2010年04月

2010年04月28日

「龍馬伝」・・その時、松本は。

毎回人気のNHK大河ドラマ。

今回は特に人気が高いみたいで
あちこちに、にわか龍馬が名乗り出ていますが・・・。

幕末の時代
都から遠く離れた土佐の地で
若者達が非常な緊張感を持って政治に立ち向かっていたその頃。
松本の若者達はどんな事を考えていたのだろう・・・


最近、そんな講演会を聴いてきました。


第一回長州征伐の命が下ったのは
元治元年(1864年)8月25日。

それを受けて松本藩は
二の丸御殿に集まって
武器をチェックしたり甲冑の着方の講習会などを開いたそうです。

200年続いた太平の世。
すでに甲冑の着方も銃の使い方も
知っている人はいなかったのでしょうね。

10月になってようやく旗本の訓練が行われ、
指揮の仕方などの講習があったようです。

その後、本番と同じ服装で
お城から野溝に向かって連隊を組んで実習訓練。

この時は南門から縄手を通って大橋、中町に抜けて行きました。
何故遠回りに縄手を・・・?と思うのですが
辰巳の庭に隠居していたお殿様の父上が
「兵隊を見たい」とおっしゃって、見せるために遠回りを。。。


この頃の松本藩の服装は陣羽織、銃は火縄銃。

洋風最新の長州藩と比べ
関が原を引きずっているような時代遅れの状態。

しかし、この時代遅れの火縄銃なんか持っていたお陰で
北越との戦いでは後列に置かれました。

最新悦の武器を持って最前列で戦った松代藩の後ろで
ひとりの死傷者も出さずに済んでいるのは
ある意味幸いだったのかもしれません。


長州出兵には何億ものお金がかかったそうです(約6億とも)。
藩は武士の給料を差し止め
借金をしたりして
多大な犠牲を払いながら兵士を送り出しました。

残された家族は送り出した夫や息子の安否とともに
自分達が食べていく苦しさも味わわなければならなかったのです。

道中記が残っています。

7月10日出発
 贄川に着いたのに鉄砲手形を忘れて通行できず
 取りに戻る。。。

 芸州に着くまでにもあちこち神社参拝や名所史跡巡り観光。
 最上の店でお酒を飲んで松茸や魚など美味しいものを沢山食べて
 お土産を買って。。。。

 滞在地では1畳いくらという法外に高い宿泊代を支払って
 部屋から釣りができる部屋を借りています。


日記には、
戦場に赴く緊張感は全く見られません。
国で苦しんで捻出している経費を使っている感覚もない。

その後将軍家茂の訃報が伝えられ兵士は松本に帰ってくるのですが
まっすぐ帰らず金比羅様に行っています。

帰宅は11月15日。
 村井宿でハレの服装に着替えて
 旅の土産とは別に
 「徳若」でお菓子を買って家に帰ったという記録も。

戦うことをしなくなった武士達は
「管理」という仕事しかして来なかったため
戦う意欲も持てなくなっていたのかもしれません。

自分のお金ではないからと
このときとばかりに贅沢をしてしまった事で
後々まで「官費旅行」といわれることになった長州出兵。

人はみな平和を望んでいるけれど。
太平の時代は人々に何をもたらすのだろう。

今の政治家に重ねてしまう講演会でした。


松本に龍馬は生まれなかったのでしょうね。

しかし明治になってからの
松本の下級武士の活躍はすばらしい。

下級であるという事は
エネルギーに変えるものも沢山持っているのでしょう。











mick0120 at 00:36|PermalinkComments(3)TrackBack(0)