川田亜子さんが亡くなられたニュースを知って。

とても驚きました。


同じ職業だということ。
同じ年代だということ。


直接面識はないけれど、
とてもとてもショックです。


きれいで、おもしろくて、気が強くて、寂しがりやで、繊細で、プライドが高くて、自信がなくて。
テレビを通しての川田亜子さんは、私にはこんな女性に見えていました。
とても魅力的で人間的な女性。



辛かったんだろう。
苦しかったんだろう。

助けて、って言えなかったのかな。
諦めてしまったのかな。

こと切れたときの彼女のことを考える。
どんな思いで死に行ったのだろう。

ご両親のことを考える。
いま、どんなに心が潰されているだろう。
もう動かなくなった娘とどんな思いで対面したのだろう。


どうしてだろう?
なんでだろう。

死に行く人、死を選ぶ人の気持ちはわからない。
わかろうとしていないし、わかる必要があるのかもわからない。
でも、私にわかっているのは、残された人の心に、そのことが、その人がどれだけ強く残るか、ということ。

さっきまで動いていた人が、人形みたいになってしまったその固さ。
床や壁と同じ温度になってしまった肌。
もう二度とご飯を食べることがない口。
もう二度と笑い声をあげない顔。
大切な人がこの世にいなくなってしまったのに、世の中はまわっていて、自分は呼吸をしていて、お腹が空く、という何ともいえないやるせない気持ち。
その痛さは何年たったって消えはしない。
消さない。
痛くて虚しくて心に刺さる出来事。


どうしてかな、こんなに晴れた日に。
こんなに空がきれいな日に。


どうしてかな。
せっかく29歳まで大きくしてもらったのに。
ご両親に、まわりの人たちに、例えば今日食べたお豆腐を作ってくれた人たちに、例えば5歳の頃のある日に食べたサンマを釣ってくれた人に、例えば毎日寝てるベッドを作ってくれた人に・・・ほんとうにいろんな人たちに大きくしてもらったのに。


私はどんなことがあっても親より先に逝かない、と決めている。
絶対に。何があっても。
それが、私の、両親への感謝の表し方です。




過去にウツを経験したことのある友人の日記に
「生きることはすべて苦しいことでマイナス。
死ぬことはそんな苦しみから脱出する肯定的行動となります。 」
とありました。


亜子さんがウツかはわかりませんが、
死にたい人ってそんな風に考えてたのか。。。



また別の友人からは
「自分の幸せをどうにかできるのは、自分自身の頑張りでしかできない。
強く生きないとあかんね。。」
とメールがきました。


強く、か・・・。



そんなのはムリなことだし、ある意味投げやりな発言だけれど、
「ほんとに、みんな幸せだったらいいのに」。
そんなことを思ってしまう。


最近好きな文章。
夏目漱石『草枕』冒頭。
『山路を登りながら、こう考えた。
知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。』


千円札を見ながら、こう考えた!
言い得て妙!
ハイ。住みにくいですよ、人の世は。
そう簡単には通してくれないし、ゴッチンゴッチン壁にぶつかる。
でも悩んだり、つまずいたり、ぶつかったり・・・、
そうすることによって、「味」が出るんじゃないかな、人間に。






川田亜子さんのご冥福をお祈りいたします。