わらず遊び呆けていたのだった。
  その翌朝になり、混血の若衆喜助(岡田)が勘定の催促に来た。

「幕末太陽傳」-3  「へーッ、こんなに安いか!あんなに遊んで」 「ハイ・・・それで・・・お、お勘定を・・・」 
  「いや、それがね、一銭も持ってねえってんだから面知れえじゃねえか」 「ヘッ!?それじゃ、お連れ様に・・・」 「そのお連れ様がどこにいるんだかサッパリわからねえからなお面白れえ」
  「ヒェ〜!」 などとは白々しい。最初から佐平次の確信犯だったのだ。
  相模屋の主人伝兵衛(金子)と女将お辰(山岡)は、「働いて返しやす」と言う佐平次を渋々ながら承諾した。佐平次はいつの間にか玄関へ飛び出して、番頭みたいな仕事を始める。その要領の良さ振りは見事だった。
  かくして、佐平次は相模屋に居残って飲み食いのツケを仕事で返すことになり、あらゆる仕事に駆け摺り回る。

「幕末太陽傳」-4 「居残りの佐平次でござい!」と、按摩、部屋番、時計の修繕となんでもござれの大活躍。しかし、宛がわれた部屋へ帰ると、佐平次は煎じ薬を飲んでいる。彼は胸を患っているのだ。
  一方、廓の売れっ子のこはる(南田)とおそめ(左)は、お互いに相手を罵り合う犬猿の仲だった。ある日、些細な事から2人の大喧嘩が始まった。廓中を暴れまくり、中庭にまで転げ落ちて凄まじい女の戦へと発展した。

  相模屋には長州藩士の高杉晋作(石原)ら、勤皇の志士が出入りしていた。佐平次は高杉に一目置くことになる。晋作らは、売れっ妓こはるの部屋に入り浸って勘定がたまる一方だった。佐平次は、彼らからそのカタをとって来るなど、ここでも抜群の働きを示す。
  そんなおり、出入りの貸し本屋金造(小沢)とおそめは、成り行きから心中することになった。だが、川へ飛び込んだ金造を後に残し、おそめは宿へ帰ってしまった。何の事は無い。川は膝までしか水が無かったのだ。

「幕末太陽傳」-5  ある日、こはるの客2人が勝ち合ってしまった。こはるは、それぞれに夫婦の約束をしていたのだ。それが親父(殿山)と息子(加藤)だったから、余計に始末が悪い。彼ら親子は、こはるを前にカンカンに怒り出した。
  その途端に、「お待ちなせえ!」 襖を開けて入って来たのは佐兵次。「やい、こはる!おめえ、おいらとの夫婦の約束を反故にしやがったな!ぶっ殺してやる!」
  懐から出刃包丁を取り出して佐平次がこはるに飛び掛ったから、親父と息子は仰天した。「あっ、あっ、危ない、危ない」と2人が佐平次を押さえている間に、こはるは逃げた。

「幕末太陽傳」-6  泣いて悔しがる佐平次に2人は同情し、小遣いまで与える始末。佐平次は、かくの如く機転の効く男なのだ。また、こうした揉め事を治める度に、御祝儀を頂戴して懐を温める抜け目のない佐平次であった。
  一方おそめは、心中したはずの金造が客で来たと知らされる。あの人は死んだんだよ」「じゃ、幽霊かね」「馬鹿いいな」おそめが部屋へ行くと、金造が幽霊のような顔で座っていた。「ひぇ〜」 と腰を抜かすおそめ。だが、よく見ると、金造がいない。
  玄関先に棺桶が届いた。蓋を開けると、白目を剥いた金造が入っていた。それを見たおそめはたちまち失神した。そこへ、「ごめんよっ」と佐平次。
  持っていた薬缶の湯を棺桶にぶちまけた。「アッチッチ!」死体の筈の金造が保々の体で逃げ去った。

  奉公人のおひさ(芦川)は父親の借金が返せないので、廓に出されそうになった。そこへ佐平次の出番だ。遊び人の若旦那と、駆け落ちさせる段取りをしてやった。高杉晋作に任せたのだ。高杉は佐平次を男と見て、快く引き受けた。
  こうした図々しい居残りが数日続くうちに、仕立物まで上手にする彼の器用さは、女郎のこはるとおそめを惚れさせてしまった。かくて佐平次は2人の女からロ説かれる仕儀となった。

「幕末太陽傳」-2  ところが佐平次は、こんな2人に目もくれずに大奮闘を続ける。女中おひさにほれた相模屋の太陽息子徳三郎(梅野)は、おひさとの仲の橋渡しを佐平次に頼んだ。佐平次はこれを手数料十両で引受けた。
  あくまでちゃっかりしている佐平次は、こはるの部屋の高杉らに着目。彼らが製造している手製の爆弾を佐平次がいじり始める。佐平次を怪しいと勘繰った志士達(二谷・小林他)は、高杉に彼を斬るように迫る。
  品川沖に舟を出して高杉と佐平次は遣り合うが、奇策を用いて佐平次が勝つ。高杉は、逆に佐平次に謝る羽目になる。

「幕末太陽傳」-3  そして、志士達が御殿山英国公使館の焼打ちを謀っていることを知ると、佐平次は御殿山工事場に出入りしている大工(植村)に異人館の地図を作らせ、これを高杉らに渡してまたまた儲けた。
その上、焼打ちの舟に徳三郎とおひさを便乗させることも忘れなかった。その夜、御  殿山に火が上った。この事件の隙に、ここらが引上げ時としこたま儲けた佐平次は旅支度をするのである。
  そこへ、こはるの客杢兵衛大尽(市村)が、こはるがいないと大騒ぎし始める。佐平次は、こはるは急死したと誤魔化してその場を繕い、翌朝早く旅支度して表に出ると、すでに杢兵衛が待ち構えていてこはるの墓に案内しろという。

「幕末太陽傳」-4  これも居残り稼業最後の稼ぎと、彼は杢兵衛から祝儀をもらうと、近くの墓地でいい加減の石塔をこはるの墓と教えた。杢兵衛一心に拝んでいたが、ふと顔をあげるとこれが子供の戒名だった。
  欺されたと真赤になって怒る大尽に、「あっしなんか若こうござんすから、墓にはとんと縁がねぇもんで」と佐平次。「いンや、おめさっきから妙に悪い咳コイてるでねェか」と言われ暗い表情を見せる。
  業を煮やして逃げ出す佐平次。杢兵衛の「地獄サ落ちっど〜!」の声を背に、「俺はまだまだ生きるんでぇ!」と叫びながら、佐平次は振分けを担いで東海道の松並木を韋駄天走りに駈け去って行った。


「幕末太陽伝」














「幕末太陽傳」-5<一言> 
   
 『幕末太陽傳』のタイトルと共に画面は一転、現代(昭和32年当時)の品川へ移る。「東海道線の下り列車が品川駅を出るとすぐ...」という軽妙なナレーション(加藤武)と、デキシー風のテーマ音楽(アーヴィング・バーリン「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」・音楽は黛敏郎)が流れる。
 「これから面白い映画が始まる!」という雰囲気がひしひしと伝わって来て、期待感が弥が上にも高まる。才気煥発の川島監督の面目躍如、というところだろう。
  スタッフ・ロールに重ねて、品川紹介の最後に「さがみホテル」のネオンが映り、それがワイプして「相模屋」の行灯変わり時は再び文久へ。このスタートから興味深々となる。

「幕末太陽伝」  その相模屋に件の佐平次が入ってくる。仲間3人を引き連れて「大舟に乗った気で居ねィ」と景気よくブチ挙げている。
  芸者4人を上げて、夜を徹してのドンチャン騒ぎ。芸者の叩く太鼓のバチを取り上げて自ら叩くフランキーが、右手でくるくるとバチを回す演出には思わずニヤリとさせられる。
  翌日、ひとり残った佐平時、勘定書を持って来た店の若衆(流れ女郎が捨てていったハーフの品川っ子)に「一文も懐に持ってないってんだから面白いじゃねぇか」と開き直り、店に居残って働いて返す、ということになる。
  しかし、それからの活躍ぶりが実に凄い。勘定を溜め込んでなおも居座る高杉晋作ら攘夷の志士からは、堂々とそのカタを取って来る。
  女郎こはるに入れ揚げた挙げ句、縁組の誓いを書いた起請文が衝突してしまった仏壇屋親子の前では、たった今自分で書いた起請文を懐から取り出し、出刃包丁片手に「やい、こはる!てめぇはよくもこの俺に!」と大芝居を打ってその場を収め、親父から小遣いまでせしめる始末。
  どうやらこれは佐平次の計画的犯行で、海に近い品川宿に居残ってしばしの転地療養と決め込みたいようなのである。

「幕末太陽伝」  こんな佐平次を女郎衆が放っておく訳がない。板頭(一番人気)を争うこはるとおそめが「年(ねん)が明けたらわっちと所帯を」と言い寄るのに、「胸の病にゃ女は禁物」とはね返し、寝起きする行灯部屋で薬の調合に専念する。 
  「へいへい、何でげしょう」とおどける佐平次が、行灯部屋に戻り独りになった瞬間に見せる鬼気せまる表情には思わず息を呑む。
  しかし、ひとたび廊下から声が掛かると「へ〜い」を景気のいい声を上げて飛び出して行く。元の表情に戻ってはいるが、その内心は暗澹としたものかも知れない。

  相模屋の放蕩息子・徳三郎と女中おひさ、そして高杉晋作ら攘夷の志士達のエピソードを軸に物語は終盤へ。おひさは父・大工長兵衛の借金のカタに働かされているのだが、結局払えずに遂に女郎として店に出されそうになる。
  「可哀相ダは惚れたってことよ」と気になる徳三郎。おひさも決断して2人は駆け落ちを企(くわだ)てる。

「幕末太陽傳」-6  一方、高杉らは御殿山の英国公使館の焼き打ちを企(たくら)んでいるが、肝心の絵図面が手に入らない。この2組の頼るところは当然佐平次である。
  あまりにウロチョロし過ぎる佐平次を幕府のスパイではないかと疑った攘夷の志士達が、佐平次を試す。高杉が代表となり焼き打ちの全容を打ち明け、更には切りつけんと迫りその出方を見ようというのだ。
  そしてこの時の佐平次の態度が凄い。怯えるでもなく、媚びるでもなく、「へへえ、それが二本差しの理屈でござんすかい」と高杉に挑む。「ちょいと都合が悪けりゃ『こりゃ町人、命は貰った』と来やがらぁ。
  どうせ旦那方は、百姓町人から絞り上げたおかみの金で、やれ攘夷の勤皇のと騒ぎ廻っていりゃ済むだろうが、こちとら町人はそうはいかねえ」「何ッ...?」「手前一人の才覚で世渡りするからにゃア、へへ、首が飛んでも、動いてみせまさア!」

「幕末太陽傳」-9  佐平次一世一代の大啖呵であるる。この映画の根幹を成す庶民のヴァイタリティを凝縮した名セリフと言えよう。

  蔵の中に幽閉されていた徳三郎らを凝った方法で逃がし、おひさを利用して絵図面も入手、2組を同じ船に乗せる。「お前さん方を逃がせば、オイラここには居らンねぇ身体だ。なぁに丁度潮時」、佐平次最後の大奮闘である。
  宿に戻った佐平次、時はあたかも大引け(深夜の閉店時間)である。言い寄る女郎衆を後に、いよいよ逃げ出そうとしたその時、千葉の田舎親父・杢兵衛に掴まってすっかり調子を狂わせてしまう。
  「こはるサァ、どんな案配だァ」と聞く杢兵衛を「実はオッ死んじまったんでィ」とケムに巻くが、異常にしつこい杢兵衛に「寺ァどこだ、お参りするべェ」と付き纏わられる。
  近くの墓場に連れて行き、適当に誤魔化そうとするがこれも不発。要領のいい筈の佐平次が、ここでは全くサッパリなのだ。「あっしなんか若こうござんすから、墓にはとんと縁がねぇもんで」という佐平次。
  「いンや、おめさっきから妙に悪い咳コイてるでねェか」と言われ暗い表情を見せる(咳を指摘されて、ふっと暗くなるシーンは他にもある)。
  業を煮やして逃げ出す佐平次。杢兵衛の「地獄サ落ちっど〜!」の声を背に、全力疾走だ。「俺はまだまだ生きるんでぇ!」と叫びながら。そして、エンドマーク。単なる笑いのみでない、深味のる喜劇映画の傑作である。
  黒澤活劇との違いは、同じ時代劇でありながら、黒澤作品は侍の目から見た庶民、町人の生きざまであるのに対し、川島時代劇はあくまで我々庶民の視線と心情を貫き通しているのだ。そして、これは川島創作の根源ともいえる


「幕末太陽傳」














「幕末太陽傳」-7<参考>

 「飢える魂」の川島雄三が、「風船」の今村昌平、田中啓一の協力を得て書いたオリジナルシナリオを自ら監督した、川島雄三としては初の時代劇。撮影は「青春の抗議」の高村倉太郎。
  主演は、「倖せは俺等のねがい」のフランキー堺、「勝利者」の南田洋子、「今日のいのち」の石原裕次郎、「マダム」の左幸子。他に、芦川いづみ・岡田眞澄・市村俊幸・金子信雄・藤山泰司・小沢昭一ら。
  
  ストーリーはオリジナルだが、落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』などを随所に織り込み、その落語世界を幕末の志士たちが駆け抜ける特異な世界を作り上げている。
  会社の看板スターを脇役扱いにしたことや、幻となったラストシーンなど逸話も多くい。平成11(1999)年にキネマ旬報が行った「オールタイムベスト100日本映画編」では5位に入賞するなど、日本映画史上最高傑作の一つに挙げられる。


「幕末太陽傳」













※時代背景
  この作品の舞台となる品川宿は、現在の京浜急行・北品川駅周辺に当たる。映画の冒頭に、舞台となる相模屋の映画撮影当時の姿である「さがみホテル」が登場する。バックに流れるナレーションは、ここを「北品川カフェー街と呼ばれる16軒の特飲街」と紹介する。
  いわゆる赤線地帯で、映画の撮影当時は売春防止法成立直前である。カメラは滅びつつある風景を写しながら、すでに滅びてしまった風景へと遡って行く。この場面は、不思議な効果を生んでいる。
  相模屋は実在する旅籠で、舞台となる文久2年には高杉晋作や久坂玄瑞が実際に逗留していたと言われている。彼らはこの旅籠に滞在し、御殿山に建設中だった英国公使館の焼き討ちを計画していた。相模屋は地元では土蔵相模という呼び名の方が良く知られているとのことである。


「幕末太陽傳」













※幻のラストシーン
  映画の最後は、騙して墓に案内した杢兵衛から逃げ出して、「俺はまだまだ生きるんでぇ。」と捨て台詞(セリフ)を吐きながら、海沿いの道をどこまでも走って逃げて行くシーンである。
  このラストシーンは、脚本段階では、佐平次は海沿いの道ではなく、杢兵衛に背中を向けて走り始めると墓場のセットが組まれているスタジオを突き抜け、更にスタジオの扉を開けて現代(昭和32年)の街並みをどこまでも走り去って行くものだった。
  佐平次が走り去っていく街並みは、いつかタイトルバックに登場した北品川の風景になり、その至るところに映画の登場人物たちが現代の格好をして佇み、ただ佐平次だけがちょんまげ姿で走り去って行く、と言うものだったとされている。
  これは川島監督の逃避願望や、それとは相反する形での佐平次に託した力強さが、時代を突き抜けて行くと言うダイナミックなシーンになるはずである。それが、現場のスタッフやキャストからもあまりに斬新すぎると反対の声が飛び出した。
  監督が自らの理想像とまで見なしていた佐平次役のフランキー堺まで反対に回り、結局は監督は現場の声に従わざるを得なかったとのことである。
  しかし幻のラストシーンも現存する場面も、それまでの軽快なタッチとは異なり、墓場という陰鬱な風景を半ば嫌悪と恐怖を持って描いており、そこから逃避するという点では一貫している。
  このラストについては、「サヨナラだけが人生だ」という言葉を残した川島の人生哲学が反映したとする説、あるいは故郷の恐山に対する嫌悪と畏怖など諸説がある。

「幕末太陽傳」-8  なお、この幻のラストの場面は、後に様々な映画人によって踏襲されている。今村昌平は自身のドキュメンタリー映画「人間蒸発」でラストシーンの部屋がセットだという事を観客に明かし、映画とドキュメントと現実社会の境界の曖昧さを問い掛けた。
  川島と同郷の寺山修司は、恐山を舞台にした『田園に死す』のラストで、東北の旧家のセットが崩壊すると、その後ろから1970年代の新宿駅東口交差点が現われるという衝撃的な映像を作り上げた。
  崩壊したセットの周囲を現代人となった映画の登場人物たちが往来するなど、明らかに川島の影響を彷彿とうかがわせる。


「栄光なき天才たち」<漫画化>

  『幕末太陽傳』制作過程とそれに至る川島の生涯は、『栄光なき天才たち』(森田信吾作画・伊藤智義原作)で漫画化されている(集英社文庫版第2巻)。                  
  先述した故郷への畏怖が映画のラストシーンに影響を与えたとする説は、この漫画で初めて提示されたものであり、興味深い。なお、この漫画のラストは、川島が現代の日本にひょっこり現われるという「幻のラストシーン」を再現するものになっている。



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幻映画館(73)「蜘蛛巣城」

「蜘蛛巣城」スチール














『蜘蛛巣城』   1957(昭和32)年 東宝

1957 (昭32)年キネマ旬報ベストテン第4位)・女優賞(山田五十鈴)/第8回ブルーリボン賞7位/技術賞(美術・村木与四郎)/第12回毎日映画コンクール男優主演賞(三船敏郎)・美術賞(村木与四郎)/NHK映画ベストテン9位/第1回日本映画技術賞 美術賞(村木与四郎)/芸術選奨文部大臣賞・山田五十鈴/1957年度リスボン映画祭特別賞/第1回ロンドン映画祭 最も独創的な映画賞/1974年度ロサンゼルス国際映画賞

<黒澤 明監督>
黒澤 明監督<監督>黒澤 明
<製作>黒澤 明 
<監督助手>野長瀬三摩地・田実泰良・金子 敏・清水勝弥・坂野義光
<撮影>中井朝一
<音楽>佐藤 勝
<美術>村木与四郎<美術監修>江崎孝坪
<衣装>森 英恵
<録音>矢野口文雄
<照明>岸田九一郎
<特殊技術>東宝技術部
<流鏑馬指導>金子家教(大日本弓馬会範士)・遠藤武(大日本弓馬会教士)
<記録>野上照代
<スチール>副田正男

「蜘蛛巣城」シナリオ掲載
「蜘蛛巣城」ナリオ<脚本>小国英雄・橋本忍・菊島隆三・黒澤明

「マクベス」シェークスピア著
「マクベス」シェークスピア<原作>ウィリアム・シェイクスピア(『マクベス』より)




<出演>
三船敏郎・山田五十鈴・志村 喬•久保明・太刀川洋一・千秋 実・佐々木孝丸・清水 元・高堂国典・上田吉二郎・三好栄子・浪花千栄子・富田仲次郎・藤木 悠・堺左千夫・大友 伸・土屋嘉男・稲葉義男・笈川武夫・谷 晃・沢村いき雄・佐田 豊・恩田清二郎・高木新平・増田正雄・浅野光雄・井上昭文・小池朝雄・加藤 武・高木 均・樋口廸也・大村千吉・櫻井巨郎・土屋詩朗・松下猛夫・大友 純・坪野鎌之・大橋史典・木村 功・宮口精二・中村伸郎


「蜘蛛巣城」スチール?













<粗筋>

  時は戦国時代。蜘蛛巣城城主・都築国春(佐々木)は北の館城主・藤巻の謀反に遭って、篭城を決意する。そんな中にあり、鷲津武時(三船)と三木義明(千秋)両者の活躍によって形勢が逆転したとの報せが入る。
  国春に召されて嵐の中を急ぐ武時と義明は、途中の「蜘蛛手の森」で迷ってしまう。そこで2人は奇妙な老婆(浪花)と出会う。その老婆が予言するのだった。
  武時は北の館の主に、そしてやがては蜘蛛巣城の城主になる。また、義明は一の砦の大将となり、やがて彼の子が蜘蛛巣城の城主になる、ことを告げられる。
  その後老婆の予言通り、国春の命令によって武時は北の館の主に、義明は一の砦の大将に任ぜられた。

?  武時から一部始終を聞いた妻の浅茅(山田)は、老婆の予言を国春が知れば、城主の地位を脅かすものとして武時を殺すに違いない、そうなる前に国春を殺せと唆のかす。妻の言葉に、武時の心は揺れ動く。
  折りしも、兵を引き連れた国春が、隣国の乾を攻めるために北の館へやって来る。その夜、浅茅は見張りの兵士たちを痺れ薬入りの酒で眠らせる。決意を固めた武時は、国春を槍で刺し殺す。
  城主殺害の嫌疑を掛けられた臣下の小田倉則安(志村)は、国春の嫡男の国丸(太刀川)を擁し、2人で山の中へ逃れる。
  晴れて蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子がないために義明の嫡男・義照(久保)を養子に迎えようとする。だが浅茅は、「三木殿の御子のために主君を殺したわけではない」と不満を述べる。加えて、浅茅から懐妊を告げられた武時は、義明親子に刺客を送り込む。
  宴の最中に、武時は死装束に身を包んだ義明の幻を見て、酷く取り乱す。すっかり座も白けて客が総て引き上げた後、武時の元に刺客が現れる。
  刺客は、義明は討ち取ったものの、義照は取り逃がしてしまったと報告する。怒った武時は、その場で刺客を殺してしまう。
  激しい嵐の夜、浅茅は死産して重体に陥る。その時、使いの武者(大橋)から国安を奉じた則安と義照を筆頭とする乾の軍勢が国境を越え、一の砦と二の砦を包囲したとの報せが入る。

?  戦意を喪失し無策の武将達に苛立った武時は、轟く雷鳴を聞いて森の老婆のことを思い出して、1人で蜘蛛手の森へ馬を走らせる。
  現われた老婆は、「蜘蛛手の森が動かぬ限り、武時は戦に敗れることはない」と予言する。
  依然として動揺する将兵達に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高める。その夜、森から斧の音が響き渡り、次いで野鳥の群れが城に飛び込んで来る。
  一方では、動き出した蜘蛛手の森に混乱する兵士達で、城内は混乱の極に達する。不気味な雰囲気に包まれた夜が明け、発狂した浅茅にうろたえる侍女達で騒然となる。
  持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけて、愛想を尽かした味方達の中から無数の矢が飛ぶ。逃げ惑う武時の首を、一本の矢が射抜くのであった。
  蠢くように見えた森の中では、則安の軍が森の木を切って、それを盾にしながら前進する姿があった。


「蜘蛛巣城」スチール?













<一言> 
   
  まず冒頭シーンに、霧に隠れて一寸先も見えない所から不意に現れる蜘蛛巣城の跡がある。そして、また霧に包まれて行き、次に蜘蛛巣城が姿を現した時には、現実にフラッシュバックされていて、人間の妄執の物語が始まる予感に引き込まれる。
  説明など何もなく、一気にスタートする冒頭であり、このオープニングがあるからこそ、物語の儚さが際立って来ると言える。
  劇中では元の殿様(前主を暗殺している)を武時が暗殺し、城主に昇りつめるが、彼の座は義明の子供に奪われることを、物の怪の老婆に予言されていた。   
  前主の息子が健在で、未来を予言された義明の息子も生き残り、武時に攻め込んで来る。この後に、再び騒乱が起こることは歴然としている。

?  物の怪が望むように、人間は懲りずに殺し合いを続ける。武時と義明は合戦の覚めやらぬ中、本城での領主との謁見に向かう途中で、蜘蛛巣の森を通り抜けようとする。しかし勝手知った森であるにもかかわらず、遂に迷ってしまう。
  深い霧の場面が2度出て来る。霧のために道に迷う最初のシーンと、物の怪との遭遇後に本城へ向かう時に右往左往する霧のシーン。この両場面は意味がまるで違う。2度目の霧は、今後の対応をどうするかとの妄執と欲望からくる迷いの象徴だろう。
  妻の浅茅が、妄執と欲望によって徐々に精神に異常を来たして行く過程が象徴的に描かれる。このメイクの原型になっているのが、能面の曲見(くしゃみ)であり、これを基にさらにメイクの変化を重ねて行くことで狂気の精神状態を表現する。
  中でも恐ろしいのは、自身の安泰だけを望み、本来大切な味方である筈の義明を始めとする家人を次々と暗殺した結果、周りに人がいなくなる展開である。本人の精神状態も錯乱し、手が擦り切れるまで水で手についた鮮血を洗い流そうとするシーンは蒼絶。
  森の妖婆の場面と浅茅のシーンは、能楽の動作になって進行する。この場面は、まさに悪そのものを強調して描いているのだろう。

?  最後の矢を大量に射掛けられる場面は、実際に弓の達人や大学の弓道部員が本物の矢を放って迫力満点である。後々の語り草となったのは当然と言える。
  更に、森が動くシーンも印象に残る。霧の中で、無数の木々がまるで生き物のように迫ってくる場面。一連の因果応報の最終絵巻とも思える、圧倒的な迫力のある場面である。
  血と死臭の漂う凄惨な映画ではあるが、意外にも殺人の場面は少ない。合戦の場面でも実際の描写は無い。主君殺しでは、血の塗られた槍で表現されるのみである。  武将の盟友の暗殺は、亡霊の登場で済ませている。暗殺の成功を報告に来た使者を殺す場面も、見事に左右対称に血が飛び散るのみである。
  こうした「抽象的な死」が描かれているからこそ、主人公の武将の死を直接見せるクライマックスが壮絶なのだろう。裏切った味方の矢を全身に受け、恐怖のあまり半狂乱になる武時。
  逃げようとする目の前に次々と矢が射られる中、板塀に突き刺さった矢を手で折りながら、声にならない悲鳴を上げながら逃げ惑う。そこには、勇猛だった武士の姿はまるで見られない。
  これは、黒澤監督が『酔いどれ天使』や『羅生門』などでもこれまでに描いてきた、言うなれば「勇敢な男の無様な死」に共通するのかも知れない。


「蜘蛛巣城」スチール?
















<参考>

 「生きものの記録」に次いで黒澤明監督が描く、戦国武将の一大悲劇。脚本は「阪妻追善記念映画 京洛五人男」の小国英雄、「真昼の暗黒」の橋本忍、「嵐(1956)」の菊島隆三と黒澤明の合作。
  撮影担当は「続へそくり社長」の中井朝一。主な出演者は、「囚人船」の三船敏郎、「猫と庄造と二人のをんな」の山田五十鈴・浪花千栄子、「嵐(1956)」の久保明、「ならず者(1956)」の志村喬、「ボロ靴交響楽」の木村功。その他、千秋実・太刀川洋一・上田吉二郎・土屋嘉男・高堂国典・清水元・三好栄子・藤木悠・佐々木孝丸などのベテラン陣が出演している。

※撮影時のエピソード
  三船演ずる武時が次々と矢を射掛けられるラストシーンは、特撮ではなく、実際に三十三間堂の通し矢の名手が三船目掛けて本物の矢を射た。その撮影が終了した後、三船は黒澤に「俺を殺す気か!?」と怒鳴ったとのことである。
  その後も、自宅で酒を飲んでいるとそのシーンのことを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤に、だんだんと腹が立ってきて、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだという。

?見よ妄執の城の址
魂未だ住むごとし
それ執心の修羅の道
昔も今もかわりなし
寄せ手と見えしは風の葦
鬨の声と聞きしは松の風
それ執心の修羅の道
昔も今も変わりなし



?「黒澤 明の映画」 ドナルド・リチ−著(キネマ旬報社)

  シェイクスピアの「マクべス」を戦乱の日本に場所を替えた黒澤の時代劇です。山田五十鈴演ずる浅茅は、森の物の怪以上に恐ろしい悪女です。メーキャップは能面のようで、動作も能楽のそれです。見かけは立派だが気の小さい鷲津を挑発し、主君と親友を殺させてしまいます。「用心棒」のヤクザの女将も悪だが、それ以上の演技といえます。
  森の妖婆の場面と浅茅のシーンは能楽の動作になっていて、悪を強調しているようです。
  クライマックスの鷲津が矢で撃たれるシーンは、スタッフが弓の名人を沢山集めて来て、実際に矢を放ったのだそうです。逃げ惑う鷲津の周りにおびただしい矢が飛んで板壁に突き刺さる場面は迫力満点。鷲津を演じた三船も、こんな恐ろしい撮影はなかったと後年語っています。
 更に、森が動くシーンも印象に残ります。霧の中、無数の木々がまるで生き物のよう に迫ってくる場面。ここは、スローモーションと望遠レンズの併用で素晴らしい効果を上げています。
  能楽のもつ緩急と、森と飛来する矢のスペクタクルを一連の因果応報の絵巻に仕立てた黒澤の手腕は、世界の映画作家に多大な影響をもたらしました。
  「マクべス」は、オーソン・ウエルズやロマン・ポランスキーが映画化しましたが、黒澤作品が格段上です。

「蜘蛛巣城」スチール?



















「蜘蛛巣城」舞台<舞台>
2001年(平成13年6月4日〜28日  新橋演舞場
<脚本・演出>斉藤雅文
<共同シナリオ>黒澤 明・小国英雄・橋本 忍・菊島隆三
<出演>中村吉右衛門・池畑慎之介・音無美紀子・市川左團次・中村歌昇 

*黒澤明監督の映画「蜘蛛の巣城」の舞台化。原作はシェークスピアの「マクベス」


<1957年作品>

「蜘蛛の巣城」ポスター
























「蜘蛛巣城」パンフ























「蜘蛛巣城」パンフ
























「蜘蛛巣城」ポスター「蜘蛛の巣城」冊子















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