2007年8月29日(水)

Menlo Parkはサンフランシスコの南30マイルにある
標高22m、人口32000の町です。
私達は1974年から76年にかけて、2年間、
会社から派遣されてこの町で生活しました。
赴任直後、アパートを見つけるまでの1週間、泊まったのが
このマーメイド インです。サンフランシスコからサンノゼまでの
半島を縦断するメインストリートの
El Camino Real 沿いにある、
中庭のプールサイドに人魚の像があるインで、
33年ぶりに泊まりました。
昔のままでした。
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と言うことで、今日はメンロパークとその周辺を
センチメンタル ジャニーです。
まずは、昔住んでいたアパート。
大きなカシの木のあるこの場所の
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二階が私達の部屋でした。
中は3LDKで親子3人が暮らすには十分な広さでした。
カリフォルニアは夏でも涼しいので、床暖房はついていましたが
冷房はありませんでした。
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一階の奥が車庫になっていて、
当時は大きなフォードのギャラクシーに乗っていました。
エンジンをかけるとポンポン船のような音がしていた、
今では考えられないような車でした。
車庫のさらに奥の平屋には親切なオーナー夫婦が住んでいて、
主人は昔サンタ クルツ 通りで靴の修理屋をしていましたが、
今は引退して、ここで夫婦そろって元気に暮らしておられ、
再会を喜びあいました。
「今でもメンロパークに住みたいなら、いつでもアパートを貸すよ。」
と言ってくれましたが、家賃は31年前の4倍になっていました。
一階の手前に1所帯、
サンフランシスコの建設会社にサザン パシフィックの
鉄道で通う初老のエンジニアのご主人と、
白髪の上品な奥様とギターの好きな息子さんが住んでいました。
二階の手前が我々、
二階の奥(車庫の上)には若いカプルが同棲していました。
当時から、米国では結婚する前の男女が同棲するのは
当たり前で、我々日本人から見るとなんだか胸がドキドキしていました。
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そこから車で5分の所にある友人宅を訪問したら、留守でした。
どうしようか、迷っていると、
その隣家から若い中国人の母親が出てきて、
友人は小学校の音楽の非常勤の先生として今日は出勤している。
自分も今その学校へ子供を迎えに行くところだ、
いっしょに行きましょう。
と言って、親切に私達をその小学校まで案内してくれました。
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その小学校に着くと、友人は丁度音楽の授業中でした。
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中国人のお母さんが学校の事務と連絡を取ってくれて、
授業が終わるとその友人がここまで出てくれるように、
手配してくれました。
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親切な中国人女性(左)のおかげで、
授業を終えて出てきた友人(中央)と
31年ぶりの再会を果たすことができました。
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なんだか、話が盛り上がっています。
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お互い、元気に再会できてよかったです。
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その後、メンロパークのダウンタウンであるサンタ クルツ通りに行き、
昼食を食べました。
31年前はメンロパークはまだ田舎の雰囲気が残っていましたが、
今では半導体や情報関係の企業が増えて、
黒いスーツのビジネスマンが闊歩する都会に
変身していました。
メンロパークは人口32000くらいのこじんまりした町ですが、
ベンチャーキャピタルの町として、輝かしい歴史を持っています。
あとで知ったことですが、私が滞在していた1975年の5月3日に、
メンロパークのある家のガレジで
「第一回ホームブリュー・コンピューター・クラブ」の会合が開かれ、
ここに参加していたSteve Jobs がアップルⅠのアイディアを思いつき、
翌76年4月1日にアップル社を設立したそうです。
自宅の作業場でJobsもハンダ付けをしながら、
パソコンを手造りし、同じメンロパーク市内のショップに
50台納入することから始まったそうです。
当時のメンロパークでそんなことが進行していることは
まったく知りませんでした。
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そんな中にあって、このNAK'Sという名前(私と同じ中村姓です)の
日本食品の店だけは昔のままでした。
もう当時のおばさんは亡くなっていましたが、
その孫娘さんが店をきりもりしていました。
おばあさんの話をすると、うれしそうに聞いてくれました。
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その後は、昔よく行った花屋さん(ナーサリー)へ。
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31年前と同じでした。
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その後は昔私が勤めていた
SRI International へ。
アパートから5分ほどLaurel St を歩いて通勤していました。
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もうあの頃のボスは亡くなり、
同僚たちも退職して、ここには知った人は一人もいません。
ボスはユダヤ系の穏やかな、優しい紳士でした。
我々日本や台湾からの留学生は土日も関係なく
研究室に出て実験をしていましたが、
ボスは熱心なユダヤ教徒のため、土日はしっかり休みます。
ある週末に、ボスが珍しく出勤してきて、
私が実験している部屋に入ってきて、
"Hi Michi, what are you doing on the holiday?"
と言って、驚くのを見て、こちらが驚いた記憶があります。
中に入って受付嬢に31年ぶりに来ましたというと、
一緒に写真におさまってくれました。
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SRI International の近所にあるサンセット マガジン社の庭へ。
この会社は昔から旅行雑誌を発行している出版社で、
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いつも、きれいな庭が解放されています。
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いろんなサボテンも植えられていて、ちょっとした植物園です。
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庭の一番奥から見たサンセットマガジンのオフィス。
これも昔と変わりありませんでした。
しかし、出版している旅行関係の雑誌は変遷していました。
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その後は、昔息子(当時2才)を通わせていた
メンロ アサートン ナーサリー スクールへ。
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これも昔のままでした。
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そこの遊び場では今でも若いお母さんが
子供を遊ばせていました。
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31年前のいろんな記憶がよみがえってきました。
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ナーサリー スクール のそばにあるニーロン パークの広場。
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そのパーク内にあるテニスコート。
昔、家内がここでのテニス教室に通っていました。
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その後はアライド アート ギルドへ。
美術品や装飾品が展示販売されていますが、
中庭がきれいで、昔よく来ました。
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ここも昔のままでした。
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そして、スタンフォード大学へ。
メンロパークの隣町にあります。
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大学内のフーバー タワーの上からみたキャンパスの一部。
昔、SRIから時々向こうの方に見える工学部の
触媒化学教室に通って、セミナーに出ていました。
バイオ関係の学科もこの一角にあり、
1973年にはスタンフォード大学のコーエンと
UCサンフランシスコのボイヤーが
ここで初めて遺伝子組み換え大腸菌を作成し、
遺伝子工学の扉を開けました。
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大学のそばにあるスタンフォード ショッピング センターへ。
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ここには、メイシーズやエンポリアムなどの有名百貨店がありますが、
ここの庭もいつも花いっぱいできれいです。
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夕方になり、私たちの住んでいたLaurel St の向かいにある
別の友人宅へ。
今日はここに泊めていただきます。
Laurel St のこちら側はメンロパーク、
向かいは隣町のアサートンです。
アサートンは人口7000人程度の、
全米でも屈指の富豪の町です。
どの屋敷も広い林の中にあります。
しかし、風土は決して保守的でなく、
メンロパークやパロアルト同様、伸びやかでリベラルで、
奉仕精神に満ちたコミュニティーです。
こういった風土はカリフォルニア州全体について言えることで、
たった2年間住んだだけなのに、
メンロパークが私にとって第二の故郷のような存在になり、
アメリカ西部ドライブの度にここに帰ってくるのも、
この風土が私たちの性格に合致したからではないかと思っています。
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このご夫妻は私達の33年来の友人で、
米国ドライブのたびにお世話になっています。
この日はご夫妻の子供、親戚、友人も集まり、
庭に面したベランダで楽しい夕食を頂きました。
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2007年8月30日(木)

帰国の日の朝、友人宅の玄関で、
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友人ご夫妻のSさん(中央)、Wさん(左)、
いつも親切にして頂き、
本当にありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみに。
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と言うことで、
8月16日から始めた今回のアメリカ西部のドライブも
14日間、3625マイルの旅程を無事終了しました。

その84.レディングからラッセン火山国立公園を観光してメンロパークへ340マイル」へ。
その86.ロスアンジェルスからパームスプリングスを経由してジョシュア ツリー国立公園へ200マイル」へ。
「思い出のアメリカ西部の道」の「目次」へ。